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『グローバリスト対ナショナリストの戦い、馬渕睦夫』グローバリスト(国際主義者)とは、「共産主義」「社会主義」「左翼リベラル思想」「ネオコン(新保守主義)」「新自由主義(ネオリベ)」…『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』(お金にならないものは否定する情けない政治、日本の政治は、いまや政商・グローバリストが動かしている)

グローバリズム 対 ナショナリズム
第二次世界大戦時、日本は反共を固守していましたが、アメリカもソ連もグローバリスト、国際主義者に支配されていたために戦争が起こりました。共産主義インターナショナルとは、国境をなくし、国際主義者が世界を支配しようとする思想です。
当時、なぜアメリカが今の中国(国民党ではなく共産党)を支援したのか、中国を共産国化することが国際金融勢力(ユダヤ国際金融資本)の目的だったからです。日本はそれに抵抗する敵でした。ソ連も中国もアメリカの国際金融資本家たちが作った国なのです。国際金融資本家たちは、敗戦後の日本も共産主義国にしようとしました。
後の朝鮮戦争、ベトナム戦争でも同じですが、戦争を行うことで利益を得る勢力が背後にあり、国と国の歴史だけ見ていては本当の歴史は全く見えてきません。それを操るものがおり、戦争は作られ誰が利を得たのかです。

グローバリスト(国際主義者)とは、「共産主義」「社会主義」「左翼リベラル思想」「ネオコン(新保守主義)」「新自由主義(ネオリベ)」…、様々な形があります。これらの共通項は、国家の価値や民族の価値、それらのナショナリズムを否定して世界を統一すること(ワンワールド)、つまり世界政府を樹立することです。
左翼、リベラリストは、国家を軽視する傾向にあります。国民よりも市民(地球市民)なのです。市民は、伝統的価値とは無縁です。国家や国籍など関係ない、国境をなくし人の移動を自由にするグローバリズムと、多文化共生、国民より市民といったリベラル思想の行き着く先は同じなのです。市民的価値のために地域社会を越えて連帯し、既存の社会秩序を否定する方向に流れ、いずれ国家否定に向かいます。自由主義などと言い洗脳しています。

モノや金の流れを自由にし、国境をなくし人の移動(移民)でさえ自由にするEUは、民族間の対立を生みテロが多発しています。グローバリズムを推進した結果です。
フェミニズム(男女同権論、女権拡張論)やジェンダー・フリー(社会的性別からの解放)(男女共同参画)、夫婦別姓、同性婚、LGBT、多文化主義、ポリティカルコレクトネス(PC)、ヘイトスピーチ規制法、移民政策は共産主義化への道筋です。家族制度など既存の秩序が破壊されてしまえば、皆さんの判断基準がなくなってしまい、その行きつく先は独裁政権が待っているわけです。多文化主義とは、「文化を否定し、破壊するための理論」です。社会や国家にはそれぞれの文化があるという価値を認めません。文化を均一化し、その結果何が起こるかと言えば、各国文化の消滅です。日本の左翼、つまりリベラルから共産主義者まで国際金融家の代理人となって動いています。
左翼リベラルは、ポリコレにより少数者優遇、多数者差別の言葉狩りを行い、ヘイトスピーチ規制により自分達に不都合な言論を封じ、移民に寛容であるべきだと主張します。移民を受け入れることでその国の文化や伝統を破壊し、国家を内部から弱体化することを狙っているのです。
移民の権利擁護キャンペーンの尖兵となっているのが各国のメディアであり、メディアに巣喰う知識人が移民の受け入れが世界の趨勢に合致するものだとの印象操作を続けています。
アメリカでは、これまで散々フェイクニュースを流し世論を操作してきたグローバリストである大手メディアの報道に負けずに、ナショナリストであるトランプが大統領になりました。そのためマスメディアは少数派が多数派を偏向報道で押さえ込んでいたのがバレてしまいました。
社会における少数派が、大学、ジャーナリズムに巣くい、あたかも多数派のような顔でテレビや紙面を使って大勢の国民を洗脳しているという構図です。

日本人は、戦後GHQにより思想解体されてしまいました。公職追放により、多くの左翼が社会の中心に入っていき、東京裁判史観による自虐、反日、公より個人が大事であると、左翼リベラル思想で日本国民が洗脳されていきました。その思想は現在、メディア、教育、司法を中心に政治行政、経済界、労働界、宗教界、文化人と日本社会のあらゆる所まで影響を与え、その系譜は続いています。
戦前の価値観を否定され、正しい歴史を教えられない日本人は軸(誇り)がなくなり、自信を失っていきました。日本人が持っている能力を発揮させない教育システムに変えられた結果です。経済活動のみに邁進するようになり、個人の価値基準も金が儲かるか儲からないか、得か損かでしか動かなくなり、自分の頭で考える力を失っている日本人は外部の思想であるグローバリズムに飲み込まれていきました。今が良ければいい、カネを儲けるやつが偉い、自分さえ良ければいいという「今だけカネだけ自分だけ」の日本人が増えていったのです。

戦後、GHQが生み出した反日サヨクやお花畑を利用して、日本乗っ取りを画策しているのが敗戦利得者である在日朝鮮人であり、既に多くの帰化議員(通名で日本人に成りすまし)など行政やメディアだけでなく国政まで内部侵略されている状態です 。
グローバリズムと在日朝鮮人の侵略、日本乗っ取りが同時に行われており、これが日本の国難の正体です 。移民受け入れろ、インフラなど外資に売ったらいい、金が儲かれば反日でも構わない、外国人も平等になど、すべて日本を破壊する行為です 。
在日朝鮮人が享受する異常な数の生活保護や入管特例法(滞在資格が世襲制)、通名(日本人成りすまし)など多くの在日特権、高い犯罪率(凶悪犯罪も多い、なのに他外国人と違い実質強制送還がない)、パチンコ利権(20兆円産業、街中に民間賭博場があるのは日本だけ)、朝鮮学校への補助金、あげくの果ては参政権寄こせ 。
グローバリズム(世界のユダヤ化)と在日・反日勢力の目的は同じ、日本の文化、伝統、歴史など国体を破壊し日本が日本でなくなることであり、あらゆる組織に入り込み、その尖兵となっているわけです。移民など受け入れれば、天皇いらないという同じような反日侵略連中が増えるだけ、日本が日本でなくなるだけです 。

国家や国籍など関係ない、国境をなくし人の移動を自由にするグローバリズムと、多文化共生、国民より市民、地球市民といった左翼リベラル思想の行き着く先は同じであり、国家の価値や民族の価値、それらのナショナリズムを否定して世界を統一すること、つまり世界政府(新世界秩序、ブッシュ元大統領も唱えていた、NWO(ニュー・ワールド・オーダー))を樹立し、世界中どこでも画一的な世界を実現することです 。(国連(戦勝国連合)は世界を統一するためにロックフェラーなど国際金融資本家が作った機関)
共産主義もグローバリズムも、元々国を持たなかったユダヤ思想であり、どちらもごく一部の者だけが支配する独裁の世界を目指すことに変わりはありません 。かつてのソ連は、ロシア(ユダヤ)革命により、グローバリストに支配されていました。(その後、プーチンが奪還)。現在では、共産主義がグローバリズムに衣替えしており、グローバリズムは二十一世紀の共産主義なのです。

ユダヤ思想をベースとする国際主義者たちが目指すのは国家の上に国際主義を置く「国境のない世界統一」です。目指すのはグローバル市場化による世界の統一、ワンワールド化、市場(マネー)が国家を超える存在(国家が民営化、国家の主権はなくなる)、カネと情報で世界を支配し一部の特権階級が効率的に儲けられる「金融による独裁」の世界です。
アメリカの中央銀行は民間銀行です。ドルを刷るたびに株主である世界の金融資本家に利子が払われる構図です。金融を支配するものが、メディアも支配して日々洗脳し世論誘導を行っています。
世界は、グローバリストと、国家の価値や民族の価値を重視する愛国者であるナショナリストとの戦いが続いており、各国のなかでも両陣営のせめぎ合いが続いているのです。

日本の政治経済マトリクス、グローバル化、反グローバル化、新自由主義、グローバリスト、右、左、左派メディア、NHK、朝日新聞、電通、経団連、洗脳、産経新聞、反グローバリズム政党、ナショナリズム

スイス政府発行「民間防衛」より 「武力を使わずに他国を侵略し乗っ取る方法!」


『「馬渕睦夫が読み解く2019年世界の真実 いま世界の秩序が大変動する」 馬渕睦夫』
「ロシアゲート」と「モリ・カケ」の構図は瓜二つだ
 オバマ政権下のアメリカでは、「多様性」「寛容な社会」といった聞こえの良い価値観を盾に、際限なき移民の流入、ジェンダーフリーの推進、 異常なポリティカル・コレクトネス (政治的正しさ)による言論封圧、マイノリティへの過剰な権利擁護が許されてきました。
 このような「アメリカ人」の利害=国益を無視した歴代政権への不満を集めて大統領に当選したのがトランプです。 マティス国防長官を重用していることからもわかりますが、トランプはナショナリストの多い国防総省を重視し、グローバリストの巣窟である国務省の権限を縮小しています。
 お互いに「自国ファースト」ができる国とだけ付き合おうと思っているトランプは、共産党の利益しか考えていない中国政府とは、表向きはともかくとして、緊密な関係を築く気はもちろんありません。
 一方、アジアで 「自国ファースト」 の意味をちゃんと理解している指導者だからという理由で、安倍晋三首相とは親密に連絡を取っているのです。
 アメリカの主流メディア(ニューヨークタイムズ、CNN他) は、あらゆる手段を使い、そんなトランプ大統領の椅子から引きずりおろそうとしています。「ロシアゲート」では具体的な証拠もなく、「疑惑」だけで大統領に因縁をつけている。その構図は日本の「モリ・カケ」 報道と瓜二つです。
 アメリカの主流メディアの報道を信用してはいけません。今までは政権とメディアが同じグローバリスト勢力に属していましたが、現政権はその勢力に与していない。したがって、いくら『ニューヨーク・タイムズ』を読んでも、トランプの考えていることは理解できないのです。
 それにもかかわらず、日本のメディアはアメリカの主要メディアの情報を鵜呑みにして、トランプを「孤立主義」「大衆迎合主義」と批判しています。
 日本の「親米保守」と呼ばれる人たちも同様です。 ウォール街と通じる「ジャパンハンドラー」(陰で日本を操る、日本人を飼い馴らした人)から貰った情報に依拠しているようでは、アメリカ社会の実情とトランプ登場の背景を十分に理解できません。 今さらマイケル・グリーン (政治学者・元大統領補佐官)やジョセフ・ナイ (国際政治学者・ハーバード大学特別功労教授・元国防次官補)やリチャード・アーミテージ元国務副長官)のようなジャパンハンドラーたちの話を聞いても、あまり役に立たないのです。
『2019年世界の真実 馬渕睦夫』 「共産主義」「リベラル」「ネオコン」の共通点は何か

 日本の親米保守派の面々は、「アメリカが築き上げてきた戦後国際秩序がトランプによって壊される」「アメリカが国際関与政策を継続することが重要」という意見を、メディアなどを通じて垂れ流していますが、それは間違いです。グローバリズムの名の下、アメリカこそが国際社会の基本単位である「主権国家」によって支えられてきた世界の秩序を壊してきたことに、そろそろ気づく必要があります。
 国境の敷居を低くする(最終的にはなくす) グローバリズムに待ったをかけ、民族的価値の再認識を求めるナショナリズムへの回帰の動きが、イギリスのEU離脱であり、トランプ旋風なのです。「日本の国益」を第一に考える安倍首相もグローバリズムへの抵抗者なのです。

「共産主義者」「リベラル」「ネオコン」の共通点は何か
 ロシア革命の指導者トロツキーは、スターリンの「一国社会主義」路線に反対し、「世界同時革命」を唱えたグローバリストでした。トロツキーの考えに共鳴した、反スターリンのトロツキストと呼ばれる共産主義者が、一九二〇年代以降アメリカに渡り、一九六〇年代から七〇年代にかけてネオコンに変貌を遂げました。
 共産主義者とネオコンの関係を理解するには、ジャーナリストのウォルター・リップマンが最適です。 ウィルソン大統領の側近だったころの彼は共産主義者でした。その後リベラルに転向し、最終的にネオコンに傾倒したのですが、 「共産主義者」「リベラル」 「ネオコン」の三者は、グローバリストという共通点があります。
 ネオコンは「新保守主義」と訳されることがあります。 しかし、世界統一を目指す「保守の皮をかぶった極左」に他ならず、アメリカという国家への帰属意識が薄い人たちの集まりです。世界中が「民族の価値なんてどうでもいい」「金儲けが一番大事」という思想に染まってしまえば、いとも簡単に世界をグローバル市場で統一することができる。彼らの目的達成において、トランプ大統領が目指す、強力な主権国家の存在は邪魔で仕方がないのです。
 ネオコンが隠然たる力を保有していることを解くカギは、通貨発行権を持つ中央銀行のカラクリにあります。実は、中央銀行は民間機関なのです。 アメリカの中央銀行であるFRB(連邦準備制度理事会傘下の連邦準備銀行)の株式は、一〇〇%民間資本に所有されています。また、日銀のホームページでも、「日本銀行は政府機関ではありません」と書いてあります(もっとも、日銀の株の五五%は日本政府が所有)。
『2019年世界の真実 馬渕睦夫』 「共産主義」「リベラル」「ネオコン」の共通点は何か

 かつてミッテラン大統領の補佐官やサルコジ大統領の政策顧問を務めたジャック・アタリは「国家の歴史は、債務の歴史である」と言っています。裏を返せば、国家の歴史は「国家に金を貸す者の歴史」でもあるのです。国家に金を貸し続けてきたのは、FRBの株主であるウォール街の金融資本家たちです。
 これら金融資本家が金融の支配権、つまり通貨発行権を握っているということを知らずに、アメリカの歴史を理解することはできません。暗殺されたアメリカ大統領のうち、リンカーンとケネディは政府による通貨発行を行いました。私は金融資本家が二人の暗殺にからんでいると見ています。
 この「アメリカの闇」ともいうべき勢力に挑戦しているのが、「アメリカファースト」を掲げたトランプ大統領です。
『2019年世界の真実 馬渕睦夫』 「ロシアゲート」と「モリ・カケ」の構図は瓜二つだ


『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』
日本再発見その参【グローバリズムⅢ】 やるべきことは「移民」を生み出す国の環境改善
移民サミットでの国連事務総長の問題発言

 今回のテーマは「移民問題」です。
 2016年の9月の国連サミット(移民サミット)で、国連の潘基文事務総長(当時)が非常に気になる次の発言をしました。「よりよい生活を求めて避難するすべての人の権利や尊厳を守るため、全力を傾けようと首脳らに支援強化を呼びかけた」――。
 どう思われますか。 「よりよい生活を求めて避難するすべての人の権利や尊厳を守れ」「移民はすべての人の権利だ」と事務総長は言っています。
「自分の国の生活がおもしろくないので隣の国へ行く。隣の国へ行くのは権利である。そして、その移り住んだ国はその人の権利を尊重しなければならない」とこう言っているわけです。さらに、この事務総長発言の問題点を指摘するメディアもありませんでした。
 今、世界の国々のメディアで「移民を受け入れよ」と叫んでいます。「移民には権利があり、移民は尊厳されなければならない」と――。
 これっておかしいでしょう。このことについて安倍総理が何を発言するのか注目していたのですが、総理は移民そのものの日本の受け入れには言及しませんでした。 そうではなく、移民・難民の元凶というか、原因を除去することに重点を置いて話されました。
 それは当然のことですね。私たちは見落としがちなのですが、「移民を送り出している国」はいったい何をしているのかということです。その国は、自国民に対する最低の義務を果たしていないということになるのです。ですから、「当該国が自国民に対する義務を果たせるように、しかるべき支援をする」ということが先進国のやるべきことだと私は思います。
 そういう意味ではわが国は移民・難民を受け入れるということよりも、むしろ原因となっている途上国、あるいは貧困国の環境を改善するための支援をするというのがまっとうなやり方ではないでしょうか。
 ところが、やはり日本のメディアも、それからメディアで発言する知識人たちもそうではないのです(日本だけでなく世界的にそうなのですが)。

❖グローバリストの移民論
 産経新聞の「正論」欄(2016年9月21日)で同志社大学元学長の村田晃嗣教授が気になることを書いています。 内容は「希望を支える日本のビジョンを描け」ということですが、問題点がたくさんあります。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 移民サミットでの国連事務総長の問題発言 グローバリストの移民論

 お断りしておきますが、私は村田さん自身を批判したりするつもりでこの論文を取り上げたわけではありません。ただ問題はここに表れている思想、考え方そのものに対して、やはりこれは深刻な影響をわが国に及ぼしているということで今回取り上げるわけです。
 村田さんは、2020年に向けて日本はどういうビジョンを描くべきかということを書いています。
「まず、日本は多様で寛容な社会を実現しなければならない」とあります。次に、「多様性というのは経済成長の核となる」と書き、「多様性のない社会には、才能豊かな人々は集まらず、才能ある人々の集まらない社会や地域では、イノベーションは起こらない」と断定しているのです。
 さらに、「2020年の東京オリンピック後のそう遠くない時期に、中国が世界最大の経済大国になり、軍事費でもアメリカを凌駕するときが来よう。 人類史上初めて、発展途上国が世界一の経済大国になろうとしている。 これは文明論的挑戦である」と書いています。
 日本の保守的知識人と称される方がこのように論じているのですが、これはグローバリストの思想です。グローバリストというのは「革新」です。ですからこれは保守の考え方ではないということです。
 私はいわゆる保守と革新と分ける今までの伝統的なやり方というものは適当でないと思っています。 今、もし言論人や知識人を分けるとすれば、それは伝統的な保守と革新ではなく、グローバリスト(革新) であるか、ナショナリスト (保守) であるかに分けたほうがずっとわかりやすいと思います。
 村田さんの主張はグローバリスト流なのです。 ということは革新ということになります。 彼は「保守派の論客」と言われていますが、こういう主張が保守の主張なのでしょうか。明らかにこれは保守の思想ではありません。 革新的な思想です。グローバリストの思想なのです。
 では、どこが問題なのか。「まず日本は多様で寛容な社会を実現しなければならない」と断言しておられますが、いったい多様で寛容な社会というのはどのような社会のことを言っているのでしょうか。今の日本の社会は多様でもなければ寛容でもないとでもおっしゃりたいのでしょうか。
 この文章のなかで「移民」という言葉は使われていませんが、要は「移民を入れろ」ということです。そういうことを示唆しているのです。ですが、移民を入れなければ多様性社会ができないのでしょうか。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 移民サミットでの国連事務総長の問題発言 グローバリストの移民論

「多様性は経済成長の核となるイノベーションの趣旨である」というのも、あえて多様性を弁護するために持ち出された発想だと思います。 多様性であるがゆえに経済成長やイノベーションが可能になるという保証はどこにもありません。 アメリカはいろいろな能力を持った人が集まって経済成長しました。 シリコンバレーがその典型です。 イノベションの原因になったということはよく言われています。しかし、アメリカのケースと日本のケースは違います。EUのケースと日本のケースも違います。
 それから最も問題なのは、「多様性」という考え方です。多様性というのはとにかく違う人種の人たちと一緒に住むことだとか、違う宗教、あるいはジェンダーを認めるというような多様性ということを言っておられるわけですが、それらの多様性というのは今、多くの国で問題になっています。そういうものを自国内に取り込むことが多様性ということなのでしょうか。 私は違うと思います。

❖一人ひとりが個性を十分に発揮できる社会に
 私はすでに日本は多様な社会だと思っています。私たちは、一人ひとりが個性というものを持っているわけですが、その個性はみんな違います。ですから、その違った個性をそれぞれが発揮すれば「多様性社会」になるのです。
 なぜ多様性社会を実現するためにわざわざ移民を入れなければならないのか、あるいはマイノリティの考え方を持っている人を法律で保護しなければならないのか、そういうことにどうして結びつくのか、それらのことがまるでわかりません。
 そのようなことでは決して本当の意味での多様性社会にはならないでしょう。個人が自らの個性を生かして、それを存分に発揮できる社会こそが私は多様性社会だと思っています。数学の得意な人、体育の得意な人、音楽の得意な人、みんな違う。そういう人たちが自らの能力を、個性を最大限発揮して共存できるというのが多様性社会です。
 日本は今、全体として調和のとれた社会が実現しています。 日本こそ多様性社会を実現している国です。 それで大きな混乱が生じることのない日本の社会ができています。
 人種の問題、宗教の問題、あるいはジェンダーの問題を抱えながら様々な考えを持つ人々が混在している他の国を見てください。どこもみんな混乱しているではないですか。EUの国々はむしろそれに対して反発しています。 そういう状況がありながら、 なぜ日本が多様性社会を実現しなければならないと言うのでしょう。
 それよりも私たちがやるべきことは、「自分が持っている唯一無二の個性を十分発揮できる」――、そういう社会を築いていくことだと思います。いわば、「役割分担」の社会です。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 一人ひとりが個性を十分に発揮できる社会に

 一人ひとりが個性を十分に発揮できる社会にしていく――、それがまず先決だろうと思います。そういう個人、そういう社会ができない日本に、将来、移民として外国人が来ても、決して多様性社会にはならないと思います。むしろ分裂する社会になる危険性が高いと思うわけです。

❖ 型を極めてこその「型破り」
 こういう話をするときに、私は常に思い出すことがあります。
 歌舞伎の故(12代目) 市川團十郎さんの講演を聞いたときに、團十郎さんは「型破り」についてお話をされました。
「型破り」というのは何か変わったことをやることだというふうに誤解されがちですが、じつはそうではありません。 歌舞伎の伝統的な型を破るためには、まずその型を極めなければならないのです。型を極めて初めて「型破り」ができるというのです。これは私たちも心しなければならないことです。
 私たちはときどき、 今の生活が嫌だ、今の社会が嫌だ、周りの人間関係が嫌だと思い、自分を変えたいと思ったりします。特に若い方がそう思う気持ちはわからないわけではありませんが、私はそういうときには、この團十郎さんの「型破り」の話を思い浮かべて欲しいのです。
 私たち個人に当てはめてみると、自分の個性を十分極めることで初めて今までの自分の殻を抜け出すことができる。そして新しい型の生活、生き方を求めることができるということです。
 私たちが気づいていないだけで、日本にはすでにたくさん移民の方が来ています。 華橋の方、韓国の方、北朝鮮の方、それ以外にも東南アジアからたくさんの人が来ています。日本はすでに多くの移民を受け入れているのです。
 でもその方たちと本当に共生できる社会になるためには、私たち自身が、私たち自身の型を固めていかなければならないのです。核となる型をしっかり固めるということが前提となるわけです。
 そういうふうに型を固めることが、移民の方を尊重することにもつながります。 そういう私たちの心構えがなくて、「移民を受け入れることは世界の趨勢である」とか、それは「人道的配慮だ」とか、そういうことを言っていたのでは駄目なのです。 そんなのはまったく人道的配慮とは言えません。むしろ、それでは逆になる可能性があるのです。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 型を極めてこその「型破り」

 ですから私は、多様性社会をつくらなければならないと思い込むことは、はっきり言って間違っていると思います。 本末転倒な話でしょう。私は別に移民がけしからんとか、移民に反対だと言っているわけではありません。その前にやるべきことがあると言っているのです。
 きれいごとや理想を言うことは誰にでもできます。 しかし、実際にそういうことを現場で経験しているのは一般の国民なのです。

❖中国が世界一の経済大国になることはありえない
 もうひとつ村田さんは非常に気になることをおっしゃっています。日本と中国との比較をしておられますが、まったく彼は誤解しているのだと思います。村田さんが描いているような多様で、寛大で、成熟した市民社会に日本がなったからといって、中国は日本を尊敬することは一切ありません。それによって、中国に対する日本の安全を保障することにもまったくなりません。
 今まで民主主義国日本に対して中国は十分尊重できたはずですが、そんなことは一切ありませんでした。 国際政治の現実というものはそういうものです。これをソフトパワーという人もいますが、ソフトパワーというのは、そういう意味ではハードパワーに対しては力がないのです。
 なんとなくソフトパワーがハードパワーを凌駕できるという幻想を振りまいている人がいます。しかし、それは「憲法九条絶対主義者」と本質的に変わりません。中国に対しても民主主義国が勝利するだろう、などという甘い考えは持たないほうがいいと、私は心から思います。
 それからもうひとつ、「中国が2020年以降は世界一の経済大国になる」「軍事費でもアメリカを凌駕するときが来よう。 人類史上初めて、発展途上国が世界一の経済大国になろうとしている。 これは文明論的挑戦である」とありますが、これもおかしいです。
 中国が世界一の経済大国になることはありえません。中国が今日の数字上ですが)経済大国にどのようにしてなったかということを考えてみればわかります。 中国経済の成長は、アメリカや日本などの先進国が支援したからなのです。 アメリカや日本が工場を移転したからなれたのです。そういう国が今後も経済成長を続けられるはずがありません。そんなことは常識的な話です。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 中国が世界一の経済大国になることはありえない

 経済学者が中国の経済成長がこうだとか、経済の実態がこうだとかというお話をされます。それはそれで良心的に勉強されているのだと思いますが、そういう方々は、そもそも中国が今日の経済発展をなぜ築くことができたかという原因をあまり言いません。
 まずアメリカが助けて、その次に日本が助けた。中国は「模倣経済」で今日までやってきたわけです。 それに過ぎないのです。
 すでにアメリカはかなり引いています、日本も引いています。ただ、引きたいけれどなかなか中国から撤退することができないでいます。そんな状況なのに、日本の新聞は「中国へ進出しろ」などといまだに言っています。中国に対するこの根拠なき幻想が日本のメディアのなかで依然として広がっているということです。
 私たちはもっと現実を見なければなりません。 私は、「中国は張子の虎」だとずっと言ってきました。それは経済の基盤がなっていないからです。 経済学者も政治学者もそのことを知っているはずです。でも彼らは言いません。それはなぜか? 中国は“市場”だからです。 金儲けの対象だからです。アメリカにとってもそう、日本にとってもそう、EUにとってもそうだったのです。中国は一つの国だと考えるから、私たちは混乱してわからなくなるのです。中国は「国」ではなく「市場」なのです。
 中国共産党の一党支配は、長くても数年のうちに終わります。これはもう多くの人が指摘していますが、終わります。それはなにも中国が崩壊するということではありません。 巨大な「市場」としての中国は残るわけです。ですから、今度はまたその「市場」の支配を巡って、どのような権力闘争が行われるかということに過ぎないのです。
 そういうことを2020年に向けて予想されるというのならわかりますが、中国が文明をひっくり返すということはありえません。 「文明になる」という言い方はプロパガンダだと思います。

❖一人の人間の中に「国民」「市民」「住民」が共存している
 それから村田さんは「この多様で寛容な市民社会は国家戦略なしには維持できないし、いくら戦略的でも社会が活力を失えば国も傾く」と書いています。その後が問題なのですが、「市民社会と国家戦略の両立こそが重要である」「よき市民はよき国民であり、よき国民はよき市民でなければならない」と続きます。
 こうなると「市民」という言葉の定義が問題になってきます。 村田さんは「市民」を「国家」と対立するような用語で使っておられるわけです。
 かつて私たちは、市民運動出身で、国家観なき首相をいだいてとんでもないことになりました。 覚えておられますよね。 市民運動には国家観がありません。だからよき市民はよき国民であるとは断定できないのです。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 一人の人間の中に「国民」「市民」「住民」が共存している

 ひとりの人間が、あるときは国民であり、あるときは市民であり、そしてあるときは住民です。一人の人間のなかにそういう側面が共存しているのです。ですから市民だけを強調することは間違っていますし、国民だけで物事を議論するということも間違っているわけです。
 多様性というのは結果として生まれて来るものです。私たちが自分の唯一無二の個性を勉励し、それを発揮して社会のなかで生活をする。その結果、多様性というものが出て来るのだということをもう一度強調して、このテーマの結論にしたいと思います。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 一人の人間の中に「国民」「市民」「住民」が共存している


日本再発見その五 【グローバリズムV】
「保守」対「革新」の対立軸はもう古い
❖「社会主義者」も「リベラリスト」も「国際主義者」である

 今回は、「対立軸」についてお話ししようと思います。
 政治の世界の対立軸といえば、つい最近までは、「保守」対「革新」でした。 「自民党」対「社会党」、時にはそこに「共産党」を含める場合もありましたが、いわゆる“保革”の対立です。そういうかたちで、政治状況とか社会状況の説明がされていました。
 しかし昨今の状況を見ると、先にも少し触れたように保守と革新の対立軸で物事を判断するということができなくなってきています。 今までのように、自民党が保守で、民進党が革新であるというようには割り切れない状況になってきています。むしろ「グローバリズム」対「ナショナリズム」の対立軸で見たほうが、状況をよりよく理解できると思います。
 この分け方でいくと、自民党は必ずしも保守ではないということになり、民進党も必ずしも革新ではないということになります。つまり、自民党の議員のなかにもグローバリストがいますし、民進党のなかにもナショナリストがいる。そう考えると、「グローバリズム」対「ナショナリズム」の対立軸で政界を再編成したほうがよりわかりやすいのです。
 自民党政府内にあっても移民を推進する勢力もいます。 この人たちは明らかにグローバリズム勢力で、決して保守ではありません。 民進党のなかにもしっかりした国家観を持っている党員、政治家の方がいるわけで、この方たちは革新ではありません。

 今から100年くらい前になるのですが、ジャーナリズム界の重鎮でウォルター・リップマンという人がいました。 彼は、もともとはジャーナリストではありません。諜報員だったのです。 彼が活躍したのは1910年代の後半で、ウッドロウ・ウィルソン大統領の広報委員会のメンバーでした。
 彼の略歴にはこう書かれています。 「当初、ウィルソン大統領の側近であった頃は社会主義者だった」そして、「そのあとにリベラリストになり、最後(1960年代の初め頃)はネオコンになった」と――。
 今までの伝統的、 因習的な観念からみると、リップマンは、左の社会主義者から真ん中のリベラリストになって、そのあと右のネオコンに移った人だと考えがちなのですがそれは違います。 彼の略歴には、「(リップマンは終生、国際主義外交の擁護者だった」と書かれています。つまり、社会主義者も、リベラリストも、ネオコンも、すべて 「国際主義者」なのです。この3つは同種なのです。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 「保守」対「革新」の対立軸はもう古い 「社会主義者」も「リベラリスト」も「国際主義者」である

 私たちは社会主義者とネオコンは左右の対立する勢力だと思っていますが、社会主義者とネオコンは同じ勢力の裏表です。その共通項は“国際主義”なのです。

❖ 「ネオコン」は「トロッキスト」と同類
 それではネオコンとは何でしょうか。じつは、ネオコンは「トロッキスト」と同じ思想なのです。
 レフ・トロツキー (ウクライナ生まれのソ連の政治家)は「永久革命」を唱え、スターリンの一国社会主義と衝突して敗れ、最後は暗殺されます。永久革命は何かというと、「世界を共産主義で統一する」ということでした。
 世界中で共産主義革命を起こし、世界を共産主義化することによって、共産主義国家ソ連も生き延びる――、簡単に言えばそういう理屈(考え方)です。
 スターリンはそうではなくて、 まず足元であるソ連という国を固めるということに舵を切りました。
 そのソ連から多くのユダヤ系の人たちがアメリカに移住して、民主党の左派を形成していきました。しかし、1960年代になると移住者のなかには民主党のジョン・F・ケネディやリンドン・ジョンソン大統領の対ソ連融和政策に我慢できなくなって、民主党から共和党に鞍替えした人たちがいました。 それがネオコンの元祖です。今も基本的にはそうなのですが、ネオコンはユダヤ系の人たちが中心になっています。
 ネオコンの狙いは何かというと、「世界をグローバル市場化する」ことです。典型的な例でいうと、ジョージ・W・ブッシュ政権のときがそうでした。 ブッシュは世界をグローバル市場化するためにあちこちに戦争を仕掛けていったのですが、その裏にいたのがネオコン勢力なのです。
 つまり、ネオコンというのはトロッキストの場合と同じで、「世界を統一しよう」というイデオロギーを持った人たちの集まりです。それをメディアなどが「新しい保守主義者」と訳して使うから、わけがわからなくなってくるのです。
 ネオコンも、いわゆる社会主義者(共産主義者と言ってもいいのですが)も同じです。これらは世界を統一しようというイデオロギーを持った人たちなのです。
 かつては、共産主義の「暴力革命」で達成しようとしました。しかし、今は暴力革命というよりも、むしろ「市場の力」で世界を統一しようとしています。その形態の違いはあっても、彼らが世界を統一しようという戦略を持っていることは昔も今も同じなのです。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 「保守」対「革新」の対立軸はもう古い 「ネオコン」は「トロッキスト」と同類

 これがわからないと、なぜ今、グローバリズムとナショナリズムの対立になっているのかがわかりません。繰り返しますが、リベラリストも社会主義者もネオコンも同じなのです。 その共通項が先ほど言った「国際主義」です。 リベラルというと何か知識人の象徴のように言われますが、リベラリストというのは最終的には「国境を廃止する」という考えの持ち主なのですから明らかに国際主義者と言えます。
 普遍的な価値が各国の伝統的な価値よりも上にあると考える人たち、それがリベラリストでもあるのです。

❖グローバリスト対ナショナリストの戦い
 今、自民党のなかでも、 支持基盤を広めるために「リベラルに舵を切ろう」などと言っている人がいますが、それは語るに落ちることだと思いますね。リベラルを主張するというのは、繰り返しますが、「国境をなくそう」ということです。
 リベラルというのは知的で素晴らしい、これこそ洗脳です。 世界的なジャーナリストと言われているリップマンが、そのときどきに社会主義者であったり、リベラリストであったり、ネオコンであったりしたこと、それひとつを取ってみてもわかることなのです。
 リップマンもユダヤ系ですが、私が申し上げたいのはユダヤ系だからそうだというのではなく、「世界を統一する」という思想が「ユダヤ思想」だということを言っているのです。
 これは「人種」や「民族」の問題ではありません。 「思想」の問題です。日本のなかにもたくさんいるではないですか。 経団連や、自民党議員のなかにも国際主義者がいます。私がここで強調しているのは彼らの思想なのです。
 今や保守と革新という対立軸では世界を理解することができないということを申し上げたのは、まさにそういうことなのです。アメリカ大統領選挙もグローバリスト対ナショナリストの戦いでした。 イギリスのEU離脱もそうでした。それが今、世界的規模で行なわれています。
 自民党政府の「観光立国」というのもグローバリスト的発想です。
 私は世界の交流が深まることを問題にしているのではありません。 世界の交流を観光も含めて意義のあるものにするためには、私たちが日本の伝統文化というものをしっかりと守ることが必要だと言っているのです。
 前々回、「型破り」のお話をしました。 伝統的な型を破るには、その伝統的な型を極めなければならないという話でしたね。 ですから、私たちが本当にグローバルに世界と交流するためには、まず日本の型を固めなければならないのです。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 「保守」対「革新」の対立軸はもう古い グローバリスト対ナショナリストの戦い

 私たち自身が日本の伝統的価値というものをもう一度再発見するということが大切です。それによって日本という国の基盤を固めて、初めて本当の意味で私たちは世界的な規模で交流を拡大することができるのです。
 今行われていることは、それをやらずにただとにかく、「外国人が日本に来ればいい、それで日本がグローバル化したことになる」「もっと日本の人材が外国で働けばいい、それがグローバル化したことだ」「もっと外資が日本に来ればいい、それがグローバル経済になったことだ」――、 そういう間違った思想に基づいて行われているのです。

❖外国を尊敬するために外国の文学を学ぶ
 こういう話をすると私はいつもウクライナでの経験を思い出します。
 ウクライナでは小学校5年生(日本の小学校5年生と同じです)から外国文学を学びます。 5年生になると日本の松尾芭蕉について学ぶのです。 私が視察に行ったときも、むずかしい芭蕉の俳句について勉強していました。
 なぜウクライナの小学校では外国文学を勉強するのでしょうか。それは、日本の文学を勉強することによってウクライナとは違った国民性を持つ日本(外国)に対する尊敬の気持ちを養う、そのために外国文学の授業をやっているのです。
 つまり、「外国を尊敬するために外国の文学を学ぶ」ということです。 なぜ外国を尊敬しようとするのか、そして尊敬できるのかというと、ウクライナ人自身が「自国の文化に誇りを持っているから」なのです。 これは「型破り」の話とも一致しますね。
 私たちが、私たち自身の型を持っていなければ型を破ることはできない、あるいは世界に出ていくことができないわけです。「根無し草」の日本人がいくら世界に出かけていっても、その人たちは人間として尊敬されないのです。
 皆さんも経験があるかと思いますが、外国に行ったときに日本についていろいろと質問されると思います。その質問にちゃんと答えられる人が「日本人」であり、ある意味では「国際人」でもあるのです。
 私たちはその順番を今まで間違えていました。 まず 「国際人になろう」 「国際人にならなければいけない」ということが先に立って、「日本人である」ということがどうも等閑視されていたように思います。
 そうではないのです。今日限り、その考えを逆転させましょう。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 「保守」対「革新」の対立軸はもう古い 外国を尊敬するために外国の文学を学ぶ

 私たちはまず日本についてもっと勉強し、日本についてもっと誇りを持つ。 そういうふうになって初めてグローバルな人間になれるということを、もう一度考えていただきたいと思います。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 「保守」対「革新」の対立軸はもう古い 外国を尊敬するために外国の文学を学ぶ

日本再発見その六 【経済】
「アベノミクス」を成功させるウルトラC
❖民間人がマネーを供給している不思議さ

 第二部は「経済」がテーマです。
 まず、「アベノミクス」の問題を取り上げたいと思います。
 最初にお断りしておきますが、経済学者や経済評論家、あるいは市場の専門家が云々するようなアベノミクスの問題点を検証するというわけではありません。 アベノミクスというものがどのようにとらえられているのか、そのとらえ方のどこが問題なのかということをお話ししたいと思います。
 アベノミクスはメディアを通じて言われているように、「金融緩和」と「財政出動」で経済を刺激している間に「成長戦略」「第三の矢」で経済を底上げするという戦略です。
 ですが、私は正直、この戦略の意味がよくわかりません。 なぜ金融緩和と財政出動は別なのでしょうか。私たち国民は、その本当の意味を説明されずにこれまでずっと来ています。
 金融政策というのは政府がやっているのではありません。日本の場合は日本銀行、つまり中央銀行がやっています。 「政府は財政出動しかできない」――、 ここが問題なのです。
 私は前著(『和の国・日本の民主主義』 KKベストセラーズ)でもG7の財務省、中央銀行総裁会議の問題点を指摘しました。 G7の会合の中身について指摘したわけではありません。「どうして財務相会合ではないのか」という問題提起をしたのです。
 これまでも、G7○○ 会議というのがたくさんありましたが、どういうわけか財務省会議には中央銀行総裁が入っていました。
 メディアは、それがどういう意味であるのか何も説明してくれません。あたかもそれが当然のように報道されています。 しかし実際問題として、財務大臣と中央銀行総裁が一緒に会議に出ないと経済運営ができないということがあるのでしょうか。そうなのです、つまり、金融政策と財政政策はまったく別の人がやっているのです。
 日本の場合は、政府が日銀に対して55%の株を持っているということになっています。そして場合によっては、総理の強い意志で日銀総裁を据えかえることができます。 しかし、アメリカではそんなことはできません。大統領は追認するだけです。 米大統領はFRB(連邦準備制度理事会)には一切口出しができない。そういうシステムになっているのです。
 だから金融と財政は別なのです。私たちが経済活動で最も重要なマネーは、民間人が供給している――。政府ではない。ここにすべての経済問題の元凶があるのです。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 「アベノミクス」を成功させるウルトラC 民間人がマネーを供給している不思議さ

 結論を先に言えば、この問題を解決しない以上は、いくら成長戦略を考えても本当の意味での成長戦略は出てきません。 しかしそう言って仕舞うと私の話すことはなくなりますので、成長戦略と言われるものの問題点をこれから話していきたいと思います。

❖国内の企業にお金が回らない理由
 現在、個人消費は伸び悩み、企業の投資活動が足りていません。しかしなぜ個人消費が伸び悩んでいるのでしょうか。企業の投資活動が足りないのでしょうか。その理由についてはほとんど報道されません。つまり、この「理由」についてメディアは真剣に議論をしていないのです。
 確かに日銀は金融緩和をしたということになっています。市場にマネーをどんどん供給しました。日本の銀行にマネーを供給しました。しかし、日本の銀行はそのマネーを使って国内投資をやっていないのです。ほとんどのマネーを海外投資に振り分けています。なので、いつまでたっても日本の国民は、経済の回復の実感が味わえません。お金が日本国内に回らないわけですから当然です。
 そして、お金を回さないのが日本の銀行です。 彼らに言わせると「お金を回すところがない」のだそうです。しかし、本当にそうでしょうか。
 今、日本国内には設備投資を必要としている企業はたくさんあります。 新しい技術開発に取り組んでいる企業もたくさんあります。どうしてそういうところにお金が回らずに、潤沢な資金が外国への投資に回っているのでしょうか。
 日本のなかでの生産に回らずに、外国への投資に回っているということが、アベノミクスが当初期待された効果を上げていない最大の理由だと思います。
 銀行は、外国にはどんどん投資しています。 銀行にしてみれば「国内に投資しても儲からない」ということでしょうか。利子率が低いですからね。企業に投資しても1%の利子がとれるかどうかわからないとなれば、若干のリスクがあっても、リターンを期待できる外国企業に投資してしまうということになってしまうのかもしれません。
 ですから、残念ながら金融緩和をしても、「国内にはお金が回らなかった」ということになってしまったのです。

❖「規制緩和」という原理主義
 もうひとつ、メディアの主張で疑問に思うところがあります。 「強い経済の実現には、農業などで既得権益に一段と切り込む必要がある。痛みへの反発が予想されても、規制改革などの道筋を示すことをためらうべきではない」という考え方です。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 「アベノミクス」を成功させるウルトラC 国内の企業にお金が回らない理由 「規制緩和」という原理主義

 これはもう洗脳です。どういうことかというと、「既得権益」、それから 「規制改革」という言葉が問題なのです。「痛みがあっても規制改革を断行しろ」と言っています。これは言葉による明らかな洗脳です。 「農業などの既得権益」とはいったいなんのことを指しているのでしょうか。
 これは、既得権益を「享受している人たち」が、他の分野の既得権益を攻撃しているわけです。「享受している人たち」とはもちろん新聞社のことです。新聞メディアは「既得権益者」なのです。
 10%の消費税は延期になりましたが、8%の軽減税率を主張し、それを獲得したのは新聞業界です。これが既得権益でなくてなんでしょうか。テレビの地上波も同様です。今、既存の放送局は電波を独占しているではないですか。彼らこそ既得権益者です。
 メディアが言っている農業とは、農協のことを言っているのかもしれません。 「農協は既得権益者だ」と言っているのでしょう、きっと。これなどは聞くに堪えない議論だと私は思いますが、今、まさにこういうおかしな議論がまかり通っているわけです。
 規制緩和があたかも素晴らしいことだと言われていますが、これは原理主義者の主張です。規制緩和の中身を言わずに、「規制緩和は重要だ」と言っているのですから。そういえば、憲法改正論議の場合も同じですね。 改正の中身を言わずに、ただ「憲法改正反対!」なんて言っていますね。 これって、まず日本語としてもおかしいでしょう。法を「改正=良くすること」に反対と言っているのですから。
 言葉尻だけをとらまえての批判と言われるかもしれませんが、とにかく中身の議論ではありません。つまり、これらは「原理主義の議論」をやっているのです。 「規制緩和は善だ」、そして「憲法改正反対!」と――。
 それから、「構造改革の推進」の場合も同じです。どういう構造改革をするのかということは一切問わない。 私流に解釈すれば、構造改革も規制緩和も「外資が日本で自由にビジネスできる、そのための規制緩和であり構造改革」ということなのです。

❖ガラパゴスの政策を遂行する日本
「失われた20年」とよく言われますが、その間、構造改革も規制緩和も、確実に進んできました。それは一言で言えば、日本の企業の経営形態をアメリカ式の経営形態に変えるということでした。 大企業においてはほとんど成功しました。 でも、そこで日本の企業の国際競争力は落ちたのです。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 「アベノミクス」を成功させるウルトラC ガラパゴスの政策を遂行する日本

 それなのに日本の企業はいまだに「グローバル市場で勝ち残るためにはさらなる構造改革と規制緩和が必要だ」と言っています。大企業の経営者の立場から言えば、「労働者をいつでも切れる(クビにできる体制にしてくれ」と言っているのです。でも、彼らはそういう言い方はしません。
「構造改革が必要だ」 「労働市場の流動化が必要だ」と言うのです。 これも原理主義的発想です。
 その中身は何なのか、どういうプラスがありどんなマイナスがあるのか、ということは一切言わずに、言葉だけで人々を洗脳している。こういうことが現に日本で行われているのです。こういう状況が続く限り、 残念ながらアベノミクスは成功しないと思います。
 特に問題なのは「成長戦略」と言われるものです。“良心的”な経済学者と言われている方が主張されている戦略です。
 成長戦略というのは、新自由主義に基づいているものです。新自由主義は世界経済の実態から言えば「ガラパゴス」なのです。すでにアメリカでやって失敗しています。イギリスもそれをやって失敗しました。しかし、どういうわけか日本だけがいまだに新自由主義の経済政策を遂行している……。 不思議ですね。日本は世界から10年、あるいは20年遅れの新自由主義経済を徹底しようとしているのですよ。
 例えば、金融庁と東京証券取引所が推進しているコーポレート・ガバナンス・コードというのがあります。これは一言で言えば「アメリカ式経営をやれ」ということです。つまり、「株主資本主義の経営形態になれ」ということです。これは日本の強みであった「日本式経営方式を廃止する」ということなのです。そして、この方針に従った日本企業は、今、どこも問題を抱えています。
 日本式経営方式を廃止してどうなったでしょうか。 労働者は単なる「コスト」になってしまいました。コストを下げなければならないときは、労働者のクビを切らなければならない。だから労働者はできるだけ「派遣」がいいということになるのです。
 そうなると、事務であれ、営業であれ、派遣労働者の働きというものは、従来の正社員の働きとは違ってきます。それはやむを得ないことですね。単なる労働力としてしか認められていない。いつ首を切られるかわからない。そういう立場にいる人たちが全力を捧げて会社の仕事に打ち込む気分になれないのは当然のことです。
 昔の日本式経営というのはそうではありませんでした。社員は会社と一体でした。経営陣と社員は一体であったのです。だからこそ1980年代には、アメリカに追いつくくらいの経済発展を遂げたわけです。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 「アベノミクス」を成功させるウルトラC ガラパゴスの政策を遂行する日本

❖崩壊させられた「日本式経営形態」
 日本が経済的に急成長してから、アメリカの逆襲が始まります。
 それは、1985年の「プラザ合意」から始まりました。それがあからさまになったのは、冷戦終了後ですが、日本はアメリカの、事実上「仮想敵国」になったのです。
 何を攻撃されたのか。「日本式経営形態」が徹底的に攻撃されました。そして今、日本の企業は、ほぼ解体し尽くされてしまいました。ですから、日本経済が不況に陥るということと「日本式経営形態」が解体される過程は同じでした。
 こうしてみれば答えは簡単です。 経済学者に経済発展の方式を聞く必要はありません。私たちの「常識」で考えればいいのです。常識のほうが学者の理論よりも勝っていると私は常々思っています。私たちが祖先から連綿として繋いできた日本人としての常識――、そこに戻ればいいのです。「日本的経営」に戻ればいいだけの話なのです。
 終身雇用、年功序列、系列におけるお互いの協力、そういう「日本的経営」をすればいいのです。 これらのどこが悪いと言うのでしょうか。
 かつて私がタイに勤務していたときに、「アジア経済金融危機」が起こりました。 タイの金融危機から起こったのですが、このときウォールストリートは何と批判したと思いますか。 「クローニー・キャピタリズム (仲間うちの資本主義)がいけない」と。 仲間うちの資本主義を遂行している張本人たちが、他国に向かって、そういうことをやるのはいけないと言ったのです。当然、日本も彼らのターゲットになりました。 有名な「護送船団方式」もこれによって潰されました。
 その結果何が起こったかといえば、「過当競争」が起こります。「競争」というときれいなものに聞こえますが、これも原理主義的な発想です。「競争は悪い」とは誰も言えないですから。
 しかし、競争の中身は何かということを考えないといけません。私たちがどれだけ経済的な犠牲を強いられてきたかということは、早く検証されなければならない問題であると思います。
 世界の市場を握っている人たちは、なんとかして日本の経済システムを崩壊させたいと思っていますが、それはまだ完成していません。その証拠をこれからあげましょう。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 「アベノミクス」を成功させるウルトラC 崩壊させられた「日本式経営形態」

❖IMFは世界を「グローバル市場化」する機関
 IMF(国際通貨基金)のデビッド・リプトン筆頭副専務理事が日本で記者会見をしたことがあります(2016年6月)。そこで、彼は日本経済にいろいろイチャモンをつけました。
 これはあきらかに内政干渉です。それだけでも呆れるのに、話の内容はもっとびっくりするものでした。
「消費税を年率0.5~1%くらい引き上げて、少なくとも15%にせよ」と言い、それも「毎年引き上げろ」と言うのです。さらに、「政府は賃上げしない黒字企業には、罰金を用いてでも賃上げをさせろ」とも言ったのです。
 これはもう自由主義経済ではありません。 共産主義経済です。 こういうことをもっとメディアは指摘すべきです。
 ただ、私はIMFがこういう牽制をすることにはそれほど驚いてはいません。世界をグローバル市場化しようということは共産主義化することと同じことなのですが、IMFというのは共産主義者の集まりですから。つまり、世界の金融資本家というのは共産主義者なのです。このことが腑に落ちたら、この世界の秘密がわかります。
 彼らは、企業に罰金を課してでも賃金を上げさせろと言っています。 これはかつての共産主義国ソ連がやってきたことと同じです。つまり、企業は当時の共産党の手先に過ぎなかったわけです。だからIMFが言っていることの裏側を読んでいけば、こういうこともわかってくるのです。
 さらにリプトンは、「女性と高齢者の労働を拡大し、外国人労働者も受け入れよ」と発言しました。つまり、「移民を入れろ」と言っているのです。なぜIMFに「移民を入れろ」と言われなければならないのでしょう。いったい誰のための日本経済なのでしょうか。
 ちなみに、日本に移民を入れろと言っているのはIMFだけではありません。アメリカのCIAもそのようなリポートを出していました。 イギリスの経済誌エコノミストも言っていました。ですから、いつの間にか「1000万人移民構想」というのがひとり歩きしています。 自民党のなかでも一生懸命になって「移民を入れよう!」とやっているではないですか。
 目に見える圧力、目に見えない圧力も含めて、世界は今、日本を締め上げているのです。
 IMFは各国の経済政策に干渉する機関です。それはアメリカ在住の政治学者ズビグニュー・ブレジンスキーがはっきりと言っています。「IMFは世界をグローバル市場化する機関だ」 と――。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 「アベノミクス」を成功させるウルトラC MFは世界を「グローバル市場化」する機関だ

 ブレギンスキーは、「世界をグローバル市場化する国際機関で、足りないのは移民を扱う機関だ」と言っています。「民間の移民機関はあるけれど、移民の国際機関がないのでつくれ」と主張しているのです。
 でも、移民の国際機関をつくったらどうなるか。 もし将来、そういう国際機関ができたら(私はできないと思っていますが)、移民国際機関から「日本の今年の移民受け入れ人数は50万人です、100万人です、200万人です」と押し付けられることになるのです。

 また、「金融緩和策のひとつとして国債を無制限に発行して経済発展に繋げよう」と言われることもあります。つまり、政府が国債を無制限に発行し、それを中央銀行(日本であれば日本銀行)が無制限に購入しろということです。
 なぜ政府が借金しなければならないのでしょうか。そんな根本的な疑問に対して私たちは答えてもらっていません。
 アメリカの著名な経済学者ジョセフ・スティグリッツは、「政府が通貨を発給すればハイパーインフレーションになる」と説明しましたが大間違いです。 過去には政府が通貨を発給した国がありました。アメリカもそのひとつです。アメリカではエイブラハム・リンカーン大統領が発給しました。 ジョン・F・ケネディ大統領も発給しました。 しかし、ハイパー・インフレにはなりませんでした。
 だからハイパー・インフレ論というのは間違っているのです。これも原理主義的発想です。政府が通貨を発給すればハイパー・インフレになるというのは、何の根拠もないことなのです。
 アベノミクスを成功させる最大のウルトラCは、政府自らが を発給することです。必要な通貨を政府が独自に発給すればいいのです。それによって日本経済は必ずよくなります。日本経済だけではありません、 世界の各国が、政府が責任をもって通貨を発給すれば、世界経済の不況は一瞬にしてなくなるはずです。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 「アベノミクス」を成功させるウルトラC MFは世界を「グローバル市場化」する機関だ


日本再発見その十一/ 【国体Ⅱ】
イギリスEU離脱から考える、日本の民主主義
❖ 保守が左翼思想を擁護する日本の言論界

 本章ではあらためて「イギリスEU離脱」を考察していきたのですが、産経新聞の「正論」欄(2016年6月27日、29日)に掲載されたお二人の論文を見ながらこのテーマについてお話したいと思います。
 ひとつは評論家の宮家邦彦さんの論文、もうひとつは東洋学園大学教授の櫻田淳さんの論文です。
 お二人の論文に共通するのは、一言で言えば「日本はグローバリズムの方針を貫くべきだ」ということです。そして、国際主義は理性だと言っています。EU残留派は理性主義者で、離脱派は感情的なナショナリストであるとお二人は見ているのです。
 私は、まったくそうは思いません。 イギリス国民が“理性的”に考え、考え抜いて出した結論がEU離脱でした。 「EU離脱を選んだ人は感情的だ」というのは随分失礼な意見だと思います。 それこそ上から目線ですね。自分の意見に反対する人はレベルが低いと言っているわけですから。
 お断りしておきますが、私は個人的にお二人を攻撃しようとしているわけではありません。その発想〟を問題にしているのです。
「理性主義」が立派な態度だとするお二人には見落としているものがあります。 それは、理性主義は左翼思想であるということです。グローバリズムというのもいわばアタマで考えたひとつの理性的なイデオロギーに過ぎないのですから、これも左翼思想であるのは当然です。つまり、このように「保守の人が左翼思想を擁護している」というのが、今のわが国の言論界の状況なのです。
「親米保守」というのは、本来の保守ではありません。ここで私が「アメリカ」と言う場合は、今のアメリカの政権を牛耳っている勢力のことです。 トランプ大統領を支持しているアメリカ国民のことではありません。 アメリカのエリート、あるいは支配層と言ってもいいのですが、そういう人たちはみな左翼思想なのです。
 次に、櫻田さんはこう言っています。

 日本が極東において「西方世界」の価値意識や流儀を擁護する姿勢を以前よりも鮮明にして劇的に打ち出しているのが、安倍内閣下の対外政策の性格である。伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)は、そうした姿勢を内外に誇示する舞台の一つであった。 「ブレグジット」が招くEU諸国の混乱が懸念されるべき所以は、「西方世界」に寄り添う日本の価値意識や流儀の足元が揺らぐことにある。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 イギリスEU離脱から考える、日本の民主主義 保守が左翼思想を擁護する日本の言論界

 これを読んでどのように思われますか。日本は独立国ではないと言っているのです。日本は西方世界の価値観に寄り添って生きるべきだと主張しているわけです。
 ここで言う「普遍的な価値意識」というのは、グローバリズムを支える理論的な支柱です。それは「国家を超えた価値」のことです。 民族的な意識や民族文化、民族の価値、そういうものを超えた、アタマのなかで考えた価値です。 これが左翼の左翼たる所以です。自由民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値は、普遍的価値ではないのです。
 これは、自国に都合のいいように、 口実に使う価値に過ぎません。決して普遍的価値ではありません。 自由の定義は国によって全部違います。 民主主義の定義もそうです。ましてや人権というものは一層定義不可能です。

❖世界を混乱に陥れてきた危ない発想
「普遍的な価値を守るのが日本だ」という発想は、まさにグローバリズムの発想です。つまり、国を超えた発想です。 これがどれだけ今まで世界を混乱に陥れてきたかは言うまでもありません。
 世界は自由と民主主義とか人権とか、そういう普遍的な価値のために戦争をしてきたとよく言われます。 第二次世界大戦もそうでした。 「世界の民主主義を守るために戦争をする」と言っていました。それはまったくの口実でした。
 そもそも「自由」などというものはどこにも存在しません。お互いに自由を主張し合ったら必ず衝突します。 民主主義という言葉もそうです。 知識人の多くは都合のいいように民主主義を解釈しているのです。民主主義とは理性的なものだと勝手に決めつけているわけです。
 そもそも民主主義は、理性と感情に分割できるものではありません。 それを分割しようとすることこそが問題です。これはラベリング、あるいは原理主義と言ってもいいでしょう。 「国際主義は理性的である」「ナショナリズムは感情的である」というのがすでに原理主義の発想なのです。
 私たちはそういう背景にあるものを見抜かないと、知らず識らずのうちに洗脳されてしまいます。あるいは間違った方向に引きずられてしまいます。いずれにしても、私は「日本は普遍的価値の擁護者であるべきだ」と主張していることに、非常な危機感を覚えます。
 また、櫻田さんは「近代以降、日本の国家路線の基調は、福沢諭吉が『文明』と呼んだものに連なることにあった。その対外政策上の具体的な表れが、明治期における日英同盟であり、昭和中期以降の日米同盟であった」とも書いています。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 イギリスEU離脱から考える、日本の民主主義 世界を混乱に陥れてきた危ない発想

 このような歴史解釈をされているのです。 非常に驚きました。
 評論家の日下公人さんがよく言っておられますが、これは「劣位戦」です。つまり、最初から日本は下に立って対応しているわけです。こういう対応の仕方を続けていけば、いつまでたっても日本は真の独立ができません。精神的に独立していないと、物理的にも独立できるわけがないのです。ですから、私たちが今やるべきは「優位戦」なのです。

❖ 「十七条憲法」に記された民主主義の思想
 日本には、古くから自由も民主主義もあります。 それは『古事記』を読めばわかります。
 前著『和の国・日本の民主主義』)で詳しく述べましたが、日本は世界で最も古い民主主義国だと思います。日本は古来より「合議制の国」なのです。
 高天原の神々も、すべて話し合って物事を決めていました。民主主義、議会政治の元がここにあるわけです。 これが日本の伝統的な民主主義でなくしてなんと言えばよいのでしょう。
 高天原以来のこの精神が、十七条憲法に文字化されているのです。
 十七条憲法の一条は「和を以て貴しと為し」です。ちゃんと話し合えと言っているのです。 しかも最後の十七条にも「必ず衆とともに宜しく論うべし」と書いてあります。つまり、「話し合え」と言っているわけです。話し合えば物事はうまくいくと言っているのです。だから日本は、世界のなかでも最も先進的な民主主義国であったと言えると思います。
 残念ながら、これまで私たちはそういうふうには教えられてきませんでした。また、そういう発信もしてきませんでした。しかし前述したように、すでに日本は議会制民主主義の基礎を遥か昔から持っていたわけです。西洋こそ、私たち日本の価値観に沿うべきだと私は思います。
 私は、櫻田さんを直接存じ上げないので、この文章だけで判断してはいけないのかもしれません。しかし、「明治以降の日本の国家路線の基調は、福沢諭吉が『文明』と呼んだものに連なることにあった」という主張には強い違和感を覚えます。もしそうであったなら、とっくの昔に日本は植民地になっていたはずです。
 なぜ植民地にならなかったのか。そこに明治の先達の苦労があったわけです。 彼らの文明を「そのまま」 受け入れなかった、日本の伝統に合うかたちにつくりかえて受け入れたからこそ、日本は植民地化されなかったのです。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 イギリスEU離脱から考える、日本の民主主義 「十七条憲法」に記された民主主義の思想

 日本という国柄を考える場合、このことが最も重要なことです。日本は無制限に、無制約に西洋文明を受け入れたわけではありません。 これが日本の国体であり、日本の歴史の神髄なのです。こういうことが子供たちに教えられていないということこそが大問
題なのです。それが日本人としてのアイデンティティを失う大きな原因になっている、と私は思います。

❖理性的な発言をしている人には気をつけろ
 歴史教科書問題というのが昨今声高に叫ばれていますが、これは問題以前の由々しき問題です。日本人を日本人でなくそうとしているのが、今の歴史教科書 (公民の教科書)です。このような教科書をつくっているのは誰なのかというと、国際主義者たちです。日本のアイデンティティを失わせようというのが国際主義者たちの目的です。
 日本の価値を軽視するというくらいならまだいいのですが、彼らは無視します。 なぜ無視するのかというと、彼らが言うところの「普遍的価値」が日本の価値より優れていると思い込んでいるからです。 その普遍的価値には定義がありません。したがってそれぞれが自分勝手な解釈をするわけです。そんなのがどうして理性的と言えるでしょう。
 理性的という言葉で私が思い出すのは「フランス革命」です。 フランス革命は神を否定しました。もちろん王政も廃止しました。 しかし、その後に何が出てきたでしょう。結局、「理性」という神を崇めるようになったのです。
 ところがそれはすぐに失敗しました。 「恐怖政治」の悪循環に陥りました。 自分の政敵をギロチンに送った人が逆にギロチンにかかって殺されてしまったのです。これを彼らは「理性」だと言っているのです。 理性というものは実に危険なものです。理性には定義がないからです。

 とにかく、理性的にふるまった発言をしている人には気をつけたほうがいいでしょう。理性と感情というのは相対する概念ではありません。私たちは理性的な側面と感情的な側面の両方を持っている存在です。
 ですから、理性が勝つこともあるのですが、ときには感情(感性)が勝つこともあります。この2つのバランスをどうとるかというのが個人としての生き方の問題でもあり、日本国全体としての問題でもあるのです。
「普遍的価値」と称されるものを否定するということが賢明だとは申しません。しかし、普遍的な価値というのは定義が定まっていないのでいかようにも利用できるということを知りながら、その普遍的な価値と日本の伝統的な価値を、いかにバランスをとって日本の舵取りをするかということが、今、問われているのです。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 イギリスEU離脱から考える、日本の民主主義 理性的な発言をしている人には気をつけろ

 どちらかが勝つ、どちらかを選択するということではありません。そのバランスをどうとるかということが問題なのです。それがこのイギリスのEU離脱決定を受けて、日本が考えなければならないことなのです。
 今の政治用語で言えば、グローバリズムとナショナリズムをどう共存させるかということです。バランスをとって、どのように国の舵取りをするかということが今の日本に求められていることなのです。
 宮家さんが最後にこうおっしゃっています。
「今回のイギリスのEU離脱騒動は、日本にとっては対岸の火事のような」と。それはその通りですが、続けて「日本人が得るべき教訓は、常に理性的に行動し、決して感情的にならないこと。 そして、無責任な左右のナショナリズムを排しながら、普遍的価値を尊重する勢力との連携を貫くことの重要性です」と――。
 では私たちはどうしたらいいのでしょうか。この言い方ではまったくわかりませんね。
 私は先のイギリスの決定を受けて一番感情的になったのは、メディアや知識人だと思っています。日本の国民は理性的だったと思います。それは私たちが伝統的に受け継いでいる精神というか、物事に白黒は簡単につけられないという認識の現れだったと思います。
 理性と感情の、あるいは理性と感性のバランスが重要だということなのです。簡単には白黒はつけられないのです。
 グローバリズムとナショナリズム、国際主義と民族主義、それのバランスをどうとるかということだと思います。

❖明治国家の苦労から学ぶこと
 この講座は、なぜ日本の生き方というのはバランスをとることであったかということを皆さんと共に考えたいというところにあります。 日本の国家路線の基調は、文明に連なることにあったのではありません。 西洋文明をいかに日本文明と共存させるかというところにあったのです。これこそが明治の先達が苦労したことでした。
 西洋文明を拒否して「孤立する」という選択もあったわけですが、先達は「共存させる」道を選んだのです。 であるがゆえに、当時の植民地帝国の生き方でもない、鎖国主義でもない生き方を選ばなければならなかった。そこに明治国家の苦労があったのです。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 イギリスEU離脱から考える、日本の民主主義 明治国家の苦労から学ぶこと

 明治国家の苦労だけではありません。その苦労は大正、昭和と引き継がれ、平成の世にもまだ続いています。私たちは明治の大変動は乗り越えました。 しかし、まだ決着はついていません。決着をつけるのはこの21世紀であろうと私は思います。
 日本を襲ってきた植民地勢力のバックボーンであった国際主義がいま揺らいでいます。
 私はそういう意味で、イギリスの今回の決定を歓迎しています。 私たちが国際主義の間違った部分(すべてが間違っているとは言いませんが)が、私たちを洗脳してきたのです。今、私たちはそれに目覚めて変革する、そのための契機にすべきだと思います。決して負け戦ではありません。でも、日本のメディアが盛んに言っているように、今の世界の金融システムを守ろうとすれば負けてしまう危険があります。
 2008年のリーマンショックの後、私たちは、なりふり構わず金融システムを守りました。その結果、貧富の差がさらに進んだのです。
 グローバリズムとナショナリズムのバランスをどうとるかということに私たちのエネルギーを集中することができれば、決して負け戦にはならないと私は信じています。 その明るい兆候は、すでに先般の伊勢志摩サミットでも現れていたのです。

❖日本人の持つ高い道義性を世界に
 世界の指導者が伊勢神宮を参拝したということは、今後大きな影響を各国の指導者に与えていくだろうと私は信じています。広い意味で、伊勢志摩サミットを締めくくったのは、オバマ大統領の広島訪問でした。
 オバマ大統領は実質的には原爆投下を謝罪しました。私はそう理解しています。それはオバマ大統領の演説を読めばわかります。少なくとも言葉のうえでも原爆投下を正当化できなかったのです。ということは謝罪したということです。それは私たちが謝罪を強要しなかったからなのです。日本人がもつ高い道義性というものが、実を結んだのだと思います。とりわけ被爆者の方々の高い意識、高貴な意識がオバマ大統領をして、事実謝罪させたということだと私は理解しています。
 私たちにとって決してやってはならないことは「諦める」ことです。諦めてはなりません。今の金融システムやメディアの背後にある勢力は日本のなかにもいるので、そのシステムを変更することは簡単ではないでしょう。 しかし、世界はそちらの方向に舵を切り始めたと思います。
 そういう意味では、日本が今後の21世紀の新しい秩序をつくるうえで、大きな役割を果たす時期が来たと私は真剣に思っています。そうでなければ私たちは生きている意味がありません。日本国が存在している意味がなくなってはなりません。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 イギリスEU離脱から考える、日本の民主主義 日本人の持つ高い道義性を世界に

 私たちはもう一度ここで虚心坦懐に日本の歴史を振り返り、私たちの立ち位置をもう一度見直して、今後の世界のために一歩を踏み出していかなければならないと思います。
『グローバリズムの終焉 馬渕睦夫』 イギリスEU離脱から考える、日本の民主主義 日本人の持つ高い道義性を世界に



『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』
『今や世界5位 「移民受け入れ大国」日本の末路: 「移民政策のトリレンマ」が自由と安全を破壊する 三橋貴明』

はじめに
 2014年6月、筆者は徳間書店から『移民亡国論――日本人のための日本国が消える!』を刊行し、日本政府が「人手不足」を理由に移民の受け入れに動き、わが国が移民国家化していく危険性について警鐘を鳴らした。
『移民亡国論』の刊行から3年が経過したわけだが、現実の日本では、予想どおりというよりは、予想以上のハイペースで移民国家化が進んでいる。安倍政権は、国家戦略特区における外国人労働者の解禁、技能実習制度の拡大、高度外国人材の優遇など、さまざまな手法で移民を受け入れていっている。
 個人的に腹立たしいのは、いまだに、
「安倍政権は移民を受け入れているわけではない。 たんに人手不足を補うために外国人労働者を入れているだけだ」
 との詭弁を弄し、日本の移民国家化を否定しようとする人が少なくないことだ。
 本書でも繰り返しているが、国連人口部により、移民とは、「出生あるいは市民権のある国の外に12ヵ月以上いる人」と定義されている。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 はじめに

 日本で激増中の技能実習生、留学生という名の外国人労働者、外国人メイド、さらには虚偽の難民申請を繰り返し、日本で働く人びとも、すべて移民なのだ。
 そもそも、移民国家であることを自他ともに認めたドイツにしても、当初から移民として外国人を受け入れたわけではない。高度成長期の西ドイツ(当時)が、「人手不足を補うため、ゲストアルバイターとしてやむをえず少数の外国人労働者を受け入れる。しかも一定の期限付きで、ローテーションを原則として、永住も認めない。外国人労働者単身のみの入国しか許さず、妻子同伴は禁止。 期限がきた場合には必ず帰国させる」
 と、どこかで聞き覚えのある方針に基づき、外国人労働者の導入を開始。数十年の歳月を経て、移民国家化したのだ。
 現在の日本における、「人手不足を補うための外国人労働者の短期受け入れ」こそが、移民国家化の始まりであることは、ドイツをはじめとするヨーロッパの移民国家が証明してくれている。
 それにしても、第2次安倍政権発足後の日本の移民国家化のペースには、目をみはるものがある。日本における外国人雇用者数は、2008年と比較すると、なんと2倍に膨れ上がった。
 さらに、本書のタイトルにもあるが、わが国の年間移民受け入れ数は、2014年の時点で第5位となっている。2015年以降、移民受け入れペースが早まったため、わが国が現時点で世界有数の移民受け入れ大国と化していることは、確実だ。
 このまま日本が移民を受け入れていくと、われわれはいかなる社会で暮らすはめになるだろうか――。
 簡単だ。
「国民の自由」、もしくは「安全な国家」 のいずれかを、あきらめなければならなくなる。
 移民の受け入れ、国民の自由、安全な国家は、同時に三つを成立させることはできない。かろうじて二つまでは可能だが、三つは無理なのだ。
 すなわち、「移民政策のトリレンマ」である。
 日本が移民国家化すると、われわれ日本国民は、シンガポールのように国民の自由が制限された国か、もしくはヨーロッパのように安全な国家を喪失した国か、いずれかを選ばなければならなくなる。
 最悪、現代の日本国民は、将来世代に、国民の自由と安全な国家の双方を喪失した「移民国家・日本」を引き継ぐことになる。本当にそれで、いいのだろうか。

 安倍政権が移民政策を推進している理由は、シンプルだ。べつに日本を移民国家化しようとしているわけではあるまい。 たんに日本の人件費を引き上げたくないためである。
 なぜ、人件費を上げたくないのか――。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 はじめに

 日本国民は、1997年以降、長引くデフレーションのなかで、驚異的な実質賃金の低下に見舞われた。97年のピークと比較し、日本国民の実質賃金(現金給与総額の年平均)は、2015年までになんと15パーセント超も落ちてしまった。
 日本国民の実質賃金の低下が国内の購買力を縮小させ、デフレ長期化の一因になっているのは疑いない。安倍政権は、本来は実質賃金を引き上げる政策をとる必要がある。それにもかかわらず、なぜ移民の受け入れを拡大するのか。
 移民受け入れ政策は、ネイティブな国民と外国人労働者との「賃金切り下げ競争」を激化させ、実質賃金をマイナスへと導く。日本国民の多くは、実質賃金ベースで所得、人件費が上昇することを望むはずだ。
 もっとも、それを望まない勢力もいるのである。
 日本国民の実質賃金が上昇し、豊かになることを望まない勢力とは、もちろんグローバリストと称される企業家、投資家、金融産業などである。日本企業に投資しているグローバリストが望むのは、ただただ、みずからの利益最大化のみだ。国民が豊かになることではなく、自分の利益が膨らむことのみを、グローバリストは欲する。
 グローバリストの立場からすれば、企業の配当金や自社株買いの原資たる利益を圧迫する人件費上昇など、「とんでもない!」という話になるのだ。なにしろ人件費が上がり、企業の利益が減ると、自分たちが損をする。
 問題は、グローバリストが利益最大化を求めること、そのものではない。政治家が一部のグローバリストの影響で、日本国民に貧困化をもたらす政策ばかりを採用するようになっていることだ。
 ことは「政治」の問題なのである。
 政治である以上、日本国の主権をもつわれわれ日本国民が声を上げ、政府を正しい方向に転換させなければならない。移民を受け入れるのではなく、今後も深刻化することが明らかな人手不足を生産性向上のための投資で埋めるのだ。
 そもそも、資本主義国では、人手不足を生産性向上のための投資で解消しようとしたとき、はじめて経済成長が実現する。 理由は、本書でも明らかにしたとおり、生産性向上こそが実質賃金の上昇をもたらすためだ。
 少子高齢化に端を発する生産年齢人口比率の低下により、人手不足が深刻化していっているわが国は、ある意味で「経済成長」の絶好の機会を得ようとしている。
 そして、移民受け入れは、生産性向上をもたらさないかたちで人手不足を解消し、成長の機会をつぶす。安倍政権の移民受け入れ政策は、日本国を移民国家化すると同時に、経済成長までをも奪い取ってしまう。
 だからこそ、筆者はさまざまなチャンネルを通じて、安倍政権の移民政策への批判を続けているのだ。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 はじめに

 いずれにせよ、政府の移民受け入れ政策を転換させるためには、日本の移民受け入れの現状や「移民政策のトリレンマ」といった情報について、国民が正しく認識する必要がある。
 正しい情報なしで、問題を解決することは、神様にも不可能なのだ。

 2017年5月中旬
  三橋貴明
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 はじめに


第2章 移民政策が日本の安全保障を破壊する
若者の参入をうながさなければ農業の未来はない

 安全な国家とは、治安の維持、つまり防犯だけとはかぎらない。 防犯以外の各種の安全保障もまた、移民を受け入れると危機にさらされることになる(国民の自由を奪うことで、移民受け入れと安全保障の強化を両立することは可能かもしれないが)。
 たとえば、現在の日本が農業分野で移民を受け入れることは、将来的な食料安全保障の崩壊につながる可能性がきわめて高い。 農家の高齢化が進み、若い日本人が農業に就かないことを受け 外国人労働者でカバーするなどとやった日には、数十年後、日本の農業は外国人がいなければ成り立たないという状況に確実になる。
 論理的に、そうならざるをえない。 高齢の農業従事者が引退もしくはこの世を去った場合、残されるのは外国人だけなのである。
 しかも、外国人労働者が日本の農業の担い手の中心になった場合、現在の農家が保有している貴重な技術、ノウハウ、技能が若い世代に継承されない。日本の農業は、外国人の気分しだいで生産量が激変する、きわめて不安定な状況に追い込まれることになる。
「ならば、農業の人手不足はどうすればいいのか!」
 と反論したくなったかもしれないが、だからこその生産性向上なのである。
 ロボットやAI(人工知能)を活用することで、農地で人がこなしている作業を代替可能にするためであれば、日本政府は年に兆円単位のお金を使ってもかまわない。
 同時に、若者の農業への参入をうながし、技術を継承するために、政府が農業を必ず儲かる産業に育成することも重要だ。 儲かる産業ではなく、「必ず儲かる産業」というのがポイントである。
 具体的には、耕作放棄地を若い世代に耕作してもらい、生産された農産物を政府が適正価格で全量買い取るのだ。 米の場合は、生産能力1000万トンに対し、需要が600万トンであるため、400万トンの政府買い取りが必要になる。
 日本政府は、買い取った米を外国にダンピングして叩き売ればいい 譲渡してもかまわない)。日本の米の生産能力が維持されるうえ、米を購入した(もしくは受け取った) 国の国民の胃袋を日本の農業に依存させることになり、わが国の安全保障の強化にも貢献する。まさに一石二鳥ではないか。
 ちなみに、大東亜戦争後のわが国は、「米食」から「パン食」への切り替えをアメリカから強制された。結果的に、アメリカ産の小麦が大量に流入し、日本の穀物自給率はひたすら下がっていった。 図2-1からわかるように、日本よりも穀物自給率が低い先進国はオランダのみだ。
 米を除く穀物、たとえば大豆、トウモロコシ、小麦といった穀物を、私たちは完全にアメリ力に依存している。日本はもはや、アメリカ産の大豆がなければ、醤油も味噌もつくれない。 読者の日々の舌を楽しませる日本産の畜産物も、食べているのはアメリカ産の配合飼料である。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 若者の参入をうながさなければ農業の未来はない

 それはともかく、日本は農業従事者が高齢化しているからこそ、 若者の農業参入をうながし、技術継承、 技能継承をしなければならないのだ。それにもかかわらず、安倍政権は外国人で人手不足を埋めようとしている。
 これを「亡国の道」と呼ばずして、何と呼べばいいのだろうか。
 わが国は農業分野に移民を入れることで、食の安心という点でも安全な国家ではなくなっていくのである。
 移民政策のトリレンマには、逆らえない。

国民が安全で自由な国家は、移民受け入れで崩壊する
 ところで、なぜ、移民政策のトリレンマが成立するのだろうか。
 これについて、筆者の友人である京都大学大学院の藤井聡教授 (内閣官房参与)から、移民政策のトリレンマは、ハーバード大学のダニ・ロドリック教授が提唱する「世界経済の政治的トリレンマ」の延長ではないかという指摘をいただいた。
 移民政策のトリレンマとは、移民受け入れ、安全な国家、国民の自由の三つのうち、二つまでしか同時に成立させることはできないという法則である。それに対し、 世界経済の政治的トリレンマは、「グローバリゼーション」「国家主権」「民主主義」の三つを同時に達成することは不可能であり、どれか一つはあきらめなければならないという原則だ。
 代表的なグローバリゼーションの一つが、移民受け入れ政策になる。グローバリゼーションとは、そもそも、モノ、ヒト、 カネの移動を自由化するという考え方であるためだ。すなわち、移民政策はグローバリゼーションの一部として認識できる。
 次に、安全な国家と国家主権の関係について考えてみよう。 安全な国家を実現するためには、主権国家でなければならない。国家主権がないというのは、政府に国民を守る力がないという意味をもつ。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 国民が安全で自由な国家は、移民受け入れで崩壊する

 たとえば、1945年8月15日の敗戦(終戦ではない)から52年4月28日のサンフランシスコ条約発効まで、わが国は日本国民に主権がない状況が続いた。当時の日本国の主権を保有していたのは、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部) あるいはアメリカ軍であった。
 当時の日本国は国民主権国家ではなかった。 主権がない以上、アメリカ軍が日本国民に対し、いかなる犯罪を犯そうとも、それを防ぐ術を日本政府はもたなかったわけである。
 1945年9月に、 アメリカ軍を中心とする占領軍(駐留軍ではない)が日本に上陸し、占領初期の10日間だけで、じつに1336件の強姦事件が報告されている (『The GI War Against Japan』 〈「日本に対するGⅠ戦争」〉 ピーター・シュライバーズ著)。
 GHQは占領した日本において情報統制を行ったが、占領開始から数ヵ月後、検閲の範囲が拡大される。 ひどい話だが、占領軍による強姦などの重大犯罪や社会問題も、幅広く検閲の対象となったのである。
 当時の日本国政府には主権がなく、国民を占領軍の兵士から守ることもできなかった。国民を守るためには、主権国家であることが最低限必要なのである。すなわち、国家主権と安全な国家は、密接な関係にある。
 さらに、国民の自由を政治的自由と位置づけると、民主主義と不可分になる。 逆に言えば、民主主義とは、国民に政治的な自由、言論の自由が保障されていなければ成立しえないのだ。
 政府や政治家を批判しただけで官憲に逮捕拘留されてしまうのでは、民主主義は成り立たない。 実際、政府を批判すると逮捕拘留、最悪は「死」という懲罰を食らう可能性が高い中国には、民主主義は存在しない。国民の自由と民主主義は、切っても切り離せない関係にあるのだ。
 そう考えてみると、世界経済の政治的トリレンマと移民政策のトリレンマの二つの関連性は、きわめて高いというよりも、移民政策のトリレンマの基盤として、世界経済の政治的トリレンマがあると理解するべきなのだろう。
 国民が安全で自由な国家は、移民を受け入れるかぎり成立しない。安全で自由な国家のバックボーンとなる概念は、じつはナショナリズムである。
「自由な国家」の自由。 たとえば、近年盛んになってきたリベラル・ナショナリズムが説く政治学的な自由。
 繰り返すが、政治学的に自由というのは、選択の自由を意味する。 国民の選択の自由を高めるためには、ナショナリズムに基づき、母国語でビジネスや文化を繁栄させる必要がある。

日本語を話せることが日本を一つにまとめあげている源泉
 日本国民が比較的、職業選択の自由を享受できているのは、先述のとおり、わが国が曲がりなりにもナショナリズムに基づき、 日本語の文化を拡大しているためなのだ。 自由な国家の前提が、ナショナリズムなのである。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 日本語を話せることが日本を一つにまとめあげている源泉

 われわれ日本国民は、日本語という一言語さえ話せれば、国内で言葉に苦労することはほとんどない。生まれたときから言語的統一が完成している(多少の方言はあるが)日本国で暮らしている以上、私たちはこれを当たり前と思っているわけだが、世界の現実は異なる。
 そもそも、1億人超の人口を抱える大国で、言語が統一されている国は日本国だけだ。 中国やインド、インドネシア、ブラジルといった人口大国は、ことごとく多民族・多言語国家であある。日本とほぼ同じ人口のメキシコは、スペイン語で統一されている感があるが、じつは先住民族の言語(なんと65言語もある)についても政府が公式に使用を認めている。ロシアも似たような状況だ。
 唯一、以前のアメリカはアメリカ英語によって言語が統一されていた。ところが、近年のアメリカは、スペイン語の使用も認めるようになっている。 すでにアメリカのスペイン語人口はスペインの人口を超えているありさまだ。
 というわけで、日本は世界最大の統一言語国家なのである。べつに説明が必要とも思わないが、言語的に統一されていればいるほど国民意識は醸成される。すなわち、同胞としての感覚が育つのだ。
 多くの日本国民は、ステレオタイプ的な見方として「日本人は閉鎖的」と思っているかもしれない。また、外国人からのその手の批判も、たしかにあることはある。
 とはいえ、現実には、日本国民は閉鎖的でも何でもない。
 たとえば、読者にしても、日本語を話す外国人に対しては、自然と親近感をもつのではないか。さらには、日本に帰化した、日本語を話す元・外国人についても、私たちはふつうに日本国民として受け入れている。
 要するに、問題は言葉なのだ。なにしろ日本国民の多くは、日本語以外の言葉を話せない。外国人からしてみれば、日本語を話せるようになれば、日本社会に受け入れてもらえる。ところが、日本語を話せないと、とたんに日本人とのあいだに壁ができる。だからこそ、日本人は閉鎖的云々というステレオタイプな見方が生まれたにすぎない。
 外国のほとんどは多民族国家であり、多言語国家だ。国内であっても、自分の話せる言葉が通じないという経験を、ほとんどの人びとがもっている。
 それに対し、わが国は違う。 海外ではともかく、私たちは国内で言葉が通じないという経験を少なくとも同じ国民に対してはしたことがない。だからこそ、言葉が通じない外国人に対しては、一定の距離を置いてしまうというだけの話なのだ。
 言語的に統一されており、政治参加や就職に際し、母国語(日本語) 以外の言葉を使うことは求められない。これこそが、日本国のナショナリズムの源泉であり、同時に国民の自由を担保するシステムなのだ。
 したがって、日本国が移民を受け入れると、いずれわが国は、英語を話せなければまともにビジネスができない国へと落ちぶれることになるだろう。母国語以外の言葉を覚えなければ真っ当な教育を受けられず、仕事にも就けないとなると、これはまさに植民地国家そのままである。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 日本語を話せることが日本を一つにまとめあげている源泉

 帝国主義の時代、イギリス領インド帝国のインド住民は、言語によって分断されていた。 土着語を話す大多数のインド住民と、英語を操る少数のインド人エリートのツーネーション (二つの国家)に分かれていったのである。
 なにしろ、当時のインドを支配していたイギリスのインド庁で働くには、インド人であっても英語を流暢に話す必要があった。インドでは英語を使える一部のエリートたちがインド庁で官僚として働き、イギリス人の同僚や上司と英語で会話し、英語を話せない一般のインド住民を支配、管理したわけである。
 インド帝国の政治に関与するためには、英語を話す必要がある。ところが、ほとんどのインド人は英語を使えない。というわけで、当時のインドでは一般住民が政治に参画することができず、インド国民としてのナショナリズムも醸成されず、延々と植民地状態が続いた。
 言語がインド住民を分断し、イギリスの支配を長期化させたのである。言語とは、国民にとっての参入障壁であると同時に、国家の行く末をも左右する。
 日本が移民を受け入れ、社会で英語を話すことが必要な状況になった段階で、われわれ日本国民は母国語で生きる自由を失う。同時に、ナショナリズムの根源 (言語)が喪失し、国民意識も脆弱化していくであろう。

同じ言葉を話す共同体から孤立する子供たちの行く末
 現在の日本国は子供たちに対する英語教育に熱心だが、日本国民は明治の先人たちが、なぜ外国から入ってきた新しい概念を造語により日本語化したのか、あらためて理解する必要がある。
 本書で語られていることは、比較的高度な概念が中心である。 高度とは「高いからいい」という話ではなく、日常生活にとっては、さほど必要ではないという意味である。
 われわれ日本国民は、たとえば政府の経済政策や安全保障について、母国語で議論することができる。理由は、政治経済、安全保障に必要な概念が、きちんと日本語化されているためだ。日本が英語教育を推し進めていくと、いずれは政治的な議論を日本語のみではできない状況にいたる。
 また、現在の日本国民の、とくに日本の子供たちの両親の英語熱は、すでにさまざまな問題を引き起こしている。
 日本の家庭の両親が、子供をインターナショナルスクールに通わせると、どうなるか。 子供たちは学校で英語のみ、家庭では日本語のみで生活する。人間は言葉で思考する。日本語と英語とでは文法的に「逆」に考えることになる。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 同じ言葉を話す共同体から孤立する子供たちの行く末

 結果、子供の思考力は、特定の言語のみで生きている人びととくらべて、混乱せざるをえない。当たり前だが、特定の言語で継続的に思考を続けた人にくらべ、ときには日本語、ときには英語と思考している子供たちは、思考力が低下する。
 さらに、ときには家族ですら子供たちの考えていることが理解できないという悲劇に結びつく。なにしろ、子供をインターナショナルスクールに通わせている日本の両親のほとんどは、英語を流暢に扱えないだろう。
 子供たちが英語で悩みを打ち明けたとき、両親はそのニュアンスを理解できるだろうか。ニュアンスどころか、何を言っているのかさっぱりわからないという状況にいたるのは必然だ。
 両親に悩みを理解してもらえない。多感な年ごろに家庭で悩みを話しても、まったく理解されない。そのストレスは、日本語のみで育ち、成長した私たち一般の日本国民には決して理解することはできない。
 子供たちは、グローバリズムの時代だから英語を話せなければならないといった、両親のふわっとした善意によりインターナショナルスクールに入校させられ、結果的に家庭という共同体のなかで孤立していく。
 結局のところ、人間は何らかの共同体に属さなければ、健全に生きていくことはできない。家庭という最小の共同体のなかですら孤立する子供たちが、真っ当な人生を送ることができるのだろうか。筆者には、とてもそうは思えない。
 家庭のなかですら、言葉が通じない。 わかってもらえない。 インターナショナルスクールに通った結果、家庭という社会から孤立した子供たちは、へたをするとヨーロッパで問題になっている「ホームグロウン・テロリスト」の予備軍になりはしないだろうか。 ホームグロウン・テロリストとは、居住する社会で孤立し、イスラム過激派など特定のイデオロギーに染められ、テロリズムに走る不幸な人びとを意味する。
 移民先の言葉を話せない。結果的に、社会から孤立し、人生の閉塞感をひたすら感じつづけた若者が、ISILなどの思想に共感し、テロに走る。 ホームグロウン・テロリストの出現は、ヨーロッパを中心に世界を席巻した多文化主義の結末であるとしか思えないのだ。
 そして、日本国でグローバリズムの思想に染められ、子供をインターナショナルスクールに通わせ、社会はもちろんのこと、家庭のなかですら閉塞感に押しつぶされそうな感覚に苦しむ人間を創出するのは、みずからホームグロウン・テロリストを生み出そうとしている行為に思え、懸念している。
 社会から途絶され、閉塞感のなかで生き方に迷い、犯罪やテロに走る人間が増える。すると、当たり前だが、それ以外のふつうの国民の安全は失われていく。移民に多文化主義を適用するにせよ、子供をインターナショナルスクールに通わせるにせよ、閉塞的な人間を増やし、国民の安全を損なっていくという意味では同じではないのか。
 人間が生きるうえで、言葉は決定的な影響を与える。 同じ言葉を話し、気持ちを理解してくれる人がまわりにいることが、いかに人生を助けるか。言語的な統一なしで、人びとが安全に、安心して暮らしていける共同体など、成り立つはずがない。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 同じ言葉を話す共同体から孤立する子供たちの行く末

日本語が外国人との競争から国民を守っている
 言語が人間の生き方を規定するという現実を、われわれ日本国民はあらためて認識する必要がある。さらに、特定の国の言葉を外国人が解さないという現実は、じつは国民を保護する「防壁」にすらなっているのである。
 日本語を、日本国に住んでいる人びと以外はほとんど理解できないという事実が、どれだけ私たちを守ってくれているか。なにしろ日本国内で働くためには、いまのところ日本語を話せなければならないわけだ。結果、日本国民は、日本語を解さない外国人との競争から守られている。
 外国人労働者が増えつづけている日本国においても、こと運送サービスの分野は日本人主流で供給されている。理由は簡単。外国人は日本語の免許を取得することができないためだ。 そもそも、日本の道路標識などは、日本語をベースとしている。日本語を解さない外国人ドライバーが運転することは、ふつうに危ない。
 それでいいのだ。日本の大型トラックの運転免許を取得するためには、日本語の読み書きが堪能でなければならない。
 この事実が、日本の運送サービスに従事する生産者を、外国人ドライバーとの競争から守っている。 筆者の友人の運送会社の社長が、ベトナム人をドライバーとして育成しようとしたのだが、やはり日本語が壁となって挫折してしまった。
 繰り返すが、それでいいのである。日本国のさまざまな産業が日本語を必須としているからこそ、われわれ日本国民は外国人との過度な競争から守られている。
「それはグローバリズムに反している」と言われれば、それはそのとおりだ。とはいえ、筆者はそもそも、わが国において経世済民を実現するために、グローバリズムを絶対視する気など、はなから欠片ほどもない。
 筆者にとって、経世済民とは、あくまで日本国民が豊かに暮らせるようにするべきという話である。日本国民のなかには、当たり前だが外国人は含まれていない。
 外国との言語的な壁がないことは、一見、すばらしいことのように思える。とはいえ、現実にはその国の国民に対し、外国人労働者と容赦なき生存競争を強いるという結果になるのだ。
 たとえば、台湾人の多くは台湾語を話すが、じつは台湾語だけでは語彙が不足し、高度な政治的な議論などができない。というわけで、台湾人は高度な概念を用いる際には北京語を使わざるをえないのだ。
 北京語の使用とグローバリゼーションが組み合わさり、台湾国民の安全はかなりの部分で毀損してしまった。とくに台湾国内で働き、所得を稼ぎ、結婚し、子供を産むという、ふつうの人生を送るという意味における安全が壊れてしまった影響は甚大だ。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 日本語が外国人との競争から国民を守っている 

 なにしろ中国大陸と言葉が同じなのである。 2016年8月にシャープを子会社化した鴻海が代表だが、台湾の大手企業はグローバリズムの下で続々と中国に製造拠点を移していった。
 しかも、中国の人件費は台湾とくらべると安い。言語が同じで、安い賃金で働く膨大な労働者がいる。台湾の大手製造業にとって、中国に資本を移す (カネの移動の自由)ことをためらう理由は、何一つなかっただろう。
 結果的に、台湾の生産者、とくに若い労働者たちは、より安い賃金で働く中国人労働者との賃金切り下げ競争を強いられるはめになった。台湾の人口は約2350万人で、外国人労働者は約53万人(2015年)である。台湾は中国からの外国人労働者受け入れを認めていないため、おもな出身国はインドネシア、ベトナム、フィリピン、タイなど、東南アジアに集中している。

台湾の実質賃金の下落は「底辺への競争に突入
 中国からの移民受け入れを拒否しているにもかかわらず、なぜ台湾の若者は中国人労働者と競争しなければならないのか。もちろん、カネの移動の自由というグローバリズムの影響である。
 中国人労働者が流入しなかったとしても、台湾の大手製造業が生産拠点を中国大陸に移してしまうので、結局は同じ話になる。 資本移動の自由、カネの移動の自由が認められている以上、台湾企業が台湾国内の工場の操業を維持していく必然性など、どこにもない。
 台湾企業が、台湾よりも安い人件費を求めて中国に生産拠点を移す。結果的に、中国人民は職にありつき、所得を増やす。同時に、台湾企業の経営者や投資家たちは人件費削減で利益が増えるため、儲かる。
 まさに第1章で取り上げた「エレファントカーブ」 (図1-1) そのままに、台湾の中間層や低所得層が所得停滞に苦しむはめになるわけだ。 グローバリズムが蔓延した世界において、自分たちよりも賃金水準が低い人口大国(中国)が隣にある(しかも言語が同じ!)ため、台湾の人びとは安全に安心して暮らすという、基本的人権と呼んでもかまわない権利を喪失した状況にあるのだ。
 同じ言葉を話す、相対的に低い賃金で働く中国人労働者と競争させられた結果、台湾の実質賃金は見事なまでに低迷している。
 台湾行政院主計総処によると、2007年から2016年10月までの給与所得者の平均賃金は、わずか年平均0.26パーセントの増加であった。0.26パーセントとは名目の給与金額で、物価上昇分を差し引いた実質成長率はなんと0.1パーセントの上昇にすぎないとのことである。年平均0.1パーセントの増加では、横ばいと表現するほうが適切のように思える。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 台湾の実質賃金の下落は「底辺への競争に突入

 台湾の実質賃金の低迷は、少子化へとつながっている。アジア諸国の出生率は、タイが1.4(2013年)、シンガポールが1.25(2014年)、韓国が1.21(同)、香港が1.24(同)と軒並み低く、わが国の1.42(同)を下まわっている。なかでも台湾の出生率は1.17 (同)と、主要国のなかで最低である。
 台湾の少子化が継続すると、やがては中国移民受け入れの声が高まることだろう。すでに台湾は、外国人労働者としてではなく、「外国出身配偶者」(帰化者や中国大陸出身者を含む)として (事実上の) 中国移民を受け入れている。現在、台湾には外国出身配偶者が約5万人いる。そのうち、中国大陸出身者は3万人。
 少子化による人手不足を受け、台湾が中国移民を本格的に受け入れはじめると、実質賃金はさらに低迷することになる。なにしろ中国人は台湾で働く際に、言語的な障壁がない。 中国大陸の労働者たちが職を求めて続々と台湾海峡を越え、台湾国に流入してくる。 ネイティブな台湾国民と、中国大陸から襲来した労働者とのあいだで賃金切り下げ競争が始まり、実質賃金は継続的に落ちていく。
 いわゆる底辺への競争だ。 グローバリズムの下で、ヒト、カネの国境を越えた移動が自由化されていくと、給料が高い国の労働者の賃金水準は、低い国の労働者の賃金水準に接近していく。つまりは、給料が下がっていく。
 労働者たちは過酷なまでの賃金切り下げ競争に突入し、所得水準が最底辺をめざして下落しつづけていく。この現象を「底辺への競争」と表現したのは、アメリカの経済学者アラン・トネルソンだ。
 また、イギリスの政治思想史学者ジョン・グレイは、次のように書いている。

   規制なきグローバル自由貿易は、やはり労働者の賃金、なによりも特に先進国の非熟練製造業労働者の賃金を低下させる。もし国際貿易に対する障壁が低くなれば、労働も含む生産要素の価格は同一水準に収斂する傾向になるだろう。これは経済学者が『要素価格平準化』と呼ぶものである。 『あなたの賃金は北京で決定される』ようになるというような見通しを経済学者が口にする時、彼らが意味するのはこのことである。
  (日本政策研究センター「明日への選択」 2011年1月号、27ページ)

台湾に芽生えはじめたナショナリズム
 実質賃金の下落は、台湾にさらなる少子化をもたらす。 なにしろ、いまの台湾の若者の多くは子供を産むどころか、結婚するための経済的な余裕すらないのだ。台湾は、日本以上に晩婚化が進んでいる。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 台湾に芽生えはじめたナショナリズム

 2014年の台湾政府統計データによると、平均初婚年齢は、男性が32.2歳。女性が30.0歳であった。それに対し、日本は男性が31.1歳で、女性が29.4歳となっている(2015年)。意外に思う読者が多いだろうが、台湾は日本以上に結婚や出産が難しい社会である。
 今後の台湾が、 人手不足を理由に中国移民の受け入れを始めると、

   中国人労働者の増加⇒実質賃金の低迷⇒さらなる晩婚化と少子化⇒人手不足⇒中国人労働者の増加

 という「悪夢の循環」に突入する可能性がきわめて濃厚なのである。
 なにしろ、日本とは異なり、台湾と中国とのあいだには言葉の壁が存在しない。 台湾国民は日本国民とは違い、母国語による保護を受けていないのだ。
 台湾における中国人労働者の増加は、最終的には恐ろしい結末をもたらすことになる。中国は歴史的に「洗国」を得意としている。 洗国とは、支那大陸において中華帝国が他国を乗っ取る際に多用する(多用した)手法である。
 まずは、国内の流民を数十万人規模で対象国に移住させる。当初は外国人労働者として、いずれは移民として膨大な人民を送り込み、現地に同化させていく。やがて支那本国から官僚が送り込まれ、その国・地域を中華帝国の支配下に置くのである。
 洗国とは、人口を利用した外国侵略なのだ。
 いまこの瞬間も、チベットやウイグル(東トルキスタン)で行われているのが、まさにこの洗国である。チベット人男性やウイグル人男性を中国国内に散らばらせ、現地に同化させる。さらに漢人をチベットやウイグルに送り込み、現地の女性と結婚させ、これまた漢民族と同化させてしまう。やがては、現在の満州 (旧女真族の国)同様に、国境線が実質的に消滅し、中国の一部として支配を始める。
 いまふうにいえば「民族浄化」(エスニック・クレンジング)であり、明らかに国際犯罪だ。とはいえ、現実に中国共産党はチベット人やウイグル人に対する洗国をほぼ完成させ、台湾にもじわじわと浸透していっている。
 台湾の人びと、とくに若者たちは、中国からの経済的侵略、人口的侵略の恐怖を、正しく認識しはじめているようだ。
 たとえば、中台サービス貿易協定(正しくは、海峡両岸サービス貿易協定)への抵抗として起こった、2014年のひまわり学生運動である。
 当時、台湾の馬英九政権は、中国とのサービス貿易の制限解除を目的に、 中台サービス貿易協定を秘密裡に進めた。 表向きは、台湾と中国双方がサービス市場を解放し、金融、医療、運輸、美容といったサービスの輸出入を自由化することで「ウィンウィン」を実現することが目的とされた。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 台湾に芽生えはじめたナショナリズム

 もっとも、実際に中台サービス貿易協定が発効すると、中小企業がおもな担い手となっている台湾国内のサービス市場が中国資本に席巻される可能性が高い。国内のサービス分野が、自分たちの貴重な雇用の場であることを正しく認識していた台湾の若者たちは、中台サービス貿易協定への反対運動を開始した。
 2014年3月18日、学生を中心とする台湾の若者たちによる、反中台サービス貿易協定の大規模デモが発生。同日午後9時過ぎ、300人を超す若者が台湾の立法院(国会)議場内に侵入。立法院を占拠した。
 結果的に、中台サービス貿易協定はいまもペンディング状態になっている。台湾の若者たちのナショナリズムに基づく行動が、台湾国内のサービス市場における雇用を守ったかたちになった。
 もともと台湾は日本に併合されており、大日本帝国の敗戦後は蔣介石率いる国民党の支配下に置かれた。結果的に、ナショナリズムが希薄だった時代が長年続いたのだが、中国による脅威の高まりを受け、台湾国民としての健全な国民意識が芽生え、強化されつつある。
 台湾のナショナリズムの成長が遅れ、中国移民や中国資本に国内が席巻される事態になると、台湾国民は政治的な自由を喪失する。
 1997年7月1日に、イギリスから中国へと返還(主権の移譲された香港において、しだいに住民が自由を失っていっているように。

ナショナリズムがなくなれば政治的自由もなくなる
 ナショナリズムが失われる、あるいはナショナリズムが存在しなくなると、政治的な自由もなくなるのだ。 国民の自由の源はナショナリズムなのである。
 むろん、ナショナリズムを喪失すると、安全な国家も維持不可能となる。 安全には、防犯、防衛、防災などの安全保障に加え、人びとが安心して暮らすという意味も含めている。人びとが安心して暮らすためには、安全保障が維持されているのは当然の話として、社会保障制度によりセーフティネットが完備している必要がある。
 防犯にせよ、防衛にせよ、防災にせよ、国民が互いに守り合う、助け合うという国民意識なしでは成立しえない。私たちは、警察や自衛隊といった治安、防衛を担当する 「別の日本国民」が提供してくれるサービスの費用を税金で負担している。
 多額の税金を支払っていながら、一生に一度も警察を活用しなかった人がいるとしよう。 その場合、彼もしくは彼女は、「多額の税金を払ったにもかかわらず、一度も警察サービスを利用することがなかった。 損をした」という話になるのだろうか。
 なるはずがない。そもそも、警察サービスを利用した経験をもたない人も、健全な警察組織により良好な治安が維持されるというかたちで恩恵を被っている。一度も警察署を訪問したことがない人であっても、実際には安全な社会で暮らすというかたちで警察サービスを消費しつづけているのである。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する ナショナリズムがなくなれば政治的自由もなくなる

 自衛隊も同じだ。防衛や防犯は、日本国民が日本国の国民として、互いにフィー(費用)を負担し合い、全体でサービスを活用するかたちで成立しているのである。
 防災の場合は、よりわかりやすい。 いざ大規模自然災害が発生した際、私たちを助けてくれるのは誰だろうか。もちろん、同じ日本国民である。 防災安全保障のためには、ナショナリズムが不可欠なのだ。
 とくに、日本国の場合は世界屈指の自然災害大国である。そうである以上、国民が互いに助け合うというナショナリズムの精神なしでは、非常事態が発生した際に、私たちは生き延びることはできない。

「指名競争入札+談合」は自然災害大国・日本の守り神
 かつて、わが国の公共事業の入札は、「指名競争入札+談合(話し合い)」によって受注されるケースが多かった。現在の日本では、指名競争入札や談合が、あたかも悪であるかのごとき認識が広がっている。
 とはいえ、そもそも、指名競争入札と談合の組み合わせは、自然災害大国である日本において、土木・建設事業者間の健全な競争を維持しつつ、公共インフラの品質を改善し、かつ各地域に土木・建設業者を存続させるために編み出された、先人の知恵なのだ。
 偏見なしで良識に沿って考えてみれば、誰でも理解できる。 世界屈指の自然災害大国であり、大震災までもが発生するわが国において、土木・建設業界を完全市場競争に委ねていいはずがない。市場競争に敗北した企業が片端から倒産していくと、土木・建設業が存在しない地域が増えていかざるをえない(すでに増えている)。
 大震災とまではいかなくても、わが国は雨季(梅雨)があり、台風も繰り返し襲来する国なのである。水害、土砂災害は毎年、いずれかの地域で必ず発生している。 水害や土砂災害が起きたとき、真っ先に現場に駆けつけ、被災者の救援やその後の復旧、復興事業に尽力してくれるのは誰だろうか。地元の土木・建設事業者である。
 なにしろ、土木・建設事業者には人材がいる。機材がある。そして、これがなによりも重要なのだが、地元の情報を知っている。自衛隊といえども、情報なしでは何もできない。
 大規模自然災害は、いつ、どこで発生するか誰にもわからない。わが国では各地に確固たる供給能力を保有する土木・建設業が存続しなければ、国民が生き延びられない。だからといって、業界に競争が存在せず、品質の劣化を招き、価格がひたすら上昇するのも問題だ。
 だからこそ、指名競争入札と談合の組み合わせなのである。 指名競争入札の場合、公共事業を受注した企業が結果を残せなかったら、指名から排除される。指名に残るために、各社は公共インフラの品質を高めるべく、べつに行政側が目を光らせていなくても、懸命に努力する。ま た、指名された業者間の競争も当然、存在する。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 「指名競争入札談合」は自然災害大国・日本の守り神

 もっとも、指名業者間で苛烈な競争などをやった日には、やはり敗者が生まれるのは避けがたい。 業者が競争に敗北し、倒産もしくは廃業してしまうと、その地域から土木・建設業が消滅するという事態を招く。
 というわけで、指名競争入札で競争や品質向上を確保しつつ、談合により仕事を分け合うというシステムが進化したのだ。指名競争入札と談合が組み合わさってこそ、わが国では各地に土木・建設業を、競争や品質向上をともなうかたちで残すことができるのである。
 ところが、わが国は自然災害大国でありながら、土木・建設業の供給能力を毀損、破壊する指名競争入札の一般競争入札化、談合禁止といった規制緩和を推進。さらには、肝心の公共投資もピーク (1996年)の半分にまで縮小した。
 結果的に、日本国内の建設業許可業者数は、1999年度の約60万社から、直近では47万社を割り込むところまで減っている(図2-2)。企業数が22パーセント以上も少なくなったのである。尋常ではない。

安全保障のための供給は自国民が担うのが大原則
 企業数が少なくなったということは、業界で働く人材も減少したという話になる。 各種統計によると、建設就業者数は1997年のピーク(約685万人)から、2010年には498万人と、3割近くも減ってしまった。
 なんと180万人以上もの人材流出に見舞われたのが、昨今の日本の土木・建設業なのだ。結果的に、2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに土木・建設業の需要が拡大すると、とたんに人手不足に陥ってしまった。
 すると、2012年末に発足した第2次安倍政権は、土木・建設業界の人手不足を生産性向上の投資と実質賃金の引き上げではなく、例により外国人労働者を受け入れることで乗り切ろうとした。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 安全保障のための供給は自国民が担うのが大原則

 国土交通省は2015年4月から「外国人建設就労者受入事業」を開始し、3年の期限を迎えた外国人技能実習生が、2年間延長して日本に滞在することを可能としたのである。
 いちおう、「外国人建設就労者受入事業」は、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会開催にともなう建設需要の高まりに対応するための「緊急かつ時限的措置」とされている。とはいえ、これまでのパターンから鑑みるに、土木・建設業を皮切りに、外国人労働者がなし崩し的に増えていく可能性は否定できない。
 日本にとって土木・建設業の供給能力は、大規模自然災害が発生した際に、国民を救うための命綱である。 防災安全保障において、決定的な役割を果たす命綱が、外国人によって担われるなどという事態になって、本当にいいのだろうか。
 筆者は、東日本大震災発生後に、東京都内で信じがたい光景を目にした。 あれだけ大勢いた外国人、なかでも韓国人や中国人がいっせいに姿を消したのだ。 東日本大震災の津波被害で、福島第一原子力発電所が事故を起こした。 この原発事故を受け、 外国人が国外へといっせいに避難したわけだ。
 筆者はべつに、逃げ出した外国人を責めているわけではない。当時はマスコミが暴走し、東京も放射能で汚染され、住めなくなるといった荒唐無稽な報道が激増していた。たとえば、朝日新聞系の週刊誌 「AERA」は、2011年3月28日号の表紙に、「放射能がくる」と毒々しい赤色の大見出しを掲げた。
 筆者にしても、たとえば韓国で働いていたとして、韓国国内で原発事故が起こったら、真っ先に日本に逃げ帰るだろう。筆者は日本国民であり、韓国国民ではない。韓国という国家と心中する気など、さらさらないのである。
 福島第一原発で事故が起こったとき、外国人たちは続々と出国していった。これは当たり前の話である。これに対し、日本国民は逃げることができなかった。日本国民は日本国に残り、多くが東北の復興のために尽力した。日本国の防災安全保障は、日本国民の手によって担われなければならない。
 ところが、移民を土木・建設業に大々的に受け入れていくと、給料が安く抑えられ、生産性向上のための投資も起こらず、若い世代が業界に流入しなくなる。すると、農業同様に技能の継承が不可能となり、日本国民は自然災害という、日本列島で暮らす以上は逃れられない災厄から、しだいに安全ではなくなっていくわけである。
 わかりやすいので、食料安全保障や防災安全保障を取り上げたが、そのほかの安全保障(防衛を含む)も同じだ。 安全保障のための供給能力を移民に依存するようになっていくと、時がたつにつれ、安全な国家は失われていく。
 安全保障のサービス提供は自国民で担わなければならない。この大原則がある以上、移民政策のトリレンマは確実に成立してしまうのだ。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 安全保障のための供給は自国民が担うのが大原則

移民の福祉受給権が引き起こすフリーライド問題
 安全な国家には、失業、疾病、負傷など、私たちが日常生活を送るうえで背負わざるをえないリスクから国民を守るという概念も含まれている。すなわち、社会保障である。
 妙な表現になるが、失業手当、生活保護、国民皆保険といった社会保障サービスは、警察サービスに似ている。国民が互いにコストを負担することで、全体としてのセーフティネットを成立させているのだ。
 たとえば、健康保険 健康保険において、保険料を払いつづけていながら、一度も病気にならない人がいたとする。その人は払い損なのだろうか。もちろん、そんなことはない。というよりも、過去に病気になった経験をもたずとも、次の瞬間、重病を患うかもしれない。 将来は、いずれにせよ不確実である。
 将来が不確実であっても、国民が安心して暮らせるようにするために、社会保障の制度があるのだ。そして、人びとが社会保障の負担を他人と分かち合うためには、何度もいうようだがナショナリズムが不可欠である。 ナショナリズムなしで、国民全体が参加する社会保障制度を構築することは不可能だ。
 なにしろ、人間が寛容になれる相手には範囲がある。国家という同じ共同体に属しているからこそ、国民は払い損になることを承知で、社会保障を確立するための費用を負担することができる。まさに「困ったときはお互いさま」の精神こそが、 社会保障を成立させているのだ。
 ただ、お互いさまになれるのは、大変残念なことに、現時点では同じ国民が限度である。 国家をともにしない人びとと負担を分かち合うことはできない。
 たとえば、中国や韓国に住む人びとの社会保障を成立させるために税金や保険料を支払うことに、日本国民が納得するだろうか。納得するはずもない。もちろん、逆も真なりであろう。結局のところ、国民が安全に、安心して暮らすためには、ナショナリズムが必要である。
 移民受け入れとは、もちろん、モノ、ヒト、カネの国境を越えた移動を自由化するグローバリズムの一環である。当然ながら、安全な国家と国民の自由を実現したいならば、グローバリズムの代表株である移民を受け入れることはできない。移民が移民先のナショナリズムに融合するならば話は別だが、残念なことに、そんなユートピアは地球上に存在しない(以前のアメリカがかろうじて該当していたかもしれないが)。
 それどころか、移民受け入れは、その国の社会保障へのフリーライド(ただ乗り)というやっかいな問題を引き起こし、セーフティネット全体を危機に陥らせる可能性すらある。
 スウェーデン民主党が支持率を伸ばしているのは、移民による犯罪増加や社会不安の悪化もさることながら、フリーライド問題を批判したためでもある。驚くべきことに、スウェーデンの移民労働者たちは、当初から完全な福祉受給権を与えられる。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 移民の福祉受給権が引き起こすフリーライド問題

 かつてはヨーロッパの移民送り出し国であったスウェーデンは、第2次世界大戦後に経済成長することで、移民受け入れ国に変貌を遂げた。 スウェーデンにおいて外国に背景をもつ人(外国で生まれた両親をもつスウェーデン生まれの人+外国生まれの人)の割合は、全国で20.1パーセント、ストックホルムでは29.5パーセントにのぼる(2012年)。
 スウェーデンでは、移民に対して、「住宅・教育・福祉などの政策における同一の権利」が認められている。ところが、スウェーデンにおける移民の失業率は、ネイティブな国民の2.65倍である。これは、ノルウェーの2.83倍に次いで高い数値だ。
 参考までに、フランスが1.78倍、ドイツが1.77倍、イギリスが1.17倍、アメリカが1.11倍である。アメリカやイギリスは、移民の失業率とネイティブな国民の失業率にそれほどの差はない。それに対し、スウェーデンやノルウェーは3倍近い数字になっているのだ。
 結局、スウェーデンのような寛大な福祉国家が移民を受け入れていくと、スウェーデン語を学ばずとも、あるいは仕事に就かなくても、移民はそれなりの生活ができてしまうのだ。結果的に移民の失業率が高くなっている、と考えるのが自然というものだろう。

「福祉国家が移民を守る」から「移民から福祉国家を守る」 へ
 あらためて考えてみると、その国の社会保障を支える負担をしていない移民に福祉を受ける権利があるのだろうか。
 もちろん、ない。
 とはいえ、多くの先進国において、移民先の社会保障にただ乗りする、いわゆるフリーライダー問題が顕在化している。先述のとおり、スウェーデンの場合、移民の失業率がネイティブな国民の2.65倍に達しているが、移民たちはべつに飢え死にしているわけではない。 フリーライダーの問題が深刻化しているのは疑いない。
 フリーライダーの増加は、 「福祉国家が移民を守る」という理念を、「移民から福祉国家を守る」という主張へと転換させることにつながりやすい。いかなる国の国民にしても、外国人が生活保護を受給することについては嫌悪感を抱く。
「働かないならば、祖国に帰ればいい」と多くの国民が考えるのは、国民国家や社会保障の仕組みからしても当然なのだ。なにしろ、その国の社会保障は、おもに国民の負担によって支えられている。自分たちが負担した社会保障が、同じく負担をともにしている国民を助けるために活用されるならともかく、外国人では話は別であろう。
 フリーライダーを減らすためには、もちろん審査を厳格化することも重要だが、それ以上に、移民に対して移民先の言葉の使用を強制する必要がある。まさに多文化主義とは真逆の路線を採用し、移民を同じ国民と化していかなければならないのだ。移民先の言語を習得することができれば、移民も雇用されていき、 フリーライダーから社会保障の担い手へと変化することになる。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 「福祉国家が移民を守る」から「移民から福祉国家を守る」 へ

 ヨーロッパの多文化主義は、移民を移民先の国家に同化させず、移民失業率を高めた。さらにはフリーライダーを増やすことで、ネイティブな国民との対立を煽っているという点でも、最悪の政策といえる。
 フリーライダーが増えていくと、当然ながら移民に対し不満をもつ国民が増え、社会は不安定化していく。 具体的には、移民制限や移民排斥を叫ぶ勢力が急速に力を高めていくことになる。
 イギリスの社会保障の制度は、かつて「ゆりかごから墓場まで」といわれるほどに手厚いものであった。そもそも、現在の先進国の国民が享受している社会福祉国家を、世界で最初に始めたのはイギリスだ。
 第2次世界大戦のさなか、1941年に、イギリスで労働組合会議の請願を契機に、国民健康保険などの制度的検討が始まった。翌42年に、健康保険、失業保険、年金など、社会保障制度についてすべての国民が対象になるよう、統一制度の下で整備するべきという「ベヴァリッジ報告書」が提出される。
 このベヴァリッジ報告書に基づき、第2次世界大戦終結後、アトリー政権は1946年に国民保険法、国民保健サービス法、48年に国民扶助法を成立させた。日本を含む西側諸国もイギリスに倣い、社会保障制度を整備していった。
 現在の日本国民が、 国民皆保険や失業手当、生活保護など、セーフティネットに守られているのは、ベヴァリッジ報告書以降のイギリス政府のトライアルのおかげなのである。

多文化主義がフリーライダーを激増させた元凶
 もっとも、ベヴァリッジにせよ、アトリー首相にせよ、国民ではない人たちが自国の社会保障制度に乗っかる時代が来るとは、想定していなかったのではないか。なにしろ、当時のイギリスは移民国家でも何でもなかった。
 イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデンといったヨーロッパの先進国の移民国家化が始まったのは、1945年以降の黄金の四半世紀、日本でいう高度経済成長時代である。日本ほどではないが、当時のヨーロッパもそれなりに経済成長率が高かった。結果的に、人手不足が深刻化し、イギリスにはインドやパキスタン、フランスにはマグレブ (北アフリカ)、ドイツには当初は南ヨーロッパ、のちにトルコから外国人労働者が押し寄せた。
 ヨーロッパの国々は、経済における人手不足が理由で、しだいに移民国家化していったのである。そこに多文化主義という、一見、寛容に思えるイデオロギーが加わり、移民にも社会保障サービスを提供することが一般化していった。
 とくに「ゆりかごから墓場まで」といわれたイギリスには、手厚い社会保障目当ての移民流入が続いた。さらに、2004年以降の旧東ヨーロッパ諸国のEU加盟は、イギリスにおけるフリーライダーを激増させることになった。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 多文化主義がフリーライダーを激増させた元凶

 EU加盟国からの労働者流入を、イギリスは阻むことができない。そして、イギリス国内で働くEU出身の外国人労働者は、即座にイギリスの社会保障制度の対象となる。
 たとえば、イギリスの児童手当は、16歳未満の子供を対象に、第1子が月額80ポンド(約1万2000円)、第2子以降が月額52.8ポンド(約7700円)となっている。さらに、世帯あたり最高545ポンド(約7万9700円)の児童税額控除、16歳未満の子供1人あたり最高2235ポンド(約32万7000円)の全額給付もある。
 ちなみに、移民に対する児童手当は、信じがたいかもしれないが、子供がイギリス国外に居住している場合であっても支給される。つまり、子供をもつブルガリア人なりルーマニア人なりがイギリスに働きにくれば、子供の人数分、年に数十万円もの児童手当の支給を受け、本国に送金することが可能なのである。
 旧東ヨーロッパの労働者がイギリスで働き、所得を稼ぎ、同時にイギリス国内には居住しない子供のぶんの児童手当の支給を受け、祖国に送金する。さすがに、キャメロン政権は児童手当について、イギリスから国外への送金を禁止することを検討していた。
 とはいえ、現実には、児童手当について移民の祖国の生活水準額にまで減額することしかできなかった。
 EUに加盟したことで激増したフリーライダーの存在が、2016年6月25日のプレグジットを後押ししたのは間違いない。また、国民が、フリーライダーが跋扈する自国の社会保障制度そのものに不信感をもち、国民どうしが互いに支え合うという基盤的な仕組みが崩壊に向かう可能性もある。
 そもそも、社会保障制度は、ナショナリズムをベースに整備されていった。そこに移民という「異邦人」が入り込み、負担は回避し、恩恵だけ受けるケースが続発すると、国民の怒りはやがて制度そのものに向かう。
 やがて、移民の増加により社会保障制度が破壊されると、セーフティネットが失われるという話になってしまう。国民はリスクに対し、より安全ではなくなるわけである。
 結局のところ、防災、防犯といった日常の生活を守る安全保障にしても、いざというときのリスクに備える社会保障にしても、国民どうしが互いに助け合うという考え方、つまりはナショナリズムなしでは成立しないのだ。

ほかの外国人にはない特権で守られる特別永住者
 移民を受け入れることは、その国の安全保障や社会保障を危機に陥れかねない。わが国にしても、例外ではない。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する ほかの外国人にはない特権で守られる特別永住者

 法務省の「在留外国人統計統計表」(2016年12月末)によると、さまざまな制度に基づき、2016年12月末時点で291万3314人の外国人が日本に滞在していた。むろん、この300万人近い外国人には、一時的な滞在をしている外国人が含まれている。
 先述のとおり、国連の定義によれば、移民とは「出生あるいは市民権のある国の外に12ヵ月以上いる人」である。したがって、外国人観光客は移民ではない。
 2016年12月末時点で日本に滞在していた外国人のうち、観光、商用、文化・学術活動、親族訪問などの理由で短期滞在していた人は51万2490人。すなわち、長期滞在者は約240万人となる。もっとも、この240万人には、日本人である配偶者13万9327人が含まれているため、外国人の移民に限定すると約226万人。
 わが国の総人口は、2016年11月確定値で1億2679万人であるため、2016年末時点の移民人口比率は約1.787パーセントである。安倍政権の移民受け入れ政策により、外国人労働者が増えた結果、わが国の移民人口比率が上昇を続けていることがわかる。
 ちなみに、永住者とは、
 ①素行が善良であること
 ②独立の生計を営むに足りる資産または技能を有すること
 ③その者の永住が日本国の利益に合すると認められること
 という三つの条件を満たし、外国人として日本に永住することが認められた外国人である。
 また、定住者とは、日本国に在留する外国人に与えられる在留資格の一つで、法務大臣が特別な理由を考慮し、5年を超えない範囲で一定の在留期間を指定して居住を認める者を指す。たとえば、難民などは定住者の資格をもち、日本で暮らしている。
 さて、わが国は、じつはきわめて特殊な移民問題を抱えている。すなわち、特別永住者である。
 特別永住者とは、1991年に施行された、「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」(入管特例法)により定められた在留の資格、もしくは当該資格を有する者を意味する。
 2016年12月末時点の特別永住者の内訳を見ると、韓国人(30万3337人)と朝鮮人(3万1826人)が総計 (33万8950人)の98.88パーセントを占めている。 要するに、特別永住者とは在日韓国・朝鮮人のことである。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する ほかの外国人にはない特権で守られる特別永住者

 1910(明治43)年の韓国併合以前から、大日本帝国には朝鮮半島の朝鮮人(当時は大韓帝国)が外国人労働者として流入していた。韓国併合以降は、朝鮮半島からの移民は激増し、当時の内務省警保局の統計によると、1930年時点で約30万人の朝鮮人 (厳密には朝鮮半島出身の日本人だが)が日本列島に滞在していた。
 基本的に、日本政府は大東亜戦争さなかの数年間を除き、戦前にせよ、戦後にせよ、朝鮮人が日本列島に流入することを渡航制限措置により抑制しようとした。とはいえ、現実には、安い賃金で働く朝鮮人移民をとめることはできなかった。
 当時の朝鮮半島の賃金水準は、日本本土の半分程度にすぎなかったのである。いまも同じだが、経営者は安い給料で働く労働者を求める。 なにしろ、当時の朝鮮半島の日本人の多くは日本語を解した。日本語がわかり、日本本土の標準よりも低い賃金で働く朝鮮半島出身者は、むしろ日本の経営者に歓迎されたことだろう。
 法政大学大原社会問題研究所のレポート 『太平洋戦争下の労働者状態』東洋経済新報社)によると、わが国が大東亜戦争に敗北した1945年時点で、日本本土には約210万人の朝鮮半島出身者が在留していた。1946年3月までに約140万人が帰国したが、居残った人びともいた。
 1949年8月末(あるいは9月初旬)、いまだ日本国がGHQの占領下にあったころ、吉田茂首相は連合国軍最高司令官マッカーサー(いずれも当時)に対し、送還費用は日本政府が負担するとしたうえで、「在日朝鮮人の全員送還を望む」と題する、朝鮮人送還を求める嘆願書を提出した。当時の日本では、在日朝鮮人が「三国人」として暴れまわり、治安悪化の一因になっていた。
 在日朝鮮人による刑事事件数は、1945年(8月15日以降)が5334件、46年が1万5579件、47年が3万2178件である。しかも、当時の在日朝鮮人の半分が不法入国であった。
 吉田首相が「在日朝鮮人を日本から追い出させてほしい」とGHQに訴えたのは、当然すぎるほど当然なのである(ちなみに、吉田首相は嘆願書に、「台湾人はあまり問題を起こしていない」と書いている)。その後、1950年に勃発した朝鮮戦争でも、多くの難民が日本列島に流入。戦前からの居残り組と、朝鮮戦争の難民が、現在の在日韓国・朝鮮人という特別永住者の先祖である。

在日外国人の犯罪統計がオープンにされない奇っ怪さ
 ところで、日本における外国人犯罪のデータを調べてみると、不思議なことに気がつく。警察庁は、来日外国人に関する犯罪統計は公表している。それにもかかわらず、「在日」外国人のデータがオープンになっていないのだ。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 在日外国人の犯罪統計がオープンにされない奇っ怪さ

 図2-3でいえば、永住者、永住者の配偶者など、特別永住者が在日外国人に相当する。2016年12月末時点でいえば、約110万人が在日外国人である。
 警察庁は、毎年2回、「来日外国人犯罪の検挙状況」というレポートを公表している。まさにタイトルにもあるとおり、レポートは来日外国人の犯罪に限定されており、在日外国人のデータは含まれていない。
 レポートの冒頭には、
「本資料中の『来日外国人』とは、我が国に存在する外国人のうち、いわゆる定着居住者(永住者、永住者の配偶者等及び特別永住者)、在日米軍関係者及び在留資格不明者を除いた外国人をいう」
 という注意書きがある。
 防衛省は、在日米軍関係者について、アメリカからセキュリティ上の理由に基づく要請を受け、2014年から公表をとりやめている。 2013年が10万人強であったため、2016年12月末時点で警察庁が定義する「在日外国人」は、約120万人と推定される。
 120万人といえば、日本の総人口の1パーセント弱に相当する。 しかも、彼らは紛うことき外国人だ。外国人の犯罪統計を公表する際に、総人口の1パーセント弱に相当する外国人の犯罪データを区分けするのは、おかしな話である。
 それはともかく、とりあえず警察庁のデータに則り、2015年の来日外国人による犯罪検挙状況を見てみよう。ちなみに、警察庁は外国人犯罪について、総検挙数に加え、刑法犯と特別法犯の二つに分けた統計も発表している。
 刑法犯とは、具体的には、次のものをいう。

 ・凶悪犯……殺人、強盗、放火、強姦
 ・粗暴犯……暴行、傷害、脅迫、恐喝、凶器準備集合
 ・窃盗犯……窃盗
 ・知能犯……詐欺、横領(占有離脱物横領を除く)、偽造、汚職、背任、「公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律」に規定する罪
 ・風俗犯……賭博、わいせつ
 ・その他の刑法犯……公務執行妨害、住居侵入、逮捕監禁、器物損壊、占有離脱物横領等上記に掲げるもの以外の刑法犯

 わかりやすく書くと、古代メソポタミアの「ハンムラビ法典」の時代から「忌むべき犯罪」として認識されていた犯罪が、刑法犯なのである。
 それに対し、特別法犯とは、各国の文明が進化し、さまざまな法律が制定された結果、犯罪と認定されることになった行為である。たとえば、著作権法違反 道路交通法違反、売春防止法違反などになる。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 在日外国人の犯罪統計がオープンにされない奇っ怪さ

 日本に滞在する外国人の場合、入管法違反(不法滞在) が特別法犯に含まれる。日本人と外国人の犯罪傾向を比較する際には、特別法犯ではなく刑法犯で見るほうが適切かもしれない。なにしろ、日本人が入管法違反という犯罪に手を染めるケースは、ほぼゼロなのだ。

犯罪に手を染めても強制送還されない在日韓国・朝鮮人
 というわけで、まずは外国人全体(来日外国人)の犯罪状況を見てみよう。 図2-4のとおり、来日外国人による犯罪検挙数は、2005年には5万件に接近していた。とはいえ、その後は小康状態となり、昨今は1万5000件前後で安定している。
 また、図2-5のとおり、来日外国人による犯罪検挙人員数も、ピーク期と比較すると半分程度で推移している。もっとも、刑法犯の検挙人員数を見ると、5000人を超える水準で高止まりしているようにも見え、注意が必要だ。
 ちなみに、2015年の日本全体の検挙件数に占める来日外国人の検挙件数の割合は、2.6パーセント。検挙人員数に占める割合も、同じく2.6パーセントであった(「来日外国人犯罪の検挙状況(2015年)」)。2015年12月末時点の在留外国人(短期滞在および日本人の配偶者、定着居住者を除く)数は101万3775人。2015年末の日本の総人口が1億2688万人だから、総人口に占める在留外国人比率は0.84パーセントとなっている。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 犯罪に手を染めても強制送還されない在日韓国・朝鮮人

 人口比率でいえば0.84パーセントにすぎない在留外国人が、総検挙人員数の2.6パーセントを占めたのだ。べつに外国人差別をしたいわけではまったくないが、在留外国人の犯罪率が日本国民よりもはるかに高いことは歴然とした事実である。
 もちろん、日本は、フランスやスウェーデンのような事態には陥っていないが、移民の存在が日本の治安悪化の方向に働いているのは疑いようがない。移民政策のトリレンマからは、誰も逃れることができないのだ。
 先述のとおり、外国人の犯罪には不法滞在という特別法犯が少なくない。 2015年の来日外国人の特別法犯に占める不法滞在の割合は65パーセントであった。 不法滞在を含めると、外国人による犯罪の実態が見えにくくなるため、図2-6では刑法犯に限り、2015年の来日外国人による犯罪の国籍別件数をグラフ化した。
 これを見ると、件数トップはベトナムで27.1パーセント。これまで不動の首位を維持していた中国が25.4パーセントと2位に転落(?)した。3位はブラジルの13.6パーセントとなっている。
 第3章でくわしく述べるが、技能実習生を国籍別に見ると、2015年までは首位であった中国が、現在はベトナムに逆転されている。最近、ベトナム人技能実習生が増えたため、刑法犯の検挙においてもベトナムが首位に立ったと受けとめるべきだろう。移民の増加と、外国人による犯罪検挙件数には、少なくとも中国とベトナムの場合は明らかに相関関係がある。
 また、外国人刑法犯の検挙人員数を国籍別に見ると、中国人がトップで29.9パーセント。2位がベトナム人で23.88パーセント、3位が韓国人で7.2パーセントとなっている。
 これを見て、不思議に思わないだろうか。日本の新聞やテレビに接していると、やたら韓国人の犯罪に関する報道が目につく。それにもかかわらず、外国人による刑法犯罪を見ると、韓国はそれほど目立っていない。
 理由はおわかりだろう。図2-6のデータは来日外国人の刑法犯のものであり、在日外国人は含まれていないのだ。 在日外国人とは、定着居住者と在日米軍関係者である。
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 2016年12月末時点において、在日外国人(約120万人)のなかで約3割のシェアを占めるのが特別永住者(約34万人)である。先述のとおり、特別永住者の98.88パーセントを在日韓国・朝鮮人が占めている(むしろ、在日韓国・朝鮮人以外に特別永住者が存在すること自体が奇妙なのだが)。ことさらに在日韓国・朝鮮人を取り上げるのは、彼らが外国人として特権(厳密には特例措置)をもっているためである。
 いちばん強烈な在日特権は、1991年に妥結した「日韓法的地位協定に基づく協議の結果に関する覚書」および「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例」により、犯罪者であっても強制送還されるケースがほとんどない、という点である。
 厳密には、次にあげる以外の在日韓国・朝鮮人は強制送還されないことになっている。

 ・内乱に関する罪、外患に関する罪にて禁錮以上の刑に処せられた者
 ・国交に関する罪にて禁錮以上の刑に処せられた者
 ・外国の元首、外交使節またはその公館に対する犯罪行為により禁錮以上の刑に処せられた者で、法務大臣においてその犯罪行為により日本国の外交上の重大な利益が害されたと認定した者
 ・無期または7年を超える懲役または禁錮に処せられた者で、法務大臣においてその犯罪行為により日本国の重大な利益が害されたと認定した者

 問題は、「無期または7年を超える懲役または禁錮に処せられた者」であっても、法務大臣の「日本国の重大な利益が害されたとの認定」を必要とする点だ。現実的に、刑法犯で有罪になった特別永住者が、「再犯」で逮捕されるというケースが相次いでいる。
 特別永住者は刑法犯で有罪判決を受けても、強制送還されることはなく、しかも滞在資格も剥奪されない。これが、特別永住者以外の資格で日本に滞在している外国人の場合、犯罪に手を染めれば一発で強制送還される(万引といった微罪であっても滞在資格を取り消される)。
 日本国で犯罪に手を染めても、強制送還されない――これは明らかにほかの外国人に対する差別であり、是正が必要である。つまりは、特例措置の廃止だ。

日本でいちばん犯罪を犯している外国人はどこか
 じつに不思議な話なのだが、警察庁は来日外国人の犯罪については年に2回、詳細なデータをオープンにしているにもかかわらず、在日外国人の犯罪については公表していない。理由は、現時点でも不明なままだ。
 本書を書きつつ、あるとき、在日外国人の犯罪データが手に入らないことに気がつき、愕然とした。 来日外国人の犯罪についてふれながら、在日外国人は無視するのでは不公平もいいところである。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 日本でいちばん犯罪を犯している外国人はどこか

 どうしたものかと悩んでいたところ、警視庁元刑事で元通訳捜査官の坂東忠信氏が、その著『在日特権と犯罪』(青林堂)で本件を取り上げ、しかも国会議員の長尾敬氏経由で在日外国人の犯罪データを入手していたことを知った。
 国会議員を経由しなければ在日外国人の犯罪データを手に入れることができないという時点で、異様としか表現しようがないが、とりあえず坂東氏の著作から在日外国人による犯罪の状況を見てみよう。
 坂東氏が作成したデータによると、図2-7のとおり、2015年の在日外国人による犯罪検挙件数(刑法犯)は6444件、そのうち在日韓国・朝鮮人によるものが3437件で強パーセント。 犯罪検挙人員数は、 総数4720人に対し、在日韓国・朝鮮人が2304人で49パーセントとなっている。
 来日、在日を合わせると、日本でもっとも犯罪を犯している外国人は中国人でもベトナム人でもなく、韓国・朝鮮人である。これは日本国民が知っておかなければならない、決定的な事実であろう。
 坂東氏は警察庁から入手した在日外国人の犯罪データをWEBに掲載している(「在日外国人犯罪検挙状況」で検索するとダウンロード専用ページにつながる)。
 坂東氏のブログから引用しておこう。

  来日と在日の合計22357件 (16270人) 中、在日の8090件(6228人)が非公開だったわけですから、昨年(2015年筆者注)中に検挙した外国人犯罪件数36.2パーセント、人員38.3パーセントが把握されないままになるところだったのです。
  この割合、決して小さいものではないことはおわかりでしょう。
  これら4割弱もが把握できないままでは、外国人に関わる社会問題など正確に把握したり討議したりできるはずがないのです。(※特別法犯を含む=筆者注)

 まったく、そのとおりである。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 日本でいちばん犯罪を犯している外国人はどこか

 しかも、在日韓国・朝鮮人のほとんどが特別永住者であろうから、彼らはほかの外国人とは異なり、刑法犯罪で実刑を受けたとしても、強制送還されない。繰り返し、犯罪に走ることが可能であるからこそ、犯罪件数も増えていく。在日韓国・朝鮮人の犯罪は、再犯がじつに多いのだ。
 本来であれば、外国人の再犯など起こりようがない。理由は、最初に有罪判決を受けた時点で母国に強制送還されるためだ。外国人の再犯が多いという時点で、日本の移民政策がいかにゆがんでいるかがわかる。
 さらに奇妙なことに、在日韓国・朝鮮人の特別永住者としての滞在資格は世襲制なのである。刑法犯として有罪判決を受けたとしても、滞在資格が剝奪されることはない。加えて、みずからの滞在資格を子々孫々に受け継いでいくことができる。
 いわゆる在日特権はほかにも複数あるが、「刑法犯として実刑を受けても強制送還されない」「滞在資格は世襲できる」などという、世にも不思議な(おそらく世界で日本のみ) 特例措置を在日韓国・朝鮮人に与えているのが、わが国なのである。

安倍政権の移民政策で日本は遠からず崩壊する
 図2-8のとおり、2015年末時点で日本の刑務所に収監されている外国人を国籍別に見ると、韓国・朝鮮籍が断トツの首位である。
 なにしろ特別永住者である在日韓国・朝鮮人は、刑法犯で実刑を受けても祖国に送還されるわけではない。再犯が増えた結果、日本の刑務所における外国人シェアの首位が韓国・朝鮮籍になったとしても、不思議でも何でもないのである。
 第3章で述べる「難民認定について、繰り返し申請できる」も同じだが、特別永住者といった奇怪な制度についても正していかなければ、わが国が「ふつうの国」になることはない。特別永住者に特権(ほかの外国人と比較し差別的な権利を与え、それを不思議にも思わない政治が続いているわが国が、移民の受け入れを拡大するなどというのは、言語道断としか表現のしようがない。
 しかも、犯罪に加え、欧米諸国を悩ませる移民によるフリーライドの問題も、わが国ではすでに発生している。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 安倍政権の移民政策で日本は遠からず崩壊する

 前出の『在日特権と犯罪』に、2015年7月時点の国籍別の生活保護受給世帯と支給率のデータが掲載されている(図2-9)。 これは2010年に、総務省が発表した「人口統計資料」と厚生労働省が行った「被保護者全国一斉調査基礎調査」を基にしている。
 日本の生活保護受給世帯の支給率が2.6パーセントであるのに対し、韓国・朝鮮世帯が14.2パーセント、フィリピンが10.9パーセント。外国籍総数で見ると、3.6パーセント。韓国・朝鮮籍で生活保護を受給している世帯のほとんどが特別永住者であることは、説明するまでもない。
 この数字を異常と感じられない場合、そちらのほうが間違いなく異常である。 そもそも、日本国は、外国人に対する生活保護の支給を認めていない。とはいえ、現実には、日本政府は1954年の「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」(厚生省(当時〉社会局長通知)により、
「生活保護法第1条により、外国人は法の適用対象とならないのであるが、当分の間、生活に困窮する外国人に対しては一般国民に対する生活保護の決定実施の取扱に準じて左の手続きにより必要と認める保護を行うこと」
 と、なし崩し的に外国人への生活保護支給を続けてきた。
 対象者は、永住者、定住者、永住者の配偶者、日本人の配偶者、特別永住者、そして入管法上の認定難民などになる。
 しかし、日本国において移民が生活に困窮した場合、その保護に責任をもつのは移民送り出国の政府である。日本政府ではない。
 むろん、たとえば在日アメリカ人のように、生活保護支給率が0.6パーセント(これでも高いように思えるが)程度であれば、まあ許容範囲ということにしてもいいだろう。外国に移民しておきながら、職がない時点でおかしいのだが、それでもさすがに「100パーセント、働ける」という話にはなるまい。
 とはいえ、韓国・朝鮮人世帯の生活保護支給率は14.2パーセント、フィリピン人世帯が10.9パーセントなのだ。「日本で職を得られなければ帰国するべき」と思ったのは、筆者だけではないだろう。
 たしかに、現時点の日本の移民人口比率は、諸外国とくらべると高くはない。とはいえ、安倍政権の移民受け入れ政策を受け、移民人口比率が急増しているのに加え、すでにしてわが国は外国人犯罪や生活保護へのフリーライドといった問題を抱えているのだ。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 安倍政権の移民政策で日本は遠からず崩壊する

 わが国がこのまま移民受け入れ路線を進んだ場合、外国人犯罪が激増するだろう。 治安を維持することが不可能になるのに加え、生活保護へのフリーライダーが増え、セーフティネットも揺らぐ。すなわち、日本は安全な国家ではなくなっていく。

 移民政策のトリレンマからは、誰も逃れることができないのだ。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 移民政策が日本の安全保障を破壊する 安倍政権の移民政策で日本は遠からず崩壊する

日本はすでに世界第5位の移民受け入れ大国
 誤解している読者が多いだろうが、わが国はすでにして世界第5位の移民受け入れ大国である。2017年3月14日付の「西日本新聞」に興味深い記事が掲載された。

  日本は、単純労働の外国人受け入れを公式には認めず、移民に関して鎖国的な政策を続ける。だが、留学生や技能実習生の肩書で呼び込んだアジアの若者たちに、低賃金の単純労働を担わせているのが実態だ。 国際的な尺度からみても、移民の主要受け入れ国の一つとなっている。
  経済協力開発機構(OECD) は統計上、「国内に1年以上滞在する外国人」を移民と定義する。 加盟35カ国の外国人流入者数をまとめた「国際移住データベース」から、2014年の1年間における移民の動き(出身国別で1万人以上の流入が対象) を抽出し、世界地図に落とし込んでみた=図表参照。
  流入者が多いのは欧州 (181万人)、北米 (88万人)。アジアも57万人と続き、うち4割以上を日本(24万人)で受け入れていることが分かる。 出身国別で1万人未満の流入を含めると日本は34万人に上り、ドイツ(134万人)、米国(102万人)、英国(50万人)、韓国 (41万人)に次ぐ。 (後略)

 2014年の日本への流入を見ると、中国がトップで約10万人。残りはベトナムが約4万人強、韓国とフィリピンが約2万人。なぜかアメリカから約2万人と続く。
 先述のとおり、国連の定義では、移民は「出生あるいは市民権のある国の外に12ヵ月以上いる人」となっている。
 OECDの定義にしても、「国内に1年以上滞在する外国人」が移民だ。
 現在の日本国において、安倍政権が大量に受け入れている外国人労働者は、定義的にも移民なのだ。「安倍総理は、人手不足を補うために外国人労働者を受け入れているだけで、移民を受け入れているわけではない」といった言い訳は、もはや通用しない。日本はすでに、安倍政権の政策により、移民受け入れ大国と化している。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 日本はすでに世界第5位の移民受け入れ大国

 あらためて数字をおさらいするが、 厚生労働省の「『外国人雇用状況』の届出状況」によると、2016年10月末時点で、日本で働く外国人は108万3769人。内訳を見ると、技能実習生が21万1108人、留学生が20万9657人。 技能実習生も、コンビニで働く留学生も、事実上、外国人労働者であることはいうまでもない。
 国別で見ると、中国がもっとも多く、全体の31.8パーセント。ベトナムが15.9パーセントで2位。3位は11.8パーセントのフィリピンとなっている。
 実質賃金が低迷し、国民の貧困化が継続している状況で、移民の受け入れを拡大しているのが安倍政権なのである。
 移民が増加すると、とくにデフレーション(以下、デフレ)や不況で経済成長していない国では、限られた所得のパイをより大勢で奪い合うかたちになるため、名目賃金は低迷せざるをえない。
 名目賃金が物価上昇率に追いつかない場合、実質賃金は下がる。前章で、台湾の実質賃金が伸び悩んでいることについてふれた。とはいえ、実質賃金の話をするならば、わが国は台湾どころではない悲惨な状況に陥っている。

日本経済は明らかに再デフレ化に向かっている
 実質賃金とは、物価の変動を除いた賃金である。たとえば、読者の給料が5パーセントずつ上がっていくとする。同じ時期に物価が10パーセントずつ上昇すると、どうなるだろうか。
 たしかに、金額で見た給料は増えているのだが、読者が給料で買えるモノやサービスの量は減っていくことになる。すなわち、実質賃金の下落である。わかりやすく書くと、実質賃金の低下とは、買える米の量が減っていくという話であり、紛うことなき貧困化なのである。
 逆に、読者の給料が2パーセントしか上がらなくても、物価上昇率が1パーセントだったらどうか。
 ほとんど給料は上がらないものの、物価が上昇しないため、読者はしだいにモノやサービスをたくさん買えるようになっていく。これが実質賃金の上昇であり、豊かになるという話である。
 豊かになるとは、厳密には、所得が増えると同時に、所得で購入できるモノやサービスが増えていくということだ。たんに所得が増えるだけでは、それ以上に物価が上昇するケースがあるため、豊かになっているとは断言できない。
 図3-2を見ていただきたい。わが国の実質賃金のピークは、1997年。なんと20年前である。1997年の橋本緊縮財政により、経済のデフレ化が始まり、その後の日本の実質賃金は下落を続けた。つまりは、国民が貧困化していったのである。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 日本経済は明らかに再デフレ化に向かっている

 2015年の実質賃金指数の年平均は、ピークと比較すると、なんと15パーセント以上も落ち込んでいる。日本国民は、橋本政権が緊縮財政を強行し、日本経済をデフレに叩き込んだ1997年と比較すると、15パーセントも貧乏になったのだ。
 なぜ、デフレの国は実質賃金が下がるのか。デフレで物価が下がれば、実質賃金は逆に上昇してもよさそうなものである。
 物価が下落する状況で所得が一定を保てば、たしかに実質賃金の上昇になる。とはいえ、デフレとは物価の下落と同時に、それ以上の所得の縮小をもたらす経済現象なのである。デフレの国は多くの時期で物価が下がるが、それ以上に所得が下がるため、実質賃金が下落する状況に叩き込まれる。
 なぜ、デフレになると物価下落以上のペースで所得が下がるのだろうか。それは、所得が「物価(販売単価)×販売数量」で決定されるためだ。本書では話をわかりやすくするため、売り上げ=付加価値という前提で解説する(本来は売り上げではなく、粗利益が付加価値になる。付加価値でシミュレートしても結果は同じだ)。
 たとえば、これまで1000円の単価で1000個を販売していたとする。すなわち、付加価値は100万円だ。 国民経済において、モノやサービスという付加価値への支払いこそが所得になる。 付加価値100万円とは、所得も100万円であることを意味する。
 さて、社会全体で物価が10パーセント下落したことを受け、単価が900円に下がると、販売数量が変わらない場合、付加価値は90万円になる。もちろん、所得も90万円。所得が100万円から90万円に10パーセント縮小し、物価も10パーセント下落した。物価と所得が同じ比率で下がったため、実質賃金は変わらない。
 デフレの国の問題は、物価の下落もさることながら、それ以上に販売数量が縮小することにある。物価が10パーセント下落し、同時に販売数量も5パーセント減ったケースを考えてみよう。
 単価が900円で販売数量が950個。付加価値=所得は85万5000円。当初の所得である100万円と比較すると、14.5パーセントも小さくなった。それに対し、物価の下落は10パーセントである。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 日本経済は明らかに再デフレ化に向かっている

 デフレの国では、物価下落と同時に販売数量も縮小し、物価以上のペースで所得が小さくなるかたちで実質賃金が下落する。デフレとは、物価下落の問題というよりは、実質賃金の縮小という国民の貧困化問題として認識するべきなのだ。
 ちなみに、2016年の実質賃金は、前年比でわずかに上向いた。とはいえ、2016年の実質賃金の上昇は、働く国民の所得が伸びたというよりは、物価の下落によりもたらされたものだ。
 実質賃金は、次の式で計算される。

  実質賃金=名目賃金÷消費者物価(持ち家の帰属家賃を除く総合消費者物価指数)

「持ち家の帰属家賃を除く総合消費者物価指数」がマイナスになると、実質賃金には上昇圧力が働く。 2016年の「持家の帰属家賃を除く総合」は、マイナス0.1パーセントだった。再デフレ化による物価下落が、2016年の実質賃金を底上げしたのである。
 現在の日本は、デフレ脱却をめざしている。より具体的に書くと、物価が上昇し、それ以上に名目賃金が伸びることで実質賃金が増加することこそが、デフレ脱却のゴールだ。物価が下落することで実質賃金が上昇したとしても、再デフレ化の進行にすぎず、まったくうれしい話ではない。
 ちなみに、2016年通年のインフレ率は、日本銀行の物価判断に用いられている「生鮮食品を除く総合消費者物価指数」で見ると、マイナス0.3パーセントであった。プラスではなく、マイナス0.3パーセントなのである。
 2016年の日本は、明らかに再デフレ化の方向に向かっていた。物価が安定的に上昇し、名目賃金の伸びが大きくなり、実質賃金が増えるというゴールは、はるか先という感じだ。

生産性向上こそが実質賃金を増大させる
 むろん、GDPという経済規模が拡大し、さらに労働者の単位時間あたりの生産量が増加し、いわゆる生産性が向上しているならば話は別だ。なにしろ、生産性向上とは実質賃金の上昇そのものなのである。
 たとえば、ある製造業において、1人の労働者が1000円の単価で1000個を製造していたとしよう。今回も売り上げ=付加価値と仮定する。
 1000円の製品を1000個生産したため、付加価値=所得は100万円だ。つまりは、労働者に100万円の給料が支払われている。
 さて、この製造業の製品の人気が上昇し、1人の労働者が20パーセント増産しなければならなくなった。1人あたり1200個の生産が必要になったわけである。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 生産性向上こそが実質賃金を増大させる

 生産性向上のための具体的手段については後述するが、とりあえず企業や労働者の努力により、1人あたり1200個の生産が可能になった。また、国内全体のインフレ率が10パーセントであったとしよう。
 企業はインフレ率にあわせ、製品単価を10パーセント引き上げた。つまりは、物価上昇率10パーセントである。その場合、労働者の所得は、1100円×1200個=132万円となる。名目賃金が32パーセントも拡大するのだ。
 もっとも、インフレ率が10パーセントであるため、名目賃金の拡大分から、物価上昇分を控除しなければならない。 物価上昇の影響を排除して実質賃金を求めると、120万円となる。実質賃金が20パーセント上昇したわけだ。
 この時点で理解できた読者は、なかなかにのみこみが早い。じつは、実質賃金の上昇とは、付加価値の生産量の拡大そのものなのだ。このシミュレーションでいえば、労働者1人あたりの生産量が1000個から1200個に増えたからこそ、 実質賃金が20パーセント増加したのである。
 社会全体のインフレ率と、企業の製品単価の引き上げ率が同じであると仮定すると、実質賃金の上昇は生産量を拡大する以外の理由では起こらないのだ。労働者1人あたりの生産量の拡大、つまりは生産性向上こそが実質賃金を増大させる。
 もっとも、これはあくまで国民経済全体の話である。 対象を企業というミクロにしぼると、生産性向上なしの実質賃金上昇はありうる。
 たとえば、A社がB社から1000万円の製品を仕入れ、1500万円で販売していたとする。今回は、売り上げと付加価値を明確に分ける。
 売り上げ1500万円、売上原価1000万円であるため、A社の付加価値は500万円だ。別名、粗利益といわれる500万円が、従業員に対する給与の原資となる。
 さて、A社がB社と価格交渉し、仕入れ単価を1000万円から800万円に値下げさせたとしよう。それにもかかわらず、A社は販売価格については現状を維持した。
 売り上げが1500万円に対し、売上原価が800万円。 A社の付加価値は700万円に増加し、従業員給与は40パーセントもアップすることになる。
 A社単体で見れば、たしかに名目賃金と実質賃金はともに増えている。とはいえ、反対側の、仕入れ価格を値切られたB社の付加価値は減少したわけである。このシミュレーションでは、B社の名目賃金、実質賃金の下落という犠牲に基づき、A社の従業員給与が増えたことになる。
 給与を含む所得の源泉は、付加価値である。というよりも、国民経済において、付加価値の生産と所得の創出はつねにイコールになる。仕入価格(他社が生産した付加価値に対する支出)を叩き、自社の従業員給与を引き上げたところで、社会全体で実質賃金が増加したことにはならない。なにしろ、仕入れ先の所得が縮小している。
 つまりは、社会全体で実質賃金を引き上げるには、生産性を向上する以外に方法がないのだ。すなわち、生産者1人あたりの生産量の拡大である。そして、実質賃金の増加をともなう生産性が向上するためには、販売数量が増えているという前提が必要だ。 販売数量の増加、つまりは需要の拡大である。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 生産性向上こそが実質賃金を増大させる

 需要が拡大していない状況で、企業が生産性を向上させたとしよう。その場合、同じ量のモノやサービスを生産する際に、より少ない人数ですむことになる。 需要停滞期、需要縮小期の生産性向上は、へたをすると失業者を増加させる結果を招きかねない。
 失業者は、当たり前だが所得を得ることができない。需要が増えない経済環境、つまりはデフレの国における企業の生産性向上努力は、失業増という国民経済に対するペナルティをともなう可能性がある。
 もちろん、デフレ期の企業であっても、生産性向上をめざすべきだ。とはいえ、企業というミクロの合理的な生産性向上努力が、国民経済というマクロには失業の増加という不合理な結果をもたらすのである。いわゆる合成の誤謬の一種になる。
 経済がデフレではなく、健全なインフレの下で需要が拡大したとする。 需要の拡大、つまりは生産量の増加だ。 生産量の増加が労働の追加的投入ではなく、生産性向上により達成されたとき、はじめて実質賃金は上昇する。生産性向上と実質賃金の上昇はイコールなのである。
 たとえば、わかりやすい例として、イギリスを取り上げてみよう。
 図3-3のとおり、イギリスの生産性は、リーマンショックまでは恐ろしいほど堅調に伸びつづけた。ところが、リーマンショックにより頭打ちになり、その後もほとんど伸びていない。
 イギリス経済は、リーマンショックの悪影響がおよんだ2008年(マイナス0.63パーセント)、2009年(マイナス4.33パーセント)以降は、うらやましいほど着実に成長していった。2010年から2016年までの7年間におけるイギリスの平均経済成長率は、なんと約2パーセントである。
 それに対し、2010年から2014年までの生産性伸び率は、年平均で0.82パーセントにすぎない。 成長率の半分にも達していないのだ。
 図3-3は、労働者1人あたりの生産量で生産性を見ている。リーマンショック以降も、イギリスには外国人労働者が流入しつづけた。とはいえ、需要のほうはさすがに生産性を十分に向上させるほどには拡大しなかった。結果的に、不十分な需要を増大する外国人労働者とネイティブなイギリス国民がシェアするかたちになり、生産性が低迷を続けたとしか解釈できないのである。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 生産性向上こそが実質賃金を増大させる

 2004年、2006年の旧東ヨーロッパ諸国のEU加盟以降、イギリスには毎年、数十万人単位で外国人労働者が流入しつづけた。 イギリスに外国人労働者が入らなかった場合、イギリス国民は2パーセント前後で成長を続ける経済=需要を、限られた生産者数で満たさざるをえない状況になる。
 生産者が増えず、需要が拡大している以上、生産性向上は必須だった。 昨今の生産性の停滞は起こらず、イギリス国民の実質賃金は着実に増加を続けたはずだ。
 むろん、イギリスの生産者の生産性が向上しないというケースも考えられる。外国人労働者が流入せず、生産性も伸びない場合は、たんにイギリス経済の成長率が抑えられるだけの話である。

安倍政権の移民政策はたき火に火薬を放り込むようなもの
 日本に話をもどす。
 繰り返すが、わが国は1997年の橋本緊縮財政以降、国民経済がデフレ化していった。実質賃金が停滞するどころか、15パーセント超も下落するような事態になった。
 むろん、経済成長率も低迷。日本のGDPは、経済の絶頂期であった1995年から97年にかけて、1カ国で世界の17パーセントを占めていた。
 その後、デフレ下で経済規模がまったく拡大しなくなり、反対側で世界経済はふつうに成長していった。直近の日本のGDPが世界に占めるシェアは、わずか5.6パーセントにまで縮小してしまった。
 実質賃金の下落が続き、経済規模が拡大しないデフレに苦しむわが国が、さらなる賃金切り下げ競争を招く移民受け入れを拡大している。わが国はこのままでは、低所得しか稼げない多数派日本人+外国人と、それ以外の少数の高所得者層に二極化し、国民統合が壊れていくことになるだろう。
 しかも、デフレの国が移民を受け入れ、実質賃金の低下や所得格差の拡大が進むと、社会は不安定にならざるをえない。なにしろ、ほぼすべての国民が等しく貧しくなっていくのが、デフレの特徴なのだ。
 デフレの国では、実質賃金が低迷し、人びとが貧困化というきわめて厳しい状況に追い込まれる。貧困化した人びとは、モノやサービスを買わない。結果的に、 総需要 (モノやサービスの購入)が不足しつづけ、デフレが延々と続くことになるのだが、貧困化の過程で、人びとはみずからのなかに鬱結した思い、妬み、嫉み、恨み、不満、憎悪などをためこんでいく。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 安倍政権の移民政策はたき火に火薬を放り込むようなもの

 特定の誰か、あるいは何かといった憎しみの対象があるわけではない。働いても所得が増えず、将来も増える見込みがない。 人びとは社会に対し、漠然とした恨みや憎しみを蓄積していく。すなわち、ルサンチマンである。
 ルサンチマンを抱えた国民が増えると、その国では人びとの怒りをぶつける「特定の敵」を設定し、それを攻撃するかたちで支持率を高める「ルサンチマン・プロパガンダ」が大流行することになる。わが国においても、土木・建設業者、公務員、農協、医師会、電力会社などなど、次々に敵がつくられ、彼らを攻撃するスタイルの政治家が支持を高め、社会が壊れていった。
 本来は助け合わなければならない国民どうしが、いがみ合い、ののしり合う。 運命共同体であるほかの国民を敵に設定し、それを攻撃する政治家をヒーロー扱いし、自分のルサンチマンが晴らされた気になった国民が喝采する。
 とはいえ、ルサンチマンの原因は特定の既得権益とやらではなく、デフレと貧困化である。同じ国民の足を引っ張ったところで、みずからの所得が増えるわけではない。 デフレが継続するかぎり、貧困化は続き、ルサンチマンは蓄積されるいっぽうだ。
 その状況で外国人労働者の受け入れを拡大した日には、何事が生じるだろうか。 イギリスの例からもわかるとおり、十分な需要の拡大がない状況で外国人労働者の受け入れを増やすと、生産性はむしろ低下し、実質賃金は低迷する。
 もともと多くの国民の胸のうちに、貧困化を主因とするルサンチマンがたまっている。その状況で外国人労働者との賃金切り下げ競争が発生した場合、国民どうしのいがみ合いに加え、移民との軋轢も強くなっていく。
 当然ながら、ナチスのごとく、ルサンチマンの原因を特定民族という敵に求め、彼らを攻撃することで支持を集める政治家も出現することになるだろう。すなわち、社会が、国家が、壊れていく。 デフレという貧困化に国民が苦しんでいる国が移民を受け入れるなど、たき火に火薬を放り込むような話なのだ。

韓国で起こった異様な就職キャンペーン
 ところで、冒頭の記事によると、2014年の外国人労働者の流入では、韓国が41万人で日本を上まわっている。
 現在の世界では、主要国の若年層失業率が異様な水準にまで悪化している。世界各国は、日本というほとんど唯一の例外を除き、若者の雇用の場が十分に存在しないという問題を抱えているのだ。
 韓国にしても、例外ではない。韓国の若年層失業率は、図3-4のとおり、2015年の数字で10パーセントを超えている。2016年の韓国の青年失業率は9.8パーセント(韓国統計庁)と、過去最悪を記録した。
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 2015年が10パーセント超であるのに対し、2016年が9.8パーセントならば「改善しているではないか」と思われたかもしれないが、じつは韓国の青年失業率とは、対象を若年層(15~24歳)から青年層(15~29歳)に拡大した数値なのだ。
 当たり前だが、25~29歳の若者は、24歳以下よりも職についている確率が高い。 当然ながら、青年失業率で若者の雇用状況を発表したほうが、若年層失業率よりも数字がよく見えるのである(韓国はこの類の統計マジックを多用する)。
 韓国の青年失業率が過去最悪を記録した以上、2016年の韓国の若年層失業率が2015年よりも悪化したのは確実である。ちなみに、2015年の韓国の青年失業率は9.2パーセントであったため、0.6パーセントの悪化だ。
 実際、韓国貿易協会は、深刻化する若者の就職難を受け、2016年3月に「就職難にあえぐ韓国の若者の日本への就職を支援しよう」と、狂気としか呼びようがない方針を打ち出している。
 ちなみに、2016年7月時点で、日本の不法残留者数は6万3492人だったのだが、国籍別の首位は韓国(1万3180人)で、中国 (8592人)を上まわっていた。日本に不法滞在している韓国人が、仕事をしていないとはとうてい思えない。ふつうに外国人労働者と化しているのだろう。
 なぜ、韓国は若年層失業率が2桁に達し、日本に出稼ぎに出ている国民が少なくない状況であるにもかかわらず、外国人労働者を日本以上に受け入れているのだろうか。
 いわゆる単純労働の生産性を上げず、賃金水準が低迷し、韓国の大卒の若者たち (韓国の大学進学率は70パーセントと世界最高)がその種の職に就かず、 人手不足と若年層失業率の上昇が同時発生しているのだ。
 賃金を上げたくない企業側は、生産性向上のための投資をせず、外国人労働者を安い賃金で雇用する。結果、職にあぶれた(というより、その種の職に就きたがらない) 韓国の若者が若年層失業者と化す。
 結果、外国人労働者を年間に4万人も受け入れていながら、韓国貿易協会が「日本で就職しよう!」という異様なキャンペーンを展開する。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 韓国で起こった異様な就職キャンペーン

 正しい道は、単純労働と考えられている職の生産性を高め、実質賃金を上昇させ、国民が雇用され、大いに所得を稼ぐことである。それにもかかわらず、その道は進まない。若年層失業率の上昇と人手不足が同時進行し、外国人労働者を日本以上に受け入れていながら、同時に外国人労働者の送り出し国になっている。
 グローバリズムに国家をゆがめられた韓国は、日本の未来だ。繰り返すが、グローバリズムとはモノ、ヒト、カネの国境を越えた移動を自由化することを意味する。とくに問題になるのが、ヒトの移動の自由化、カネの移動の自由化である。
 ここでいうカネとは、資本移動の自由、とくに対外直接投資の自由化を意味している。 対外直接投資とは、おもに外国に工場などの生産拠点を建設することである。

グローバリストには規制緩和も自由貿易も御題目にすぎない
 そもそも、グローバリズムの信奉者、いわゆるグローバリストは、なぜ移民の受け入れや、対外直接投資の拡大を善とするのだろうか。
 理由は、きわめてシンプルだ。そちらのほうが利益が増えるためである。
 グローバル投資家からの人件費削減の圧力や、円高などの輸出環境の悪化を受けた日本企業がさらなる利益拡大を追求し、国内の工場を閉鎖。 対外直接投資を実施し、生産拠点を外国に移してしまう。もちろん、日本企業でいえば、日本国内よりも人件費が安い国に工場をもっていくのである。
 そもそも、 株式会社とは利益最大化を目的とした事業体だ。政府が何らかの規制(資本移動の規制など)をかけないかぎり、企業が利益を膨らませるために対外直接投資を増やすのを防ぐことは、ほとんど不可能に近い。
 図3-5のAが先進国の労働コスト、Bが後発国の労働コストである。
 現在はグローバルスタンダードの時代だ。先進国であろうが後発国であろうが、仕様を守りさえすれば、基本的には同じ製品が産出される。企業が工場を後発国に移すと、「P=A-B」で計算されるぶんの利益余剰が投資家や経営者などに移転されることになる。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN グローバリストには規制緩和も自由貿易も御題目にすぎない

 また、後発国側の労働者は、これまでは雇用の場がなく、所得を稼ぐ術があまりなかった。その状況で先進国から生産拠点が移ってくると、工場などで働き、豊かになる機会を得ることができる。
 投資家や経営者、後発国の労働者などが所得を増やす反対側で、先進国から雇用の場が失われる。工場で職を得ていた労働者は失業者と化す。 結果的に、第1章の図1-1のとおり、エレファントカーブが描かれることになる。
 注意が必要なのは、資本移動の自由や対外直接投資を推進するグローバリストは、べつに日本国民を「失業者にしてやろう」などと、悪意をもっているわけでも何でもないという点である。
 もちろん、グローバリストもいろいろであるため、日本の失業率を引き上げることを望む奇怪なイデオロギーにとりつかれている者もいるかもしれない。とはいえ、100パーセントに近いグローバリストにとって、日本で失業が増えようが減ろうが、どうでもいい話であろう。
 彼らが望むのは、ただ一つ。自分の利益を最大化することである。グローバリストは、政府の規制を敵視する。べつに、規制というアイコンそのものを憎んでいるわけではない。政府の規制があるため、自分の利益を最大化できないからこそ、 批判的な主張を展開しているにすぎない。
 なによりの証拠に、わが国では2011年3月11日の東日本大震災、福島第一原発の事故というショックを受け、全国の原発が不法に停止させられ、ある種の規制であるとしか思えない再生可能エネルギー固定価格買取制度(FIT)が始まった。いわゆるショック・ドクトリン(惨事便乗型政策転換)である。
 原発を停止したことで、日本の電力サービスでは安定的な電源が不足する事態となった。 太陽光や風力といった自然エネルギーが安定電源にならないことなど、小学生でも理解できるだろう。
 ところが、原発事故で日本国民がショックを受けているどさくさに紛れて、再生可能エネルギー特別措置法が成立し、2012年7月からFITが開始された。FITは、わが国のエネルギー安全保障や電力サービスの安定化にまるで役立たないどころか、むしろサービス不安定化をもたらす太陽光・風力発電の電気を、需要と無関係に全量、電力会社が買い取り、消費者が「再生可能エネルギー賦課金」として代金を負担するという、とんでもない制度である。
 読者は意識していないかもしれないが、日本に居住しているかぎり、再生可能エネルギー賦課金の負担から逃れることは、誰にもできない。しかもFIT事業者は、市場における需要と無関係に、とにかく発電すれば電力会社に買い取ってもらえる。これほど市場原理に反した制度はない。
 2017年4月、電力中央研究所はFITの買い取り費用が2030年度には4兆7000億円になり、政府想定を最大1兆円上まわるとの試算を示した。 2030年度の国民負担額(賦課金)は年間3兆6000億円に達し、2016年度と比較し倍増するとのことである。
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 FIT導入による、標準的な家庭(1カ月の電力使用量が260kWh)の月額再生可能エネルギー賦課金は、2016年度が585円、年額では7020円。なんと2030年には、私たちは年間で平均1万5000円の再生可能エネルギー賦課金を負担させられることになるわけだ。
 FITを導入したのは、常日頃は「規制緩和、規制緩和」と言っているグローバリストたちになる。彼らの論旨がいかに欺瞞に満ちているかがわかるだろう。要は、儲かれば何でもいいのだ。
 FITは、電力会社に対して市場や需要とは無関係に再生可能エネルギーの購入を義務づけ、私たち一般の消費者に負担を押しつけることを強制する制度だ。すなわち、規制である。
 要するに、グローバリストにとっては、規制緩和も自由貿易も、市場原理も小さな政府論も、たんなる御題目にすぎないのだ。みずからの利益最大化に貢献しうるのであれば、明らかな規制強化であるFITに対しても喜んで賛成する。

短期の利益重視が移民受け入れを煽っている
 移民の受け入れについても、同じ文脈から理解することが可能だ。移民を受け入れることで、「日本を日本人以外の国にしてやる!」などという奇怪なことを考えている人は、まずいないだろう。移民推進派の多くは、たんに「人手不足解消のために、移民の受け入れが必要だ」と、むしろ善意から移民を推進している。
 現在の日本は、たしかに人手不足が進行中だ。というよりも、進んで当然なのである。なにしろ少子高齢化の影響で、生産年齢人口(15~64歳) の総人口に占める割合が減少していっている。
 じつは、日本の人口減少ペースは、ほかの人口減少国とくらべると「誤差」といっても過言ではない程度の速さにすぎない。2017年4月に総務省が発表した「人口推計」によると、2016年11月1日時点の総人口は1億2693万7000人。前年比15万8000人の減少ではあるが、 減少率でいえば0.12パーセントにも満たない。
 日本はたしかに2010年をピークに総人口が減っていっているが、減少ペース自体は大したことがない。人口減少国の代表であるジョージア(旧グルジア)は、なんと昨今の人口減少率が毎年1.3パーセント。また、ラトビアは1.1パーセントである。世界には、日本を上まわるペースで人口が減っている国が、なんと18カ国もあるのだ(自分で調べてびっくりした)。
 ジョージアやラトビアにくらべると、日本の総人口の減少ペースは間違いなく誤差レベルだ。とはいえ、わが国の生産年齢人口の減少ペースは、これはたしかに速い。なにしろ少子化であるため、生産年齢人口は総人口の数倍のペースで減っていっている。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 短期の利益重視が移民受け入れを煽っている

 結果、ピークの1992年には69.78パーセントだった生産年齢人口比率(総人口に占める生産年齢人口の割合)は、2016年10月時点では60.3パーセント (総務省「人口推計」)と、6割を割り込む直前になっている。
 生産年齢人口比率が低下すれば、それはまあ、人手不足になるであろう。とはいえ、人手不足であるならば、ふつうに生産性向上のための投資をすればすむ話だ。 人手不足を生産性向上で埋めることこそが、資本主義の王道なのである。そして、生産性向上は設備投資、人材投資、公共投資、技術投資という四つの投資によってしか実現できない(第6章参照)。
 それにもかかわらず、わが国では「人手不足だから移民」という幼稚な主張があとを絶たない。理由の一つは、長引くデフレにより、人手不足を生産性向上のための投資で埋めるという資本主義の王道を、多くの国民が忘れ去ってしまっていることだろう。
 とはいえ、ほかにも理由がある。とくに、学者や財界人といった人びとが移民受け入れを主張するのは、
「生産性向上で国民の賃金が上昇すると、企業の利益を最大化できなくなる」
 と、邪なことを考えているためである。
 日本経済団体連合会(経団連)に加盟するような大企業の経営者たちが、「日本を移民国家化してやろう」という奇妙なイデオロギーに洗脳されているという話ではあるまい。 たんにグローバリズムを思考停止的に信奉し、人件費が高くなることは悪であるという認識をもっているにすぎないのだ。
 経団連の榊原定征会長は2015年7月23日、人口減少を受けて、
「移民に頼らざるをえない。(閉じている) ドアを開けにいかないといけない」(「日本経済新聞」
2015年7月23日付)
 と発言した。
 資本主義の基本は、人手不足を、設備投資、人材投資、公共投資、技術投資という生産性向上により埋めることだ。榊原会長は明白に、「反・資本主義者」である。
 さらに、榊原会長は2017年4月10日の記者会見で、
「(人手不足が)今後さらに深刻になる。いまの外国人労働者の規模では足りなくなる」
「海外の労働力の活用を長期的に検討していく必要がある」
 と語り、対策の一例として「日系人に日本で働いてもらう」ことをあげた(「日本経済新聞」2017年4月10日付)。
 何というか、人間を人材ではなく労働力としか見ていないとしか思えない。もっとも、榊原会長は、べつに日本国に対する悪意に基づき、こうした発言をしたわけではあるまい。
 グローバル株主資本主義に支配された企業は、たとえ日本企業であっても短期の利益を重視せざるをえない。なにしろ短期の利益を稼がなければ、株主への配当金を支払えず、自社株買いもできないのだ。 株主の利益最大化に貢献しなかった企業経営者は、 株主総会でつるし上げられかねない。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 短期の利益重視が移民受け入れを煽っている

 結局のところ、グローバリズムに席巻された世界では、企業にとってリスク、コストとなる設備投資、人材投資、技術投資にお金を使うことは困難なのである。たとえば、技術投資の場合、その技術にお金を支出したとして、将来、いくらの利益をもたらすのか、その時点で断言することは誰にもできない。
 将来において、利益をもたらす可能性がある設備投資や技術投資。
 現時点において、利益をもたらすことが確実な人件費の削減。
 この二つを秤にかけて、短期利益となる経営が推進されているのが、グローバル株主資本主義に支配された資本主義というわけだ。結果的に、経団連に代表される大手企業の政治団体が、既得権益として政権に対して影響力を行使し、移民受け入れを拡大させているわけである。
 2012年末の第2次安倍政権発足以降、対外直接投資は9兆4000億円(2012年)から、2016年には18兆4000億円へと約9兆円増えた。2016年度の企業から株主に向けた配当総額は11兆8000億円と、過去最高を更新。 リーマンショックの影響を受けた2009年度とくらべると、倍増した。さらに、外国人労働者は2012年の約68万人から、2016年には約108万人へと激増。
 この種のグローバル株主(のみ)を利する動きは、べつに日本国を亡国に追い込む、あるいは移民国家化するといった目的で推進されているわけではない。たんにグローバル投資家に支配された企業が利益最大化につながる政策を望み、政治家がそれに抗えなくなっていることが主因なのだ。

お金にならないものは否定する情けない政治
 それどころか、昨今は政府までもがグローバリズムの思想に染められ、経世済民ではなく、利益最大化を念頭に政策を推進するようになってしまった。典型的な例を一つ、取り上げよう。
 2017年4月16日、山本幸三地方創生担当大臣が滋賀県大津市で行った講演後、観光を生かした地方創生に関する質疑のなかで、
「一番のがんは文化学芸員といわれる人たちだ。観光マインドがまったくない。一掃しなければだめだ」
 と発言した。
 日本に本当に“がん”があるとすれば、それは学芸員ではなく、山本地方創生相に代表される、文化、学問、技術などの貴重さをまったく理解せず、短期で利益にならないものは不要と切り捨てる愚かな政治家たちである。
 ちなみに、山本氏は2013年9月12日、自身のブログに次のような文章をのせている。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN お金にならないものは否定する情けない政治

   私の結論は、「デフレ脱却と消費税増税は全く関係ない。」ということである。その理由は、「デフレは貨幣現象であるので、金融政策がしっかりしてさえいれば、必ず脱却できる。」という点にある。
  (http://www.yamamotokozo.com/2013/09/130912report/)

 山本氏は、デフレが貨幣現象であり、消費税増税をしても問題はないという主張を広め、2014年4月の消費税増税に貢献した、つまりは国民貧困化を推進した戦犯の一人である。デフレが貨幣現象であるならば、たしかに消費税増税は関係ない。ある意味で、当時の山本氏は首尾一貫したといえないことはない。考え方が根本から間違っているのが致命的ではあるが。
 それに対し、筆者はつねに、こう発言している。
「デフレは貨幣現象ではない。総需要の不足という経済現象だ。 消費税増税は総需要を縮小させるため、デフレ化政策である」と。
 山本氏と筆者、どちらが正しかったのか。すでに結論は出ている。
 それはともかく、学芸員は、博物館資料の収集、保管、展示および調査研究その他これと関連する事業を行う、博物館法に定められた、博物館に置かれる専門的職員を意味する。当たり前だが、日本国にはお金や利益にならなかったとしても、あるいは博物館が観光資源にならなかったとしても、残さなければならない風土、風俗、風物、伝統、芸術、芸能、遺跡出土品などが山のように存在する。なにしろわが国は、世界でもっとも長い歴史を紡いでいる国なのだ。
 この種の、お金にはならないが残さなければならない大切なものを守っている学芸員を、山本地方創生相は「一掃しなければだめだ」と言ってのける。とりあえず、山本氏のような政治家を一掃したほうが、間違いなくわが国のためである。
 全国から猛批判を受けた山本地方創生相は翌4月17日、「学芸員はがん」発言を撤回し、謝罪した。いったい、山本地方創生相の発言の裏には何があったのか。
 山本地方創生相は大津市での講演において、「自分たちだけがわかっていればいい、わからないなら来なくていいよ、というのが学芸員の連中だ。 この連中を一掃しないとだめ」と学芸員を批判した。
 もちろん、「自分たちだけがわかっていればいい、わからないなら来なくていい」と思っている学芸員もゼロではないだろう。とはいえ、ミクロな事例を強調し、マクロ的に全否定する手法は、いわゆる「木を見せて、森を見せない」 プロパガンダそのものである。この種のプロパガンダ大国の大臣たる者が使うなど、恥ずべきこととしか表現のしようがない。
 日本のマスコミは、
「鹿しか通らない道路がある。だから、公共事業は無駄だ」
「政治家とつるんで談合した業者がいる。だから、談合は悪だ」
 といった、木を見せて森を見せないプロパガンダを多用し、わが国を壊してきた。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN お金にならないものは否定する情けない政治

 山本地方創生相の発言は、日本を壊しつづけてきたマスコミ連中と同じ手法なのであるが、それ以前の問題として、山本発言の裏に何があるのか。おもに二つあげておく。

 ①とにもかくにも、お金を使うことを悪とする緊縮思想
 ②利益になるものは善、利益にならないものは悪と考える、きわめて貧相な価値観

 緊縮思想に加え、利益、お金儲けにならないものを否定しようとする発想が山本地方創生相にあったからこそ、「学芸員はがん」発言に結びついたと確信している。
 繰り返しになるが、日本国には利益、お金儲けにならなかったとしても、残さなければならない風土、風俗、風物、伝統、芸術、芸能、遺跡出土品などが山のようにある。むろん、この種の文化までをもビジネスのネタと見なす場合、訪問客が少ない博物館は無駄ということで予算カットの対象となるのだろう。
 本当にそんな貧しい価値観でいいのだろうか。ここでいう貧しいとは、お金の話ではなく、人類として文明を維持、発展させるという、より高次元の価値観の問題になる。
 たしかに、個人や企業にとって、お金は大事なのかもしれない。とはいえ、わが国のすばらき文化、文明は、「短期的な利益よりも大切なものがある」と、個人的な利益を無視して支出をしてきた膨大な先人たちによって構築されたという事実を、日本国民は忘れるべきではな
 それにもかかわらず、現在の日本政府は「カネ、カネ、カネ」である。 お金にならないものは悪とし、政府はひたすら緊縮するという情けない政治が続いている。結果、地方創生は本来は、地方の交通インフラを整備することが中心に置かれるべきが、「外国人に観光にきていただく」(いわゆるインバウンド)という、まるで発展途上国のごとき情けない政策が中心になっているありさまだ。
 実際の日本政府には財政問題などないにもかかわらず、「日本は財政破綻する」という間違った情報に基づき、政治家までもが「カネ、カネ、カネ」とグローバリズムそのままの価値観で思考し、発言する。
 山本地方創生相の発言は、日本国を亡国に追い込む、「文明を壊すグローバリズム」の象徴なのである。日本において、グローバリズムは移民国家化を推進すると同時に、世界に冠たる日本文明を破壊する価値観であると認識するべきだ。

安く働く労働力として確保される技能実習生
 ところで、日本政府は、おもに四つのルートで移民の受け入れを拡大している。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 安く働く労働力として確保される技能実習生

 ①外国人技能実習制度の拡大
 ②国家戦略特区
 ③高度外国人材の受け入れ拡大
 ④外国人留学生の就労

 さらに、難民認定の偽装申請により、日本で外国人労働者として働く者も少なくない。このうち、とくに外国人労働者(事実上の) の実数が多いのが、やはり技能実習生と留学生である。
 まずは、技能実習生の現状から解説する。
 技能実習生とは、いわゆる外国人労働者ではない。いや、厳密には外国人労働者ではないということになっている、移民だ。 技能実習生の建前は、厚生労働省によると、「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う『人づくり』に協力することを目的とする」となっている。
 要するに、先進国・日本(筆者は日本国が先進国なのかどうか、もはや自信がもてなくなっているが)が発展途上国などの若者を受け入れ、一定の期間にかぎり技能実習の在留資格を与え、わが国の現場で労働を経験し、技能などを習得してもらう制度である。とはいえ、現実には、技能実習生は現場で安く働く労働力として重宝されているのが実情だ。
 技能実習生は、滞在期間によって技能実習1号 (1年目)、技能実習2号 (2年~3年目)、技能実習3号(4年~5年目)の三つに区分されている。 技能実習1号は、原則2ヵ月の座学講習を受け、その後、特定企業で実習に移る。 実習と呼ばれているものの、その多くが単純労働であることはいうまでもない。
 1年の講習および実習を受けた技能実習1号実習生は、実技試験、学科試験に合格すると、技能実習2号に移る。 表向きは、技能実習2号の対象職種は「送出国のニーズがあり、公的な技能評価制度が整備されている職種」とされているが、技能実習2号への移行が可能な職種を見るかぎり、わが国で人手不足が深刻化している職種が対象であるとしか思えない。
 技能実習2号に移行することが可能な職種は、次の七つに分類されている。

 ・農業関係 (2職種6作業)
 ・漁業関係 (2職種9作業)
 ・建設関係 (21職種31作業)
 ・食品製造関係(9職種14作業)
 ・繊維・衣服関係(13職種22作業)
機械・金属関係 (15職種27作業)
 ・その他(家具製作、印刷、製本、プラスチック成形、強化プラスチック成形、塗装、溶接、工業包装、紙器・段ボール箱製造、陶磁器工業製品製造、自動車整備、 ビルクリーニング)
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 安く働く労働力として確保される技能実習生

 たとえば建設関係を見ると、パーカッション式さく井工事作業、ロータリー式さく井工事作業、ダクト板金作業、冷凍空気調和機器施工作業、木製建具手加工作業、大工工事作業、 型枠工事作業、鉄筋組立て作業、とび作業などなど、作業や業務が細分化され、技能実習生を雇用(事実上)してもいい分野が決められている。
 さて、技能実習1号、技能実習2号として計3年間働いた技能実習生は、所定の技能評価試験に合格すると技能実習3号に移行し、追加的に2年間、日本で働くことが可能になる。2016年11月に技能実習法(外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律)が公布されたことを受けた措置である。
 もともと第2次安倍政権発足後、国土交通省が 「外国人建設就労者受入事業」として、増大する建設需要に対応すべく人材確保を理由に建設分野において実習期間の2年延長を認めていた。さらに、技能実習法により、技能実習2号に移行できる対象職種すべてにおいて、特定の条件を満たすことで実習期間の2年延長が認められることになった。
 図3-6のとおり、2016年末時点で、日本には約23万人の外国人技能実習生が在留している。東日本大震災と福島第一原発の事故を受け、一時的に技能実習生の数は15万人を切った。その後は着実に増えていき、ついに20万人を突破したのである。
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 技能実習生を国籍別に見ると、2015年までは中国がトップであった。 2016年にはベトナムからの技能実習生が激増し、中国を抜き去った(図3-7)。

海自の艦船が中国人にメンテナンスされる!?
 さて、外国人技能実習生は、表向きは「外国人労働者ではない」という話になっている。そのため、実習期間が終了すれば「ご帰国いただく」のが建前である。
 とはいえ、現実には技能実習生の失踪が続発し、社会問題化しつつある。報道(産経ニュース」 2016年10月31日付)によると、法務省が2015年は技能実習生の失踪が5800人を上まわり、過去最多を更新したことを発表。 2011年からの5年間で、計1万人超が失踪しているという。ちなみに、失踪者の約半分が中国人だ。
 失踪した技能実習生は、その多くが不法滞在者となっており、国内の治安に影響を与えかねないと、日本の捜査当局は警戒を強めている。 技能実習生の失踪者数は、2011年には1534人だったのだが、年々増加。 5年間で、じつに4倍弱にまで膨らんだ。
 技能実習生が帰国せず、国内の不法滞在者となる。 不法滞在である以上、まともな職には就けない。結果的に日本の治安が悪化するとなると、ものの見事に「移民政策のトリレンマ」である。
 そもそも技能実習制度は、日本で働く外国人労働者に対して残酷な制度だ。 外国人を短期で流入させ、技能実習生という欺瞞の制度により、事実上の労働者として働かせる(多くが最低賃金だ)。あげくのはてに、実習期間が終われば「ハイ、さようなら」と帰国させる制度自体が、著しく自己中心的であるように思えてならない。
 外国人技能実習生はロボットではない。人間なのである。
 もちろん、技能実習生をそのまま外国人労働者として雇用し、帰国させなければいい、という話ではない。 技能実習生という問題ある制度においてすら、わが国の外国人労働者の数は着実に増えつづけているのだ。
 外国人労働者(事実上の)の雇用に実習期限などの縛りがない場合、日本の移民国家化は回避できなくなってしまう。
 また、わが国はすでに安全保障と関係が深い分野においてまで、外国人技能実習生を雇用していっている。たとえば、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会に向けた外国人建設就労者受入事業により、すでに防災安全保障と密接に関係がある土木・建設分野において、技能実習生を最大5年、雇用できるようになった。
 さらに、日本政府は2014年6月、「造船分野における外国人材の活用に係る緊急措置」(外国人造船就労者受入事業)を閣議決定し、造船産業における技能実習生の雇用を解禁したのだ。
 造船産業は、海上自衛隊や海上保安庁の艦船の建造や整備も行っている。日本の海自や海保の船が、仮想敵国である中国の技能実習生によりメンテナンスされることになるのだろうか。とんだブラックジョークである。
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中国人の介護で老後を過ごす時代がやってくる
 加えて、日本政府は技能実習法により、技能実習制度に介護職種を追加した。介護というコミュニケーションがきわめて重要な分野にまで、外国人労働者が大々的に導入されるわけである。
 厚生労働省は介護職種の追加について、「技能実習制度への介護職種の追加に関するQ&A」のなかで、次のように説明している。
「技能実習制度は、開発途上地域等への技能等の移転を図り、その経済発展を担う『人づくり』に協力することを目的とする制度として、我が国の国際貢献において重要な役割を果たしているものです。
 技能実習制度への介護職種の追加についても、技能実習制度の趣旨に沿って「人材育成を通開発途上地域等への技能等の移転による国際協力の推進を図ることを目的』とするものであり、介護人材の不足への対応を目的とするものではありません」
 このような説明を信じる日本人は、一人もいないだろう。なにしろ、2016年11月時点の介護職の有効求人倍率は3.4倍(!)。求職者1人に対し求人が3.4件あるのである。とてつもない人手不足といえる。
 そもそも介護は、現在の日本において、ほとんど唯一、需要が増えつづけている産業分野なのである。図3-8のとおり、2006年以降、製造業や建設業といった分野の就業者数が減少するなか、医療・福祉のみが一貫して増えつづけている。
 もちろん、高齢化が進み、介護分野の需要が激増しているためだ。なにしろ2006年と比較して、直近の医療・福祉分野の就業者数は200万人以上も増えたのである。
 高齢化の進展で、介護の需要は今後もしばらくは膨張していくことになる。とはいえ、少子化であるため、わが国は生産年齢人口比率が下がっていっている。 介護分野が人手不足になるのは、ある意味で必然である。
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 しかも日本政府は2014年度以降、介護報酬を削減するという緊縮政策を強行した。 結果的に介護分野の人件費が上がらず、生産性向上のための投資もできず、現場は極端なまでの人手不足にあえいでいる。厚生労働省によると、2016年の施設で働く介護職員の平均月給は21万5200円。対前年比で4800円増えたものの、全産業平均(30万4000円)と比較すると、8万8800円も下まわっている。
 月額で産業平均と8万円を超す格差があるのだ。 これで人手不足にならなければ、そちらのほうが不思議である。 施設に勤務しない介護職員の場合、ホームヘルパーが平均月給21万3000円、ケアマネジャーが25万5800円であった。
 介護報酬が切りつめられ、介護の現場は給料を上げられない。結果的に、介護福祉士として登録していながら、実際には介護産業で働いていない人が増えている。2013年の数字でいえば、介護福祉士の従事者数が約66万人に対し、従事していない登録者数が約53万人にのぼる。
 厚生労働省が2015年に公表した介護人材の需給推計によると、団塊の世代が75歳を超える2025年、全国で約38万人の人材不足が生じるとのことである。いわゆる2025年問題だが、解決策は「外国人労働者の受け入れ」ではないだろう。介護のようにナイーブな業界で外国人労働者(技能実習生という名目であったとしても)を受け入れ、問題が起こらないと思うほうがおかしい。
 まずは介護福祉士として登録しているにもかかわらず、 介護職から離れてしまった日本人を呼びもどすことが先決なのではないか。そのためには、介護報酬を引き上げ、人件費を最低でも産業平均並みに引き上げるしかない。
 ところが、緊縮財政路線を突き進む安倍政権は、逆に介護報酬を引き下げた。 負担はすべて介護の現場に向かった。 人件費が上がらず、現場で働く人びとがすさみ、痛ましい事件がいくつも起こった。
 あげくのはてに、外国人技能実習制度を介護分野にまで拡大するという。
 あるべき姿は、「介護報酬を大幅に拡大し、介護従事者の賃金を引き上げ、従事していない介護福祉士の登録者を介護産業に呼びもどす」 であるにもかかわらず、現実には、「介護報酬を引き下げ、介護従事者の賃金を抑制し、 人手不足が悪化したことを受け、外国人労働者を入 される」という路線が採用されている。
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 われわれ日本国民は、安心して老後を過ごすという意味の安全までをも奪われようとしているわけだ。今後の日本の介護産業が、中国人労働者中心になっていく可能性を、現時点では誰も否定できない。
 中国人に介護され、老後を過ごす。何というか、寿命がつきる前に、別の原因で死を迎えそうな気がするが、いずれにせよ、なんとすばらしきハッピーライフであることか。
 政府が方針を転換し、 介護報酬が積み増しされた場合、介護分野において人件費が引き上げられ、ほかの業界で働いている介護福祉士が雇用されていく。 当たり前の話として、 人手不足が伝播していくことになる。
 それでいいのだ。 介護以外の業界が人手不足になれば、その分野においても生産性向上と実質賃金の引き上げが求められる。別の書き方をすると、人手不足こそが生産性向上という資本主義経済の成長の基本をうながすのである。

日本の政治は、いまや政商・グローバリストが動かしている
 ところで、安倍政権は先進国であるはずの日本国において、「国家戦略特区」といった発展途上国さながらの政策を推進している。 そもそも、特区構想とは、中国の深圳特区に代表されるように、発展途上国や新興経済諸国が特定の地域について各種の規制を緩和し、外国企業に「投資していただく」ことで経済成長をめざす戦略である。
 わが国は、資本も技術も人材も、十分に存在する。 お金の話をするならば、世界最大の対外純資産国である。つまりは、日本国はお金持ち国家なのだ。
 日本は、「外国様」に投資や人材を依存する必要はまったくない、経済大国なのである。特区を設定し、外国様に投資していただくことなく、経済成長はふつうに自国の資本で達成することが可能だ。
 それにもかかわらず、日本政府は国家戦略特区構想を成長戦略の目玉に据えている。特区を設定し、何を始めるのかといえば、外国人メイドの受け入れである。
「多くの女性が市場の主人公となるために、家事の補助などの分野に外国人のサポートが必要だ」
 安倍総理は2014年1月に、外国人による家事代行、わかりやすく書けば外国人メイドの解禁を提唱した。そして2017年、大阪府や神奈川県などの特区で外国人の家事代行サービスが始まる。
 日本において外国人メイド解禁を含む規制緩和を推進していたのは、人材派遣大手パソナグループの取締役会長である竹中平蔵氏だ。 竹中氏は2013年6月10日の田原総一朗氏との対談で、
「たとえば私の学生、とくに女子学生なんかに『いちばん欲しいものは何か』と聞くと、ほとんどの人がメイドさんだって言いますね。だって自分が働くには必要ですから」
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 と語っている。
 竹中氏は、本書執筆時点においても、未来投資会議 (旧産業競争力会議)の民間人(民間議員ではない)として政府の移民政策に影響力を行使できる立場にいる。ちなみに、未来投資会議における竹中氏の肩書は「東洋大学教授、慶應義塾大学名誉教授」となっており、なぜか「パソナグループ取締役会長」が省略されている。
 それはともかく、竹中氏が取締役会長を務めるパソナグループは、国家戦略特区で外国人メイドが解禁される前の時点で、フィリピンの人材派遣大手マグサイサイグローバルサービスと提携。日本における外国人メイドビジネスを立ち上げるべく、精力的に動いていた。
 2016年、国家戦略特区制度により、出入国管理法の特例として家事代行サービスを担う外国人に対し、ビザを発給することが認められた。結果、 東京都、大阪府、神奈川県の国家戦略特区で外国人メイドが解禁されることになり、2017年3月21日、パソナは来日したフィリピン人25人の入社式を都内で開いた。
 竹中氏が政府の諮問機関に入り、さまざまな影響力を行使することで、パソナの新規ビジネスが立ち上がることになったわけだ。めでたし、めでたし。
 筆者は、「女性が働けない社会は腐っているが、女性が働かざるをえない社会は、もっと腐っている」という価値観の持ち主だ。現実の日本は、「一億総活躍」 といった空虚なスローガンを政治家が叫び、女性を労働へと駆り立てている(べつに女性が働くことに反対しているわけではない)。
 配偶者控除も廃止が検討され、専業主婦がまるで悪いことであるかのごとき社会的な空気が醸成されつつある。 専業主婦までもが職場に駆り立てられると、当然ながら家事や育児が困難になっていく。結果、外国人メイドというビジネスが立ち上がり、竹中氏をはじめとするグローバリストが儲かる。
 まさに、政商たちの栄華だ。政商とは、特定の政治家や官僚と結びつき、自己利益最大化のために政治を動かし (たいていは規制緩和)、ビジネスを拡大しようとする勢力を意味する。本来、政府の目的は、国民を豊かにする経世済民である。経済の語源は、経世済民なのだ。
 それに対し、企業の目的は利益である。 営利企業を統べるため、企業を管理することを「経営」と呼ぶ。経済と経営は異なる概念だ。
 現実の世界では、政府が国民全体の豊かさを追求するがゆえ、特定の企業のビジネスチャンスをつぶすケースはふつうにありうる。政府と企業では目的が異なる以上、両者の利害が衝突することになっても、これはしかたがない話だ。
 むろん、政府は経世済民のためであれば、企業のビジネスを片端からつぶしていい、という話ではない。逆に、特定企業の利益最大化のために経世済民が無視されるのも問題だろう。政府と企業という目的が違う存在が綱引きすることで政治は動いていく。もっとも、民主主義国の場合は、国民の票で選ばれた政治家が政治をコントロールするため、本来であれば経世済民的な政策が優先的に推進されるはずだ。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 日本の政治は、いまや政商・グローバリストが動かしている

 なにしろ政商・グローバリストと一般国民とでは、人数の桁が違う。日本の場合、政商・グローバリスト側と国民は、人数比が1対100くらいの差はあるだろう。まともに情報が国民に伝わってしまうと、政商側に勝ち目はない。
 だからこそ、政商・グローバリスト側はメディアを使い、情報をコントロールし、政府の諮問会議に「民間議員」と称して乗り込み、みずからの利益を最大化する政治を推進させようとする。現在の日本の場合、未来投資会議や規制改革推進会議など、諮問会議の“民間人”たちが政治を動かしており、民主主義が成立していないも同然だ。
 その一つの好例が、外国人メイドの解禁というわけだ。外国人メイド解禁とは、要するに奴隷文化の導入なのである。あるいは階級社会の導入だ。
 日本国民は、はたして外国人メイドを「違う階級の人間」として管理し、彼女たちに命令する環境に耐えられるのだろうか。あるいは、「違う階級の人間」が自分たちのプライベート空間に入り込むことに慣れることが可能だろうか。
 まず確実に、無理だ。 そもそも、外国人メイドなどという一種の奴隷文化を、日本が受け入れる必要はないのだ。それにもかかわらず、安倍政権が、政商たちの新規ビジネス立ち上げのために政治を動かしているという現実が問題なのである。

日本の農業にも入り込んできている中国人
 国家戦略特区といえば、ついに農業分野において、技能実習生ではなく、外国人労働者を導入しようとする動きがある。
 秋田県の大潟村は、「外国人による農業専門人材確保」という国家戦略特区を申請している。髙橋浩人村長は、国家戦略特区の諮問会議に参加し、
「技能実習制度による農業分野の活用では対応しきれない現状に、農業分野の専門人材の就労ができるよう提案をしました」
 と、大潟村のWebサイト(村長のコラム)で報告している。 技能実習生ではなく、外国人労働者として農業分野に移民を受け入れたいという話だ。
 安倍政権は、2017年通常国会で成立をめざす国家戦略特区法改正案において、農業分野で外国人労働者の雇用を容易にする改革案を盛り込む方針を示している。加えて、安倍政権は農業分野における外国人雇用を、大潟村のような特区以外にも広めるつもりが満々のようである。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 日本の農業にも入り込んできている中国人

 先にも登場した山本地方創生相は、2017年3月7日、国家戦略特区のみで認めている農業の専門技術をもつ外国人の雇用について、将来的に特区以外でも認める規制改革を検討すると表明。さらにこう語っている。
「自民党でも、特区だけでなく(外国人が) ほしいという声が続発している。広げる方策も考えていかないといけない」(「日本経済新聞」 2017年3月7日付)
 農林水産省によると、日本の農業従事者は2016年2月時点で317万人。 10年前と比較すると、なんと208万人も減っている。 しかも農業従事者に65歳以上が占める割合は47パーセントで、急速に高齢化が進んでいる。同時に、 人手不足も深刻化している。
 たしかに、日本の農業は若年労働者が減り、高齢化が著しい。だからこそ、筆者は日本の農業分野における外国人雇用に猛反対しているのだ。日本の農業が高齢化しているからこそ、外国人雇用に依存してはならない。
 なぜだろうか。べつに難しい話ではない。
 たとえば、日本の農業に若い日本国民が次々に参入している状況ならば、国籍条項(中国を除く、など)付きで外国人を日本の農家が雇用することについて、それほど反対する気もない。とはいえ、現実の日本の農業は、若い人が参入しない状況が続いている。
「だから、外国人労働者を入れるしかない」と考えた人は、あまりにも幼稚というものだ。 少し考えてみれば、誰でもわかるはずだ。
 日本の農業の高齢化が進み、若者が参入しないことを理由に外国人を受け入れ、人手不足を解消したとしても、高齢者はまもなく引退するのだ。日本の農家の47パーセントを占める65 歳以上の多くは、40年以内には死亡する可能性が高い。少なくとも、農地で働くことは不可能になる。
 そうなると、高齢者がこの世を去るか、もしくは農業から引退したあとは、わが国の農業はおもに外国人によって担われる状況にならざるをえない。論理的に、必ずそうなる。
 しかも、日本に流入する移民の大半が中国人だ。将来的に、わが国は、農業生産のほとんど外国人(メインは中国人)に依存せざるをえなくなるわけである。まさに亡国の政策としか呼びようがない。
 農業分野における外国人労働者の受け入れは、典型的な移民政策のトリレンマである。移民政策により、私たちは食の安全を失っていくのだ。
 ところで、安倍首相は2016年9月、ニューヨークにおける講演で、こう宣言した。
「高度人材について、一定の条件を満たせば世界最速級のスピードで永住権を獲得できる国になる」
 安倍総理の意向を受け、日本政府は2017年3月から、「日本版高度外国人材グリーンカード」をスタートさせた。これまでは、高度人材は日本で5年間暮らせば永住許可を申請できた。それを学歴や年収などを点数化し、条件を満たした場合に、取得のために必要な在留期間を最短1年に短縮するというものだ。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 日本の農業にも入り込んできている中国人

 ちなみに、高度外国人材の総数は、本書執筆時点で4732人。総数に占める中国籍の割合は、なんと65パーセントと、明らかに突出している。安倍政権の「日本版高度外国人材グリーンカード」は、中国人に1年で永住権を与える政策であると総括できる。
 そもそも、わが国は本当に日本人の高度人材に不足しているのだろうか。外国の高度人材とやらに頼る前に、日本国民の高度人材を活用するほうが先ではないのか。高学歴ワーキングプア (学歴難民)といわれるポスドク問題が発生している国で、なにゆえに外国の高度人材とやらに供給能力を依存しなければならないのだろうか。
 それほどまでに、日本国民は優秀ではないのか。あるいは、わが国は、幕末から明治初期にかけての日本国のように、一時的に発展途上国 (技術力、あるいは生産性向上が不十分な国)に落ちぶれてしまったのか。
 そんなはずはない。日本国は、日本国民である高度人材の力により十分に経済成長が可能な国である。それだけの蓄積がなされている。 万が一、日本の高度人材の能力が不足し、需要に応えられないならば、やるべきことは高度外国人材の受け入れではないだろう。日本の若者を徹底的に教育し、世界に通用する高度人材に育成することだ。
 それにもかかわらず、日本政府は大学の予算を削り、教授ら研究者に短期の成果を求め、反対側で外国人(しかもメインは中国人)を入れようとする。これで日本国が安全な国家でありつづけたとしたら、まさに奇跡だ。
 ちなみに、財務省主導の緊縮財政の影響で、わが国の科学技術予算は削減されつづけている。諸外国が科学技術予算を大幅に伸ばすなか、日本は過去10年、停滞傾向にあり、大学や国立研究開発法人などの国際競争力は低下している。論文数も激減した。
 政府予算が削られ、高学歴ワーキングプアが社会問題化している状況で、優秀な若者が科学技術の分野に進むはずがない。 政府が政策的に日本人研究者を冷遇し、 高度人材が不足ぎみになったことを受け、 外国人を引き入れる(しかも中国人!)。
 本当に、それでいいのだろうか。

留学生を外国人労働力化する抜け道がある
 さて、地方の日本国民が東京のコンビニエンスストアで買い物をすると、店員の多くがいつのまにか外国人になっていることに驚愕することだろう。冗談でも何でもなく、店員の過半数が外国人労働者なのだ。
 コンビニエンスストアの店員は、技能実習生の対象職種に入っていない。それにもかかわらず、なぜ東京のコンビニが外国人店員だらけなのか。
 留学生のアルバイトという抜け道がつくられているためだ。 少子化により、定員割れになる大学が増えてきた。同時に、デフレの深刻化でコンビニの時給が据え置かれ、安い時給で働くアルバイトが減ってきた。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 留学生を外国人労働力化する抜け道がある

 正しい対処法は、完全自動レジ導入などの設備投資を実施し、 コンビニの省力化と時給の引き上げを実現し、アルバイトを呼び込むことだったはずだが、現実には留学生で大学の定員を埋め、彼らを外国人労働者としてコンビニが雇うという道が選択されている。
 同じ現象が外食産業でも起こっている。日本の外食産業、とくに低価格を売りにするチェーン店では外国人店員が激増している。
 日本で留学生として働く外国人の数は、2011年には10万人未満だったのが、2016年には12万人へと急増した。
 国籍別に留学生の外国人労働者を見ると、2016年10月時点で、技能実習生同様にベトナム人と中国人が1位と2位に位置している。また、産業別では、宿泊・飲食がトップで、 卸売・小売業が2位である(図3-10、図3-1)。
 法務省のデータによると、2016年12月末時点の外国人留学生の人数は27万7334人であった。外国人留学生の4人に3人が、外国人労働者としておもに飲食や小売(コンビニエンスストアなど)で働いていることになる。
 本来、留学生は日本に学びにきているはずである。とはいえ、現行法では、留学生は資格外活動許可を受けることで、アルバイトとして働くことが可能である。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 留学生を外国人労働力化する抜け道がある

 資格外活動許可とは、アルバイト先に風俗営業または風俗関係営業が含まれていないことを条件に、週に28時間以内を限度とし、包括的な労働許可(事実上の)を与えるという仕組みである。もちろん、資格外活動の許可を受けずにアルバイトに従事すると、不法就労となる。
 現実に20万人を超す留学生が、日本でアルバイト(外国人労働者)として働いている。 技能実習生と同様に、外国人留学生が日本における外国人労働の抜け道になっているのは間違いない。

日本の難民認定申請は外国人にとって悪用し放題
 ところで、抜け道といえば、さらにひどい話がある。 難民認定の偽装申請だ。2017年4月19日付の「読売新聞」から引用しよう。

   日本で難民認定を申請する人の増加が止まらない。2010年の運用改正で申請6か月後から一律に日本で就労できるようになったことに加え、13年以降、査証(ビザ)の発給要件が大幅に緩和されたことで、短期滞在ビザで来日した東南アジアからの申請者が急増したためだ。申請者の証言からは、ビザの緩和が就労目的の「偽装申請」に拍車をかけている実態が浮かび上がる(後略)。

 同記事には、日本で実際に偽装の難民認定申請をしている40代インドネシア人男性の、「私は難民ではない。後ろめたい気持ちはあるが、日本で働くためには仕方がない」というインタビューがのっていた。
 法務省によると、2016年の難民認定申請者数は、対前年比約44パーセント増(!)の1万901人(図3-12)。なにしろ申請を却下されても、繰り返し申請できる仕組みになっているため、難民認定申請者はうなぎ上りに増えている。
 信じがたい話だが、日本の難民認定制度は、申請が認められなかった場合であっても、何度でも再申請できるルールになっている。
 ちなみに、2016年の申請者が1万人を超えたのに対し、実際に難民として認定されたのはわずか30人弱だ。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 日本の難民認定申請は外国人にとって悪用し放題

 安倍政権が2013年に観光客誘致を目的にビザの発給要件を緩和したことを受け、「短期滞在ビザ」の難民認定申請者は、2011年の637人から、2016年には5395人に急増。短期ビザで入国し、虚偽の難民認定申請をすることでわが国に居座っている。
 ビザが緩和された国々の難民認定申請者は、たとえばインドネシアが17人(2014年)から1829人(2016年、以下同)に激増した。フィリピンが82人から1412人へ。 ベトナムが294人から1072人へ。
 2016年に、インドネシア、フィリピン、ベトナムの3カ国からの来訪者で、難民として認定された人の数はゼロ。
 日本の難民制度は、わが国で働きたい移民の「裏口」と化しているのだ。前出のインドネシア人男性は、「読売新聞」のインタビューに対し、かつて外国人技能実習制度で来日したことがあると話している。
 技能実習制度の場合、日本で働けるのは一度きりだ。それに対し、
「日本で難民認定申請をすると、ふたたび働くことができると知人に聞いた」
 と、彼はインタビューで語った。
 すでに、東南アジアなどの国々では、「日本で難民認定申請すれば合法的に働ける」という情報が広まっている。さらにアジア各国で、日本における難民認定申請のやり方をレクチャーするビジネスまでもが誕生しているありさまだ。
 2015年2月4日、日本の難民認定制度を悪用する手法について指南していたネパール人の男が、入管難民法違反(不法就労助長) 容疑で入国管理当局に摘発されたと報じられた(「読売新聞」)。男は、同胞のネパール人ら約100人に対し、偽装申請のやり方などを教えていた。形式上の書類をそろえ、再申請を繰り返すことで、日本で働きつづけるよう指南していたとのことである。
 日本は、早急にアジア諸国へのビザ発給要件を厳格化すると同時に、難民認定申請の半年後から合法的に働けるという「裏口」を廃止。短期ビザの要件を厳しくし、難民認定申請を却下された申請者は即刻帰国させる、というごく当たり前の措置を講じなければならない。
 その種のごく当たり前の措置すら、安倍政権は進めようとはしない。むろん、技能実習制度にせよ、 高度人材受け入れにせよ、留学生の資格外活動許可にせよ、べつに安倍政権が導入したわけではない。とはいえ、安倍政権が各制度の規制を緩和し、結果的に外国人労働者が激増したのは間違いない事実だ。
 さらに、安倍政権は国家戦略特区において、今度こそ本格的に外国人労働者の受け入れを始めようとしている。加えて、安倍政権の観光向けの短期ビザ規制緩和が偽装申請を激増させたのも、数値データによって裏づけられた明確な事実なのである。
 安倍政権は、日本の歴史上、最悪の移民受け入れ政権なのだ。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN 留学生を外国人労働力化する抜け道がある

 のちの歴史の教科書には、
「安倍政権により日本の移民国家化が始まった」
 と書かれることになるだろう。
 移民政策のトリレンマからは、誰も逃れることはできない。
 われわれ日本国民は安倍政権によって、安全な国家が国民の自由、もしくはその双方をあきらめなければならない状況に追い込まれることになるだろう。
『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 三橋貴明』 砂上の楼閣で終わる移民大国JAPAN  留学生を外国人労働力化する抜け道がある



『四コマ漫画 橋下の悪行、レントシーカー竹中』 橋下徹、大阪維新の会、大阪都構想、竹中平蔵、グローバリズム、新自由主義者、レントシーキング、道州制、緊縮財政維新、民営化(PFI)という私物化(外資化)、売国、国賊、一覧まとめ

少年回路オーバードライブ 四コマ漫画RV 橋下徹、大阪維新の会、竹中平蔵、大阪都構想、新自由主義、レントシーカー、道州制、国賊、一覧まとめ、TPP民営化

『四コマ漫画 橋下の悪行、レントシーカー竹中 (少年回路オーバードライブ)』 橋下徹、大阪維新の会、大阪都構想、竹中平蔵、グローバリズム、新自由主義者、レントシーキング、道州制、緊縮財政維新、民営化(PFI)という私物化(外資化)、売国、国賊、一覧まとめ

売国奴、国賊、レントシーカー。小泉に騙され、民主党に騙されたバカが、維新橋下徹に騙される

少年回路オーバードライブ 四コマ漫画RV 橋下徹、大阪維新の会、竹中平蔵、大阪都構想、新自由主義、レントシーカー、道州制、国賊、一覧まとめ、TPP民営化

『四コマ漫画 橋下の悪行、レントシーカー竹中 (少年回路オーバードライブ)』 橋下徹、大阪維新の会、大阪都構想、竹中平蔵、グローバリズム、新自由主義者、レントシーキング、道州制、緊縮財政維新、民営化(PFI)という私物化(外資化)、売国、国賊、一覧まとめ

『四コマ漫画 橋下の悪行、レントシーカー竹中 (少年回路オーバードライブ)』 橋下徹、大阪維新の会、大阪都構想、竹中平蔵、グローバリズム、新自由主義者、レントシーキング、道州制、緊縮財政維新、民営化(PFI)という私物化(外資化)、売国、国賊、一覧まとめ

レントシーカー、新自由主義者、竹中平蔵VS三橋貴明、テレビ愛知「激論コロシアム」、産業競争力会議において、竹中氏が「解雇自由化」などを提言し、人材派遣会社が儲かるように誘導していると指摘した。すると、竹中氏は突然、顔を紅潮させ、声を荒げ、「根拠のない言いがかりだ。失礼だ! 無礼だ!」と激高した

グローバリスト一覧、新自由主義者、レントシーカー、竹中平蔵、榊原定征、ロバート・フェルドマン、小泉進次郎、岸博幸、高橋洋一、橋下徹、松井一郎、「既得権益だー」「抵抗勢力だー」「日本が成長しないのは、規制に守られた既得権益にしがみついている連中がいるからだ! だから、規制を緩和・撤廃し、競争を促進する改革を徹底せよ!」

竹中平蔵、トリクルダウンはあり得ない アベノミクスの“キモ”であるトリクルダウンの効果が出ていない状況に対して、 「滴り落ちてくるなんてないですよ。あり得ないですよ」

維新のマニフェストは「竹中が書いた」(石原慎太郎)、新自由主義路線を推進、一部の企業や上級国民に富を集中させる、パソナ竹中「私の改革思想はワクワク感なんです」 「橋下さんは物事の本質が見えている」 「橋下さんの人気というのは革命の一環」 橋下 「選挙中はアドレナリン出まくり」 「基本的な価値観、哲学は僕は竹中 さんの考え方」

大阪都構想という構造改革、大阪維新、新自由主義、グローバリスト、規制緩和、外資を呼び込む、竹中平蔵、高橋洋一、橋下徹、松井一郎、吉村洋文、百田尚樹、嘘騙し詐欺集団、売国奴、民営化、私物化、外資化

グローバリスト、レントシーカー、新自由主義者。竹中平蔵が郵政民営化の思い出を語る…「小泉さんと橋下さんはよく似ている」「日本が成長しないのは、規制に守られた既得権益にしがみついている連中がいるからだ! だから、規制を緩和・撤廃し、競争を促進する改革を徹底せよ!」デフレで縮小する富をみんなで奪い合う「ゼロ・サム」の世界でルサンチマンに憑りつかれた国民は、既得権益を打破する規制の緩和や撤廃を強く支持し、「改革派」の政治家を応援するようになります。その利益はレント・シーカーとそのお仲間、グローバリストに集まり、ますます国民は貧困化する

日本国民のための政治
「反・緊縮財政」「反・グローバリズム」「反・竹中平蔵」が必要

「今だけ、カネだけ、自分だけ」に真っ向から反対する


『河添恵子#8-2 ゲスト:馬渕睦夫★ディープステートが支配する世界』(「ひとりがたり馬渕睦夫」#2 メディアと洗脳〜この世界の本当の支配者は誰か?〜、#7 ディープステートの原点を探る、#8 ディープステートの正体とは?)
「ひとりがたり馬渕睦夫」#2★メディアと洗脳〜この世界の本当の支配者は誰か?〜
https://www.youtube.com/watch?v=qXcnyWdLKLE
2018/06/30 「ひとりがたり馬渕睦夫」#2★メディアと洗脳〜この世界の本当の支配者は誰か?〜
「ひとりがたり馬渕睦夫」#2★メディアと洗脳〜この世界の本当の支配者は誰か?〜から文字起こしです。
※文字起こしは不正確である可能性があります。

地上波をはじめマスメディアは、意図的に「洗脳」をしている。メディアは工作をやる機関と認識すべき。
今回は、先日行われた米朝首脳会談の話題から、メディアのプロパガンダ、フェイクニュース、戦後の東西冷戦の真実から、キューバ危機を例に、世界の真実を語ります。

<目次的な!>
・北朝鮮を持ち上げている評論家はほぼ北朝鮮のエージェント
・『世論』ウォルター・リップマン(岩波文庫)
・『プロパガンダ』エドワード・バーネイズ(成甲書房)
・産経新聞でさえもフェイクニュースを載せる
・なぜメディアは大衆を洗脳するのか?
・100年前から、アメリカの支配者は大統領ではなくなってしまった。
・では真の支配者は誰なのか?
・トランプが今やっているのは、アメリカの政治を大統領の政治に取り戻す、ということである(皆が誤解しているところ)
・東西冷戦は八百長だったという事実。その理由。
・東西冷戦はソ連崩壊で終わったわけではなく、今日まで続いている・
・キューバ危機(1962年)の真実
・何故誰もキューバ危機の真実を言わないのか?東西冷戦のウソがバレそうになった瞬間。
・ケネディはその東西冷戦の嘘を打ち破ってしまった人物であり、トランプがそれに続こうとしている。
・『グロムイコ回想録―ソ連外交秘史』(読売新聞社・絶版)

◉「ひとりがたり」馬渕睦夫 #2
収録:2018年6月20日 時間:34分

「ひとりがたり 馬渕睦夫」再生リスト:https://bit.ly/2NatIQL

「ひとりがたり馬渕睦夫」#2★メディアと洗脳〜この世界の本当の支配者は誰か?〜

「ひとりがたり馬渕睦夫」#2★メディアと洗脳〜この世界の本当の支配者は誰か?〜


『日本が売られる 堤未果』(「日本の水道バーゲンセール」のお知らせ、タネが売られる(種子法廃止)、日本とアメリカは二人三脚で「グリホサート(ラウンドアップ)は安全だ」、日本から遺伝子組み換え食品表示をなくせ、がん患者に訴えられたモンサント社に320億円の賠償命令)(与野党グル、メディアもグルのプロレス国会)
『日本が売られる 堤未果』
『日本が売られる 堤未果』

内容紹介
日本で今、起きている とんでもないこと。
日本は出血大セール中!
知らずにいると、取り返しがつかないことになる!


水と安全はタダ同然、医療と介護は世界トップ。
そんな日本に今、とんでもない魔の手が伸びているのを知っているだろうか?
法律が次々と変えられ、米国や中国、EUなどのハゲタカどもが、我々の資産を買いあさっている。
水やコメ、海や森や農地、国民皆保険に公教育に食の安全に個人情報など、日本が誇る貴重な資産に値札がつけられ、叩き売りされているのだ。

マスコミが報道しない衝撃の舞台裏と反撃の戦略を、気鋭の国際ジャーナリストが、緻密な現場取材と膨大な資料をもとに暴き出す!

『日本が売られる 堤未果』(「日本の水道バーゲンセール」のお知らせ、タネが売られる(種子法廃止)、日本とアメリカは二人三脚で「グリホサート(ラウンドアップ)は安全だ」、日本から遺伝子組み換え食品表示を


『2018年戦争へ向かう世界 日本経済のラストチャンス 三橋貴明』(「保守的反グローバリズム」が存在しない日本の不幸、自己利益追求の政商(竹中平蔵)たちに食いつぶされる国民経済、主権を奪われたEU諸国、移民問題で瓦解の淵に追い込まれたEU、日本で進む規制緩和という名の国民貧困化政策、反グローバリズムを封じ込めるための言葉狩り、知る権利を奪う「ヘイトスピーチ」というレッテル貼り)
グローバリスト、新自由主義者、竹中平蔵VS経世済民、三橋貴明、激論コロシアム、失礼だ無礼だ


『ゆうちょマネーはどこへ消えたか “格差”を生んだ郵政民営化の真実 菊池英博、稲村公望』(新自由主義による日本改造計画、小泉構造改革はデフレ政策(日本では「ゆうちょマネー」を使うな!)、米国の要求通りの日本改造計画を実施、国が地方から100兆円召し上げた(米国債購入資金へ)、政権と結託して利権を狙うレント・シーカーたち(竹中平蔵氏は「構造改革」の推進者としてテレビや全国紙で新自由主義的政策を宣伝していった)、リストラされたヒトを派遣会社に追い込んで儲ける)
ゆうちょマネーはどこへ消えたか
『ゆうちょマネーはどこへ消えたか “格差”を生んだ郵政民営化の真実 菊池英博、稲村公望』
序章② 新自由主義による日本改造計画
「1」日本政府は15年間公表せず
 2009年2月5日の衆議院予算委員会で、下地幹郎議員(国民新党)と中曽根外務大臣・麻生太郎首相との間で次の質疑応答があった。

  下地議員(国民新党):「2008年10月に米国から対日年次要望書が来ている。 細かいことが要望されている、米国がこんな要望を書面で突きつけてくるのは日本だけではないのか」「郵政公社の民営化は米国が1994年から要望してきたものではないか」
  中曽根外務大臣:「書面の要望書は日本に対してだけです」
  下地議員:「この対日年次要望書は1994年から始まっている。当時は米国の貿易赤字の70%は日本だった。しかし現在は10%に過ぎない。情勢が変わっているので、(年次要望書の交換を)止めてはどうか」
  麻生太郎首相:「日本からもパスポートの問題など、米国に要望している。一方的に日本に対してだけ要望されているわけではない」

 なんとこの時に、日本政府は初めて、米国からの「対日年次要望書」の存在を認めたのである。
 1993年7月に日本の宮沢喜一首相とクリントン大統領が合意したのは、「日米間の新たな経済パートナーシップ」という書面である。この時にクリントンから、「毎年、双方から要望書を書面で出し合おうではないか」との提案があり、宮沢首相は当初は否定的であったといわれている。しかし、クリントンの強い要望で、1994年の村山政権から相互に要望書を出し合うことになり、米国からの要求が「対日年次要望書」として毎年、日本に送られてきた。 「年次要望書」は英語では、 Annual Reform Recommendations であって、本来は米国政府の「毎年の日本政府に対する勧告書」と訳すのが正確な日本語である。この文書は外務省の邦訳で「要望書」とされているが、内容は「勧告書」というよりも「強い要求」である。この文書は、在日米国大使館のホームページに公開されている外交文書である。在日米国大使館では、毎年、「年次改革要望書」の最新版を、日本記者クラブで配布し、内容の説明(ブリーフィング)まで行っていた。それにも拘わらず、日本の政府も大マスコミ(全国紙、テレビ、NHK)もこの内容を報道せず、日本国民には公開されていなかったのである。この存在を初めて明らかにしたのが、関岡英之氏の『拒否できない日本―アメリカの日本改造計画が進んでいる―』(文春新書、2004)であり、これほど重要な公文書が実に15年間も日本国民に知らされることなく、米国の要望に従って日本政府が日本の改造計画を進めてきていたのである。 米国の改造計画の存在が国会で明らかになった時に、何も知らされていなかった自民党の国会議員が驚き、日本国民は驚愕の至りであった。
『ゆうちょマネーはどこへ消えたか “格差”を生んだ郵政民営化の真実』 序章② 新自由主義による日本改造計画

竹中平蔵、グローバリスト、レントシーカー、新自由主義者、パソナ、郵政民営化(対日年次要望書、JA農協)、改革詐欺、ロバート・ゼーリック、小泉純一郎、進次郎、大阪維新、橋下徹、経団連、榊原定征、高橋、岸

安倍総理よ、竹中平蔵を解任し、国家を破壊する新自由主義と決別せよ! 安倍政権はいま、「改革」という言葉が連呼された小泉政権時代以上に、新自由主義路線を強めようとしている。それに拍車をかけているのが、TPPであり、国家戦略特区である。、国約300兆円の郵貯マネーが狙われたように、いま約386兆円の農協マネーが外資に狙われている。


『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】 中野剛志』(「ムチ型」成長戦略、「ムチ型」では成長できない(トリクルダウンはあり得ない)、「ポジティブ・サム」と「ゼロ・サム」、ルサンチマン、日本人であることも既得権益、「経路依存性」の例、イデオロギーの四元構造、おわりに――新時代へのピポット戦略)
グローバリスト、レントシーカー、新自由主義者。竹中平蔵が郵政民営化の思い出を語る…「小泉さんと橋下さんはよく似ている」「日本が成長しないのは、規制に守られた既得権益にしがみついている連中がいるからだ! だから、規制を緩和・撤廃し、競争を促進する改革を徹底せよ!」デフレで縮小する富をみんなで奪い合う「ゼロ・サム」の世界でルサンチマンに憑りつかれた国民は、既得権益を打破する規制の緩和や撤廃を強く支持し、「改革派」の政治家を応援するようになります。その利益はレント・シーカーとそのお仲間、グローバリストに集まり、ますます国民は貧困化する
デフレで縮小する富をみんなで奪い合う「ゼロ・サム」の世界でルサンチマンに憑りつかれた国民は、既得権益を打破する規制の緩和や撤廃を強く支持し、「改革派」の政治家を応援するようになります。その利益はレント・シーカーとそのお仲間、グローバリストに集まり、ますます国民は貧困化します。

安倍総理、ダボス会議、「既得権益の岩盤を打ち破る、ドリルの刃になるのだと、私は言ってきました。」 「いかなる既得権益といえども、私の『ドリル』から、無傷ではいられません。」
グローバル化を徹底すれば、いずれは、日本人であるという「既得権益」をなくすということに行きつきます。それは、移民を入れるということです。
移民政策へと舵を切る4年前の平成26年、安倍総理は世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で演説し、次のように宣言しています。
「既得権益の岩盤を打ち破る、ドリルの刃になるのだと、私は言ってきました。」
「いかなる既得権益といえども、私の『ドリル』から、無傷ではいられません。」



『そして、日本の富は略奪される―アメリカが仕掛けた新自由主義の正体 菊池英博』(21世紀の対立軸――「新自由主義・市場原理主義」か「共存共栄資本主義」か、1%が99%の富を略奪する、「構造改革」は「トロイの木馬」だった、「年次改革要望書」(日本改造勧告書)を送り始めた、冷戦後のCIAは日本を第一の目標としている、首相官邸内に国会の承認のない会議を設置、日本のシカゴ・ボーイズが官僚・学者・大マスコミに潜伏、「年次改革要望書」で実現した「カイカク」の内容、「国家戦略特区」はアメリカの租界である)
日本のシカゴ・ボーイズが官僚・学者・大マスコミに潜伏 日本には、シカゴ大学でフリードマンの下で新自由主義・市場原理主義 の経済学を学び、またその理念に賛同して、その実現に奔走する経済 学者や官僚、政治家


ジャック・アタリという「預言者」(国家の歴史とは国家に金を貸す者の歴史。中央銀行が政府から独立している本当の理由。私たちが日本という国を失う日。グローバリズムなるものの正体は、国際銀行家たちが支配する世界市場を創造しようとする地球規模の運動であり、世界政府樹立運動)
『世界を操る支配者の正体 馬渕睦夫』
ジャック・アタリという「預言者」

 フランスにジャック・アタリ(1943年)という人物がいます。本章で取り上げる3人目が、このアタリです。アルジェリア生まれのユダヤ系フランス人アタリは、サルコジ元大統領の下で、21世紀に向けてフランスを変革するための政策提言を行った「アタリ政策委員会」の委員長を務めたことで、一躍日本でも有名になりました。2006年に『21世紀の歴史――未来の人類から見た世界』(邦訳は作品社、林昌宏訳、2008年)を刊行し、21世紀の世界政治経済情勢の見通しを予測しました。この本は日本に対する否定的評価に満ちていますが、グローバリズムとは何かを考える上で、貴重なヒントを与えてくれています。
 アタリが真面目な学問的知識に基づいて21世紀の未来を予測したのであるならば、本書は丹念に読まれてしかるべきでしょう。しかし、残念ながら本書は一種のプロパガンダ本です。学問的誠実さによって書かれた本ではなく、これからの世界を設計する勢力の未来図を描いてみせたものです。
 その理由は彼の経歴からうかがい知ることができます。アタリはフランソワ・ミッテラン大統領の下で大統領特別補佐官を務めましたが、このとき38歳という若さで職に就きました。ミッテラン大統領の時代は東西冷戦の終了、ヨーロッパ統合の深化(ヨーロッパ単一市場からヨーロッパ連合――EU――へ)という激闘の次期でしたが、ミッテランの側近として、ドイツ再統一に際しては西ドイツのコール首相やイギリスのサッチャーなどと直接渡り合ったと言われています。
馬渕睦夫「世界を操る支配者の正体」 ジャック・アタリという「預言者」

 このような彼の経歴を見ますと、アタリはフランスあるいはヨーロッパのキッシンジャーの役割を果たしたように感じられます。キッシンジャーがロックフェラーなどアメリカのエスタブリッシュメントの意向を受けて、歴代のアメリカ大統領に絶大な影響を及ぼしたことに鑑みますと、アタリもヨーロッパのエスタブリッシュメントの意向を受けて、ヨーロッパ首脳に影響力を及ぼしていたことが容易に想像できます。ヨーロッパのエスタブリッシュメントとアメリカのエスタブリッシュメントは表裏一体ですから、アタリの著作を読めば、この世界を動かしている人々の考えがどこにあるかを知ることができるのです。
『21世紀の歴史』の中で大いに参考になるのは現状分析です。ジャック・アタリは明確に21世紀初頭の世界を次のように概観しています。

ジャック・アタリ著書『21世紀の歴史』より 行き着く先は、国家も含め、 障害となるすべてのものに対し、 マネーで決着をつけることになる。
 現状はいたってシンプルである。つまり、市場の力が世界を覆っている。マネーの威力が強まったことは、個人主義が勝利した究極の証であり、これは近代史における激変の核心部分でもある。すなわち、さらなる金銭欲の台頭、金銭の否定、金銭の支配が、歴史を揺り動かしてきたのである。行き着く先は、国家も含め、障害となるすべてのものに対し、マネーで決着をつけることになる。

 この記述は、グローバリズムとは市場が全権を持つ世界であり、マネーを操る個人(私人)が市場の支配者であることを鮮明にしています。キーワードはマネー、個人、市場です。アタリは徹底した唯物主義者です。世界を覆う市場の力とは、唯物主義的観点からの世界の分析なのです。
 これらは、奇しくもアイン・ランドの主張と軌を一にしています。アタリが、「個人主義の勝利」と高らかに記すのと、ランドが徹底した利己主義こそ人間の権利であると訴えるのは、同じ意味を持っています。共通項は、政府(国家)の否定です。個人がマネーの力によって国家を無力化できると言っているのです。
 たしかに、アタリが言うように「現状はいたってシンプル」なのです。マネーがすべてなのです。アタリが「国家も含め、障害となるすべてのものに対し、マネーで決着をつけることになる」というのは、やがて国家も民営化されるということです。アタリはこう続けます。「世界の唯一の法と化した市場」が「超帝国」を形成し、この超帝国が富の創出の源泉であり、極度の富と貧困の元凶になる。つまり、市場万能主義の超帝国では超格差社会になると言っているのです。そして、「超帝国では自然環境は喰い物にされ、軍隊・警察・裁判所も含め、すべてが民営化される」すなわち国家が民営化されるのです。
馬渕睦夫「世界を操る支配者の正体」 ジャック・アタリという「預言者」

 実際に国家(政府)機能の一部は、すでにかなり民営化されています。たとえば、アメリカでは一部の刑務所が民営化され、民間企業が刑務所を運営し、着実に利益を上げています。投資家にとっては、刑務所はローリスク・ハイリターンの確実な投資先です。犯罪者は増えこそ減ることはありません。刑務所需要が供給を上回るので、刑務所経営企業への投資は確実に儲かるのです。また、イラク戦争で有名になりましたが、軍事請負民間会社も出現しました。ブラック・ウォーター社がそれです。現在のウクライナ紛争においても、東部の親露派武装勢力の鎮圧にアメリカの民間軍事会社の傭兵が使われていると言われています。

世界政府樹立のために市場万能主義の恐怖を刷り込む
 アタリは単に恐ろしい未来図で私たちを脅しているだけではありません。この点が重要なのですが、アタリは市場万能社会は人類を滅ぼす危険性があるとして、このような悲観的な未来を避ける方法を提言しています。 要するに、人類が滅びたくなければこの道しかないと言っているのです。アタリの言う「人類の残された選択肢」とは、民主的世界政府の樹立です。 民主的世界政府は「超民主主義」に基づくものであり、「超民主主義」とは、現在の世界のあらゆる悪を超越する新たな人類の境地であるとするのです。
 一見すると、大変美しい未来のような錯覚に陥りますが、つまるところ世界政府を作って市場を規制する必要があるという主張です。 世界政府ができれば、世界の紛争を抑制することができるというわけです。つまり、アタリの主張のゴールは世界政府を樹立することにあり、そのために市場万能主義の恐怖を刷り込もうとしているのです。 まずは市場の力が既存の国家を凌ぐことを示し、そのような世界が来ると市場の欲望をコントロールできなくなって人類が滅ぶ危険があると脅し、人類の滅亡を防ぐ方法は世界政府しかないと人々に信じ込ませようとしているのです。
馬渕睦夫「世界を操る支配者の正体」 世界政府樹立のために市場万能主義の恐怖を刷り込む


『異説で解き明かす近現代世界史 菊川征司』(中央銀行は民間銀行、ジョン・D・ロックフェラー、ドナルド・トランプという異端児、共産国家の目的は「富の共有」ではなく「富の支配」だった、CFR(外交問題評議会=Council on Foreign Relations)、権力者に同調する多くのメディア、国際共産主義者、第二次世界大戦後、不変だった構図)
[解説]―共産国家の目的は「富の共有」ではなく「富の支配」だった
 米国のジャーナリスト、ゲイリー・アレン著『誰もそれを〈陰謀〉 とは知らない』(邦訳・太陽出版) に興味深い記事があります。
〈不可思議なことが一九六四年の十月に起きた。チェース・マンハッタン銀行の頭取で、外交問題評議会議長デービッド・ロックフェラーが休暇をソ連で取ったのです。この場所は当代随一の帝国主義者が休暇を取る場所としては、非常に奇妙な場所なのです。なぜならば、共産主義の主張の多くは、デービッド・ロックフェラーがソ連国内に所有していた財産を召し上げて、人々に分け与えることを論じているからです。
 ロックフェラーがクレムリンでの休暇を終えて二~三日後に、ニキータ・フルシチョフは黒海の保養地から呼び戻されて、彼の部下から解任を告げられたのです。なんと不思議な出来事でしょう。 世界が知る限りでは、フルシチョフはソビエト政府の絶対的な独裁者だったはずです。 そして、もっと重要なのは、彼はソビエト連邦USSRを動かしている共産党のトップだったはずです。 絶対的な独裁者の地位にいるはずの男を解任するという権力を持っているのは、誰なのでしょうか? デービッド・ロックフェラーはひとりの従業員をクビにするために、ソ連へ旅行したのでしょうか? ソ連の首相という地位は、どこかほかに鎮座する権力の表看板でしかないのは明らかです。多分、ニューヨークにいるのかも……〉 (原著より引用者訳)
『異説で解き明かす近現代世界史 菊川征司』 [解説]―共産国家の目的は「富の共有」ではなく「富の支配」だった

 フルシチョフ解任劇の詳細をウィキペディアの「ニキータ・フルシチョフ」の記事から引用します。
〈1964年10月、黒海沿岸のピツンダで休暇中のフルシチョフとアナスタス・ミコヤンは、ミハイル・スースロフ (一説ではブレジネフ) からの突然の電話で「火急の農業問題を話し合うための臨時の中央委員会総会」のためにモスクワに呼び戻された。10月13日および14日に開かれた臨時の中央委員会総会で、ミコヤンを除く幹部会員全員がフルシチョフの更迭を要求した。 ミコヤンはフルシチョフの第一書記からの解任と閣僚会議議長への留任を提案したが、この提案は否決された上、ミコヤンは多くの中央委員から強い非難を受けた。
 孤立無援となったフルシチョフは、年金生活に入るために「自発的に」 党中央委員会第一書記と閣僚会議議長の両方を辞任することに同意した〉(二〇一七年十月三日閲覧)
 十六年間FBIに勤務し、四年間警察署長を務めたW・クレオン・スクーセン著『世界の歴史をカネで動かす男たち』(邦訳・成甲書房)に興味深い箇所があります。
 米国共産党全国委員会のメンバーだった、ベラ・ドッド博士の談話を書いた部分です。
〈第二次世界大戦後にアメリカ共産党が緊急課題への指示をモスクワから、なかなか得られないときのことだった。米国の共産党指導部は、緊急事態が発生するとニューヨークのウォルドルフ・タワーにいる三人のうちの誰かの指令を受けるようにと決められていた。不思議なのは、党がこの三人から受けた指示を、モスクワは必ず事後承認したのです。(中略) 不可解だったのは、この三人ともがらロシア人ではないという事実だった。 三人は共産主義者でもなかった。実は三人とも、超富豪の米国人資本主義者だったのだ!〉
 資本家の存在を否定する社会主義国家を資本家がサポートする理由を、前出のアレンが単純明快に説明しています。
〈社会主義は富を分配するプログラムではなくて、実際は富を整理統合して支配するための方法であることを理解すれば、スーパーリッチが社会主義を促進するという、パラドックスに見えることもまったくパラドックスにはならない。その代わりに、そのことは筋が通っていて、権力志向の野望家には申し分のない道具でさえあることがわかる。 共産主義、もっと正確にいえば社会主義は、虐げられた大衆ではなくて経済エリートの政治活動である〉(原著より引用者訳)
『異説で解き明かす近現代世界史 菊川征司』 [解説]―共産国家の目的は「富の共有」ではなく「富の支配」だった

1%の支配層、大富豪、大資本家、スーパーリッチ

共産主義は、銀行(エスタブリッシュメント)を打倒するための大衆の創造物ではない。それは大衆を打倒し奴隷化するための銀行(エスタブリッシュメント)の一つの創造物である。 アンソニー・J・ヒルダー
『河添恵子#8-2 ゲスト:馬渕睦夫★ディープステートが支配する世界』(「ひとりがたり馬渕睦夫」#2 メディアと洗脳〜この世界の本当の支配者は誰か?〜、#7 ディープステートの原点を探る、#8 ディープステートの正体とは?)


『ビルダーバーグ倶楽部 世界を支配する陰のグローバル政府』。陰のグローバル政府、ロックフェラー家のメディア操作、ビルダーバーグ会議に出席するメディア関係者たち、ビルダーバーグの秘密計画、知られざるCFRの正体、大統領は米国政権の意思決定者ではない、CFRメンバーの大統領候補者、共産主義国に流れた米国テクノロジー、結論 それは行動することだ
ゲイリー・アレン 『The Rockefeller File』、「総じて言えば、草の根レベルの民主党員と共和党員とでは、経済、政策、連邦行政に対する意見が大きく違う。その一方、政治権力のピラミッド構造を登るにつれ、両党は似通ってくる」 著書『ビルダーバーグ倶楽部』より

ジョージ・ウォーレスは、民主党と共和党の間に少しも違ったところは ないというスローガンを有名にした。


『河添恵子#8-2 ゲスト:馬渕睦夫★ディープステートが支配する世界』(「ひとりがたり馬渕睦夫」#2 メディアと洗脳〜この世界の本当の支配者は誰か?〜、#7 ディープステートの原点を探る、#8 ディープステートの正体とは?)
世界人口の1%にあたる富裕層が 1年間に生み出された富の82%を独占

共産主義は、銀行(エスタブリッシュメント)を打倒するための大衆の創造物ではない。それは大衆を打倒し奴隷化するための銀行(エスタブリッシュメント)の一つの創造物である。 アンソニー・J・ヒルダー


『国難の正体 馬渕睦夫』グローバリズムと共産主義は同根(特権エリート階級と貧困大衆という超格差社会を生み出す点で同じであり国民のチェックが及ばない社会。歴史的に見れば、共産主義や世界統一のために支援活動を行ってきたのは、大資本家たち)
『国難の正体 馬渕睦夫』
『国難の正体 馬渕睦夫』

はじめに―日本をあきらめるな、国民に訴える
 八月に韓国の李明博大統領がわが国固有の領土である竹烏に上陸し、その後天皇に謝罪を求める発言を行いました。また、九月には尖閣諸島の国有化に対する中国人の反日デモが暴徒化し、日系企業のエ場や商店への破壊、略奪にまで至りました。明らかな隣国の横暴に対し 日本の世論が沸騰するのは当然であり、 日本の竹島、尖閣に関する主張は、国際法的にも歴史事実に照らしても正しいものですが、世界の政府や世論は必ずしも日本を支持してくれたわけではありません。
 もう、私たちは気づかなければなりません。世界の実態は日本が楽観的に考えているほど甘くないことを。
 第二次世界大戦後から今日までの世界史には、常識では説明できない大きな疑問が存在しています。その謎を追及して行くうちに、私たちは現実とはまったく異なった世界情勢を信じ込まされてきたことが分かって来ました。本書は、私がたどり着いた世界の驚くべき構造について明らかにしたものです。
 とはいっても、私は特別の情報源を持っているわけではありません。また、外務省を退官して以来、いわゆる機密電報に触れる機会もなくなりました。では、どうして驚愕するような世界の実態が解明できたのでしょうか。
 その答えは実は簡単なのです。本書は、誰でも入手可能な公開情報をもとにして、それらを繋ぎ合わせ、行間を読むことによって現代の世界史を解釈し直したものです。これらの作業を可能にしたのは、私自身の世界観や人間観です。いわば、私なりの哲学に基づいて想像力を働かせた結果です。
 本書を読んでいただければ、私たちが住んでいるこの世界の実態が、これまで学校教育や、新聞、TVなどのメディア、学者、専門家などによって信じ込まれてきた世界像とはまったく異なることを発見して、驚かれると思います。私自身この発見に驚愕し、そうだったのかと目から鱗が落ちるのを実感しました。読者の皆さまにも是非この驚きを実感していただき、日本がおかれた国難を克服するために世界を正しく見る目を養っていただきたいと念じ、本書を緊急出版することになりました。
 結論を一言でいえば、私たちが住む地球には、「世界の政治経済を制覇するために、民間の手による世界金融支配システムを想像することを目指す、金融資本家たちの国際的ネットワークが存在する」(アメリカの歴史学者キャロル・キグリー)事実があるということなのです。ここでのキーワードは、「民間の手による世界金融支配」と「国際的ネットワーク」です。世界史を正しく理解するためには、民間人である国際銀行家たちのネットワークをファクターに加えなければなりません。
『国難の正体 馬渕睦夫』

 私たちは、政府という公的な行政機関を持った国家が国際社会の主役であり、世界史を動かしてきたと頭から信じて来ました。「中国」はけしからん、「アメリカ」が嫌いだというような、国家単位に単純化する思考に慣れきっていました。しかし、各国の政府を動かしている様々な国内勢力が存在することは、容易に理解できることです。そしてそれをもう一歩踏み込み、世界の実体は国家単位で(ということは国益のために)世界情勢が動いているのではないというコペルニクス的な思想転換をしないと、世界で何が起こっているか、世界はどこへ行こうとしているかがまったく分からなくなるのです。
 たとえば尖閣問題を日中の対立、あるいは日+米対中の図式で見ているうちは世界情勢を正しく理解しているとはいえないのです。
 今、世界にはグローバリズムという妖怪が徘徊しています。今から一六〇年以上も前にカール・マルクスが、共産主義という妖怪の徘徊を宣言して以来、世界の歴史はこの妖怪に翻弄されてきました。
東西冷戦が自由主義陣営の勝利で終了し、やっと共産主義の脅威が消滅し世界は平和になったと信じられていましたが、今またグローバリズムという新たな妖怪に世界が翻弄されているのです。
 ところが、このグローバリズムと共産主義は根は一つなのです。グローバリズムは、物、金、人の国境を超えた自由な移動を実現することによって、世界を自由市場経済で統一しようとする運動です。共産主義とは、世界各国に私有財産を否定する共産主義独裁政権を樹立することによって、世界を共産主義で統一しようとするイデオロギーです。一見するところ、グローバリズムと共産主義は正反対のイデオロギーのように感じられます。
 グローバリズムの主役は、民間の国際銀行家やこれと結びついたグローバル企業であり、彼らは政府の規制を排して自由に経済活動を行うことを求めています。他方、共産主義は、労働者の前衛を自称する共産党が、国家の上にあって国家や人民を独裁的に支配する体制です。このように、双方とも国家や政府の規制の及ばない独占的権力を保持している点で、類似性があります。
 また、この二つのイデオロギーは国民国家を超えた世界全体を対象としていること、すなわち国際性を有していることに共通性があります。共産主義者もグローバリストも国際主義者なのです。加えて、共産主義者もグローバリストも唯物思想の権化です。唯物思想で世界を解釈しているため、市場競争であれ、権力闘争であれ、勝ったものが正義であり、すべてに君臨するという結論に行き着きます。私有財産は大富豪は所有できますが、貧困大衆は自らの自由になる私有財産を事実上所有していないのと同じです。共産主義体制の下では、特権的政治エリートは国富の形式的な所有権は保持していなくても、無制限的な使用権を持っていますが、被支配階級は富の使用権を持っていません。一握りの特権階級(富豪)と膨大な貧困大衆の二極に分裂した社会は、共産主義社会であれグローバル資本主義社会であれ、本質的に同じ支配構造にあるといえます。
『国難の正体 馬渕睦夫』

 このように、共産主義もグローバリズムも、特権エリート階級と貧困大衆という超格差社会を生み出す点で同じものなのです。この超格差社会化が今世界的規模で進行しています。世界がグローバル経済化するということの究極的意味は、特権的民間資本による世界政府が樹立されるという想像を絶する世界の出現です。
 現在、日本は国際銀行家たちが推進しているグローバリズムの攻撃の矢面にたっています。私たちが直面している国難の正体は、このグローバリズムです。今、日本は岐路にあるのです。日本がグローバル経済に呑み込まれるのを阻止し、世界のグローバル化を防ぐことが、日本の生き残る唯一の道であるというのが私の結論です。
 そして日本にはその力があります。
 本書で日本の生き残る方法を具体的に論じますが、読者の皆様にはきっと賛同していただけるものと信じています。なぜなら、皆さんが日本を救う主役だからです。それに気づいていただけるだけで、確実に日本は変わります。私は皆様の力を信じます。
『国難の正体 馬渕睦夫』

『国難の正体 馬渕睦夫』

『国難の正体 馬渕睦夫』


『メディアをコントロールする者が、真の支配者』(アメリカは民主主義の国というのは幻想で、金と情報操作によって操られている国。「目に見えない統治機構」がアメリカの真の支配者。ユダヤ人の操る「資金」と「情報」が世の中を動かしている)『プロパガンダ エドワード・バーネイズ』(姿の見えない統治者)
アメリカの民主主義は操られた幻想に過ぎない
 私がリップマンとバーネイズに注目しているのは、彼らがアメリカの民主主義の実態を明確に述べているからです。

リップマンは、ジャーナリストの世界で最も権威のあるピュリッツァー賞を二度も受賞した人物で、ジャーナリストの鑑
Wikipedia ウォルター・リップマン
 リップマンは、ジャーナリストの世界で最も権威のあるピュリッツァー賞を二度も受賞した人物で、ジャーナリストの鑑とみなされていた人です。そのリップマンは『THE PHANTOM PUBLIC』のなかで、「大衆に対して自らが民主的権力を行使しているとの幻想を抱かせなければならない」と論じています。
 わかりやすく言えば、リップマンは「アメリカの民主主義は幻想である」と述べているのです。これがジャーナリストの鑑とされる人の発言です。
 主権者だと信じている国民大衆は自ら権力を行使しているのだと信じ込まされているけれども、それは情報操作によって意図的に作り出されたものであり、幻想でしかないということです。
 このリップマンが指摘した民主主義の裏面を一層具体的に明かしたのが、リップマンとともに大統領広報委員会で働いていたバーネイズです。

エドワード・バーネイズは『プロパガンダ』という本を書いて、一般大衆をコントロールする「目に見えない統治機構」がアメリカの真の支配者である
Wikipedia エドワード・バーネイズ
 バーネイズは『プロパガンダ』という本を書いて、「世の中の一般大衆が、どのような習慣を持ち、どのような意見を持つべきかといった事柄を、相手にそれと意識されずに知性的にコントロールすることは、民主主義を前提とする社会において非常に重要である」と述べ、一般大衆をコントロールする「目に見えない統治機構」がアメリカの真の支配者であると指摘しました。
馬渕睦夫氏『「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!』 アメリカの民主主義は操られた幻想に過ぎない

 つまり、私たちが自分の意見だと信じている考え方は、実は私たちが気付かないうちにコントロールされたものであって、決して私たち自身の意見ではないというのです。私たちはこういった錯覚の世界で生きており、大衆の意見をコントロールしている人々が真の支配者であると喝破しているのです。
 これらの発言は、一九二〇年代のアメリカについて述べたものです。リップマンとバーネイズは、アメリカの民主主義は幻想であり、大衆はメディアの情報によって、あたかも自分の意見を持っているかのように思わされて洗脳されているのにそれに気がついていない、と見抜いています。
 その実態がわかっているから、彼らはアメリカを第一次世界大戦に参戦させるべく世論操作をしたのです。「目に見えない統治機構」とは彼ら自身であり、彼らが真の支配者として君臨しているということです。
 一九二〇年代にはすでにアメリカの民主主義は幻想であったのですが、今日に至るもアメリカ国民はそれに気づかず、「アメリカは民主主義の国だ」と思い込んでいます。日本をはじめ世界のほとんどの国の人たちも、アメリカを民主主義社会の手本だと信じて疑いません。
 私たちは、金と情報操作によって「目に見えない統治機構」にコントロールされている可能性があることを認識しておく必要があります。
馬渕睦夫氏『「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!』 米大統領側近にはユダヤ系有力者が送り込まれる


『グローバリズムこそ日本の敵だ』 田母神俊雄が「獄中ノート」で記した「日本の敵」。安倍総理も新自由主義に冒されたのだろうか?このグローバリズムを止める野党が出て来ないのか。「日本は現金自動支払機ではない」ホワイトハウスに猛抗議した中川昭一氏をしのぶ。中川昭一氏の死、誰が「政治」を殺したのか?
日本社会をぶっ壊す! グローバリズムこそ日本の敵だ。アメリカ式「構造改革」という小泉劇場で日本人の命が「紙幣」よりも軽くなってしまった 田母神俊雄。安倍総理も新自由主義に冒されたのだろうか?
保守と“ひとくくりに”されるものの中に“見せかけ”だけの保守がいて、これが一番厄介な“内なる敵”ではないかということだったんだね」と田母神は語った。

 さらに田母神は、保守と言っても、その中には「アメリカ派保守」、「中国派保守」そして「日本派保守」と大別する。そして「日本派」は少数だと田母神自身、身をもって知った。

 では、そもそも田母神にとって「保守」って何なのだろうか? 田母神はこう答えた。
「簡単に言えばね、日本の伝統や歴史を大切に思いながら、しかし、日本という国を脅かし、弱体化させようと勢力と向き合い、戦うのが保守だと思っている。でも、中には保守だと見せかけることで金儲けをする者たちがいるんだよ」


『プーチン 最後の聖戦 ロシア最強リーダーが企むアメリカ崩壊シナリオとは? 北野幸伯』『日本人の知らない「クレムリン・メソッド」世界を動かす11の原理』(1.中国の「平和的台頭」という嘘 2.『国益』のために国家はあらゆる『ウソ』をつく 3.「世界のすべての情報は「操作」されている」 ~)
プーチン最後の聖戦
『プーチン 最後の聖戦 ロシア最強リーダーが企むアメリカ崩壊シナリオとは? 北野 幸伯』

国際金融資本は税金も払わずに資源利益を海外に持ち出してしまう。プーチンはそのようなユダヤ人経営者を逮捕して牢屋にぶち込んだ!?

プーチン最後の聖戦:ロシア最強リーダーが望むアメリカ崩壊シナリオとは?(北野幸伯:著)
ロシアに住み、ロシアの内部情報に詳しい北野幸伯さんという方の本ですが、
内容は、プーチンがユダヤ人資源財閥大物に取り立てられ大統領になった。そしてその大物を裏切り、国内追放した。その大物はホドルコフスキーという人だそうです。「ユコス事件」

------(引用はじまり)
1. フルネーム、ウラジーミル=ウラジーミロヴィッチ=プーチンは、少年時代スパイを夢見て、ホンマにKGBのスパイになった。

2. 45歳で、ソ連KGBの後身であるFSB(ロシア連邦保安庁)の長官になり、ロシア全諜報員のトップに立った。

3. その後、エリツィン時代に勃興したユダ金系の7大新興財閥(金融オリガルヒ)のドン、クレムリンのゴッド=ファーザーと呼ばれた、ベレゾフスキーに取り入り、大統領に。
その後、米英ユダ金の犬、二大巨頭であったベレゾフスキー、グシンスキーを権力闘争を経て、追放。

4. そして2003年、金融オリガルヒ=ユダ金最後の大物、ホドロコフスキーをあの有名な「ユコス事件」でもって、脱税容疑でシベリアの刑務所送りに。これでプーチンのロシアにおける権力基盤が磐石となる。
なお、このホドロコフスキーのバックには、あのイギリス=ロスチャイルド家の総帥である、ジェイコブ=ロスチャイルド、アメリカ・ブッシュ政権がついていた。

5. これでもって、プーチンはもはや後に引けなくなった。殺らなければ、自分が殺られる。このユコス事件を機に、欧米国際ユダヤ金融財閥とプーチンKGB軍団との本格的な戦いの幕が開く。




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プロフィール

リベラルとは隠れマルクス主義者、フランクフルト学派(トロイの木馬革命)の批判理論(知識人向けのマルクス主義)を武器として使い日本を内部から破壊する文化マルクス主義者です。正体は暴力革命をあきらめたに過ぎない革命家です。通名在日朝鮮人と結託して、日本を弱体化している連中です。
共産党は、共産主義と名乗っているので共産主義者と分かりますが、リベラルは名乗りません。剥き出しの共産主義では社会への浸透力に弱いのです。
大学やメディア、法曹界を中心に文化マルキストが大勢居ます。勉強をして大学へ進み、東大など知識階級であるほど、マルクス主義(反日、自虐史観)になります。インテリを通じてその国の歴史や文化・伝統を破壊し、新しい価値を社会に刷り込んでいきます。
GHQが生み出した敗戦利得者とその系譜であり、日本を内外から弱体化している勢力(国難の正体)であり、支配層にも多くいます。(ソ連政府 各委員会に占めるユダヤ人の人数と比率)かつてのソ連は(ロシア革命により)アシュケナージ・ユダヤ人に支配されていました。現在の日本を支配、コントロールしているのは誰なのでしょうか?(帰化した政治家(在日韓国朝鮮人ほか)


男性の細胞の中には、Y染色体というものがあります。それは遺伝子DNAの格納庫のようなものです。
Y染色体の遺伝子情報は、父から息子へ、男系でのみ伝えられます。
日本人男性のY染色体には、中国人や韓国人にはほとんどみられない、非常に重要な特長があります。
それは日本人の40%近くに及ぶ人々のY染色体DNAには、「YAP」(ヤップ)と呼ばれる特殊な遺伝子配列があることです。


「……大金持ちの一団、彼らは西洋地域の政治、経済、社会の各方面で、きわめて大きな影響力を持つ。その一団が人知れず集まってたくらむことは、後にたまたま起きたかのように現実となる。」―――――英国 『タイムス』紙 1977年

「成長の過程でナショナリズムに染まった国民に再教育を施し、主権の一部を超国家機関に預けるという考え方になじませるのは、骨の折れることだ。」―――――ビルダーバーグの創設者、ベルンハルト殿下
『ビルダーバーグ倶楽部 世界を支配する陰のグローバル政府 ダニエル・エスチューリン』より)


「『資本主義と共産主義は敵対思想だ』という戦後の通説を根底から揺るがす…共産主義革命を推し進めていた勢力と、グローバル化という究極の資本主義を推し進めている勢力は同根である」(渡部昇一)
「現在の私たちを取り巻く国際環境の本質を理解するためには、これまで私たちの目から隠されてきた歴史の真実を明らかにする必要がある」(馬渕睦夫)
・米中はなぜ手を結ぶのか?
・なぜ歴史認識問題で敗北し続けるのか?
・なぜ米英ソ中が「連合国」だったのか?
・「国家は悪」「国境をなくせ」という思想戦
“ハイ・ファイナンス”の力を熟知しなければ、この国難は打開できない!
『日本の敵グローバリズムの正体 渡部昇一、馬渕睦夫』より)(著書一覧


グローバル主義者の文書では「人権」と「社会正義」の用語は暗号として使われ、自由の制限と国連による管理の強化という意味になります。

多くの政治的国際主義者は人々を怖がらせないように気を利かせて、世界政府という単語を使うことは絶対にしません。
代わりに“新国際秩序”とか“新世界秩序”という記号のような言葉を使います。
ニューワールドオーダー(NWO、新世界秩序(人間牧場))とは、別の言い方ではワンワールドであり、一般的にはグローバリゼーションと言われています。世界統一政府の樹立によって、国家の主権は奪われ、彼らの支配が完全支配になります。

国際主義(グローバリスト)は、「思想戦」と「経済戦」が柱なのです。双方とも、国家という枠組みを超越した戦争です。二十一世紀の共産主義(共産主義がグローバリズムに衣替え)とは、思想戦(左翼リベラル(批判理論による内部からの秩序破壊、分断工作))と経済戦(国家を含め障害になるすべてのものに対しマネーで決着をつけることになる新自由主義・市場原理主義)というグローバリズムであり、一部の特権階級による国家の民営化日本が売られるレントシーカー竹中)です。


Q -THE PLAN TO SAVE THE WORLD、世界救済計画、ケネディ、Qanon、Qアノン、トランプ大統領、NSA、ディープステート、カバール秘密結社、CIA、FBI、フェイクニュース、不正選挙、犯罪メディア、偽旗テロ、911、日本語字幕付
Q -THE PLAN TO SAVE THE WORLD①(世界救済計画、ケネディ、QAnon、Qアノン、トランプ大統領、NSA、ディープステート、カバール秘密結社、CIA、FBI、フェイクニュース、不正選挙、犯罪メディア、偽旗テロ、911、日本語字幕付き)

『裏政府カバールの崩壊⑨ 新しい世界の訪れ』 黄色いベスト運動、裏政府が怖れていたこと、Qチームの20年の計画、トランプのヒント、フィジーウォーターはネクシアム、赤いピルを飲む、メラニアのコート、ヒラリ
『裏政府カバールの崩壊』 今までの世界が終わるとき、ウサギの穴をたどっていく、外国人による侵略、小児性愛者がいっぱい、子供、アート、ピザゲート、大手マスコミの操作、魔女と魔術師、王と女王の他に、新しい世界の訪れ、王の到来


このブログに掲載のものは、ネット上にある(あった)もののコピペ(見にくい所は、画面拡大して下さい)になります。
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コロナウイルスの裏でほくそ笑むウォール街 (コロナ騒動、新型コロナは嘘、PCR検査、CT値、死因を問わずコロナ死、遺伝子ワクチンで死亡、ワクチン副反応、ウイルスは存在しない?)
『株式会社アメリカの日本解体計画 堤未果』 プロローグ 新型コロナウイルスの裏でほくそ笑むウォール街 (コロナ騒動、新型コロナは嘘、PCR検査、CT値、死因を問わずコロナ死、遺伝子ワクチンで死亡、ワクチン副反応、ウイルスは存在しない?)マスコミでは絶対、言えない「新型コロナウィルスの真実」に迫る!

『忘れてはいけない歴史記録 アメリカ不正選挙2020 船瀬俊介』) 参政党

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