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『ほそかわ・かずひこのBLOG ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために』

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ほそかわ・かずひこの BLOG <オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために1
2017-01-19 09:32:41 | ユダヤ的価値観
●はじめに

 人類は今日、核戦争による自滅と地球環境の破壊による生存の危機に直面している。未曾有の危機を解決するには、現代の世界を覆っている近代西洋文明の欠陥を是正し、その弊害を除去しなければならない。そして、人類が互いに共存共栄でき、自然と調和できる新しい文明を創造する必要がある。そのためには、東洋の精神文化が興隆し、物心両面のバランスを実現することが切望される。とりわけ日本の精神文化に、人類の文明を物心調和・共存共栄の文明へと導く可能性がある。
 このように考える者として、私は日本精神の実践・究明・啓発に努める傍ら、近代西洋文明の歴史を振り返り、その欠陥・弊害の原因を追究してきた。その過程で、近代西洋文明におけるユダヤ人・ユダヤ教・ユダヤ文明の影響の大きさを認識した。そして、「近代西洋文明において、ユダヤ人はどういう役割を果してきたか」「現代世界においてユダヤ的な価値観はどういう影響を及ぼしているか」「それを超克するため何をなすべきか」という問いを問い続けてきた。
 この問題を解明するには、人類の文明、近代西洋文明の特質、ユダヤ人の歴史と文化、移民問題、人権、宗教、精神文化等についての考察が必要である。そこで、まず「人類史に対する文明学の見方」(平成17年、2005年)を始めとして文明学に関する拙稿を書いた。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09a.htm
 そのうえで、上記の問いに関する準備的な考察を行った。それが、「西欧発の文明と人類の歴史」(平成20年、2008年)、その続編としての「現代の眺望と人類の課題」及び「現代世界の支配構造とアメリカの衰退」(平成21年、2009年)である。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09e.htm
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09f.htm
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09k.htm
 次に、移民と人権の問題を検討する必要を感じ、「トッドの移民論と日本の移民問題」(平成24年、2012年)及び「人権――その起源と目標」(平成28年、2016年)を書いた。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09i.htm
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm
 これらにおいて、ユダヤ人の歴史と文化、自由と権利等について書いた。また、この間に書いた文明学や国際関係・国際経済・宗教と精神文化等に関する著述においても、しばしば関連することを述べた。
 こうした拙稿における考察を踏まえて、ようやくユダヤの宗教・民族・文明について主題的に書く段に至った。
 近代西洋文明は、ギリシャ=ローマ文明、ユダヤ=キリスト教、ゲルマン民族の文化という三つの要素が融合してその骨格が出来上がった。それらのうち、ユダヤ=キリスト教が文明の宗教的な中核になっている。特にユダヤ教に基づく価値観が文明を強く性格づけており、近代西洋文明の欠陥・弊害のかなりの部分はユダヤ的価値観によっている、と私は考える。
 ユダヤ的価値観とは、ユダヤ教の教えに基づいて発達した価値観であり、近代西洋文明に浸透し、全世界的に普及しつつある物質中心・金銭中心の考え方、自己中心、対立・闘争の論理、自然の管理・支配の思想である。人類が未曾有の危機を乗り越えて、この地球に物心調和・共存共栄の新文明を創造するには、ユダヤ的価値観の超克が必要不可欠の課題である。
 本稿の目的は、人類新文明の創造のためにユダヤ的価値観の超克を図ることである。最初にユダヤ教とユダヤ人の概要を書き、続いてユダヤの宗教・民族・文明の歴史を書く。そして、最後に現代世界に浸透しているユダヤ的価値観をいかに超克するかについて述べる。ブログとMIXIへの連載は、150回程度を予定している。
 なお、本稿における聖書の引用は、日本聖書協会の新共同訳による。

●宗教の定義

 ユダヤ教は、現存する世界の諸宗教の中で、最も古く歴史をさかのぼることのできる宗教の一つである。ユダヤ教とはどのような宗教か。そのことを述べるに当たり、最初に宗教とは何かということから始めたい。
 漢字単語の「宗教」という言葉は、西欧言語の英語・独語・仏語のreligionの訳語として作られた言葉である。religion は、ラテン語のreligio に由来する。religio は「再び(re)」「結びつける(ligio)」を意味する。漢字単語の「宗教」は、もともと仏教において「宗の教え」つまり究極の原理や真理を意味する「宗」に関する「教え」を意味していた。その「宗教」の語が、幕末期に西洋言語のreligion等の訳語として、今日のような宗教一般をさす語として採用され、明治初期に広まり、現在に至っている。
 宗教の定義は、多くの宗教学者・宗教研究者によって試みられてきた。それらを簡単に集約すれば、宗教とは、人間の力や自然の力を超えた力や存在に対する信仰と、それに伴う教義、儀礼、制度、組織が発達したものをいう。宗教の中心となるのは、人間を超えたもの、霊、神、仏、理法、原理等の超越的な力や存在の観念である。その観念をもとにした思想や集団的な感情や体験が、教義や儀礼で表現され、また生活の中で確認・再現・追体験されるのが、宗教的な活動である。宗教は、社会を統合する機能を持ち、集団に規範を与える。また社会を発展させる駆動力ともなる。国家の形成や拡張を促進し、諸民族・諸国家にまたがる文明の中核ともなる。同時に、個人を人格的成長に導き、心霊的救済を与えるものでもある。
 今日宗教と呼ばれるものの多くは、古代に発生し、幾千年の年月に渡って継承され、発展してきたものである。それらの宗教には、その宗教を生み出した社会の持つ習俗・神話・道徳・法が含まれている。
 習俗とは、ある社会で昔から伝わっている風習や、習慣となった生活様式、ならわしをいう。その起源はきわめて古く、人類諸社会の文化の発生と同時に生じたものが、世代から世代へと継承され、伝統を形作ってきている。習俗の一部は、その社会で伝承されてきた神話で語られる物語に起源を持つ。
 神話は、宇宙の始まり、神々の出現、人類の誕生、文化の起源等を象徴的な表現で語る物語である。一つの世界観の表現であり、またその世界で生きていくための規範が表現されている。神話は、共同体の祭儀において、人類の遠い記憶を呼び覚まし、人間の自己認識、世界の成り立ち、そして生きることの意味を確認するものだった。神話においては、宗教・道徳・法は未分化であり、それらが分かれる前の思考が象徴的な形式で表現されている。その思考は、不合理のようでいて独自の論理が見られる。
 宗教は、こうした習俗や神話をもとにしながら、人間の力や自然の力を超えた力や存在に対する信仰と、それに伴う教義、儀礼、制度、組織が発達したものをいう。
 宗教から人間の力や自然の力を超えた超越的な要素をなくすか、または薄くすれば、道徳となる。道徳は、集団の成員の判断・行動を方向づけ、また規制する社会規範の体系である。善悪の判断や行動の可否の基準を示すものである。道徳のうち、制裁を伴う命令・禁止を表すものが、法である。法は、集団の成員に一定の行為を命じるか、禁じるかし、これに違反したときには制裁を課する決まりごとの体系をいう。
 宗教は、習俗・神話とともに道徳・法を含むものであり、これらを抽出して完全に分離することはできない。宗教はまた生活の知恵や技術、制度、芸術をも中に含む。現代においては、宗教と無関係であり、むしろ対立するものと考えられる傾向のある科学でさえも、そのよって立つ基本的な人間観や世界観は、宗教に深く根ざしている。人間が創り出した精神文化を最も総合的に表しているのが、宗教である。
 そうした宗教の一つであるユダヤ教には、ユダヤ民族の習俗・神話・道徳・法が混然と含まれており、ユダヤ民族が生み出した生活の知恵や技術、制度、芸術、科学の萌芽等もそこに見ることができる。
 続いて、ユダヤ教について概要を示し、教義、組織、信仰、生活の四つの項目に分けて概述する。

 次回に続く。

■追記
 本項に始まる拙稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」の全文は、下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ2~ユダヤ教の宗教学的・文明学的な位置づけ
2017-01-21 09:29:34 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ教の宗教学的位置づけ

 ユダヤ教の概要について、まずユダヤ教の宗教学的及び文明学的位置づけを述べる。
 宗教学では、宗教の原初形態として、マナイズム、アニミズム、フェティシズム、動物崇拝、トーテミズム、天体崇拝、自然崇拝、シャーマニズムなどが挙げられる。また、人類の歴史において現れた様々な宗教の分類が行われている。自然宗教/創唱宗教、祖先崇拝/自然崇拝、多神教/一神教/汎神教、啓典宗教/啓典なき宗教、部族宗教/民族宗教/世界宗教、、個人救済の宗教と集団救済の宗教等である。
 わが国の代表的な宗教学者・岸本英夫は、宗教には「神を立てる宗教」と「神を立てない宗教」という分け方をする。前者は崇拝・信仰の対象として神を立てるもので、一神教・多神教・汎神教等である。後者は、神観念を中心概念はしない宗教で、マナイズムやいわゆる原始宗教・根本仏教等である。この分類の仕方によれば、ユダヤ教は「神を立てる宗教」であり、そのうちの一神教である。
 一神教は、基本的に多神教と対比される。多神教は、多数の神々を祀る宗教である。多神教は、自然の事象、人間・動物・植物等を広く崇拝・信仰の対象とする。汎神教といったほうがよいものも、ここではこれに含む。多神教では、自然が神または原理であり、人間は自然からその一部として生まれたと考える。宗教的には、日本の神道、シナの道教・儒教、ヒンドゥー教、仏教、アニミズム、シャーマニズムである。地理学的・環境学的には、森林に現れた宗教という特徴を持つ。森林の自然が人間の心理に影響したものと考えられる。多神教には、多元的多神教と一元的多神教がある。前者は、多くの神々が並列しており、そこにそれらを統合する神または原理が存在しないものである。後者は、根源的な神または原理があって、その様々な現れとして多数の神々が存在するものである。私は神道はこの後者と考えており、そのことを拙稿「日本文明の宗教的中核としての神道」に書いた。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09l.htm
 一方、一神教は、一つの神のみを祀る宗教である。これには、単一神教、拝一神教、唯一神教がある。単一神教は、自己の集団において多くの神々を認め、その中に主神と従属神があるとし、他の集団の神格も認める。従属神を認める点では、多神教に近い性格を持つ。拝一神教は、自己の集団において唯一の神のみを認めるが、他の集団における神格をも認める。唯一神教は、唯一の神のみを神とし、自己の集団においても他の集団においても、一切他の神格を認めない。この唯一神教の元祖となっているのが、古代中東に現れたユダヤ教である。ユダヤ教からキリスト教が派生し、またユダヤ教の影響のもとにイスラーム教が生まれた。これらの唯一神教は、地理学的・環境学的には、砂漠に現れた宗教という特徴を持つ。砂漠の自然が人間の心理に影響したものと考えられる。
 ユダヤ教は、唯一神教であるとともに、その唯一の神の啓示を受けたとする啓示宗教、神と結んだという契約による契約宗教、また神の言葉を記したとする啓典を持つ啓典宗教である。創唱者を持たない自然宗教であり、ユダヤ民族の宗教である。また、ユダヤ民族という集団を救う集団救済の宗教である。ここで民族とは、エスニック・グループを意味する。一般にしばしば民族と訳される近代的なネイション(国家・国民)とは区別される。
 ユダヤ民族は、最初の人間をアダムとする。アダムの子孫であり大洪水で生存したとされるノアには、セム・ハム・ヤペテの三人の子があったとする。長子セムはアッシリア人、アラム人、ヘブライ人、アラブ人の祖先とされている。言語学ではセム語族という言語系統の集団がある。セム語族には、アッカド語、バビロニア語、ヘブライ語、フェニキア語、アッシリア語、アラビア語などが所属する。私は略してセム系という。ユダヤ民族は、セム語系のヘブライ語を話す。セム系以外を非セム系と言う。非セム系には、ユダヤ民族の伝承に含まれない諸民族を含む。
 ユダヤ民族は、伝説のセムの子孫であるアブラハムをユダヤ民族の始祖とする。ユダヤ民族はアブラハムが契約した神ヤーウェを信仰している。その信仰がユダヤ教である。ユダヤ教からキリスト教が派生した。さらにこれらの宗教の影響を受けて、セム語系のアラビア語地域にイスラーム教が誕生した。
 ユダヤ人もアラブ人もともにアブラハムを祖先とし、それゆえにまたセムを祖先とすると信じる。そこで私は、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教を、総称してセム系一神教と呼んでいる。非セム系では多神教が主であり、その中にはアニミズム、シャーマニズム、ヒンドゥー教、仏教、儒教、道教、神道等が含まれる。これらは、非セム系多神教である。非セム系には、一神教もある。ユーラシア大陸の遊牧民族における天空信仰は、天空を信仰対象とする一神教であり、非セム系一神教の一例である。私が一神教と多神教という分け方にセム系と非セム系という区別を加えるのは、一神教におけるユダヤ思想の影響を強調するためである。また、次の項目で述べる文明の分類においても、セム系一神教と非セム系多神教という分け方をしている。

関連掲示
・本稿は、私の宗教論の第3作となる。既に書いたものは、次の通りである。
 「日本文明の宗教的中核としての神道」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09l.htm
 「イスラームの宗教と文明~その過去・現在・将来」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-2.htm

●ユダヤ教の文明学的位置づけ

 世界の文明は、主要文明と周辺文明に分けられる。私の定義では、主要文明とは、独自の文明の様式をもち、自立的に発展し、かつ文明の寿命が千年以上ほどに長いか、または現代世界において重要な存在であるものである。また周辺文明とは、主要文明の文化的刺激を受けて発生し、これに依存し、宗教・政治制度・文字・芸術・技術等を借用する文明である。
 文明学者アーノルド・トインビーは、文明の中核には、宗教があると説いた。国際政治学者サミュエル・ハンチントンは、この説を受けて、世界に現存する主要文明を主に宗教によって分類している。すなわち、キリスト教的カソリシズムとプロテスタンティズムを基礎とする西洋文明(西欧・北米)、東方正教文明(ロシア・東欧)、イスラーム文明、ヒンドゥー文明、儒教を要素とするシナ文明、日本文明、カトリックと土着文化を基礎とするラテン・アメリカ文明。これに今後の可能性のあるものとして、アフリカ文明(サハラ南部)を加え、7または8と数えている。
 この分類によれば、世界の宗教のうち現代世界における主要文明の中核となっている宗教は、キリスト教、イスラーム教、ヒンドゥー教、儒教、神道の5つである。これら以外の宗教、アニミズム、シャーマニズム、仏教や様々な民族宗教を中核にしている文明は、主要文明ではなく周辺文明に留まっている。私は、世界の諸文明は、そうした宗教によって大きく二つのグループに分けている。セム系一神教による文明群、非セム系多神教による文明群である。そして、これらをセム系一神教文明群、非セム系多神教文明群と呼ぶ。
 セム系一神教文明群は、ハンチントンのいう西洋文明、東方正教文明、イスラーム文明、ラテン・アメリカ文明の四つの主要文明がこれに属する。私は、ユダヤ文明を、この文明群に属する周辺文明の一つとして位置づける。ユダヤ文明は、ユダヤ教を宗教的中核とし、ユダヤ民族が創造した文明である。
 トインビーは、世界史において、「充分に開花した文明」が過去に23あったとした。その一つとしてユダヤ文明を挙げた。ユダヤ教社会は、古代シリア文明にさかのぼる。シリア文明は、紀元前1200年頃のフェニキア文明以来、中東で発展してきた文明である。ユダヤ民族は、シリア文明の一弱小民族だった。その後、ユダヤ民族はその周辺文明として独自の文明を創造したが、ローマ帝国によって滅ぼされた。その過程で、ユダヤ文明は、ユダヤ教から派生した新たな宗教を生み出した。それが、キリスト教である。キリスト教はローマ帝国の国教となり、ユダヤ民族の亡国離散、ローマ帝国の滅亡の後も、世界宗教となって伝播し続けた。そして、ユダヤ民族は、ユダヤ=キリスト教という文化要素を、ギリシャ=ローマ文明経由でヨーロッパ文明に提供することになった。
 ローマ帝国に滅ぼされて各地に離散したユダヤ教諸社会を、まとめて一個の文明と見ることはできない。しかし、ロシア、東欧、西欧、北米等に離散したユダヤ人は、19世紀後半からパレスチナに移住し始めた。そして、第2次世界大戦後、イスラエルを建国し、ここに世界各地から多くのユダヤ人が移住するようになった。私は、イスラエル建国後のユダヤ教社会を現代ユダヤ文明と呼ぶ。これに対し、古代に滅びたユダヤ文明を古代ユダヤ文明と呼ぶ。現代ユダヤ文明は、古代ユダヤ文明を復活させたものである。これらの継続性を認めて、総称したものが、ユダヤ文明である。また、私は西洋文明、東方正教文明を主要文明とする文明群を、ユダヤ=キリスト教諸文明とも呼ぶ。
 建国後のイスラエルは、ユダヤ教を宗教的な文化要素としつつ、ロシア、東欧、西欧、北米の諸文化、諸思想が混在する社会となっている。また、ユダヤ文明は、イスラエルを中心とし、米国、フランス、カナダ、イギリス、ロシア等に広がる文明社会である。それと同時に、ユダヤ=キリスト教系の主要文明である西洋文明、東方正教文明に対する周辺的存在である。この周辺文明は、他の主要文明の文化要素を取り入れながらも、逆にそれらに強力な影響を与え続けている。このような例を他に人類の文明史に見出すことはできない。
 ユダヤ教は、ユダヤ文明の精神的中核となっている宗教である。またそれと同時に、世界有数の主要文明である西洋文明、東方正教文明、イスラーム文明に対して大きな影響を与えている宗教である。そうした宗教の事例を、現代世界において他に見出すこともできない。
 本稿は、ユダヤ教を上記のように宗教学的及び文明学的に位置づけるものである。

 次回に続く。


ユダヤ3~ユダヤ教徒とユダヤ人の違い
2017-01-23 09:30:59 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ教徒とユダヤ人の違い
 
 ユダヤ教を信じる者をユダヤ教徒という。ユダヤ教徒はユダヤ人だが、すべてのユダヤ人がユダヤ教徒ではない。「ユダヤ人>ユダヤ教徒」という関係にある。
 ユダヤ人は、身体的特徴を有する人種ではない。またユダヤ人には宗教的定義と民族的定義がある。前者は狭義、後者は広義の規定となる。
 狭義のユダヤ人は、宗教的定義によるものであり、ユダヤ教徒のことである。これに対し、広義のユダヤ人は、民族的定義によるものであり、ユダヤ民族のことである。キリスト教等の他宗教に改宗した者や、ユダヤ教を棄教し宗教を否定する無神論者・唯物論者等も含む。前者はイスラエルの法律の規定に基づくものであり、後者は、社会科学的なとらえ方である。歴史的・文化的・思想史的な記述をする場合は、主に後者の定義による。
 イスラエルでは、ユダヤ人の定義を帰還法に定めている。帰還法は、対象者をユダヤ人と認めて国籍を与える法律である。1970年改定の帰還法によると、ユダヤ人とは、(1)ユダヤ人の母親から生まれた者、(2)ユダヤ教に改宗した者で他の宗教に帰依していない者をいう。同法は、非ユダヤ人のイスラエルへの移住を認めている。祖父母のうち一人がユダヤ人である場合、ユダヤ人の配偶者と子供の場合等の移住が可能である。
 定義の(1)において、血統を母方とするのは、宗教法典『シュルン・アルフ』と『タルムード』の規定による。これは民族的な定義のようだが、母親がユダヤ教徒であることが前提になっている。母親がユダヤ教徒であれば、その母親が人種的には白人であっても黒人であってもアジア人であっても、生まれた子はユダヤ人と認める。そのことにより、民族的と同時に宗教的でもある定義となっている。なお、父親ではなく母親とするのは、幼い子供に与える影響力は、父親より母親の方が圧倒的に大きいからと見られる。ただし、戒律が最もゆるい宗派である改革派では、父親だけがユダヤ人でもその子をユダヤ人と認めている。
 定義の(2)は、宗教的な定義である。ユダヤ教に改宗した者は、もとはアングロ・サクソン人であれアラブ人であれシナ人であれ、ユダヤ人と認められる。世界中のすべての人種・民族は、ユダヤ教に改宗すればユダヤ人となりうる。逆に、ユダヤ人が他宗教に帰依するならば、狭義のユダヤ人ではなくなる。
 では、改宗・帰依によってイスラエルではユダヤ人と認められなくなった者は、何者なのか。私は、その者がユダヤ文化を保持し、また自分はユダヤ人だという意識を持っているならば、ユダヤ人と言わねばならないと考える。イスラエル帰還法におけるユダヤ人の定義は、宗教的定義に傾き、民族的定義を軽視している。しかし、世界史において特異に優れた能力を発揮してきたユダヤ人の過去・現在・将来を描くには、民族的な定義に基づく必要がある。そこで私はユダヤ教徒的ユダヤ人と非ユダヤ教徒的ユダヤ人がおり、その両方を合わせた集団をユダヤ民族とする。ユダヤ民族というエスニック・グループの中心的部分には、ユダヤ教徒的ユダヤ人があり、その周辺を非ユダヤ教徒的ユダヤ人が取り囲んでいるという構図になる。
 次に注意すべきは、イスラエルの国民と、イスラエルのユダヤ人は一致しないことである。イスラエルは、ユダヤ教徒のみの国家ではなく、またユダヤ人のみの国家でもない。イスラエルの国民は、約8割をユダヤ教徒及びユダヤ人が占めるが、その他に、アラブ人のイスラーム教徒やキリスト教徒がいる。またドルーズ族、チェルケス族もいる。イスラエルは、多民族・多宗教国家であり、政教分離を原則としており、ユダヤ教を国教としていない。
 2009年現在の数字によると、ユダヤ人は、全世界に約1330万人いるとされる。それらのユダヤ人におけるユダヤ教徒と非ユダヤ教徒の割合については、正確なデータがない。

●キリスト教・イスラーム教との関係

 ユダヤ教は、ユダヤ民族の宗教である。またユダヤ民族の宗教が、ユダヤ教である。だが、ユダヤ教は、単にエスニック・グループ(民族)の持つエスニック(民族的)な宗教であるだけでなく、二つの世界宗教の母体となった。すなわち、ユダヤ教からキリスト教が派生し、またユダヤ教の影響のもとにイスラーム教が発生した。これら二つの世界宗教は、ユダヤ教と同じく唯一神の観念を共有する。また、ユダヤ教の他の特徴である啓示宗教・契約宗教・啓典宗教という性格をともにしている。ただし、ユダヤ教が自然宗教であるのに対し、キリスト教・イスラーム教は創唱宗教である点は異なる。
 紀元1世紀の前半にパレスチナに、ユダヤ教の改革者としてイエスが登場し、彼の教えを信じる者は神によって救済されるという脱民族的な教えを説いた。それがキリスト教へと発展した。キリスト教は、ユダヤ教と神をともにし、ユダヤ教の聖書を旧約聖書、イエスの言行録や弟子たちの手紙等を新約聖書とする。この「約」は、神との契約を意味する、それゆえ、ユダヤ教はキリスト教の母体となっている。しかし、ユダヤ教は、イエスを救世主とは認めず、独自の救世主の到来を待っている。
 次に、イスラーム教は、8世紀のアラビアで、ムハンマドがユダヤ教とキリスト教を批判して独自の教えを開いたものである。聖典『クルアーン』は、イスラーム教もユダヤ教もキリスト教も唯一絶対の神を崇拝する本質的に同じ宗教だと説く。アッラーと、ユダヤ教の神、キリスト教の神は、名称は異なるが、同じ神を表していると考える。神は一つであり、一体異名という考え方である。しかし、ユダヤ教は、自らの神ヤーウェとイスラーム教の神アッラーとは異なるものとし、イスラーム教の教義を受け入れない。
 キリスト教はユダヤ教から出て世界宗教となった。イスラーム教もまたユダヤ教から一定の影響を受けて世界宗教となった。これらユダヤ教及びそれを元祖とする宗教であるセム系一神教は、それ以外の諸宗教と人間観・世界観・実在観が大きく異なる。人類の共存調和のためには宗教間の相互理解・相互協力が必要だが、それにはセム系一神教同士の対話と協調が強く求められている。その対話と協調の可能性を探るには、ユダヤ教の研究が必要である。

 次回に続く。


ユダヤ4~教祖のいない唯一神教
2017-01-25 09:32:39 | ユダヤ的価値観
●教祖はいない

 ユダヤ教には、教祖として特定できる個人はいない。ユダヤ教は、民族の長い歴史を通じて発達してきた。ユダヤ民族の祖とされるアブラハムは、神ヤーウェと契約を結んだ。契約の時期は紀元前2千年紀の初頭と考えられるので、ユダヤ教はそれ以来、またはそれ以前からの歴史を持つと言えよう。アブラハムは、神と最初に契約した族長であって、ユダヤ教の創始者ではない。紀元前13世紀に神から律法を授けられたモーセ(モーゼとも書く)も、宗教的指導者ではあるが、創唱者ではない。彼らの後に現れ、ユダヤ教を発展させた預言者や律法学者(ラビ)も、この民族宗教の創設者ではなく、既にユダヤ教は民族の宗教として発達していた。この点で、ユダヤ教は自然宗教であり、セム系一神教の中で、創唱宗教であるキリスト教・イスラーム教とは、異なっている。

●唯一神教の一神教
 
 ユダヤ教が出現する前、人類の諸社会は、アニミズム、シャーマニズム、多神教、ユダヤ教以前の一神教等の諸宗教が並存していた。ユダヤ教は、アニミズム、シャーマニズム、多神教等を否定し、従来の一神教を排斥した。そして、新たな形態の一神教を生み出した。それが唯一神教である。
 ユダヤ民族の唯一神教は、唯一の神のみを神とし、自己の集団においても他の集団においても、一切他の神格を認めない。その点が、従来の一神教すなわち自集団・他集団とも多くの神格を認める単一神教や、自集団では神格は一つだが他集団では多数の神格を認める拝一神教と異なる。
 ユダヤ民族は、全知全能の唯一神という観念を確立し、他の神々や霊的存在を偶像として非難し、それらの崇拝を禁止する。こうした排他的・闘争的な唯一神への信仰は、それまでの諸宗教が並存する状態に挑戦するものである。また、アニミズム、シャーマニズム等にみられる祖先崇拝・自然崇拝を全否定するものだった。
 歴史家・評論家のポール・ジョンソンは、著書『ユダヤ人の歴史』において、ユダヤ教は「その誕生においては、最も革命的な宗教であった」と書き、全知全能の唯一神への信仰は、「それまでの人類の世界観を打ち砕くほどの変革力を持っていた」と見ている。
 全知全能の神という観念にいたったユダヤ人にとっては、宇宙全体が神の被造物に過ぎない。神以外に力の源はどこにもない。この点でユダヤ教は神を一元的に抽象化している。この思考は一元的な原理に基づくものであり、その原理に依拠する合理性を示す。
 ユダヤ教の神は無限の偉大さを持つとされ、神の姿を限定的に表現することは禁止される。また他の一切の祖先神や自然神を認めず、偶像崇拝を禁止する。この思想は、排他的で闘争的である。さらに、これに選民思想が加わり、ユダヤ教を極めて排他的で闘争的な宗教にしている。
 私は、ユダヤ教で唯一神とされた観念的存在は、もともとユダヤ民族の祖先神だったのだろうと推測する。その祖先神は他の諸民族の祖先神と並存・競合したものだった。だが、自己の民族の祖先神が他の民族の祖先神より優れているという観念が強まり、天地創造の主体という原理的存在へと抽象化された。原理的存在ゆえに唯一の神であるとされ、唯一の実在とされた。その結果、他の民族の神々は否定されるべきものとされた。このような過程を経て、唯一神への信仰が形成されたと考える。
 この推察は、イスラーム教の発生過程に示唆を受けたものである。イスラーム教のアッラーはアラブの古い神であり、ムハンマドの出自であるクライシュ族の部族神でもあった。アッラーはカーバ神殿の主神ではあったが、多数の部族神の中の一つだった。だが、ムハンマドは、アッラーの絶対唯一性を主張し、アッラーをユダヤ教のヤーウェと同定した。そのうえでアッラーこそ真の神であり、ヤーウェはそれを誤り伝えているものとした。ムハンマドはクライシュ族の部族神を唯一神に祀り上げた。その過程から、ユダヤ教における唯一神の観念の誕生の過程が類推される。
 ユダヤ民族の神がもともとは彼らの祖先神だっただろうことは、神は人間を神の似姿として創造したという観念にも窺われる。人間の子孫は祖先と同型である。同じ人間である祖先から生命を継承して誕生したからである。祖先を神格化した祖先神を原理的存在へと抽象化した後も、その神が生命の源であるという観念は維持される。もともと祖先神であるから、その神が創った人間は、神に似ていると考えられたのだろう。
 私の推測では、本来は祖先神として子孫と血のつながりを持ったものだった神が抽象化され、人間の創造者とされた。祖先ではなく絶対的な支配者とされた。そして、ユダヤ民族に求められるのは、祖先への自然な崇敬ではなく、支配者と結んだ契約の順守とされた。ここで神と人間の関係は、祖先と子孫の関係ではなく、主人と奴隷の関係に転換された。神に対する義務は、祖先に対する子孫の義務ではなく、主人に対する奴隷の義務となった。こうした観念が発生したのは、ユダヤ民族が他の民族の支配下に置かれ、長い年月のうちに奴隷的な思考が定着したからだろう。神に対して奴隷のように従い、従わねば奴隷のように殺されると信じることになったと思われる。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「イスラームの宗教と文明~その過去・現在・将来」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-2.htm


ユダヤ5~神の名はヤーウェ
2017-01-27 09:52:05 | ユダヤ的価値観
●神ヤーウェ

 ユダヤ民族の祖先であるアブラハムが契約を結んだとされる神は、ヤーウェという。一部で使われているエホバは誤読で、ヤーウェが正しいとされる。ヤハウェとも書く。
 ヤーウェは、「わたしはある。わたしはあるという者だ」(『出エジプト記』3章14節)と述べる。唯一神であり、人格神であり、その性格は男性神である。また、宇宙を無から創造したとされる超越的な存在である。これを超越神という。超越神は観念的な存在だが、同時にユダヤ民族の歴史において人間に介入したと信じられている。そして、神とユダヤ民族が結んだという契約の観念が、ユダヤ教の信仰の核心になっている。また、ユダヤ民族は神に選ばれた民族であるという選民思想が、ユダヤ教の特徴となっている。

・全知全能
 神ヤーウェは全知全能であり、神聖にして完全な存在、永遠の生命あるものである。
 ユダヤ教において、神の存在は自明であって、存在の証明を必要としない。神は、その意志によって、宇宙を創造し、人間を創造し、正義によってこれを支配する。神は宇宙を超越した存在でありながら、同時に宇宙に遍在している。また、神は自らの意志で、地球の人間界に介入する。ユダヤ民族を選び、その民族指導者や預言者に啓示を与えたとされる。

・愛の神にして怒りの神
 ユダヤ教では、神ヤーウェは愛の神とされる。『レビ記』19章18節には「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。」とある。
 だが、ヤーウェの愛は、自らが選んだユダヤ民族にしか注がれない。ヤーウェは、自らと契約した民のみを守護する。その愛は、特定的で排他的な愛である。また、その愛は無条件のものではない。
 神は自ら選んだユダヤ民族に服従を求め、従わねば厳しく罰し、時に大量に滅ぼしさえする。それゆえ、ヤーウェは単に愛の神ではなく、愛の反対感情である妬みや憎しみを表す神でもある。
 聖書は、神の行いについて、軍事と裁きを強調する。ヤーウェは、ユダヤ民族のために他の民族と戦う。これを最もよく表すのは、「万軍の神なる主」または「万軍の主」という尊称である。
 『サムエル記上』15章に、次のように記されている。2節「万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。」、3節「行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」、18節「主はあなたに出陣を命じ、行って、罪を犯したアマレクを滅ぼし尽くせ、彼らを皆殺しにするまで戦い抜け、と言われた。」と。それゆえ、ユダヤ民族による異民族の虐殺は、神の命令によるものなのである。
 この命令によく表れているように、神ヤーウェは、ユダヤ民族に対しては愛を注ぐが、他民族に対しては憎しみを向ける。ヤーウェは、怒る神であり、また復讐の神である。
 ユダヤ民族の神の観念が闘争的性格を持っているのは、その神と契約したと考える集団の中に、対立と支配、他集団との闘争があることの反映であるだろう。激しい集団間の闘争・支配・隷属・嫉妬・復讐等が、ユダヤ民族の神観念の土壌であると考えられる。

・主権の概念への影響
 ユダヤ教が世界に大きな影響を与えているものの一つに、主権(sovereignty)の概念がある。主権とは統治権であり、至高の統治権を意味する。主権の概念は、近代西欧社会で生まれ、世界に広がった。
 ユダヤ教及びキリスト教の唯一神は、「主」と呼ばれる。主権は、その「主」としての神が持つとされる「完全な自由とすべてを支配する力」に由来する。即ち、創造主の自由と力である。ここで自由とは、自由に創造できる能力であり、いわば絶対的な自由権である。また力とは、最高の力、至高の権力である。神の統治権としての主権が、ローマ教皇の権利・権力となり、それが西欧において、国王の権利・権力、さらに人民の権利・権力へと転じた。こうした主権の概念が、近代西洋文明から生まれた主権国家の概念のもとにある。現代の世界が、主権国家の集合した国際社会となっているのは、根本的にはユダヤ教の影響である。
 主権の概念は、資本主義社会における私有の概念にも影響を与えている。近代資本主義社会は、個人は所有物をどのように処理することもできる絶対的な権利を持ち、互いに自由に契約を結ぶことができることを原則としている。統治権としての主権が、神から人へと転じたように、被造物に対する神の主権が、所有物に対する人の主権に転じたと考えられる。
 主権の絶対性と私有権の絶対性は、ともにユダヤ教の唯一神の観念に由来する。

 次回に続く。


ユダヤ6~啓示・契約・啓典の宗教
2017-01-31 11:33:58 | ユダヤ的価値観
●集団救済の宗教

 宗教には、個人救済の宗教と集団救済の宗教がある。ユダヤ教は、個人救済の宗教ではなく、集団救済の宗教である。神が奇跡を起こして救うのは、ユダヤ民族という集団である。集団を救うことによって、その集団を構成する個人をも救う。集団から切り離された個人の救済は、目的としていない。
 ユダヤ教徒は、神が自ら選んだ民族のみを救済すると信じる。言い換えれば、自らを選民と信じる民族が神に集団救済を求める宗教が、ユダヤ教である。こうした観念を否定して、信奉する個人を直接対象にして救うという考え方は、ユダヤ教では成り立たない。ユダヤ教は民族的共同体の宗教であって、共通の信仰を持つ個人の集合体の宗教ではない。またそれゆえに、ユダヤ教は、民族的共同体である集団を救済するタイプの集団救済の宗教である。

●啓示宗教
 
 ユダヤ教は、啓示宗教である。神ヤーウェが人間に教えや奇跡をもって真理を示すことを信じ、モーセや預言者が神の言葉として伝えたものを教義の根本とする。

●契約宗教

 ユダヤ教は、契約宗教である。ユダヤ民族の祖先アブラハムが神ヤーウェと契約を結び、神からカナンの地を与えるという約束を受けたとする。これをアブラハム契約という。
 また、ユダヤ民族の指導者モーセは、シナイ山において神と契約を結んだ。これをシナイ契約という。この契約によって、アブラハム=モーセの神はイスラエル人の唯一の神とされ、後世のユダヤ民族は神ヤーウェに選ばれた唯一の民族と信じられた。
 また、古代の王ソロモンは、エルサレムのシオンの丘に神殿を建立した。神ヤーウェはダビデ家をイスラエルの支配者として選び、シオンを神を祀る唯一の場所に定める約束をしたと理解された。これをダビデ契約という。
 これら神との三つの契約――アブラハム契約、シナイ契約、ダビデ契約――が、ユダヤ教の信仰の核になっている。また、ユダヤ教では、人と人との間の契約も、神の前に誓い、これを証人とすることで有効とされる。近代西欧の契約観念は、ユダヤ=キリスト教に根差すものである。契約に違反したり、破ったりすることは、罪とされる。その考え方が西欧発の近代法及び資本主義社会に与えた影響は大きい。

●啓典宗教
 
 ユダヤ教は、啓典宗教である。神の言葉を記したとされる啓典を持つ。単に聖典ではなく、啓典と書くのは、神の啓示を記録したものと信じられているからである。

●聖書
 
 ユダヤ教では、いわゆる旧約聖書を単に聖書と呼ぶ。イエスによる神との新たな契約、すなわち新約を認めないから、自らの聖書を旧約聖書とはいわない。
 ユダヤ教徒が聖書を確定したのは、紀元90年ごろである。紀元70年にエルサレムの都市と神殿がローマ軍によって破壊され、ユダヤ人は祖国を喪失して流浪の民となった。そのとき彼らは、民族を統合するものとして啓典を定めた。時代背景には、キリスト教徒が急激に増加し、自分たちの文書を作って、それを独自の聖書としはじめていたことがある。
 ユダヤ教の聖書はヘブライ語で書かれた。律法(トーラー)、預言書(ネビーイーム)、諸書(ケスービーム)に区分され,その順に並べられている。ユダヤ教徒は、聖書を、3区分の頭文字をとって「タナハ」、または読誦を意味する「ミクラー」と呼ぶ。
 「タナハ」または「ミクラー」は、キリスト教の旧約聖書と、基本的には同じ書物である。ただし、成立状況が異なるので、配列が異なる。

●律法
 
 ユダヤ教では、モーセは神と契約を結んだ時、神から十戒を中心とした律法(トーラー)を与えられたとする。ユダヤ教は、この律法に基づく宗教、律法主義の宗教である。
 律法は、神から与えられた宗教上・生活上の命令や掟である。同時にそれが書かれているモーセ五書を指す。モーセ五書は、聖書の最初に置かれているもので、『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』をいう。律法は、広義ではこれら以外に口伝のものも含む。
 神ヤーウェが定めた律法は、神と人間との間にある大きな断絶を埋め、橋渡しをするものとされる。敬虔なユダヤ教徒は、律法を厳格に守ることによって、神の前に義とされ、神の国に入る資格を得る。それが彼らの人生最大の目的である。

●預言書と諸書

 聖書には、16巻の預言書がある。預言書とは、預言者に関する書物である。預言者とは、神の意思を理解し、またそれを自覚できた人間を指す。紀元前9世紀ころに現れたエリヤを最初とする。
 聖書の預言書のうち、代表的な預言者の名を冠した『イザヤ書』『エレミヤ書』『エゼキエル書』『ダニエル書』の各書は、大預言書といわれる。その外は小預言書という。
聖書のうち、律法、預言書以外のものを、諸書という。

●タルムード
 
 啓典である聖書以外にも、重視される書物がある。その第一のものが、タルムードである。タルムードは、注解を意味する。タルムードは、律法の注解書である。紀元5世紀から約1200年かけて議論を積み重ねたユダヤ人の知恵の集大成である。タルムードは、律法学者(ラビ)が書いた書物であり、農業、安息日・祝日、結婚等、損害に関する法律、神殿・祭司、祭儀上の清浄の6項目に分かれている。
 タルムードには、ユダヤ人の人生に対する教訓が記されている。たとえば、「弱い人を搾取するな、弱いのをよいことにして。貧しい人を城門で踏みにじってはならない」「父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはならない」「悪事を働く者に怒りを覚えたり、主に逆らう者のことに心を燃やすことはない。悪者に未来はない。主に逆らう者の灯は消える」「貧乏でも、完全な道を歩む人は、二筋の曲がった道を歩む金持ちよりも幸いだ」などである。

●カバラー
 
 カバラーという神秘主義思想の文献もまた重視される。カバラー神秘主義は、ユダヤ教の伝統に基づく創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。終末の救済の秘儀にあずかるために、律法を順守することを説き、また神から律法の真意を学ぶことを目的とした。それゆえ、正統的なユダヤ教から外れるものではないと見られている。西方キリスト教では、神秘主義は、カトリック教会やプロテスタンティズムから排除されたが、ユダヤ教では、正統的な教義と神秘主義とが親和的であることが特徴的である。

 次回に続く。


ユダヤ7~聖地・宗派・選民思想
2017-02-01 08:43:40 | ユダヤ的価値観
●聖地

 ユダヤ教は、エルサレムを聖地とする。紀元前10世紀にソロモン王は、エルサレムのシオンの丘に神殿を建立した。その神殿は、約1000年後の紀元70年にローマ帝国によって破壊された。国を失い、離散民となったユダヤ人にとって、エルサレムは帰るべき場所となった。その後、エルサレムは、キリスト教、イスラーム教の聖地ないし重要な場所ともなった。
 第2次世界大戦後、国際連合(連合国)でエルサレムを国連永久信託統治区とする決議がされた。だが、イスラエルはこの決議を無視して、エルサレムを含む地域を軍事占領し、エルサレムを首都としている。そのため、世界の多くの国は、エルサレムを首都と認めず、大公使館をティルアビブに置いている。

●宗派
  
 ユダヤ教には4つの宗派がある。戒律の厳しい順に、超正統派、正統派、保守派、改革派である。各派はそれぞれ独自の教義解釈を行い、儀式・習俗も異なっている。
 中心的な集団は、正統派である。正統派は、伝統的戒律を文字どおり熱心に順守する信徒たちである。
 正統派よりもさらに熱心な信徒がおり、超正統派と呼ばれる。超正統派は、近代化の波に頑なに背を向け、世俗社会と交流を遮断し、ユダヤ教信仰の再活性化を進める運動を行っている。男は教典研究に没頭し、女が家事・育児・仕事をする。そのため、所得は、ずば抜けて低い。
 改革派は、西欧の世俗社会との共生のために生み出された。倫理的戒律と生活的戒律を区別し、後者は精神的解釈にとどめる。時代遅れの戒律を廃止し、礼拝はその土地の言葉で行う。礼拝時のキッパ(頭に載せるもの)やタリート(肩掛け)を廃止している。
 保守派は、正統派と改革派の中間的立場にあって、戒律の歴史的発展を主張する。
 イスラエルでは、正統派と超正統派が、絶大な権力を振るっている。会堂の98%は、正統派・超正統派である。アメリカでは、改革派と保守派がそれぞれユダヤ人の3割を占め、最も裕福なビジネス・エリートが属する。

●ユダヤ教が広まらなかったわけ
 
 ユダヤ教を母体とするキリスト教とイスラーム教は、世界宗教となった。それらの信徒は、合わせて世界の宗教人口の約54%を占める。一方、それらの元になったユダヤ教の信徒数は、世界の宗教人口の約0.2%である。だが、ユダヤ教は、信徒が世界各地に離散したが、ユダヤ人以外の信徒を多く獲得していない。キリスト教とイスラーム教のように、各地で他宗教の信徒を改宗させて、世界宗教に発展し得ていない。その最大の理由は、ユダヤ教は排他的な選民思想を持つことである。それゆえに、ユダヤ民族以外にはほとんど広まっていない、と私は考える。
 わが国の優れたユダヤ教・ユダヤ人の研究者である佐藤唯行は、著書『日本人が知らないユダヤの秘密』で、ユダヤ教が広まらなかった理由として、次の3点を挙げている。
 (1)異教徒に向かって積極的に布教し、信徒を獲得する伝道宗教ではない。(2)西洋キリスト教社会ではユダヤ教徒であることは圧倒的に不利ゆえ、他の宗教からユダヤ教に入信する者は極めて少なかった。(3)教典学習中心の宗教に変容したので、知力に恵まれない学習不適格者には向かない宗教だった。
 私は、先に書いた最大の理由を前提として、これら3点に同意する。私見を以て補足すると、(1)はキリスト教やイスラーム教との違いである。(2)はユダヤ教への改宗は差別と迫害にさらされることを意味した。(3)はユダヤ人の中で学習能力の低い者は、ユダヤ教から離脱していった。
 私は、これらにもう一点加えたい。ユダヤ教への改宗は、厳しい律法と多数の戒律を守る生活への切り替えゆえ、容易な過程ではないことである。これもまたユダヤ教が広まらない理由の一つと考える。

●選民思想とユダヤ的価値観

 ユダヤ教の特徴である選民思想は、非選民の存在を必要とする。非選民を救済することは、目的としない。選民が救済されるには、非選民が救済されないことを要件とする。そのため、人類の間の対立・闘争がユダヤ教の存立に不可欠の条件となっている。キリスト教とイスラーム教は、ユダヤ教と同じように唯一の神を仰ぎながら、選民思想を否定した。それによって、世界宗教となった。ユダヤ教は、民族宗教にとどまった。これは、ユダヤ教の本質による。
 ユダヤ教は、その教義に基づくユダヤ的価値観を生み出した。それが世界に広まり、人類に広く深く浸透している。ユダヤ教は選民と非選民を分けるから、ユダヤ的価値観は人類を二分し、その間に対立・闘争があることを前提とする。ユダヤ的価値観を持つ者は、ユダヤ人に限らない。非ユダヤ人であって、ユダヤ的価値観を持つ者が近現代の世界史を通じて、増加してきている。そして、ユダヤ的価値観を持つ集団の中核には、選民思想を持つユダヤ教が存在する。人類がユダヤ的価値観を超克するとともに、ユダヤ教が排他的・闘争的な選民思想から脱却することができなければ、人類の対立・闘争は続き、地球に共存共栄・物心調和の新文明を実現することは困難である、と私は考える。ユダヤ教の改革はユダヤ教徒の課題であるが、ユダヤ的価値観の超克は人類の課題である。本稿は、このような課題認識のもとに書いているものである。

 次回に続く。


ユダヤ8~教義の形成と内容
2017-02-03 09:28:23 | ユダヤ的価値観
(2)教義

●教義の形成

 宗教は、それぞれ独自の教義を持つ。教義は、主に言語によって説術されるが、象徴によって暗示されたり、儀式によって表現される場合もある。
 古代から続く宗教には、神話の人間観・世界観に基づき、独自の教義を発達させたものが多い。ユダヤ教はその一つである。
 神話は、神々や先祖、英雄、動物などの活躍を描く物語である。共同体の祭儀において語られ、また演じられた。象徴的な表現が多く、体系的・論理的に整ってはいないが、人間や世界に関する認識を示すものであり、神話を通じて、人々は世界を理解し、人生の意味を学んだ。
 神話は、先祖から伝承された物語であり、先祖の体験や自覚の反復的な再現である。だが、集団は、新たな環境、初めての事態に直面する。共同体の指導者は、その現実の諸課題に対処するため、神話に基づきつつ独自の思想や体験を語って、集団を導く。その指導者が示したものは、やがて共同体の構成員が従うべき規範となる。
 特定の創唱者を持つ創唱宗教では、その創唱者の説いた思想が教説となり、教説がもとになって教義が形成される。教説は、創唱者がその場その場で説いた言葉やその時その時に行った行為の記憶や記録を主とする。そのため、十分に体系化されていないことが多い。そうした創唱者の教説を継承者や弟子が体系化・組織化したものが、教義となる。
 特定の創唱者を持たない自然宗教では、幾世代もの間に様々な精神的指導者の説いたことが、部族や民族の知恵として蓄積されて教義が形成される。
 教義は、宗教的な共同体である民族や教団が存続し、発達していくにつれて、制度的に明確に規定されていき、信仰や生活の規範として確立される。
 ユダヤ教には、特定の創唱者はいない。民族の神話がそのまま教義の一部となっており、それに加えて先祖や預言者などの精神的指導者たちの言葉が教説となり、教義が形成・確立された。

●教義の内容

 宗教の教義は、人間観・世界観・実在観を含む。言い換えれば、人間とは何か、世界とは何か、究極的な実在とは何かという問いへの何らかの答えである。
 人間観とは、「人間とは何か」という問いへの説明である。神話には、人間はどこから来たのか、人間の存在のもとは何か、という問いに関する人類の起源神話がある。人類の起源神話は、多くの場合、人間の生と死の起源神話にもなっている。また、世界の起源神話の一部ともなっている。
 世界観とは、人間と人間を取り巻く世界の全体についての見方である。世界には、天地自然や動植物を含む環境などの空間的側面と、始源から現在、さらに終末までの時間的な側面がある。それゆえ、世界観は、宇宙論や空間論・時間論を含む。またこの世界だけでなく他界や来世に関する考え方も含む。
 宗教の人間観と世界観は、実在観と相関的に成立する。人間と世界の根拠は、究極的な実在に求められる。実在観は、「本当にあるもの」「本当であるもの」についての考え方である。それぞれの宗教は、なんらかの実在を人間と世界の究極的な根拠としている。実在をどのように捉えるかによって、「神を立てる宗教」と「神を立てない宗教」が分れる。神を立てる場合、人格的か非人格的か、一元的か二元的か多元的か、人間に親近的か疎遠的かに分かれる。神を立てない場合、実在は力、法、道、理などの抽象的な原理となる。原理を人格的に捉える場合は、その原理は神の観念に近づく。
 ユダヤ教においては、教義は聖書という啓典に表現されている。啓典の中に、人間観・世界観・実在観が示されており、主に『創世記』に描かれている。『創世記』はユダヤ民族の神話ないし神話に基づく物語であり、ユダヤ教の教義は神話に基づくものとなっている。聖書の続く諸書には、先祖や預言者などの精神的指導者たちによる教説が記されており、それらが教義の内容を構成している。

 次回に続く。


ユダヤ9~実在観・世界観・人間観
2017-02-06 10:06:39 | ユダヤ的価値観
●実在観~実在は唯一の神

 ユダヤ教の実在観は、唯一の神を実在とするものである。この神ヤーウェは、人格的、一元的で人間に親近的である。神ヤーウェは、「わたしはある。わたしはあるという者だ」(『出エジプト記』3章14節)と述べる。ここで「ある」とは、真の実在であることを示唆する。「ある」という神の規定は、神を有(存在)とし、有(存在)を神とする西洋思想の元になっている。
 ユダヤ教は、一元的なものが多様に現れているとし、一元的なもののみを実在とする。それがセム系一神教の基本的な論理となっている。

●世界観~神による天地創造

 ユダヤ教の世界観は、実在としての神によって、世界が創造されたという考え方に立つ。神すなわち創造主が初めに存在し、世界は神の意志で無から造られたとする。さらに動植物などの万物も神の働きで造られたとする。世界や万物の起源に関するこのような考え方を創造論という。ユダヤ教の創造論は、キリスト教、イスラーム教にも受け継がれた。
 『創世記』1章1節から2章3節にかけて、天地創造が概略次のように描かれている。
 初めの日に、神は天と地を創造した。地は混沌とし、水面は闇に覆われ、聖霊がうごめいていた。神は光を生み出し、昼と夜とを分けた。2日目に神は、水を上と下とに分け、天を造った。3日目には大地と海とを分け、植物を創った。4日目には日と月と星が創られた。5日目には水に住む生き物と鳥が創られ、6日目には家畜を含む地の獣・這うものが創られ、海の魚、空の鳥、地の全ての獣・這うものを治めさせるために人間の男と女が創られた。7日目に神は休んだ。
 天地創造の時期については、紀元前3761年10月7日としている。

●人間観~神の似像

 ユダヤ教の人間観は、神によって、世界とともに人間もまた創造されたという考え方に立つ。
人間創造については、『創世記』1章26~30節に、概略次のように記されている。神は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と言った。自分にかたどって人を創造し、男と女を創造した。神は彼らを祝福して言った。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と。また言った。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう」と。
 『創世記』2章7~9節には、より詳しく次のように記されている。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」。最初の人間アダムの次に女が造られたとし、同2章22~24節に次のように記されている。「人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。『ついに、これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから』。こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」
 ここでは女にはまだ名がない。後に、アダムはエバと名付けて妻とした。

●原罪と楽園追放

 ユダヤ教の人間観において特徴的なのは、原罪と楽園追放の思想である。
 神によって創造されたアダムと女は、罪を犯し、楽園から追放されたとする。『創世記』3章1~6章に概略次のように記されている。
 「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。『園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか』。女は蛇に答えた。『わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです』。蛇は女に言った。『決して死ぬことはない』。女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。」
 アダムと女の行為は、神の知るところとなる。続いて、3章8~24節に概略次のように記されている。「その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。『どこにいるのか』。アダムは答えた。『あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました』。主なる神は女に向かって言われた。『何ということをしたのか』。女は答えた。『蛇がだましたので、食べてしまいました』。
 神はアダムに言われた。『お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く』。神は女に向かって言われた。『お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前を支配する』。神はアダムに向かって言われた。『お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ』。
 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。神はこうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。」
 『創世記』4章では、アダムとエバの間には、カイン、アベル、セトが生まれたことが記され、続いて子孫の物語が綴られていく。
 上記のように、ユダヤ教では、人間は神ヤーウェが神に似せて創造したものであるとする。神は土くれから、最初の人間アダムを創造した。次にアダムの肋骨からエバを造った。神の似像として造られた人間は、他の生物とは異なる存在であり、地上のすべての種を支配すべきものとされる。
 神は、自らの意志によって天地万物や人間を創造する自由を持つ。人間が神に似るということは、人間にも意志の自由が与えられているということを意味する。自由は、人間における神に似た要素として最も価値あるものであるとともに、また神への背反の原因ともなりうるものである。
年老いた蛇に唆されたエバは、禁断の知恵の実を食べた。そのために、人間は神に罰せられ、エデンの楽園から追放された。それゆえ、人間は原罪を負っている。原罪によって、人間は互いに敵意を抱き、男には食べ物を得るための労働、女には産みの苦しみが課せられたとする。
 こうしたユダヤ教の人間観には、自由の肯定と知恵の発達による禍、人間の尊厳と原罪という相反する要素の認識が見られる。そこには、人間に対する深い洞察が見られる。
 もう一つ、原罪の結果と考えられているのが、人間の死である。神の命令に逆らった罪に対する罰として、人間は死すべきものとなった。原罪によって、人間はみな死に、土に還る定めを負ったと理解する。このことは、人類が知恵を持つことによって、死を意識するようになり、また死を意識することによって、生きることの意味を問うようになったことを象徴的に表しているものだろう。ただし、ユダヤ教は、死を以って終わりとせず、この世の終りに、すべての死者はよみがえり、生前の行為に応じて最後の審判を受けるとしている。この点については、後に最後の審判、死生観の項目で述べる。
 ユダヤ教では、先に書いたように人間は神によって神の似像として創造され、神から自然を支配し、これを利用することを使命として与えられていると考える。同時に、この項目に書いたように、人間は自らの過ちにより原罪を負っており、そのために争い、労働と産みの苦しみ、そして死を免れないと考える。これがユダヤ教の人間観の主要な内容である。また、この人間観がユダヤ的価値観の根底にあるものとなっている。

 次回に続く。

■追記

 本項を含む拙稿「ユダヤ的価値観の超克」の全文は、下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ10~律法・戒律・自由意思
2017-02-08 10:25:46 | ユダヤ的価値観
●律法

 上記のような実在観、世界観、人間観を持つユダヤ教において、教義の中心となっているのは、律法である。律法は、神ヤーウェが決め、モーセに与えられたものを主とする。
 モーセが受けた律法を十戒という。十戒は、神からユダヤ民族に一方的に下された命令である。神がシナイ山でモーセに石板二面に書いて示したとされる。神は、エジプトで奴隷になっていた古代イスラエルの民を救い出した。だから、神に全面服従しなければならないとする。もし守らなければ、人間は神の怒りに触れて、たちまち滅ぼされてしまうというのが、ユダヤ教の考え方である。
 十戒は、『出エジプト記』20章と『申命記』5章に記されている。大意は次の通りである。

(1)あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
(2)あなたはいかなる像も造ってはならない。
(3)あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
(4)安息日を心に留め、これを聖別せよ。
(5)あなたの父母を敬え。
(6)殺してはならない。
(7)姦淫してはならない。
(8)盗んではならない。
(9)隣人に関して偽証してはならない。
(10)隣人のものを欲してはならない。

 前半は宗教的な規定であり、後半は道徳的な規定である。これらのうち、(1)(2)は、ユダヤ教の排他的一神教と偶像崇拝の禁止という特徴を示す。それらを神の命令としているところに強い拘束性がある。対照的に(5)(6)(7)(8)は、ユダヤ教徒に限らず、普遍性の高い規範である。
 注意すべきは、(6)の「殺してはならない。」は、異教徒を対象としていないことである。また人殺しを禁じるものであって、一切の生き物を殺すなとは言っていない。また、(9)は嘘をつくなと命令するものではなく、裁判の時に偽証をするな、と言っているだけである。

●戒律
 
 ユダヤ教では、律法以外に、細かい戒律が定められている。紀元前5世紀から約1000年の間に、律法学者(ラビ)がユダヤ教を発展させた。彼らが形成したユダヤ教を「ラビのユダヤ教」という。「ラビのユダヤ教」は、613の戒律を定める。戒律には、「~してはならない」という禁忌戒律と「~すべき」という義務戒律がある。禁止戒律は365戒、義務戒律は248戒あり、計613である。
 これらの戒律は、狭義の宗教的戒律のほかに、倫理的戒律と生活的戒律を含む。戒律遵守の生活が、ユダヤ人の民族的一体性を守り抜く基盤となった。ユダヤ教は宗教的・民族的共同体の生き方そのものが宗教になったものであり、多数の戒律の存在はその特徴をよく表している。
 特筆すべきは、613の戒律のうち120以上が、人が生活の糧を得る方法や貨幣を倹約し、貯蓄し、それを使用する仕方について規定していることである。こうした経済的な生活規範が、ユダヤ的価値観における経済的な価値観の根底に存在する。

●律法・戒律と人間の自由意志

 ユダヤ教において、律法に従い、戒律を守るかどうかは、人間の自由意志による。
人間創造及び原罪と楽園追放の項目にユダヤ教の人間観について書いた。ユダヤ教では、人間は神の似像として創造され、それゆえに意志の自由が与えられているとする。人間に自由意思がなければ、律法や戒律は必要ない。行為は動物と同じく本能的な行動の反復に過ぎないからである。自由意思があるからこそ、それへの規制が定められている。
 ユダヤ教では、人間は自由意志により神の命令を守ることができるとし、律法や戒律を実践し、よいことをすることができると考える。この考え方は、因果律に基づく。律法と戒律の遵守を義務とし、それを実行すればよい結果が、実行しなければ悪い結果が現れるというする倫理的応報主義である。また、ここには、神の絶対性と人間の自由意思は矛盾しないという考え方がある。
 ユダヤ教から現れたイエスは、律法主義・戒律主義を乗り越えようとして、神に対する愛と隣人に対する愛を強調した。律法・戒律の形式的な遵守より、愛の実践を説いた。イエスの教えに基づくキリスト教では、ユダヤ教の戒律を重視しない。
 キリスト教において、ローマ・カトリック教会は、人間の自由意思を認め、善行や功徳を積むことを奨励する。東方正教会も同様である。だが、西方キリストでは、教父アウレリウス・アウグスティヌスやマルティン・ルターが神の絶対性を強調することにより、人間の自由意思を否定し、救済は人間の善行・功徳によって得られるのではなく、全く神の意思によるとした。この考え方のもとには、パウロ以来の神による救いと滅びは予め定められているという予定説がある。この説を徹底したジャン・カルヴァンは、救いと滅びは堕罪前から定められているという二重予定説を説いた。これに対して、ヤーコブス・アルミニウスは、人間は自らの意志で神の救いを受けることも、拒絶することもできると説いた。その説の影響のもとに、すべての人間の自由意思による救済を説く教派や、さらにすべての者が例外なく救われるとする万人救済説を主張する教派もある。
 これに比し、ユダヤ教は、神の絶対性を強調しつつ、人間の自由意思を肯定する。そして、自由意思は、律法・戒律を前提とし、律法に従い、戒律を守ることを自らの意思で実践するために、発揮すべきものとされる。
 自由意思の肯定は、人間における悪の問題を生じる。自由は、人間における神に似た要素として最も価値あるものであるとともに、また神への背反の原因ともなりうるものである。そのことが、原罪と楽園追放の思想によって示されている。ユダヤ教によれば、神の似像として創造されたものとして、人間は神のように恵み深く、憐れみに富み、正しく完全でなければならない。人生の目的は、今も進行中の神の創造の業に参加し、これを完成して創造主に栄光を帰すことである。しかし、エバが禁断の知恵の実を食べて楽園から追放されたように、人間の本性には悪の衝動が含まれている。ユダヤ教は、悪の衝動を抑えて神の創造の業に参加することは、各人が自由意志に基づいて決定しなければならないと教える。

 次回に続く。


ユダヤ11~罪、最後の審判、メシア
2017-02-10 08:15:53 | ユダヤ的価値観
●罪と最後の審判

 ユダヤ教では、神の意思に反することが罪である。具体的には、十戒を代表とする律法に定められた命令への違反である。特に重罪とされるのが、偶像礼拝、姦淫、殺人、中傷の四つである。
 ユダヤ教は、人間は罪を犯しやすい弱い存在であるとする。憐れみ深い神は、悔い改めた罪人を必ず許す。しかし、正義の実現を目ざす神は、各人の責任を死後にも追及する。そこで、この世の終りに、神はメシアを派遣して神の王国の建設を準備させる。その後に新しい世界が始まると、すべての死者はよみがえり、生前の行為に応じて最後の審判を受ける。その結果、罪人は永遠の滅びに落とされ、義人は永遠の生命を受ける。
 ここで注意すべきは、新しい世界は死後の来世としての天国ではなく、地上に建設される神の王国であることである。義人は天国ではなく、地上において永遠の生命を与えられる。心霊的存在ではなく身体的存在として、地上に永遠に生きると考えられている。

●天国と地獄

 ユダヤ教の聖書には、天国という明確な概念がない。天国が空間的・場所的にどこにあるかは、具体的に記されていない。ユダヤ教では、天国は「国」「領域」というよりは、「神の支配」を意味する。神が統治者としてこの地上に君臨すること、あるいは神の意思を地上に実現することが、天国にほかならない。来世の天国ではなく、地上天国である。霊的な次元ではなく、また地球外の場所でもない。
 地獄もまた明確な場所の概念ではない。神から離反している状態が、地獄と考えられる。

●死生観

 ユダヤ教では、原罪に対する罰として、死をとらえる。原罪によって、人間は死すべきものとなり、死によって土に還る定めを負ったと理解する。
 死後については、多くの宗教に見られるような死後の世界は、明示されていない。死の観念はあるが、現世とは別に存在する死後の世界という考え方がない。死後、別の世界に移り、その来世で報われるという考えがないのである。そのことから、ユダヤ教では、人は死んだ後、メシアの到来と最後の審判までの間、一種の休眠状態または停止状態に入ると理解される。メシアの到来で開かれる新しい世界も、地上に建設される神の王国であって、多くの宗教で死後の世界とされる霊界とは異なる。
 それゆえ、ユダヤ教の死生観にみられるのは、強い現世志向である。この世での人生を何よりも大切に考えて生き、その人生の結果として最後の審判で地上において永遠の生命を得ることを目標にするのが、ユダヤ教徒の生き方と理解される。

●メシアとイエスへの評価

 ユダヤ教では、今後メシアが出現することが期待されている。メシアは主すなわち神ではない。人間であり、ダビデの子孫とされる。それゆえ、「救済者」であって、「救世主」と訳すのは、厳密には誤りである。メシアは、神と新しい契約を結び、王国を復興して神殿を再建する。離散したユダヤ人を世界各地から呼び集める。イスラエルを率いて、世界を統治する。このような役割を果たすべき宗教的指導者であり、また政治的指導者が、メシアである。
 キリスト教がメシアは既にイエス=キリストとして現れたとするのに対し、ユダヤ教はそれを否定する。キリスト教はイエスをメシアとしてのキリストとし、イエスに神性を認め、アダムの原罪から人間を解放したとする。すなわちイエス=キリストは、ただの救済者ではなく「救世主」とされる。だが、ユダヤ教はイエスをメシアとみなさない。またイエスを「主」とも「神の子」ともみなさない。イエスは人間であり、律法に背いた犯罪者とみる。
 キリスト教徒は、イエスをキリストだとする最大の根拠として、『イザヤ書』53章を挙げる。そこには、第2イザヤの預言として、主すなわち神によって、人々の咎を負わせ、主の御心を成し遂げる者が現れることを述べた一節がある。すなわち、同章4~6節に「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」とある。キリスト教徒は、この預言はイエス=キリストの出現を述べたものと解釈する。
 だが、ユダヤ教徒は、キリスト教徒の解釈は間違いであり、その記述はイエスの出現を預言したものではないと断じる。

●隣人愛

 紀元後2世紀のラビ・アキバは、ユダヤ教史上最高のラビと言われる。アキバはユダヤ教を一言で言うと、『レビ記』19章18節の「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」であると述べている。ユダヤ教の隣人愛をユダヤ教徒に限らぬすべての人間への愛と考える解釈があるが、ユダヤ教徒の実践はそうなっていない。
 イエスもまた「汝の隣人を愛せよ」と教えたが、ユダヤ教における隣人とは、ユダヤの宗教的・民族的共同体の仲間である。仲間を愛する愛は、選民の間に限る条件付つきの愛である。人類への普遍的・無差別的な愛ではなく、特殊的・差別的な愛である。なぜなら彼らの隣人愛のもとは、神ヤーウェのユダヤ民族への愛であり、その神の愛は選民のみに限定されているからである。ユダヤ教徒の隣人愛が普遍的・無差別的な人類愛に高まるには、神ヤーウェによる選民という思想を脱却しなければならないだろう。

 次回に続く。


ユダヤ12~ユダヤ教の組織と信仰
2017-02-13 09:52:49 | ユダヤ的価値観
(3)組織

●宗教的民族的共同体

 ユダヤ教は民族の宗教ゆえ、もともと民族的共同体がそのまま宗教的共同体だった。民族とは別個に自立した教団があるのではない。この宗教的民族的共同体の組織は、宗教だけでなく、政治・経済・社会・文化を総合的に含む組織である。これは、古代から前近代まで世界に広く見られる伝統的な共同体のあり方を保つものだった。
 紀元70年に古代ロー帝国によってエルサレムの都市と神殿が破壊され、ユダヤ人は祖国を喪失して流浪の民となった。以後、ユダヤ人は各地の社会において、伝統的共同体としてのユダヤ教社会を維持していた。
 1880年代からパレスチナへの移住運動が始まり、イスラエルの建国に至ったが、イスラエルは多民族・多宗教国家であり、国民の中には非ユダヤ人や非ユダヤ教徒もいる。政教分離を原則としており、ユダヤ教を国教としていない。それゆえ、国民共同体と信徒共同体は一致していない。宗派の異なる集団が並存している。これは、イスラエル以外の諸国に居住しているユダヤ教徒の集団においても同様である。
 各宗派の組織に共通するのは、聖職者と一般の信徒によって構成されていることである。

●聖職者
  
 ユダヤ教の聖職者をラビという。ラビは、律法学者を意味する。ラビは紀元前5世紀から律法の研究や戒律の整備を行い、ユダヤ教を発展させた。今日のユダヤ教は、彼らによる「ラビのユダヤ教」を継承したものである。
 ラビは、ユダヤ教の指導者としての知識を学び、訓練を受け、その職を任された者である。歴史的にはシナゴーグと呼ばれる集会所の指導者であり、ユダヤ人共同体の指導者も務めてきた。
古代・中世には、ラビは他の生業を持つ者とされていたが、16世紀以降、専門的な職業化が進んだ。それには、キリスト教の影響が指摘される。ただし、ラビは、キリスト教のカトリック教会の聖職者とは違い、人と神の中間に位置し、神へのとりなしを果たす役割を持つ者ではいない。
 ラビの最も大切な仕事は、ユダヤ教の礼拝を主導し、祈りや祭りの持つ深い意味を信徒に教えることである。また、ラビは精神的指導者の仕事にとどまらず、様々な相談ごとに応じるよろず相談承り人ともなっているといわれる。

●シナゴーグ
 
 宗教は多くの場合、祭儀を行う場所や信者が集う施設を持つ。ユダヤ教徒は、ローマ軍に国を滅ぼされて神殿を破壊されてからは、離散した各地で集会所に集まって宗教活動を行ってきた。神殿での祭儀が不可能となったことで、シナゴーグでの教典学習が中心となった。
 ユダヤ教の集会所をシナゴーグ(会堂)という。ギリシャ語のシュナゴゲー(集会所)に由来する。ユダヤ教会と称されることもある。シナゴーグは、もともと聖書の朗読と解説を行う集会所だった。現在は祈りの場であるとともに、礼拝や結婚、教育の場であり、また文化行事なども行うユダヤ人共同体の中心施設となっている。

(4)信仰

●目的

 ユダヤ教徒にとって、人生最大の目的は、神の定めた律法を厳格に守ることによって、神の前に義とされ、神の国に入る資格を得ることである。それを信徒が個々に自分のために目指すのではなく、集団で目指すところに、ユダヤ教の信仰の目的がある。

●行為の重視

 ユダヤ教は、律法主義の宗教である。律法に従い、戒律を守るために、実践を重視する。信仰を持っていたとしても、決められたことを実行しないのは、ユダヤ教徒のあるべき姿ではないとされる。キリスト教は、ユダヤ教の律法主義を批判し、内心で信じるだけで救われると説いた。こうした内心で信じるだけで救われるという考え方は、ユダヤ教にはない。心で信じるだけでなく、行いが求められる。

●信仰告白と祈り
 
 神ヤーウェへの信仰告白は、「シェマ・イスラエル (聞けイスラエル)」を中心とする。「シェマ・イスラエル」とは、『申命記』6章4~9節にある次の言葉である。
 「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」
 ユダヤ教徒は、この信仰告白を書いた羊皮紙を収めた革の小箱 (テフィリン)を、一つは左上腕に、もう一つは額に巻きつけて、神に祈りを捧げる。
 一日に朝、昼、晩の3度、祈祷をするのを原則とする。平日には、父祖の神の全能と聖名の賛美に始まり、神のシオン帰還とイスラエルの祝福で終わる19項目の祈祷文を唱える。本来は18項目であったことから、シュモネー・エスレー(18祈祷文)と呼ばれる。規律して行われることから、アミダー(立祷)ともいう。
 立祷は、正式には成人男子10人以上の集団 (ミヌヤン)で祈ることになっている。

●安息日と礼拝

 『創世記』は、神が6日間で天地と人間を創造し、7日目に休んだと記している。それに基づいて、ユダヤ教には安息日(シャバット)が設けられている。安息日は、神の恵みの業を思い起こすため、すべての労働を休む神聖な日とされる。金曜日の日没に始まり土曜日の日没に終わる。
安息日ごとに行われる公の礼拝は、律法(モーセ五書) の朗読を中心とする。毎週1区分ずつ朗読して、1年間で読了するよう54区分されている。
 安息日は、礼拝に参加するほか、自分自身を見つめたり、家族と対話したりする日ともなっている。

●祝祭日

 ユダヤ教には、次のような祝祭日がある。新年祭、贖罪日、仮庵の祭、律法の歓喜祭、ハヌカ祭プリム祭、過越の祭り、七週祭などである。
 これらのうち、最も特徴的なのは、過越の祭り(ベサハ)である。この祭りは、モーセがエジプトを脱出しようとするのを許さないエジプトのファラオに怒った神ヤーウェが、エジプト人の初子を皆殺しにした故事による。この時、ユダヤ人の家では難を逃れる目印として、戸口に子羊の血を塗った。神はその家を過ぎ越したので、ユダヤ人は天罰を免れた。この祭りは、ユダヤ人は神に選ばれた民であることを確認し、子孫に伝える儀礼となっている。

●人生儀礼

 男子は生後8日目に割礼を受け、同時に命名される。これは、新生児が原初のアブラハム契約に参加してユダヤ人共同体の一員になったことを示す儀式とされる。
 少年は13歳で成人式(バル・ミツバー)を行い、戒律を守る義務を負う。バル・ミツバーは「戒律の子」を意味する。成人を迎えると、完全に大人と同様と扱われる。

●清め

 ユダヤ教には、穢れを忌み嫌い、穢れを祓う清めの思想と儀礼がある。死体に接した者、月経や出産後の女性は、ミクベ(沐浴場)で首まで水につかって、身を清める。

 次回に続く。


ユダヤ13~道徳的・経済的生活と家族形態
2017-02-16 09:38:58 | ユダヤ的価値観
(5)生活

●道徳的生活

 ユダヤ教は、信徒に律法・戒律を守る道徳的な生活を課す。紀元前9世紀ころから約400年続いた預言者時代に倫理的応報主義が確立し、その伝統が受け継がれている。
 ユダヤ教は、来世志向ではなく、また呪術を否定する。そのため、ユダヤ人の知恵は、現世における道徳的な実践に向けられた。そして、人間社会において正しく身を処するための方法が説かれた。
 それがよく表れているものの一つが、聖書の『箴言』である。『箴言』の作者は、紀元前10世紀の深い知恵を持つ王ソロモンに帰せられる。主な内容は、夫婦、親子、富者と貧者、主人と従僕などの人間関係に関する道徳的教訓である。特に繰り返されているのは、酒とみだらな女に対する注意や、平静と沈黙の勧めなどの教訓である。
 『箴言』に盛られたような知恵(ホクマー)は、律法に準じて神聖視される道徳的訓戒となっている。

●営利追求の肯定

 ユダヤ教は、営利欲求を肯定する。ポール・ジョンソンは、著書『ユダヤ人の歴史』に次のように書いている。「ユダヤ教は宗教心と経済的繁栄を切り離さない。貧しい者を讃え、強欲を戒める一方、実生活のためになるものと倫理的価値が切っても切れない関係にあることを示している」。ユダヤ教では、「正しく執り行われた商売は厳格な倫理に完全に即しているばかりか、徳の高い行いだと考えた」と。
 古代メソポタミア文明のバビロニア王国では、「ハンムラビ法典」に貸し付けの利子率が定められていた。ヒッタイト人、フェニキア人、エジプト人の間でも、利子は合法的だった。ユダヤ人は、こうした古代西アジアの諸文明の経済文化の影響を受けた。
 『申命記』に、「外国人には利子を付けて貸してもよいが、同胞には利子を付けて貸してはならない。」(23章21節)と定めている。また「外国人からは取り立ててもよいが、同胞である場合は負債を免除しなければならない。」(15章3節)としている。外国人からは利子を取ったり、取り立てをしたりしてよいという教えである。またユダヤ民族について、「あなたに告げたとおり、あなたの神、主はあなたを祝福されるから、多くの国民に貸すようになるが、借りることはないであろう。多くの国民を支配するようになるが、支配されることはないであろう。」(15章6節)とも書かれている。富の力による他民族への支配が予言されている。そして、タルムードには、「義人の目に麗しく、世間の目に麗しいものが七つある。その一つは富である」と記され、富は美徳とされている。
 仏教の開祖である釈迦やキリスト教の開祖イエスは、現世的な欲望を否定し清貧であることをよしとしたが、ユダヤ教は富を良いものとし、営利欲求を抑制して歯止めをかける教えを持たなかった。ユダヤ教の営利欲求を肯定する教えは、ユダヤ的価値観の根本にあるものの一つである。この価値観は、近代西欧の資本主義と結びついて発展し、キリスト教社会へ、さらに非ユダヤ=キリスト教社会へと広まって、今日に至っている。

●家族型の影響
 
 ユダヤ人の家族形態は、直系家族である。直系家族はヨーロッパでは広く見られ、ヨーロッパ以外ではユダヤの他、日本と朝鮮が直系家族である。直系家族は、子供のうち一人のみを跡取りとし、結婚後も親の家に同居させ、遺産を相続させる型である。その一人は年長の男子が多い。他の子供は遺産相続から排除され、成年に達すると家を出なければならない。こうした婚姻と相続の慣習によって、父子関係は権威主義的であり、兄弟関係は不平等主義的である。この型が生み出す基本的価値は、権威と不平等である。
 ユダヤ人の家族人類学者・歴史人口学者であるエマヌエル・トッドは、家族型における父性の権威の強弱と、ユダヤ=キリスト教における神のイメージには相関性があることを指摘する。権威の強い父からは厳格な神がイメージされ、全能の神のもとで人間の自由意思は否定される。直系家族を母体としたユダヤ教やルター・カルヴァン的なプロテスタントがこれであるとする。逆に権威の弱い父からは寛容な神がイメージされ、非全能の神のもとで人間の自由意思が肯定される。絶対核家族を母体としたアングロ・サクソン的なプロテスタントがこれであるとする。私は、ユダヤ教は単純に自由意思を否定していないと考えるので、その点には異論がある。
 また、トッドによると、直系家族は権威と不平等の価値から、人間は本質的に違うという差異主義の価値観を示す。それが他民族への態度の根底にある。加えて、私見によれば、直系家族は、絶対核家族や平等主義核家族と違って、個人主義的ではなく集団主義的である。個人の自由や権利より、集団の維持や繁栄を重視する。
 次に、ユダヤ社会の通婚制度は、族内婚である。族内婚は、配偶者を自己の所属する集団の内部で得る制度である。族内婚型直系家族は閉鎖的だが、族外婚型直系家族よりも温和な差異主義を示す。兄弟を不平等としながら、族内婚であることによって、兄弟関係に温かさを持つ。民族内における集団間の関係についての見方は穏和である。
 トッドは、直系家族を「父系への屈折を伴う双系制」と定義し、ユダヤ人社会は、父方・母方の親族に平等に重要性を与える双系制だとする。遺産相続は女性を対象から除外しており、この点は父系的だが、ユダヤ人はユダヤ人の母親から生まれた者をユダヤ人とするので、この点では母系的である。そのため、女性の地位はある程度高い。
 ユダヤ人社会の持つ直系家族・族内婚・双系制という要素が、ユダヤ教に影響を与えていると考えらえる。その限りで、ユダヤ教は直系家族の価値観に基づく権威主義的で差異主義的、また集団主義的な宗教である。
 ただし、こうした家族形態だけで、ユダヤ教の特徴が決まるわけではない。一個の宗教としての独自の人間観・世界観・実在観が形成されたのは、主体と環境の相互作用の中でなされた、と考えるべきだからである。ここで主体とは集団的主体であり、家族形態はその集団の構成に関わるものである。そうした主体が生きる環境には、自然環境と社会環境がある。ユダヤ教は、砂漠に発生した宗教としてその自然環境の影響を深く受けている。また、周辺諸民族から侵攻され、征服・支配されやすいという社会環境の影響も大きい。こうした自然及び社会の環境との相互作用の中で、家族形態に基づく価値観が反映する仕方で、ユダヤ教の人間観・世界観・実在観が形成された、と私は考える。

 次回に続く。


ユダヤ14~性愛と結婚、教育、労働
2017-02-19 08:49:37 | ユダヤ的価値観
●性愛と結婚

 ユダヤ教では、重要な戒律として、家族を形成するために結婚することが定められている。神の創造の御業を讃え、生命を肯定し、現世を志向し、子孫繁栄を願うからである。性衝動や性行為は自然なものとし、キリスト教におけるように必要悪とは考えない。夫婦の性行為はそれを歪めることが罪であるとされる。快楽を伴わない性交もまた罪とされる。祭司にも預言者にも、一般的な戒律としては性愛を禁止していない。戒律を最も厳格に守る正統派では、多産を神の御心にかなうことと考え、避妊を一切行わない。
 ユダヤ民族は各地に離散し、迫害を受けてきた。苛酷な運命のもとで民族が生き残るためにも、結婚・出産が重視されてきたのだろう。性愛と結婚に関する戒律は、個々の家族が存続することより、民族の存続を目指すものと考えられる。

●教育

 ユダヤ教は啓典宗教であり、文字を読む能力を必須とする。そのため、ユダヤ人は近代以前から世界の諸民族の中で識字率が例外的に高く、教育に力を入れ、知性を尊重してきた。教育こそが民族を守る手段と考え、熱心に子供に教育を授けてきた。他の民族では大衆のほとんどが文盲だった紀元前から、ユダヤ人共同体では授業料のない公立学校が存在していた。紀元後1世紀には、すべてのユダヤ人男子は6歳になったらユダヤ人学校で学ばなければならないという布告が全ユダヤ人に通達された。その結果、ユダヤ人男子は識字・計算能力をほぼ100%の割合で身につけることになった。
 知的能力の高さは、祖国を失ったディアスポラ(離散民)である彼らが、諸民族の間で生き続けるために必要だった。諸民族間の通訳や商業は、彼らが古代から得意とした仕事である。とりわけ金融に関する知識・技術は、西欧でユダヤ人が生き延びる術となり、彼らはそれを用いて社会的地位を高め、各国で政治的・経済的な影響力を振るうまでになった。
 家庭教育では、父親が先導して子供にタルムードなどを教える。子供を立派なユダヤ人に育てた者は、永遠の魂を得ると信じられている。ユダヤ教徒は非常に教育熱心で、子供をよい学校に行かせるためには借金をすることも当然と考える。
 ユダヤ人社会の家族形態である直系家族は、伝統的な社会が近代化し、さらに脱工業化社会になっても、親子の結びつきが強く、家族の団結が強い。それが子供の勉学には有利に働き、社会的職業的な上昇を促す。ユダヤ人が、アメリカ社会で、大学に多数進学しているのは、そのためである、とトッドは指摘している。

●労働
 
 ユダヤ教は、原罪によって、男には食べ物を得るための労働が課せられたとする。神はアダムに向かって「お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ」(『創世記』)と言ったという。だが、またこれをより積極的に、人間は創造主の代わりに労働をする存在として作られたとも考える。労働は天地万物を創造した神の行いのひとつであり、神聖な行為とされている。労働により得た賃金や成果は、その一部を創造主に捧げなければならない。
 安息日にすべての労働を休むのは、神の恵みの業を思い起こすためである。安息日には、その主旨のもとに多くのタブーがある。決められた歩数を超える歩行、傘をさすこと、金銭についての話、買い物、書くこと、料理などである。現代生活で言えば、通信機器・電化製品・カメラの使用、自動車・バイクの運転なども禁じられている。

●食事と飲酒

 食事には、細かい戒律がある。カシュルート(適正食品規定)に従って、不潔と定められた豚肉などの食用、肉とミルクの混食などが禁じられている。こうした規定は、選民の身分を守るための戒律とされる。
 飲酒は禁じられていない。ワインは喜びの象徴であり、祭礼のたびに飲まれる。
 安息日と祝祭日の食事は、家庭で行わなければならないとされている。

●暦

 ユダヤ教では、天地の創造を紀元前3761年10月7日とし、この日を紀元元年1月1日とする。
 ユダヤ暦は太陰暦で、新年は太陽暦の9~10月に始まる。現在もこの暦が使用されている。いわゆる西暦はイエス=キリストの出現を基準としたキリスト教暦である。イエスをメシアと認めないユダヤ教が、ユダヤ暦を捨ててキリスト教暦に替えることは、教義上あり得ない。西方キリスト教による近代西洋文明が普及した社会において生活・活動するため、便宜上、ユダヤ暦と西暦の併用が行われている。

 次回に続く。


ユダヤ15~ユダヤ人の定義・系統
2017-02-21 09:43:46 | ユダヤ的価値観
 前回でユダヤ教に関する記述を終えた。今回からユダヤ人について書く。

(1)ユダヤ人

●定義
 
 ユダヤ人の定義はユダヤ教徒の定義と一部重複するが、あらためて書くと、ユダヤ人は身体的特徴を有する人種ではない。またユダヤ人には宗教的定義と民族的定義がある。前者は狭義、後者は広義の規定となる。
 狭義のユダヤ人は、宗教的定義によるものであり、ユダヤ教徒のことである。これに対し、広義のユダヤ人は、民族的定義によるものであり、ユダヤ民族のことである。キリスト教等の他宗教に改宗した者や、ユダヤ教を棄教し宗教を否定する無神論者・唯物論者等も含む。前者はイスラエルの法律の規定に基づくものであり、後者は、社会科学的なとらえ方である。歴史的・文化的な記述の場合は、主に後者による。

●人口

 ユダヤ人の人口は、2010年現在の数字によると、全世界に約1358万人である。うちイスラエルに570.4万人、アメリカ合衆国に527.5万いる。これら2国のユダヤ人を合わせると、世界のユダヤ人の約81%を占める。第3位はフランスの48.4万人、第4位はカナダの37.5万人、第5位はイギリスの29.2万人、第6位はロシアで20.5万人とされる。
 ユダヤ人は、人類の人口のわずか0.20%を占めるに過ぎない。だが、世界の歴史を通じても、また現代の世界においても、際立った存在感を示している。このような比較的少数の民族が、これほど人類の文明や運命に大きな影響を与えている例は、他にない。

●ユダヤ人の系統
 
 ユダヤ人には、三つの系統がある。
 イベリア半島系のセファルディム、中東・北アフリカ系のミズラヒム、中欧・東欧系のアシュケナジムである。
 セファルディムは、セファルディともいう。紀元前1世紀にスペインに移り住んだ者たちである。ヘブライ語でスペインを意味するセファルドに由来する。15世紀末にイベリア半島を追放され、オランダ等の北海低地帯、北アフリカ、パレスチナを含むイスラーム文明のオスマン帝国領に移住した。特にオスマン帝国領への流入が多かった。さらに東に向かった者たちは、バグダード、シンガポール、香港、上海へ向かった。セファルディムは、商人、医者、哲学者、王やキリスト教司祭のアドバイザー等として活躍した。スペイン語を基本にしたラディノ語を創って共通語としている。
 ミズラヒムは、ミズラヒともいう。ヘブライ語で東を意味する。セファルディムがさらに中東・北アフリカに拡散したもので、アラブ諸国、イラン、トルコ等のイスラーム教圏に居住した。東洋系ユダヤ人、オリエント系ユダヤ人とも言われる。主に移住地の言語を使用した。イスラエル建国後、居住国で迫害を受け、多数がイスラエルに亡命した。ミズラヒムをセファルディムに含むこともある。
 アシュケナジムは、アシュケナジともいう。ヘブライ語でドイツを意味する。9~10世紀に大挙して西欧・中欧へ移住した。14世紀以降、東欧へ居住地を拡大し、ロシアにも移住した。19世紀半ば以降は北米に進出した。律法(トーラー)とタルムードを中心とした生活を送る。行商人、農奴、下層労働者が多い。言語はドイツ語を基本としたイディッシュ語を創り出した。シオニズムを推進し、イスラエルの建国では中心勢力となった。
 これら三つの系統の人口比では、アシュケナジムが多数を占め、ついでミズラヒム、セファルディムの順となる。第2次世界大戦前はアシュケナジムがユダヤ人の人口全体の約9割を占めたが、ナチスによるいわゆるホロコーストでアシュケナジムが多数殺害されたため、比率が変わったとされる。ただし、イスラエルでは、セファルディムとミズラヒムを合わせた人口とアシュケナジムの数は拮抗しているといわれる。
 パレスチナにはセファルディムが先住していたが、イスラエルの建国後に移住したアシュケナジムが指導的役割を担っている。アシュケナジムは一般に教育・文化の水準が高く、政治支配者や各界のエリートが多い。セファルディムはミズラヒムとともに社会の下層にある。
 アシュケナジムはアメリカでも活躍しており、ウォール街を牛耳っているのも、主にその末裔である。

●アシュケナジムのハザール起源説
 
 アシュケナジムは、ユダヤ教に集団改宗したハザール人の末裔だとする説がある。代表的なのは、ユダヤ人ジャーナリストのアーサー・ケストラーが著書『第13支族』に書いたものである。
 ハザール人は、7~10世紀にカスピ海の北部からコーカサス地方、黒海沿いに栄えた遊牧民族である。9世紀に支配者層がユダヤ教に改宗し、一部の一般住民もそれに続いた。改宗は、周囲の二大勢力、イスラーム教のアッバース朝とキリスト教東方正教会の東ローマ帝国の双方に等距離の関係を図るための選択だったと考えられる。
 アシュケナジムがハザール系ユダヤ教徒の子孫だとする説を推し進めると、彼らはパレスチナ出身のユダヤ人の子孫ではなく、パレスチナに移住する権利を持っていないということになる。
 だが、ハザール起源説には大きな疑問がある。中世のラビ文学にハザール人に関する記述が全くない。また、ハザール人の言語はトルコ語が属するテュルク諸語の系統と考えられるが、アシュケナジムのイディッシュ語にはテュルク諸語との類縁関係が全くないとされる。今日では、歴史遺伝学の発達によって、ハザール起源説は完全に否定されている。父系祖先をたどるY染色体と母系祖先をたどるミトコンドリアDNAに含まれる特定遺伝子の変異を調べて、約1000人のアシュケナジムの系譜をたどった調査では、全員が14世紀ドイツのラインラント地方と東欧に居住していた1500家族にたどり着いた。また、中東から各地に離散したユダヤ人は、ヨーロッパでも北アフリカでも中東でも遺伝子レベルでは大きな違いがないことがわかっている。それぞれの地域で周囲の非ユダヤ人集団から相対的に隔離されてきた証であるとともに、アシュケナジムがセファルディム、ミズラヒムと同じ先祖を持つことの裏付けとなっている。

 次回に続く。


ユダヤ16~ユダヤ人の優秀性
2017-02-23 08:55:34 | ユダヤ的価値観
●言語

 古代ユダヤ人は、ヘブライ語を話した。ヘブライ語はセム語族に属する。
 ユダヤ人は、ローマ帝国に神殿を破壊され、各地に離散すると、たどり着いた土地の言語を日常語として用いた。だが、自らの共同体の内部では、その土地の言葉をヘブライ文字で表記する独自の言語を創り出して使用した。ユダヤ・スペイン語、ユダヤ・アラビア語、イディッシュ語がその代表的なものである。
 アシュケナジムが使うイディッシュ語は、中世中欧でドイツ語文法を基礎にして生まれた。語彙の約85%はドイツ語に起源を持つとされる。それをヘブライ文字で表記する。
 離散後の長い歴史の中で、ヘブライ語は祈りと教典学習のためだけの書き言葉になっていた。これを生きた話し言葉として復活させたのが、エリエゼル・ベン・イェフダである。19世紀末から20世紀初めにかけて、シオニズムの運動が広がり、ユダヤ人が世界各地から続々とパレスチナに帰還した。彼らは、様々な出身地の言葉を話していた。ベン・イェフダは、故国再建のためにはユダヤ人を一つにまとめる共通の日常語が必要だと考えた。イスラエル建国の際、彼の創った言葉が公用語とされた。それが、現代ヘブライ語になっている。
 近代国家の国民(ネイション)の形成において、国語の創出は重要な役割を果たすことが多い。ユダヤ人はこの点において、国語・国民の創造に成功している。

(2)能力と活躍

●類まれな能力

 ユダヤ人は、経済的能力に極めて優れているが、それだけでなく学問、思想、科学、芸術等の分野で多数の天才を輩出し、優れた成果を生み出してきた。
 ユダヤ人は人類の人口のわずか0.20%を占めるに過ぎない。だが、ノーベル賞の受賞率は人類平均の150倍にも達する。1999年までの受賞者総数698人のうち、約20%に当たる136人がユダヤ人だった。20世紀後半から21世紀初めにかけての時期では、平和賞を除く同賞に占めるユダヤ人の割合は、30%前後を維持している。日本人は、1%程度に過ぎない。
 社会学者シーモア・リプセットの著書『ユダヤ人とアメリカの新舞台』によれば、1995年の同書刊行時点で、ユダヤ人は過去30年間にノーベル科学賞・経済学賞を受賞したアメリカ人の約40%を占めた。また全米のトップクラスの知識人200人の約50%を占めた。またリプセットは、別の論文で1990年度における全米のトップ30の大学の教授陣の約30%をユダヤ人が占めていると書いているという。
 アメリカ人の知能の平均を100とすると、ユダヤ人の平均は115という測定結果が発表されている。理論物理学や数学の分野で卓越した業績を上げられるのは、知能指数が140以上の人間といわれるが、その水準の知能を持つ人間をユダヤ人はアメリカ人の平均の約6倍も輩出しているという調査結果もあるという。

●ユダヤ人が優秀である理由
 
 ユダヤ人は、なぜこれほど群を抜いて優秀なのだろうか。人類の歴史の七不思議の一つともいえるこの現象について、いろいろな説が出されている。
 佐藤唯行は、著書『日本人が知らないユダヤの秘密』で、それらの説を紹介している。
 第1は、環境説である。ユダヤ人は学問・文化の中心である都市に集住し、高い教育を享受できる豊かさを得た。また、長い間疎外されたことで、世に認められたいと願う自己顕示欲が、人一倍高まったという説明である。佐藤は、この説明には説得力があるが、彼らの驚異的な知的偉業達成率は、環境説だけでは説明困難だと見る。
 第2は、遺伝説である。血統的優秀さで説明しようとする説である。その中の一つに、迫害が激しかった時代には賢い者だけが生き残り、愚かな者は淘汰されたという淘汰説がある。佐藤は、淘汰説は説得力に乏しいとして反証を挙げる。ロマ族(ジプシー)はユダヤ人と同様に迫害され続けたが、ユダヤ人ほど知力を発揮させることはなかった。また、ユダヤ人の中でも商売で成功し富を蓄えた商人は賢いわけだが、そういう者ほど迫害の際には真っ先に標的とされ、殺される確率が高かった。
 第3は、社会説である。ユダヤ教社会では学者が尊敬され、子孫を残せたという説である。それによると、ユダヤ教社会では、財産を持つ無学な者よりも貧しいユダヤ教学者のほうが、結婚相手獲得をめぐる競争で勝利を収め、学者が子孫を増やせた。これに対し、カトリックの社会では最も賢い子は司祭となり生涯を独身で過ごし、子孫を残さなかったとする。佐藤はこの説も信憑性に乏しいとして、富裕なユダヤ商人が一文無しの学者を自分の娘婿にする事例は少なかったと指摘する。
 これらの環境説、遺伝説、社会説は、どれも説得力を欠く。佐藤は、これらに代わって近年有力視されてきた説として、職業選択説と学習中心説を挙げる。
 第4となる職業選択説とは、金融業・商業を通じて知力が磨かれたという説である。9~10世紀にユダヤ人が西欧・中欧へ定住するようになると、彼らの就ける仕事は、金融業・商業に法的に限定されていった。それらでの成功には、非ユダヤ人が従事する農業などに比べ、高い知力が必要だった。庶民が慢性的飢餓にさらされていた中世において、高収入の家庭は栄養状態がよく、幼児死亡率が低下する。その結果、高収入のユダヤ人は子孫を増やせたと説明するものである。
 第5の学習中心説とは、ユダヤ教が学習中心の宗教に変容したことが、ユダヤ人を優秀化したという説である。この説は、古代にさかのぼって説明を行う。紀元後1世紀、ローマ帝国の支配により、それまで神殿での祭儀中心の宗教だったユダヤ教が、教典学習中心の宗教へ変容した。そのことが、ユダヤ人の知力底上げの契機となったという説である。それによると、64年、パレスチナのユダヤ教指導者ジョシュア・ベン・ガマラは、すべてのユダヤ人男子は、6歳になったらユダヤ人学校で学ばなければならないという布告を全ユダヤ人に通達した。この布告は遵守され、2世紀を経ずしてユダヤ人男子は世界の諸民族の中で、例外的ともいえる識字・計算能力をほぼ100%の割合で身につけた。この布告の追い風となったのが、70年、ローマ軍によるエルサレムの神殿破壊である。神殿での祭儀が不可能となったことで、シナゴーグでの教典学習中心主義が、ユダヤ教の主流になったからである。教典学習は中級・上級のタルムードへ進むとかなりの知力が要求される。そのためユダヤ人の中で知力の乏しい者は、学習が苦痛となり次々と脱落し、ユダヤ教徒であることをやめてしまった。そのため、ローマ帝政初期に帝国総人口の7~8%を占め、約800万人もいたユダヤ人口は、1~6世紀の間に次々とその姿を消し、多くはキリスト教徒の農民になった。第4の職業選択説のいう都市での職業選択が始まる以前に、学習不適格者を抱え込まなくなったユダヤ教社会では、知力の底上げが完成していた。こうして優秀な人材だけがユダヤ人として残ったというのである。
 佐藤が紹介する職業選択説と学習中心説は矛盾するものではなく、古代ローマ時代以降の優秀化は学習中心説で説明され、西洋での中世以降における優秀化は職業選択悦で説明できる。これらの説を総合すると、教典学習中心の信仰で優秀化したユダヤ人は、金融業・商業を通じてさらに知力が磨かれたと考えられる。ただし、ユダヤ人が生活する社会環境が、彼らが豊かな文化に触れ、高い教育を受けることを可能にしたという要因もあるだろうし、優秀な親が子供を育てることを千年単位で繰り返すことで、世代を重ねて優秀化が進んだという要因もあるだろう。
 なぜユダヤ人が抜群の優秀性を示すのかという問いは、様々な角度からの総合的な考察を必要とするのである。

 次回に続く。


ユダヤ17~各分野で活躍するユダヤ人
2017-02-25 10:02:07 | ユダヤ的価値観
●各分野で活躍するユダヤ人

 ユダヤ人は、近現代の世界で極めて広い範囲の各界で活躍している。主な例を掲示する。
 以下には、狭義の宗教的定義によるユダヤ人すなわちユダヤ教徒だけでなく、広義の民族的定義によるユダヤ人すなわち他宗教に改宗した者や無神論者・唯物論者等も含む。また、父がユダヤ人であること等によって、ユダヤ系とされるものを含む。

 哲学:バルーフ・スピノザ、カール・マルクス、アンリ・ベルグソン、エドムント・フッサール、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン、カール・ポッパー、マックス・ホルクハイマー、テオドール・アドルノ、ヘルベルト・マルクーゼ、ハンナ・アーレント、レオ・ストラウス、マルティン・ブーバー、ジャン・ポール・サルトル、エマニュエル・レヴィナス、イヴァン・イリイチ、ジュリア・クリスティヴァ、ジル・ドゥルーズ、ジャック・デリダ、アイザイア・バーリン、ヤエル・タミール、ピーター・シンガー

 経済学:デイヴィッド・リカード、カール・マルクス、ルドルフ・ヒルファ―ディング、ヨーゼフ・シュンペーター、ルートヴィヒ・ミ―ゼス、ポール・サミュエルソン、サイモン・クズネッツ、ケネス・アロー、ワシリー・レオンチェフ、レオニート・カントロヴィチ、エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハー、ミルトン・フリードマン、ハーバート・サイモン、ローレンス・クライン、フランコ・モディリアーニ、ロバート・ソロー、ハリー・マーコウィッツ、マートン・ミラー、ゲーリー・ベッカー、ロバート・フォーゲル、ジョン・ハーサニ、マイロン・ショールズ、ジョセフ・E・スティグリッツ、ジョージ・アカロフ、ダニエル・カーネマン、ロバート・オーマン、レオニード・ハーヴィッツ、エリック・マスキン、ロジャー・マイヤーソン、ポール・クルーグマン、ピーター・ダイアモンド、アルヴィン・ロス、アラン・グリーンスパン、ベン・バーナンキ、ジャック・アタリ、ジャネット・イエレン

 経営学:ピーター・ドラッカー

 社会主義:モーゼス・ヘス、カール・マルクス、カール・カウツキ―、エドゥアルト・ベルンシュタイン、ローザ・ルクセンブルグ、レフ・トロツキー、グリゴリー・ジノヴィエフ、レフ・カーメネフ、モイセイ・ウリツキー、カール・ラディック、アイザック・ドイッチャー、ルカ―チ・ジェルジ、ルイ・アルチュセ―ル、エルネスト・マンデル

 政治学・国際政治学:ハロルド・ラスキ、ハンス・モーゲンソー、ヘンリー・キッシンジャー、ズビグニュー・ブレジンスキー、サミュエル・ハンチントン

 ナショナリズム論:エリ・ケドゥーリー、アーネスト・ゲルナー、ベネディクト・アンダーソン、アンソニー・スミス

 政治家:ベンジャミン・ディズレーリ、ダヴィド・ベングリオン、アリエル・シャロン、ベンヤミン・ネタニヤフ、ヘンリー・モーゲンソー、フランシス・パーキンス、ロバート・ルービン、ローレンス・サマ-ズ、ロバート・ライシュ、ミッキー・カンター、モーディレン・オルブライト、ポール・ウォルフォウイッツ、リチャード・パール、ポール・ボルカー、リチャード・ホルブルック、デイビッド・アクセルロッド、ラーム・エマニュエル、バーニー・サンダース

 政治運動:ユゼフ・レッティンゲル、アーヴィン・クリストル、ウィリアム・クリストル、サイモン・ウィーゼンタール、エイブラハム・クーパー

 法学者:ゲオルグ・イェリネック、ルイス・ブランダイス、フーゴー・プロイス、ハンス・ケルゼン、フェリックス・フランクフルター

 社会学:エミール・デュルケム、ウォルター・リップマン、ピティリム・ソローキン、カール・マンハイム、ダニエル・ベル

 言語学:ロマン・ヤコブセン、ノーム・チョムスキー
 
 人類学:クロード・レヴィ=ストロース、カール・ポランニー

 歴史学:ポール・ラッシニエ、マックス・ディモント、ベン=アミー・シロニー、ハワード・サッチャー、ノーマン・フィンケルスタイン

 人口学:エマヌエル・トッド

 宗教学・ユダヤ教学:ミルトン・スタインバーグ、レイモンド・シェインドリン

 精神医学・心理学:チェザーレ・ロンブローゾ、ジークムンド・フロイト、アルフレッド・アドラー、エーリッヒ・フロム、ウィルヘルム・ライヒ、エドガー・バーネイズ、ジャック・ラカン、ヴィクトール・フランクル

 数学:ピエール・ド・フェルマー、レオポルト・クロネッカー、ゲオルク・カントール、アルバート・マイケルソン、ヘンドリック・ローレンツ、エミー・ネーター、アドルフ・フランクル、アルフレト・タルスキ、ブノワ・マンデルブロ、ピーター・フランクル、グレゴリー・ペレルマン

 物理学:アルバート・アインシュタイン、ハインリッヒ・ヘルツ、ニールス・ボーア、エドワード・テラー、ロバート・オッペンハイマー、アルバート・マイケルソン、ガブリエル・リップマン、ジェイムス・フランク、グスタフ・ヘルツ、オットー・シュテルン、イジドール・イザーク・ラービ、ヴォルフガング・パウリ、フェリックス・ブロッホ、マックス・ボルン、イリヤ・フランク、イゴール・タム、エミリオ・セグレ、ドナルド・グレーザー、ロバート・ホフスタッター、レフ・ランダウ、ユージン・ウィグナー、リチャード・P・ファインマン、ジュリアン・シュウィンガー、ハンス・ベーテ、マレー・ゲルマン、ガーボル・デーネシュ、レオン・クーパー、ブライアン・ジョゼフソン、ベン・ロイ・モッテルソン、バートン・リヒター、アーノ・ペンジアス、シェルドン・グラショー、スティーヴン・ワインバーグ、カール・アレクサンダー・ミュラー、レオン・レーダーマン、メルヴィン・シュワーツ、ジャック・シュタインバーガー、ジェローム・アイザック・フリードマン、ジョルジュ・シャルパク、マーチン・パール、フレデリック・ライネス、デビッド・リー、ダグラス・D・オシェロフ、クロード・コーエン=タヌージ、ジョレス・アルフョーロフ ロシア、アレクセイ・アブリコソフ、ヴィタリー・ギンツブルク、デイビッド・グロス、デビッド・ポリツァー、ロイ・グラウバー、アダム・リース、ソール・パールマッター、セルジュ・アロシュ、フランソワ・アングレール

 情報科学:ノバート・ウィーナー、ジョン・フォン・ノイマン

 化学:アドルフ・フォン・バイヤー、アンリ・モアッサン、オットー・ヴァラッハ、リヒャルト・ヴィルシュテッター、フリッツ・ハーバー、ゲオルク・ド・ヘヴェシー、メルヴィン・カルヴィン、マックス・ペルーツ、クリスチャン・アンフィンセン、ウィリアム・スタイン、イリヤ・プリゴジン、ハーバート・ブラウン、ポール・バーグ、ウォルター・ギルバート、ロアルド・ホフマン、アーロン・クルーグ、ジェローム・カール、ハーバート・ハウプトマン、シドニー・アルトマン、シドニー・アルトマン、ルドルフ・マーカス、ジョージ・オラー、ハロルド・クロトー、ウォルター・コーン、アラン・ヒーガー、バリー・シャープレス、アーロン・チカノーバー、アブラム・ハーシュコ、アーウィン・ローズ、ロジャー・コーンバーグ、マーティン・チャルフィー、アダ・ヨナス、ダニエル・シェヒトマン、ロバート・レフコウィッツ、マーティン・カープラス、マイケル・レヴィット、アリー・ウォーシェル

 医学・生理学:イリヤ・メチニコフ、パウル・エールリヒ、ローベルト・バーラーニ、オットー・マイヤーホフ、カール・ラントシュタイナー、オットー・ワールブルク、オットー・レーヴィ、ジョセフ・アーランガー、ハーバート・ガッサー、エルンスト・ボリス・チェーン、ハーマン・J・マラー、ゲルティー・コリ、タデウシュ・ライヒスタイン、セルマン・ワクスマン、ハンス・クレブス、フリッツ・アルベルト・リップマン、ジョシュア・レーダーバーグ、アーサー・コーンバーグ、コンラート・ブロッホ、フランソワ・ジャコブ、アンドレ・ルヴォフ、ジョージ・ワルド、マーシャル・ニーレンバーグ、サルバドール・エドワード・ルリア、ジュリアス・アクセルロッド、ベルンハルト・カッツ、ジェラルド・モーリス・エデルマン、デビッド・ボルティモア、ハワード・マーティン・テミン、バルーク・サミュエル・ブランバーグ、アンドルー・ウィクター・シャリー、ロサリン・ヤロー、ダニエル・ネイサンズ、バルフ・ベナセラフ、セーサル・ミルスタイン、マイケル・ブラウン、ジョーゼフ・ゴールドスタイン、スタンリー・コーエン、リータ・レーヴィ=モンタルチーニ、ガートルード・エリオン、ハロルド・ヴァーマス、アルフレッド・ギルマン、マーティン・ロッドベル、タンリー・B・プルシナー、ロバート・ファーチゴット、ポール・グリーンガード、エリック・カンデル、シドニー・ブレナー、ロバート・ホロビッツ、リチャード・アクセル 、アンドリュー・ファイアー、ラルフ・スタインマン、ブルース・ボイトラー、ランディ・シェクマン、ジェームス・ロスマン

 文学:ロレンツォ・ダ・ポンテ、ハインリッヒ・ハイネ、マルセル・プルースト、ライナー・マリア・リルケ、シュテファン・ツヴァイク、フランツ・カフカ、トリスタン・ツァラ、ヴァルター・ベンヤミン、アンドレ・モーロア、アルベール・カミュ、アーサー・ミラー、アーサー・ケストラー、アルベルト・モラヴィア、ジェローム・サリンジャー、パウル・ツェラン、ノーマン・メイラー、ウル・フォン・ハイゼ、ボリス・パステルナーク、イリヤ・エレンブルグ、アイザック・アシモフ、シュムエル・アグノン、ネリー・ザックス、アイザック・バシェヴィス・シンガー、エリアス・カネッティ、ヨシフ・ブロツキー、ナディン・ゴーディマー、ケルテース・イムレ、エルフリーデ・イェリネク、ハロルド・ピンター、パトリック・モディアノ

 作曲家:フェリックス・メンデルスゾーン、ジャコモ・マイヤーベーア、ヨハン・シュトラウス、ジャック・オッフェンバック、ジョルジュ・ビゼー、エルンスト・ブロッホ、グスタフ・マーラー、アーノルド・シェーンベルグ、ダリウス・ミヨー、ジョージ・ガーシュイン、フェルッチョ・ブゾーニ、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト、クシシュトフ・ペンデレツキ

 クラシック音楽の演奏家:
 〔指揮者〕フェリックス・ワインガルトナー、ピエール・モントゥー、ブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラー、フリッツ・ライナー、ヴィクトル・デ・サバタ、ユージン・オーマンディ、カレル・アンチェル、エーリヒ・ラインスドルフ、クルト・ザンデルリング、ゲオルク・ショルティ、キリル・コンドラシン、レナード・バーンスタイン、ルドルフ・バルシャイ、チャールズ・マッケラス、アンドレ・プレヴィン、ロリン・マゼール、ウラディーミル・アシュケナージ、エリアフ・インバル、ダニエル・バレンボイム、ジェームズ・レヴァイン、マリス・ヤンソンス、ジュゼッペ・シノーポリ
 〔バイオリン奏者〕ヨーゼフ・ヨアヒム、ヘンリク・ヴィエニャフスキ、フリッツ・クライスラー、ヨーゼフ・シゲティ、ヤッシャ・ハイフェッツ、ナタン・ミルスタイン、エリカ・モリーニ、ダヴィッド・オイストラフ、シモン・ゴールドベルク、ユーディ・メニューイン、アイザック・スターン、レオニード・コーガン、ピンカス・ズーカーマン、イッアーク・パールマン
 〔ビオラ奏者〕ユーリ・バシュメット
 〔チェロ奏者〕エマヌエル・フォイヤマン、グレゴール・ピアティゴルスキー、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ミッシャ・マイスキー
 〔ピアニスト〕アルトゥル・シュナーベル、アルトゥール・ルビンシュタイン、ウラディミール・ホロヴィッツ、ルドルフ・ゼルキン、エミール・ギレリス、ベラ・ダヴィドヴィチ、アレクシス・ワイセンベルク、ラザール・ベルマン、ウラディーミル・アシュケナージ、マルタ・アルゲリッチ

 ジャズ演奏家:ベニー・グッドマン、ハービー・マン、スタン・ゲッツ

 ポピュラー音楽家:ボブ・ディラン、ポール・サイモン、アート・ガーファンクル

 画家:アメデオ・モジリアニ、マルク・シャガール

 映画制作:ハリー・ワーナー、セルゲイ・エイゼンシュタイン、ウイリアム・ワイラー、ビリー・ワイルダー、スタンリー・キューブリック、ロマン・ポランスキー、ウディ・アレン、スチーブン・スピルバーグ

 俳優・女優:ユル・ブリンナー、ピーター・セラーズ、マリリン・モンロー、スティーヴン・セガール、ナタリー・ポートマン、スカーレット・ヨハンソン

 財政家・銀行家・実業家:
 〔19世紀以前〕マルクス・マイゼル(ハプスブルグ家財務)、ザームエル・オッペンハイマー(ハプスブルグ家財務)、フランシス・ベアリング(銀行家)、ロスチャイルド一族(多数のため個人名省く。ロートシルト、ロチルド含む)、デイヴィッド・サッスーン(貿易)、ウィリアム・ジャーディンとジェームズ・マセソン(貿易)、マーカス・ゴールドマン(ゴールドマンサックス社)、エイブラハム・クーン、ソロモン・ローブ(クーン・ローブ社)、リーバイ・ストラウス(ジーンズ)、リチャード・ウォーレン・シアーズ(通信販売)、ローランド・ハッシー・メイシー(百貨店)
 〔20世紀前半〕ポール・ロイター(ロイター通信の創立者)、アドルフ・シモン・オックス(ニューヨーク・タイムズ社の社主)、レオポルド・ゾンネマン(フランクフルター・ツァイトニング紙の創立者)、ジョゼフ・ピューリッツアー(新聞社主)、ウィリアム・ペイリー(CBSの創立者)、デイヴィッド・サーノフ(NBCの育成者)カミロ・オリベッテイ(事務機メーカー社主)、バーナード・バルーク(軍需産業)、アンドレ・シトロエン(フランスの自動車王)、ヘレナ・ルビンシュタイン(化粧品)
 〔20世紀後半~21世紀〕マイケル・デル(コンピュータのデル社)、ラリー・エリソン(パソコンソフトのオラクル社)、スチーブン・パルマー(マイクロソフト会長)、サーゲイ・ブリン(グーグル)、サムナー・レッドストーン(メディアのヴァイアコム)、サミュエル・ニューハウス2世&ドナルド・ニューハウス(アドヴァンス出版)、ジョージ・ソロス(クオンタム・ファンド)、ロナルド・ペレルマン(レブロン)、マイケル・ブルームバーグ(金融情報サービスのブルームバーグL.P.)、ラルフ・ローレン(被服・服飾品卸のポロ・ラルフ・ローレン)、モーリス・グリンバーグ(AIG)、エドガー・ブロンフマン1世(酒造のシーグラム)、レナード・ローダー(化粧品のエスティ・ローダー)、ミハイル・フリードマン(オルガリヒ、銀行)、ボリス・ベレゾフスキー(オルガリヒ、石油)、メディア王ウラディミール・グシンスキー(オルガリヒ、メディア)、ミハイル・ホドルスキー(オルガリヒ、石油)

 マフィア:マイヤー・ランスキー

 霊能者:ユリ・ゲラー

 日本関連:ジェイコブ・シフ(日露戦争の戦時国債に協力)、アーサー・ウェイリー(『源氏物語』を英訳)、エドワード・サイデンステッカー(日本文学を英訳)、ブルーノ・タウト(桂離宮などを世界に紹介)、ハリー・デクスター・ホワイト(ハル・ノートを起草)、ハーバート・ノーマン(日本史)、チャールズ・ケーディス、ベアテ・シロタ・ゴードン(GHQで日本国憲法を起草)、マーヴィン・トケイヤー(日本にユダヤ教を紹介したラビ)

 次回に続く。


ユダヤ18~ユダヤ人と日本人
2017-02-28 10:18:56 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ人の多様性

 ユダヤ人は、わが国の多くの人に思われているようには決して一様ではなく、多様性に富んでいる。まずユダヤ教の宗派には、先に書いたように超正統派、正統派、保守派、改革派の四つがあり、宗派によって信仰についての考え方が違う。広義のユダヤ人には、ユダヤ教徒だけでなく、キリスト教徒や無神論者・唯物論者等もいる。政治的にも、イスラエルのユダヤ人には、自由主義者もいれば、社会主義者もいる。右翼政党連合のリクード、左翼の労働党の他、少数党がいくつもある。アラブ諸国との対決を主張する勢力もあれば、和平共存を願う勢力もある。アメリカのユダヤ人には、民主党を支持するリベラルな者が多いが、共和党を支持する保守的な者もいる。古典的自由主義の自由至上主義者(リバータリアン)や新保守主義者(ネオ・コンサーバティスト)すなわちネオコンもいる。また世界的には、自由主義、共産主義、グローバリズム、ナショナリズム、コミュニタリアニズム、コスモポリタニズム等の思想を持つユダヤ人がいる。日本に対しては、猛烈に反日的な者、日本に興味も持たない者、日本の文化を愛する親日的な者、日本人とユダヤ人は共通の祖先を持つという説を信奉する者がいる。また、日本よりも中国・華僑との友好を求める者や、アジア全体を嫌悪する者等もいる。
 このようにユダヤ人の考え方は多様であり、また個人個人の自己主張が強い。また、ユダヤ人社会には様々な団体があり、それぞれの主義主張を唱えている。それゆえ、ユダヤ人は決して一枚岩ではない。また、こうした多様性が様々な分野で驚異的な能力を発揮し得る背景ともなっているだろう。

(3)ユダヤ人と日本人

●ユダヤ教と神道

 ここで第1章と第2章にまたがることとして、ユダヤ教と神道、ユダヤ人と日本人について書く。
 ユダヤ教と神道には、世界の主要な宗教の中で、ともに民族宗教であるという共通点がある。また、主に次のような類似点がある。

(1)生命を肯定し、現世の幸福を追求する。
(2)性愛を自然なものとし、子孫の繁栄を願う。
(3)ラビまたは神職に独身生活を課していない。
(4)労働を神聖な行為とし、労働で得た成果を聖なるものに捧げる。
(5)飲酒を禁じず、儀礼において酒を飲む。
(6)穢れを忌み嫌い、穢れを祓う清めを行う。ユダヤ教では、死体に接した者、月経や出産後の女性は、ミクベ(沐浴場)で首まで水につかって、身を清める。神道では、海や川などで禊を行う。

 ただし、相違点はもっと重要である。ユダヤ教は一神教であり、神道は多神教である。ユダヤ教は神ヤーウェ以外の神々や霊的存在を偶像として禁止する。神道は自然の事物や人間等の八百万の神々を祀る。この違いは決定的である。上記のような類似点を多数挙げたとしても、この決定的な違いを埋めるものではない。
 ユダヤ教は選民思想を持ち、偶像崇拝の禁止とあいまって、ほかの民族や宗教に対して排外的・闘争的である。これに比し、神道は多様なものを受け入れ、これを融和・共存させる。儒教・道教・仏教等が伝来するとこれらを受容し、逆に日本化した。それゆえ、日本には宗教戦争がなかった。
 ユダヤ教は、キリスト教、イスラーム教、ヒンドゥー教、仏教、儒教、道教等と同じく大陸の影響を受けて発生した宗教である。これに対し、神道は、海洋の影響を受けて発生した宗教である。大陸的な宗教が陰の性格を持つのに対し、海洋的な宗教である神道は陽の性格を持つ。明るく開放的で、また調和的・受容的である。多神教であるうえに海洋的であることが、神道の共存調和性のもとになっている。

 ところで、ユダヤ教と神道は同じ根源を持つという説は、その証と一つとして、伊勢神宮参道の石灯籠にダビデの星と同じ六芒星が彫られていることを挙げる。だが、ユダヤ教は偶像崇拝や神についていかなる図像も禁止しており、ダビデの星については、聖書には何も書かれていない。また、この図形は、ユダヤ教独自のシンボルではない。すでに考古学でいう青銅器時代に西はブリテン島から東はメソポタミアに至る広い地域の諸民族が使用しており、古代・中世には地球上のさまざまな民族が用いていた。中世の西方キリスト教社会では「ソロモンの封印」と呼ばれ、教会建築の幾何学的装飾文様として頻繁に用いられた。
 この図形がユダヤ人の象徴としてユダヤ人の間で普及するのは19世紀のことであり、1898年の第2回シオニスト会議においてシオニストの旗印に選定されて以降のことである。
 それゆえ、伊勢神宮参道の石灯籠の六芒星をダビデの星だとし、ユダヤ教と神道が同根であることの証とするのは、間違いである。

●同祖論に確かな根拠なし

 次に、ユダヤ人と日本人の関係について、ユダヤ人と日本人は共通の祖先を持つという説がある。日猶同祖論という。
 日猶同祖論の始めは、英国人のノーマン・マクレオドが1875年(明治8年)に長崎の出版社から刊行した英文の書『日本古代史の縮図』である。マクレオドは幕末に来日し、古代イスラエルと日本の習慣の類似性に関心を持ち、日本人はユダヤの第10支族の子孫であり、天皇家の歴史は古代イスラエル王家の歴史を継承したものであると唱えた。本書は1901年に『ユダヤ百科事典』に取り上げられ、アインシュタインがそれを読んで日本に関心を抱いたといわれる。
 日本人では、東洋史学者の佐伯好郎が、1908年(明治41年)の論文「太秦(うずまさ)を論ず」で、京都の太秦に住んだ渡来系の豪族・秦氏はユダヤ人だったと主張した。また、1932年(昭和7年)にキリスト教の牧師・中田重治が、太古の日本にユダヤ人が渡来し、彼らと先住民の混血により今日の日本人が誕生したと説いた。
 今日も日猶同祖論は一部のユダヤ人と日本人によって説かれているが、人類学的にも遺伝学的にも歴史学的にも、確かな根拠を持たない仮説である。

 次回に続く。


ユダヤ19~ユダヤ教の起源
2017-03-03 09:32:45 | ユダヤ的価値観
 今回から、ユダヤ人の歴史を綴る。本稿の主題である「ユダヤ的価値観の超克」という観点から書くものである。

(1)契約から亡国へ~古代
 
●ユダヤ教の起源
 
 ユダヤ人の歴史は、ユダヤ教の歴史であり、またユダヤ文明の歴史である。ユダヤ人の歴史を語るときは、ユダヤ教の歴史とユダヤ文明の歴史をともに語ることになる。
 ユダヤ教は、明確な教祖を持たない民族宗教である。だが、啓典宗教として、ユダヤ教及びユダヤ民族の歴史を記した書物を持つ。律法の書、トーラーである。それによると、ユダヤ民族は、最初の人間をアダムとする。その子孫であり大洪水で生存したノアには、セム・ハム・ヤペテの三人の子があった。その長子セムの子孫であるアブラハムが神と契約を結んだ。契約の時期は紀元前2千年紀の初頭であり、アブラハムは神ヤーウェからカナンの地を与えるという約束を受けた。これをアブラハム契約という。カナンのちのパレスチナはユダヤ民族の「約束の地」になったと信じられている。
 アブラハムは、ヘブライ人であり、遊牧民の族長だった。その孫ヤコブには、12人の子があった。その子らは、12部族の名祖となった。ヤコブは、別名をイスラエルといった。ヤコブとその後裔である12部族を総称して、イスラエル人という。
 ヤコブらは飢饉を逃れて、エジプトへ移住した。その子孫は、エジプト人の奴隷にされて苦役に服すようになった。紀元前13世紀後半、彼らの指導者であるモーセは、族長の神と名のる神の顕現を受けた。そして紀元前1280年ころ、イスラエル人を率いてエジプトを脱出した。これを、出エジプトという。モーセは、紅海で海が割れる奇跡を起こし、エジプト軍の追跡から逃れたとされる。
 モーセは、シナイ山において神と契約を結んだ。これをシナイ契約という。この契約によって、アブラハム=モーセの神はイスラエル人の唯一の神とされ、イスラエル人、後世のユダヤ民族は神ヤーウェに選ばれた唯一の民族と信じられた。これが選民思想である。
 モーセが神ヤーウェから与えられた律法が、十戒である。十戒は、ユダヤ教の教義の中核をなすものであり、ユダヤ教徒としてのユダヤ民族の生き方を決定する規範となった。
 ユダヤ教の起源について、ポール・ジョンソンは、著書『ユダヤ人の歴史』に、次のように書いている。
 ユダヤ教は、「その誕生においては、最も革命的な宗教であった。古代の世界観が打ち砕かれる過程は、道徳的な一神教の誕生とともに始まったのである」。唯一全能の神という観念にいたったイスラエル人にとっては、「宇宙全体が神の被創造物に過ぎない」。「神以外に力の源はどこにもない」。「無限の偉大さを有しているがゆえに、神の姿を表現しようなどと考えるのは、ばかばかしいだけである」と。
 古代の中東・北アフリカは、ほぼ氏族・部族ごとにさまざまな神を崇める多神教が群生していた。これに対し、イスラエル人、後世のユダヤ人は一神教を生み出した。彼らの一神教は、一元的な原理に基づくものである。一元的な原理に基づく思考は、一種の合理主義といえる。
 ジョンソンは、大意次のように述べる。「ユダヤ人の合理化の過程は、一神教の導入とそれを倫理と結びつけることによって始まった。これはまずモーセの業績であった」。モーセは奇跡を起こし、初期の預言者は秘術を行った。しかし、それでもなお「モーセの時代以降、合理主義は歴史上一貫して、ユダヤ人が抱く信仰の中心的要素の一つであった。ある意味では、これこそ彼らの信仰の核心である。一神教自体が、宗教の合理化だからである。もし超自然的、神秘的な力が存在するとすれば、それがどうして森や泉、川や岩に発するといえるだろうか」と。そして、「合理的思考過程を神に当てはめれば、力と徳において人間を限りなく凌駕し、系統だった道徳的原則に常に従って行動する唯一全能で人格的な神の概念は、当然なる論理的帰結である」と、ジョンソンは主張している。

 次回に続く。


ユダヤ20~ダビデ=ソロモンから預言者の時代へ
2017-03-05 08:52:25 | ユダヤ的価値観
●ダビデ=ソロモンの時代

 モーセの指導下にカナンに定着したイスラエル人の12部族は、約200年の間繁栄を続けた。彼らは神ヤーウェを王と仰ぎ、人間の王を持たずに、平等な社会を形成していたとされる。
 紀元前1000年ころ、ユダ族のダビデがユダ王国を建て、エルサレムを首都に定め、イスラエル・ユダ連合による統一イスラエル王国を築いた。シリア・パレスティナ全域を統治する国家となった。ヘブライ王国ともいう。
 ダビデの子ソロモンは、紀元前10世紀にエルサレムのシオンの丘に神殿を建立した。神ヤーウェはダビデ家をイスラエルの支配者として選び、シオンを神を祀る唯一の場所に定める約束をしたと理解された。これをダビデ契約という。この思想から、世の終りにダビデ家の子孫からメシア(救世主)が現れるという信仰が生まれた。メシアはヘブライ語で、原義は「油を注がれた者」である。

●預言者の時代
 
 ダビデが建設したヘブライ王国では、約400年間、王制が続いた。それによって平等な関係は崩壊して、支配・被支配の構造が生じた。預言者は王制を批判した。その後、ヘブライ王国はイスラエル王国とユダ王国に分裂した。王国が分裂・崩壊する中で、預言者たちは神ヤーウェの掟に背く指導者や民衆に対して、さまざまな形で警鐘を鳴らした。時には奇跡を示して神への帰依を説いたことが、聖書にしるされている。この時代を、預言者の時代という。
 ユダヤ民族は、もともと遊牧民だったが、カナン移住後、定住農民ないし都市住民となった。その結果、紀元前8世紀から沃地の神であるバールの信仰が浸透していった。これに対し、預言者たちは、砂漠の神ヤーウェの信仰の伝統を守ろうとした。ここには、遊牧文化と農耕文化の相違、遊牧民の宗教と農耕民の宗教の対立が見られる。
 ここで現れた有力な預言者が、エリヤである。紀元前9世紀ころエリヤは、国王のバール信仰に反対し、ヤーウェ信仰を守護した。エリヤは、農耕儀礼的な呪術に抗して、良心の「静かな細い声」を聞くように説き、個人の良心に訴えた。そのような訴えをしたのは、ユダヤ教の歴史においてエリヤが始めてと見られる。
 次に続いたのは、イザヤと呼ばれる預言者である。イザヤには、第1イザヤから第3イザヤまでいる。第1イザヤは、紀元前8世紀後半に現れ、神ヤーウェの正義と救世主の出現を説いて、王と民衆に神への帰依を説いた。エリヤと同じく個人の良心に訴え、倫理的な心の宗教を説いた。紀元前6世紀の第2イザヤは、部族・民族・人種とは切り離された個人こそ、信仰を抱き続ける主体であることを強調した。そこには、集団から自立した個人という新しい観念が見られる。
 このほか、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルらの預言者が著名である。聖書の16巻の預言書のうち、『イザヤ書』『エレミヤ書』『エゼキエル書』『ダニエル書』は大預言書とされる。
 これらの預言者たちは、バール信仰に伴う儀礼を偶像崇拝的な呪術として斥けた。それによって、ユダヤ教の中にあった儀礼的な要素が後退した。そして、紀元前7世紀の『申命記』の時代に、律法に基づく倫理的応報思想が登場した。やがてその思想が確立された。律法を絶対的規範とし、その遵守を義務とする因果律の思想である。
 プロテスタンティズムとの関係でこの思想に注目したのが、偉大な社会学者マックス・ウェーバーである。ウェーバーは、ユダヤ教では呪術的な性格を持つ儀礼的要素が後退したことによって、道徳法則に、それがそのまま神の命令であるという絶対的性格を与えられていったとし、そこに厳しい禁欲的倫理が形成される根本的誘因がある、と主張した。

●バビロン捕囚とユダヤ教の改革

 預言者の時代の途中である紀元前586年に、ユダ王国はネブカネドザル2世の新バビロニア王国に滅ぼされた。エルサレム神殿は破壊され、ユダヤ人はバビロンに捕虜として連行された。
 バビロン捕囚は、約半世紀続いた。圧倒的な政治力・経済力を持つ異郷の地での生活を強いられた。王国はなく、神殿もなかった。この苦難の体験は、ユダヤ人の信仰を堅固なものとした。そこが、ユダヤ民族の非凡なところである。国は滅んでも、宗教的・民族的な共同体として生き続けるための改革が行われた。神ヤーウェとの契約を確認し直し、民族の歴史を振り返って、ユダヤ民族のアイデンティティを確立した。神ヤーウェは、この世界を創造した神であり、唯一神であると位置づけられ、創世記の天地創造の物語が記述された。この時期の代表的な預言者が、先に触れた第2イザヤである。
 新バビロニア王国は、アケメネス朝ペルシャに滅ぼされた。紀元前538年にキュロス2世が捕囚民の解放令を発布すると、ユダヤ人の一部はユダヤの地に帰還した。ここでユダヤとは、イスラエル12部族の一つユダ族の居住地の名称である。それが民族全体を表す語となった。
 帰還後、ユダヤ王朝の復興は許されず、ユダヤ人は王国の再建を断念した。捕囚期に改革・強化されたヤーウェ信仰のもとに、エルサレム神殿を再建した。これを第2神殿と呼ぶ。この神殿は、紀元後70年にローマ人によって破壊されることになるが、それまでユダヤ人はエルサレム神殿を中心として結束し、律法の遵守を実行した。

●禁欲的道徳と他民族への怨恨
 
 預言者の時代に、ユダヤ人は、律法に基づく倫理的応報思想を確立し、以後、禁欲的で道徳的な生活に努めた。その生活態度は、異民族に対する怨恨の感情と結びついていた。それが、ユダヤ人の顕著な特徴の一つである。ユダヤ人が異民族支配下に置かれた捕囚期以降に成立した聖書の『詩篇』には、支配民族への怨恨が強く表れている。
 ユダヤ人は、次のように考えた。暴虐な支配者は、神を恐れぬ不道徳な生活を送っているから、やがて神の裁きを受けて滅ぼされるに違いない。われわれユダヤ人は、神の命令に背いたかつての罪を悔い改め、律法を守る生活を送っている。それゆえ、神は、われらの祈りと願いに応えて、必ず救ってくださる、と。この思いの底には、復讐心が脈打っている。
 復讐心に裏付けられた禁欲的道徳意識は、自らにさらに厳格な戒律を課すことによって強められた。そのような改革を進めたのが、紀元前5世紀中葉の律法学者エズラである。エズラは、バビロニアからモーセの律法の巻物を携えてパレスチナに来た。成分律法は、その時代までに変更不可能な啓典として成立していた。エズラは、それを変化する現実に適用する方法を教えた。エズラ以後、ユダヤ人は、成文律法より広範囲な権威に基づいて決定された法規にも、成文律法と同等の神聖な権威を認めるようになった。これを口伝律法という。広義の律法は、この口伝によるものを含む。

 次回に続く。


ユダヤ21~激動、亡国、そして流浪へ
2017-03-07 09:24:08 | ユダヤ的価値観
●「ラビのユダヤ教」の時代
 
 エズラ以後、約1000年の間に、口伝律法は発展・集積された。口伝律法の研究と発展に携わった律法学者は、ラビと尊称された。そこで、この時代に形成されたユダヤ教を「ラビのユダヤ教」と呼ぶ。中世以後、現代に至るユダヤ教は、「ラビのユダヤ教」が確立した教義に基づく。
 「ラビのユダヤ教」の時代は、ユダヤ民族が何度も絶滅の危機にさらされた激動の時代だった。紀元前4世紀末、ギリシャのアレクサンドロス大王の東征によってヘレニズム化の波が、ユダヤ人を襲った。その政治的・文化的衝撃は大きく、ユダヤ人共同体は、存立を根底から揺るがされた。紀元前2世紀中葉、ユダヤ人共同体を征服したセレウコス朝シリアの王アンティオコス4世は、ユダヤ教を禁止して神殿をゼウス神殿と呼ばせるなど、ヘレニズム化政策を強行した。ユダヤ人は信仰を守るために、マカベアスのユダを中心として反乱を起こした。これをマカベア戦争という。ユダヤ人は長い苦闘の末、自治を獲得し、ハスモン王朝によるユダヤ教国家を建設した。
 その後も激動は続いた。地中海地域を支配するようになったローマ帝国が、最大の危機をもたらしたのである。

●ローマの支配と神殿破壊、流浪の民へ

 紀元前63年、ユダヤ人共同体はローマ帝国の属領となり、ローマの属王ヘロデの過酷な支配を受けた。さらにローマ人総督ピラトが悪政の限りを尽くしたため、紀元後66年にユダヤ人は大反乱を起こした。だが、反乱は70年に鎮圧され、ローマ軍によってエルサレムの都市と神殿が破壊された。その結果、ユダヤ人は祖国を喪失し、流浪の民となった。ここに、古代ユダヤ文明は消滅した。その後は、イスラエルの建国によって、現代ユダヤ文明が形成されるまで、ユダヤの文化は、ユダヤ教諸社会において継承・発展されていった。
 ユダヤ人は、バビロン捕囚時代から、神殿での祭儀なしに民族的・宗教的共同体を維持する改革を行ってきた。ユダヤ教の信仰は、儀礼的な要素が後退する一方、倫理的応報思想が確立されていた。エルサレムでの第2神殿時代には、礼拝と律法研究のために、 安息日ごとに各居住地の成員が集まるシナゴーグが発達した。神殿での祭儀が不可能となったことで、シナゴーグでの教典学習が、ユダヤ教の信仰活動の中心となった。
 ユダヤ人はまたこの時代に、ユダヤ教の聖典を定めた。ユダヤ教徒が聖書を確定したのは、紀元90年ごろとされる。
 ユダヤ人は132年に第2反乱を起こしたが、鎮圧されると、共同体の中心地をガリラヤに移した。キリスト教を国教にしたローマ帝国の弾圧によって、5世紀初頭にユダヤ教総主教職が廃止されるまでこの地で活動を続けた。
 口伝律法は口頭で伝承されたが、紀元後200年ころ、ユダヤ教の最高指導者である総主教のイェフダによって、ミシュナに集成された。さらにミシュナの本文に基づく口伝律法の研究が積み重ねられ、4世紀末にエルサレム・タルムードの編纂が完成した。
 
●バビロニアのディアスポラとタルムード
 
 紀元前6C後半、バビロン捕囚が解かれたとき、ペルシャにとどまるユダヤ人もいた。他にもパレスチナ本国以外に住むユダヤ人が増えていった。彼らディアスポラは、紀元後1世紀には、本国の人口の数十倍に達した。その大部分はローマ帝国内に居住したが、ユダヤ人が反乱を起こして厳しい弾圧を受けると、ディアスポラも弾圧を受けた。そのため、ローマ帝国の支配の及ばないバビロニアのディアスポラが、徐々にユダヤ教社会の中心になっていった。
 特に5世紀初頭にローマ帝国によって総主教職が廃止されため、その後は、バビロニア各地の教学院 (イェシバー) で律法学者たちが、「ラビのユダヤ教」を完成させていった。この地でも口伝律法が編纂され、バビロニア・タルムードがつくられた。
 こうして聖書(タナハ)に加えて、ミシュナとタルムードがユダヤ教の聖典となった。タルムードは、その後もさらに約1200年の間、議論が続けられ、ユダヤ人の知恵の集大成となった。

 次回に続く。


ユダヤ22~中世から近代へ
2017-03-09 08:48:07 | ユダヤ的価値観
(2)離散と迫害~中世から近代へ

●ユダヤ=キリスト教のヨーロッパへの普及
 
 ユダヤ教の歴史で世界史的な重要性を持つ出来事の一つは、ユダヤ教の中からキリスト教が生まれたことである。紀元30年前後にナザレのイエスが、ユダヤ教を改革する教えを説いた。世界の歴史において人類に最も大きな影響を与えたユダヤ人は、ナザレのイエスである。次がカール・マルクス、その次がアルバート・アインシュタインと私は考える。
 イエスの死後、彼の弟子たちがイエスの教えを広めた。それがキリスト教となった。キリスト教はイエスをキリストとするが、もとはユダヤ教に根差す教えである。どこまで差別化しても、母体がユダヤ教であることは変わらない。
 私は、キリスト教がユダヤ教と同根であることを強調するとき、ユダヤ=キリスト教と呼ぶ。また、私は、キリスト教について、ユダヤ教の違いを認めつつ、欧米の宗教の基底にはユダヤ教の要素があることを強調する時にも、ユダヤ=キリスト教と書く。
 ユダヤ民族は、ローマ軍に国家を滅ぼされ、神殿を破壊されたことによってディアスポラになった。その一方、キリスト教はローマ帝国の国教となり、帝国の滅亡後はゲルマン人に広まり、ヨーロッパ文明の中核的な宗教となった。ユダヤ民族は、ユダヤ=キリスト教という文化要素を、ギリシャ=ローマ文明経由でヨーロッパ文明に提供したわけである。
 ヨーロッパ文明及びそれが北米にも広がった西洋文明は、ギリシャ=ローマ文明、ユダヤ=キリスト教、ゲルマン民族の文化という三つの主要な文化要素を持つ。これらの三要素のうち、ユダヤ=キリスト教が宗教的な中核となったことが、ヨーロッパ文明及び西洋文明の根本的な性格を定めた。
 ゲルマン民族はキリスト教への改宗を通じて、ユダヤ教の思想・文化を間接的に摂取した。ゲルマン民族のキリスト教化は、ヘブライズム(ユダヤ文化)がヨーロッパの内陸部・北西部に伝播する過程でもあった。キリスト教を通じてヨーロッパ文明に流入したユダヤ教の要素が重要な作用をするようになるのは、16世紀以降である。貨幣経済が発達し、またプロテスタンティズムが台頭した時期からである。それとともに、ユダヤ的価値観が、西方キリスト教社会に浸透していくようになった。

●フランク王国のユダヤ人

 世界史を古代、中世、近代、現代を分けるのは、西洋史をモデルにしたもので、必ずしも適当ではない。だが、本稿はユダヤ教・ユダヤ人・ユダヤ文明について書いているので、ヨーロッパの中世をユダヤ教社会やイスラーム文明と関係づけるために、世界的な中世というとらえ方をすると、構図が取りやすい。そこで世界的な中世という用語を使う。
 世界的な中世におけるユダヤの宗教・民族・文明を語るには、古代ローマ帝国の末期から始める必要がある。
 ローマ帝国は395年に、西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂した。その後、西ローマ帝国は、476年に滅亡した。これによって、ギリシャ=ローマ文明は滅んだ。ギリシャ=ローマ文明は、環地中海圏を舞台として興亡し、ヨーロッパの南東部を中心とした。これに対し、ヨーロッパ文明は内陸部であるアルプス以北のヨーロッパ西部で発達し、その地域を中心に発達した。
 ユダヤ人は、紀元1世紀にはローマ帝国の国境を越えて周辺地域にまで移り住んでいた。スペイン、プロヴァンスやガリア各地にその形跡が見られる。また、最初の重要なユダヤ人社会はシチリアと南イタリアに作られ、ローマ帝国の崩壊後も存続し、1091年までビザンチン帝国下にあった。
 ヨーロッパ文明の主たる担い手は、ゲルマン民族である。今のフランスの辺りであるガリア地方では、フランク族のクローヴィスが、481年にフランク王国を建国した。これが、メロビング朝の始めである。クローヴィスは496年に、自らカソリックに改宗した。王の改宗によって、ゲルマン民族は徐々にキリスト教化していった。メロビング朝時代にはユダヤ人はほかの住民と同じ権利を認められ、商人・職人として繁栄していたと伝えられる。
 751年にピピン3世が即位し、カロリング朝に替わった。ユダヤ人は有益な通商網を有し、稀有な職能をもち、すばやく富を蓄積する。それゆえ、権力を握る者は常にユダヤ人を好んだ。ピピン3世も同様だった。彼は、アラビアに勃興したイスラーム教国が南フランスに進出した際、これに応戦し、同地域でのイスラーム教徒最後の拠点ナルボンヌの占領に成功した。この時、多大なる武器援助を惜しまなかったユダヤ人に対し、ピピン3世は感謝の念をこめて、ナルボンヌ市の半分を寄贈したという。
 768年にピピン3世の子、シャルルマーニュが即位した。シャルルマーニュは800年に、ローマ教皇レオ3世からローマ皇帝の帝冠を受け、カール大帝として西ローマ帝国の理念を復興した。カール大帝は異教徒をキリスト教へ改宗させるべく強制布教を行った。だが、ユダヤ人については「聖書の民」であるとの理由で、ユダヤ教信仰とその祭儀を保持することを許した。また、ユダヤ人を「王の動産」として保護した。王の保護のもとで、ユダヤ人は自由な通商貿易を行うことを許され、優れた能力を表した。
 8世紀後半にアッバース朝のイスラーム帝国が隆盛した。そのため、キリスト教徒にとっては、東方との交易が困難になった。この時、東西各地に四散していたユダヤ人は陸路・海路で東方貿易を行い、小アジア、ペルシャ、インド、シナへと出かけて、フランク王国に多くの利益をもたらした。
 カール大帝と彼の息子、敬虔王ルイ1世は、イタリアのユダヤ人に対し、プロヴァンスやライン地方に移住することを奨励した。彼らの狙いは、遅れた農業地域だったこれらの地方に、活発な商業活動をもたらすことだった。ルイ1世は825年、定着を推進するためのいくつかの憲章をユダヤ人に授けた。
 ローマ帝国時代には、ライン川に沿ってローマ軍の最前線である要塞が築かれ、ユダヤ人がここに商人として物資を供給していた。カロリング朝では、ライン地方のケルン、マインツ、ヴォルム、シュパイヤーなどにユダヤ人社会が形成され、以後中央ヨーロッパにおけるユダヤ人の定着地として繁栄した。これらの地方はヘブライ語で東を意味するアシュケナジと呼ばれたので、同地域に住むユダヤ人をアシュケナジムと称するようになった。

 次回に続く。


ユダヤ23~中世欧州での職業特化
2017-03-11 08:55:42 | ユダヤ的価値観
●中世ヨーロッパでのユダヤ人の職業特化
 
 ユダヤ人は、類まれな経済的能力を発揮する。その背後には、古代西アジア諸文明の経済文化がある。メソポタミア文明の古代バビロニア王国では、ハンムラビ王が、紀元前18~17世紀に「ハンムラビ法典」を制定した。法典は、大商人から元手を借りて商業を行なう代理人が利益をあげなかった時は、借りた銀の2倍を返すと定めていた。貧民は神殿で食料、種などを借りられ、貸付利子は大麦が33%、銀が20%だった。また為替で特定額の貸付を行うことが、ハンムラビ王の時代には知られていた。ヒッタイト人、フェニキア人、エジプト人の間でも、利子は合法的であり、しばしば国家によって利子率が決定された。
 イスラーム文明で8世紀後半に樹立されたアッバース朝では、経済規模の拡大に通貨の供給が追いつかなかった。金銀貨の両替に当たる銀行が一種の小切手を振り出し、その使用が一般化した。バグダードには多くの銀行が設立され、そこで振り出された小切手は、アフリカ北西端のモロッコでも現金化できたという。
 こうした古代バビロニア王国からアッバース朝にいたる2千年以上の経済的伝統をよく体得したのが、ユダヤ人だった。ユダヤ人は、西アジアで興亡した諸文明の経済文化を継承した。モーセ五書の一つ、『申命記』23章21節に「外国人には利子を付けて貸してもよいが、同胞には利子を付けて貸してはならない。」と定めている。外国人からは利子を取っても、取り立てをしてもよいという教えである。
 故国を失って離散したユダヤ人は、移住した地で生活していくための職能を身につけた。その職能のひとつが商業だった。外国語を習得し、異文明間の交流において通訳と交易を行うことができるユダヤ人は、各地の為政者に重用された。
 西ヨーロッパから中央ヨーロッパに広がる当時のヨーロッパ文明において、ユダヤ人は商人としての技量を買われて、支配者たちに招かれた。土地所有者と農民からなる封建社会の枠組みからは、最初から外されていた。土地所有から切り離された結果、ユダヤ人は都市の住民となった。法的地位は王、封建領主あるいは司教たちに全面的に依拠していた。
 キリスト教に改宗しないユダヤ人は異教徒として差別され、市民権を与えられなかった。ユダヤ人が携わることのできた職業は極めて限られていた。金貸し業、税の集金、小規模な質屋、古物の売買などである。しかし、一部のユダヤ人は職業選択の制限を逆に生かし、金融と投資に関する専門技術を発達させた。ユダヤ人は、迫害・追放のたびに簡単に奪われる不動産・家畜などではなく、容易に持ち運べて隠せるものに財産を変えておく必要があった。それには金銀や宝石が向いていた。そこから彼らは金銀宝石を扱う商業のプロにもなっていった。12世紀から西欧のユダヤ人には銀行業や商業で成功する者や宮廷に出入りする者も出た。社会的地位は低かったものの、経済的な実力によって階層を上昇し得る道を切り開いていった。
 また、度重なる追放と強制的な移住で、ユダヤ人はヨーロッパの分散居住するようになったが、その結果、ユダヤ人は各地をつなぐ情報・金融・流通の国際的なネットワークを形成した。それが彼らの集団の他にない強みとなった。

●イスラーム帝国でのユダヤ人
 
 さて、当時ヨーロッパ文明より遥かに先進的だったイスラーム文明の帝国は、西アジア・北アフリカで急速に版図を拡大していた。この拡大に伴い、ムスリム商人の手でユーラシア諸地域がネットワークでつなげられ、巨大な交易圏が形成された。その中でユダヤ人は縦横に活躍した。
 9世紀のイスラーム教徒の地理学者イブン・フルダーズベは、『諸道路と諸国の書』にユダヤ人の活躍を書いている。「時としてユダヤ商人は、フランク族の住まう地方から船出して、西方の海を横切ってアンティオキアに至り、そこからバグダードを経てオマーン、インド、シナへと赴く」と。
 イスラーム教国は711年にスペインを征服し、統治下に置いていた。イベリア半島では、その前にローマ帝国の末期である5世紀初めに、ゲルマン民族が侵入し、西ゴート族がスペインを支配するようになり、カソリックに改宗していた。
 イスラームの支配下のスペインで、ユダヤ人はアラブ人に協力して、イスラーム文化の黄金時代を築いた。ユダヤ人はアラブ人に重用され、政府の要人、財政相談役、学者、医者、商人等として大いに貢献した。彼らはアラビア語を話したが、宗教はユダヤ教を保った。居住地は一定の地域に限定されていたものの活動の自由があった。ユダヤ人共同体は、10世紀までバビロニアが中心だったが、10世紀以後は、イスラーム教徒が支配する北アフリカとスペインで繁栄した。
 こうしてユダヤ人社会には、11世紀までに、スペインを中心とするイスラーム教圏のセファルディムと、ヨーロッパ・キリスト教圏のアシュケナジムの二つの大きな文化的集団が確立した。
 セファルディムが居住するイスラーム文明において、ユダヤ人は「啓典の民」として比較的恵まれた地位を与えられ、人頭税の支払いを条件に信仰の自由を得た。また移動の自由、居住の自由等も与えられた。これはアシュケナジムを迫害し続けたヨーロッパ文明とは、著しい違いである。とりわけ約600年間にわたり中東を支配したオスマン帝国は、ユダヤ人を厚遇し、宰相にさえ登用した。イスラーム教徒とユダヤ教徒の共生関係が崩れるのは、1948年のイスラエル建国後のことである。これもまた西方キリスト教諸国の思惑が生み出した状況である。

 次回に続く。


ユダヤ24~反ユダヤ主義と宗教的迫害
2017-03-13 09:30:31 | ユダヤ的価値観
●中世ヨーロッパの反ユダヤ主義
 
 ユダヤ人に対する抑圧とそれを正当化する思想を、反ユダヤ主義という。反ユダヤ主義は、古代オリエント地方や古代ローマ帝国には存在しなかった。ローマ帝国では、ローマ市民権を持つユダヤ人は、4世紀末まで、帝国内のあらゆる公職に就任できた。しかし、キリスト教の中からユダヤ人を宗教的に非難する思想が発達した。
 キリスト教は、パウロによって、「神は愛である」という教義を核心とする愛の宗教として発展した。だが、そのパウロが書いた『テサロニケの信徒への手紙一』2章15~16節には、次のようにある。「ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく、わたしたちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、異邦人が救われるようにわたしたちが語るのを妨げています。こうして、いつも自分たちの罪をあふれんばかりに増やしているのです。しかし、神の怒りは余すところなく彼らの上に臨みます。」と。
 この記述は、イエス殺害の責任を当時、エルサレムにいた特定のユダヤ人だけでなく、ユダヤ人全体に負わせている。また、預言者の殺害やキリスト教徒への迫害、異邦人への布教の妨害についても、ユダヤ人を非難し、神の怒りがユダヤ人に向けられると説いている。
 2世紀初めころに成立した『ヨハネによる福音書』8章44節では、イエスがユダヤ人たちに「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。」と説く。ここには、ユダヤ人を「悪魔の子」とする思想が表れている。
 キリスト教が西欧社会に深く浸透するまで、ユダヤ人はそれほど迫害されていなかった。キリスト教が西欧社会に深く浸透し、カトリック教会の支配が確立すると、カトリックの教義によって、ユダヤ人迫害が激しくなった。「イエスを磔刑に処し、死に至らしめた責任は、ユダヤ人にある」とされたことから、キリスト教の反ユダヤ主義が始まった。
 反ユダヤ主義は、ローマ帝国の法制度に影響を及ぼすようになった。438年のテオドシウス法典は、ユダヤ人の公職就任を初めて法的に禁止した。帝国内でキリスト教の勢力が増大するなかで、救世主を死に至らしめたユダヤ人が救世主の救おうとした人々に権威を振るうのはおかしいと考えられるようになったのである。ただし、ユダヤ人は市民権を奪われることはなく、市民権に付随する諸々の基本的権利を法によって保護されていた。
 反ユダヤ主義は、佐藤唯行によると、次の4つの現れ方をしてきた。

(1)宗教的な敵意: キリスト教の教義自体に内在するユダヤ人への敵意
(2)物理的暴力行使: 身体に直接的危害を加えるもの。ナチスのホロコースト等
(3)反ユダヤ・キャンペーン: 言葉・活字・メディアによる誹謗・中傷
(4)社会・経済的排斥: 就学・就業・昇進の際に加えられる差別や排斥

 (1)は、キリスト教の形成期から表れているものである。先に記した『テサロニケの信徒への手紙一』『ヨハネによる福音書』の引用部分等に、その思想が書かれている。
 (2)(3)(4)は、12~13世紀になってから出現した。時期は十字軍の時代と重なる。異教徒であるイスラーム教徒への聖戦意識から、ヨーロッパの内なる異教徒であるユダヤ人にも憎悪が向けられた。同じころ、ユダヤ人が金融を通じて影響力を及ぼし始めたことも、反ユダヤ主義が増大する原因となった。

●十字軍とユダヤ人迫害の開始

 イスラーム文明が興隆した後、ヨーロッパ文明は地中海から閉め出され、陸地に封じ込められていた。だが、11世紀になるとイスラーム文明に反攻を開始した。それが、十字軍である。十字軍は、イスラーム文明の外圧をはねかえそうとする動きだった。この二つの文明の間の戦いは、キリスト教とイスラーム教との宗教戦争であり、またユダヤ教を元祖とするセム系一神教、聖書を共有する啓典宗教同士の争いだった。十字軍は約200年の間に8回行われた。戦いは、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の共通の聖地であるエルサレムを巡る攻防を一つの要素とした。
 ユダヤ人とキリスト教徒の間は、11世紀末近くまで、安定した関係が続いていた。第1回十字軍が始まる前の1066年に、イギリスでノルマン・コンクエストがあったが、この時、ウィリアム征服王はフランスのルアン地方からユダヤ人を帯同した。彼らは医師、貿易商、金貸しなどとして王家に仕えた。ユダヤ人は、イギリスでも一定の保護を受け、王の動産として扱われた。
 ところが、十字軍の動きが始まると、様相は大きく変わった。遠隔地の非キリスト教徒に向けられた宗教的憎悪が、身近にいるユダヤ人に対しても向けられたのである。それによって、血腥いユダヤ人迫害の歴史が始まった。
 1096年春、第1回十字軍がヨーロッパを横切って東方に向かった時、その最初の犠牲者となったのはライン地方に住むユダヤ人だった。ユダヤ人の大量虐殺と強制改宗が行なわれた。第2回、第3回十字軍の際にも同様の事件があった。
 この時代まで、キリスト教徒は、イエス=キリストを殺害した先祖の罪ゆえにユダヤ人が罰せられるべきだとは信じていなかった。彼らは、イエスと同時代のユダヤ人はイエスの行った奇跡を目撃し、預言が実現したのを目の当たりしたのに、イエスが貧しく身分が卑しかったがゆえに彼を承認することを拒絶したことを以て、ユダヤ人の罪だと考えた。

 次回に続く。


ユダヤ25~カトリックが迫害の教義を確立
2017-03-15 09:23:22 | ユダヤ的価値観
●カトリックが迫害の教義を確立
 
 十字軍の遠征が繰り返し行なわれるようになると、ヴェネチアなどイタリアの共和国が地中海貿易を独占するようになった。このことは、貿易におけるユダヤ人の地位を低下させた。また、製造業や商業などでは、次第に職能組合であるギルドが支配するようになった。ユダヤ人はこのギルドから通常、排除された。
 北イタリアでは、ユダヤ人の経済状況は幾分恵まれていたが、教皇の力が強まるにつれ、ユダヤ人に対する統制が強化された。教皇はたびたび会議を招集して、ユダヤ人の自由と権利を制限する法令を発布した。その中には、ユダヤ人とキリスト教徒を社会的に隔離しようとするものがあった。1179年に開かれた第3回ラテラノ公会議で、キリスト教徒とユダヤ人の混住を禁じることが決定された。また同じ公会議で、キリスト教徒の間では金銭の貸し借りに金利を取ってはならないという法令が出された。この法令は、ユダヤ人がキリスト教徒に金銭を貸す場合には適用されなかった。そのため、ユダヤ人が他の経済活動から排除されつつある状況では、彼らに残された職業は金貸し業だけになったも同然だった。
 13世紀までには、カトリック教会で、ユダヤ人はイエスを磔刑に処し、死に至らしめた罪により、永久に隷属的地位に置かれるべきだという教えが確立された。
 『物語ユダヤ人の歴史』の著者レイモンド・シェインドリンによると、ヨーロッパの一般庶民の間に定着していった反ユダヤ的感情の一部は「恐怖感」に根ざしたものだった。「文字も読めず、迷信深い中世の農民たちの目には、不思議な習慣と、奇妙な宗教儀式、それにヘブライ語の祈りを行うユダヤ人は、単に社会的、経済的アウトサイダーというだけでなく、黒魔術を操る異様な集団、悪魔の手先とも映っていたのである。こうした感情は、ユダヤ人は非ユダヤ人、特に子供を殺し、その血を過ぎ越しの祭りの儀式に使うという噂の流布となって現れた」とシェインドリンは書いている。
 12世紀の半ばから、ユダヤ人がキリストの受難を冒涜する儀式を行うために、キリスト教徒の幼子を誘拐し、磔刑にして殺害したという告発が現れた。これを「儀式殺人告発」という。1144年にイギリスのノリッジで初めて発生した後、13世紀には西ヨーロッパ全体に飛び火した。中世後期以後はその舞台をドイツ・東欧へ移した。儀式殺人告発の目的は、実際にはユダヤ人金貸しに負った借金の棒引き、ユダヤ人財産没収のための口実づくりが多かったと見られる。

●中世ユダヤ人の文化的活躍

 12~13世紀のヨーロッパにおいて、ユダヤ人は迫害を受けながらも、経済的能力を発揮するとともに、文化的な能力を発揮した。古代ギリシャ=ローマ文明の文化的遺産は、ヨーロッパ文明よりイスラーム文明に多く受け継がれていた。ヨーロッパでは、古代の科学や哲学はアラビア語あるいはヘブライ語に翻訳された文献で学ぶしかなかった。アラビア語とヘブライ語のできるユダヤ人学者は、貴重な存在だった。
 スペインは、ユダヤ人学者とキリスト教徒の学者が共存することにより、古代文化の研究や翻訳の中心地となった。ユダヤ人は、ラテン語を解するキリスト教徒とともに各種文献の翻訳に携わった。シェインドリンは、次のように書いている。「ユダヤ人学者がギリシャ語の原典をアラビア語に翻訳したものを読み上げながらカスティリア語に翻訳する。すると傍らで聞いているキリスト教徒の学者がそのカスティリア語を聞きながらラテン語に翻訳する。こうした光景が見られたことが想像される。あるいは最初にヘブライ語に翻訳されたものが使用された場合もあったようだ」と。そして「こうした活動は、後のルネサンスの先駆けとも言えるものであり、ギリシャ文化がラテン語を使う修道院や西洋の大学に伝達される重要なルートになった」と、シェインドリンは指摘している。この指摘は、ヨーロッパ文明がイスラーム文明からギリシャ=ローマ文明の遺産を摂取する過程で、ユダヤ人が重要な役割を果たしたことを明確に示している。シェインドリンは、「ルネッサンスの先駆け」と書いているが、14世紀イタリアに始まるヨーロッパ文明のルネッサンスは、ユダヤ人の文化活動なくしては、大きく展開しなかったと考えられる。
 スペインにおいては、すべてのユダヤ人学者が、自由に能力を発揮できたわけではなかった。12世紀コルドバ出身のユダヤ人哲学者モーセス・マイモニデスは、偏狭なヨーロッパから移住を余儀なくされた。その時、彼はアラブ世界に寛容な避難所を見出した。カイロのサラーフ・アッディーン帝の宮廷で名誉と影響力のある地位を得たのである。そこで、マイモニデスは、アリストテレス主義、新プラトン主義、カバラー神秘主義に通じ、スファラディム系の哲学とアシュケナジム系のユダヤ学を総合した。マイモニデスを保護したアッディーン帝とは、十字軍が遠征した際に、イスラーム文明側で激しく抵抗したサラディンである。サラディンのみならず、イスラーム文明は他宗教に対して寛容だった。それは、宗教裁判が横行した西欧とは、顕著な違いをなす。世界的に見た中世では、先進的で寛容なイスラーム文明と、後進的で偏狭なヨーロッパ文明が対比されるのである。

 次回に続く。


ユダヤ26~イギリス・イタリアからの追放
2017-03-18 10:20:56 | ユダヤ的価値観
●ヨーロッパ各国からの追放

 13世紀末から、西欧の多くの国でユダヤ人は追放された。追放はイギリスで1290年に始まった。フランスでは1306年から、ドイツでは1340年代の黒死病流行の後、北イタリアでは1480年代から行われた。続いて、スペインでは1492年、ポルトガルでは1496年、プロヴァンスでは1512年、法王領では1569年に、ユダヤ人追放が行われた。
 一部のユダヤ人は、オランダ、イギリス、フランス等に移住した。そこで、商業・貿易・金融等に非凡な能力を発揮し、経済力を蓄えるとともに、社会的な地位を高めていった。哲学、思想、科学、芸術等にも能力を発揮し、近代西欧の発展に少なからぬ役割を果たした。一方、多くのユダヤ人はポーランドなど東ヨーロッパへ逃れた。また、トルコなどイスラーム教圏に逃れた者もいた。
 この過程を地域別に見ていきたい。

●イギリスからの追放
 
 中世のヨーロッパ諸国の中で初めて、一国規模でユダヤ人の永久追放が行われたのは、イギリスである。
 イギリスのユダヤ人社会は1066年のノルマン・コンクエストの際、英仏海峡を渡った王に同行したユダヤ人によって構成されていた。彼らは「王の動産」として保護を受け、医者、貿易商、金貸し等として王家に仕え、王家の繁栄に寄与した。だが、1290年に反ユダヤ暴動が起り、エドワード1世はイングランドからユダヤ人を追放した。約200年間にわたる十字軍が1270年初めに終了した後のことである。イギリスからの追放は、西欧で最も早いものだった。注意すべきは、この追放措置は、宗教的理由よりむしろ社会的・経済的理由に基づくものだったことである。
 イギリスでは、ユダヤ人の金融活動の結果、王の支持基盤である騎士層が没落する一方、大貴族が土地を集積しつつあった。ユダヤ人は、騎士層から抵当として土地を取得したが、農場経営資格を持たないので、その土地を早急に換金する必要があった。国王に税を納めるためである。ユダヤ人は換金のために裕福な大貴族に抵当を持ち込んだのである。国王としては、自分の手足となって働く騎士層の没落に歯止めをかけようとして、騎士層を官僚に登用した。また、王権に反抗的な大貴族に対しては、その力を抑えなければならない。そこで、国王にとってユダヤ人の財力は財源の一つではあったが、権力を集中して強固な封建王制を築くために、窮余の策としてユダヤ人をイギリスから追放したのである。
 ユダヤ人の追放により、イギリスでは、国王への権力の集中が進み、西欧でいち早く近代的な主権国家が形成されていった。ただし、ユダヤ人が完全に追放されたわけではなく、国王の医者など一部の専門職は居住を続けた。

●黒死病流行での疑い

 14世紀には世界的に黒死病(ペスト)が大流行した。地球規模の気象変動の影響が指摘されている。この史上最悪の伝染病は、1347年にアジアからイタリアに上陸し、イタリア北部では住民がほとんど全滅した。1348年にはアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、猛威を振るった。当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2に当たる、約2千万から3千万人が死亡したと推定されている。
 1347~50年に黒死病がはやった時、ユダヤ人が水や食物に毒を入れたせいだという噂が流れた。黒死病は、人間の悪意によって蔓延した病気であると人々は信じるようになった。取調べはユダヤ人に集中した。脅迫されたユダヤ人が拷問を受けて自白すると、さらに、ユダヤ人への嫌疑が強まった。あらゆる場所でユダヤ人は井戸に毒を投じたと訴えられた。
 ドイツでは、1340年代の黒死病流行の後に、ユダヤ人の追放が行われた。だが、「王の動産」としての宮廷ユダヤ人は存続し、ユダヤ人の完全な追放には至らなかった。

●イタリアからの追放
 
 ヨーロッパ文明は、イスラーム文明に対して十字軍の攻勢をかけたものの、軍事的には失敗に終わった。だが、経済的にはイタリアの諸都市が通商によってムスリム商人に対抗した。その富がルネッサンスを生み出し、やがて近代資本主義が発達することにつながっていく。
 ヴェネチアは、10世紀から通商の拠点になっており、おのずとユダヤ人が集まっていた。彼らは隔離されたり、標識をつけさせられたりした。1516年にヴェネチアで最初のゲットーができる前のことである。だが、ユダヤ人は経済的な能力を発揮し、特別税を払うことでヴェネチアの経済に重要な貢献をした。ユダヤ人には高利貸しを行うことが許されていた。彼らはイタリア語を話したが、ヴェネチアの市民権は与えられていなかった。中世の後期の13世紀になっても、イタリア諸都市の市当局は、ユダヤ人が規定に従って一括払いか年ごとの税金を支払うことを条件に、銀行を開設することを許可していた。
 イタリアでは、十字軍と東方貿易によって莫大な富を得た新興商人たちが、14世紀から新しい文化を生み出した。イタリア・ルネサンスである。ルネッサンスは、「再生・復興」を意味し、西方キリスト教圏における人間の再発見、人間性の肯定の運動だった。それがヨーロッパ文明の近代化の始まりとなった。
 ところが、そうしたルネサンスが進むイタリアの諸都市で、1480年代からユダヤ人が追放されるようになった。15世紀のフィレンツェでは、メディチ家が隆盛を極めており、同家の繁栄にはユダヤ人が貢献していた。近代資本主義の合理化の代表例とされる複式簿記は、すでに当時フィレンツェで発明されたものである。だが、親ユダヤ的なメディチ家の没落に伴って、ユダヤ人は1494年にはフィレンツェとトスカナ地方から追い出された。スペインでの追放の2年後だった。ユダヤ人は、ジェノヴァの繁栄にも貢献していた。ジェノヴァ商人は、スペインのレコンキスタを財政面で支えた。やがてユダヤ人はジェノヴァからも追放されていった。
 こうした追放の背後には、それまでユダヤ人が得意としていた通商・金融の分野で、周囲のキリスト教徒が必要な技術や知識をしだいに吸収していったことがある。キリスト教徒が自分たちでそれらの業務をできるようになると、ユダヤ人は用済みとなり、立ち退きを迫られたり、差別を受けたりしたのである。
 イタリアに限らず、キリスト教徒の銀行家と職人は、彼らのギルドが十分強力になるとユダヤ人を締め出した。各地においてユダヤ人は1500年ころまでに大規模な交易や産業から事実上排除されていった。彼らは、自分たちの技量がまだ役に立つ低開発地域にいくか、あるいはさらなる新機軸を生み出すことで自らの価値を高めるかしようとした。

 次回に続く。


ユダヤ27~スペイン・ポルトガルからの追放
2017-03-20 08:28:19 | ユダヤ的価値観
●スペイン・ポルトガルからの追放

 イスラーム教国は、8世紀初めのスペイン征服以来、約300年にわたってその地を統治した。しかし、11世紀からキリスト教徒が国土回復運動、レコンキスタを始めた。1212年には残るはグラナダだけとなった。ユダヤ人はキリスト教徒にもアラブ人と同様に仕えて活躍した。ユダヤ人が重用されるにつれ、反ユダヤ感情を持つ者が多くなり、時折ユダヤ人に対する暴動が起こった。1391年にセビーリャに発した暴動は全スペインに広がり、各地でユダヤ人に対する略奪、虐殺が起こった。ユダヤ人はキリスト教への改宗を強制され、国外逃亡する者や改宗者が続出した。この改宗者をコンベルソスという。
 1469年、カスティーリャのイザベラとアラゴンのフェルナンドが結婚し、それぞれの国の王となった。彼らの目標は、イベリア半島をカソリック一色に染め上げることだった。自らを正統とするローマ・カトリック教会は、異なる教義を説く者を異端として弾圧した。キリスト教内の異端を見つけだし訴追することを目的として異端尋問を行った。1478年、セビーリャに隠れユダヤ教徒を取り締まるための異端尋問所がはじめて設けられ、以後各地に広がった。疑われた者は、自白を迫られ、ムチ打ち、財産没収、投獄、火刑等の刑罰を科せられた。
 1480年、スペインで正式に異端尋問所が導入された。ポルトガルでの正式導入は、1547年だった。もともとカトリック教会はユダヤ教を禁止していなかったので、ユダヤ教徒は訊問の対象ではなかった。だが、キリスト教に改宗したユダヤ人には、本当に改宗した者と、表向きはキリスト教徒だが、ひそかにユダヤ教を信じている者がいた。後者は、スペインにとどまるため、洗礼を受けて表面はキリスト教徒になっているが、実際はユダヤ教の慣習を隠れて行なっていた。この隠れユダヤ教徒たちは、「マラノ(豚の意)」という蔑称で呼ばれた。彼らの多くが異端尋問で裁かれ、殺害された。ユダヤ人は一旦逮捕されると、通常拷問で責められた。有罪を宣告され、悔い改めることを拒否した者は、生きながらに火あぶりの刑に処せられた。有罪とされた者は財産を没収された。スペインの大審問官トマス・デ・トルキェマダは、異端尋問に力を振るった。約2千人が焼き殺され、約10万人が投獄され、拷問にかけられて殺害された。
 1491年、最後のイスラーム教国の首都グラナダが陥落し、レコンキスタが完了した。イスラーム教徒はイベリア半島から一掃された。審問官は、ユダヤ人に対しては異端尋問だけでは非ユダヤ化は無理と判断したが、教皇から追放許可を得られず、イザベラ女王に直訴した。1492年にイザベラとフェルナンドは、追放令に署名した。追放令は、すべてのユダヤ人に対し、4ヶ月以内にスペインを退去するよう通告するものだった。同年8月2日、最後のユダヤ人がスペインを後にした。この日は、コロンブスが新大陸発見の旅に出た日だった。その後のスペインには騎士とキリスト教信仰だけが残り、ユダヤ人がやっていたような金融業務は継承されなかった。
 1492年にスペインから追放されたユダヤ人の数は、10万から20万と見られている。彼らの行き先は海外に向かうか、国境を越えてイベリア半島北東部のナヴァルかポルトガルに入った。隠れユダヤ教徒にとって、当時のポルトガルはスペインよりもずっと安全な場所だった。
 ところが、ポルトガルでも1496年には、ユダヤ人追放令が出された。ユダヤ人は、再び各地に避難した。中でもオランダに逃げたユダヤ人の数が最も多かった。

●コロンブスとユダヤ人

 ところで、クリストファー・コロンブスについて、ポール・ジョンソンは著書『ユダヤ人の歴史』に次のように書いている。「法的にはジェノヴァ人であったがイタリア語を書かなかった。彼はユダヤ系スペイン人の家族の出だったと思われる」「コロンブスは自分がダビデ王とつながっていることに誇りを持ち、ユダヤとマラノの社会を好んだ」と。
 当時スペイン王室はレコンキスタの最後にグラナダを陥落させたばかりで、資金難だった。その王室に対して、コロンブスへの支援を主張してこれを実現させたのが、王室財務長官のジェノヴァ人ルイス・デ・サンタンヘルである。サンタンヘルはユダヤ人でコンベルソであり、またスペインのレコンキスタを財政面で支えたジェノヴァ商人の代表者だった。彼を通じてジェノヴァ商人の資金がコロンブスを大西洋への航海に押し出したと考えられる。
 コロンブスの通訳であるルイス・デ・トレスもユダヤ人だった。また、コロンブスの第一回航海に参加した乗組員の3分の1は、セファルディムだったと伝えられる。
 コロンブスらによる新大陸の発見は、西欧人の大航海時代の始まりとなった。ヨーロッパから北米、南米、アフリカ、アジアへの進出は、資本主義による「近代世界システム」の形成の地理的条件を作り出した。同時にそれは、中核部としての西欧が、周辺部から富を収奪することによって、資本主義が大きく発達する経済的条件を生み出していった。このきっかけとなった新大陸の発見、それに続く世界規模の海洋進出に、ユダヤ人が活躍したのである。

 次回に続く。


ユダヤ28~ザビエルと日本人女性の奴隷売買
2017-03-24 08:49:48 | ユダヤ的価値観
●ザビエルと日本人女性の奴隷売買
 
 15~16世紀の世界では、ヨーロッパ文明のポルトガル、スペインが、世界を二分する勢いだった。これらのカトリック教国は強力な王権のもとに海のルートを開拓し、各地に植民地を拡大した。そして各地の産品を運び、大きな富を獲得していた。この二国によって、「近代世界システム」が形成される地理的・経済的条件が作り出された。
 ポルトガル・スペインの植民地政策は、キリスト教の宣教と結びついていた。その方法は、初めに宣教師を送ってその国をキリスト教化し、次に軍隊を送って征服し、植民地化したのである。そこにもユダヤ人の関与があった。
 日本には、1549年にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが渡来した。ザビエルは、ポルトガル系の改宗ユダヤ人だった。単に宣教師であるだけでなく、日本との貿易の開拓者でもあった。ザビエル渡来の3年後に、ルイス・デ・アルメイダが来たが、これも改宗ユダヤ人で、ポルトガルを出て各地の仲介貿易で巨額の富を築き上げていた。日本に来ると、イエズス会の神父となり、キリスト教の布教をした。その活動は、植民地支配への階梯だったと見られる。
 アルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいた。徳富蘇峰は、『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録を載せた。「キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし」と書いている。キリシタン大名が送ったローマ法王のもとに派遣した天正少年使節団は、次のように報告している。「行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない」と。火薬1樽で50人の娘が売られたと伝えられる。
 豊臣秀吉は宣教師の活動の危険性をいち早く見抜き、主君の織田信長に注意を促した。秀吉は準管区長コエリヨに対して、「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ」と命じた。
 徳川幕府は、キリスト教の宣教を防ぐため、いわゆる鎖国政策を取った。清の他にオランダだけと交易したのは、オランダはプロテスタント国家であり、キリスト教の布教を行わずに経済的利益を求めたからである。
 数千万人の黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた。この歴史的蛮行は、白人キリスト教徒が行っただけでなく、改宗ユダヤ人が加わっていたのである。

●東ヨーロッパ等への移動

 十字軍以後のヨーロッパでのユダヤ人迫害の波は、ユダヤ人の一部を東へと追い立てた。13世紀末から16世紀にかけて、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン等の西欧諸国でユダヤ人追放が続いたが、彼らの多くは発達の遅れていた東ヨーロッパへ向かった。その結果、16世紀には、西方キリスト教圏でのユダヤ人社会の中心は東ヨーロッパに移った。
 とりわけポーランドは、ユダヤ人にとってヨーロッパで最も安全な国と見なされるようになり、アシュケナジム系ユダヤ人の中心地帯となった。ユダヤ人の高度な知識と技能、国際的なビジネスネットワークに目を付けたポーランドの王や貴族は、アシュケナジムを彼らの領地へ招いた。ユダヤ人はこうした王侯貴族に管理人あるいは代理人として仕え、彼らの代わりに領地に住み、その経営にあたった。
 ポーランドをはじめとする東ヨーロッパは、西ヨーロッパ各地で迫害を受け、追放されたユダヤ人が大挙して移住・定着した場所だった。その結果、中世以後20世紀前半まで、東ヨーロッパがアシュケナジム系の文化の中心となった。
 西ヨーロッパでは、ユダヤ人はキリスト教に改宗した者も、つねにキリスト教徒から疑われ、多くの新キリスト教徒が虐殺された。そのため、彼らは安住の地を求めて世界各地をさまよった。その行き先は、イスラーム教圏や北米や中南米等へと広がった。

●オスマン帝国はユダヤ人を迎え入れた

 ユダヤ人の一部は、当時イスラーム文明の中核国家だったオスマン帝国に向かった。ローマ帝国の分裂、西ローマ帝国の滅亡後、東ローマ帝国すなわちビザンチン帝国は、ローマ帝国の正統を維持していた。しかし、1299年に建国されたオスマン帝国によって、1453年に滅ぼされた。
 オスマン帝国は、その後、中東から北アフリカの大部分を支配下に置き、キリスト教諸文明の強力な対抗者として繁栄した。旧ビザンチン帝国のギリシャ語を話すユダヤ人を取り込み、また大部分がアラビア語を話す中東のユダヤ人社会を包含した。15世紀末、スペイン・ポルトガルからユダヤ人が追放されると、彼らを温かく受け入れた。
 オスマン帝国は、ヨーロッパ文明より軍事技術や農業技術では優れていたが、商業・貿易・法律的知識では劣っていた。スルタンたちにとって、これらすべてに優れているイベリア半島からのユダヤ人移住者は願ってもない人材だった。
 裕福で国際感覚に優れたセファルディム系ユダヤ人は、地中海を舞台に活躍し、スペイン、ポルトガル、イタリア、オランダあるいはフランスに在住するマラノたちとも協力し、貿易や外交に携わった。ユダヤ人はレヴァント地方、エーゲ海、アドリア海の至るところで貿易を営んでいた。ユダヤ商人の乗っていない商船はほとんど見当たらないほどだった。彼らの言語能力や国際的な人脈は、オスマン帝国にとって非常に有益な存在だった。
 ユダヤ人は、帝国の保護を受けるとともに、帝国の発展に忠実に努めた。16世紀半ばまでには、多くのユダヤ人が医者、財政家、外交官、政治家として活躍し、帝国の高官となる者もあった。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「ユダヤ的価値観の超克」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ29~ユダヤ哲学とカバラー神秘主義
2017-03-27 10:07:24 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ哲学の展開

 ここで古代から中世にかけてのユダヤ哲学について記したい。ユダヤ哲学は、ユダヤ教の聖書に示された啓示と伝統を理性と経験によって合理的に解釈しようとするものである。哲学は古代ギリシャで生まれ、プラトン、アリストテレスが発展させた。ユダヤ哲学は、紀元前2世紀に、アレクサンドリアでギリシャ人と接触したユダヤ人によって始められた。古代の代表的なユダヤ人哲学者は、紀元前後のピロンである。ピロンは、プラトンの影響を受け、神を永遠不変で純粋な非物質的知性とし、叡智界におけるイデアのような存在と考えた。また、神と世界をつなぐロゴスを神より劣った第2の神または神の子と考え、聖書をプラトン主義的に解釈した。
 ここでいう聖書はキリスト教のいう旧約聖書だが、1世紀後半に編纂された新約聖書の『ヨハネによる福音書』は、「初めに言(ロゴス)があった。言は神と共にあった。言は神であった」「言は肉となった」と書いている。ヨハネは「神の子」イエスの出現を、永遠のロゴス(言葉)である神が人間となってこの世界に入った(受肉)と理解した。一般にヨハネにはギリシャ哲学の影響が指摘されるが、ピロンにおいて既にロゴスの概念がユダヤ哲学に摂取されていたのである。
 ピロンの後、900年ほど、ユダヤ哲学には見るべき発達がなかった。ようやく10世紀になって、バビロニアのサアディア・ベン・ヨセフによって復興された。ギリシャ文化がイスラーム文明に流入した時期である。イスラーム文明では古代ギリシャ哲学を取りいれ、イスラーム教を合理的に解釈するイスラーム哲学が発達した。サアディアは正統派の「ラビのユダヤ教」の立場に立ち、イスラーム哲学の方法を用いて、ユダヤ教を哲学的に基礎づけようとした。ユダヤ哲学の父と呼ばれ、啓示と理性の相補性を説き、啓示は理性の疑惑を解き、理性は啓示の真理を明らかにすると説いた。
 11世紀には、スペインにソロモン・イブン・ガビロルが現れた。彼はプロティノスによる新プラトン主義の流出説を採った。プロティノスは、一者(ト・ヘン)から万物が流出し、ヌース(精神)とプシュケー(魂)が生まれたとし、人間はこの世界に堕ちたものであることを自覚し、一者への還帰を目指すべきと説いた。ガビロルは、流出を神の意思によるものとし、事物が流出の最初の一つとした。キリスト教社会ではアヴィケブロンと呼ばれ、スコラ哲学に影響を与えた。
 ユダヤ哲学は、12世紀にモーセス・マイモニデスで頂点に達した。彼はコルドバ生まれだが、1148年に同地を征服したイスラーム文明のムワッヒド朝のユダヤ人弾圧を避け、エジプトに移住した。カイロのユダヤ教団をラビとして指導した。著書『迷える者達の手引き』は、ユダヤ哲学全体の基礎になったとされる。信仰と伝統の合理的解釈をアリストテレス哲学に求めたが、人間の論証には欠陥があり、真理の究極の基準にはなりえないとして、結局は啓示に拠らざるを得ないとした。このような立場から、聖書の中にある本質的なものと非本質的なものを区別し、非本質的なものは理性の導きに委ねることができるが、本質的なものは啓示に訴えざるを得ないと説いた。
 スペインのユダヤ人は、15世紀に徹底的な迫害を受け、迫害に耐えかねたユダヤ人哲学者はユダヤ教を棄てたため、信用を失った。ユダヤ教を合理的に理解しようとするユダヤ哲学は、その後、カバラーの神秘主義思想に取って代わられ、終焉を迎えた。

●カバラー神秘主義の発達

 カバラー神秘主義は、世界的な中世におけるユダヤ教内の新しい動きである。ヨーロッパから中東に及ぶ地域で発達した。カバラーの原義は口伝・伝統であり、口伝の秘儀を意味する。南プロヴァンスで3世紀から6世紀頃に始まり、厳格な参入儀礼を経た弟子だけに教えられ、長い間、秘密にされていた。13世紀のスペインで世に知られるようになった。15世紀末にユダヤ人がスペインから追放されると、その多くが中東各地に移住し、パレスチナのツファットは、16世紀にカバラー神秘主義の中心地となった。
 カバラー神秘主義は、ユダヤ教の伝統に基づく創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。3柱、4界、10のセフィロト(数)による「生命の樹」で象徴的に表現される流出説的な世界像を示す。また、現在の世界は悪が支配しているが、やがて到来する世の終りに、メシアが来臨し、悪の力を滅ぼして正義を確立し、民族と宇宙を救うという終末論を抱く。そこには、ヘレニズム・ローマ時代の黙示思想への強い共感が見られる。
 カバラー神秘主義は、終末の救済の秘儀にあずかるために、律法を順守することを説き、また神から律法の真意を学ぶことを目的とした。それゆえ、正統的な「ラビのユダヤ教」から外れるものではないと見られた。
 16~17世紀には、カバラー神秘主義の影響下に、自称メシアが各地で出現した。なかでもサバタイ・ツビは、一時各地のユダヤ教社会に影響力を振るった。だが、1666年にトルコのスルタンに逮捕されると、イスラーム教に改宗した。
 サバタイ騒動は、深刻な精神的危機をもたらした。その危機を克服する試みの中から、18世紀に東ヨーロッパでハシディズムが興った。バール・シェム・トーブが、法悦状態に没入し、祈祷において神と交わる神秘的体験の重要性を説き、カバラー神秘主義を大衆へ広めた。正統派は、これを異端とした。だが、19世紀初頭に両者は和解し、ハシディズムも正統派に位置づけられた。
 カバラー神秘主義は、西方キリスト教の神秘主義に影響を与えた。キリスト教の神秘家は、ユダヤ教の集団救済の伝統とは異なり、個人的な神秘体験を追究した。ローマ・カトリック教会は、自らを正統とし、その教義と異なることを唱える者を異端として、徹底的に弾圧した。そのため西方キリスト教圏では、カバラー神秘主義の影響はヨーロッパ文化の表層ではなく深層に作用し、地下水脈のように受け継がれた。そして、カバラー神秘主義は、オカルティズムの理論的根拠にも用いられることになった。

 次回に続く。


ユダヤ30~資本主義化、近代化、西洋化とユダヤ的価値観の浸透
2017-03-29 09:22:46 | ユダヤ的価値観
●資本主義化、近代化、西洋化とユダヤ的価値観の浸透

 ヨーロッパ文明では、世界の諸文明に先がけて近代化が開始された。近代化とは、マックス・ウェーバーによれば、「生活全般における合理化の進展」である。合理化とは、合理性が増大することである。合理性とは、ウェーバーによると、恣意、衝動、呪術、神秘主義、伝統、特殊関係などの「非合理的なもの」による判断や、これにもとづく慣習を排して、効率的で、かつ計算可能なルールや生活慣行を重視する傾向である。したがって、合理化とは、こうした非合理的なものが、生活の全般にわたって、しだいに合理的な思考方法や生活慣行に取って代わられていくことである。そして、一般に理性を重んじ、生活のあらゆる面で合理性を貫こうとする態度を、合理主義という。
 ウェーバーは、合理化こそは「西洋の生活方式の根本性格」であり、「運命」そのものであり、「西洋的なエートス」であるとする。「エートス」とは、「生活態度、生活信条または道徳的性格」を意味する。ウェーバーは、さらに「西欧世界にはじめて出現したこの歴史的趨勢は近代社会の本質を形作るばかりではなく,今や人類全体の共通の運命となる」と言う。合理化こそ、近代以降の地球に広がっている人間の思考・行動の起動力であると、ウェーバーは見たわけである。それゆえ、ウェーバーによれば、近代化とは、合理化の進展なのである。文明学的に言い換えると、近代化とは、ある文明の文化要素の全般にわたって合理化が進むことである。
 世界で初めてヨーロッパで始まった近代化は、文化的・社会的・政治的・経済的の4つの領域で、それぞれ進展した。まず14世紀から16世紀にかけてルネサンスが起こり、文化的領域における近代化の開始となった。私は、ルネサンスがある程度進んだ15世紀から近代化が始まったという見方をしている。ルネサンスに続いて、16世紀には宗教改革、17世紀には科学革命が起こり、文化的近代化が進んだ。さらに、17~18世紀には市民革命、18世紀には産業革命等が起こり、社会的・政治的・経済的な近代化が進行した。この進行とともに、西欧の近代化は、他の文明にも大きな影響を与えるものとなり、人類史における「近代化革命」をもたらした。
 「近代化革命」によって、文化的には宗教・思想・科学等における合理主義の形成、社会的には共同体の解体とそれによる近代的な核家族、機能集団である組織や市場の成立、近代都市の形成、政治的には近代主権国家の成立、近代官僚制と近代民主主義の形成、経済的には近代資本主義・産業主義の形成等が進展した。
 西欧における近代化は、15世紀末からは他文明の支配と、それによる収奪の上に進んだ。17世紀の科学革命による諸発見は、18世紀の産業革命を通じて、資本主義的な産業経営に応用されるようになった。17世紀前半に形成された近代主権国家が、同世紀後半以降の市民革命を経て国民国家となり、資本主義世界経済の担い手となった。資本と国家、富と力の一体化が進み、物質科学とそれに基づく技術が生産、戦争、管理等に活用された。資本と国家と科学という三要素の結合が、近代西洋文明にかつてない強大な力を与えたのである。
 かくして人類史上、最も強力な文明が欧米において確立した。この近代西洋文明が、現代世界を覆うようになっている。
 詳しくは、拙稿「“心の近代化”と新しい精神文化の興隆~ウェーバー・ユング・トランスパーソナルの先へ」に書いた。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09b.htm
 私はこの資本主義化、近代化、西洋化は、同時にユダヤ的な価値観の浸透・普及の過程でもあると考えている。というのは、近代西洋文明の発達とその世界的広がりは、ユダヤ人の存在なくして語ることができないからである。彼らは、西欧において、ユダヤ教のプロテスタンティズムへの浸透を通じて宗教の合理化に影響を与え、また商人・貿易商・銀行家・財務官等の職業を通じて経済の合理化を進めた。また、白人キリスト教徒ともに有色人種を支配・搾取し、北米・中南米・アジア等の各地域に活動を広げて、資本主義を世界に拡大し、それによって近代西洋文明を非西洋文明に広げた。その過程は、ユダヤ的価値観のキリスト教諸文明及び非キリスト教諸文明への浸透・普及の過程だった。
 ユダヤ的価値観とは、物質中心・金銭中心、現世志向、自己中心の考え方であり、対立・闘争の論理、自然を物質化・手段化し、自然の征服・支配を行う思想である。多くの場合、こうした思想は近代西洋の思想と考えられている。確かにこの思想の特徴は近代西洋思想の特徴とほぼ一致する。それは、近代西洋思想がユダヤ=キリスト教の文化を土壌として発達したからである。そして、私は近代西洋思想の核心に、ユダヤ的価値観が存在することを指摘するものである。近代西洋思想には、他にギリシャ=ローマ文明、ゲルマン民族の文化から受け継いだ要素もある。また、キリスト教にはユダヤ教とは異なる思想がある。だが、それらすべての中でユダヤ文化、特にユダヤ的価値観が近代西洋思想に最も決定的な特徴を与えていると考える。
 次に上記の資本主義化、近代化、西洋化の過程を歴史的展開に沿って述べていきたい。

●近代世界システムの形成・発展とユダヤ人の役割

 ユダヤ人が世界人類に多大な影響を与えるようになったのは、近代以降のことである。近代以降の世界を把握しようとする時、私はアメリカの社会学者イマヌエル・ウォーラーステインの「近代世界システム」という概念が有効だと考えている。まずそのことを書く。
 ウォーラーステインは、人類の歴史の最も規定的な単位として、史的システムという概念を用いる。史的システムは、三つに分類される。第一は、規模のきわめて小さいシステムで、「ミニシステム」と呼ぶ。これは経済的、政治的、文化的ともに一元的な史的システムである。第二は、経済的、政治的には一元的だが、文化的には多元的なシステムであり、「世界帝国」(world-empire)と呼ぶ。第三は、経済的にのみ一元的で、政治的、文化的には多元的なシステムであり、これを「世界経済」(world-economy)と呼ぶ。
 ウォーラーステインは、世界帝国と世界経済の二つを併せて、世界システムと呼ぶ。世界システムとは「一つの世界であるようなシステム」である。世界とはいっても、文字通りの地球規模の世界ではなく、それぞれの社会がひとつの世界をなしているような単位を言う。
 世界帝国は、人類史においてさまざまな地域で多数興亡したものである。文化的には多元的な要素を含みながら、強力な政治権力がそれらを統一し、租税の徴収と再配分によって分業体制の根幹を握るシステムである。ところが、15世紀の後半から17世紀の初頭にかけて、新たなシステムが形成された。1450年ごろから1640年ごろ、16世紀を中心としてその前後を合わせた約2百年間である。ウォーラーステインは「長期の16世紀」と呼ぶ。この時代に西欧人は、ヨーロッパと南北アメリカ大陸、アフリカ大陸を結びつける構造を作り出した。その過程でユーラシア大陸の西端に、文化的・政治的に統一されていないにもかかわらず、ひとつの分業体制が成立した。これは世界帝国とは異なるシステムであり、ウォーラーステインは世界経済と呼ぶ。そして、世界経済に立脚した史的システムを「近代世界システム」と称する。私は、この概念を文明学に摂取している。「近代世界システム」の形成は、ヨーロッパ文明の世界的拡大である。
 「近代世界システム」でシステムの統一性を保つ論理は、資本主義である。資本主義は、ヨーロッパ文明で発生・発達した。そしてヨーロッパ文明は、資本主義世界経済として発達しつつ、北米にも広がり、近代西洋文明になった。この過程で他の諸文明つまりアステカ文明、インカ文明、イスラーム文明、インド文明、シナ文明等を包摂していった。
 この間に「近代世界システム」は、中核―半周辺―周辺の三層に構造化された資本主義世界経済として形成された。この三層構造は、中核部が周辺部及び半周辺部から富を収奪し、中核部はより豊かに、周辺部はより貧しくなっていく構造として発展した。アジア・アフリカ・ラテンアメリカは最下層の周辺部となり、東ヨーロッパは半周辺部となった。
 私は、この近代世界システムの形成及び中核部による周辺部及び半周辺部からの収奪は、白人種によってのみ行われたものではなく、ユダヤ人が重要な役割を果たしてきたと考える。ユダヤ人は、中核部において差別・迫害を受けながらも、その一部が社会の上層部に食い込み、支配集団の一角をなして、中核部の発展に寄与した。その寄与は同時に反面においては、周辺部の従属化を実現・強化するものだった。

 次回に続く。


ユダヤ31~宗教改革とユダヤ人
2017-03-31 10:10:39 | ユダヤ的価値観
●西方キリスト教の宗教改革とユダヤ人

 ヨーロッパ文明の近代化は、ルネサンスに始まり、宗教改革から市民革命の時代に進展した。ユダヤ人はその時代に差別と迫害を受けながらも、経済的能力を発揮することによって、社会的な地位を徐々に高めていった。
 この時代に、まずユダヤ人の運命を大きく左右したのは、1517年にマルティン・ルターが始めた宗教改革だった。ルターは、カトリック教会の腐敗・堕落を批判する一方で、ユダヤ人について、「彼らの財産を没収し、この有害で毒気のある蛆虫どもを強制労働に駆り出し、額に汗して自分の食べるパンを稼ぎ出させるべきだ。そして最終的には永遠に追放すべきだ」と説いた。ユダヤ教からキリスト教に摂取された排除の論理が、ユダヤ人に向けられたのである。
 ルターは過激な言葉でユダヤ人を非難し、新約聖書のなかに存在する善と悪、キリストと反キリストの対立において、ユダヤ人は悪と反キリストの側に立つ者であり、抹殺されて然るべきと決めつけた。ルターは、キリスト教徒にユダヤ人に対する憎しみを植え付けるとともに、ドイツ各地からユダヤ人を排除することを支持した。ルターの影響は大きく、宗教改革はキリスト教聖職者の反ユダヤ教的な態度を一層強化する結果となった。
 プロテスタンティズムの中には、反ユダヤ主義的なルター派と、親ユダヤ主義的なカルヴァン派がある。ルターと違って、カルヴァンはユダヤ人に対して好意的だった。その理由の一つは、カルヴァンが利子を取って金を貸すことに賛成だったことである。彼は著書の中でユダヤ人の主張を客観的に伝えようとした。そのため、ルター派からは、彼がユダヤ教化しているという批判を受けた。この批判は当たっている。カルヴァン派は信仰の合理化、金銭利欲の肯定、現世志向を主な特徴とし、ユダヤ教と共通する特徴を持つ。カルヴァン派のプロテスタンティズム諸派は、キリスト教の再ユダヤ教化を進めるものとなった。
 ルターとは別に、16世紀以降、カトリック教会の側でも、ユダヤ人への差別が強化された。プロテスタンティズムに対抗する反宗教改革のために1541年に創設されたイエズス会は、ユダヤ人に改宗を強力に迫る運動を繰り広げた。こうした動きは、反宗教改革の開始以前から現れていた。ユダヤ人を隔離する地域をゲットーというが、最初のゲットーは1516年にヴェネチアに作られている。ゲットーはヴェネチア方言で鋳造所を意味する。ユダヤ人居住区がたまたま鋳造所のあるところだったことによる。ゲットーが作られたのは、修道士の説教に煽られて、ユダヤ人排斥が高まったためである。ユダヤ人隔離居住区の目的は、キリスト教住民との交流を遮断することだった。制度を運営したのは、地元ユダヤ人への支配権を持つ都市当局だった。
 1555年には、教皇パウロ4世がローマとイタリア国内の教皇領のユダヤ人をゲットー内に隔離することを命じた。この命令は、ユダヤ人に大きな打撃を与えた。ゲットーからの解放は、「自由・平等・友愛」を掲げたフランス革命の後、ナポレオンが率いる軍隊がイタリアに侵攻する時を待たねばならなかった。
 ユダヤ人は15世紀末にスペイン・ポルトガルから追放されたが、その一部はヴェネチアやジェノヴァへ移って貿易を営んでいた。彼らの多くは、イタリアに移住してからキリスト教から再びユダヤ教に戻った。反宗教改革の活動によって、異端審問所の監視の目は、そうしたユダヤ人に向けられた。イタリアはもはや安住の地ではなくなり、オスマン帝国を目指すものが多数現れた。
 宗教改革と反宗教改革の嵐の中で、ユダヤ人は両方から差別・迫害を受けた。ただし、長い目で見ると、プロテスタンティズムの出現によって、ユダヤ人は多大な恩恵を受けることになった。カトリック教会の教権支配が崩れ、西方キリスト教圏は一枚岩ではなくなり、思想・信条の自由が実現されたからである。

 次回に続く。


ユダヤ32~魔女狩りとユダヤ的な排除の論理
2017-04-02 08:51:19 | ユダヤ的価値観
●魔女狩りとユダヤ的な排除の論理

 宗教改革の時代は、宗教的な熱狂の時代だった。その熱狂は、中世の西方キリスト教が持っていた異教への寛大さを論理的不徹底として斥けた。異教的なものの排斥は、宗教改革が起こる前から始まっていた。魔女狩りである。魔女狩りは、西方キリスト教圏における非キリスト教的なものの徹底的な排除だった。
 西欧では、キリスト教への改宗の過程で、ゲルマン民族は祖先伝来の宗教を捨てた。それまでの宗教にはアニミズム的・シャーマニズム的な自然崇拝・祖先崇拝が含まれていた。キリスト教への改宗は、自然崇拝・祖先崇拝の排除であり、セム系一神教であるユダヤ=キリスト教への帰依である。だが、中世においては、それによって自然崇拝・祖先崇拝が完全に消滅したわけではなかった。アニミズム的・シャーマニズム的な要素は文化の周縁に押しやられ、表層からは消えたものの、民衆信仰の中に残っていった。カトリック教会は、こうした信仰が社会の底辺に存続することを黙認し、それを取り込む寛大さをそなえていた。ところが、ルネッサンスとともに近代化が始まると、非ユダヤ=キリスト教的な民衆信仰が攻撃の対象となった。
 魔女狩りは、ルネッサンス期に嵐のように吹き荒れた。だが、その最盛期は宗教改革時代とともに訪れ、1600年を中心とした1世紀がピークだった。プロテスタントはカソリック以上に頑迷で熱心な魔女裁判官だった。ドイツで魔女狩りが苛烈になったのは宗教改革時代からであり、またプロテスタントによって始められた。ルターは、『食卓談話』で「私はこのような魔女には、なんの同情ももたない。私は彼らを皆殺しにしたいと思う」と述べている。ウェーバーはプロテスタンティズムの中でイギリスのピューリタリズムを特に賛美するが、ピューリタンは激しい魔女狩りを行なった。魔女狩りは、イングランドでは、クロムウェルの清教徒革命に至って絶頂に達した。西方キリスト教の宗教改革は、キリスト教内の改革を行うだけでなく、非キリスト教的な伝統的な宗教文化の抹殺を図るものだった。
 魔女狩りは、教会や国家のような公権力によって組織的に、何世紀にもわたって迫害が行われたものである。このような事例は、ヨーロッパ文明以外にはみられない。ナチスのユダヤ人迫害の先例と考えることができる。そして、私は、その背後には、ユダヤ教の排除の論理があると考えている。古代ユダヤ教は、徹底して偶像崇拝を否定し、自己民族の神以外を認めず、他民族の宗教を排斥した。ユダヤ教の影響を受けたプロテスタントは、ユダヤ=キリスト教の神を絶対化し、人間の努力による救いを否定した。また聖母マリア崇拝を偶像崇拝として否定した。こうした排他性が、非ユダヤ=キリスト教的なものとしての魔女に向けられたのである。
 イエス=キリストの教えは、隣人愛を説く。使徒パウロは、神は愛であると説いた。しかし、キリスト教徒の愛は、異教徒には及ばされなかった。いやキリスト教社会の内部ですら、他宗派には及ばされなかった。それをよく表すのが、旧教・新教の間の宗教戦争である。私は、異なるものを徹底的に排除し、破壊しようとするのは、イエス=キリストの教えというより、ユダヤ的なものではないかと思う。
 私の見るところ、異端尋問・魔女狩り・宗教戦争とユダヤ教徒への迫害には、共通の文化要素がある。その要素とは、ユダヤ教に発するセム系一神教の排他的な性格である。

●プロテスタンティズムとキリスト教の再ユダヤ教化
 
 ユダヤ教の近代世界への最大の影響は、資本主義を発展させたことである。資本主義は「近代世界システム」の統一性を保つ論理である。ヨーロッパ人による新大陸の発見や北米、南米、アフリカ、アジア等への進出は、「近代世界システム」の地理的条件を作り出したが、資本主義世界経済としてそのシステムが形成されるには、ヨーロッパにおいて資本主義が発生・発達するという経済的条件が必要だった。その資本主義の発展に、私はユダヤ教の影響を見るのである。
 ユダヤ教は、資本主義発達史の初期においては、プロテスタンティズムを通じて影響を与えた。
 マックス・ウェーバーは、西欧でのみ近代資本主義が発生・発達した原因を追求した。ウェーバーは、社会の分析において、宗教と経済の関係に注目した。ウェーバーが特に注目したのは、西方キリスト教的ヨーロッパ文明においてのみ、「世界の呪術からの解放」が進展したことである。「呪術」を追放して、合理的禁欲と計画的自己統制の生活態度を強調するような合理的宗教は、ただ近代西欧にのみ発達した。そこに、ウェーバーは、ヨーロッパ文明の重要な特質を見出した。
 ウェーバーは、西欧での宗教における合理化の源を探った。そして、源を古代ユダヤの預言者に見出した。彼らは偶像崇拝を否定し、救いのためのあらゆる呪術的方法を迷信とし邪悪として排斥し、道徳的な規律による救済を説いた。ウェーバーはこうした態度が、西欧の宗教改革者に受け継がれたと見る。
 ウェーバーは、著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に次のように書いている。禁欲的プロテスタンティズムにおける「教会と聖礼典とによる救いの完全な廃棄こそは、カトリシズムに比較して無条件に異なる決定的な点である。現世を呪術から解放するという宗教史上のあの偉大な過程、すなわち古代ユダヤの預言者とともにはじまり、ギリシャの科学的思惟と結合しつつ、救いのためのあらゆる呪術的方法を迷信とし邪悪として排斥したあの魔術からの解放の過程は、ここに完結を見たのである」と。
 ウェーバーは、プロテスタンティズムによる「世界の呪術からの解放」を「宗教史上の偉大な過程」と呼び、「世界の脱呪術化」をよしとした。この宗教における合理化は、やがて生活全般における合理化の進展になっていった、とウェーバーは見ている。
 私見を述べると、ゲルマン民族のキリスト教への改宗は、自然崇拝・祖先崇拝の排除だった。その際、キリスト教を通じて、その根底にあるユダヤ文化が同時にゲルマン民族に流入・伝播した。それゆえ、ゲルマン民族の社会では、プロテスタンティズムの出現以前から、ユダヤ教における合理化に従う道がつけられていた。カトリック教会の支配下で始まった魔女狩りは、西方キリスト教圏における「呪術の追放」の始まりであり、非ユダヤ=キリスト教的な民衆信仰をさらに激しく攻撃したのが、プロテスタンティズムだった。
 プロテスタンティズムは、ユダヤ教の影響を受けた反カトリックの改革運動である。プロテスタントは、それまでラテン語で書かれ、ラテン語の知識のない者は読むことのできなかった聖書を各国語に訳した。これは、ギリシャ=ローマ文明の遺産であるキリスト教の土着化をもたらした。各国語訳の聖書は、印刷技術と紙の使用によって、民衆に普及した。民衆は、自分たちが日常使っている言葉で聖書を読めるようになった。 この過程でプロテスタントは、聖書の旧約の部分を読むことを通じて、ユダヤ教の思想の影響を受けた。これは、ユダヤ教のキリスト教への流入であり、プロテスタンティズムは、キリスト教の再ユダヤ教化という側面を持つことになった。

 次回に続く。


ユダヤ33~資本主義の精神へのユダヤ教の影響
2017-04-04 08:50:03 | ユダヤ的価値観
●資本主義の精神へのユダヤ教の影響
 
 資本主義は、ヨーロッパ文明で排除・対立・闘争の社会現象が続く中で発生し発達した。
 西欧のキリスト教社会では、もともと金銭を扱うことは汚い職業とされていた。そのため、ユダヤ人が金融業を担当していた。『申命記』に「外国人には利子を付けて貸してもよいが、同胞には利子を付けて貸してはならない。」(23章21節)と定めている。また「外国人からは取り立ててもよいが、同胞である場合は負債を免除しなければならない。」(15章3節)と書かれている。ユダヤ人は、この教えに従って、キリスト教徒に利子をつけて貨幣を貸し、利子の支払いを受け、取り立てをした。その商慣習がキリスト教徒の間に定着したとき、西方キリスト教圏に近代資本主義が胚胎したと私は考える。
 キリスト教徒には金貸し業が禁止されていた。だが、15世紀末から16世紀になると、禁止の規定はすでに無視されていた。南ドイツ、アウグスブルクの商業資本家ヤコブ・フッガーは、ローマ教皇や諸侯に対する高利貸し付けで有名である。フッガーは、早期にユダヤ的価値観を実践したキリスト教徒であり、その後のキリスト教徒資本家の先駆的存在の一人となった。
 彼が活躍した15世紀末から16世紀にかけての時代、ヨーロッパ文明は新大陸に進出し、利潤追求・金銭獲得にむき出しの欲望を働かせた。それによって得た富が、資本の本源的蓄積となった。西欧人は有色人種を間視し、インディオに強制労働をさせて銀を収奪し、黒人に奴隷労働をさせて砂糖や綿花で富を得た。共産主義の理論家カール・マルクスは、西欧社会の労働者をプロレタリアと呼んだが、白人種に奴隷にされた有色人種こそ、生産手段たる土地から引き剥がされ、鉄鎖以外には失うことのないプロレタリアだった。そして、私はこうした異教徒を奴隷化し、彼らを使役して富を得る欲望こそが、近代資本主義の精神の最も根底にあるものだと思う。また、そこには、周囲の異教徒を敵視し、自らの神観念を絶対化するユダヤ教に通じるものがあると考える。
 アフリカやラテン・アメリカで有色人種を支配・搾取したのは、白人キリスト教徒だけではない。ヨーロッパ各地から追放され、宗教改革と反宗教改革の激動の中で過酷な仕打ちを受けたユダヤ人の一部は、自分たちの商才を発揮する新天地を求めた。イベリア半島で排斥されたユダヤ人は、新大陸に渡った最初の商人となった。例えば、セント・トーマス島で最初に大規模なプランテーションの所有者となったのはユダヤ人だった。
 ユダヤ人は、各地で白人キリスト教徒とともに、有色人種を支配・搾取した。奴隷所有者となって、富を蓄積した。白人種及びキリスト教徒の歴史的な罪業だけでなく、常に彼らとともにいたユダヤ人及びユダヤ教徒の罪業も問われねばならない。

●資本主義の発達とユダヤ人の役割
 
 ウェーバーは、産業資本形成期の資本主義の発達には、プロテスタンティズムの「世俗内禁欲」の倫理が重要な役割を果たしたという見方をしている。私はウェーバーの見方に基本的に同意する。
 プロテスタントは、プロテスタンティズムの倫理によって、神の栄光を増すための「道具」として勤勉に働き、倹約に努めた。その結果として利潤が生まれ、資本が蓄積された。一旦、資本が形成されると、資本は利潤を要求し、利潤を上げるための経営をしなければならなくなる。
 産業資本の形成によって、資本は、利潤の獲得を目的とした価値増殖の運動体に転じた。資本の価値増殖運動は、人間の欲望を拡張する活動である。資本主義の機構を生み出した宗教的な倫理は忘れられ、利潤の追求が肯定されて、価値観が大きく転換した。人々は来世の救済より、現世の利益を求める。もはや宗教的な禁欲ではなく、富と快楽を追求する欲望こそが、経済活動の推進力となった。
 ここで私が強調したいのは、産業資本の確立期以降の資本主義の精神は、キリスト教よりもユダヤ教に近いものに変貌したことである。ユダヤ教は、現世における利益の追求を肯定し、金銭の獲得を肯定する。プロテスタンティズム的な「世俗内禁欲」とは正反対の価値観である。そして、ユダヤ教に基づく価値観が非ユダヤ教徒にも共有されるようになったものこそ、今日に至る資本主義の精神だと私は考えている。
 ポール・ジョンソンは、ユダヤ教の教義について、著書『ユダヤ人の歴史』に大意次のように書いている。
 「金銭というものと正面から率直かつ合理的に取り組もうとする態度は、聖書とラビのユダヤ教に由来する。ユダヤ教は宗教心と経済的繁栄を切り離さない。貧しい者を讃え、強欲を戒める一方、実生活のためになるものと倫理的価値が切っても切れない関係にあることを示している」。モーセ五書の一つ『申命記』には、ユダヤ民族について、「あなたに告げたとおり、あなたの神、主はあなたを祝福されるから、多くの国民に貸すようになるが、借りることはないであろう。多くの国民を支配するようになるが、支配されることはないであろう。」と書かれている。また、タルムードには「義人の目に麗しく、世間の目に麗しいものが七つある。その一つは富である」と記され、富は美徳とされている。ユダヤ教では、「正しく執り行われた商売は厳格な倫理に完全に即しているばかりか、徳の高い行いだと考えた」とジョンソンは記す。
 ジョンソンは、こうした教義を持つユダヤ教を通して、ユダヤ人は「合理化の精神」を学んでいたという。そして次のように書いている。「資本主義は、どの段階にあっても合理化によって、既存の方法に残る混沌とした部分を改良することで進歩してきた。そのような合理化はユダヤ人の得意とするところであった。彼らは狭く孤立した自分たちの世界では、原則としてきわめて保守的であったが、社会全体に対しては、責任を負っていたわけでも特別な感情をもっていたわけでもないので、社会の伝統や物事の運び方、制度などが崩れていくのを見ても少しも心が痛まず、実際に既存のものを壊していく中で指導的な役割を果たしえたからである。そういう意味で、ユダヤ人が資本主義を押し進めていったのは自然な成り行きであった」と。
 ウェーバーは、ユダヤ人の活動を投機的な的資本主義とし、プロテスタントの市民的な労働組織による生産活動を以て、産業資本の形成と評価する。確かに近代資本主義は、産業資本の形成をもって、初めて資本主義となった。産業資本が出現する以前、資本は商人資本、高利貸し資本という形態を取った。しかし、私見によれば、経済活動は生産だけでなく、消費と流通と金融なくしては成り立たない。近代資本主義においては、商人資本は商業資本となり、高利貸し資本は銀行資本となった。産業資本は、生産によって利潤の獲得をめざす資本である。これを生産資本と呼ぶならば、商業資本は流通資本、銀行資本は金融資本である。生産だけでなく、消費・流通・金融がバランスよく発達してこそ、経済規模が拡大する。それによって、資本の価値増殖運動は持続的に発展する。生産は消費と結びつくことで、継続・拡大する。この生産と消費を結びつける流通と金融に巧みなのが、ユダヤ人だった。
 ユダヤ人の経済活動なくして、近代資本主義の発達はなかった。そして、その発達の初期から今日まで、ユダヤ的価値観は浸透・普及をし続けているのである。

 次回に続く。


ユダヤ34~ハプスブルグ家の栄華とユダヤ人
2017-04-07 09:38:40 | ユダヤ的価値観
●ハプスブルグ家の栄華とユダヤ人

 キリスト教社会で差別と迫害を受けるユダヤ人が、自らの地位を高めていったのは、類まれな経済的能力による。ユダヤ人は、14~15世紀にはイタリア諸都市やスペイン、ポルトガルの繁栄に貢献した。イベリア半島からは追放されたが、ユダヤ人は商業・貿易・金融の知識と国際的なネットワークを持ち、ある土地で追放されると他の土地へ移り、そこで能力を発揮した。
 16世紀末のヨーロッパでは、教会の権力と影響力は衰え、国王の権威が増大した。国王を中心に近代主権国家が形成される過程で、官僚制と財政制度が発達した。そのなかで実務能力に長けたユダヤ人は歓迎されるようになった。ヴェネツイア、トスカナ、フランス、アムステルダム、フランクフルト等で、ユダヤ人は認可や特権や保護状を与えられた。かつてユダヤ人を追い出したドイツ語圏の町や公国も再び彼らを受け入れた。
 神聖ローマ帝国では、1577年にハプスブルク家の皇帝ルドルフ2世が、ユダヤ人に特権を与える勅許状を出した。ユダヤ人の財務能力が有益だと考えたからである。彼は大商人マルクス・マイゼルを最初の宮廷ユダヤ人として迎え入れた。
 マイゼルは、収集家としても知られるルドルフ2世に美術品や科学的機器を提供していた。だが、最大の役割は、イスラーム文明のオスマン帝国との戦争に必要な資金の調達だった。その見返りに皇帝は、マイゼルに宝石などの担保品だけでなく、約束手形や土地を抵当に金を貸すことを託した。ポール・ジョンソンは、「利口で信心深いユダヤ人と利己的で好き放題をするハプスブルク家の人間が手を結べば、必然的に互いに利用し合って私腹を肥やす関係となった」と書いている。
 先に宗教改革について書いたが、西方キリスト教の新教と旧教の争いは、ドイツの諸侯や周辺諸国を巻き込んで、一大宗教戦争に発展した。それが、1618年に始まるドイツ30年戦争である。皇帝やドイツの諸侯は莫大な戦費を必要とした。彼らはユダヤ人から資金の提供を受けなければ、戦争ができなかった。とりわけハプスブルク家は、戦争の開始直後に一度、崩壊寸前となった。この時、同家が権力を失わずにすんだのは、ユダヤ人ヤコブ・バッセヴィが資金調達に奔走したことによる。カトリック側の王や諸侯もプロテスタント側の王や諸侯もともに、ユダヤ人から資金の提供を受け、引き換えに居住許可を乱発した。資金だけでなく、軍が必要とする食糧やかいばの調達も、ユダヤ人が行った。これには、東欧におけるユダヤ人の食糧供給網が役立った。
 30年戦争でドイツは荒廃した。だが、その間に中央ヨーロッパのユダヤ人社会は着実に成長を遂げた。そして戦後に誕生した多数の小国家の領主たちに金銭や物資を供給する裕福なユダヤ人が出現した。彼らは諸邦の宮廷にまず財務官あるいは財政顧問として入り、その後、他の分野にまで関与し、専制君主や政府に欠かせない存在となった。中には事実上の大臣として君主に仕え、政治力と経済力を宮殿に集めるのを助け、君主や貴族とともに利益を享受するユダヤ人もいた。こうして、ドイツ30年戦争をきっかけに、ユダヤ人は国家財政と軍事物資の供給に大々的に関与することになった。
 17世紀後半から18世紀初めにかけて、神聖ローマ帝国のハプスブルグ家は、ブルボン朝のフランスと権勢を競った。当時大陸を軍事的に制圧していたルイ14世のフランスに対してイギリス、オランダ等が大連合を組んで戦い、これを破った。英蘭側では、主にユダヤ人グループが資金や食料を調達した。この際、ハプスブルク家では、ザームエル・オッペンハイマーがドイツとオランダを結ぶユダヤ人資本家の一大ネットワークを駆使して資金調達に活躍した。
 オスマン帝国がヨーロッパに進軍しようとした時、ハプスブルク家が抗戦してこれを食い止めた。このときオッペンハイマーは、オーストリア軍への物資供給を請け負った。また1683年にウィーンが包囲され、皇帝が逃げ出した時に町を救ったのも、彼だった。オッペンハイマーは、オーストリアのハプスブルグ家に5500万グルデン以上の信用貸しをしていた。ザームエルの死はオーストリア国家と帝室を破産に瀕ししめた。
 宮廷ユダヤ人は16世紀のマイゼルを先駆とし、西欧で資本主義が発達するにつれ、イギリス、ドイツ、オーストリア、デンマーク等で活躍を続けた。彼らは財力を利用して政府や君主に貸付をし、軍のために武器を供給し、また貿易や産業を促進するのに貢献した。そして、多くの国でユダヤ人が政府の財政を支配するようになり、その影響力は1914年まで続いた。
 ところで、ヨーロッパ文明では、近代化の進展とともにいわゆる人権が発達した。一般に普遍的・生得的とされる人権は、諸国家の国民の権利として歴史的・社会的・文化的に発達した。そうした意味での人権が確保・拡大されるに伴って、ユダヤ人の自由と権利も拡大した。それは、こうしたユダヤ人の財政・戦争等への関与の延長線上に実現したものである。人権発達の歴史は、一面において、ユダヤ人が自らの自由と権利の拡大を推進してきた歴史でもある。その過程をとらえるには、16世紀のオランダ、17世紀のイギリス、18世紀のアメリカ・フランス等における展開をたどる必要がある。これを順に見てみよう。

●オランダのエルサレム

 15世紀末にスペイン、ポルトガルから追放されたユダヤ人の一部は、オランダに向かった。
 現在のオランダ・ベルギーのあたりは、ネーデルラントと呼ばれる。この地域は、中世以来、北海・バルト海交易による商業と毛織物業で繁栄していた。商業を通じたイタリア・ルネサンスの影響で、15世紀から新しい文化が花開き、北方ルネッサンスの中心地のひとつとなっていた。
 1579年、オランダはユトレヒト同盟によってスペインから独立した。カトリック教会が支配するスペインから、プロテスタントを主とする国家、オランダが誕生した。宗教改革によって、民族独立、宗派独立が起ったのである。
 スペインとともに世界を二分したポルトガルは、1580年にスペインに併合された。すると、それまで寛容だったポルトガルの異端尋問所は、一転して隠れユダヤ教徒を厳しく追及し始めた。そのため、ポルトガルの新キリスト教徒やマラノの多くがアムステルダムに向かった。1588年には、スペインの無敵艦隊がイギリス海軍に大敗し、スペイン王国の栄光に陰りが出た。ポルトガルだけでなくスペインのマラノもアムステルダムへの移住の流れに加わった。ユダヤ人が出国した後のスペイン・ポルトガルはやがて衰微していき、ユダヤ人が移住したオランダが興隆することになった。
 ユダヤ人はヨーロッパ各地で異教徒として蔑視や敵視をされながらも、経済的にはすでに諸国で欠かせない存在となっていた。彼らが最初に信教の自由を中核とする自由と権利を確保したのは、オランダにおいてだった。
 16~17世紀にかけて、ヨーロッパで最も宗教に寛容で、信教の自由が保障されていたのが、オランダだった。16世紀最大のヒューマニストといわれたデジデリウス・エラスムスは、オランダで「信仰に自由を」と主張した。また当時は、ヤーコブス・アルミニウス等の自由主義派も信教の自由を主張していた。1615年、国際法の祖といわれる法学者フーゴー・グロチウスの助言によって、オランダの法廷はマラノをヘブライ族の一員として認め、アムステルダム居住を正式に許可した。
 オランダの主要部は、絶対核家族が支配的で、自由主義的な家族型的価値観を持ち、早くからユダヤ人にも寛容だった。オランダのプロテスタントは、カルヴァン派が多数を占める。カルヴァン派は、キリスト教でありながら、利潤の追求を認めるので、商工業者に信者が多かった。
 ユダヤ人が多数移住した当時のオランダは、貿易で国を興そうとしていた。そのことは、商業を得意とするユダヤ人には都合がよかった。ユダヤ人は彼らの持つ商業的な知識や国際的な人脈ゆえに歓迎され、アムステルダムを中心としてオランダの経済発展に大いに寄与した。
 ユダヤ人は、アムステルダムで銀行業務を発展させた。アムステルダム銀行は近代資本主義の銀行のもとになった。またユダヤ人は株式取引所、東インド会社、西インド会社等を設立した。東インド会社の株は、ユダヤ人が4分の1以上を保有していた。
 アムステルダムは、17世紀に最高の繁栄を極めた。多くのユダヤ人が集まって豊かな生活を繰り広げたので、「オランダのエルサレム」と呼ばれた。
 ユダヤ商人は、南米のギアナ、キュラソー、ブラジル等まで出かけて、オランダに富をもたらした。また、ブラジルから北米へのユダヤ人の最初の移住が行われた。ニューヨークは、イギリスから多数のピューリタンが渡って故郷の土地の名を変える前には、ニューアムステルダムと呼ばれていた。
 オランダでユダヤ人の自由と権利は拡大された。さらにユダヤ人の地位改善が進んだのは、17~18世紀にイギリス、アメリカ、フランスで相次いだ市民革命による。

 次回に続く。


ユダヤ35~近代西欧科学とユダヤ教
2017-04-09 08:49:39 | ユダヤ的価値観
●近代西欧科学とユダヤ教

 ここで、人権及びユダヤ人の自由と権利の発達の話とはそれるが、西欧で発達した近代科学とユダヤ教の関係を差し挟んでおきたい。
 近代西欧科学は、ヨーロッパの近代化の進行の中で発達した。近代化とは、「生活全般における合理化の進展」(マックス・ウェーバー)を意味する。合理化は、文化的領域から始まった。文化的領域における近代化とは、宗教・思想・科学等における合理主義の形成である。14世紀から16世紀にかけてルネサンス、16世紀に宗教改革、17世紀に科学革命が起こり、文化的近代化が進み、世界観が大きく変わった。世界を合理的な考え方で理解する態度が支配的になったのである。
 この世界観の変化において大きな作用をしたものの一つが、天動説から地動説へのいわゆるコペルニクス的転換である。この転換は、16世紀の半ばから17世紀の初めにかけて、コペルニクス、ティコ=ブラーエ、ケプラー、ガリレオらが天体観測と数学的計算によって、もたらされた。世界観の転換は、西欧での科学革命を引き起こした。実験と計算が重んじられるようになり、神話的・教義的な意味付けは駆逐されていった。フランシス・ベーコンは、実験と観察にもとづく帰納法的学問こそが、人類に大きな利益をもたらすことを強調して、近代科学の論理学・方法論を発表した。ルネ・デカルトは、精神と物質の徹底した二元論、数学による幾何学的な自然観などによって近代科学の理論的枠組を打ち出した。ロバート・ボイルは、物質の基本構成要素として元素の存在を認め、化学の礎を開き、また実験科学を確立した。そして、アイザック・ニュートンが万有引力の法則を発見して地動説を完成させるとともに、機械論的世界観を確立した。
 近代西欧科学の機械論的な世界観は、自然は数理的な法則に従って運動する物質とみなす。人間と自然の間の霊的なつながりは決定的に失われ、自然は物質化・手段化された。そして人間には自然を征服・支配する力が与えられているという考えが支配的になった。物質科学によって得られた知識は、西欧人に合理主義的な思考を促し、宗教・思想・生活態度を合理的なものに変えていった。そして、合理主義的な思考の強化によって、近代科学は急速に発達した。物質科学の発達は、近代化の過程で決定的な役割を果たした。物質科学こそ近代文明の中心であり、近代西洋文明は物質科学文明と呼ぶことができる。
 ただし、科学は、近代西欧で突然発生したものではなく、近代西欧科学はイスラーム文明で発達していた科学を継承して、さらに発達させたものである。数学や医学、天文学、建築学、土木学、水理学、農学、植物学等は、古代のメソポタミア、エジプト、インド、シナ、ギリシャ、ローマ等で、様々な形で発達していた。私は、こうした近代西欧科学以前の科学を、伝統科学と呼ぶ。かつては科学と言えば、近代西欧で発生・発達したものという見方が定説となっていたが、それは西欧中心、西洋中心の偏った見方であり、またおごった見方である。近代西欧科学はそれまでのインド・シナ・ギリシャ・イスラームの諸文明における伝統科学を受け継ぎつつ、それが秘めていた可能性を爆発的に現実化したものである。
 近代西欧科学の発達は、人類の知識を一挙に広げた。人類に内在していた知能が、あたかも季節が来て木々の花が咲くように、一気に開花し始めたかのようである。まさに科学革命を中心とした近代化の進行によって、人類文明は大変化しつつある。
 西欧で発達した近代科学が、それ以前の非西欧的また前近代的な伝統科学と異なるのは、人間が自然を支配し、利用するという思想の上に立っている点にある。自然を物質化・手段化し、これを征服・支配し、資源として利用して、人間の生活や文化を豊かにするという考え方は、ヨーロッパ文明の特徴である。この特徴は、キリスト教に基づくという見方が、多くの論者の説くところである。確かにヨーロッパ文明のもとになった他の文化要素であるギリシャ=ローマ文明やゲルマン民族の文化には、こうした明瞭な特徴は見られない。
 キリスト教に基づくとされる根拠は、旧約聖書の『創世記』に、神が人間を自分に似たものとして創造し、人間に対して「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と命じたと記されていることによる。それが、自然を支配し、これを利用することが神から与えられた人間の使命であるという思想のもとになっている。多くの論者は、それをキリスト教の教えによると説いてきたが、『創世記』の記述はユダヤ教の教えであり、それがキリスト教にそのまま継承されているものである。それゆえ、人間が自然を支配し、利用するという思想は、キリスト教というより、ユダヤ教に基づくものであると言わなければならない。また、それゆえ、近代西洋科学を批判的に考察するには、ユダヤ教の研究が必要なのである。

 次回に続く。


ユダヤ36~スピノザの独創的な哲学
2017-04-11 09:37:31 | ユダヤ的価値観
●スピノザの独創的な哲学

 科学革命の世紀に特異な思想を説き、後世に大きな影響を与えたユダヤ人哲学者がいる。バルーフ・デ・スピノザである。
 スピノザは、汎神論的な独創的思想を生み出し、デカルト、ライプニッツとともに、大陸合理論の代表的哲学者となった。その影響はドイツ観念論の発達、無神論・唯物論の出現に作用し、現代にまで及んでいる。
 スピノザは、1632年にアムステルダムの富裕なユダヤ人の貿易商の家庭に生まれた。両親は、ポルトガルのユダヤ人迫害から逃れてオランダへ移住したセファルディムだった。スピノザは、ユダヤ人学校でヘブライ語・聖典学を学び、ユダヤ神学を研究した。当時のユダヤ教の教義や信仰に批判的な態度をとったため、スピノザはユダヤ教団から破門され、ユダヤ人共同体から追放された。ラテン語を学び、数学・自然科学・スコラ哲学およびルネサンス以後の新哲学に通じ、とりわけデカルトから決定的な影響を受けた。
 スピノザは、オランダの自由主義の政治思想を支持し、神学の干渉から思想の自由を擁護しようとした。そのために旧約聖書の文献学的批判を行い、1670年に『神学政治論』を出版した。本書は禁書とされ、スピノザは極悪の無神論者とみなされた。
 スピノザの哲学体系は、実体(ウーシア、サブスタンティア)の概念から出発する。実体は、ギリシャ哲学からスコラ哲学で中心的な役割を演じた概念である。変化する諸性質の根底にある持続的な担い手であり、それ自身によって存在するものをいう。デカルトは、方法的懐疑によって疑い得ぬ確実な真理として、「我思う、ゆえに我あり(cogito ergo sum)」と説いた。そこから神の存在を基礎づけ、外界の存在を証明した。神を無限な実体として世界の第1原因とし、それ以外には依存しないものとして、物体と精神という二つの有限実体を立てた。これら「延長のある物体」と「思惟する精神」は相互に独立した実体とする二元論の哲学を樹立した。
 これに対し、スピノザは、実体を自己原因ととらえ、無限に多くの属性から成る唯一の実体を神と呼び、神以外には実体はないとした。所産的自然としての個物は、能産的自然としての神なくしては在りかつ考えられることができないものとし、すべての事物は神の様態であるとした。そして、神は万物の内在的原因であり、すべての事物は神の必然性によって決定されていると説いた。また、延長と思惟はデカルトの説とは異なり、唯一の実体である神の永遠無限の本質を表現する属性であるとした。延長の側面から見れば自然は身体であり、思惟の側面から見れば自然は精神である。両者の秩序は、同じ実体の二つの側面を示すから、一致するとした。
 主著『エチカ 幾何学的秩序によって証明された』は、1675年に完成したが、生前は発刊されなかった。副題が示すように、限られた公理および定義から出発し、一元的な汎神論と心身並行論を証明し、それらに基づいて人間の最高の善と幸福を解明する倫理学を展開した。
 スピノザの思想の核心は、神即自然 (deus sive natura) の概念にある。彼の哲学は、一種の汎神論であり、また新プラトン主義的な一元論と理解される。人格的な神の観念を否定し、理性の検証に耐えうる合理的な自然論を提示している。そのため、ユダヤ=キリスト教の側からは無神論者と決めつけられた。だが、むしろ理神論者と見るべきだろう。
 理神論(deism)は、キリスト教の神を世界の創造者、合理的な支配者として認めるが、創造された後では、世界は自然法則に従って運動し、神の干渉を必要としないとし、賞罰を与えたり、啓示・奇跡を行ったりするような神の観念には反対する宗教思想である。キリスト教を近代科学と矛盾しないものに改善しようとした試みであり、信仰と理性の調和を目指し、キリスト教を守ろうとしたものである。17世紀前半のイギリスに現れ、18世紀の啓蒙主義の時代に各国に広がった。そうした風潮において、18世紀の後半、ドイツでスピノザの哲学をどう受け入れるかという汎神論論争が起こった。その結果、スピノザ哲学は無神論ではなく汎神論であるという理解が確立された。
 スピノザの一元的汎神論や能産的自然の思想は、後の哲学者に強い影響を与えた。スピノザは、自己の個体本質と神との必然的連関を十全に認識するとき、有限な人間は神の無限に預かり、人間精神は完全な能動に達して自由を実現し、そこに最高善が成立すると説いた。その哲学は、フィヒテからヘーゲルに至るドイツ観念論哲学の形成に決定的な役割をはたした。ヘーゲルは、スピノザの唯一の実体という思想を自分の絶対的な主体へ発展させた。そのヘーゲルの絶対的観念論を打破したところに、マルクスの無神論的な史的唯物論が登場した。
 スピノザは、ユダヤ教の側から破門にされ、キリスト教の側からは危険人物視された。だが、その神即自然の思想は、数学・自然科学の知見を踏まえたものなので、ユダヤ=キリスト教の信仰と数理的・科学的な理性との両立を図る科学者には、受け入れやすいものだった。
 20世紀最高の天才物理学者でユダヤ人であるアルベルト・アインシュタインは、ニュートンの機械論的世界観の体系を包含する相対性理論を樹立したが、その一方てユダヤ教徒であり、信仰と理性を両立させた世界観を持っていた。彼の神に関する考え方には、スピノザの影響があることが指摘されている。

 次回に続く。


ユダヤ37~イギリスでのユダヤ人の自由と権利の拡大
2017-04-13 09:37:05 | ユダヤ的価値観
●イギリスでのユダヤ人の自由と権利の拡大
 
 ユダヤ人が自由と権利は、オランダに続いて、17世紀のイギリスにおいて市民革命を通じて拡大された。
 イギリスでは、先に書いたように1290年にユダヤ人が追放された。以後、公式に追放令が撤回されることはなかったが、わずかながらずっとブリトン島に住み続けたユダヤ人もいた。例えば、エリザベス1世の金主はセファルディムのユダヤ人だった。女王の医者ロドリゴ・ロペス博士もユダヤ人だった。ロペスはユダヤ人を標的にした魔女狩りの餌食となり、1593~4年に反逆罪で裁判を受けた。
 17世紀後半になると、イギリスでは事実上、ユダヤ人の居住が再び認められ始めた。それは彼らの経済的能力への評価によるものだった。もともとイギリスのユダヤ人追放は宗教的ではなく経済的な理由だった。経済的に役立つということになれば、実利的な目的でまた居住を認めることになったわけである。1649年のピューリタン革命、1688年の名誉革命は、イギリスのユダヤ人の地位を大きく変え、また西欧におけるユダヤ人の自由と権利を拡大する端緒となった。
 ヨーロッパ初の市民革命であるピューリタン革命は、ユダヤ人に対する政策が再検討されるきっかけとなった。清教徒たちは、英訳の旧約聖書を読んで、ユダヤ人に尊敬の念を持つようになった。オリヴァー・クロムウェルは、ユダヤ人の経済力が国益にかなうという現実的判断をし、寛大な政策への道を開いた。クロムウェルの軍隊は、ユダヤ人から資金を得ていた。
 ユダヤ人の側では、アムステルダムの学者メナシェ・ベン・イスラエルが、イギリスで1649年に国王チャールズ1世が処刑されたのを見て、ユダヤ人がイギリスへの入国を勝ち取る良い機会だと考えた。1655年9月メナシェは自らロンドンへ乗り込み、護国卿となったクロムウェルに請願書を提出した。クロムウェルは請願書に理解を示し、議会に提出した。議会に小委員会が設置され調査されたが、条件が決まらなかった。すると、クロムウェルは小委員会を解散し、1656年にユダヤ人の移住を認めた。それによって、イギリスのユダヤ人社会が復活した。当時のイギリスは重商主義政策によってオランダ、スペイン、ポルトガルと激しい貿易戦争を展開していた。これに勝つためにユダヤ人の能力を必要としたのである。
 王政復古後のチャールズ2世も同様にユダヤ人に対して正式に居住を認めた。理由は、イギリスの商人を守るよりユダヤ人を保護する方が、経済的にずっと大きな利益が得られると判断したからだった。
 名誉革命は、さらにユダヤ人の地位を高めた。この革命は、オランダからオレンジ公ウィレムを招聘して、国王を交代させたが、そこにはユダヤ人の関与があった。1688年ウィレムが英国に出兵する際、オランダのユダヤ人ロペス・ソアッソ一族が経費として200万グルデンを前貸しした。名誉革命は、オランダのユダヤ人の資金提供がなければ、成功し得なかった。ウィレムが新英国王ウィリアム3世になると、大勢のユダヤ人金融業者がロンドンに移り住んだ。17世紀末までに、ユダヤ人は正式にイギリスに住むことが出来るようになった。
 名誉革命を通じて、国際金融の中心は、アムステルダムからロンドンに移った。ロンドンではウィリアム3世の治世に銀行業や金融市場が発達した。その創設にはユダヤ人が関った。その後のシティの繁栄は、ユダヤ人の知識・技術・人脈によるところが大きい。また、経済能力の高いユダヤ人が多数移住したイギリスは、資本主義発達の最先端地域となって発展していった。
 イギリスで市民革命が起った17世紀中後半の時代のヨーロッパでは、プルボン朝のフランスが強大だった。ブルボン朝はハプスブルグ家と抗争しつつ王権を強化し、ルイ14世時代に絶頂期を迎えた。ルイ14世は「朕は国家なり」の句で知られる絶対君主の典型である。大陸を軍事的に制圧するルイ14世は、イギリス、オランダと国際政治・国際経済の主導権を争い、4次にわたり絶対主義戦争を繰り返した。すなわち、南ネーデルランド継承戦争、オランダ侵略戦争、ファルツ継承戦争、スペイン継承戦争である。
 フランスに対抗して大連合が組まれ、1672年からオランダ統領のウィレムが連合軍を指揮した。彼は、名誉革命後は英国王として指揮を続けた。戦いは連合軍の勝利となり、ルイ14世の支配は打ち砕かれた。この戦いにおいて、資金と食糧を調達したのは、主にユダヤ人グループだった。ユダヤ人にとって戦争や革命に資金を提供することは、自らの富を増加することになるだけでなく、自らの自由と権利を拡大していくことにもなっていた。
 ところで、ピューリタニズムは、カルヴァン派プロテスタンティズムのイギリス版である。彼らは、旧約聖書を通じてユダヤ教の影響を受けた。マックス・ウェーバーは、この点に注目し、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に次のように書いている。「すでに同時代の人々をはじめとしてその後の著述家たちが、とりわけイギリスのピューリタニズムの倫理的基調を『イギリスのヘブライズム』と名づけているのは、誤りなく解するなら、まさに正鵠をえたものである」と。
 ウェーバーは、ユダヤ人とピューリタンの経済思想の関係について、次のように述べている。「ユダヤ教は政治あるいは投機を指向する冒険商人的資本主義の側に立つものであって、そのエートスは、一言にしていえば、的資本主義のそれであったのに対し、ピューリタニズムの担うエートスは、合理的・市民的経営と労働の合理的組織のそれであった。ピューリタニズムはユダヤ教の倫理から、そうした枠に適合するもののみを採り入れたのである」「イギリスのピューリタンたちにとっては、当時のユダヤ人はまさしく彼らの嫌悪してやまぬ、あの戦争・軍需請負・国家独占・泡沫会社投機、また君主の土木・金融企画を指向するような資本主義を代表する者であった」「ユダヤ人の資本主義は投機的な的資本主義であり、ピューリタンの資本主義は市民的な労働組織であった」と。
 私は、ウェーバーのこの見方に基本的に同意するが、ウェーバーは重要な点を軽視していることを指摘したい。名誉革命後、オランダから移住したユダヤ人がロンドンを国際的な金融の中心地とした。そして、ピューリタンによる合理的な経営方法と労働組織は、ユダヤ人が作った金融システムが機能しているからこそ、資本主義的な生産活動を拡大させることができたことである。このことは、18世紀半ばからの産業革命によって、巨額の資金が必要になればなるほど重要な意味を持つようになっていったのである。
 近代西洋の歴史を振り返ると、ユダヤ人を最終的に受け入れた先は、ほとんど例外なく繁栄した。プロテスタントの宗教的信念が勤労と蓄財を鼓舞したとする説は、資本主義発達の初期の段階には当てはまるものの、長期的に概観すると、ユダヤ人の移住こそが、近代資本主義が発達した地域に共通する著しい特徴となっている。このことの重要性を軽視する経済学・経済史学には、大きな欠陥がある。
 14~15世紀にはイタリア諸都市やスペイン、ポルトガルで、17世紀にはオランダのアムステルダムで、17世後半からはイギリスのロンドンで、ユダヤ人は移住するたびに新しい場所で才能を発揮した。ヨーロッパ経済また資本主義システムのその時々の中心地で、ユダヤ人は活躍した。北米、ドイツ等でも移住したユダヤ人が活躍した。20世紀以降、今日まで世界で最も繁栄しているアメリカ合衆国は、イスラエル以外では世界最大のユダヤ人人口を有する国家となっている。
 逆にユダヤ人を差別し迫害する宗派が支配的な国家は、それまでの経済的繁栄を失うか、十分な経済的発展ができない状態を続ける。ユダヤ人に自由と権利を保障し、それらを拡大した国家が大きく発展しているという事実は、キリスト教とユダヤ教の関係という観点から見れば、キリスト教がユダヤ教に寛容を示したり、再ユダヤ教化したり、ユダヤ教徒の信仰活動を保障したりした地域が、経済的に発展してきていることを示している。この現象は、西方キリスト教社会におけるユダヤ的価値観の浸透・普及を示すものである。

 次回に続く。


ユダヤ38~宗教的寛容の原理の確立
2017-04-17 09:22:30 | ユダヤ的価値観
●宗教的寛容の原理の確立

 近代西欧諸国では、宗教戦争や市民革命を通じて、信教に対する「寛容の原理」としての自由が求められた。そして、宗教的寛容の広がりによって、プロテスタンティズムやユダヤ教の信仰が許容されるようになった。
 ジョン・ロックは名誉革命の理論を提供したことで知られるが、同時にユダヤ教徒等への宗教的寛容を説き、大きな影響を与えた。名誉革命期にオランダに亡命していたロックは、そこで宗教的寛容の思想の影響を受けた。ロックは、『寛容についての書簡』で、キリスト教の中で正統と異端の区別をなくすだけでなく、ユダヤ教やイスラーム教などの異教徒も、キリスト教徒と同じく信教の自由を保障されるべきだと主張した。ただし、社会秩序に反するもの、他の人々の信仰の自由を認めないもの、外国への服従を主張するもの、無神論者には制限を設けるとした。
 『寛容についての書簡』は1689年にオランダ、イギリスで出版され、同年イギリスではロックの主張に沿って宗教寛容法が制定された。同法は非国教徒に対する差別を残し、カトリック教徒やユダヤ教徒、無神論者、三位一体説を否定する者等には、信教の自由を認めないという限定的なものだったが、信教の自由の保障が一部実現した点で、歴史的な意義がある。その保障は、やがて拡張されていった。ロックが直接意図したかどうかはわからないが、彼の主張がユダヤ人の自由と権利の拡大に寄与したことは間違いない。
 宗教的寛容は、他のヨーロッパ諸国にも広がっていった。私は、ユダヤ人の活動なくしては、西方キリスト教圏で信教の自由を実現し、思想・信条の自由を確立する運動は、それほど進展しなかっただろうと考える。ユダヤ人自身の活動は思想運動ではなく、経済活動として進められた。ユダヤ人は富を生み出して、キリスト教社会の発展に寄与することによって、彼らの自由と権利を拡大した。同時に、それはキリスト教社会にユダヤ的価値観が浸透・普及していく過程でもあった。

●中央銀行の設立

 ユダヤ人は、常に追放の可能性にさらされていた。そこで生き延びるための集団的本能から、様々な方策を行った。危険が訪れたら速やかに財産を以て移動し、移住先でもすぐに財産を別のものに交換できるようにする技術を発達させた。それゆえ、新しい土地でもすぐ商売や取引を開始できた。また、彼らは経済の手続き全般を合理化した。
 第一の例は、信用貸しである。ユダヤ人は、信用貸しの制度を生みだし、これを普及させた。
 第二の例は、有価証券である。ユダヤ人は、信用状が発達すると、それをもとに無記名債券を考案した。為替手形や銀行券などは、彼ら移動の民にとって非常に有利なものだった。
 第三の例は、株式取引所の整備である。株式は効率よく合理的に資本を調達し、それを最も生産的に配分するための手段である。ユダヤ人はアムステルダムの株式取引所を牛耳っていた。最初に証券による大規模な取引を行ったのもユダヤ人だった。ロンドンではそれをさらに拡大した。
 第四の例は、中央銀行である。その重要性は、上記の三つの例を遥かに上回る。ユダヤ人は、1694年にイングランド銀行を設立した。イングランド銀行でユダヤ人は、アムステルダム銀行の仕組みをさらに高度に発達させた。イングランド銀行は民間銀行だが、政府に巨額の貸付を行うことで、銀行券の発券特許を得た。民間銀行が一国の通貨の発行権を獲得したのである。それによって、イングランド銀行は、国家の中央銀行となった。近代主権国家は、貨幣経済を管理するために、その国の信用制度の中心となる銀行を必要とする。それが中央銀行である。その中央銀行を民間銀行が務めることになったのである。また、これにより、政府は財政の維持や戦費の調達のために国債を発行し、銀行はそれをもとに貨幣を発行するという仕組みも作られていった。
 ロスチャイルド家が台頭するのは18世紀後半だから、中央銀行の設立はそれより一時代前の話である。その頃すでに、ユダヤ人は中央銀行制度によって国家財政を動かし、とめどない富を獲得する仕組みを作り上げていたのである。1833年には、イングランド銀行券が法貨に定められた。法貨とは、法的強制力を与えられた貨幣である。民間銀行が発行する銀行券が、法定通貨になったのである。これによって、中央銀行制度は完成した。
 近代主権国家は、個人の所有権、財産権、商業活動の自由、職業選択の自由等、国民の自由と権利を保障するための法制度を発達させた。それらは、資本と国家が富と権力を維持・発展することを可能とする仕組みである。そして、それに加えて、この中央銀行制度が完成したことをもって、私は近代資本主義が完成したと考える。
 貨幣は、利子をつけて貸すことで価値を増大させる。それが、資本主義の根本にある。貸し借りは権力関係を生む。この関係が個人と個人の間ではなく、資本家と政府の間で結ばれ、さらにその債権債務は政府が国民から徴税する方法で処理される。こうした仕組みが法制度化されたことにより、近代資本主義は仕組みとして完成したと私は考えるのである。そして、近代資本主義の発展・完成の過程で、ユダヤ人銀行家の果たした役割は極めて大きい。
 さらに重要なことは、民間銀行が中央銀行となり、通貨発行権を握った場合、紙幣を印刷することで、ほぼ無限の利益を得られることである。その仕組みは、「紙幣の錬金術」と呼ぶに値する。中央銀行は通貨発行権という特権を用いて、政府が印刷した紙幣を原価並みの値段で買い取る。それを政府は銀行から額面どおりの値段で借りる。その結果、利子の支払いが生じる。政府は、債務を追うということである。政府からほぼ原価で引き取った紙幣を、政府に額面どおりに売り、そのうえ利子を取るのだから、利益は莫大となる。これこそが中央銀行の本質である。それゆえ、この権益を犯そうとする者に対しては、しばしば暗殺、戦争、クーデタ等の手段が取られる。
 ユダヤ人は経済の手続き全般を合理化し、活発な経済活動を行った。それによって、ユダヤ的価値観が西洋文明に浸透し、普及していった。繰り返しになるが、ユダヤ的価値観は、物質中心・金銭中心、現世志向、自己中心の考え方であり、対立・闘争の論理、自然を物質化・手段化し、自然の征服・支配を行う思想である。こうした思想が近代西洋思想と考えられているのは、近代西洋思想がユダヤ=キリスト教の文化を土壌として発達したからである。そして、近代西洋思想の核心には、ユダヤ的価値観が存在するというのが私の見解である。西欧で発達した近代資本主義の中枢を占める中央銀行制度の存在は、そのことを最もよく表すものとなっている。

 次回に続く。


ユダヤ39~フリーメイソンとユダヤ人
2017-04-19 08:55:06 | ユダヤ的価値観
●フリーメイソンとユダヤ人

 18世紀後半、西欧におけるユダヤ人の地位を大きく変えることになる重大な出来事が起こった。1776年のアメリカ独立革命と1789年のフランス市民革命である。これらの出来事とユダヤ人との関係を述べるには、フリーメイソンについて触れる必要がある。アメリカ独立とフランス革命に影響を与えた思想家や革命を指導した活動家には、フリーメイソンの会員が多くいたからである。
 フリーメイソンの起源には諸説あるが、学術的に有力なのは中世の石工つまり建設業者の職人組合に起源を求める説である。石工組合が近代的な結社に変わったとするものである。
 近代フリーメイソンは、1717年にイギリスに始まったとされる。この年、ロンドンにあったロッジ(支部)が集まって、グランド・ロッジ(本部)が結成された。ただし、これ以前からメイソンは、オランダ、イギリス等で活動したことが知られている。
 「近代フリーメイソンの父」と呼ばれるジャン・デザキュリエは、牧師で自然科学者、権威ある王立協会の会員だった。デザキュリエはニュートンの友人であり、ニュートンはロックの友人だった。ロックは名誉革命を裏付ける理論を提示した。革命の前は、オランダに亡命していた。1680年代のオランダでは既にメイソンが活動していた。ロックがメイソンだった確証はないが、周囲にはメイソンが多くいた。ロックがメイソンと交わり、メイソンの思想をよく知っていた可能性は高い。
 「自由・平等・友愛」というと、誰もがフランスの三色旗を思い浮かべるだろうが、これらはフリーメイソンの標語だった。ただし、この標語はメイソンが発案したものではない。もとはロックの『統治二論』である。ロックは、本書で、自然状態において完全に自由かつ平等である人間が、自然法と理性に基づいて行動し、正義と友愛という原理に導かれると説いている。それゆえ、フリーメイソンがロックの思想を摂取したと考えるべきだろう。
 ロックは、人民の抵抗権・革命権を認める政治的主張するだけでなく、宗教的な寛容を説いた。イギリスでは、1689年にロックの主張に沿って宗教寛容法が制定された。非国教徒に対する差別を残し、カトリック教徒・ユダヤ教徒等には、信教の自由を認めないという限定的なものだったが、信教の自由の保障が一部実現した。宗教的寛容はイギリス以外でも取りいれられていった。またやがてユダヤ教もその寛容の対象に加えられた。
 フリーメイソンの活動が各地で広がると、カトリック教会は1738年にメイソンを破門に処した。メイソンの象徴や知識には、古代エジプトや古代ギリシャからの継承を思わせるものがある。その一方、当時の先端思想である自然科学や理神論的な道徳思想を取り入れていた。古代的神秘的象徴的なものと、近代的合理的科学的なものとが共存していた。彼らの活動の広がりは教権の秩序を揺るがすものだった。
 カトリック教会から破門にされたとはいえ、フリーメイソンはイギリスからフランス・アメリカ・ドイツ等に組織を拡大した。それによって、イギリスの啓蒙思想を、大陸の貴族や上層市民階層、アメリカの指導層等に伝えた。メイソンの活動は啓蒙思想を各地で急進化させた。啓蒙思想とフリーメイソンは分かちがたく結びつきつつ、アメリカ独立思想やフランス革命思想の源泉となった。
 フリーメイソンの思想は、国家・国民の枠を超える。メイソンの活動は、人間の権利を普遍的・生得的なものとする人権思想の発達を促し、人権思想の発達は、西方キリスト教文化圏で差別の対象とされたユダヤ人を利するものとなった。
 フリーメイソンは、組織の原則として、宗教の違いを超えて会員を受け入れるという自由主義の傾向を持っていた。そのため、ユダヤ人が加入するようになり、やがてフリーメイソンの活動とユダヤ人の活動が同一視されるという誤解を生じるほどになっていくのである。

 次回に続く。


ユダヤ40~アメリカ独立革命におけるメイソンの活躍
2017-04-21 09:18:14 | ユダヤ的価値観
●アメリカ独立革命におけるメイソンの活躍

 フリーメイソンは、アメリカがイギリスから独立する運動において、重要な役割を果たした。続いて、その概要を書く。
 ロックの思想は、アメリカにも伝わっていた。フリーメイソンがロックの政治理論を普及させた。ロックの政治理論は、植民地アメリカでは本国への抵抗権の論拠となり、さらに連合王国からの独立を求める思想へと急進化した。
 フリーメイソンは、本国のイギリスから植民地アメリカに入って、各地にロッジを開設した。各地に組織されたロッジは情報交換や人材交流の場となり、13に分かれていた植民地を共通の理想のもとに結びつける役割を果たした。独立戦争の導火線となったボストン茶会事件は、「自由の子ら」というグループの仕業だが、そこには多くのメイソンが加わっていた。アメリカ独立革命の指導者の多くは、ピューリタンまたはキリスト教を信奉するフリーメイソンだった。ベンジャミン・フランクリン、ジョージ・ワシントンは、メイソンとして有名である。また、独立運動の転機を作った『コモン・センス』の著者トマス・ペインは、確証はないがメイソンだった可能性がある。ペインには「フリーメイソン団の起源」という論文があり、相当の関係があったことは間違いない。
 アメリカ独立宣言は、トマス・ジェファーソンが起草の中心となったが、起草委員会にはフランクリンが入っていた。独立宣言に署名した56人の中にもメイソンがおり、フランクリンを含め9人から15人がメイソンと見られる。
 独立宣言には、ロック、ピューリタニズム、フリーメイソンという3つの要素が融合していると私は見ている。独立宣言は、権利の根源を「造物主」に置く。ここにおける「造物主」は、基本的にユダヤ=キリスト教的な神である。ただし、この「造物主」は、理神論に立てば、ユダヤ教・キリスト教・フリーメイソンに共通する宇宙の創造者となる。独立宣言は、建国の指導者たちが共有し得る世界観に立って、すべての人間は平等に造られ、造物主によって、一定の不可譲の権利を与えられているとしたものだろう。人民の権利は、歴史的・社会的・文化的に形成されたイギリス臣民の「古来の自由と権利」ではなく、天賦の権利であるという論理が打ち出された。人民の権利から、権利の歴史性が否定され、権利の根拠として、造物主によって与えられたものということが強調された。この造物主は、単にユダヤ=キリスト教的な神ではなく、ユダヤ教・キリスト教・フリーメイソンに共通する神の理念ととらえたほうがよいだろう。
 アメリカの独立と建国にいかに深くフリーメイソンが関わっていたか、消しようもないほど確かなものは、アメリカ合衆国の国璽である。国璽の裏には、フリーメイソンの象徴のひとつであるピラミッドが表されている。国璽とは、国家を表す印章である。大統領の署名した条約批准書、閣僚や大使の任命書など公式文書などに押印されるものである。それが、1ドル紙幣の裏側に印刷されている。
 国璽のピラミッドは、13段まで積み上げられた未完成のもので、13は独立時の13植民地を意味する。冠石に相当するところには、三角形の中に書かれた「万物を見る眼」が置かれている。古代エジプトを思わせるもので、ユダヤ=キリスト教発祥以前の文明を象徴している。

●代表的なメイソン~フランクリンとワシントン

 次に、アメリカ独立期のフリーメイソンのうち最も重要なフランクリンとワシントンについて記す。
 ベンジャミン・フランクリンは、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、自身の理論の論拠として挙げた代表的なピューリタンである。フランクリンは敬虔なプロテスタントであると同時に、雷が電気現象であることを実験によって明らかにした自然科学者であり、また当時のアメリカの代表的なフリーメイソンでもあった。
 フランクリンは、1731年ロンドン滞在中にフリーメイソンに加入した。アメリカ独立革命では、独立宣言の起草委員として、ジェファーソンに協力した。またジェファーソンとともに、植民地アメリカ代表としてフランスに派遣された。独立戦争におけるアメリカの勝利は、フランスの支持が得られるかどうかにかかっていた。フランクリンは、フランスでアメリカ独立運動への理解を得るのに成功し、フランスはアメリカを支援した。フランクリンは、このとき、フリーメイソンの人脈を活用した。フランスで当時最も有名な「九人姉妹」のロッジに加入し、代表的な啓蒙思想家ヴォルテールを、このロッジに加入させた。
 フランクリンは、「九人姉妹」ロッジを中心としてメイソンに協力を要請した。最大の協力者は、ラ・ファイエット公爵である。ラ・ファイエットは、独立運動に共感し、1777年、アメリカ独立戦争を助けるため、自費で軍隊を率いて渡米し、独立戦争に参戦した。
 フランクリンは、アメリカにおいては、当時の最新のメディアである新聞を通して、啓蒙思想とフリーメイソンの理念を訴え、また他の新聞人を経済的に援助して、新聞のネットワークを作った。メイソン関係の書物や冊子の出版もしており、知識人だけでなく、一般大衆にも愛読者を獲得した。
 ウェーバーは、資本主義の精神の典型としてフランクリンを挙げた。もしフランクリンを典型とするならば、資本主義の精神の要素として、プロテスタンティズムの倫理だけでなく、18世紀啓蒙思想とフリーメイソンに共通する倫理に言及しなければならないだろう。
 次に、ジョージ・ワシントンは、英国国教会の信徒にしてフリーメイソンだった。独立軍の総司令官として独立革命を勝利に導いた英雄ワシントンは、独立軍の兵士に俸給を出し、精神的にも結束させた。軍にはメイソンの軍事ロッジ(軍隊の中のフリーメイソン結社)が作られ、13植民地から来た兵士たちは啓蒙思想とメイソンの理想をともにした。
 ワシントンの周辺には、その後のアメリカ政治・経済の中枢を担う人材が集まっていた。その多くがメイソンに加入していた。フランクリンの要請で独立戦争に参戦したラ・ファイエットは、ワシントンの主催する参入儀式を受けて、ワシントンの軍事ロッジに加入した。
 大統領府が置かれたホワイトハウスの設計者は、フリーメイソンだった。また、議事堂の礎石を置く儀式は、メイソンのロッジと提携して行われた。ワシントンはメイソンの象徴が描かれたエプロンをつけて儀式に臨んだ。周りの列席者もすべてメイソンの礼服と標章を身に付けていた。メイソンの正装をしたワシントンの肖像画が残されている。

 次回に続く。


ユダヤ41~アメリカ大陸で得たユダヤ人の自由
2017-04-25 08:57:19 | ユダヤ的価値観
●アメリカ大陸で得たユダヤ人の自由

 ワシントンが初代大統領に就任すると、ユダヤ教の信徒がワシントンに祝辞を送った。ワシントンは、「啓蒙されたこの時代に、平等な自由の土地であるこのアメリカにおいては、どのような信仰を抱く者も政府の職につくことができる」と返事した。これはユダヤ人に公職就任権を認めるものである。ユダヤ人にとって、自由の国アメリカは、キリスト教との宗教的な違いに関係なく活動できる理想の場所となった。そのような国の建設にフリーメイソンが多数参加したのである。
 ここでアメリカ大陸でのユダヤ移民の歴史を書いておきたい。
 15世紀末、スペイン・ポルトガルでは、ユダヤ人追放が行われ、ユダヤ人はオランダ等の各地に移住した。その際、南米のブラジルに入植した者たちがいた。1549年にポルトガルからブラジルンに派遣された初代総督のトマス・デ・ソウザは、ユダヤ人だった。ユダヤ人はサトウキビのプランテーションの大半を所有し、宝石類の取引を行った。1654年に、オランダ領ブラジルがポルトガルに征服された。ユダヤ人の一部は、イギリスの植民地となったカリブ海のバルバトスとジャマイカに逃げ、そこで砂糖産業を興すのに助力して、歓迎された。また別のユダヤ人たちは北米に渡り、オランダ人が入植していたニューアムステルダムに住み着いた。彼らは15世紀末にイベリア半島から追放されたユダヤ人の子孫で、セファルディム系の23人だった。1664年に町がイギリスの支配下に入り、ニューヨークとなった。以後、ユダヤ人は英国市民としての権利を得るとともに、新大陸への入植者たちが採択した信教の自由を享受した。フランス革命によるユダヤ人解放より、100年以上も前のことである。北米はユダヤ人にとって、まさに新天地だった。ユダヤ人の人口は急速に増えていった。18世紀初頭にはユダヤ人のほぼ全員が国際貿易に携わっていたが、段々土地に根を下ろし、内陸に入植して商売を行うようになった。
 1776年、イギリスからの独立戦争が起こると、ユダヤ人のほとんどが独立を支持した。戦争に直接参加した者は数百人に上った。なかでも銀行家ハイム・ソロモンは戦費調達に奔走し、大陸会議に20万ドルを戦費として貸し付けた。そのため、イギリスによってスパイ行為の罪で死刑にされた。
 アメリカ独立戦争は、ユダヤ人にとっても、自らの手で自由を獲得する戦いだった。もっとも建国後の合衆国は、独立宣言の理想とは異なり、差別のない国家ではなかった。そこには、キリスト教の宗派の影響が見られる。初期開拓者は、イギリス各地から渡来した移民、ピルグリム・ファーザーズだった。彼らは、カルヴァン主義のイギリス的形態であるピューリタニズムの信奉者だった。彼らを祖とするアメリカ社会では、カルヴァン主義的プロテスタントが主流となっている。
 カルヴァン主義は、人間を神によって予め来世の救いに選ばれた者と、選ばれていない者とに峻別する救霊予定説を説く。アメリカ建国の祖は、この説に立って、自らを神に選ばれた者とした。トッドはこれを「宗教的差異主義」と呼ぶ。差異主義とは、人間は同じではなく、本質的な違いがあるという思想である。建国の祖の宗教的差異主義は、自由を重んじ、兄弟の平等には無関心なイギリスの絶対核家族の家族制度を土台としていた。アメリカの家族型的かつ宗教的な差異主義は、旧約聖書の神の言葉によって増幅され、インディアンや黒人との混交を禁じた。白人キリスト教徒は、自らを旧約聖書のユダヤ人に同定し、インディアンを殺戮すべき異教徒に同定した。ここには、ユダヤ教の選民思想の影響が見られる。旧約聖書は本来、ユダヤ教の聖典であり、カルヴァン主義にはユダヤ教の影響が見られる。キリスト教の再ユダヤ教化が起ったものである。
 アメリカ合衆国の建国は、イギリスやヨーロッパ諸国に衝撃を与えただけでなく、人類文明史においても大きな意義を持っている。その意義の一つは、ヨーロッパ文明と異文明・異文化の出会いである。ヨーロッパ文明は、アメリカ合衆国に広がったことによって、より広域的な近代西洋文明へと発展した。ここでヨーロッパ文明は、アメリカ先住民の文化、アフリカ文化、アジア諸文明等と遭遇し、相互に影響を与え合ってきた。多民族・多文化の国家ゆえの出来事である。とりわけユダヤ文化は、ヨーロッパにおける以上に、西洋文明に深く影響を与えた。
 本稿の根底にある「近代西洋文明において、ユダヤ人はどういう役割を果してきたか」「現代世界においてユダヤ的な価値観はどういう影響を及ぼしているか」という問いを考察する上で、アメリカ合衆国におけるヨーロッパ文明とユダヤ文化の融合は、大きな関心を引く文明史的な出来事である。イギリスでは、アングロ・サクソン文化とユダヤ文化が融合し、アングロ・サクソン=ユダヤ文化が生まれた。アメリカ合衆国では、そこにアメリカ独自の文化が加わり、アメリカ=ユダヤ文化が創造された。米国の成長・発展とともに、アメリカ=ユダヤ文化が、世界各地に伝わり、ユダヤ的価値観がより広く浸透・普及することになるのである。

 次回に続く。


ユダヤ42~フランス市民革命におけるメイソンとユダヤ人解放令
2017-04-27 09:32:22 | ユダヤ的価値観
●フランス市民革命におけるメイソンとユダヤ人解放令

 フランス市民革命は、アメリカ独立革命の影響が旧大陸に波及したものである。ユダヤ人にとっては、アメリカにユダヤ人も自由に活動できる「自由の国」ができた後、フランスで市民革命を通じて、ユダヤ人の解放がされることになった。
 フランスでは、早くからロックの思想が摂取され、急進化していた。また、18世紀後半のフランスでは、フリーメイソンが活動していた。絶対王政やカトリック教会を批判した啓蒙主義者、百科全書の編纂者等には、メイソンがいた。また市民革命の指導者には、多くのメイソンがいた。
 フランス啓蒙思想は、イギリス啓蒙思想を源流として発達した。その発達には、フリーメイソンの組織と活動が関係している。
 フランス啓蒙思想の成果の一つが、『百科全書』である。1751年に第1巻が刊行された『百科全書』は、イギリスのチェインバーズ百科事典のフランス語訳を、ドゥニ・ディドロが行ったことを契機とする。チェインバーズ百科事典は、編纂者も版元もフリーメイソンだった。ディドロは不明だが、盟友のジャン・ル・ロン・ダランベールはメイソンだった。百科全書派は、総じてメイソンの影響を強く受けている。
 ディドロは、イギリス経験論、特にホッブスの影響を受けて、「隠れたる神は無用の神」という表現で、無神論を表明した。彼の「神を無用なもの」とする考え方は、キリスト教的な神の啓示や現実を超越したものを否定し、人間の理性に一切の根拠をおく思想を産み出していく。
 百科全書の執筆者の一人、シャルル・ド・モンテスキューはメイソンだった。モンテスキューはイギリスに2年間滞在して政治制度や社会制度を見学し、ロックの政治理論を継承した。イギリスの議会制度をもとにして、近代政治の原理となる三権分立や両院制による権力の抑制理論を説いた「法の精神」で知られる。
別の執筆者であるヴォテールは晩年、フランクリンの導きで、メイソンの「九人姉妹」のロッジに加入した。「九人姉妹」には、ラ・ファイエット、シェイエス、メーヌ・ド・ビラン、コンドルセらが属していた。イギリス滞在期に、ホッブスやロック、ベーコン、ニュートン等の書を読破し、イギリスの啓蒙思想家たちと親しく交わった。彼が最も刺激を受けたのが、リベラル・デモクラシーの政治制度だった。ヴォルテールの思想は、アメリカの独立運動やフランス市民革命に多大な影響を与えた。
 ジャン・ジャック・ルソーも百科全書に執筆した。ルソーは、当時最も急進的な思想を提唱し、フランスのフリーメイソンに影響を与えた。1750年ごろから、『人間不平等起源論』『エミール』『社会契約論』等を発表したルソーは、自由と平等ができるだけ抑制されない人民主権に基づく共和制の樹立を主張した。ここに初めて共和主義が理論として登場した。
 ルソーの思想に心酔する者は、ジャコバン・クラブに多かった。その一人が、マクシミリアン・ロベスピエールである。革命の震源地となったジャコバン・クラブには、フリーメイソンが多かった。ジャコバン・クラブより急進的なコンドリエ・クラブには、ダントン、マラー等が属していたが、うちマラーはメイソンだった。
 フリーメイソンがフランス市民革命にどの程度まで関与したかは、よく解明されていない。ただ言えることは、啓蒙思想とフリーメイソンは分かちがたく融合して、フランス市民革命の思想的推進力になったということである。
 フランス市民革命でフリーメイソンは活躍した。しかし、団員の中には、さまざまな人物がいた。個々に思想や立場が異なっていた。メイソン同士が意見の違いから対立・抗争した。大東社の中心的存在だったド・シャルトル公爵はギロチンで処刑された。急進派のマラーは暗殺され、穏健派のコンドルセは服毒自殺した。
 それゆえ、18~19世紀のフリーメイソンを強固に団結した陰謀団体と見るのは、不適当である。参加者はフリーメイソンの教義や規約よりも、各自の抱く思想や利害で行動した。ロシア革命を遂行したボルシェヴィキ、後のソ連共産党や、ワイマール共和国で権力を掌中にしたナチス等に比べ、フリーメイソンはもっと緩やかな集団と見るべきである。
 メイソンは一枚岩ではなかった。だが、熱狂と混乱の中で、フランス革命は進んだ。ユダヤ人にとって重要なのは、革命の結果、ユダヤ人解放令が出されたことである。

 次回に続く。


ユダヤ43~フリーメイソンへのユダヤ人の加入
2017-04-30 08:49:21 | ユダヤ的価値観
●フランス市民革命とユダヤ人の解放
 
 アメリカ独立革命に刺激を受けたフランスの市民革命は、ユダヤ人の自由と権利の保障に大きな進展をもたらした。フランスではカトリック教会の権威が増大した14世紀末に、ユダヤ人に対する迫害が進んだ。1394年には追放に至った。それがフランス革命を機に一転し、ヨーロッパで初めてユダヤ人の解放が実現した。
 1789年の人権宣言は、正式には「人間及び市民の権利宣言」という。人権宣言は、第1条に「人は、自由かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する」と謳った。アメリカ独立宣言では、この権利は神による付与とされていたが、人権宣言は「造物主」による権利付与を明記しておらず、権利の神与性が否定された。そして宣言が謳う自由と権利は、ユダヤ人にも適用されるようになった。
 1791年9月、人権宣言のもと、国民会議はユダヤ人解放令を出し、フランスのユダヤ人に完全な市民権を認めた。これは、西欧におけるユダヤ人の歴史において、画期的なことだった。宗教の違いにかかわらず平等の権利が保障され、ユダヤ人の地位は向上した。
 実は、ユダヤ人解放令といっても、フランス革命当時、フランス中央部にはパリ在住のほんの少数の個人を除いて、ユダヤ人はいなかった。しかし、革命の指導者たちは、普遍的な理念のもとにユダヤ人も市民と平等であるべきだと考えた。その理念は、人権思想や宗教的寛容によるものだが、同時に宗教の違いを超えて会員を受け入れるフリーメイソンの原則にかなったものでもあった。フリーメイソンは、ユダヤ人の解放に貢献したのである。
 家族型に基づく価値観という点から見ると、フランス中央部は平等主義核家族を主とする。この家族型は自由と平等を価値とし、人間はみな本質的に同じという普遍主義の思想を持つ。中央部のフランス人は、よくユダヤ人を知らずに、自らの普遍主義の理想を実現するために、ユダヤ人の解放を決めたのである。
 人権宣言とユダヤ人解放令は、フランスにおけるユダヤ人の同化の歴史の始まりとなった。
 ユダヤ社会の家族型は、直系家族である。直系家族は、権威と不平等を価値観とする。トッドは、直系家族システムを「父系への屈折を伴う双系システム」と定義し、ユダヤの人類学的システムは、父方・母方の親族に平等に重要性を与える双系制だとする。遺産相続は女性を対象から除外しており、この点は父系的だが、ユダヤ人はユダヤ人の母親から生まれた者をユダヤ人とするので、この点では母系的である。そのため、女性の地位はある程度高い。
 フランス人は普遍主義の思想を公言しながら、人類学的な多様性を受け入れる。ただし、それには最低限二つの条件がある。女性の地位がある程度高いことと族外婚である。これらの条件を充たせば、家族制度の差異には寛大である。ユダヤ人は族内婚ゆえ、その点ではフランス人の求める条件に抵触する。しかし、父親の権威が強い一方、女性の地位は低くないので、二つの条件のうち一つはクリアーする。そのため、ユダヤ人はフランスの社会で受け入れられた。そして、あまり疎外されずに同化し得てきた。フランスのユダヤ人は、自分を同時に「人間」であり、「フランス人」であり、かつ「ユダヤ人」であるという「普遍主義的な誇り」を持つことができた。フランスにおけるユダヤ人の同化は、「疎外の少ない同化」だったとトッドは評価する。

●フリーメイソンへのユダヤ人の加入

 フランス革命でユダヤ人にも市民権が認められると、その影響が他の国にも広がった。1796年にはオランダ、1798年にはイタリアのローマ、1812年にはプロシアというように、次第にユダヤ人の平等権が保障されるようになった。
 とはいえ、実態としてのユダヤ人差別は、根強く残っていた。そうした18~19世紀の西欧で、ユダヤ人を会員として分け隔てなく受け入れたほとんど唯一の友愛団体が、フリーメイソンだった。
 フリーメイソンは、宗教の違いを超えて会員を受け入れることを原則としていた。中世以来、差別されていたユダヤ人は、近代化の進むキリスト教文化圏で、ゲットーでの生活から抜け出て社会に参入しようとしていた。そのために、自由を求めて、フリーメイソンに入会しようとした。フリーメイソンは、ユダヤ人にとって、キリスト教徒と対等な立場で仲間づきあいができる外にない場だった。メイソンの会員であることは、社会的地位の高さを示すから、ユダヤ人富裕層が入会を求めて殺到した。ユダヤ人の参加に困惑し、制限するロッジもあったが、受け入れるロッジもあった。ユダヤ人にとってフリーメイソンは非常に居心地がよかったので、やがてユダヤ人ばかりになった支部も多く出現した。
 アメリカでは、ユダヤ人のみのメイソン組織が誕生した。その名をブナイ・ブリスという。1843年にニューヨークで設立された。ブナイ・ブリスとは、伝統的にはユダヤ人互助組織の名称であり、「契約の子孫」を意味する。組織をロッジと呼び、様々な秘儀を行うとともに、イディッシュを使用していた。南北戦争の時には、ロンドンの金融界から指示を受けてアメリカにおいて戦争工作を担当した。その後も、ロスチャイルド家やユダヤ系メイソンと連携しながら、米国の政治・外交・経済・金融に影響を与えてきたと推察される。その活動は、20世紀に入ってからの米国でのユダヤ人の進出へとつながっていく。
 アメリカは建国時からWASP(ホワイト=アングロ・サクソン=プロテスタント)が支配層を占める社会である。1921年にユダヤ人にも門戸を開いた外交評議会(CFR)が設立されるまで、ユダヤ人は上流階層の社交クラブの入会が認められなかった。それゆえ、ユダヤ人を受け入れるフリーメイソンや、ユダヤ人によるメイソン組織は、アメリカでユダヤ人が活動する上で、貴重な場所だった。
 アメリカでは、ワシントン以後、歴代のアメリカ合衆国の大統領のうち、F・D・ルーズベルト、トルーマン、レーガンなど16人がメイソンだったといわれる。政治的な主張、政策、所属教会等が違う政治家が加入しているということは、フリーメイソンが秘儀集団とか政治結社という性格を失い、社会的には緩やかな親睦交流団体となっていることを意味するだろう。

 次回に続く。


ユダヤ44~啓蒙主義のユダヤ人への影響
2017-05-02 08:03:46 | ユダヤ的価値観
●啓蒙主義のユダヤ人への影響
 
 アメリカ独立革命、フランス市民革命が起った18世紀は、啓蒙主義の時代だった。啓蒙主義は、自然科学の発達を背景に、人間理性を尊重し、封建的な制度や宗教的な権威を批判し、合理的思惟によって社会の変革をめざした思想・運動の総称である。17世紀後半のイギリスで始まり、18世紀にはフランス、アメリカ、ドイツに広まって、宗教思想、認識論、社会思想、経済思想、文学等の多様な領域で展開され、時代を支配する思潮となった。
 18世紀のドイツでは、啓蒙主義の影響下に、ユダヤ人哲学者モーセス・メンデルスゾーンが、ユダヤ人のキリスト教文化への同化を進めるハスカラー運動を唱道した。同化はユダヤ教の棄教またはキリスト教への改宗を伴う。メンデルスゾーンを精神的父と仰ぐユダヤ人啓蒙主義者は、ユダヤ人固有の文化を捨ててヨーロッパの世俗文化を学ぶことが、中世以来の社会的差別からユダヤ人を解放する前提であると考えた。彼らの唱道により、19世紀にかけて知識人を中心に同化が進んだ。
 キリスト教社会への同化によってユダヤ教を捨てた多くの個人は、反ユダヤ主義的な価値を受け入れ、出身文化を嫌悪するようになる。これをトッドは「ユダヤ人の自己憎悪」と呼ぶ。
 例えば、カール・マルクスは、祖父がユダヤ教指導者のラビだった。だが、父がキリスト教に改宗したので、マルクスは、非ユダヤ教的な教育を受けた。脱ユダヤ教的なユダヤ人であるマルクスは、ユダヤ人の拝金主義を、怒りに満ちた言い方で激しく批判した。トッドは、これを「ユダヤ人の自己憎悪」の一例としている。
 トッドによると、「ユダヤ人の自己憎悪」はドイツ社会で特徴的である。ドイツの社会は直系家族が支配的である。直系家族は、父親の強力な権威と兄弟間の不平等を特徴とする。権威と不平等を社会における基本的価値とする。トッドによると、ドイツ人の直系家族的な心性は、家系への執着、誇り高き群小貴族の乱立とそれが産み出す自由主義なき民主制、政治的細分化と縦型の統合、ユダヤ人など差異を背負う住民を身近に必要とすること等、さまざまな現れ方をする。
 直系家族は、不平等の価値によって差異主義を表すが、その差異主義は権威主義的である。一方、絶対核家族も不平等を価値とし、差異主義を表すが、こちらは自由主義的である。そのため、直系家族のドイツの差異主義は、絶対核家族のアングロ・サクソンの差異主義とは異なった特徴を示す。ドイツの権威主義的な差異主義は、移民を集団として排除しようとする。こうした社会において、ユダヤ人は「自己憎悪」を表した。このドイツにおけるユダヤ人の「自己憎悪」は、イギリスにおけるユダヤ人の「自己主張」と対比される。トッドは、ともに差異主義的な社会の中で押しつけられた「偽りの自覚」だと見ている。
 ドイツの社会の通婚制度は、族外婚である。外婚制の直系家族社会は、内婚制のそれよりも、異質なものを激しく排撃する傾向を持つ。ドイツではユダヤ人の同化が進んでいながら、粗暴な差異主義が潜在しており、それがやがてナチスの人種差別主義として猛威を振るうことになる。
 ところで、啓蒙主義の影響によって、ユダヤ教において新たな動きが現れた。19世紀の西欧では、ナショナリズムに基づく国民国家の形成が進んだ。その中で、ユダヤ人啓蒙主義者は、ユダヤ教の伝統的教義である民族と宗教の間の不可分な関係を否定する宗派を創設した。これを改革派という。改革派の出現は、ユダヤ教の歴史に新たな段階を開いた。改革派は、西欧から北米へと広がっていった。これは、ユダヤ教の歴史では、中世におけるカバラー神秘主義の発達に続く、大きな出来事だった。改革派の教義は、ユダヤ人がユダヤ教の信仰を保ったままキリスト教社会で生きることを容易にした。また、ユダヤ人が資本主義社会で利潤追求の活動を行うことを容易にした。それは、ユダヤ人が一層活躍し、またそれによってユダヤ的価値観が広く、深く社会に浸透・普及することを可能にした。

 次回に続く。


ユダヤ45~ドレフュス事件とシオニズム
2017-05-05 08:34:30 | ユダヤ的価値観
●反ユダヤ主義とドレフュス事件

 フランス市民革命でユダヤ人が解放されると、その影響で1790年代にはオランダ、イタリアのローマで、1812年にはプロシアでユダヤ人の平等権が保障されるようになった。しかし、革命の理念を欧州に広めたナポレオンを対仏連合軍が打ち破った後、フランス以外では以前の状況に戻るなど、その歩みは一様ではなかった。
 19世紀を通じて、ユダヤ人の自由と権利が拡大されていったのは、ユダヤ人がキリスト教社会で経済活動によって富を蓄え、国家への影響力を増加していったことによっている。すぐれた能力を持つユダヤ人は、政府の閣僚や官僚、教育者、企業経営者等になり、ユダヤ人の金融資本家たちは、その富の力で社会的な地位を向上させていった。
 ところが、1870~71年に勃発した普仏戦争後、西欧に不況が長期的に続くと、その原因はユダヤ人にあるという主張が現れた。そこには、ロスチャイルド家等のユダヤ人資本家の繁栄に対する反発もあった。
 従来のユダヤ人への差別は、ユダヤ教を信奉しているという宗教的な理由だった。しかし、この時代にアンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)という言葉が登場し、ユダヤ人を一つの人種として差別する運動が起こった。1881年には哲学者で社会主義者のオイゲン・カール・デューリングが、ユダヤ人への人種戦争を宣言した。生物学的根拠はないが、一旦そういう運動が拡大すると、差別は強化されていった。改宗してキリスト教徒となっても、ユダヤ人は人種としての差別を免れないという状況が生まれた。
 アンチ・セミティズムは、東欧、ロシア、フランス、オーストリア等に広がった。ロシアでは帝政末期の混乱の中で、ユダヤ人を無差別に殺戮するポグロムが行われた。1884年パリでアンチ・セミティズムの会議が開かれた。反ユダヤ主義が増勢する中で、1894年にフランスでドレフュス事件が起こった。ユダヤ人砲兵大尉アルフレッド・ドレフュスがスパイ容疑の冤罪で、終身刑の判決を受けた。それがきっかけでフランス全土に反ユダヤの嵐が吹き荒れた。
 反ユダヤ主義は、フリーメイソンへの攻撃ともなっていた。フリーメイソンがユダヤ人を受け入れ、メイソンにはユダヤ人の会員が多くいたことは前述した。ドレフュス事件で、ドレフュスを擁護する側の多くは、メイソンだった。作家のエミール・ゾラや政治家でジャーナリストのジョルジュ・クレマンソーのようにメイソンでない者もいたが、反ドレフュス派はドレフュス擁護派をメイソンだとして非難し、フリーメイソンの禁止を求めた。そして、ユダヤ人とメイソンを同一視し、ユダヤ人はメイソンであり、メイソンはユダヤ人だという陰謀説が出来上がった。その説は以後、根強く続いている。
 ところで、先に書いたように、フランスではユダヤ人に対して「疎外の少ない同化」が見られたのだが、そのフランスにおいてユダヤ人の排斥が起こったのは、なぜか。これも、家族型の価値観に基づくことを、トッドは指摘する。フランスはパリ盆地の中央部では、家族型が平等主義的核家族だが、周辺部では直系家族が主であるという二元的な構造を持つ。そのため、中央部は普遍主義的だが、周辺部は差異主義的である。これをトッドは「人類学的システムの二元性」と呼んでいる。中央部では世俗化が進み、周辺部ではカトリックが根強い。そして、周辺部の差異主義が時々、表に現れる。ドレフュス事件におけるようなアンチ・セミティズムがフランスで高揚したのは、こうした背景がある。

●シオニズムの発生

 ドレフュス事件は、ユダヤ人の側にシオニズムの発生をうながした。事件の裁判の傍聴者の中に、オーストリアのテオドール・ヘルツェルがいた。ヘルツェルは、キリスト教社会に同化した同化ユダヤ人の一人だった。ウィーン大学で法学を学んだ後、同地のノイエ・フライエ・ブレッセ紙の特派員としてパリへ赴任していた。市民革命で人民が解放され、万民が平等であるはずの先進国フランスで、反ユダヤ主義が高揚しているのを目の当たりにしたヘルツェルは、衝撃を受けた。
 ヘルツェルは『ユダヤ人国家』を著し、国家建設を同胞に訴えた。ユダヤ人の間に、どこかにユダヤ人が安全に暮らせる国を建国しなければならないという願いが強まった。これがシオニズムの初めとされる。シオニズムとは、エルサレムの古称であるシオンの地を目指すユダヤ人の帰郷国家建設運動である。
 シオニズムには、先駆者がいる。その一人が、モーゼス・ヘスである。ヘスは社会主義者で、マルクスやエンゲルスとは影響関係にあった。もともとはユダヤ人の同化を唱えていたが、50歳になってユダヤに回帰し、名前もユダヤ風に変えた。同年に出した著書『ローマとエルサレム』(1862年)で、自分の存在は民族の宗教・歴史・伝統と強く結びついているという自覚を述べ、ユダヤ民族の解放はパレスチナにユダヤ人国家を再建する以外にない、建国を果たすまではユダヤ教が民族の性格を保持する最良の方法である、と主張した。合法的に移住・開拓を進め、社会主義社会を建設する道を説いた。
 シオニズムは、19世紀西欧で高揚したナショナリズムの影響を受けたものである。キリスト教諸民族のナショナリズムに対抗するユダヤ人のナショナリズムが、シオニズムである。異なる点の一つは、ディアスポラのエスニック・グループが自前の国家を持とうする思想・運動であることである。また、単なる政治的なナショナリズムではなく、ユダヤ教の信仰に基づく宗教的なナショナリズムであることも異なる。世界各地に離散したユダヤ人が、神ヤーウェによる「約束の地」に帰還しようとする運動だからである。
 イギリス、フランス、ドイツ等では啓蒙主義によって、ユダヤ人の知識人を中心にキリスト教社会への同化がかなり進む一方、ユダヤ教徒の独自性を保とうとする動きも根強かった。それが反ユダヤ主義への対抗として、シオニズムを生み出したのである。
 1897年に、スイスのバーゼルで第1回シオニスト会議が開催された。公法によって保証されたユダヤ人の故国をパレスチナに建設するという主旨のバーゼル綱領を採択し、世界シオニスト連盟を設置して閉幕した。
 こうした政治的なシオニズムに対し、ユダヤの宗教・文化・精神の回復と振興を急務とする文化シオニズムや、土地を耕し一歩一歩社会を築き上げる地道な生き方を説く開拓シオニズムが現れた。ヘルツェルの死後、政治運動と開拓実践を組み合わせた総合シオニズムが主流を占めるようになった。
 イスラエルの建国は、第2次世界大戦後、急に行われたものではない。ユダヤ人のパレスチナへの移住運動は、1880年前後から始まっている。ドレフュス事件の10数年前からである。土地の購入資金など移住に必要な資金のほとんどは、ロスチャイルド家が出した。その後も、ロスチャイルド家は資金援助や政治的な働きかけを続けた。
 シオニズムは、世界最大の富豪の強大な支援のもとに進められた。だが、ユダヤ人は、決して一枚岩ではない。排外的・独善的なユダヤ教徒から宗教否定の唯物論者まで、資本主義社会で富と権力を掌中にする国際金融資本家から私有財産制廃止を目指して階級闘争を指導する共産主義者までがいる。19世紀末には、シオニズムの宗教的・民族的な動きとは好対照の国際共産主義運動に参加する者も多かった。カール・マルクスをはじめ、唯物論的共産主義の指導者には、ユダヤ人が多い。ロシアでユダヤ人の解放を目指すユダヤ系共産主義者は、シオニズムを批判し、ロシアの革命運動に参加していった。

 次回に続く。


ユダヤ46~産業革命とユダヤ的価値観の浸透・普及
2017-05-07 09:51:54 | ユダヤ的価値観
●産業革命とユダヤ的価値観の浸透・普及

 近代資本主義は、18世紀半ばから爆発的に進んだ産業革命によって、真の意味での資本主義となった。産業化した資本主義の主体は、産業資本である。マルクスやウェーバーに依拠する経済学者・経済史学者の多くは、産業資本を近代資本、それ以前の商人資本や高利貸し資本を前近代的資本とし、前近代的資本からは近代資本主義は発達しなかったという。
 私はこれに異論がある。産業資本が近代資本主義をもたらした資本の形態であることは、そのとおりである。しかし、産業資本は生産、商業資本は流通、銀行資本は金融において価値増殖を行う資本である。生産を行う資本は、流通・金融の資本と結びついてこそ、生産力を発揮できる。作ったものを売る商人がいなければ、産業資本は維持も発展もできない。また、産業資本に投資したり信用を扱ったりする銀行家がいなければ、大きな事業を展開できない。これらの役割を軽視すべきでない。
 産業資本の発生後に、出来た製品を売ったり、産業資本家に金銭を工面したり、為替で外国貿易を支えるところでは、ユダヤ人が重要な役割をした。ユダヤ人を中心とした商業資本・銀行資本なくして、産業資本はこれほどの発達はできなかったに違いないというのが、私の見方である。
 資本制的生産様式が支配的になった社会では、すべての価値は、市場において、貨幣をもって数理的に表現される。その貨幣は、賃借によって増殖する。それゆえ、貨幣を持つ者は、一層の富を集める。貨幣による富を追い求める者は、拝金主義者となりがちである。拝金主義者は、いつの時代、どこの社会にもいた。重要なのは、ユダヤ人がユダヤ的価値観を広げたことにより、西欧社会には非ユダヤ人の拝金主義者が多数現れたことである。そうした西欧社会が有色人種の植民地から富を収奪し続け、その収奪の上に産業資本が発生して生産力が飛躍的に向上したのである。
 生産を担う産業資本は、資金を求める。生産した商品の流通には、信用制度が便利である。そこにおいて貨幣の所有者は、信用による貸し付けによって、限りない価値増殖を追求できる。
 西欧における貨幣の所有者は、やがて貨幣を産業資本家よりも、政府に貸し付けるほうが、巨大な利益を生むことを認識した。その最大の機会が、戦争である。戦費を調達し、政府に貸し出す。戦後は、その債権によって、貨幣は増殖する。平時においても、国債を購入することで、債権を得て、貨幣は増殖し続ける。これらの過程の全般において、銀行資本家は富を蓄積し続ける。そこでもユダヤ人が活躍した。ユダヤ人は既にドイツ30年戦争の時代から、戦費の貸し付けで蓄財をしてきていた。
 ウェーバーは、ユダヤ人の活動を投機的な的資本主義として、その意義を軽く見ている。それは、生産に重点を置き、消費・流通・金融を軽視する経済理論によるものだろう。だが、生産中心の見方に偏ると、流通と金融、特に金融におけるユダヤ人の活動が近代資本主義の初期から21世紀の現代まで一貫して持っている重要性をとらえ損なう。キリスト教徒の生産活動に焦点を合わせた経済理論と歴史記述は、ユダヤ人資本家にとっては、自分たちの活動が目立たなくなるので都合がよいだろう。ユダヤ人の経済学者の中にはそうした意図をもって、経済理論及び経済史を抽象化しているのではないか、と思われる者が少なくない。
 産業資本の発達、さらに銀行資本の発達による貨幣経済の拡大は、ユダヤ人の活躍の場を広げ、彼らに膨大な富をもたらした。それとともに、資本主義世界経済の発達によって、ユダヤ教の価値観がヨーロッパ文明のみならず、非ヨーロッパ文明にも浸透していった。ユダヤ人だけでなく、ユダヤ的な価値観を体得した非ユダヤ人が、ともに世界的に資本主義経済を推進しているのである。
 
 次回に続く。


ユダヤ47~近代科学史におけるユダヤ人
2017-05-10 09:24:54 | ユダヤ的価値観
●近代西欧科学の発達と産業革命

 資本主義は、生産の拡大による利潤の増大を求める。そのために技術革新を必要とする。
ヨーロッパ文明には、17世紀からインド産の安価で良質の木綿が大量に入って来ていた。ヨーロッパ文明はこの外圧に対抗するために、綿工業を発達させ、その過程で技術革新がされ、それをきっかけに産業革命が起こった。
 産業革命は、機械による安価な大量生産を可能にした。紡織機の動力は水力から蒸気力に替わり、化石燃料である石炭が利用されるようになった。これにより、動力革命・エネルギー革命が起こった。さらに、交通革命をも引き起こした。
 産業革命は、近代西欧科学の発達を促進した。科学による発見や理論の構築は、技術の開発と結びつくときに加速される。また科学の成果を取り入れた技術は、物の生産に応用されるときに、生活や文化を豊かにし、社会や制度を変える推進力になる。
 近代西欧科学は産業革命と結びつくことによってはじめて、巨大な威力を発揮するようになった。資本主義的な工業生産と結びついたことが、近代西欧科学をそれ以前の非西欧的また前近代的な伝統科学と異なるものにした。ニュートン力学に基づく熱力学は、化石燃料を燃やしてエネルギーに利用することを可能にしたが、そこには蒸気船や蒸気機関車を製造する資本の活動があった。原子や分子の研究を進める化学は、工業製品から日用品までの生産に応用されたが、そこには様々な製品を商品化する資本の活動があった。他の諸科学の成果も同様である。
 産業革命による資本主義と近代西欧科学の結びつきをさらに強力なものにしたのが、近代主権国家である。17世紀前半に形成された近代主権国家は同世紀後半以降の市民革命を経て国民国家となり、資本主義世界経済の担い手となった。資本と国家、富と力の一体化が進み、物質科学とそれに基づく技術が生産、戦争、管理等に大規模に活用された。
 近代西洋文明は、産業革命を通じて、資本主義的経営、科学技術、近代主権国家の権力の三つが一つに結合して、かつてない圧倒的な力を生み出した。かくして人類史上、最も強力な文明が欧米において確立した。非西洋文明は近代西洋文明の持つ圧倒的な生産力と軍事力に屈服し、近代西洋文明が世界を覆うようになったのである。

●近代科学史におけるユダヤ人

 近代西欧科学は、人間が自然を支配し、これを利用することが神から与えられた使命であるというユダヤ教の考え方に根差している。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」(『創世記』)という神の言葉がその根拠である。また、「外国人には利子を付けて貸してもよい」「外国人からは取り立ててもよい」(『申命記』)、「義人の目に麗しく、世間の目に麗しいものが七つある。その一つは富である」(タルムード)と説くユダヤ教の考え方が浸透した資本主義の発達とともに、近代西欧科学は発達した。
 しかし、近代西欧科学が独自の発展を始めたルネサンス後期の16世紀半ばから科学革命の世紀の17世紀にかけて、ユダヤ人の功績は、ほとんど認められない。先に書いたコペルニクス、ティコ=ブラーエ、ケプラー、ガリレオ、フランシス・ベーコン、デカルト、ボイル、ニュートンのうちにユダヤ人はいない。
 また18世紀から19世紀後半にかけても、科学史を彩る著名な学者に、ユダヤ人はほとんどいない。例えば、物理学において電磁誘導の法則を発見したファラデー、古典電磁気学を確立したマックスウェル、エネルギー保存の法則を発見したヘルムホルツ、ラジウムを発見したキュリー夫妻。天文学において、ハレー彗星を発見したハレー、銀河星団を発見したハーシェル。化学において、植物が酸素を出すことを確認したプリーストリー、質量不変を確認したラヴォアジェ、元素の周期表を作成したメンデレーエフ。工学において、蒸気機関を改良したワット、白熱球を発明したエジソン。博物学において、近代分類学を開いたリンネ、進化論を唱えたラマルク、同じくダーウィン、遺伝の法則を発見したメンデル。医学・生理学において、種痘法を完成したジェンナー、ワクチンを発明したパスツール。彼らのような代表的な科学者の中に、ユダヤ人と認められている者はいない。
 ユダヤ人が科学の分野でも驚異的な能力を発揮するようになったのは、ようやく19世紀末になってからである。フロイトは、精神医学という解釈学的な手法を用いる分野なのでこれを除くと、科学史に輝く最初の天才的なユダヤ人科学者は、20世紀初頭に現れたアインシュタインである。アインシュタイン以降、ユダヤ人科学者は、様々な分野で目覚ましい活躍を続けており、ノーベル賞の歴代の受賞者の2割以上をユダヤ人が占めている。第2章の各分野で活躍するユダヤ人の科学関係の項目に名を連ねているのは、ほとんど20世紀以降の人物である。
 このことは、16世紀半ばから19世紀後半にかけての欧米では、一般にユダヤ人の社会的な地位が低く、高度な専門教育を受け、先端的な科学の研究に携わることのできる者が限られていたからだろう。また、20世紀に入るころから、ユダヤ人の地位が上がり、科学の諸分野にも多数の優秀な頭脳が進出できるようになったことを示している。それ以前においては、ユダヤ人で優秀な者は、銀行家、貿易商、財政官僚、社会運動家、思想家などに多かったと言えよう。
 ユダヤ人は一旦、科学の諸分野に進出すると、目覚ましく能力を発揮してきている。その最たるものは、原子爆弾の研究・開発である。このことは、後に項目をあらためて書く。

 次回に続く。


ユダヤ48~ロスチャイルド家の由来
2017-05-12 09:32:50 | ユダヤ的価値観
●ロスチャイルド家の由来
 
 話を18世紀後半の時代に戻す。18世紀後半から21世紀の今日まで、ユダヤ人の経済力・政治力の獲得・拡大を先駆し、資本と科学と国家の結合を促進し、ユダヤ的価値観の世界的普及を主導してきたのが、ロスチャイルド家である。
 1743年、ドイツのフランクフルトのゲットーにモーゼス・アムシェル・バウアーというユダヤ人の金匠が住んでいた。モーゼスは、「赤い盾」という名の古銭商の店を開いた。その息子のマイヤーは、家名を店の名の「赤い盾」、ドイツ語のロートシルトに変えた。ロスチャイルド家は、その時に始まった。
 マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、ヘッセン=カッセル方伯ウィルヘルムに近づき、彼のコイン収集に多大な貢献をした。ウィルヘルムは英国王ジョージ2世の孫で、デンマーク王、スウェーデン王とも親戚だった。父フリードリヒ2世の死去により、当時ヨーロッパ最大級といわれた資産を相続していた。マイヤーは、ウィルヘルムから1801年に財産の運用を任されるようになった。宮廷御用掛という立場を得たことを奇貨として、マイヤーは銀行家として成長していった。
 18世紀には、新たな現象として、私設銀行が現れた。その多くは、宮廷ユダヤ人の子孫たちによって設立された。そのうち時代の荒波を乗り越えて発展し続けたのは、ロスチャイルド家だけだった。
 マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、極めて先見の明のある人物だった。18世紀後半は、資本主義の発達とともに、近代主権国家が成長する時代だった。イギリスでは、産業革命が始まっていた。その時代の先を読んだように、マイヤー・アムシェルは、1797年に、三男のネイサンをロンドンに送った。ネイサンは、産業革命における第一段階の中心地であり、急速に木綿製品の貿易の中心地となったマンチェスターで、事業に成功した。紡績業者から綿を買い、染物業者に送り、完成品をヨーロッパ大陸の買い手に直売した。ロンドンの金融市場を利用して、3ヶ月の掛売りをした。他のユダヤ系織物業者たちもこのやり方を取り入れていった。
 1804年に皇帝となったフランスのナポレオン・ボナパルトは、周辺諸国に侵攻するナポレオン戦争を起こした。ユダヤ人はドイツ30年戦争で国家財政と軍事物資の供給に関与して財を成したが、ロスチャイルド家はナポレオン戦争を通じて飛躍的に発展した。
 ネイサンは、戦争が拡大するに従って政府の金融事業に参加した。英国政府は毎年2000万ポンドの公債を売る必要があった。ネイサンは公債の販売とともに、国際為替手形の引き受けも行った。これによってネイサンは、当時の世界の金融の中心地であるロンドンのシティで名声を得た。
 1806年、イエナでプロイセン軍を破ったナポレオンは、選帝侯ウィルヘルムの財産を没収しようとするが、ウィルヘルムは国外に亡命した。その際、彼は財産の大部分をネイサンに委託した。ネイサンはその金を、英国の公債に投資した。また、ナポレオンの大陸封鎖令をかいくぐり、大量の物資を大陸に密輸した。これらによって、ロスチャイルド家自体も大儲けした。
 ポルトガルに上陸し、ナポレオンと戦っていたウェリントン将軍は、軍資金が不足していた。ネイサンは、東インド会社から金地金80万ポンドを買い取って、英国政府に用立てた。だが、政府はその金をウェリントンに送ろうにも方法がない。依頼を受けたネイサンは、パリにいる末弟のジェームズ(ヤコブともいう)に送金を支持した。ジェームズは巨額の軍資金を、フランスの真ん中を経由して、ポルトガルのウェリントンのもとに届けた。この資金提供と送金で、ロスチャイルド家は、莫大な手数料を稼いだ。
 ロシア遠征に失敗したナポレオンに対仏同盟軍が挑み、1814年、パリは陥落した。ナポレオンは退位し、エルバ島に流された。戦勝各国は戦後秩序作りのため、ウィーン会議を開催したが、互いの利害が対立してまとまらない。ナポレオンはエルバ島を脱出して、皇帝に復位した。そこで再び同盟軍が結成され、ワーテルローの戦いが行われた。
 この決戦を同盟軍が制した。独自の国際的情報網によってその勝利を逸早く知ったネイサンは、わざと証券取引所で大量の戦時公債を売った。ネイサンが売っている。敗戦だという耳情報で、他の債権者が大量の投げ売りを行った。値が下がるだけ下がったところで、ネイサンは一挙に買い占めた。そこにナポレオン敗北と伝えられ、公債は暴騰した。これによって、ロスチャイルド家は莫大な利益を得た。
 資本家は国家を超えている。国家と国家の戦いを利用し、戦わせることによって、国家を超えた市場を通じて富を集める。ロスチャイルド家は、各国政府に戦争資金を貸し付けていた。戦勝国も敗戦国も膨大な債務を抱えた。双方に債権を持つロスチャイルド家は、戦争で巨富を蓄え、当時の世界の金融の中心地、ロンドンのシティで、のし上がっていった。
 イギリスは、市民革命を経た資本主義国家だが、中世以来の王侯・貴族が存続し、そこに新興の資本家が加わって社会の上層を構成している。彼らは、シティでその富を運用し、また増殖させている。19世紀初頭にシティの経営の中心になっていたのは、優れた金融技術を持つユダヤ人のベアリング家だった。ベアリング家は、現在もイギリスの大貴族であり、一族で爵位を6つ持っている。また封建領主からの伝統的な貴族や海賊・商人上がりの貴族もいる。ロスチャイルド家は、こうした既存の王侯・貴族・資本家が構成する集団の一角を占めるとともに、時を追うごとに重要な存在となっていった。

 次回に続く。


ユダヤ49~ロスチャイルド家の繁栄
2017-05-14 08:51:39 | ユダヤ的価値観
●ロスチャイルド家の繁栄

 ナポレオン戦争によって、ロスチャイルドの勢力はヨーロッパ中に広まった。フランクフルトの本家は長男のアムシェル・マイヤーが継ぎ、ロンドンに三男のネイサン、パリに五男のジェームズがいたが、ウィーンに次男のサロモン、ナポリに四男のカールが分れ住んだ。彼らはその土地で王侯・貴族と取引して巨富を得て、主要な銀行家となり、他を圧倒していった。ベルリンには代理人サムエル・ブライシュレーダー、ニューヨークには代理人オーギュスト・ベルモントがいた。彼らの間には、独自のネットワークが張り巡らされた。それは、今日各国に設けられている諜報機関の始まりでもあった。
 ロスチャイルド家の各国政府への融資は、莫大な金額となっていった。ネイサンの息子ライオネルは、1854年のクリミア戦争の費用1千6百万ポンドを英国政府に貸した。普仏戦争では、フランス、イギリス、ドイツのロスチャイルド家がフランス、ドイツ双方に資金援助した。ジェームズは、普仏戦争後、フランスがプロシアに払う賠償金1千万ポンドを用立てた。また、カールはヴァチカンのローマ法王庁に融資していた。
 ロスチャイルド家は、単なる金貸しや債券業者ではなく、時代の先を読んで、テクノロジーに投資する事業家の才能にもあふれていた。それによって、ますます莫大な富を獲得していった。ロスチャイルド家が早くから情熱を注いだのが、鉄道事業だった。産業革命が生んだ蒸気機関車は、交通革命を起こした。それによって、生産・消費・流通・金融の経済活動の全てが大変化した。ネイサンは、1825年にイギリスで蒸気機関車が走るのを見て、兄弟たちに鉄道に出資するよう呼びかけた。サロモンは、ロンドンに技師を留学させて鉄道技術を学ばせ、ハプスブルク帝国横断鉄道の建設を進めた。ジェームズは、パリを中心に鉄道網を広げた。ネイサンは、ベルギー、イタリア等の鉄道に出資した。
 鉄道建設は、1840年代から50年代にかけてラッシュとなった。50年代初頭には早くも鉄道網がイギリスを覆い、首都ロンドンを中心とする全国的な鉄道網が出来上がる。鉄道は都市の生活を農村に普及させ、都市と地方の生活の平準化を進めた。鉄道が作り上げた均一性を有する空間が、国民国家・国民経済という新システムの土台になっていく。鉄道建設の波はヨーロッパ大陸へと急速に広がり、国内市場の統一、国民国家の形成に大きな役割を果した。
 19世紀後半に資本の形態は、産業資本から金融資本へと発展した。産業資本は株式会社化し、銀行が株式の発行を引き受け、銀行資本と産業資本は結合した。それが金融資本である。金融資本によって、近代的な形態の資本が完成した。その代表的な存在であるロスチャイルド家の発展はめざましかった。イングランド銀行を始め、ヨーロッパの主要国のほとんどの中央銀行が、ロスチャイルド家の支配下に入ったり、ロスチャイルド家の所有銀行が中央銀行となったりした。例外は、帝政ロシアだけとなった。
 金融による世界支配とは、貨幣を持っているものが金の力で世界を主導・管理することである。ロスチャイルド家は、金融によるヨーロッパ支配を実現した。ナポレオンが武力で出来なかったことを、ロスチャイルド家は金力で成し遂げたのである。

 次回に続く。


ユダヤ50~ロスチャイルド家がイギリス貴族階級に参入
2017-05-17 09:28:22 | ユダヤ的価値観
●ロスチャイルド家がイギリス貴族階級に参入

 ロスチャイルド家は、イギリスで莫大な富の力を以って、社会階層を上昇し続けた。ネイサンは、イギリス政府で重用され、1833年、大英帝国における奴隷制廃止に際し、奴隷所有者への補償として2千万ポンドを用立てた。奴隷制度の廃止に貢献したことは、社会的な評価の向上につながった。ネイサンの死後、息子のライオネルは、1847年にユダヤ人として最初の国会議員になった。庶民院議員である。
 イギリスでは、ロスチャイルド家の一族以外にも、社会階層を上昇したユダヤ人がいた。その典型的な存在が、ベンジャミン・ディズレーリである。ディズレーリは、改宗して英国国教徒になったユダヤ人だった。ロスチャイルド家と親しく、その人脈・金脈を使って政界で活躍した。1868年にユダヤ人でありながら首相となった。彼の貢献のうち有名なのが、スエズ運河の権利取得である。
 1869年、スエズ運河が開通した。世界交通史に残る快挙だった。エジプトとフランスが苦労して作った運河だが、予想したほど船が通らなかった。運河会社は財政危機に陥り、エジプトは持ち株を担保に出そうとした。1875年、それを聴いたディズレーリは、好機を見た。その株を手に入れれば、フランスの持ち株を上回ることになる。ヴィクトリア女王に奏上して取得の許可を得た。ディズレーリはロスチャイルド家の財力を頼んだ。ライオネルは、4百万ポンドという大金を融資した。株式を買い占めた英国は、フランスを追い出してしまった。運河建設には何もせずに、金の力で運河を手に入れたのである。いかにもユダヤ的なやり方である。
 ヴィクトリア女王は、それまでユダヤ人に爵位を認めなかった。だが、スエズ運河の権利取得によって、ユダヤ人への態度を変えた。1885年に、ライオネルの息子ナサニエルは、貴族(ロード)に列せられ、また貴族院議員となった。世界一の経済力とイギリス王室への貢献が評価され、ユダヤ人でありながら貴族に成り上がったのである。
 ロスチャイルド家は、その財力によって、20世紀初頭にはヨーロッパの実質的権力者といわれるまでになっていく。
 イギリスでは、ロスチャイルド家だけでなく、ベアリング、ウォーバーグ、シュローダー等のユダヤ人国際金融資本家たちが、中世以来のイギリスやオランダ等の王族・貴族と共に、国際社会を支配する体制を作り上げた。近代世界システムの中核部は、こうした王族・貴族・資本家が支配する社会となった。その中でユダヤ人は確固たる地位を築いた。
 イギリスの貴族とユダヤ人の間で、婚姻関係が結ばれ、彼らは分かちがたく、融合一体化していった。裕福なユダヤ人の娘を嫁にすることは、貴族にとって経済的にプラスになる。また彼女らは家庭的でまた聡明でもあり、貴族の嫁として喜ばれた。
 イギリスの評論家ヒレア・ベロックは、1922年に出した著書『ユダヤ人』に、最近のイギリス貴族の顔つきはユダヤ人風になり、貴族までユダヤ化した、と書いている。ユダヤ社会の考え方では、母親がユダヤ人であれば、子供はユダヤ人とみなされる。
 支配集団における閨閥の広がりは、ユダヤ人の地位を引き上げていった。アングロ・サクソン文化とユダヤ文化は、支配集団における血のつながりによっても深く融合し、アングロ・サクソン=ユダヤ文化が絢爛たる発展をした。
 ロスチャイルド家らのユダヤ人巨大国際金融資本家たちは、産業と貿易の大規模化、国際化、情報化等を推進した。それなくして、今日に至る欧米諸国の政治的・経済的な発展はなかったと私は考える。20世紀から今世紀の世界で覇権国家となっているアメリカにおいても同様である。これらの方向への推進は、みな合理化の進展となる。同時にそれはユダヤ的価値観の浸透・普及ともなったのである。

 次回に続く。


ユダヤ51~ユダヤ資本がアジア進出の先頭に
2017-05-19 08:48:12 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ資本がアジア進出の先頭に

 ところで、イギリスは1600年に東インド会社を設立し、ポルトガルやオランダに続いてインド洋交易に参加していた。東インド会社は、インド大陸で1757年にプラッシーの戦いに勝利してフランス勢力を駆逐した。以後、イギリスはインドの諸国を次々に征服した。1840年代後半にはシク戦争に勝って、パンジャブ地方を併合し、インド征服を完成した。
 1820年代以降、産業革命の進むイギリスから、機械生産による綿布がインドに大量に流入した。インドの手工業者は圧迫され、インド経済は打撃を受けた。インド人の不満は高まり、57年セポイの反乱が勃発した。セポイとは、東インド会社が雇ってインド征服の手足としていた傭兵である。反乱は大規模化したが、59年イギリス軍はこれを鎮圧した。この間、イギリス政府は、東インド会社の機能を停止し、直接支配に切り替えた。そしてムガル皇帝を廃して帝国を滅亡させ、77年にはヴィクトリア女王が皇帝を兼ねるインド帝国を創建した。
 こうしてインドは実質的に植民地化された。これは非常に重大な出来事だった。近代西洋文明が、初めてアジアの文明のひとつを完全に支配下に置いたのである。
 イギリスのアジア進出は、ロスチャイルド家等のユダヤ人資本家が関わる銀行・商社等によって推進された。ユダヤ人はインドやシナへの進出でも活躍した。その代表的存在として、サッスーン家が挙げられる。
 サッスーン家は、もともとは18世紀にメソポタミアに台頭したユダヤ人の富豪家族だった。オスマン帝国治世下では、財務大臣を務めるほどの政商だった。イギリスとの関わりは、デイヴィッド・サッスーンによる。バグダード生まれのデイヴィッドはインドに進出し、1832年にムンバイでサッスーン商会を設立した。そして、イギリスと結んで、アヘンの密売で莫大な富を築き、アヘン王と呼ばれた。イギリスの紅茶の総元締めでもあった。
 1840年、シナの清国とイギリス等の列強の間で、アヘン戦争が起こった。清国がアヘン輸入禁止令を出したのが、きっかけだった。イギリスをはじめ列強の近代化された軍事力の威力の前に、清国はあえなく敗れた。戦後、列強は競ってシナに進出した。中でもロンドンに本部を置くサッスーン財閥の進出は、目覚ましかった。上海に営業所を設け、英・米・仏・独・ベルギーなどのユダヤ系の銀行・商社を組合員に持ち、鉄道・運輸・鉱山・牧畜・建設・土地売買・為替・金融保証を主な営業科目として、インド、東南アジア、シナに投資を行った。
 今日も続く香港上海銀行(HSBC)は、1868年にデイヴィッドの息子アーサーが最大の株主となって設立された。ほかにベアリング商会、マセソン商会、ロスチャイルド家等が出資した。アーサーの義理の弟は、ネイサン・ロスチャイルドの孫レオポルド・ロスチャイルドだった。サッスーン財閥は、デイヴィドの死後、アルバート、次いでエドワードが相続し、三代の間に巨富を築いた。エドワード・サッスーンの妻は、ロスチャイルド家のアリーン・ロスチャイルドだった。このようにサッスーン財閥は、ロスチャイルド家と婚姻を含む深い関係を築き、ロスチャイルド系列の財閥として、巨富を成した。それは言い換えれば、ロスチャイルド家が、中東系ユダヤ人のサッスーン家を系列化し、親族関係を結んで、勢力を広げたということなのである。
 イギリスのアヘン貿易には、アメリカのラッセル・アンド・カンパニーも参入していた。同社は、ウィリアム・ハンチントン・ラッセルが所有する会社で、ロスチャイルド系の商社であるジャーディン=マセソン社と提携して、太平洋と大西洋を股にかけて巨富を得ていた。ジャーディン=マセソン社はユダヤ系の商社で、幕末維新期のわが国に武器・機械等を売って繁栄した。彼らのアヘン貿易には、第32代大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトの母方であるデラノ家も参入していた。
 ラッセルは、アルフォンソ・タフトとともに、スカル・アンド・ボーンズという団体を創った。この結社は、1832年にイェール大学に結成された秘密結社である。アメリカ支配層の主流であるWASP、つまりホワイト=アングロ・サクソン=プロテスタントを中心とした学閥集団である。メンバーには、17世紀に最初に北米に来たピューリタンの名家や、18~19世紀に成功したハリマン、ロックフェラー、ペイン、ダヴィソン、ピルスベリー、ウェイヤハウザー等の富豪が多い。アメリカ社会に秘密結社の数ある中で、最も強い社会的影響力を持ち、政界・財界・法曹界・学界やCIA等に強力な人脈を広げていった。こうしたWASPの秘密結社のもとにはアヘン貿易で得た富があり、その人脈はもともとロスチャイルド家ともつながっていたのである。そして、後に述べるように、やがてWASPとユダヤ人が協力・融合するようになっていく。

 次回に続く。


ユダヤ52~アメリカ=ユダヤ文化が発達
2017-05-21 08:52:50 | ユダヤ的価値観
●アメリカの発展と南北戦争
 
 19世紀後半の世界において、めざましい出来事は、アメリカ合衆国の発展だった。ここでもユダヤ人が重要な関与をしている。
 アメリカ合衆国は、植民地時代、イギリスのジョージ3世から、植民地独自の通貨の発行を禁止され、代わりにイングランド銀行の通貨を利子つきで購入し、それを使うように命令された。これに植民地の人民は反発した。本国イギリスからの独立は、ポンド・スターリングに代わる独自の通貨を発行する権利を獲得することをも意味していた。独立後のアメリカは、1792年にドルを公式に採用した。
 合衆国憲法は、通貨の発行権は連邦議会にあることを定めた。第1条立法府の第8節(5)に「貨幣を鋳造し、その価値および外国貨幣の価値を定め、また度量衝の標準を定めること」とした。
 建国の功労者で第3代大統領となったトマス・ジェファーソンは、「もしアメリカ国民が通貨発行を私立銀行にゆだねてしまったら、最初にインフレが起き、次にデフレが来る」と警告した。こうしたアメリカの指導層に対し、ロスチャイルド家を中心とするヨーロッパの金融資本は、強大な資金力でアメリカを金融的に支配しようと試みた。一旦中央銀行が出来たことがあったが、第7代アンドリュー・ジャクソン大統領の拒否権によって期限切れとなった。20世紀の初頭までに、彼らによる中央銀行の設立が計8回計画された。だが、設立の危険性を理解するアメリカの政治家は、これに対抗し、その都度廃案にした。このアメリカの中央銀行は、1910年代に、連邦準備制度(FRS:Federal Reserve System)という形で実現することになる。
 この間、最大の山場の一つは、南北戦争だった。西部開拓が進み、新たな州が誕生すると、新しく出来た州に奴隷制の拡大を認めるか否かで南北の対立が深まった。1860年に奴隷制に反対する共和党のエイブラハム・リンカーンが大統領に就任した。これを機に、翌61年南部7州がアメリカ南部連合を結成した。イギリスは、アメリカ南部からの綿花輸入を禁止し、不満を持った南部に対し、連邦から離脱して独立国になるように働きかけ、この南部連合を誕生させた。南部連合は合衆国からの脱退を宣言し、アメリカ連合国を結成して、北部諸州に対して武力抗争を開始した。北部諸州は分離独立を認めず、ここに南北戦争が始まった。開戦後、連合国に4州が加わり、計11州となった。
 この戦争は今日、内戦(シヴィル・ウォー)とされているが、南部諸州は独立国家を結成したのだから、国際紛争と見るべきである。北部側は、かつて米国がイギリスから独立を勝ち取った国でありながら、分離・独立は認めないというわけである。 最初は南部の連合国が優勢だった。しかし、リンカーンは62年に、国有地に5年間居住・開墾すれば無償で与えるという自営農地法(ホームステッド法)を発布し、これによって、西部農民の支持を獲得した。さらに、63年に奴隷解放宣言を発し、内外世論を味方につけた。イギリスはカナダに軍隊を送り、北軍に対する圧力を強めた。リンカーンは資金の調達に苦労しながらも、北軍を率いた。ゲティスバーグの戦いで北部が優勢になり、65年北部が南部に勝利した。南北戦争は、北部側から言えば南部の独立を阻止した戦争であり、南部側から言えば独立に失敗した戦争である。 北部が南部に勝利した直後、リンカーン大統領はピストルで暗殺された。犯人のジョン・ウィルキンス・ブースは、アメリカ連合国の財務長官ユダ・ベンジャミンに雇われていた。ベンジャミンはイギリスのディズレーリ首相の側近であり、ロスチャイルド家とも親しかった。
 リンカーン暗殺は、後のケネディ暗殺とともに、米国史上最大級の謎となっている。暗殺の最も有力な理由は、リンカーンが南北戦争の戦費をまかなうために、アメリカ財務省の法定通貨を発行したことである。リンカーンは、イギリスのロスチャイルド家らの銀行家たちの融資の申し出を断った。その融資は利子が24~36%という法外なものだった。それに手を出せば、戦争に勝っても、膨大な債務を抱え、金融的に支配されることになる。リンカーンは、連邦政府自らがアメリカ政府の信用のみに基づく紙幣を発給することにした。この紙幣は、銀行が発行する通貨と違って、政府が銀行に債務を負わずに発行された通貨だった。ロスチャイルド家らにとって、政府が独自に通貨を発行することは、巨大な利権を犯されることになるから、絶対に許しがたいことだった。そこで最後の手段に出たと思われる。暗殺である。
 ロスチャイルド家は、奴隷解放に共感を抱く反面、南部の地主たちに大きな利害関係があり、ワシントンの連邦政府を支持しなかった。そのことで、北部のアメリカ人たちの反感を勝った。そのため、戦後、ロスチャイルド家のアメリカでの勢力は下り坂になった。
 ロスチャイルド家は、1837年からユダヤ人オーギュスト・ベルモントを在米代理人としていた。だが、ベルモントはユダヤ人社会から離れ、ペリー提督の娘と結婚した。南北戦争では、民主党員として北部を支持し、リンカーン大統領に忠誠を尽くした。
 リンカーン暗殺の主犯格は、アメリカ連合国を財政的に支えたテキサスの豪商トマス・ウィリアムス・ハウスだった。トマスは「ロンドンの匿名の銀行家の在米代理人」として、財を成した。その銀行家はロスチャイルドだったと考えられる。ベルモントに代わって、在米代理人を務めたものだろう。トマスの子、エドワード・マンデル・ハウスは、ロスチャイルド家の意思を受けて、アメリカの中央銀行である連邦準備制度の実現を成功させた。法定通貨を発行したリンカーンの暗殺と連邦準備制度の設立は一貫した出来事であり、二代に渡って関与したハウス父子の背後にはロスチャイルド家があったのである。

●アメリカ=ユダヤ文化が発達

 アメリカ合衆国は南北戦争の結果、工業国として歩むこととなり、めざましい発展を遂げた。ヨーロッパからの移民によって人口も急増した。1869年には、最初の大陸横断鉄道が開通し、広大な国土に存在する豊富な資源の輸送、工業製品・農業製品の流通、労働者・消費者の移動等が可能になった。1890年代には、アメリカはイギリスに勝る世界最大の工業国となった。
 この間、イギリスの財閥は、アメリカの新興資本家に出資し、製鉄・鉄道・石油等の基幹産業を育て、そこから利益を吸い上げた。イギリスの支配集団は、アメリカがイギリスから独立して以後、アメリカへの影響力を回復・増強しようとしていたのである。アメリカ経済を発展させたヴァンダービルト、ピーボディ、モルガン、デュポン、アスター、グッケンハイム、シフ、ハリマン、カーネギー、ロックフェラー、ゴールドマン等の繁栄は、ロスチャイルド家を初めとする西欧の資本家とのつながりなしに考えられない。
 新興国家アメリカが急速に発展したことにより、19世紀末には、近代世界システムの中核部は、西欧から北米へと拡大した。北大西洋地域ということも出来る。そして、アメリカの資本家が、逆に西欧の資本家と連携するようになった。それが、モルガン、ロックフェラー、デュポン、メロン等の財閥である。こうして西欧及び北米の支配集団が、近代世界システムの中核部を支配するようになった。別の言い方をすれば、近代西洋文明は、西欧・北米の王族・貴族・資本家が、富と権力を所有する体制となった。そして、白人諸民族が構成するその支配集団に、ユダヤ民族が参入していたのである。
 また、近代世界システムの中核部に、アメリカというイギリスに並ぶ有力国家が確立した。イギリスでは、アングロ・サクソン文化とユダヤ文化が融合し、アングロ・サクソン=ユダヤ的な文化が発達した。イギリスから独立したアメリカでは、アングロ・サクソン=ユダヤ文化にアメリカ独自の要素が加わったアメリカ=ユダヤ文化が発達することになる。近代西洋文明は、イギリス、次いでアメリカを中心として世界化していった。その過程で、アングロ・サクソン文化及びアメリカ文化に深く浸透したユダヤ的価値観が世界に浸透・普及していったというのが、私の見方である。

 次回に続く。


ユダヤ53~帝国主義をロスチャイルド家が推進
2017-05-24 09:26:46 | ユダヤ的価値観
●帝国主義をロスチャイルド家が推進
 
 19世紀末から20世紀前半にかけて、近代世界システムを帝国主義(インペリアリズム)が席巻した。
 帝国主義という言葉は、1870年代から英国で使われ始めた。イギリス植民帝国の拡大強化を意味した。帝国主義は過去の諸文明における世界帝国にもみられた政策だが、大英帝国の帝国主義は近代資本主義国家が取った政策である点が特徴的である。また当時の資本主義は、金融資本が中心となった金融資本主義の段階に達していた。産業に利用する科学技術も重化学工業化していた。
 1900年ごろには、重点は政治的な植民主義から、市場・原料資源・投資のはけ口のための経済的な浸透と支配へ移った。この経済政策の最大の推進力となったのが、ロスチャイルド家だった。そして、イギリス王室とロスチャイルド家の共通利益を政策的に追求したのが、大英帝国の帝国主義である。資本と国家の相互依存の典型がここにある。
 イギリス自由党員で経済学者のジョン・アトキンソン・ホブソンは、1902年に初版を出した『帝国主義論』で、当時のヨーロッパの状況を描き、帝国主義政策による植民地獲得や戦争の背後にいるのは、主として国際資本勢力だと主張した。ホブソンは、次のように書いている。
 「銀行、証券、手形割引、金融、企業育成などの大型ビジネスが、国際資本主義の中核を形成している。並ぶもののない強固な組織的絆で束ねられ、常に密接かつ迅速な連絡を互いに保ち合い、あらゆる国の商業の中心地に位置し、ヨーロッパに関して言えば過去何世紀にもわたって金融の経験を積んできた単一の、そして特異な民族によってコントロールされている。こうして国際金融資本は、国家の政策を支配できる特異な地位にある。彼らの同意なくしては、また彼らの代理人を通さずには、大規模な資本移動は不可能である。もしロスチャイルド家とその縁者が断固として反対したら、ヨーロッパのいかなる国も大戦争を起こしたり、あるいは大量の国債を公募したりできない。この事実を疑う者は一人としていないのである」と。
 上記引用において、「過去何世紀にもわたって金融の経験を積んできた単一の、そして特異な民族」とは、言うまでもなくユダヤ人のことである。そして、ホブソンは、その代表格としてロスチャイルド家を挙げているのである。
 1904年までに、ロスチャイルド家は、ヨーロッパ諸国に13億ポンドの債権を持つにいたった。ホブソンが、彼らなしに、戦争を起こすことも、国債を募集することもできない、といっているのは、そのような状況を指す。
 帝国主義政策は、1870年代のイギリスに始まり、フランス、ドイツ、ロシア等でも行われるようになった。資本主義の発達の度合いは、各国によって違うが、互いに資源と市場を求めて争った。イギリスは、インドを植民地とし、さらにシナの清朝を破り、半植民地とした。フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ等も東アジアに進出した。アフリカや中東等で、帝国主義諸国による再分割の争奪戦が繰り広げられた。
 ホブソンの『帝国主義論』に続いて、ユダヤ人経済学者のルドルフ・ヒルファーディングが1910年に『金融資本論』を出し、1916年にウラディミール・レーニンが『帝国主義論』を出した。レーニンは、ホブソンの『帝国主義論』を種本にし、経済分析の多くをホブソンに負っている。レーニンは、「ホブソンの著作を細部にいたるまで使わせてもらった」と記している。
 レーニンは帝国主義を資本主義の最高段階とし、また独占資本主義とした。帝国主義における独占は、四つの大きな特徴を持っている。独占は、第一に、生産の集積の高度な段階で、カルテル、シンジケート、トラストという形をとる。第二に、石炭や製鉄という中心的な原料資源のカルテル化として現れる。第三に、銀行から生じたもので、三つか五つほどの巨大銀行による金融支配が現れる。第四に、植民政策の産物である。
 帝国主義が支配的だった19世紀末から20世紀前半の時代を、帝国主義の時代という。この時代において、ロスチャイルド家をはじめとするユダヤ人金融資本家が生産と戦争の両方において大規模に富の追求をしていたことは、言うまでもない。

 次回に続く。


ユダヤ54~マルクスは痛烈にユダヤ教を批判した
2017-05-26 12:31:08 | ユダヤ的価値観
●マルクスは痛烈にユダヤ教を批判した

 19世紀後半から20世紀にかけて、世界に最も大きな影響を与えたユダヤ人の一人が、カール・マルクスである。
 資本主義の発達は、貧富の差を拡大し、社会的な矛盾を増大させた。サン・シモン、フーリエ、オーエンなどの社会主義者が改革・変革の思想を説き、バクーニンらの無政府主義者が破壊的な行動を起こした。そうした思想・運動を主導していったのが、カール・マルクスとその盟友フリードリッヒ・エンゲルスだった。
 マルクスは、1818年にユダヤ人弁護士の子として、プロイセン(現ドイツ)に生まれた。祖父はユダヤ教指導者のラビだった。だが、父が1817年にキリスト教に改宗したので、マルクスは、非ユダヤ教的な教育を受けた。
 マルクスは、脱ユダヤ教化したユダヤ人として、政治的・社会的な活動を行った。1844年刊の『ユダヤ人問題によせて』で、マルクスはユダヤ人問題を論じた。そこで、大略次のように述べている。
 ユダヤ教の現実的な基礎とは何か。実際的な欲求つまり私利である。ユダヤ人の「世俗的な祭儀」は何か。あくどい行商である。彼らの世俗的な神は何か。貨幣である。「貨幣はイスラエルの嫉妬深い神であって、他のどんな神もそれとは共存できない。貨幣は人間のあらゆる神々の品位を貶め、それらを商品へと変えてしまう」。ユダヤ人は、この神を崇める宗教を広めて、「キリスト教徒を自分たちとそっくりに変えてしまっている」。ユダヤ人は資金力を使って自らを解放し、次にキリスト教徒を虜にした。ユダヤ教崩れのキリスト教徒は、隣人よりも金持ちになること以外にはこの世に何らの使命もなく、「現世は株式取引所」だと確信している。政治は資金の奴隷となっている。それゆえに「市民は自らの内部から、絶えずユダヤ人を生み出す」。「貨幣に対するユダヤ的な態度を廃止すれば、ユダヤ人とその宗教、ユダヤ人が世俗世界に押し付けてきたこのキリスト教の改悪版は消えてなくなるだろう」。
 このように述べるマルクスは、「ユダヤ人の解放は、ユダヤ教からの人類の解放なのである」「あくどい商業主義と貨幣、つまり現実的で実践的なユダヤ教から自らを解放すれば、われわれの時代はおのずと解放されるだろう」と書いている。脱ユダヤ教化したユダヤ人による痛烈なユダヤ教批判である。
 当時のドイツでは、カント以来のドイツ観念論哲学を究極まで進めたゲオルグ・W・F・ヘーゲルの哲学が権威を誇っていた。ヘーゲルはキリスト教に依拠し、神は実体にして主体であるとしてその疎外(外化)と環帰の弁証法の論理による絶対的観念論を体系化した。これに対し、ルートヴィッヒ・フォイエルバッハは、キリスト教の神は人間の類的本質を対象化したもので、人間の自己疎外を示しているという説を打ち出した。マルクスはその説を受けて観念論を批判し、史的唯物論を唱導した。宗教については、「宗教は、悩める者のため息であり、心ある世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆の阿片である」として、現実の変革を主張した。(『ヘーゲル法哲学批判序説』) 
 マルクスは、近代西欧に発生した資本主義が生み出した貧富の差の拡大、苛酷な労働、不平等・不自由、疎外などの問題に取り組んだ。そして、究極の原因は、生産手段の私的所有にもとづく他人の労働の搾取と領有にあると考えた。マルクス=エンゲルスは、1848年に『共産党宣言』を出した。彼らの理論によれば、生産手段の私的所有を撤廃して、社会的所有とするならば、階級的不平等は消滅し、万人に自由と平等が保障される無階級社会が到来することになる。
 ヘーゲルは、絶対的観念論の哲学において、歴史を絶対精神の自己展開とした。マルクスはこれを批判し、実際の歴史は人間の階級闘争の歴史であるとする唯物史観を打ち出した。『経済学批判』(1859年)の序言で、マルクスは唯物史観を、次のように定式化した。
 「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまり彼等の物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を取り結ぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的生活諸過程一般を制約する」。「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階に達すると、今までそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。そのとき社会革命の時期がはじまるのである」と。
 こうした歴史観を以て、マルクスは、社会的不平等の根源を私有財産に求め、私有財産制を全面的に廃止し、生産手段を社会の共有にすることによって経済的平等を図り、人間社会の諸悪を根絶しようとする理論を説いた。
 ロックは、所有権を自然権とした。だが、マルクスは、所有権が自然権であることを否定する。私有財産制は、生産力の発達段階において現れたものとする。ロックの説く普遍的・生得的な権利はブルジョワジーの階級意識の表現として、これを批判した。権利は階級闘争によって発達してきたものであり、人間一般の権利を認めない。権利は、共産革命によってプロレタリアート(無産階級)が戦い取るべきものとした。
 マルクスは、「万国の労働者は団結せよ」と呼びかけ、1864年に国際労働者協会の設立を実現した。これは第1インターナショナルと呼ばれ、以後社会主義・共産主義の運動を国際的に進める中心的な組織となった。
 マルクスとエンゲルスは、プロレタリアートとなった労働者階級を組織し、革命を起こすことによって、共産主義社会を実現することを目標とした。共産主義とは communism の訳語である。コミュニズムとは、コミューン(commune)をめざす思想・運動を意味する。コミューンとは、私有財産と階級支配のない社会であり、個人が自立した個として連帯した社会であるとされる。それは、新しい人的結合による社会だという。エンゲルスは、『反デューリング論』(1878年)で、建設すべき共産主義社会について、「人間がついに自分自身の社会的結合の主人となり、同時に自然の主人、自分の自身の主人になること――つまり自由になること」。「必然の王国から、自由の王国への人類の飛躍である」と書いた。マルクス=エンゲルスは、その社会について、具体的には語っていない。むしろ語れなかったというべきだろう。想像の中にしかない社会であり、空想に近いものだったからである。
 マルクスは、資本主義社会の経済的運動法則を解明すべく『資本論』を書き、第1部を1867年に刊行した。第2部の執筆中、1883年にロンドンで死去した。遺稿は、エンゲルスによって、1894年に刊行された。

 次回に続く。


ユダヤ55~共産主義は人類に大災厄をもたらした
2017-05-29 08:55:22 | ユダヤ的価値観
●唯物論的共産主義は人類に大災厄をもたらした

 マルクスは、資本主義の発展によって共産主義社会が実現することを歴史的な必然と説いた。資本主義が発達した国では、生産力の増大により生産関係の矛盾が高じ、階級闘争が激化して革命が起ると考えた。だが、西欧先進国では革命は起らず、実際に彼の理論に基づく革命が成功したのは、後進国のロシアにおいてだった。そのロシアでは、共産党官僚が労働者・農民を支配・搾取する社会が生まれ、自由は抑圧された。マルクス=エンゲルスは、共産主義を科学的社会主義と自称した。彼らによる共産主義こそ、啓蒙思想の一つの帰結だった。無神論・唯物論・物質科学万能の思想は、合理主義を極端に推し進めたものである。極度の合理主義としての共産主義を実行したソ連では、社会的・経済的矛盾が高じて、革命の70年後に共産主義体制は崩壊した。20世紀の世界で、共産主義は、最盛期には世界人口の約3分の1が信奉するほどだった。また、その共産主義によって、革命・内戦・弾圧を通じて、約1億人が犠牲になった。そうした思想が、ユダヤ人マルクスを中心として生み出されたのである。
 こうした結果を招いたのは、マルクス=エンゲルスの思想に欠陥があったからと言わねばならない。私は主な欠陥は、次の点にあると考える。

 第一に、マルクスの唯物論的な世界観は、自然と人間を物質ととらえ、神・霊魂などの観念を否定する。そのことによって、人間の人格的・道徳的欲求が見失われた。
 第二に、マルクスが定式化した唯物史観は、経済を中心に社会をとらえ、経済的土台が人間の思想や観念を制約するとする。そのため、社会の分析が一面的となり、将来の予想にも大きな狂いを生じた。
 第三に、共産主義は、階級闘争を社会発展の原動力とする。社会を対立・抗争という面からのみ見るため、物事には調和・融合という方向もあることを忘れている。
 第四に、マルクス=エンゲルスの思想は、近代西欧の合理主義・啓蒙思想を極度に推し進めたものである。理性への過信によって、理性の限界に気づかず、また情念の暗黒面を見落としている。
 第五に、マルクス=エンゲルスは、近代を貫く「全般的合理化」についての認識が浅く、プロレタリア独裁が「官僚制的合理化」を極端化することを予想できなかった。

 こうした欠陥のうち最大のものは、マルクスの人間観が唯物論的人間観だったことにある。唯物論的人間観は、人間を単に物質的な存在ととらえる。共産主義は communism の訳語であり、コミュニズムとは、commune(コミューン)という共同体の回復を目指す思想である。共同体という人的結合体を考えるには、人格という概念が必要になる。だが、唯物論的人間観では、人間の人格的・道徳的欲求が見失われてしまう。人格的成長、精神的向上は、親子・夫婦等の家族関係の中で、基礎が作られるものだが、マルクス=エンゲルスは、私有財産制に基づく近代家族を憎むあまり、家族が人格形成に対してもつ意義をも否定してしまった。人格形成のための基本的な場所を消してしまったならば、新しい人的結合体を構想することもできなくなる。家族がバラバラになり、自由になった個人とは、愛と生命の共同体を失った孤独な人間である。その人間に、どういう社会の建設が可能だというのか。マルクス=エンゲルスは、まったく間違った方向に、理想を求めたのだった。
 マルクス=エンゲルスの共産主義は、しばしばユダヤ教の終末思想に比較される。ユダヤ教では、世の終わりに救世主が出現し、ユダヤ民族が苦難から解放され、地上天国が実現すると説く。共産主義の理論では、プロレタリアートが救世主に似た役割を担い、自らを解放するとともに人類を解放し、人類が理想とする共産主義の社会が実現すると説く。マックス・ウェーバーは、宗教とはエートス(ethos)であると説いた。エートスとは「生活態度、生活信条または道徳的性格」を意味する。心理学的に言えば、人間の行動を意識的及び無意識的に突き動かしている行動様式である。このような理解によれば、神、仏、霊等を認めない世界観でも、宗教と呼びうる。そこから、共産主義とユダヤ教の類似性を指摘し、共産主義を一種の宗教ととらえる見方がある。ただし、それは本来の宗教とは異なる疑似宗教や、疑似的な宗教性を持った世界観である。近代西洋文明では、本来の宗教が衰退し、社会が世俗化したことによって、それに代わって人々を信奉させる世界観が出現した。これをしばしばイデオロギーという。共産主義は、その典型である。
 マルクスの理論を継承・実行したマルクス主義者・共産主義者には、ユダヤ人が多い。この点については、後にロシア革命の項目に書く。

関連掲示
・マイサイトの「共産主義」の項目の拙稿
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion07.htm


ユダヤ56~フロイトは唯物論に基づいて無意識を研究
2017-05-31 09:34:11 | ユダヤ的価値観
●フロイトは唯物論に基づいて無意識を研究

 マルクスに次いで、19世紀末から20世紀にかけて欧米を中心に大きな影響を与えたユダヤ人に、ジークムント・フロイトがいる。
 フロイトは精神分析学者・精神科医であり、1856年にオーストリア=ハンガリー二重帝国に生まれた。家系は白人系ユダヤ教徒のアシュケナジムだった。
 フロイトは、精神病者の治療を行う中で、人間の心には、意識だけでなく、容易に意識化し得ない無意識の領域があることを発見した。そして、人間の諸行動を規定する真の動機は無意識である場合が多いと考えた。無意識の存在は、ただ推論されるか、本人自らの抵抗を克服してはじめて意識化されるものであり、日常では失錯行為と夢とにその片鱗をのぞかせるにすぎない。フロイトは、ヒステリーや神経症の治療において、性欲の抑圧が病気の重要な原因となっていると考えた。そして、人間の心理的行動を、自己保存本能と性本能をもとに説明し、独自の理論を展開し、人間の意識と無意識の解明を試みた。
 フロイトは、1939年にロンドンで亡くなった。後半生におけるフロイトの考察は、精神分析の分野を超え、社会・文化・宗教等にまで及んだ。その理論と洞察は、19世紀末から20世紀初頭の欧米の人々に強い衝撃を与えた。近代西洋文明を根底的に問う点において、フロイトはしばしばマルクス、ニーチェと並べ評される。
 フロイトの人間観は、唯物論的だった。フロイトは、精神分析において、ニュートン物理学をモデルとした。フロイトは唯物論者であると自称し、人体を物体として扱う外科医のように、患者に接することを理想とした。19世紀の機械論的唯物論に基づき、エネルギー保存の法則を生物学の分野にもあてはめ、精神現象にも当てはめた。そして、性本能の基底となるエネルギーをリビドーと名づけた。
 フロイトは精神障害の根幹にリビドーの流れの異常があることを発見した。彼は、リビドーは対象と自我との間を往来すると考え、そのエネルギーの移動と増減によって、すべての精神現象を説明しようとした。リビドーの発達を妨げる障害物は、さまざまな葛藤を生む。その障害物を取り除いて、性エネルギーを解放すれば、病気は治ると考えた。
 フロイトは、乳幼児にも性欲があるという汎性欲論を唱えた。彼は乳幼児期の性欲活動のことを幼児性欲と呼んだ。幼児性欲は、生物学的な源泉に発する性欲動、つまりリビドーに由来し、口唇愛、肛門愛、男根愛の段階に分かれる。幼児性欲はしだいに発達して、自分以外の対象をも性欲の対象とするようになる。主な対象は、前エディプス期では、男女いずれにとっても母親であり、エディプス期に入ると、異性の親が対象となり、エディプス・コンプレックスが起こると考えた。
 エディプス・コンプレックスは、フロイトの精神分析論の核心である。社会・文化・宗教・芸術等がすべてこれを巡って論じられる。幼児は、男根愛の段階(男根期)に入ると性の区別に目覚め、異性の親に性的な関心を抱くようになる。とくに男の子は、母に対して性欲の兆しを感じ、父を恋敵とみなして父を嫉妬し、父の不在や死を願うようになる。反面、彼は父を愛してもいるために、自分の抱いている敵意を苦痛に感じ、またその敵意のせいで父によって処罰されるのではないかという去勢不安を抱くに至る。このような異性の親に対する愛着、同性の親への敵意、罰せられる不安の三点を中心として発展する観念複合体を、フロイトはエディプス・コンプレックスと名づけた。エディプスは、知らずに父を殺し、母と結婚していたというギリシャ悲劇の主人公の名である。
 1910年代にフロイトは、無意識の心理学の体系をほぼ完成した。この段階では、人間の心を「意識」「前意識」「無意識」という三層に区分した。前意識とは、容易に思い出して意識化できる内容である。無意識は、通常に意識化できない内容である。この場合、無意識内容の意識化を妨げているのが、抑圧の作用である。
 フロイトは、無意識を生物学的・衝動的なものととらえ、意識によって洞察され、打ち克たれるべきものと考えた。意識としての自我とは理性であり、フロイトは、理性的な自我を中心とし、意識が無意識を支配すべきものとした。この点で、フロイトの思想は、近代西欧の理性的自我に基づく、啓蒙主義的合理主義の立場に立っている。
 フロイトは、1923年に『自我とエス』を著し、それまでの意識、前意識、無意識の局所論に加えて、人間の心が「エス(イド)」「自我」「超自我」という三つの心的な組織から成るという構造論を提示した。それまでは、「抑圧するもの=意識=自我」、「抑圧されるもの=無意識=欲動的なもの」と考えていたが、自我の働きの多くはそれ自体、無意識であるという認識に変わったためである。
 フロイトの心の構造論において、エスは、生まれたばかりの新生児のような、未組織の心の状態である。その時、その時の衝動で動く本能のるつぼである。このエスが外界と接触する部分は、特別な発達を示し、エスと外界とを媒介する部分となる。これが自我と名づけられる。自我は、母体であるエスとは正反対の性質を備えるにいたる。すなわち、合理的・組織的で、時空間を認識し、現実を踏まえた動きをする。
 この自我の一部として形成されるのが、超自我である。子どもはエディプス期に入ると、父親の存在に対しての葛藤を経験する。この時期を通じて、両親像が心の中に摂取されて内在化して、超自我が形成される。超自我は、両親を通じて内面化された社会的な道徳や規範の意識に相当する。エスは本能、自我は理性、超自我は良心にあたると言えよう。この心の三層構造においては、快楽原則に支配されているのが、無意識的なエスであり、現実原則に従うのが、意識的な自我である。フロイトは、現実原則に従う理性的な自我意識が、快楽原則に支配される本能的・衝動的な無意識を制御すべきものとした。そしてフロイトは、人間の発達上、現実原則の支配を重要視し、現実原理の確立こそ成人の健康人の条件であるとした。
 フロイトは、この理論を、人類の文化にあてはめ、自然人としての人間の社会化・文明化の過程を、快楽原則の支配から現実原則の支配への移行としてとらえた。フロイトは、理性的な自我を中心として、意識が無意識を支配すべきものとする。合理化を担う心の機能は自我であり、合理的な自我意識が非合理的な無意識を支配していくのが、合理化の過程といえよう。それゆえ、フロイトの考えは、近代西欧の合理主義の枠内にある考え方である。フロイトは性本能を理性や道徳で自制し、昇華つまり社会的に価値ある行動に変化させることによって、文化が発展すると説いた。

 次回に続く。


ユダヤ57~唯物論的人間観の克服が必要
2017-06-02 09:21:59 | ユダヤ的価値観
●唯物論的人間観の克服が必要

 フロイトは、当初、機械論的な唯物論により、エネルギーをモデルにして、性本能を考えた。ニュートン物理学を理想とし、心の物理学を構想した。その後、フロイトは性エネルギー論を捨て、エスの本能的欲求という生物学的な捉え方に変わった。しかし、人間を物質的なものと見ている点では一貫している。
 晩年のフロイトは、死すべきものとしての人間に、無機物に戻ろうとする傾向として、死の本能(タナトス)を想定した。タナトスは、生の本能(エロス)についての快感原則・現実原則と異なり、涅槃原則に従うとされる。涅槃原則は、ショーペンハウアーを通じて仏教のニルヴァーナの考えを取り入れたものである。ショーペンハウアーは、生きんとする盲目の意志を否定することで、解脱の境地へと達することができると説いたが、それは死後霊魂が存続することを前提していた。しかし、フロイトは身体から独立した霊魂の存在を認めない。だから、仏教のニルヴァーナをそのままに理解したものではない。仏教は霊魂を西洋思想のように、不変不滅の実体ととらえない。死後も存在し、輪廻転生するものととらえる。そして、この宇宙から解脱し、再び輪廻転生しない状態に入ることを、ニルヴァーナという。フロイトは、霊魂自体を認めないから、涅槃原則とは、単なる無機的な物質の法則に過ぎない。
 フロイトの人間観のもとにある唯物論的人間観とは、近代西洋に現れた人間観で、人類はユダヤ=キリスト教的な人格神が創造したものではなく、生物の進化によって誕生した一つの種であり、人間の心理現象は、根本的には物質的な現象であり、人間は死とともに無に返るという考え方である。心理現象の物質的な基盤を、脳と見るか、細胞と見るか、遺伝子と見るか、原子と見るか等の違いがあるが、いずれにしても本質的には物質的な現象と見る。この人間観では、身体から独立して存在する霊魂を認めない。
 フロイトは、こうした唯物論的人間観においてマルクスと結びつき得る。人間を労働する者としてとらえたマルクスに対し、人間を性活動を行う者として、その心理面を研究したのが、フロイトである。
 心理学者のアブラハム・マズローは、人間の欲求には、(1)生理的欲求、(2)安全の欲求、(3)所属と愛の欲求、(4)承認の欲求、(5)自己実現の欲求という5段階がある、と説いた。この説によれば、マルクスは「生理的欲求」と「安全の欲求」を中心とし、それらを社会的に平等な状態で達成することを目指した。フロイトは性の問題を通じて、より上位の欲求である「所属と愛の欲求」の研究をした。しかし、性の観点からすべてを理解しようとしたために、人間理解を狭くしてしまった。マルクスとフロイトの統合が生み出すのは、この段階の欲求の追及である。
 フロイトの直弟子にはエーリッヒ・フロム、ウィルヘルム・ライヒなどユダヤ人が多かった。ユダヤ人でないのはカール・グスタフ・ユングくらいだった。フロイトの理論を継承した精神医学者・心理学者にも、ユダヤ人が多い。マルクスの理論を継承・実行したマルクス主義者・共産主義者にユダヤ人が多いのと好対照である。マルクスとフロイトの総合を試みたフランクフルト学派にも、ユダヤ人が多かった。そのことは、後の項目で述べることにする。
 なお、フロイトの甥エドガー・バーネイズは、群衆心理学を活用して、大衆広報の基礎を築き、「広報の父」と呼ばれる。また、第2次大戦後のアメリカでの精神分析ブームの火付け役となった。
 ユダヤ教では、ラビ(律法学者)が人生全般の相談を受ける。ユダヤ教を捨てたユダヤ人は、精神科医にラビに代わる精神的指導者を求めたと考えられる。世俗化の進む欧米社会では、宗教的な指導・支援ではなく医学的な治療が求められ、精神科医が非常に多くなっている。特にプロテスタンティズムには、カトリック教会における神父への告白がないので、それに代わる対象を精神科医に求める傾向がある。精神医学的な指導や治療が、宗教の代用品となっているのである。
 ユダヤ人マルクスとフロイトが生み出した唯物論的な人間観は、その弟子や信奉者たちによって、欧米諸国を中心に、世界的に大きな影響を与えてきた。その弊害は計り知れないほど大きい。
 マルクスとフロイトは、脱ユダヤ教的なユダヤ人だが、ユダヤ教で発達した合理主義を継承している。それが彼らの唯物論的人間観の土台にあるものである。ユダヤ教で発達した合理主義は、西方キリスト教でプロテスタンティズムに影響を与えた後、唯物論的人間観の形成にも影響を与えたのである。
 ユダヤ教には、多くの宗教に見られる死後の世界は存在しない。ユダヤ教は、人間が死んだらどうなるのかということについてほとんど触れていない。死後の世界という考え方がないのである。ユダヤ教では、人は死ねばただ死ぬだけである。死は個人にとって、最終的な終わりだと教える。死後の世界、来世で報われるという考えもない。そこから生じるのは、強い現世志向である。この世での人生を何よりも大切に考えるのが、ユダヤ教徒の生き方である。
 こうした死生観が一方で、現世での物質的・金銭的な富を追い求めるユダヤ人資本家を生み出し、一方で、唯物論的な人間観に基づく共産主義者や精神分析医を生み出したのである。
 唯物論的人間観を克服するためには、人間を単に物質的な存在と見るのではなく、人間には物質的な側面と心霊的な側面の両面があるとする人間観が必要である。その人間観を私は心霊論的人間観と呼んでいる。唯物論的人間観から心霊論的人間観への転換は、ユダヤ的価値観の超克のためにも必須となるものである。心霊論的人間観については、本稿の最後部に書く。

関連掲示
・拙稿「フロイトを超えて~唯物論的人間観から心霊論的人間観へ」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11a.htm


ユダヤ58~現代世界の支配構造
2017-06-04 09:43:21 | ユダヤ的価値観
●現代世界の支配構造

 ここから20世紀前半の世界の歴史とユダヤ人について書く。それにあたって、最初に現代世界の支配構造について概術する。
 西欧発の近代文明では、19世紀後半から今日に至るまで、社会は、大まかに分けて、四つの集団で構成されている、と私は考える。その四つの集団とは、所有者(the owners)、経営者(the managers)、労働者(the workers)、困窮者(the distressed)である。
 所有者とは、大規模な土地や資産を所有する富裕者をいう。西欧やアラブの王侯・貴族や各国の資本家等である。
 経営者とは、企業や国家の経営を行う者をいう。所有者に採用または雇用されている企業経営者、政治家、官僚、学者等である。
 労働者とは、労働によって賃金を得て生活する者をいう。マルクスは、労働者と農民を区別し、都市の工場労働者を重視したが、私は、工業・農業・商業等の各産業で働く人々の全体を労働者と呼ぶ。
 困窮者とは、貧困・窮乏・差別等によって生活に困窮する者をいう。貧民、窮民、難民である。極めて所得が低く、または劣悪な生活環境にある。
 所有者と経営者を分けるのは、所有と経営は別の行為だからである。所有者が経営者でもある場合もあれば、経営者を雇って労働させる場合もある。経営者は、自らが所有者でない場合は、同時に労働者でもある。ただし、他の労働者を雇用・管理して労働させる雇用者の立場にあり、被雇用者である一般の労働者と区別する必要がある。所有者と経営者は、社会において支配的な集団を成す。本稿では、これを支配集団という。
 労働者は、経営者のもとで働く被雇用者もあれば、小規模の土地や資産を利用して自営で働く者もある。また小規模な株式を所有する者もあれば、ほとんど資産がない者もある。労働者のうち、非常に所得の低い者や資産がほとんどない者は、困窮者に近づく。労働者と困窮者は、被支配的な集団を成す。本稿では、これを被支配集団という。
 所有者、経営者、労働者、困窮者という四つの集団の中には、王族・貴族のように前近代的な身分として固定的な小集団があるが、自由とデモクラシーを理念とする社会では、一定の流動性がある。経営者は、富を得ることによって所有者に上昇出来る。労働者のうち、有能なものは経営者に上昇する。さらに所有者に上昇する者もある。困窮者であった難民や移民が、教育を受けて経営者、所有者に上昇する例もある。逆に集団間を下降する場合もある。
 所有者、経営者、労働者、困窮者の四集団は、一つの社会の中に存在する。それとともに、国際的に広がって存在する。詳しくは、拙稿「現代世界の支配構造とアメリカの衰退」に書いた。ユダヤ人のうち、経済的・政治的・外交的に優れた能力を持つ者は、欧米諸国で所有者または所有者に仕える経営者として活躍した。
 20世紀前半から、所有者集団は、資本の論理によって国家の論理を超え、全世界で単一政府、単一市場、単一銀行、単一通貨を実現する思想を発展させてきた。こうした思想をグローバリズムという。グローバリズムは、ロスチャイルド家を中心とするユダヤ系国際金融資本家と、彼らとユダヤ的価値観を共にするロックフェラー家を中心とする非ユダヤ系支配層が推進していると見られる思想である。グローバリズムは、既存の国家を超えた統一世界政府を目指す点において、地球統一主義または地球覇権主義と訳し得る。グローバリズムは、全地球規模でユダヤ的価値観を実現し確立しようとする動きとなっている。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「現代世界の支配構造とアメリカの衰退」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09k.htm


ユダヤ59~アメリカにおけるユダヤ人の増加
2017-06-07 08:56:24 | ユダヤ的価値観
●アメリカにおけるユダヤ人の増加

 20世紀前半の世界の歴史において、ユダヤ人が最も活躍するようになったのは、アメリカにおいてである。そこでまずアメリカに関することから書く。続いて、イギリス、ロシア、ドイツ、東欧について書く。
 アメリカへのユダヤ人移民には、三つの大きな波があった。
 第1の波は、15世紀末にスペイン・ポルトガルから追放されたユダヤ人が、ブラジル経由でニューアムステルダム、後のニューヨークに移住したことである。この点は、先に書いたところである。イギリスから独立して建国されたアメリカ合衆国は、西欧以上にユダヤ人が自由と権利を得て活動できる希望の国となった。
 移民の第2の波は、1830年代にドイツ語圏の中央ヨーロッパから、ユダヤ人が多く移住したことである。移民の中から、商人、銀行家、卸売業者等で成功した者が多く現れた。この時期にアメリカに移住して成功したドイツ系ユダヤ人の代表的な存在が、ゴールドマン=サックス社の創業者マーカス・ゴールドマンである。行商からはじめて衣服店を開き、資金を増やして、後にウォール街の金融業界で屈指の大物になった。またクーン・ローブ社の創設者エイブラハム・クーンとソロモン・ローブもドイツ系ユダヤ人である。共同で雑貨商を営み、後に金融業界で名を上げた。 南北戦争後に、リンカーン政府の財政を支えたジョゼフ・セリグマンも、同時代のドイツからの移民ユダヤ人だった。J&W・セリグマン社は、モルガン、ロスチャイルド等と連合して、ヨーロッパに進出し、「アメリカのロスチャイルド」と呼ばれた。彼らの他に、ジーンズのリーヴァイ・ストラウス、通信販売のリチャード・ウォーレン・シアーズ、百貨店のローランド・ハッシー・メイシーらも、第2波の移民の中の成功者である。
 移民の第3の波は、1880年以降、ロシアやポーランド、ルーマニアなどの東欧から多数のユダヤ人がアメリカに移住してきたことである。貧困にあえぐ者や、工業化の進行で技術的失業の犠牲になった者や、ロシア皇帝のユダヤ人に対する迫害に苦しむ人々が新天地を求めたのである。1880年までアメリカのユダヤ人は、ドイツ系ユダヤ人が主だったが、ロシア・東欧からのユダヤ人が突然、渡来し始め、1881年から1920年までの40年間に、約200万人のユダヤ人がアメリカに入国した。その約70%はロシアから、25%はオーストリア・ハンガリーとルーマニアから、それぞれ移住してきた。彼らの多くは、第2波の移民に比べると、貧困や教養の低さ等が特徴である。第2波の移民で成功した者たちは、第3波の移民を蔑視した。ユダヤ移民の中にも、移民の時期、出身地域、背景の文化等によって、階層の違いが生まれた。

●WASP支配の社会でのユダヤ人の上昇

 アメリカへの移民が第1波、第2波、第3波と繰り返されるにつれて、国民の出身地域が多様になっていった。イギリス・アイルランドから南欧諸国や中欧へと広がり、19世紀末にはロシアや東欧から大量に流入した。それとともに徐々に、建国以来のWASP(ホワイト=アングロ・サクソン=プロテスタント)の支配が緩み出した。そこにユダヤ人が支配集団に食い込んだり、社会階層を上昇したりする余地が生じた。このWASP支配の時期からユダヤ人の参入・融合の過程を、建国の時代に遡って概観しよう。
 アメリカの独立宣言について先に書いたが、実は独立宣言は人間一般の平等をうたったものではなかった。インディアンや黒人は対象から除かれていた。「領主=奴隷主」であるような「領主民族」としての白人の平等を宣言したものだった。白人は差異の確信を、最初はインディアン、次いで黒人の上に固定した。そして、白人/黒人の二元構造が出来上がった。そのような構造を持つ米国のデモクラシーを「領主民族のデモクラシー」という。
 「領主民族」の中心であるWASPは、白人種には許容的である。白人であればアングロ・サクソン系でなくとも、プロテスタントに改宗した者は、WASPに準じた扱いをする。イタリアやアイルランド等からの移民は、カトリックである。プロテスタントが主流のアメリカでは、カトリックは非主流である。だが、カトリックからプロテスタントに改宗すれば、社会階層を上昇することが以前より容易になる。
 アメリカでは、ヨーロッパ各地から移住したプロテスタントは、様々は宗派に分かれている。その各宗派は社会階層に対応するという構造ができた。下層から上層へ順に挙げると、バプティスト、ルーテル派、メソディスト、長老派(プレスビテリアン)、会衆派、監督派(英国国教会系)となるといわれる。WASP以外の白人がプロテスタントになる場合、自らの階層によって宗派を選ぶ傾向がある。また社会階層を上昇するに従い、上の階層に対応する宗派に宗旨替えしていく傾向が見られる。宗派ごとに居住地が違うので、改宗によって居住地を変える移動も見られる。
 WASPを中心とするキリスト教白人社会は、多様性と流動性を持っていた。そこにユダヤ人が参入していく余地があった。
 白人種を「領主民族」とするアメリカ国民は、建国後、広大な西部への開拓を行った。新大陸に移住したピルグリム・ファーザーズ以来、彼らはフロンティア・スピリットを持ち続けた。フロンティア・スピリットは、開拓者精神である。未開拓地を開拓する進取・積極・実力重視などを特性とする。また、ピューリタニズムとフリーメイソン思想に裏付けられている。ピューリタニズムとフリーメイソンについては、先に書いた。白人キリスト教徒は、ピューリタニズム、フリーメイソン思想、フロンティア・スピリットが融合したアメリカ的な信念を広めることを神から与えられた使命感を感じた。これを「明白な使命(マニフェスト・デスティニー)」という。
 「明白な使命」は、ユダヤ=キリスト教的な観念である。西部を開拓し、さらに太平洋に乗り出して、アジア諸国に進出することは、ユダヤ=キリスト教的な神の正義を広めることだった。この使命感のもと、白人種は先住の異教徒であるインディアンを徹底的に虐殺した。そこには、古代ユダヤ人が異教徒を殺戮したことに通じる心理がうかがわれる。建国の祖ピルグリム・ファーザーズは、アメリカの地を新しいエルサレムとみなし、古代ユダヤ人にならって自らを神から選ばれた者と考えたのである。しかし、こうしたアメリカの「明白な使命」という観念は、WASPを中心とする白人社会が抱いたものであり、19世紀末からの大量移民によって国民が多民族化し、WASPの支配が緩むとともに、だんだん薄れていく。
 アメリカのキリスト教白人社会は、多様性と流動性を持っている。その社会において、ユダヤ教からプロテスタントに改宗し、キリスト教徒として社会階層を上がっていくユダヤ人が増えていった。ユダヤ教徒の中では、改革派は資本主義社会でユダヤ人が活躍するのを容易にした。クーン・ローブ商会のジェイコブ・シフは、改革派のラビの息子であり、アメリカのユダヤ人社会で改革派の主導権の確立を進めた。同商会の共同経営者となったポール・ウォーバークらも改革派信者だった。彼らはユダヤ教徒のままで、支配集団に参入していった。

 次回に続く。


ユダヤ60~ユダヤ人はWASP支配を崩していった
2017-06-09 09:38:08 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ人はWASP支配を崩していった

 20世紀前半のアメリカでは、移民によって国民が多民族化し、WASPの集団に非WASPが流入した。それに従って、WASPの支配が緩んでいった。同時に「明白な使命」の観念が薄れていき、第1次世界大戦後のころから超国家的または脱国家的な思想が影響力を持つようになった。超国家的または脱国家的な思想とは、ネイション(国家・国民)の形成・発展に価値を置く考え方に対し、ネイションの枠組みを超えたり外したりして普遍的な価値の実現を追求する思想である。ここでアメリカの支配集団に食い込み、WASPの優位を崩し、超国家的または脱国家的な思想を広げていったのが、ユダヤ人に他ならない。その思想が、さらに既存の国家を超えた統一世界政府を目指す思想に発展したものが、グローバリズムである。
 WASPの「明白な使命」から超国家・脱国家の思想への交替の過程については後に詳しく述べるが、概要を書いておくと、1913年設立のウッドロー・ウィルソン政権で、大きな変化が起こった。ユダヤ人金融資本家らによって中央銀行が設立され、第1次世界大戦を通じてユダヤ系軍需産業が発展し、大戦後はユダヤ人の入会を認める外交問題評議会が開設されるなどして、ユダヤ人が米国の政治・経済に深く参入するようになった。WASP支配が強固だったウォール・ストリートでは、1929年の大恐慌によって、ユダヤ人の投資家が躍進した。1930年代に入ると、ユダヤ人が消費産業やラジオ・映画産業部門で事業を発展させた。1933年誕生のフランクリン・D・ルーズベルト政権では、大統領周辺にユダヤ人が集まり、政治を直接動かすほどになった。ユダヤ人の新興事業家たちはニューディール政策を支持する財界の支柱の一つになった。FDR政権において、アメリカは第2次世界大戦に参戦し、ユダヤ人は軍需産業を中心にさらに勢力を拡大した。
 こうして第1次世界大戦前後から第2次世界大戦終結までの間に、アメリカの支配集団は、WASPだけでなく、彼らと深く結びついたユダヤ系金融資本家とによって構成されるように大きく変化していく。この変化は、19世紀半ばから20世紀初頭にかけてのイギリスの変化と似ている。そこには、ユダヤ人による戦略的な行動があったと見るべきだろう。ユダヤ人は、覇権国家から次の覇権国家へと、活動の中心地を移動させて、メトロポリスの支配集団に参入・融合し、自らの富と力を維持・拡大してきたのである。この過程については、本章でいくつかの項目に分けて、具体的に書いていく。
 ユダヤ系の国際政治学者ズビグニュー・ブレジンスキー(2017年5月歿)は、『孤独な帝国アメリカ――世界の支配者か、リーダーか』で、アメリカ社会を様々なエスニック・グループによって文化的・政治的に多様なアイデンティティを持つように仕向けたのはユダヤ系移民である、と述べている。つまり、ユダヤ人は、少数民族の地位向上を共同で働きかけることにより、WASPの影響力を低下させる方法を取ったということである。また、WASPの後退とユダヤ系アメリカ人の台頭は時期が一致すると指摘している。WASPの没落の後に、アメリカ社会で支配的エリートになったのはユダヤ人社会であるとも論じている。
 ブレジンスキーがユダヤ系の立場からこのように主張しているのは、一種の勝利宣言ともいえる。確かにFDR政権の成立後、ユダヤ人は黒人等の少数民族や労働組合と連携してリベラル連合を形成して民主党を支えつつ政治的な影響力を増していった。それによって、WASPの影響力が低下した。そして、WASP的な価値観に取って代わって、ユダヤ的価値観が支配的になっていった。ただし、このことは、必ずしもユダヤ人の集団が支配集団に成り代わったということを意味しない。WASPの支配集団にユダヤ人が参入し、WASPとユダヤ人が融合して、アングロ・サクソン=ユダヤ連合が出来たのである。その過程で、WASPにユダヤ的価値観が浸透した。このことは、WASP的な「明白な使命」から超国家的または脱国家的な思想への交替ということでもある。
 たとえば、第2次世界大戦後、アメリカの資本家を代表する存在となったロックフェラー家は、ユダヤ人ではなく、WASPに属する。先祖は、フランス系ユグノーに起源を持つ南ドイツのプロテスタントの家系とされる。ロックフェラー財閥の繁栄の基礎を築いたジョン・デイヴィソン・ロックフェラーは、ニューヨーク州の貧しい薬の行商人の子だったが、農産物の仲買などで資金を蓄え、南北戦争中の1862年に23歳で、石油精製事業を始めた。徹底した合理化で競争に打ち勝ち、短期間に同業者の施設を次々に買収した。彼のスタンダード・オイル社は、1878年には合衆国の精油の約90%を支配するに至った。個人資産は約10億ドルにのぼったという。石炭から石油の時代になり、またアメリカがイギリスに替わって覇権国になったことによって、ロックフェラー家はロスチャイルド家の圧倒的優位を揺るがすほどになっている。当代の盟主だったデイヴィッド・ロックフェラー(2017年3月、101歳で歿)は、白人プロテスタントだが、グローバリスト(地球統一主義者)という立場を鮮明にしロスチャイルド家を中心とするユダヤ系国際金融資本家とともに、グローバリズムを推進した。このことは、デイヴィッドを中心とするロックフェラー家は非ユダヤ人だが、ユダヤ的価値観の体現者であることを示すものである。

 次回に続く。


ユダヤ61~イギリス円卓会議の設立
2017-06-11 08:55:45 | ユダヤ的価値観
●イギリスの円卓会議の設立

 次に、一旦アメリカを離れて、イギリスについて述べる。20世紀初頭の段階では、世界の覇権国家は、依然として大英帝国である。大英帝国は、19世紀末から帝国主義政策を進めた。その政策を進めた者を、帝国主義者という。帝国主義者の代表的存在であるセシル・ローズ、アルフレッド・ミルナーらは、イギリスの国家権力が支配する領域を世界に拡大・発展させる活動を行った。その活動は、ロスチャイルド家等のユダヤ系巨大国際金融資本と結合したものだった。彼らは、所有者に仕える経営者であり、ともに支配集団を構成する。
 ローズ、ミルナーらは、19世紀後半のイギリスの哲学者トマス・ヒル・グリーンの影響を受けていた。グリーンは、イギリスの伝統的なリベラリズムが要求する国家の不干渉を求める自由を「消極的自由」とし、人格の発展のために国家に積極的な役割を求める自由を「積極的自由」とした。そして「積極的自由」の実現を説いた。
 グリーンが目指したのは、人々が自己実現としての自由を享受し、人格の完成を図ることのできる共同体だった。グリーンは、国家の成立や人民の政府の服従の根拠は、社会契約・武力・恐怖等ではなく、人々の「公共善(common good)」への関心にあるとし、政治と道徳を一体のものとして道義国家の建設を構想した。その哲学は、人格的自由主義と呼ばれる。
 グリーンの哲学は、また国家発展段階のナショナリズムの思想でもあった。国家に積極的な役割を認める彼の哲学のナショナリズム的な側面は、ローズやミルナーらを心酔させ、大英帝国の帝国主義の思想的裏づけの一つとなった。
 セシル・ローズは、1870年にアフリカ南部に移住し、ダイヤモンド採掘と金鉱経営で巨富を得た。ロスチャイルド家の融資を受けてデビアス社を設立し、競争相手を合併して、ダイヤモンド産業をほぼ独占的に支配した。また、南アフリカの鉄道・電信・新聞業をも支配下に入れ、1890年にはケープ植民地の首相となり、政治・経済の実権を握った。さらに中南部アフリカを占領し、自分の名にちなんで、ローデシアと名づけた。
 ローズは、1891年に秘密結社を組織し、指揮を執った。彼の結社については、権威ある学者が書いた本がある。キャロル・キグリーの『悲劇と希望』である。キグリーは、ジョージタウン大学の歴史学教授だった。
 キグリーによると、ローズが結社をつくった際、ミルナーらが幹部委員会のメンバーとなり、ロスチャイルド卿、バルフォア卿、グレイ卿等が創始者グループの幹部メンバーに名を連ねた。この結社は、単なる私的グループではなく、覇権国家イギリスの所有者集団による帝国経営戦略会議のようなものと考えられる。
 1902年にローズが死ぬと、莫大な遺産がオックスフォード大学に贈られ、ローズ奨学金制度が作られた。ローズは遺産を使って新たな秘密結社を作ること、その結社は大英帝国の維持・拡大に献身すべきことを言い残した。
 ミルナーと彼の弟子たちは、ローズの遺言に従い、1909年から「円卓会議(Round Table)」を組織した。円卓会議は、英米の世界戦略の策定・推進に関わっていく。この結社の動きについては、第1次世界大戦終結後の項目に書く。
 秘密結社の幹部であるロスチャイルド家は、シオニズムを後援していた。そして、パレスチナにユダヤ人国家を建設するよう、イギリス政府に働きかけた。それが、後にイスラエルの建国という形で実現することになる。この過程で重要な作用をしたものに、1917年のバルフォア宣言がある。宣言の起草には、結社のメンバーのバルフォアとミルナーが関わった。アングロ・サクソン系とユダヤ系が一体となった大英帝国の中枢部の秘密結社が、イスラエルの建国を進めたのである。

 次回に続く。


ユダヤ62~ウィルソン大統領の分身、ハウス大佐
2017-06-14 08:48:08 | ユダヤ的価値観
●ウィルソン大統領の分身、ハウス大佐
 
 20世紀初頭において、イギリスの支配集団は、大英帝国の覇権を維持し、利益を守ろうとして、世界最大の工業国となったアメリカを管理下に置くために、様々な形で働きかけを行った。その働きかけのうち最も重要なのが、米国独立以来、イギリス所有者集団が課題としてきた米国における中央銀行制度の実現だった。次に重要なのが、外交問題評議会(CFR:Council on Foreign Relations)の設立だった。これらの機関を通じて、イギリスの支配集団は、アメリカを金融的・政治的・外交的に管理するようになった。
 こうした働きかけで重要な役割を担った人物に、エドワード・マンデル・ハウスがいる。ハウスに軍歴はないのだが、大佐(コロネル)と呼ばれた。
 エドワードは、リンカーン暗殺の主犯格だったテキサスの豪商トマス・ウィリアムス・ハウスの息子である。G・エドワード・グリフィンは、著書『マネーを生み出す怪物』で、トマスはアメリカの南部諸州で「ロンドンの匿名の銀行家の在米代理人」として財を成した。「その匿名の銀行家とはロスチャイルドではなかったかと言われている」と書いている。
 イギリス支配集団につながる資産家の息子として生まれたエドワード・マンデル・ハウスは、数年間イギリスで教育を受けた。この時、培った思想や人脈が、後にハウスが英米の支配集団を結んで活動する基盤になったのだろう。私は、ハウスをロスチャイルド家の政治的代理人と見てよいと思う。また、ハウスをユダヤ系とする説があるが、その可能が高いだろうと思う。
 ハウスは欧米の財閥の意思を実現するため活動し、中央銀行制度である連邦準備制度(FRS)の実現や第1次世界大戦へのアメリカの参戦を推進した。米国大統領ウィルソンの側近として、力を振った。大戦後の国際秩序の考案や戦後処理、CFRの設立にも重要な役割を担った。FRSやCFRの重要性に鑑み、アメリカが現代の覇権国家へと成長し得る骨格づくりをした経営者の一人が、ハウスだと私は考えている。
 キグリーは、ハウスはアメリカ円卓会議のメンバーだ、と書いている。欧米各地の円卓会議のネットワークは、ロスチャイルド家、ロックフェラー家、モルガン商会、カーネギーなど、当時の財閥を結びつける役割を果たした。中でもハウスは、ロスチャイルド家の政治的代理人として、英米の円卓会議の連携の要となり、英米の財閥の連携の要ともなっていたと思われる。
 20世紀初頭、アメリカの金融界は、ロスチャイルド、ウォーバーグ、モルガン、ロックフェラーの4大財閥によって支配されていた。彼らは協同で中央銀行の設立を目指した。そして、1913年に連邦準備法が制定され、連邦準備制度が創設された。
 欧米の国際金融資本家たちがアメリカにも中央銀行制度を作ろうと画策していた当時、アメリカ金融界の第一位は、モルガン家だった。モルガン家は、ロスチャイルド家の融資や支援を受けて、のし上がった財閥である。ハウスは、その頭領ジョン・パイヤーポイント・モルガンと親しかった。J・P・モルガン商会は、アメリカにおけるロスチャイルド商会の代理人をしていた。
 ハウスはまたポール・ウォーバーグとも親しかった。ウォーバーグ家は、ドイツの財閥であり、フランクフルトのゲットーにいた時代からロスチャイルド家と縁の深いユダヤ人家族である。
 ポール・ウォーバーグは、1902年にドイツからアメリカに渡り、やはりユダヤ系のクーン・ローブ商会の共同経営者となった。クーン・ローブ商会もまたアメリカにおけるロスチャイルド商会の代理人だった。アメリカ有数の金融資本家となったポールは、中央銀行制度実現のために全米を回った。彼はロスチャイルド家らのヨーロッパの金融資本家たちと、アメリカの新興資本家たちを結ぶ位置にあった。
 ハウスがJ・P・モルガンやポール・ウォーバーグと親しかったということは、彼らの大元にいるロスチャイルド家の意思を体していたから、そうなったということだろう。
 ポール・ウォーバーグが、中央銀行制度の設立のため活動した時、共に活動した政治家が、ネルソン・オールドリッチ上院議員である。オールドリッチは、J・P・モルガン商会のワシントン代表だった。彼の娘は、ジョン・D・ロックフェラー2世と結婚し、次男のネルソン・ロックフェラーや五男のデイヴィッド・ロックフェラーらを生んだ。オールドリッチは、モルガン家とロックフェラー家を結ぶ位置にあった。 
 ウォーバーグとオールドリッチは、1910年、中央銀行制度の創設をめざして、ジョージア州のジキル島で秘密裏に会合を開いた。参加したのは、モルガン、ロックフェラーの代理人たちや財務省高官である。そのうちヨーロッパの銀行制度に詳しいのは、ウォーバーグだけであり、ウォーバーグが制度の素案を提示した。もとになるのは、イングランド銀行やドイツ銀行の例だが、ヨーロッパ各国の中央銀行は、実質的にはロスチャイルド一族の銀行だから、中央銀行制度とはロスチャイルド式の銀行制度をアメリカに導入することを意味する。
 法案はオールドリッチが上院に提出したが、彼のモルガンとのつながりが反感を買い、廃案となった。ロスチャイルドらの金融資本家たちは、国民の批判をかわすため、民主党に政権を取らせ、民主党の議員から提案をさせて、議会を通そうとした。その際、誰を大統領にするかがポイントとなった。白羽の矢が立ったのは、ウッドロー・ウィルソンだった。
 政治学者のウィルソンはプリンストン大学の学長から政界に転じ、ニュージャージー州知事をしていた。彼を大統領候補とし、民主党大会で指名を獲得させたのが、ハウスだった。
 ウィルソンは、1913年に第28代大統領になった。ウィルソンを擁立した金融資本家たちは、彼の側近に自分たちの代理人を送り込んだ。その中の最重要人物がハウスだった。ハウスは、閣僚名簿を作成し、政権の最初の政策を立案し、経済政策・外交政策を実質的に決定するようになった。ウィルソンは、ハウスの指示や指針を頼りにしていると公言した。「ハウス氏は私の第二の人格である。彼はもう一人の私だ。彼の考えは私の考えだ」とまで、ウィルソンは書いている。
 ハウスは、まさにウィルソンの分身だった。そのハウスの最初の大仕事が、連邦準備制度の実現だった。ウィルソンは、ハウスを通じて、連邦準備制度に関する巨大国際金融資本家たちの意向を知った。ハウスは、アメリカ政府の事実上の中心となって、欧米の国際金融資本家を中継し、連邦準備制度の実現を推進した。
 イングランド銀行やドイツ銀行等、ヨーロッパの中央銀行は、民間銀行である。しかし、アメリカでは、国民の抵抗を避けるため、国家機関を思わせるような「連邦(Federal)」という言葉を使うこととし、「連邦準備制度」という名称がひねり出された。
 ウィルソンは、新しい銀行制度について、よく理解できていなかった。「銀行問題に関する限り、ハウス大佐が合衆国大統領であり、関係者は全員それを承知していた」とグリフィンは書いている。『ハウス大佐の真実』の編者チャールズ・シーモア教授は、ハウスが連邦準備銀行法の「陰の守護天使」だったと言う。
 連邦準備銀行法が最終段階に入った時、ハウスは、ホワイトハウスと巨大金融資本家たちの仲介役を務めた。彼の事務所が、かつて1910年にジキル島に集まったグループの司令室になっていた。特にポール・ウォーバーグとは、連絡を絶やさなかった。
 1913年12月22日、クリスマス休暇を前に、議員たちの多くが気もそぞろとなっている時、法案が提出され、下院・上院とも賛成多数で可決した。ウィルソンは、この法案に署名し、連邦準備制度が発足した。
 こうしてハウスは、ウィルソン大統領を動かして、連邦準備制度を発足させることに成功した。ジャクソンが消滅させた中央銀行は、約80年の時を経て、新たな形で復活することになった。欧米の巨大国際金融資本の積年の願いがかなった。金融によってアメリカという国家を支配する体制が出来上がったわけである。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙著「ユダヤ的価値観の超克」は、下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ63~アメリカでも中央銀行が設立
2017-06-16 09:11:39 | ユダヤ的価値観
●アメリカでも中央銀行が設立

 連邦準備制度という名のもとに、中央銀行制度がアメリカでも作られた。アメリカの場合、全国12箇所に存在する連邦準備銀行(Federal Reserve Banks)を統括する組織として、連邦準備制度理事会(FRB:Federal Reserve Board)が置かれている。理事会の議長の任命権は、大統領が持つ。
 連邦準備制度は、設立当初から、その危険性を多くの政治家が何度も指摘した。1922年、セオドア・ルーズベルト元大統領は、ロックフェラー家と国際的銀行家を「陰の政府」と呼んだ。ニューヨーク市長ジョン・ハイランは、この元大統領の発言を受け、彼らが合衆国政府を事実上運営していると公言した。
 1936年、連邦議会の銀行通貨委員会議長を務めたルイス・マクファッデン共和党議員は、下院での議会演説にて、連邦準備銀行は「政府機関ではない。自らの利益と外国の顧客の利益のために、合衆国の国民を食い物にする私的信用独占企業体だ。連邦準備銀行は外国の中央銀行の代理人である」「連邦準備制度理事会が合衆国政府を強奪してしまった」と述べた。外国の中央銀行とは、実態はロスチャイルド家を中心とする巨大国際金融資本にほかならない。
 歴史研究家のピーター・カーショウは、著書『Economic Solutions』で、アメリカ連邦準備銀行の設立当時の10大株主を挙げている。すなわち、ロンドンのロスチャイルド家、ベルリンのロスチャイルド家、パリのラザール・フレール、イタリアのイスラエル・セイフ、ドイツのクーン・ローブ商会、アムステルダムのウォーバーク家、ハンブルクのウォーバーク家、ニューヨークのリーマン・ブラザーズ、同じくゴールドマン・サックス、ロックフェラー家だという。
 10のうち7つまでが西欧の財閥や会社である。アメリカの連邦準備制度は、単にアメリカの金融的中心というだけでなく、国際的な金融の中心となっていることが窺われる。と同時に連邦準備制度が創設された1913年当時の米欧の資本の力関係を反映しているのだろう。またロックフェラー家を除くと、みなユダヤ系である。いわばユダヤ系の巨大国際金融資本に、アメリカ政府が事実上金融面から乗っ取られた状態と見ることができる。また、アメリカに中央銀行制度が出来上がったことは、アングロ・サクソン=ユダヤ連合がアメリカで支配構造を確立したことを意味する。
 ここで中央銀行制度について再度書くと、貨幣所有者としての資本家が、政府に貨幣を貸し付けて利益を得る。その究極の形態が、通貨の発行である。政府が印刷した紙幣を原価で買い取り、それを額面で政府に貸し付ける。しかも利子を取る。こういう仕組みを作れば、恒常的に貨幣は利子を生み続け、資本は自己増殖を続ける。「紙幣の錬金術」と呼ばれる仕組みである。
 アメリカの連邦準備銀行は、民間団体でありながら通貨発行権を握っている。連銀は、その特権によって、連邦政府が印刷した紙幣を原価並みの値段で買い取る。それを政府は連銀から額面どおりの値段で借りる。その結果、利子の支払いが生じる。政府からほぼ原価で引き取った紙幣を、政府に額面どおりに売り、そのうえ利子を取るのだから、利益は莫大となる。 連邦準備銀行は、民間企業でありながら、税金申告は免除され、会計報告も免除されている。連邦準備制度理事会の会計は、監査を受けたことがない。連邦議会の管理が効かない存在となっている。巨大国際金融資本による経済的な政府が、大統領を中心とする連邦政府を、背後から操作しているようなものである。
 連邦準備制度では、アメリカの連邦政府は、連銀から借りる紙幣の利子を支払うことになる。連邦政府はどのようにして、その利子を支払うのか。1913年、連邦準備制度が創設された際、巨額の利子の支払いのため、巨大国際金融資本は、政治家に働きかけ、国民の税金を支払いに当てることを同時に制度化しようとした。その目的で導入されたのが、個人の連邦所得税である。当時、連邦所得税は合衆国憲法に違反するという判決を最高裁が出していた。しかし、それにもかかわらず、連邦所得税が導入された。その徴税を担う役所が国税庁(IRS)であり、連銀と同じ1913年に設立された。以後、連邦所得税は、連銀への利子の支払いに当てられている。
 銀行が政府に貨幣を貸し付ける。その利子を国民が税金で払う。これは、銀行が直接国民に貨幣を貸し付けているのと同じことである。銀行(資本家)が国民(労働者)にお金を貸し付けて利子を取る。ただし、国民は政府に納める所得税が、自分が知らぬ間に借りた借金の返済のために徴収されているとは、わからない。こういう仕組みが連邦準備制度における連邦所得税制度ではないか、と私は考える。
 国民のために使われるべき税金が、FRBへの支払いに費やされている。そんな馬鹿な、と誰もが思うだろうが、FRBと連邦所得税の創始後、1980年代のロナルド・レーガン大統領時代に初めてこの実態が明らかになった。
 レーガンはピーター・グレイスを委員長とする特別委員会を作り、税金の使途を調査した。その結果、個人の連邦所得税は全額、連銀への利子の支払いに当てられていることがわかった。1セントも国民のためには使われていないのである。特別委員会によって調査結果が発表されると、連銀は毎年印刷する紙幣の量、つまり国に貸し出す金額の公表を取りやめた。そのため、どれだけの金額を国が連銀から借り、それにどれだけの利子がつくのか、依然としてわかっていない。
 ちなみに、2006年度(平成18年度)のアメリカ連邦政府の年度会計では、個人の所得税が税収の半分近くを占めている。ところが、その個人所得税の総額、9696億ドル(116兆28億円)もの大金が、国民のためには使われていないという。その後も基本的な構造は変わっていない。
 このことに触れずに、米国の政治や経済、国家を論じている学者や評論家の論説は、資本と国家の関係の肝心要の部分を避けた欺瞞的なものと言わざるを得ない。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「ユダヤ的価値観の超克」は、下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ64~第1次世界大戦と国際連盟の設立
2017-06-18 08:50:54 | ユダヤ的価値観
●第1次世界大戦と国際連盟の設立
 
 19世紀末から資本主義は帝国主義の時代に入った。帝国主義諸国は資源と市場を求めて争い合い、1914年遂に人類史上初の世界大戦の勃発に至った。アメリカ連邦準備制度の実現の翌年だった。
 第1次世界大戦は、英仏対独の戦いを主軸とした。この戦いの帰趨で決定的だったのは、アメリカの参戦である。アメリカは強力な工業力と軍事力を発揮して、英仏をドイツに勝利せしめた。大戦後、戦いで疲弊した西欧諸国は、アメリカの経済力に頼らざるを得なくなった。イギリスの支配集団は、こうしたアメリカを金融的・政治的・外交的にコントロールすることで、英米の連携による覇権の維持を画策した。アングロ・サクソン=ユダヤ連合による覇権の強化と言うことができるだろう。
 グリフィンは、エドワード・マンデル・ハウスについて「第1次世界大戦の際には、アメリカ人の中で誰よりイギリス側に立ってアメリカの参戦に尽力し、それによってモルガン商会の英仏に対する巨額債権を救った」と書いている。
 ウィルソンは平和主義者として知られ、1914年7月の第1次大戦勃発時、「それはわれわれと何ら関係のない戦争であり、その原因もわれわれには関わりがない」と参戦しない方針を打ち出して、国民に支持されていた。そして、アメリカは中立国の立場を利用して交戦国双方と通商を行って大きな利益を上げていた。
 アメリカは、ドイツが無制限潜水艦作戦を行ったことに対して、1917年4月にドイツに宣戦布告した。アメリカは受動的で、やむをえず参戦したかに見える。しかし、実は以前から、ウィルソン政権は参戦を計画していた。16年、ウィルソンが2期目の当選を果たす10ヶ月前、ウィルソンの代理としてハウスが、アメリカが連合国側に味方して参戦する方向で英仏と秘密協定を結ぶ交渉を始めた。ウィルソンはその密約をもとに、参戦の機会をうかがっていたのである。
 グリフィンによると、「ハウスとウィルソンの最も強い絆は世界政府という共通の夢だった。どちらも、アメリカ人はよほどのことがない限り世界政府という考え方を受け入れるはずがないと承知していた。そこで、長期にわたる血なまぐさい戦争が起これば、そして戦争に永久的に終止符を打つためだということなら、国家主権が失われてもやむをえないとアメリカ人は納得するだろう、それしかないと考えた」と書いている。世界政府の実現とは、ロスチャイルド家の目標である。
 ロスチャイルド家のもくろみは、世界政府を実現するために、戦争を利用し、戦争が長引き、諸国民に厭戦気分が高まったところで、世界政府の構想を打ち出すという計画だったと見られる。
 第1次大戦は、誰もの予想に反して長期化した。その間に、ロシアでは1917年10月に共産革命が起こった。ロシア革命の成功は、巨大国際金融資本家が共産主義者を支援しなければ、不可能だった。この点については、後にロシアの項目に書く。
 大戦は消耗の果てに、ようやく18年11月に終結した。ウィルソン米大統領は、講和会議で国際連盟の構想を打ち出した。
 第1次大戦の戦後処理のために、パリ講和会議が行われた。ウィルソンは、ハウスを中心とする代表団を連れて会議に臨んだ。議員は一人もつれず、代表団は彼の取り巻きや銀行家で占められていた。講和会議にはフランスのエドモン・ド・ロスチャイルド男爵が参加し、会議の展開を方向付けようとした。これに対し、ウィルソンは、秘密外交の廃止や軍備縮小、民族自決、国際連盟の設立などを唱えた「14か条の平和原則」を提案した。14か条は、ハウスが中心となって策定した。講和会議の期間、「ハウスは英米両国の円卓会議グループのホストを務めた」とグリフィンは書いている。ハウスは、英仏等の代表に14か条を受け入れさせるために行動した。しかし、英仏はドイツへの報復を主張し、平和原則は実現を阻まれた。講和会議で採用されたのは、国際連盟の設立のみだった。しかもそれは、巨大国際金融資本家たちの思い通りには、いかなかった。
 国際連盟の構想は、ハウスが中心になって立案し、ウィルソンが講和会議で提案した。国際連盟の設立の根本に、恒久平和のために、各国が主権の一部を委譲して世界政府を作るという構想があった。その構想は、ロスチャイルド家等の国際金融資本家が望むものだった。もしウィルソンの構想どおり実現すれば、英米のアングロ・サクソン=ユダヤ連合が中心となって、国際秩序を管理する組織が、ここに誕生したかもしれない。
 しかし、アメリカは、国際連盟に加盟しなかった。アメリカ国民の間では、伝統的なアイソレイショニズム(不干渉主義)が根強かった。議会はウィルソンの提案を退け、ヴェルサイユ条約の批准も、国際連盟の加盟も否決した。このため、国際連盟構想は失敗した。当時、アメリカは、世界随一の存在になっていた。アメリカを欠く国際組織は、基盤が脆弱だった。
 世界政府の構想は、遅くとも1910年代に英米の支配集団に芽生えた。起源をどこまでさかのぼり得るかわからないが、共産主義の思想は、理論的にプロレタリア独裁による世界政府の樹立が導き出される。それに対抗するには、ブルジョワジーによる世界政府の樹立が構想される。むしろ、共産主義の統制主義国家群を取り込む形で、この資本主義世界政府が企画されたのだろう。企画実現を主導するのは、英米である。その構想の第一歩となったのが、国際連盟と考えられる。しかし、国際連盟はアメリカの不加盟によってつまずいた。そこで、英米主導で世界政府を目指す新たな動きが続けられることになった。

 次回に続く。


ユダヤ65~ハウスを補佐したリップマンとバーネイズ
2017-06-21 09:20:50 | ユダヤ的価値観
●ハウスを補佐したリップマンとバーネイズ

 次に、1910年代からハウスを補佐した二人のユダヤ人について述べたい。ウォルター・リップマンとエドワード・バーネイズである。
 リップマンは、ドイツからのユダヤ人移民の3世として、ニューヨークに生まれた。ハウスが主要メンバーであるアメリカ円卓会議のメンバーだった。ウィルソン政権では、アメリカの世論を対ドイツ参戦へ誘導する宣伝工作を行う広報委員会で活躍した。また、大統領のアドヴァイザーを務めた。第1次大戦中は情報将校として渡仏し、対ドイツ軍に対する宣伝ビラの作成などをした。またハウスのもとで「14か条の平和原則」の原案作成に携わり、国際連盟構想の立案を助力した。ハウスはヴェルサイユ講和会議にリップマンを補佐役の一人として連れて行った。戦争省の次官補だったリップマンは、政府代表団の一員として参加した。
 リップマンは、戦後間もない1922年に『世論』(Public Opinion)を刊行した。本書は、世論工作の理論書である。また1925年に『幻の公衆』(The Phantom Public)を発刊した。同書には、「大衆に対して自らが民主的権力を行使しているとの幻想を抱かせなければならない。この幻想は、支配される側の大衆の同意を創り出すことによって形成されなければならない」と書いた。第2次大戦後、ジャーナリストにとって権威のあるピューリッツアー賞を二度も受賞している。諜報活動とジャーナリズムと世論工作の関係を体現した人物である。
 ウィルソン政権で、リップマンとともに世論を誘導する宣伝工作を行う広報委員会で活躍し、大統領のアドヴァイザーも務めたのが、エドガー・バーネイズである。
 バーネイズは、精神分析医ジークムント・フロイトの甥である。群衆心理学に着目し、これを応用して大衆広報の基礎を築いた。広報活動とプロパガンダの専門家であり、「広報の父」として知られる。1928年に『プロパガンダ』を刊行した。マスメディアによる世論形成の手法を記したものである。本書には、次のように書かれている。「一般大衆が、どのような習慣を持ち、どのような意見を持つべきかといった事例を、相手にそれと意識されずに知的にコントロールすることは、民主主義を前提とする社会において非常に重要である。この仕組みを大衆の目に見えない形でコントロールすることができる人々こそが、現在のアメリカで目に見えない統治機構を構成し、アメリカの真の支配者として君臨している」と。
 バーネイズは、フロイト派の心理学理論をアメリカに持ち込んで普及させた功労者でもあり、第2次大戦後、アメリカに起こった精神分析ブームの火付け役となった。

●ヨーロッパ統合運動の始まり
 
 ここでヨーロッパ統合運動について書いておきたい。第1次世界大戦後、国際連盟が設立されたのとは別に、西欧でヨーロッパ統合運動が起こった。大戦の悲劇は、平和への願いを切実なものとした。
 欧州統合論は、大戦後、オーストリア・ハプスブルグ家のクーデンホーフ=カレルギー伯爵が提唱したのが、初めと言われる。近代の戦争は、巨大な工業力を必要とする。だからもし資源を共通の権威の下に置くことができれば、大国同士の戦争を避けることが出来る、とクーデンホーフ=カレルギーは考えた。ドイツの石炭とフランスの鉄鋼が、両国にまたがる権威の管理下にあるなら、独仏の戦争の回避が期待できると主張した。単なる理想を説くのではなく、国際関係に係る具体策を提示したところに実現の可能性があった。
 クーデンホーフ=カレルギーは『回想録』の中で、彼の汎ヨーロッパ同盟は、ルイス・ド・ロスチャイルド男爵すなわちウィーンのロスチャイルド商会の当主とマックス・ウォーバーグから資金援助を受けたと述べている。マックス・ウォーバーグは、全生涯にわたって汎ヨーロッパ同盟に真剣に関心を持ち続けたという。またマックスの紹介でアメリカを訪ねたクーデンホーフ=カレルギーは、その弟のポール・ウォーバーグとバーナード・バルークからも資金を提供されたと述べている。ユダヤ人の大富豪が、ヨーロッパ統合運動に資金を出したのである。
 アメリカには、汎ヨーロッパ同盟のアメリカ支部が設立された。中心となって設立を進めたのは、ハウスとハーバート・フーヴァーだった。彼らは、また国際連盟への加盟の批准を促すため合衆国を遊説した。ヨーロッパの統合を進めるとともに、国際連盟にアメリカが加盟するようにすることは、連携した動きだった。その動きを国際金融資本は、資金的に支援したのである。
 ハウスが支え、操ったウィルソンは1921年、2期8年の大統領職を勤め上げて離職した。それとともにハウスも政権を離れたが、ハウスは、その後も政界に隠然たる影響力を振るった。フーヴァーは、政界に入る前から、ハウスに協力していた。そして、共和党から選挙に出て大統領となった。
 欧州統合運動は、ナチスの台頭によって破綻する。だが、第2次世界大戦後、EUという形に結実することになった。

 次回に続く。


ユダヤ66~RIIAとCFRの設立
2017-06-24 08:13:44 | ユダヤ的価値観
●RIIAとCFRの設立
 
 ヴェルサイユ講和会議に参加した英米の円卓会議のメンバーらは、会議の結果に失望した。そこで「国際問題の科学的研究を促す」ため、イギリスとアメリカに支部を持つ組織を創設することで合意した。その合意のもとに、1920年ロンドンに創られたのが王立国際問題研究所(RIIA:The Royal Institute of International Affairs、チャタム・ハウス)であり、21年ニューヨークに創られたのが外交評議会(CFR:Council on Foreign Relations)である。これらの機関は、第1次世界大戦終結時に世界の指導者が国際連盟を真の世界政府にしようとして失敗したために生まれた組織だったと考えられる。
 第1次世界大戦の終結時、円卓会議は、組織を大々的に拡大する必要を生じた。その仕事は、アルフレッド・ミルナーの指導を受けた「ミルナー幼稚園」と呼ばれるグループのリーダー格だったライオネル・カーティスに委ねられた。そのカーティスが中心となって作られたのが、RIIAである。所在地にちなんで、チャタム・ハウスともいう。諸大陸に植民地を所有する大英帝国における国際問題の調査・研究機関である。設立当時の目的は、イギリスの覇権を維持・拡大することにあった。1923年以降、歴代の首相と植民地総督が名誉所長を務め、理事長は王族の一員であるケント公である。また、イギリス女王が後援会総裁の座にある。
 RIIAは前線組織であり、その中核は、各地に隠れて存在する円卓会議グループだった。一方、CFRは、RIIAのニューヨーク支部として、1921年にエドワード・マンデル・ハウスが中心となって設立された。そして、円卓会議の指揮のもとに、RIIAとCFRは、英米の外交を動かす表向きの組織として活動していった。
 CFRは、外交問題・世界情勢を分析・研究する非営利の会員制組織である。同会の公式見解によると、その目的は「アメリカの政治、経済、金融問題の国際的局面に関して継続的に協議を行うこと」にあるという。しかし、元はイギリスがアメリカを管理下に置き、一大帝国連邦を築くことに目的があった。
 CFRの初代会長には、元国務長官エリフ・ルートが就いた。ルートは、モルガン商会とクーン・ローブ商会の弁護士をしていた。モルガン家の実態はロスチャイルド家の代理人であり、クーン・ローブ商会もロスチャイルド家との関係が深いから、ルートはロスチャイルド=モルガン・グループの一員と考えられる。
 ただし、CFRは、RIIAの完全な支部ではなく、一定の自立性を持った組織としてスタートした。設立時点では、イギリス円卓会議・ロスチャイルド家の意向が強かっただろうが、段々アメリカ側の主体的な傾向が強くなっていったと考えられる。設立後、CFRは、アメリカの政治、特に外交政策の決定に対し、著しい影響力を振るってきた。現在もCFRは、会員を合衆国市民と永住権獲得者に限っている。外交問題に関し、全米最大のシンクタンクであり続けている。
 CFRは超党派の組織であり、共和党・民主党の違いに関わらず、歴代大統領の多くがその会員である。第31代ハーバート・フーヴァーに始まり第45代ドナルド・トランプまでの15人中で9人がそうである。60%に上る。また、CFRは、アメリカ政府の最重要ポストに多数の会員を送り込んできた。この組織に所属するエリートたちが、アメリカの支配集団の主要部分をなすと考えられる。その中には、多くのユダヤ人がいる。
 アメリカ合衆国は、伝統的にWASP(ワスプ)すなわちホワイト=アングロ・サクソン=プロテスタントが社会の主流を成してきた。上流階層の社交クラブでは、ユダヤ系アメリカ人の入会が認められない時代が続いた。しかし、CFRは、早くからユダヤ人にも門戸を開いてきた。CFRは、設立当時のメンバーにユダヤ人を含んでいた。ジェイコブ・シフ、ポール・ウォーバーグのほか、実業家のバーナード・バルーク、『世論』で有名になるウォルター・リップマン等がいた。設立の中心となったハウスはユダヤ社会の一員か、それに非常に近い人間だったと思われる。
 CFRは、WASPが支配する社会で、ユダヤ人が地位を築き、活躍していくのに、格好の場となった。それを可能にしたのは、ロスチャイルド家等のユダヤ人国際金融資本家たちの資金力だろう。
 私は、CFR隆盛の一要因は、アングロ・サクソン系とユダヤ系の人脈的・文化的・経済的結合にあると思われる。CFRの由来はイギリスの円卓会議にあり、円卓会議にはイギリス貴族とともに、その一員としてユダヤ人ロスチャイルド家の者が列席した。そうした円卓会議が前線組織の支部を開いたのがCFRだとすれば、CFRがアングロ・サクソン=ユダヤ連合をアメリカに拡大する機関としても機能してきたのは、当然だろうと私は理解している。
 CFRメンバーの中で今日のアメリカの外交政策に最も強い影響を与えているのが、ユダヤ人のヘンリー・キッシンジャーとユダヤ系と言われるズビグニュー・ブレジンスキーである。彼らについては、後にあらためて書く。

 次回に続く。


ユダヤ67~ウォール街でのユダヤ人の活躍
2017-06-26 10:04:13 | ユダヤ的価値観
●ウォール街でのユダヤ人の活躍
 
 1913年から21年にわたるウィルソン大統領の政権のもとで、アメリカの社会に大きな変化が起こった。それまでのWASP支配の体制に、ユダヤ人が参入したのである。ロスチャイルド家とそれに連携するユダヤ人金融資本家らによって中央銀行(連邦準備制度)が設立され、アメリカが第1次世界大戦に参戦したことでユダヤ系軍需産業が発展し、大戦後はユダヤ人の入会を認める外交問題評議会が開設されるなどして、ユダヤ人が米国の政治・経済に深く参入するようになっていった。
 第1次大戦後、国際金融の中心は、ロンドンのシティからニューヨークのウォール街に移った。近代世界システムの中心都市となったニューヨークは、1920年には人口800万人を超える世界最大の都市となった。ウォール街では、全盛期のアムステルダムやロンドンの金融街がそうだったように、ユダヤ人が多く活躍するようになった。その中には、1830年代にドイツから移民したマーカス・ゴールドマンが創設したゴールドマン・サックス社に集うユダヤ人たちがいた。また同じ時期にドイツから移民したエイブラハム・クーンとソロモン・ローブが創設したクーン・ローブ商会に集うユダヤ人もいた。ドイツのユダヤ人銀行家ウォーバーグ家のポールとフェリックスの兄弟は、1902年にアメリカに渡り、クーン・ローブ商会の共同経営者となって、ウォール街で活躍した。こうしたユダヤ人は、婚姻関係を通じて強固な人脈を築いていった。ポールはソロモン・ローブの娘と、フェリックスはジェイコブ・シフの娘と結婚した。ポールの娘はフランクリン・D・ルーズベルトの息子と結婚した。
 ウォール街のユダヤ人の多くが、同じくユダヤ人であるロスチャイルド家の代理人をしたり、支援を受けたりしていた。アメリカにおけるユダヤ人投資家の活躍は、ヨーロッパのロスチャイルド家がアメリカの支配集団に影響力を増していくことにもなっていた。国家としての英米の連携の背後には、国境を越えた英米資本の連携があり、その連携の一部はユダヤ人の連携による。そして、ユダヤ的な価値観を身に付けた非ユダヤ人が、ユダヤ人資本家と競争または協調しながら世界経済システムを牽引していく体制が、第1次大戦後に欧米で完成したのである。

●FDR政権でのユダヤ人の躍進
 
 第1次世界大戦後、アメリカ合衆国では好景気が続き、投機熱が高まった。その狂乱の果てに、1929年アメリカ発の世界恐慌が起こった。1920年代までウォール街ではWASP支配が強固だったが、大恐慌によって、WASPの投資家の一部が没落し、ユダヤ人の投資家が躍進した。大恐慌による混迷を打開するために大胆な政策を提案したフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)が、現職大統領のフーヴァーを破って、1933年に大統領に就任した。FDR政権では、大統領の周囲に多くのユダヤ人が集まり、米国の政治を直接動かしていくほどになった。WASPは伝統的に生産部門を支配していたが、1930年代にはユダヤ人がWASPに対抗して消費産業や百貨店・通信販売・新聞・ラジオ・映画等で事業を発展させた。ユダヤ人の新興事業家たちはニューディール政策を支持する財界の支柱の一つになった。ウィルソン政権の時代から支配集団に参入して存在感を高めていたユダヤ人は、FDR政権の時代以降、さらに勢力を強め、WASPとほぼ拮抗するほどになった。
 ところで、ルーズベルト家の先祖は、オランダからニューヨークに移住したユダヤ人で、プロテスタントだった。FDR自身は通婚によって4分の3がWASP、4分の1がユダヤだったと見られる。FDRは、全米のユダヤ系市民から「モーゼの再来」と仰がれた。大統領になると、表面にFDR、裏面にダビデの星が刻まれているメダルが大々的に売りに出された。ユダヤ人が民主党と結びつき、強固な同盟関係を築いたのは、FDR政権の時代だった。1936、40、44年の大統領選ではユダヤ票の約9割がFDRに投じられた。
 FDRは、同じ民主党のウィルソン政権の政策を踏襲した。それはハウスが中心となって立案した政策である。ハウスは、FDR政権でも大統領に助言し、閣僚・高官にCFRの会員を任命するように働きかけるなどして、影響力を及ぼした。
 ルーズベルトは、ニューディール政策を強力に推進した。ニューディール政策は、それまでの政府は市場に介入せず、経済政策は最低限なものにとどめる自由主義的な経済政策から、政府が積極的に経済に関与する修正自由主義的な経済政策へと転換したものだった。このニューディ―ルという標語は、大統領特別顧問のサミュエル・ローゼンマンが作り出した。ニューディール諸立法の立案では、大統領補佐官のベンジャミン・コーエンが中心となった。ともにユダヤ人である。
 ルーズベルトが任命した高位の公職者は、15%強がユダヤ人で占められた。FDRは、閣僚に複数のユダヤ人を起用した。財務長官のヘンリー・モーゲンソーは、ドイツ系ユダヤ人で、戦後処理をめぐって対独強硬案を出した最もユダヤ的なユダヤ人だった。米国初の女性閣僚として労働長官となったフランシス・パーキンスは、ロシア系ユダヤ人だった。ルーズベルト政権の12年間一貫してその職を務めたほど、大統領の信任が篤かった。
 モーゲンソーの右腕だった財務省高官のハリー・デクスター・ホワイトは、両親がユダヤ人だった。ハル・ノートを起草し、日本を対米戦に引き込んだ。戦後はブレトン・ウッズ体制を実現させ、IMFの理事長となった。
 ルーズベルトは、私的なブレーン・トラストと呼ばれる頭脳集団を持っていた。多くは、政界・財界・学界・法曹界で活躍するユダヤ人だった。ブレーン・トラストには、マルクス主義者が多くいた。その代表格がフェリックス・フランクフルターで、ハーバード大学の左翼教授だったが、FDRによって最高裁判事に任命された。レックス・ジー・ダッグウエルは、コロンビア大学教授でマルクス主義経済学者だった。ガイ・ダグウェルもコロンビア大学教授で米国でもロシア革命のような革命が可能という意見を持っていた。大戦後、GHQの職員として日本国憲法を起草したチャールズ・ケーディスは、FDRの若手法律ブレーンの一人だった。ケーディスは、フランクフルターの弟子であり、またドイツの法学者でラビの息子だったゲオルグ・イェリネックの弟子でもあった。
 FDRを取り巻くユダヤ人の中で、最大の大物は、大富豪バーナード・バルークである。バルークは、戦争を通じて巨額の利益を得る「死の商人」だった。FDRの顧問として、第2次大戦で米国の軍需生産全般に強い影響力を及ぼした。バルークについては、後に原爆の開発・製造に関する項目に詳しく書く。

 次回に続く。


ユダヤ68~日露戦争とユダヤ人
2017-06-28 09:34:35 | ユダヤ的価値観
●日露戦争とユダヤ人

 英米に続いて、次に20世紀前半のロシアについて書く。20世紀の初頭、ロシアが当事者となった世界史的な事件が起こった。日露戦争である。新興国の日本と欧米列強の一角であるロシアが激突したのである。その結果、アジアで初めて近代化を成し遂げたわが国が、ロシアを打ち破った。これは15世紀末以降、白人種が有色人種を支配してきた歴史を止め、さらに逆転させる動きの始まりとなった。
 日本は、幕末に欧米列強の圧力によって開国を余儀なくされ、白人種の植民地支配を避けるため、明治維新を成し遂げて、幕藩体制を廃止し、中央集権国家を建設した。その後、急速に近代化の道を歩み、資本主義的な重工業化を進めた。そうした日本が参入したのが、帝国主義諸国がしのぎを削る争闘の世界だった。
 当時、東アジアでは、ロシアが朝鮮半島に触手を伸ばしていた。朝鮮半島は、日本にとって、死活にかかわる地域だった。1904年(明治37年)2月、その帰属をめぐって日本とロシアが激突した。世界各国の予想を覆して、奇跡的に日本が勝った。
 日露戦争での日本の勝利の要因はいろいろあるが、ここで強調したいのは、戦争継続のための資金に不足するわが国にとって、ユダヤ人資本家の協力を得たことが大きかったことである。
 日本銀行総裁の高橋是清は、政府の特命を受けて戦争資金の調達のためにロンドンに行った。そこで、アメリカのユダヤ人資本家であるクーン・ローブ商会のジェイコブ・シフから、外債の大量購入の申し出を受けた。2億ドルという巨額の融資だった。戦費全体の4分の1弱に上った。シフは、ユダヤ教改革派の信者で、在米ユダヤ人社会のリーダーの一人だった。クーン・ローブ商会は今日のゴールドマン・サックス社に匹敵する金融業界の大手だった。シフの背後には、ロスチャイルド家がいた。クーン・ローブ商会は、アメリカにおけるロスチャイルド商会の代理人だったからである。世界に張り巡らされた彼らの情報網は、日本政府及び高橋の資金調達の動きを明確に把握していたのだろう。
 日本は、シフのおかげで大量の国債を売ることができ、その金でイギリスから戦艦を購入した。日本の最新鋭戦艦6隻はすべてイギリスからの輸入だった。イギリスは当時、世界一の造船王国で、戦艦三笠は1200万円で購入した。今日の金額で約300億円と推算される。その三笠が旗艦となり、東郷平八郎の指揮によって、ロシアのバルチック艦隊を撃破した。
終戦の翌年、わが国はシフ夫妻を国賓待遇で日本に招き、皇居の午餐会で明治天皇が勲二等を授けた。
 シフやその背後にいるロスチャイルド家が日本を支援したのは、ユダヤ人としての目的があった。帝政ロシアでは、ユダヤ人が激しい迫害を受けていた。欧米のユダヤ人資本家たちは、ロシアと戦う日本を支援してロマノフ朝に打撃を与えようと考えたのである。
 当時、日本はイギリスと同盟を結んでいた。世界最強の大英帝国が、アジアの新興国と同盟を結ぶというのは、画期的なことだった。日本は日露戦争において、同盟国のイギリスの支援を受けた。その支援がなければ、日本一国の実力だけで、大国ロシアを打ち負かすことはできなかった。また、日英同盟時代のイギリスの政策は、ロスチャイルド家の意向と切り離せない。イギリス王室とロスチャイルド家の利害は、ほぼ一致していた。日露戦争は、そうしたイギリスとの同盟を支えとして展開され、わが国は元寇以来の存亡の危機に勝利したのである。その背後には、ユダヤ人資本家の意思が働いていた。
 日本に敗れたロシアでは、ロマノフ朝の衰退が進んでいった。国内は混乱の度を増し、1917年の10月革命に結果することになる。一方、わが国の指導層は、シフの支援を通じて、欧米のユダヤ人資本家の実力の大きさを理解した。日本政府は、1930年代末にナチス・ドイツと関係を深めていった時期にも、オトポール事件ではナチスの意思に逆らってユダヤ人難民を救援した。そこには、シフへの恩義を忘れなかったということだけでなく、英米を中心とするユダヤ人社会を敵にしないという政治的・経済的な判断があったと思われる。だが、わが国は、指導層がアドルフ・ヒトラーに幻惑され、戦略的な判断力を失って、独と同盟を結んで英米を敵にする最悪の政策を選択してしまった。

 次回に続く。


ユダヤ69~幕末・維新期のわが国とユダヤ人資本家との関係
2017-06-30 09:38:54 | ユダヤ的価値観
●幕末・維新期のわが国とユダヤ人資本家との関係

 ところで、わが国とユダヤ人金融資本家との関係は、日露戦争の時に突然生じたものではない。そのことを振り返っておこう。
 ロスチャイルド家は、イギリスやフランス等のアジア進出とともに、インド・シナ・東南アジアへと業務を広げた。その系列の銀行・商社が貿易・金融等を行った。19世紀後半、欧米列強は極東の日本にも触手を伸ばし、幕藩体制下で鎖国政策を取るわが国にも進出しようとした。
 この時、活発に活動したイギリスの貿易商社が、ジャーディン=マセソン商会である。同社は、1832年にシナのマカオで設立された。共同出資者は、ともにスコットランド出身のユダヤ人であるウィリアム・ジャーディンとジェームズ・マセソンだった。同社は、茶や生糸の買い付け、アヘンの密貿易などに従事し、イギリス・インド・シナを結ぶ三角貿易で大きな利益を得た。先に触れたサッスーン財閥とはライバル関係にあった。
 1834年に東インド会社のシナ貿易独占権が廃止されると、同社は民間の商社として急速に活動範囲を広げた。船舶を所有して運輸業を行い、建設や銀行業にも進出した。日本が開国に向かうと、1859年(安政6年)に横浜に支店を設立した。日本に進出した外資第1号だった。この年、トーマス・ブレーク・グラバーが、同社の長崎代理店として、グラバー商会を設立した。
 グラバーは、土佐の坂本龍馬、岩崎弥太郎、薩摩の五代友厚等の若者を積極的に支援した。龍馬は、グラバーを通じて、ジャーディン=マセソン商会から討幕派の薩摩藩や長州藩が銃や軍艦等を購入することに協力した。同時に、幕府にもアームストロング砲などの武器を提供して利益を上げた。龍馬の亀山社中は、後に海援隊に改称された。五代は商都大阪の発展に貢献した。岩崎は政商として活躍し、一代で三菱財閥を築いた。
 1863年(文久3年)に、長州藩は、井上聞多(馨)、伊藤博文ら長州五傑をロンドンに留学させた。グラバーが仲介し、ジャーディン=マセソン商会が渡航の船を提供した。英国滞在中は、ジェームズの甥で同商会のロンドン社長であるヒュー・マセソンが世話した。
 イギリス人がこれほど日本人を厚遇したのは、日本人の中にイギリスに忠誠を誓う者を作り出し、彼らを使って日本を支配しようとする企図があったと思われる。
 幕末の日本は、黒船で来航したアメリカのペリー提督に開国を迫られ、1854年(嘉永7年)に日米和親条約を結んだ。それが開国の第一歩となり、以後、ロシア・オランダ等とも和親条約を結んだ。植民政策に巧みなイギリスは薩摩藩や長州藩に武器・機械等を売った。フランスは幕府に武器・機械等を売った。国内を分裂させて有色人種同士を戦わせ、その隙を突いて、支配力を及ぼそうとするのは、欧米白人種の常套手段である。その先兵となっていたのが、ユダヤ人である。欧米列強は、それぞれの国益を追求して行動するが、ロスチャイルド家等のユダヤ人資本家は国家の枠組みを超えてつながっている。貿易であれ、戦争であれ、融資であれ、すべてもうけを得る手段となる。こちらが普通の商売のつもりで深入りすると、侵入を許すことになる。
 だが、幕末の日本人は、アヘン戦争に敗れたシナが欧米列強の半植民地にされたのを見て、白人種の支配下に置かれることのないよう強い危機感と熱い民族意識を持って対応した。長州には吉田松陰、薩摩には西郷隆盛という偉大な人物がいた。坂本龍馬は、藩の枠を超え出て、日本という国のために行動した。松陰の弟子である桂小五郎(木戸孝允)と西郷隆盛の間に立ち、両藩の遺恨を超えて薩長同盟を実現させた。これによって、討幕勢力の結集ができた。龍馬は、朝廷に政権を返上する大政奉還を推進した。志半ばで暗殺されたが、大調和の日本精神を発揮して、民族存亡の危機を乗り越えるべく、天皇を中心とした国家の建設に献身した。
 1867年(慶応3年)、王政復古の大号令が発せられ、明治維新が開始された。翌年討幕軍の西郷隆盛は、幕府方の勝海舟と話し合い、江戸無血開城を成し遂げた。日本民族の内部で相争って、江戸が戦火の海になると、白人種の支配を許してしまう。それを避けるための合意だった。ここにも大調和の日本精神が現れている。
 明治政府による近代国家建設は、欧米金融資本の資金力・技術力・情報力等を利用して進めたものである。明治政府と最初に関係を深めたのは、やはりロスチャイルド家だった。当時、欧米の銀行・商社・製造者等は、ロスチャイルド系かまたはそれに連なものが圧倒的に多かった。独立後の日本をロスチャイルド家等の欧米資本は、武器・機械等の先端技術による商品を売ることで支配下に置こうとした。維新の元勲はその策に飲まれないようにしながら、欧米の文物を購入することで、文明開化・富国強兵・殖産興業を成し遂げた。
 政府は、江戸時代から続く商家・三井家を重用した。長州藩出身の内務卿、井上馨がロスチャイルド家と三井家を結びつける窓口を担った。井上は三井の番頭といわれた。だが、井上には実務能力がなく、彼に代わって実務を取り仕切ったのが、大蔵省時代の渋沢栄一だった。
 渋沢は、1867年パリ万博の時にフランスに渡り、フリュリ・エラールから銀行業、近代の金融業を学んでいた。エラールは、フランス・ロスチャイルド家の総帥、アルフォンス・ド・ロスチャイルド伯爵に仕える銀行家だった。渋沢は、そこで得た知識と人脈を使って、野に下ると、日本初の国立銀行を作り、約500の企業の創設に関わった。それによって「日本資本主義の父」と呼ばれる。渋沢の偉業は彼の個人的な実力だけではなく、背後にロスチャイルド家の支援があったからと考えられる。
 三菱の岩崎弥太郎は、西南戦争をきっかけに、アメリカのロックフェラー家と手を組んだ。こうして、わが国ではロスチャイルド=三井系とロックフェラー=三菱系という二大財閥グループが対抗する構図が生まれた。
 日本は、帝国議会の開設、憲法の制定、産業の重工業化を進めた。こうしてアジア初の近代国家として国際社会に参入した日本に、最初に立ちふさがったのが、シナの清国だった。わが国は、1894年(明治27年)の日清戦争で清国を破り、朝鮮半島における権益を獲得し、また台湾の割譲を受けた。
 こうして欧米資本の資金力・技術力・情報力を利用しながら成長を続ける日本にとって、どうしても矛を交えねばならない相手があった。ロシアである。日本は、開国からわずか半世紀の後には、大国ロシアを撃破するほどの国力を蓄えていたのである。

 次回に続く。


ユダヤ70~ロシア皇帝と巨大国際金融資本家の戦い
2017-07-02 08:49:59 | ユダヤ的価値観
●ロシア皇帝と巨大国際金融資本家の戦い

 ロシアに話を戻すと、巨大国際金融資本家がロシアに関心を向けたのは、日露戦争が初めてだったのではない。そのことを知っておかないと、ロシア革命に巨大国際金融資本家が深く関与したことの意味がわからなくなる。
 話は、ナポレオン戦争の時代にさかのぼる。ロシア遠征に失敗したナポレオンに、対仏連合軍が挑み、パリが陥落し、ナポレオンは退位し、エルバ島に流された。戦勝各国は戦後秩序作りのため、1814年にウィーン会議を開催した。この時、ロシア皇帝アレクサンドル1世は、キリスト教国の団結による「神聖同盟」を提唱した。これは、ユダヤ教徒を敵視するものだったので、ロスチャイルド家らのユダヤ人国際金融資本家は嫌悪感を抱いた。
 西欧諸国に次々に中央銀行を設立したロスチャイルド家は、ロシアにも中央銀行を設立することをアレクサンドル1世に提案をした。だが、皇帝はこの提案を受け入れなかった。その後、皇帝は1825年に不審死した。
 アレクサンドル1世の後はニコライ1世、その後はニコライの子のアレクサンドル2世が継いだ。アレクサンドル2世の治世の時に、アメリカで南北戦争が起こった。南北戦争で、ロスチャイルド家はリンカーンに資金提供を申し出たが、リンカーンに断られた。リンカーンは法定通貨を発行し、北軍を勝利に導いた。この過程で、アレクサンドル2世は、イギリスとフランスが南軍を支援するならば、北軍側について参戦すると警告を発した。これは、英仏へのけん制、北軍への強力な援護となった。ロスチャイルド家らの巨大金融資本家側としては、アレクサンドル2世にアメリカの分断支配を邪魔された格好である。リンカーンは民間の中央銀行設立には応じなかった。アレクサンドル2世もリンカーンと同様、民間の中央銀行の設立を拒否し、自ら国立の中央銀行を設立した。これによって、ロシアはユダヤ人金融資本家の金融支配に組み込まれない独自の道を進んだ。ロスチャイルド家らは、こうしたロシアの政治体制をひっくり返し、ロシアに進出することを図っていたのである。

●『シオン賢者の議定書』とイルミナティ伝説
 
 19世紀末のロシアでは、激しくユダヤ人への迫害が行われていた。そのユダヤ人迫害に大きな影響を与えた文書に、『シオン賢者の議定書』がある。1890年代の終わりから1900年代の初めにかけて発行されたもので、皇帝ニコライ2世の秘密警察が作成した偽書である。1897年にスイスのバーゼルで開かれた第1回シオニスト会議の席上で発表された「シオン二十四人の長老」による決議文であるという体裁をとり、ユダヤ人が世界を支配しようとする陰謀が書かれているとした。種本とされたのは、「ナポレオン3世が世界制覇の野望を抱いている」と記された1864年のモーリス・ジョリによるパンフレットだった。民主主義を利用することで世界支配の目的は近いうちに達成されると語るナポレオン3世が、シオンの議定書では「ユダヤ人指導者たちの秘密会議」に置き換えられた。秘密警察は、この文書をさまざまな部署に送り込んで、ユダヤ人への迫害を行った。
 ロシア革命後、ドイツへ亡命したロシアの貴族たちは、報復のため、議定書を使って反ボルシェヴィキ・反ユダヤ主義の宣伝活動を行った。共産主義の指導者に多数のユダヤ人がいた事実が、ユダヤ人と共産主義を同一視することに使われた。議定書は「秘密権力の世界征服計画書」という触れ込みで広まり、ナチスにも影響を与えた。
 『シオン賢者の議定書』を、イルミナティと結び付ける説がある。イルミナティとは、1776年、ドイツのインゴルシュタット大学の教会法の教授アダム・ヴァイスハウプトによって設立された秘密結社である。啓明社・光明会等と訳される。
 1784年、バイエルン政府は、過激な思想を掲げるイルミナティを禁止した。海外に逃れたヴァイスハウプトは、その後、会員をフリーメイソンの支部に潜入させ、メイソンの内部に秘密組織を作ったともいわれるが、その消息は定かでない。イルミナティがアメリカ独立戦争、フランス革命、ロシア革命等に暗躍したという説もあるが、これらをイルミナティの陰謀として描くのは、幻想文学の類だと私は思う。
 ところが、20世紀に入ってイルミナティは、あらゆる陰謀団体の源流と説かれるようになった。『シオン賢者の議定書』とイルミナティが結び付けられ、ユダヤ民族の陰謀という観点から、イルミナティとフリーメイソンとユダヤを一体のものとする陰謀論が流行している。陰謀論は諸説紛々であり、そのため、富と力を実態とした世界の権力構造がカムフラージュされてしまっていると思う。
 私が思うに、キリスト教思想には、キリスト教と異なるものを悪魔的なものとみなす傾向がある。イルミナティ伝説も、イルミナティは神に敵対する悪魔、堕天使ルシファーを信奉する団体とされ、邪悪なイメージが投影されている。そこに見られるのは、神と悪魔の二元論、対立・闘争の論理である。その原型は、ユダヤ教の世界観である。日本人でイルミナティ陰謀論を説く人については、私はユダヤ=キリスト教の磁場によって、思考回路が歪められていると感じる。

 次回に続く。


ユダヤ71~ロシア革命にユダヤ人多数が参加
2017-07-05 10:28:20 | ユダヤ的価値観
●ロシア革命にユダヤ人多数が参加
 
 第1次世界大戦の末期、1917年10月、ロシアで共産主義革命が起った。
 マルクスの予想に反して、最初の共産主義革命は、西欧先進国ではなく後進的なロシアで起こった。
 マルクスは、資本主義が発達することによって、労働者が絶対的に窮乏化するという説を説いた。しかし、実際は、近代世界システムの中核部にあるイギリスでは、周辺部からの収奪に基づいて資本主義が発達し、労働者大衆の所得が増加し、生活水準が向上した。マルクス=エンゲルスは、この傾向を追認するようになった。絶対的窮乏化説は、間違っていたわけである。富の増大とともにイギリスでは、資本主義の矛盾を是正しようとする政策が行われた。市場にすべての決定を任せる自由主義を修正した修正自由主義や、キリスト教的な慈善運動に基づく社会改良主義の政策である。そうした政策によって、イギリスの労働者大衆の生活は豊かになり、政治的社会的な権利も拡大した。
 こうして共産主義による革命より、漸進的な社会改良という方法が、西欧の資本主義諸国では主流となっていった。資本主義の矛盾は、闘争と革命という急進的な方法ではなく、融和と改良という漸進的な方法によっても改善することが可能である。そして、歴史が示しているのは、急進的な方法は、かえって矛盾を拡大し、目的と結果に巨大な乖離を生み出すということである。
 マルクスは、周期的に訪れる恐慌とそれによる革命という展開を予想した。恐慌はほぼ10年に1度発生していたが、19世紀末期には周期性を失った。また実際に革命が起こったのは、マルクスが理論的に予想した先進国ではなく、後進国のロシアだった。革命のきっかけは恐慌ではなく、戦争とその結果の敗戦だった。
 1917年2月、食糧暴動が起こり、窮状に耐えかねた労働者が首都ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)でゼネストを敢行した。兵士たちもこのゼネストを支持した。国会では、中道派の立憲民主党を中心とした臨時政府が樹立され、事態を収拾できなくなったニコライ2世は退位した。この2月革命により300年余りに及ぶロマノフ朝は終わりをつげた。
 無政府主義者、社会主義者の活動が活発になった。その中で、ロシア社会民主労働党は、ナロードニキ運動を継承して農民の支持を集める社会革命党(エスエル)と共に積極的な活動を展開した。
 社会民主労働党は、ウラディミール・レーニンが指導するボルシェヴィキ(多数派)と、ゲオルギー・プレハーノフらのメンシェヴィキ(少数派)に分裂していた。ボルシェヴィキは、フランス市民革命のジャコバン主義とブランキの戦術を継承し、前衛党が暴力で権力を取る方法を追求した。これに対し、メンシェヴィキは、西欧型の大衆政党を目指していた。
 2月革命後、各地で労働者・兵士の代表によって構成されるソヴィエト(労兵評議会)が設置され、臨時政府とソヴィエトが対立する二重権力状態が生まれた。社会革命党のアレクサンドル・ケレンスキーが指揮する臨時政府は、対独戦を継続する方針だったが、戦局は好転せず、民衆の支持は低下した。4月、亡命先のスイスからレーニンが帰国した。レーニンは封印列車に乗ってドイツを通過して来た。
 「平和とパンの要求」(四月テーゼ)を掲げたレーニンは、「すべての権力をソヴィエトへ」と訴えて、臨時政府との対決姿勢を明らかにした。各地のソヴィエトで、権力奪取のために戦争反対策を取るボルシェヴィキが伸張した。
 レーニンは、暴力革命を指導した。17年10月、労働者・兵士がペトログラードで蜂起して臨時政府を倒し、ボルシェヴィキと社会革命党左派からなる革命政権が樹立された。蜂起の軍事面は、メンシェヴィキから合流したレオン・トロツキーが指揮した。これが10月革命と呼ばれる。
 レーニンを最高指導者とする新政府は、即時停戦と無併合・無賠償による和平、地主の土地の没収、少数民族の自決権の承認等を宣言した。新政府は憲法制定議会の選挙を実施した。選挙の結果、農民を支持基盤とする社会革命党が第一党になった。
 ところが、レーニンは選挙の結果を踏みにじった。18年1月レーニンは武力で議会を解散し、社会革命党を政権から追放して、ボルシェヴィキによる一党独裁体制を敷いた。少数派が暴力で権力を強奪したのである。
 議会制デモクラシーとは、自由で公正な選挙によって選ばれた議員によって政治が行われることである。ところが、ロシアで起こったのは、デモクラシーを否定し、武力で政権を奪うクーデタだった。
 ボルシェヴィキは18年に共産党と改称する。ソ連共産党は、ロシア革命の過程をすべて正当化し、権力の正統性を偽装した。しかし、共産党による一党独裁は、プロレタリア独裁を騙った官僚専制であり、共産主義者が労働者・農民を支配する体制だった。
 レーニンは1919年に、第1次大戦で各国の社会主義政党が自国の戦争を支持するに至って崩壊した第2インターナショナルに替わって、第3インターナショナルを作り、ソ連共産党が中心となって、官僚独裁型の共産主義を各国に広める革命運動を進めていった。

●トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフら枚挙にいとまなし

 ロシアの社会主義運動の中心部にいたのは、ユダヤ人だった。19世紀末ロマノフ朝圧制下のロシアで、ユダヤ人はポグロムと呼ばれる虐待・虐殺を受けた。多数のユダヤ人が出国してアメリカ等に移民した。ユダヤ人に対する迫害を阻止するには、ロマノフ王朝を打倒しなければならないとする急進的な革命思想が広がった。将来のパレスチナへの移住よりも、現在の体制からの解放が追求された。そのため、多くのユダヤ人が革命運動に参加するようになった。シオニズムより共産主義という選択である。
 19世紀末から20世紀初めのイギリスの論壇で活躍したヒレア・ベロックは、作家、歴史家、社会評論家として知られる。ベロックは、1922年に出版した『ユダヤ人』で、ロシア革命を「ユダヤ革命(the Jewish revolution)」と表現した。ボルシェヴィキの幹部には、ユダヤ人が多かった。 
 レーニン(本名ウリヤーノフ)自身はユダヤ人ではなかったが、母方の祖母がユダヤ人だった。4分の1がユダヤ人というクォーターである。妻のクループスカヤは純粋なユダヤ人だった。それゆえ、レーニンはユダヤ人の民族集団に近く、ユダヤ人と非ユダヤ人を結合するのに適した背景を持っていたと言えよう。
 ロシア革命で最も象徴的なユダヤ人は、10月革命を軍事的に成功させたトロツキー(本名ブロンシュタイン)である。またそれ以外に、ジノヴィエフ、カーメネフ、ウリツキー、ラディックが有名であり、他にスベルドルフ、リトヴィーノフ、メシュコフスキー、ステクロフ、マルトフ、ダーセフ、スハノフ、ラジェヌキイ、ボグダノフ、ゴーレフらが挙げられる。ブハーリンについては、ユダヤ系だという説とそうではないという説がある。
 ボルシェヴィキの幹部だけでなく一般党員においても、ユダヤ人は目立つ存在だった。党大会の代議員の15%から20%がユダヤ人だったといわれる。1920年の時点で、ソ連政府の各委員会は委員の約8割がユダヤ人だったという説もある。
 ボルシェヴィキが政権を奪取すると、これを撃破しようとする白ロシア軍は、ボルシェヴィキだけでなく、全ユダヤ人を敵として取り扱った。ウクライナの内戦は、ユダヤ人の歴史で最も大規模なポグロムに発展し、6~7万人のユダヤ人が殺害された。東欧でもボルシェヴィキとユダヤ人は同一視され、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア等でユダヤ人迫害が行われた。
 しかし、ロシアのユダヤ人が全員、共産主義者なのではなく、ボルシェヴィキに参加したユダヤ人は、脱ユダヤ教的なユダヤ人だった。ボルシェヴィキは、帝政ロシアで、ユダヤ教徒の目標と利益に積極的に敵対する唯一の政党だった。
 最高指導者のレーニンは、ユダヤ民族主義・シオニズムを批判し、プロレタリア国際主義を推進した。レーニンは、「ユダヤ人の民族性という概念は、ユダヤ人プロレタリアートの利益に反する」「ユダヤ人の民族的文化というスローガンを提唱する者は、プロレタリアートの敵、ユダヤ人の古いカースト的地位の支持者、ラビとブルジョワジーの共犯者である」と批判した。それゆえ、レーニンはユダヤ人のみの利益のために革命を起こしたのではない。あくまでプロレアリア国際主義の原則のもとに革命を起こした。
 実際、一般のユダヤ人は、ボルシェヴィキのユダヤ人によって苦しめられた。彼らは革命によって被害を蒙った。ケレンスキー臨時政府は、ユダヤ人に完全な投票権と市民権を与えた。その政権が続けば、ユダヤ人は多くのものを獲得できただろう。だが、ユダヤ人にとって、デモクラシーを否定し、武力で政権を奪うボルシェヴィキのクーデタは、時計の針の逆回転となった。ユダヤ人の多数が粛清され、生き延びた人のうち約30万人は国境を越えて亡命した。
 1919年8月にユダヤ人の宗教的共同体は解散させられた。それらが持つ財産は没収され、大多数のシナゴーグは閉鎖された。脱ユダヤ教的なユダヤ人は、ユダヤ文化の特異性のすべての徴候を撲滅しようとした。ロシアにおけるシオニズムの根絶を図り、1920年以降ロシア人シオニストが何千人も強制収容所に送られた。彼らのほとんどは、出所できなかった。ユダヤ人共産主義者が、ユダヤ人によるシオニズムを弾圧したのである。

 次回に続く。


ユダヤ72~巨大国際金融資本がロシア革命を支援
2017-07-07 09:20:43 | ユダヤ的価値観
●巨大国際金融資本がロシア革命を支援

 ロシア革命の前、駐露オランダ公使ウーデンディクは、イギリスのバルフォア外相に、次のような報告を送っていた。「ボルシェヴィキは、ユダヤ人に鼓吹されている。ユダヤ人の利益のために現状の変革を狙っている。この危険を救うには列強の協同行動あるのみである」と。これに対して、イギリスのロイド・ジョージ首相とアメリカのウッドロー・ウィルソン大統領は強く反対した。それは、彼らに強い影響力を振るっている欧米の巨大国際金融資本家が、密かにロシアの共産主義者を支援していたからである。
 日露戦争の時に日本を経済的に支援したアメリカのクーン・ローブ商会のジェイコブ・シフは、ロシア革命の時には、レーニンとトロツキーに対し、1917年に活動資金としてそれぞれ2000万ドル(当時)を与えている。同商会は、ユダヤ系資本であり、アメリカにおけるロスチャイルド商会の代理人だった。レーニン、トロツキーへの支援には、日露戦争の際と同じく、ロスチャイルド家の意向があったと考えられる。
 レーニンは、1917年4月、亡命先のスイスからロシアに帰国し、強力に革命を指導した。この時、レーニンは封印列車に乗ってドイツ経由で帰国したが、その列車は、ロスチャイルド家のドイツにおける代理人、マックス・ウォーバーグが準備したものだった。
 トロツキーは、アメリカに亡命していた時期、ロックフェラー家の援助により、ニュージャージー州のスタンダード・オイル社の所有地で、革命用の私兵集団の訓練を行っていた。
 アメリカ大統領のウィルソンとその側近であるハウスも、レーニン、トロツキーを支援した。アメリカ政府は個々の革命家に便宜を与えた。帝政ロシアではユダヤ人革命運動家は行動を制限されていた。アメリカ政府は、彼らをアメリカに入国させ、アメリカの市民権を与えてから、ロシアへ送り返した。アメリカの市民権を持つユダヤ人は、当時国際関係で立場の弱かったロシアでは治外法権を持った者のごとく振る舞えたのである。一見理解しがたい行動だが、ウィルソンとハウスは、欧米の巨大国際金融資本家たちの意思を実行したのである。 
 巨大国際金融資本家と共産主義者は敵対関係にあるはずである。それで、こうした支援を意外に思う人が多いだろう。とりわけ共産主義者にとって、ロスチャイルド家は、まさに打倒すべきブルジョワジーの筆頭であるに違いない。ところが、奇妙なことに、元祖のマルクスはロスチャイルド家から生活資金の援助を受けていたことが知られている。その支援があったから、マルクスはロンドンで研究に没頭できたのだろう。彼以後も19世紀半ばから20世紀にかけて勃発した数多くの革命運動を、ロスチャイルド家などの巨大国際金融資本家が支援していたことが指摘されている。その最も顕著な例が、レーニン、トロツキーらへの支援だったのである。
 なぜ、ユダヤ人資本家は、自分たちを敵対視する社会主義者・共産主義者を支援するのか。そこには、高度な戦略的な思考があったことが推察できる。彼らは、戦争においては、当事者双方に金を貸したり、武器を売ったりする。どちらが勝っても、戦後は賠償金や復興事業で儲ける。平時においては、相対立する思想を醸成して、人々の思考を分裂させて紛争を起こし、紛争の当事者の双方に援助することによって利益を得る。革命勢力と反革命勢力の双方に援助する。社会変動が活発化すれば、国家・国民の枠を超えた市場が拡大する。国民共同体の殻を破った広域的な社会ができる。巨大国際金融資本家が共産主義の指導者を支援する理由は、既成の国家を解体しようとする共産主義の活動は、市場を拡大することになるので、資本家にとっては利益になるからだろう。また共産主義者にとっては、活動の資金や有益な情報を得られるという関係になっていたと思われる。
 ロシアの共産化は、ロシアの革命運動家と欧米の巨大国際金融資本家の共通の目標だった。レーニンらはロスチャイルド家らを利用して権力奪取という目的を実現し、ロスチャイルド家らはレーニンらを支援して、自らの富の増大を図ったと考えられる。
 巨大国際金融資本家がロシアの革命家を支援したもう一つ別の理由は、ロマノフ朝を倒し、広大なロシアの資源と市場を開放させようとしたものだろう。革命後、巨大国際金融資本家は、共産党政府からバクー油田の権益を得て、莫大な利益を上げた。共産党政府のほうも、外国資本家に石油を売ることで外貨を獲得して、経済危機を乗り越え、社会主義の国家建設を進めていった。
 ロスチャイルド家等の巨大国際金融資本家がロシア革命を支援したのは、単にロシアに対する働きかけというだけでなく、当時の彼らの国際的な活動と深く関係していると見るべきだろう。すなわち、1913年のアメリカにおける連邦準備制度(FRS)の設立、20年のイギリスにおけるが王立国際問題研究所(RIIA)の設立、同年のパリ講和会議での国際連盟の提案、21年のアメリカにおける外交問題評議会(CFR)の設立と、ロシア革命への支援は別々の動きではなく、共通の目的のもとにおける一連の行動と見るべきだろう。金融と情報の力による世界政府の建設という大きな目的である。
 レーニンは、1924年1月に急死した。その後、ヨシフ・スターリンが権力を掌握したことによって、ロシアのユダヤ人共産主義者と欧米の巨大国際金融資本家の目論見は、妨げられた。トロツキーが永続革命論を説いたのに対し、スターリは一国社会主義論を説いた。トロツキーを斥けたスターリンは、権力を掌握し、レーニン時代に表れていた共産党官僚による専制を固めていった。スターリンは、独裁的な気質とアンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)の傾向を持っていた。
 スターリンは、独裁を確立するため、激しい粛清を行った。なかでもユダヤ人はその対象だった。最大のライバルであるトロツキーに対しては、潜伏するメキシコまで刺客を送って惨殺した。他のユダヤ人幹部を次々に粛清した。また、ユダヤ人一般への圧力を強め、1920年代終わりまでにあらゆる形態のユダヤ人独特の活動は停止されるか、骨抜きにされた。
 レーニンからスターリンの時代への展開を概括すると、まず脱ユダヤ教的ユダヤ人の共産主義者が一般のユダヤ人を弾圧した。次に反ユダヤ主義者のスターリンが、ユダヤ人共産主義者を含むユダヤ人全体を弾圧した。前半は唯物論的共産主義によるユダヤ教徒・ユダヤ商人らへの弾圧だが、後半は反ユダヤ主義によるユダヤ人そのものへの弾圧だった。
 ソ連共産党は、共産主義は人種問題・民族問題を解決すると吹聴した。しかし、それは虚偽の宣伝だったのである。

 次回に続く。


ユダヤ73~社会主義・共産主義とユダヤ人
2017-07-09 08:48:06 | ユダヤ的価値観
●社会主義・共産主義とユダヤ人

 社会主義・共産主義とユダヤ人との関係は深い。マルクスはユダヤ人だが、同時代で彼に影響を与えたモーゼス・ヘスもユダヤ人だった。マルクス思想の継承者のうち、修正主義者と呼ばれるカール・カウツキ―、エドゥアルト・ベルンシュタインもユダヤ人だった。ロシア革命の指導層に多数のユダヤ人がいたことは、先述した。後に書くが、ロシア革命後を見ても、ヨーロッパで共産主義運動を指導したり、その理論を発展させたりしたローザ・ルクセンブルグ、ルカ―チ・ジェルジ、フランクフルト学派のマックス・ホルクハイマー、テオドール・アドルノ、エーリッヒ・フロム、ヘルベルト・マルクーゼなどもユダヤ人だった。トロツキー派のアイザック・ドイッチャー、エルネスト・マンデルもそうである。実存主義的マルクス主義者のジャン・ポール・サルトル、構造主義者のルイ・アルチュセ―ルもユダヤ人である。彼らは、みなユダヤ教を信奉するユダヤ人ではなく、脱ユダヤ教的なユダヤ人だった。
 どうして、これほどまでに多くのユダヤ人が共産主義に関わってきたのだろうか。ユダヤ教を信奉する大多数のユダヤ人は、シオニズムに傾倒した。その一方で、ユダヤ知識人の一部は唯物論的な共産主義に身を投じた。ユダヤ人の歴史家ポール・ジョンソンは、ユダヤ人が社会運動に参加し、社会主義者や共産主義者になる理由を、著書『ユダヤ人の歴史』の中で四つ挙げている。概略、次のような内容である。

(1)旧約聖書の預言者アモスは、弱者の味方になった。そのアモスのように考え、行動する傾向を、アモス・シンドロームという。ユダヤ人は、聖書時代から社会批判の伝統を持っている。
(2)西欧での人口増と都市化によって、都市のスラム化と貧困者の増大が進んだ。これを問題視する世俗的なユダヤ人過激派が発生した。
(3)世界各地でユダヤ人への迫害が行われた。ユダヤ人の中で同胞への迫害に対して、怒りと憎悪の感情が増大した。さらに同胞のみならず、人類全体のために不正義との戦いが必要だとする考えが現れた。
(4)特にロシアにおけるユダヤ人への迫害が、帝政ロシアに対するユダヤ人の憎悪感情を極限化した。これがユダヤ人の左傾化の最も重要な要因である。

 (2)~(4)は広く言われることだが、(1)のアモス・シンドロームは、ユダヤ教と共産主義の共通点として注目される。ユダヤ教は集団主義的である。共産主義は世俗化したユダヤ社会思想であり、集団的な抑圧からの解放を、非宗教的な社会運動として追求するものととらえることができる。
 では、どうして、ユダヤ知識人の一部が、ほかの思想・運動ではなく、社会主義・共産主義に身を投じたのか。ユダヤ人の歴史学者でジョージ・ワシントン大学教授であるハワード・サッチャーは、著書『ユダヤ近現代史講座』に、次のように書いている。
 コスモポリタン(世界市民主義)的なユダヤ人の知識人は、社会主義に魅かれた。その理由は、社会主義は、各国の社会主義政党や労働組合の国際的連合組織である第2インターナショナルのように、国際協力を推進するという点にあった。また、社会主義はアンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)を認めないことが決定的な理由だった。1860年代のドイツ等での社会主義政党の勃興から第2次世界大戦までの間、社会主義指導者はユダヤ人に対するあらゆる差別に明確に反対し、反ユダヤ主義を拒否した。
 社会主義及び共産主義は、国家・国民の枠を超えて、階級や思想で結びつこうとするインターナショナリズムの思想である。この思想がユダヤ人の心情に合致した。祖国を持たず各国に離散しているユダヤ人の労働者・困窮者にとって、国家・国民の枠を超える思想は、自らの境遇に合っていたのである。同じ心情が、所有者・経営者の側では、グローバリズムに向かうことになる。

●ユダヤ人は共産革命を進めたが、その中でも迫害された

 マルクスは、資本主義が発達した国において、生産力の増大により生産関係の矛盾が高じて革命が起ると考えた。もしそれが階級闘争による社会の発展法則だとすれば、西欧の先進国で革命が起っていたはずである。だが、実際の歴史は、全く違う展開となった。社会的・経済的な変化については、先述したので、ここでは、共産主義とユダヤ人の関係という点から捕足を書く。
 20世紀以降の歴史が示す事実は、激しい革命運動は、ユダヤ人への差別・迫害が顕著な国で起きたことである。1917年のロシアや1918年のドイツがそうである。逆に、激しい革命運動が起らなかった国は、ユダヤ人がそれほどの差別・迫害を受けていなかった国である。イギリスでは、早くからユダヤ人を経済活動で巧みに利用し、支配層とユダヤ人の融合が進んでいた。アメリカでは、独立革命によって、ユダヤ人も他の移民と同様に自由を享受し得る地位を得た。フランスでは、市民革命によってユダヤ人が解放され、自由と権利を拡大していた。スカンジナビア諸国では、人々がユダヤ人に比較的寛大だった。こうした国々では、革命運動がほとんど起こっていない。ユダヤ人への差別やアンチ・セミティズムの高揚はあったが、その程度は低かった。自由や寛容がある程度普及している国では、ユダヤ人は革命運動の方へと過激化しなかったのである。
 ユダヤ人が過激化して革命を起こした国では、皮肉にも共産主義はユダヤ人の自由と権利の確保・拡大に寄与するものとはならなかった。共産主義は、その点がフランス革命におけるロック・ルソー・フリーメイソンの思想とは違う。また、諸国民の自由と権利の確保・拡大に寄与するものでもないのである。普遍的・生得的な人権という観念のもとに、ユダヤ人の権利が発達したのは、リベラル・デモクラシー(自由民主主義)の国家においてのみである。
 革命後のソ連において、スターリンは一国社会主義の理論によって全体主義的な国家の建設を進めた。彼の個人崇拝が行われる中で、共産主義はインターナショナリズムではなく、ソ連のナショナリズムのイデオロギーに変貌した。ソ連共産党は、共産主義の思想を普遍的な価値観と説くことで、ナショナルな利益追求をカムフラージュし、自国の権力の対外的な拡大・強化を行った。しかも、そのナショナルな利益追求は、ソ連の国民ではなく、ソ連共産党の官僚集団の利益の追求でしかなかった。
 スターリンはユダヤ人幹部を粛清し、ユダヤ人の宗教活動を弾圧したことを先に書いたが、第2次大戦後も弾圧は続いた。ソ連のユダヤ人共同体は、国家の強制的同化政策によって消滅の危機にさらされた。それに対し、ユダヤ人であることの意識を強くもち、反体制運動に参加するユダヤ人もいたが、弾圧を受けて強制収容所に入れられた。共産党の指示に従わない者は、精神病と診断されたり、重労働を課せられたり、殺害されたと見られている。
 ソ連は、あらゆる矛盾の塊だった。その矛盾が噴出して、ロシア革命の70年後に解体した。ロシア・ウクライナ等の15の共和国に分裂した。それらの国家にも、ユダヤ人が居住している。彼らは今日、欧米等のユダヤ人と同じく、イスラエルの運命に深い関心を抱き、そのことが彼らのユダヤ人としての民族的な自己意識(アイデンティティ)を支えているようである。

 次回に続く。


ユダヤ74~ドイツ・ハンガリーにおける革命の鎮圧
2017-07-12 09:30:45 | ユダヤ的価値観
●ドイツ・ハンガリーにおける革命の鎮圧

 次に、20世紀前半のドイツ及び東欧について書く。
 第1次世界大戦において、西欧の労働者階級は、共産主義のインターナショナリズムより、自国のナショナリズムを支持した。国家・国民の枠を超えた階級の意識より、ネイションによる共同体の意識の方が強かった。戦争は、職業と所有形態に基づく階級より、血縁・地縁と歴史・伝統をともにする共同体のほうが、人々の結びつきははるかに強いという事実を明らかにした。またそれとともに、ロシアと違って西欧では自由主義とデモクラシーが発達しており、労働者たちは職業的革命家の一方的な指示・命令に無批判に従うことがなかった。そのため、西欧ではロシアに連動した革命は起こらなかった。
 ドイツは第1次世界大戦で英仏と戦って敗北した。敗戦を契機として、1918年にドイツ革命が勃発したが、これは鎮圧された。
 ドイツ革命運動の指導者ローザ・ルクセンブルクは、脱ユダヤ教的なユダヤ人であり、ユダヤ人の社会的、文化的特異性を完全に否定した。ベルリンの極左組織「スパルタクス団」の理論家だった。
 レーニンは、職業的革命家による前衛党の上からの指導性に力点を置いた。帝政ロシアは、ツアーリズムに支配されており、デモクラシーの伝統はなかった。そこでレーニンは、知識人が労働者階級に階級意識を外部から注入するという階級意識外部注入論を説いた。共産主義者の知識人が主導する革命は、官僚独裁を生み出した。
 これに対し、ルクセンブルクは、レーニンの前衛党組織論を批判し、ソヴィエト政権をも厳しく批判した。そして、ドイツでは民主主義(デモクラシー)が相当程度まで浸透しているとして、プロレタリア大衆の自発性に期待した。彼女は、「民主主義は、プロレタリアートの権力掌握を必然的にし、かつまた民主主義のみがそれを可能にするがゆえに、無くてはならないものだ」とした。
 しかし、当時のドイツには、彼女が思い描いた革命的プロレタリアートは存在せず、大衆の自発性への期待も思い込みに過ぎなかった。そして、彼女はドイツ革命の鎮圧の中で敗死した。
 ハンガリーでも大戦後に革命運動が起こったが、これも鎮圧された。その後、共産主義の新しい理論が登場した。ユダヤ人ルカーチ・ジェルジによるものである。ルカーチ(こちらが姓)は、1923年に公刊した著書『歴史と階級意識』において、マルクスが軽視していた上部構造、社会的意識の問題を論じた。彼は、歴史の変革における意識、特にプロレタリアートの階級意識の果す積極的役割を強調し、中間的存在である知識人は自らプロレタリアートの側に立つべきことを説いた。また、資本主義社会の合理化・機械化の過程のなかで、人と人との関係が、物と物との関係に変えられ、労働力を売る立場にある労働者は自己の商品化を通じて、体制に組み込まれると論じた。いわゆる「物象化」の理論である。ルカーチの理論は、西欧マルクス主義の先駆となり、フランクフルト学派に重要な影響を与えた。そして、教条的なマルクス=レーニン主義ないしスターリン主義に代わり、先進国における共産主義を延命させることになった。
 ルカーチは「社会を変える唯一無二の手段は革命による破壊である」「古い価値の根絶と、革命による新しい価値の創造なくして世界共通の価値転覆は起こりえない」と説いた。そして、規成の価値を破壊するため、家族と性道徳を攻撃した。彼が提唱したのが、「文化テロリズム」である。その一環として、ルカーチはハンガリーで過激な性教育制度を実施した。ハンガリーの子供たちは、学校で自由恋愛思想、セックスの仕方を教わり、中産階級の家族倫理や一夫一妻婚は古臭く、人間の快楽をすべて奪おうとする宗教理念は浅はかだと教えられた。女性も当時の性道徳に反抗するよう呼びかけられた。こうした女性と子供の放縦路線は、社会の核である家族の崩壊を目的としていた。この活動は、西洋の価値観の基礎にあるキリスト教道徳を破壊して共産主義革命を目指すものだった。ルカーチの「文化テロリズム」は、第2次世界大戦後に欧米の共産主義者が推進した文化革命戦術の先駆となった。

 次回に続く。


ユダヤ75~ドイツ・ワイマール時代のユダヤ人の活躍
2017-07-14 09:43:06 | ユダヤ的価値観
●ドイツ・ワイマール時代のユダヤ人の活躍

 ドイツでは、第1次大戦の敗北によって帝政が崩壊した。革命運動が鎮圧されると、社会民主党による臨時政府が樹立され、共和制が実現した。以後のドイツの政体を首都の名にちなんで、ワイマール体制という。
 共和制国家の設立において、旧ドイツ帝国憲法に替わる新たなドイツ国の憲法が制定された。それが、ワイマール憲法である。1919年8月に制定・公布・施行された。公式名はドイツ国憲法という。この憲法は当時世界で最も民主的な憲法といわれた。起草者は、ユダヤ人法学者フーゴー・プロイスだった。
 ワイマール共和国時代のドイツは、それまでのヨーロッパの歴史において、ユダヤ人が最も活躍した社会だった。物理学者アルベルト・アインシュタインをはじめとして、ノーベル賞受賞者が11人も続出した。実業家にして外務大臣のヴァルター・ラーテナウ、法務大臣のオットー・ランズベルク、法学者のゲオルグ・イェリネック、哲学者のマックス・ホルクハイマー、テオドール・アドルノ、作家のフランツ・カフカ、ヤコブ・ヴァッサーマン、精神科医のジークムント・フロイトなど、科学、政治、経済、文学、医学等の多彩な分野で、ユダヤ人は、才能を発揮し、驚異的な活動を行った。報道の分野でも、ユダヤ人が重要な新聞や出版社の経営に当っていた。「フランクフルター・ツァイトゥング」はユダヤ系自由主義派の新聞として時代の思潮に影響を与えた。
 だが、ユダヤ人が活躍すればするほど、ドイツ人のユダヤ人への反感が強まった。そして、この民主的なワイマール体制の中から、恐るべき独裁者が登場した。

●ナチスによるユダヤ人迫害
 
 1929年の世界恐慌は、敗戦のどん底にあったドイツに追い打ちをかけた。深甚な打撃を受けたドイツは、底なしの経済危機に陥った。生活苦にあえぐ国民の間には、第1次大戦後、戦勝国が作ったヴェルサイユ体制への不満と連合国への恨みが鬱積していた。ワイマール憲法は民主的だが、国家体制の規定に問題点を孕んでいた。連立政権で権力基盤の不安定な共和国政府は、有効な打開策を打ち出せなかった。大衆は、既成政党による政治への不信を募らせていた。そうした感情を吸収して急速に勢力を拡大したのが、ナチスである。
 ナチスは、国家社会主義ドイツ労働者党の略称である。21年にアドルフ・ヒトラーが指導者となった。ヒトラーは、第1次大戦の敗戦と経済破綻の原因がユダヤ人にあると主張した。ドイツ人は北欧アーリア人種の最高層をなすと主張する一方、ユダヤ人は劣等人種であり、社会を崩壊させ、優秀な人種の権威と主導権を強奪しようとする者だと決めつけた。著書『わが闘争』で、ヒトラーは、「ドイツ民族主義に敵対する平和主義・民主主義・国際主義は、文化破壊者たる『ユダヤ人種』による世界制覇の手段である」と述べた。英米仏等の反ドイツ政策は、すべてユダヤ人によるものだという見方である。そして、極端なナショナリズムを掲げ、ユダヤ人の排斥とドイツ民族の生存圏の確立、大戦後の国際秩序であるヴェルサイユ体制の打破と再軍備等を唱えた。
 ヒトラーのもとでナチスは、国家社会主義とユダヤ人を敵視する排外的民族主義とが一体になった運動を推進した。ナチスは、ドイツ民族というエスニック・グループがオーストリア、チェコスロバキア、ポーランド等に広がって分散居住している状態を不満とし、軍事力を行使して一つのネイション(国家・国民・共同体)に包摂しようとした。そして特異な人種主義思想を以てユダヤ人を敵視した。当時最も良く人権を保障していたワイマール憲法のもとで、ユダヤ人の権利を蹂躙するナチスの暴虐が繰り広げられることになったのである。
 ユダヤ人への差別は、ナチスが初めて行ったものではない。ナチスのユダヤ人撲滅という思想は、キリスト教的西欧において、長い歴史のある思想に基づく。ドイツでも中世以来、ユダヤ人への差別・迫害が行われていた。ナチスは、そうした国民の伝統的な反ユダヤ感情を増幅させ、ユダヤ人に対する迫害を行った。
 ナチズムはアーリア人種の優秀性を強調したが、その思想は、ユダヤ民族の選民思想をゲルマン民族に置き換えたという性格を持っている。その点で、ユダヤ教のゲルマン化という要素が見られる。ナチスによるユダヤ人迫害は、政府によって組織的・計画的に行われ、またその規模において、前例がない。多くの優秀なユダヤ人が国外に亡命した。ナチス・ドイツにおいて、国籍を剥奪されたユダヤ人は、人間でありながら「人間的な権利」を失った。迫害は第2次世界大戦前から行われていた。第2次大戦開始後、ナチスによる人種差別的なユダヤ人迫害はさらに激しくなった。
 ナチスが領有したり占領したりした各地で、ユダヤ人への迫害が行われた。ルーマニア、ハンガリー、チェコスロバキア、オーストリア等においてである。最も迫害が苛烈だったのは、ポーランドである。ナチスは、ポーランド国内のユダヤ人多数を殺害し、さらにアウシュヴィッツなどに強制収容所を設けて、ヨーロッパ各地からユダヤ人を送り込んだ。そこでユダヤ人多数が犠牲になった。ナチスによってユダヤ人600万人が殺害されたということが定説になっている。いわゆるホロコースト説である。主にその犠牲になったのは、アシュケナジムである。
 ユダヤ人に襲いかかるナチスに対して、欧米のユダヤ人は団結して立ち向かったのか。実は、ここにユダヤ人社会の複雑性が露呈する。ナチスに対して、シュローダー兄弟、J・P・モルガン、ウォーバーグ兄弟等、欧米の国際金融資本家たちが資金を提供していた。その中にはユダヤ人もいた。当時、中央銀行の中の中央銀行という存在である国際決済銀行(BIS)もナチスの財源確保に関与した。ヒトラーが第2次大戦を始めた後、ドイツに戦争を止めさせるには、石油の供給を止めればよかった。ところが、ロスチャイルド家とノーベル財閥の石油会社シェルは、敵国であるドイツに石油を輸出していた。その石油は、ソ連のバクー油田から採掘されたものだった。バクー油田は、スターリンに莫大な外貨をもたらしていた。
 ユダヤ人を迫害するナチスに対して、ユダヤ人の資本家が資金を提供したり、石油を打ったりするとは、非常に考えがたいことだが、同胞の生命や権利よりも、自らの貨幣の獲得を追求する者がいるというのが、ユダヤ人という集団なのである。

●西欧諸国におけるユダヤ人への対応
 
 ここで西欧諸国におけるユダヤ人への対応をまとめておこう。歴史的に見ると、ユダヤ人問題こそ、西洋における最大の移民問題である。これまで書いたように、ヨーロッパの各国によって、ユダヤ人への対応は違う。トッドが著書『移民の運命』で明らかにしているように、そこには家族型による価値観の違いを見ることができる。家族型とその価値観は、フランスの中央部が平等主義核家族で自由と平等を価値観とし、イギリスが絶対核家族で自由と不平等を価値観とし、ドイツやフランス周辺部が直系家族で権威と不平等を価値観とする。
 トッドは書く。「かつてフランスは、ユダヤ人が伝統的生活様式の重要な要素をいくつも保持することを受け入れつつ、彼らに同化を要求した。イギリスはより完全にユダヤ人の同化を実現したが、差異の尊重を説教しながら同化が推進された。ナチス・ドイツはユダヤ人を人間と考えることを拒否した」と。
 要するに、ユダヤ人に対し、フランスは同化を要求し、イギリスは容認し、ドイツは拒否したのである。こうした対応の違いは、フランスは人間の平等を信じる普遍主義であり、イギリス・ドイツは諸民族の本質的な差異を信じる差異主義であることの表れである。差異主義には、イギリスの自由主義的な差異主義と、ドイツの権威主義的な差異主義がある。その違いが、ユダヤ人の容認と拒否の違いとなって表われている。
 こうした対応のうち最悪のものが、ナチス・ドイツが行った人種差別主義によるユダヤ人への迫害だった。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」は、下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ76~ユダヤ人マルクス主義者によるフランクフルト学派
2017-07-16 08:46:15 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ人マルクス主義者によるフランクフルト学派

 ワイマール時代のドイツで1923年、フランクフルト大学に「社会研究所」が設立された。出資者は、ユダヤ人富豪の跡取りだった。当初、研究所の名称を「マルクス主義研究所」とする案があった。そのことに表われているように、この研究所は、ルカーチを先駆とする西欧マルクス主義の研究機関であった。代表的なのは、マックス・ホルクハイマー、テオドール・アドルノ、ウォルター・ベンヤミン、エーリッヒ・フロム、ヘルベルト・マルクーゼ、ユルゲン・ハーバーマスらである。彼らがフランクフルト学派と呼ばれる。左記のうち、ハーバーマス以外はユダヤ人である。
 1931年に哲学者マックス・ホルクハイマーが、研究所の所長となった。彼は、哲学と経験的個別科学との学際的研究を組織した。彼のもと、哲学者、社会学者、経済学者、歴史学者、心理学者などの共同研究が行われた。ホルクハイマーの理論は、批判理論と呼ばれる。その理論の核心はマルクス主義であり、彼の哲学は弁証法的唯物論である。
 ホルクハイマーは、研究所の共同研究のテーマとして、「権威と家族」を選んだ。彼を含め、研究所の主要メンバーはユダヤ人だったので、ナチスの弾圧の手が伸びてきた。1933年、ドイツ議会は授権法によってヒトラーに独裁権を与えた。すると、ナチスは「国家に対する敵性」があるとして研究所を閉鎖してしまった。
 ホルクハイマーは、やむなく34年にアメリカに移住した。そして、資本主義の牙城ニューヨークで、研究所を再建した。コロンビア大学の社会調査研究所がそれである。ここで「権威と家族」の共同研究は続けられ、36年に『権威と家族』が刊行された。
 この研究は、なぜドイツでファシズムが勝利を収めたか、またなぜユダヤ人の大量虐殺が行われたか、その原因を究明するものだった。ナチスを支持し、反ユダヤ主義に走ったドイツ人には、強い者に服従し弱い者を虐げる性格の者が多かった。こうした権威主義的な性格が作られるには、家父長制家族が大きな役割を果たしていることが報告された。家父長制家族は、父性中心のユダヤ=キリスト教的な西洋家族の特徴である。
ホクルハイマー、アドルノ、マルクーゼは、第2次世界大戦後のアメリカで、若者を中心に大きな影響を与えた。その点は、後に戦後アメリカにおけるユダヤ人反体制思想に関する項目に書く。

●ナチスの心理学的・人類学的・哲学的分析
 
 フランクフルト学派は、マルクスとフロイトの統合を試みた。マルクスとフロイトは、ともにユダヤ人であり、反キリスト教、唯物主義、合理主義において共通している。
 社会研究所のマルクス主義的な社会研究と、フロイトの精神分析とを媒介したのは、エーリッヒ・フロムである。フロムは、フロイトの弟子の一人であり、彼もまたユダヤ人だった。
 ユダヤ人としてナチスの弾圧を経験したフロムは、1941年刊の『自由からの逃走』で、ナチズムの心理的なメカニズムを考究し、権威主義的性格について分析した。権威主義とは、自我の独立性を捨てて、自己を自分の外部にある力、他の人々、制度等と融合させることである。言い換えると、親と子、共同体等の一次的な絆の代わりに、指導者等との二次的な絆を求めることである。このメカニズムは、支配と服従、サディズムとマゾヒズムという形で表れる。そしてフロムは、サドーマゾヒズム的傾向が優勢な性格を、権威主義的性格と呼んだ。
 フロムは権威主義的性格が家庭で作られることを明らかにしたが、その家庭とは、トッドによれば直系家族であり、かつ極度に父権の強いドイツ独特の家庭だった。トッドは、直系家族社会における「排除」が極端な形になったものが、ナチスによるユダヤ人「絶滅の企て」だった、と言う。トッドはこれを「絶滅の差異主義」と呼ぶ。
 トッドは、次のように言う。直系家族の権威と不平等の価値の組み合わせは、「矛盾する二つの願いの共存をもたらす。権威は単一性へ、不平等は差異主義へと導く。還元不可能な差異を感知しながらも、同質性を夢見るならば、可能な解決策として、『異なる』と指名された人間集団の排除を考えるようにならざるを得ない。歴史的危機の局面によっては、こうした論理的過程はその行き着くところ、差異の観念が固着した集団の追放あるいはせん滅にまでいたることもあリ得る」。そして、「これこそナチス問題の核心」だとする。
 一方、フロイトの弟子の一人だが、非ユダヤ人である分析心理学者カール・グスタフ・ユングは、フロムとは別の見方をした。
 第1次大戦の敗戦国ドイツは、同じ白人種の間でひどい扱いを受け、極度に自尊心を傷つけられ、また経済危機による生活困難に陥った。追い込まれたドイツ人は復讐を誓い、他国への敵愾心を燃やした。その結果が、ナチズムの登場となる。ユングはこれを「民族の孤立と求心的秩序による集団化」と言っている。「ヒットラーが政権を握ったとき、私には、ドイツに集団精神異常が始まりつつあることがはっきりわかった」とユングは書いている。ユングはこの集団病理を「集合的憑依現象」「心理的伝染病」とも言っている。ナチスは集団精神異常を示しながら、狂った牙を特にユダヤ人に向け、彼らを激しく迫害した。
 ユングは、無意識には個人的無意識とは別に集合的無意識があると考えた。そして、当時のドイツ人の集団心理の中に、集合的無意識の作用を見て取った。ユングは、人類や民族の集合的無意識は元型的イメージとして現れるという理論を説いた。キリスト教に改宗する前のゲルマン民族の神話には、暴力と闘争に荒れ狂う放浪の神ヴォータンが登場する。ユングは、ゲルマン民族の集合的無意識から現われる元型の一つにヴォータンがあるとし、ヴォータンの元型の働きが、ヒトラーとナチズムに現われたと見た。

 次回に続く。


ユダヤ77~ユダヤ教から生まれたイデオロギー
2017-07-19 09:47:11 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ教から生まれたイデオロギー
 
 ここでユダヤ教の近代以降の世界への影響について、捕足したい。ユダヤ教は近現代の世界に重要な影響を与えたイデオロギーのもとにもなっている。イデオロギーとは、信念や態度、意見などの観念の体系が社会的基盤と一定の関係を築いているものをいう。私は、ユダヤ教を基盤として生まれたイデオロギーの主なものとして、資本主義、共産主義、ナチズムの3つを挙げたい。
 資本主義は、資本制的生産様式が主たる生産様式になった社会経済体制をいう。そうした社会経済体制の発達を推進し、またその体制を維持しようとする思想・運動については、一般的な呼称がない。そこで、社会経済体制としての資本主義を発達させ、維持しようとする思想・運動のことも、資本主義と呼ぶこととする。
 思想・運動としての資本主義は、ロックやアダム=スミスのような特定の個人が創出したものではない。経済活動の中で生まれたもので、現世における利益の追求と金銭の獲得を肯定するユダヤ教の影響のもとにある。資本の価値増殖運動は、人間の欲望を拡張する活動である。資本主義体制では、富と快楽を追求する欲望が、経済活動の推進力となっている。より合理的・組織的に物質的な価値の生産を増大しようとする思想・運動は、ユダヤ教を基盤として生まれたイデオロギーといえる。
 次に、共産主義は、思想・運動・体制を表す語である。マルクスは、資本主義は貨幣を神と拝むユダヤ人の拝金主義だと批判した。プロレタリアートが革命を起こして私有財産制を否定し、共産主義社会を実現すべきことを説いた。
 マルクスの共産主義思想は、無神論であり、唯物論である。ユダヤ=キリスト教をはじめとする宗教一般を否定する。だが、マルクスが革命の主体と考えたプロレタリア―トは、ユダヤ教の教えにおけるユダヤ民族に対比できる。プロレタリアートは、すべてを失って苦難の中にある。だが、自らを解放することで、世界を解放する使命を負っている。神から選ばれ、苦難に耐えながら終末に臨むユダヤ民族の替わりに、プロレタリアートが置かれたような構図となっている。また神の正義が実現する地上天国の替わりに、共産主義社会が置かれたような構図にもなっている。この点で、共産主義もユダヤ教を基盤として生まれたイデオロギーだと言える。
 ナチズムは、国家社会主義といわれるように、ナショナリズムと社会主義が融合した思想である。ナチスのナショナリズムは、国家主義・国民主義であるとともに、排外的民族主義でもある。共産主義には反対し、共産主義革命を阻止しようとした。ただし、ヒトラーが唱道したナチズムは、単なる政治思想ではない。ユダヤ民族を憎悪する一方、アーリア人種の優秀性を強調する人種差別主義である。ユダヤ民族の選民思想をゲルマン民族が奪い取って、ゲルマン民族を特別の集団とした構図である。それゆえ、ナチズムは、ユダヤ民族の選民思想の変種と見ることができる。
 ナチスはユダヤ人を迫害し、強制収容所で多数のユダヤ人が殺害されたり、死亡したりした。その凶暴・非道の行為は、反ユダヤ主義によるものでありながら、実はユダヤ教から派生したイデオロギーによるものでもあるという特殊な性格を持っている。
 これらの資本主義、共産主義、ナチズムは、ユダヤ教を基盤としなければ、決して生まれなかったイデオロギーである。資本主義の思想・運動は、21世紀の世界で発達・普及を続けている。共産主義はソ連・東欧の体制崩壊で後退したが、中国・日本等の共産党に受け継がれ、世界に対立を生む要因となっている。ナチズムはナチスの壊滅とともにほぼ消滅したが、ドイツ等ではその復活を防ぐための法的措置がとられている。こうした強力なイデオロギーの母胎となったのが、ユダヤ教なのである。

 次回に続く。


ユダヤ78~第2次世界大戦とユダヤ人
2017-07-21 09:27:16 | ユダヤ的価値観
●第2次世界大戦とユダヤ人

 1939年(昭和14年)9月1日、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻した。同月3日英仏はドイツに宣戦を布告し、ここに第2次世界大戦が勃発した。
 緒戦で圧倒的な強さを見せたドイツは、1940年5月10日電撃的な作戦を開始した。デンマーク、ノルウェーを占領し、オランダ、ベルギーに侵攻したのである。6月18日フランスのパリが占領された。追い詰められた英仏連合軍は、ダンケルクから撤退し、22日、独仏休戦協定が成立した。市民革命によって自由・平等・友愛の理想を掲げたフランスが、全体主義の軍靴に踏みにじられるはめになった。ナチス・ドイツに支配されたフランスでは、傀儡のヴィシー政権のもとでユダヤ人は迫害された。
 ナチス・ドイツの侵攻に対し、フランスはどうしてあっけなく敗北したのか。ユダヤ人文芸評論家のアンドレ・モーロアは、亡命先のアメリカで、痛恨の反省を込めて祖国の敗因を書いた。その書『フランス敗れたり』は、今日の日本人が大いに学ぶべき本である。本書については、拙稿「『フランス敗れたり』に学ぶ~中国から日本を守るために」をご参照願いたい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08l.htm
 フランスを占領したヒトラーは、その勢いで40年9月からロンドンへの空襲を開始する。イギリスのウィンストン・チャーチル首相は、不屈の意思をもって英国民を指導し、イギリスは粘り強く抗戦を続けた。短期決戦をもくろんでいたヒトラーの構想は、くじかれた。チャーチルは、一貫してロスチャイルド財閥に忠実だった。ヒトラーは、ユダヤ国際資本との戦いを企図していたが、そのユダヤ国際資本の元締めは、ロスチャイルド家である。強大な資金力と緻密な情報力を持つロスチャイルド=ユダヤ・ネットワークは、徐々に劣勢を跳ね返していった。
 大戦後、世界に広まったホロコースト説によると、ナチス・ドイツは、第2次大戦前から、ユダヤ人絶滅を計画し、組織的にユダヤ人を多数虐殺した。大戦がはじまると迫害が激化し、ナチスはドイツ本国や占領したポーランド等に多数の収容所を建設した。ガス室のある絶滅収容所がつくられ、強制労働をさせただけでなく、毒ガスを用いて600万人のユダヤ人が殺害されたとされている。この説については、後の項目で検証を行う。
 ヨーロッパで多数のユダヤ人が犠牲になる中で、優秀なユダヤ人はドイツから国外に亡命した。その多くは、アメリカに渡った。優れた自然科学者、社会科学者、芸術家等が移住したアメリカで、自由に能力を発揮した。そのことが、アメリカの発展に寄与することになった。原爆の開発も、ユダヤ人科学者なくしては、成功しなかっただろう。
 戦争の最中、米英は、戦争の終結と戦後体制の構築を検討していた。1945年(昭和20年)2月クリミア半島のヤルタで、ルーズベルト、チャーチル、スターリンによる首脳会談が行われた。スターリンはヤルタでの密約を背景に、ドイツに進軍した。アメリカ軍とソ連軍はエルベ川近くで合流し、追い詰められたヒトラーは自殺した。ドイツは正統な政府のない状態で、5月に無条件降伏した。
 第2次世界大戦は、日独伊の枢軸国と英仏ソ等の連合国の間の戦いだった。ドイツの前にイタリアが降伏しており、残るは日本だけとなった。

 次回に続く。


ユダヤ79~日本の参戦と敗戦
2017-07-23 08:48:23 | ユダヤ的価値観
●日本の参戦と敗戦

 日本は、第2次大戦に参戦し、大敗北を喫した。敗戦は、ナチス・ドイツと連携した結果である。1930年代半ば当時のわが国の指導層は、世界の大局を把握できなかった。逆に陸軍を中心に、ドイツを友邦と頼む者が多くいた。そのため、わが国はヒトラーの計略にかかって、1940年に日独伊三国同盟を締結した。その結果、米英を敵に回してしまった。ヒトラーは、ユダヤ人を差別し、迫害を行って、国際的な批判を浴びていた。日本人に関しては、著書『わが闘争』において、想像力の欠如した劣等民族だが、ドイツの手先として使うなら小器用で小利口で役に立つ民族だと侮蔑していた。こうしたヒトラーと手を結び、行動を共にしようとしたことは、日本の国家指導層が、幕末・明治までの日本人が持っていた自己本来の精神、日本精神を半ば喪失し、誤った判断をしたためである。
 三国同盟を締結した日本は、米国から敵対視され、石油禁輸等の制裁を受け、厳しい状況に追い込まれた。
 米国のルーズベルトは、極秘に大戦参入のきっかけを求めていた。参戦はしないと選挙で公約していたので、自分から公約は破れない。しかし、ニューディール政策は、限界にぶつかっていた。財界には、ユダヤ人の「死の商人」ら戦争というビジネス・チャンスを待望する者たちがいた。日本を挑発し、先に手を出させる。そうすれば、正当防衛だとして正義の戦争を始められるからである。
 わが国は米国との関係改善を求めて外交努力を続けたが、ルーズベルトは1941年(昭和16年)11月7日に日本が提示した甲案を拒否、11月20日には乙案も拒否した。そして、国務長官コーデル・ハルが、いわゆるハル・ノートを突きつけてきた。ハル・ノートは、財務省高官のハリー・デクスター・ホワイトが起草した。ホワイトは両親がユダヤ人だった。
 スターリンは、自国の安全保障と将来の日本の共産化のため、日米開戦を画策していた。スターリンの指令を受けたソ連のスパイが、ホワイトに接触していた。ソ連はホワイトへの工作を彼の名にちなんで「雪(スノウ)作戦」と名づけた。ホワイトは、ソ連の指示に従って日本を挑発するために強硬な要求を書いたと考えられる。
 ホワイトはルーズベルトに強い影響力を持つ財界の大物で財務長官のヘンリー・モーゲンソーの右腕であり、頭脳だった。ホワイトの書いたものは、そのままモーゲンソーが署名し、モーゲンソーの文書として大統領に提案されたという。モーゲンソーもユダヤ人だった。
 わが国の指導層は、ハル・ノートが示した要求は到底呑めないと判断し、これを事実上の最後通牒と理解した。そして、対米決戦に突入した。1941年(昭和16年)12月8日、日本軍は真珠湾攻撃を行った。在米外交官の失態により、宣戦布告の通知が遅れた。ルーズベルトは、事前に日本外務省の打電内容を解読・承知していながら、ハワイのキンメル将軍に伝えなかった。そして、日本軍に攻撃をさせ、これを「だまし討ち」として、最大限宣伝に利用した。米国の世論は一気に対日報復戦争へと沸騰した。大統領が自国民をだましたのである。
 わが国は、開戦当初は破竹の勢いだったが、やがて劣勢に転じ、昭和20年には敗色が濃くなり、8月10日にポツダム宣言の受諾を連合国に通告した。9月2日、アメリカ戦艦ミズーリ号の船上にて、降伏文書の調印が行われ、未曾有の大戦争となった第2次世界大戦は終結した。
 日米戦争のきっかけとなったハル・ノートを起草したホワイトには、戦後、ソ連の協力者という疑惑が持ち上がった。アメリカ連邦捜査局(FBI)は、ホワイトがソ連と通じていることをつかんでいた。しかし、米政府はホワイトを要職に任命し続けた。
 ホワイトは、ブレトン・ウッズ協定を立案し、イギリス代表のケインズと渡り合い、アメリカ主導による戦後の世界通貨金融システムを構築した。その後、自ら国際通貨基金(IMF)の理事長となった。
 この事実は、ホワイトは、米国政府中枢だけでなく、米国の巨大国際金融資本家たちの信任を受けており、彼ら所有者に仕える経営者として戦後世界でユダヤ的価値観を経済機構として実現する役目を与えられていたと考えられる。

 次回に続く。


ユダヤ80~杉原千畝・樋口季一郎・安江仙弘
2017-07-26 09:24:38 | ユダヤ的価値観
●杉原千畝・樋口季一郎・安江仙弘

 ここで強調しておきたいのは、戦前のわが国は、日独伊三国軍事同盟によってドイツと同盟を結び、国家の針路を大きく誤ったものの、ナチスによるユダヤ人迫害には加担していないことである。逆に迫害を受けたユダヤ人を支援した日本人がいた。特筆すべき事例として、杉原千畝と樋口季一郎がある。
 1940年(昭和15年)夏、ドイツ占領下のポーランドから多数のユダヤ人がリトアニアに逃亡した。彼らは当地で各国の領事館・大使館からビザを取得しようとした。しかし、リトアニアはソ連に併合されており、ソ連政府は各国に在リトアニア領事館・大使館の閉鎖を求めた。そこでユダヤ難民はカウナスの日本領事館に通過ビザを求めて殺到した。この時、彼らのために、ビザを発給したのが、杉原千畝である。
 第2次世界大戦の開始時、ヒトラーとスターリンには密約があった。杉原の行動は、その密約の下にドイツとソ連がポーランドを分割し、ソ連がバルト三国を併合するという状況におけるものだった。
 杉原の職を賭した勇気ある行動によってリトアニアを出ることのできたユダヤ難民は、シベリアを渡り、ウラジオストク経由で敦賀港に上陸した。うち約千人はアメリカやパレスチナに向かった。杉原によって救われたユダヤ人は、6千人にのぼると推計されている。1985年(昭和60年)、杉原は、イスラエル政府から日本人で唯一、「諸国民の中の正義の人」としてヤド・バシェム賞を受賞し、顕彰碑が建てられた。
 ところで、杉原の日本通過ビザ発給は、日本政府の命令に背いたものだったというのが通説だが、これは事実に反している。当時の日本外務省の杉原宛て訓令電報では、日本通過ビザ発給には最終目的地の入国ビザを持っていること、および最終地までの旅行中の生活を支え得る資金を保持していることの2点を条件とした。これらは通過ビザに必要な条件で、日本政府がビザ発給を拒否したわけではない。杉原がサインしても、日本政府が許可しなければ外国人は入国できない。だが、わが国は、ウラジオストクから敦賀に渡る船にユダヤ難民が乗ることを許可し、神戸で厚くもてなし、希望する外国に送り出している。これは杉原個人のできることではなく、日本国がユダヤ難民を救援したのである。
 また、杉原は訓令違反によって終戦直後、外務省を解雇されたという通説も、事実に反している。まず杉原は、ビザ発給後、即座に懲戒解雇されてなどいない。それどころか、カウナス領事館閉鎖の後、順調に昇進し、1944年(昭和19年)には日本政府から勲五等瑞宝章を授与されている。敗戦後は、占領下で外交事務が激減したため、多くの外交官が人員整理された。杉原はその一環で1947年(昭和22年)に退職したもので、退職金もその後の年金も支払われている。ビザ発給を理由に解雇されたのでは全くない。杉原個人を英雄化し、日本国を断罪する話に仕立てるのは、間違いである。
 時期的には杉原より前になるが、樋口季一郎陸軍少将もまた多数のユダヤ人を救出した。
 1938年(昭和13年)3月、約2万人のユダヤ人が、ソ満国境沿いのシベリア鉄道オトポール駅にいた。ナチスの迫害から逃れて亡命するためには、満州国を通過しなければならない。ソ連が入国を認めないので、零下数十度の中、野宿生活を余儀なくされた。彼らの惨状を見た樋口は、部下の安江仙弘大佐らとともに即日、ユダヤ人に食糧・衣類等を与え、医療を施し、出国、入植、上海租界への移動の斡旋を行った。
 樋口は、1943年アッツ島玉砕を指揮し、キスカ島撤退作戦では救援艦隊の木村昌福少将の要請を容れ、大本営の決裁を仰がずに在留軍に武器の海中投棄を指示し、乗船時間を短縮して無血撤退の成功に貢献した。その後、樋口は札幌に司令部を置く北部軍司令官に就任した。
 1945年8月9日、ソ連は日ソ不可侵条約を一方的に破棄して、満州・樺太・千島に侵攻した。この時、樋口は占守島に侵攻したソ連軍に対して自衛の戦いを行うことを決断して善戦し、ソ連軍の北海道占領を阻止した。スターリンはその樋口を戦犯に指名した。これに対し、世界ユダヤ協会は、各国のユダヤ人組織を通じて樋口の救援活動を展開し、欧米のユダヤ人資本家はロビー活動を行った。その結果、マッカーサーはソ連による樋口引き渡し要求を拒否し、身柄を保護した。樋口は、安江とともに、イスラエル建国功労者と称えられ、その名が「黄金の碑」に「偉大なる人道主義者」として刻印され、功績が顕彰されている。
 ユダヤ人を迫害したナチス・ドイツと誤った提携をしたわが国ではあったが、こうした人道的な行為をして感謝されている日本人がいることは、わが国の誇りとすべきである。
 ところで、樋口の功績には、隠された事実がある。オトポール事件の時、ユダヤ難民が助かったのは、樋口個人の功績ではない。彼らが満州国に入国できたのは、関東軍の東條英機参謀長がユダヤ難民の受け入れを許可し、満州国通過ビザを発給したからだった。また、満鉄総裁の松岡洋右がハルビンや上海へ移動する特別救援列車を手配した。それによって、ユダヤ難民は生き延びることができた。
 この措置に対し、ドイツ政府は日本政府に抗議してきた。だが、1938年(昭和13年)12月、近衛内閣の五相会議で、板垣征四郎陸相は、日本・満州・シナ大陸における猶太人対策要綱を決定した。五相会議は、内閣総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣による国策決定会議である。わが国は、日独伊三国防共協定を結んでいたドイツの要請を断って、八紘一宇の精神に則り、特定の民族を差別することはできないとして、ユダヤ人を救援した。
 日本は、この後、独伊と三国軍事同盟を結んでしまい、米英に敵対視されることになった。無謀な開戦によって、わが国は大敗を喫した。東條は、戦勝国による東京裁判でA級戦犯として処刑された。彼の弁護において、オトポール事件でのユダヤ難民救援について触れなかったのは、落ち度だった。また、政府決定でユダヤ人を差別しないと定めた国は当時、他になかった。日本は、東京裁判でこのことを主張しなかった。板垣もまた一方的に戦犯と断じられ、処刑された。東京裁判は、ナチスの指導者を裁くためのニュルンベルク裁判を下敷きにした。ニュルンベルク裁判は、ユダヤ人虐殺の責任者を裁いた。だが、東京裁判は、ユダヤ人を助けた日本の指導者を絞首刑にした。東京裁判は、この点においても、大きな間違いを犯したのである。

 次回に続く。


ユダヤ81~“死の商人”バーナード・バルーク
2017-07-28 09:21:29 | ユダヤ的価値観
●世界大戦と核の時代の“死の商人”バーナード・バルーク

 第1次世界大戦・第2次世界大戦から核時代に及ぶまで、米国の政治・経済で重要な役割を果たしたユダヤ人に、バーナード・バルークがいる。バルークの名には、本稿で既に数度触れたが、ここでその人物について詳しく書く。
 バルーク家は、1700年代には、ロスチャイルド家、カーン家、シフ家とともに、ドイツ・フランクフルトのゲットーにいた。彼らはこのゲットーから出発し、経済的な富や政治的な権力を手にするようになっていった。そのうちバルーク家は、ラビを生み出す家系だった。
 バーナード・バルークは1870年、米国サウスキャロライナ州に生まれた。冷徹な投資で巨額の資産を作り、ウォール街の伝説の相場師となり、「ウォール街の無冠の帝王」と呼ばれた。また、軍需産業に進出し、「兵器産業の大立者」「戦争仕掛人」といわれた。ユダヤ人社会の大物であり、ユダヤ教正統派の政治団体である「アグダス・イスラエル」代表を務めた。経済力とユダヤ人社会をバックに、政界でも実力を発揮し、20世紀前半から半ばにかけて、アメリカのユダヤ人の中で最も深く国家権力の中枢に関わった。英国の改宗ユダヤ人首相になぞらえて「米国のディズレーリ」とも呼ばれた。
 バルークは、ロスチャイルドら巨大国際金融資本家が1916年にウッドロー・ウィルソンを大統領に擁立した際、選挙資金集めで大きな役割を担った。そして、ウィルソンの側近となって、エドワード・マンデル・ハウスとともに大統領に重要な影響を与えた。
 バルークは、アメリカが第1次大戦に参戦するように暗躍し、これに成功した。アメリカ政府が、1917年7月に戦時産業局(WIB: War Industries Board)を設立するとその長官となった。戦時産業局は、企業に対し大量生産技術の導入を促進し、製品の規格標準化、生産量や資源・原料の割り当てなどを指示した。バルークは、その地位を利用して、軍事予算から莫大な利益を得た。
 大戦前、バルークの資産は100万ドルだったが、大戦後、その資産は2億ドルにもなっていた。バルークは、ヴェルサイユ講和会議に参加し、賠償委員会の委員長を務めた。委員会の提案に基づき、講和会議はドイツに法外な賠償金の支払いを求めた。
 1921年にイギリスの円卓会議に連なる外交評議会(CFR)が設立された際には、バルークはその創設メンバーの一人となった。WASPが支配する当時のアメリカにおいて、彼以外にメンバーに加わったユダヤ人には、ポール・ウォーバーグ、ジェイコブ・シフ、ウォルター・リップマンらいた。ユダヤ系と考えられるハウスもメンバーだった。
 第1次大戦後、世界は戦後の復興と技術革新により、空前の好景気を迎えた。狂乱の投機熱は、世界恐慌の要因となった。1929年にニューヨーク発の世界恐慌が起こった際、バルークは、市場が暴落する前に売り抜けて財を築いたと噂された。バルークは、鉄道王エドワード・ハリマンの投機株を一手に引き受けていた。
 エドワード・ハリマンは、ロスチャイルド家の支援を受けて、ユニオン・パシフィック鉄道及びサザン・パシフィック鉄道の経営者として財を成した。1905年日露戦争後のポーツマス条約が締結されると来日して首相の桂太郎が会談し、南満州鉄道を日米で共同経営する覚書に合意した。しかし、講和会議から戻った外相の小村寿太郎が猛反発し、覚書は破棄された。ハリマンはこれに激怒し、これを機にアメリカが日本を将来の敵国と定め、大東亜戦争に至ったという見方がある。
 バルークは、エドワード・ハリマンの死後、息子のアヴェレルとも関係を続けた。アヴェレルは実業家としてだけでなく政界でも活躍した。イェール大学系の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーであり、また、ロスチャイルド家とのつながりを父から継承していた。
 バルークは、ウィルソン擁立以降も歴代の大統領の誕生に関わり、彼らに助言を与える立場にあり続けた。大恐慌後、バルークは、共和党のハーバード・フーヴァーに代えて、民主党のフランクリン・デラノ・ルーズベルトを大統領にしようとした。FDRをニューヨーク州知事に擁立した主役はバルークだった。そして、彼はさらにFDRを大統領に押し上げた。
 ユダヤ人のバルークは、WASPの名門クラブには入れなかった。そこで、ユダヤ人経営者たちを誘って、秘密結社的なクラブを作った。ハウスが加入したほか、アヴェレル・ハリマン、FDRの叔父フレデリック・デラノも参加した。クラブは、ホワイトハウスから道を隔てた公園にあり、その所在地の名から「ラファイエット・パーク」と呼ばれた。
 「ラファイエット・パーク」は「第二のホワイトハウス」と呼ばれた。バルークとハウスは、ここでルーズベルトに数々の政策の実行を迫った。財務長官でユダヤ人のヘンリー・モーゲンソーも、「ラファイエット・パーク」でバルークやハウスと相談し、大統領にメモや書類を渡してアメリカの財政を動かした。彼らは、ロスチャイルド家の意向を受けていたと考えられる。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ82~“死の商人”バーナード・バルーク(続き)
2017-07-30 08:47:39 | ユダヤ的価値観
●世界大戦と核の時代の“死の商人”バーナード・バルーク(続き)

 1939年(昭和14年)9月、ドイツのポーランド侵攻によって、第2次世界大戦がはじまった。バルークは、第1次大戦に続いてアメリカを大戦に参加させようとした。戦争による膨大な利益を得るためである。対独戦に苦しむ英国の首相チャーチルも、米国の参戦を求めていた。チャーチルは、英国王室に対してとともに、一貫してロスチャイルド家に忠実だった。バルークはチャーチルと親友であり、英国を援けるため、ルーズベルトに助言し、アメリカを参戦に導いた。
 参戦の直接的なきっかけは、日本軍から真珠湾攻撃を受けたことである。日本は、先に手を出すようアメリカの罠にはめられた。
 アメリカは、真珠湾攻撃の数か月前、41年3月に武器貸与法を成立させた。当時中立国だったアメリカが連合国に軍需品の供給ができるように定めたものである。同法は、バルークの「ラファイエット・パーク」で立案された。成立すると、英・仏等だけでなく、共産国のソ連にも適用された。
 バルークは、ルーズベルトの大統領顧問として、米国の軍需生産全般に強い影響力を及ぼしていた。対日戦争が始まると、バルークは政府が全ての物流を支配し、大統領がその全権を掌握する強大な中央組織の創設を、ルーズベルトに建言した。この方針に沿って42年1月に設立されたのが、戦時生産委員会(WPB:War Production Board)である。バルークは、この政府機関を通じて、軍需で巨富を得た。
 バルークと関係の深いアヴェレル・ハリマンは、1943年にルーズベルトから在ソ連のアメリカ合衆国特命全権大使に任命された。ハリマンは、モスクワに向う船の中で「与え、与え、そして与える。一切の見返りを考えずに」と語った。ソ連は航空機1万機以上、戦車、軍需用燃料等をアメリカから貸与された。ソ連は戦後も貸付金を返さず、アメリカも強く要求しなかった。米国は何のためにソ連に武器を与えたか。軍事予算による利益が、バルークの取り仕切る米国の軍需産業に入るからである。バルークと通じるハリマン大使は、チャーチルやスターリンら連合国の首脳間の調整を行った。46年まで在職した。
 バルークは、原子爆弾の開発・製造の推進も行った。第2次世界大戦中に進められた原爆の研究は、「マンハッタン計画」と呼ばれた。国家最高機密事項であり、大統領やヘンリー・スティムソン陸軍長官など限られた関係者のみしか知らず、議会への報告などは一切行なわれなかった。大統領直轄の最優先プロジェクトとして、膨大な資金と人材が投入された。ユダヤの「死の商人」であるバルークにとって、原爆は巨大なビジネス・チャンスだった。マンハッタン計画は優秀なユダヤ人科学者が多数参加して、進められた。その点は、後の項目に詳しく書く。
 1945年4月にルーズベルトが急死し、副大統領のハリー・トルーマンが大統領に就任した。原爆が完成すると、バルークはトルーマンに原爆の対日使用を積極的に勧めた。彼は、京都への原爆投下を主張した。これに反対し、広島と長崎への投下を決定したのは、陸軍長官スティムソンだった。
 スティムソンは、アヴェレル・ハリマンの友人であり、彼もスカル・アンド・ボーンズのメンバーだった。もとはハリマン家の弁護士だったが、政界に進出して長く活躍した。ユダヤ人ではない。共和党ウィリアム・タフト大統領の下で1911年に民間人でありながら陸軍長官に任命され、また共和党フーヴァー政権では国務長官に起用された。バルークが民主党のルーズベルトを大統領に擁立すると、スティムソンは彼とともにルーズベルトを取り巻いて政策に影響を与え、大戦に参戦するため、日本に先に手を出せるように画策した。陸軍長官として戦争を指導し、マンハッタン計画の最高責任者を務め、日本への原爆投下を遂行した。
 スティムソンは、原爆使用に対する批判が起ると、「原爆投下によって、戦争を早く終わらせ、100万人の米国兵士の生命が救われた」と発言して、使用を正当化した。それが、今日も米国の世論の多数意見となっている。だが、それが理由であれば、広島に続いて長崎に投下する必要はなかった。広島にはウラン型原爆のリトル・ボーイ、長崎にはプルトニウム型原爆のファット・マンが投下された。これら2種の効果を実験するために投下されたのである。また、ソ連に対して核兵器の脅威を与え、大戦後の世界で優位を確保することが目的だったと見られる。
 原爆投下は、ハリー・トルーマン大統領が決定したというのが長く定説になっていた。だが実は大統領は決定を知らなかったことが明らかになった。また原爆使用の実際の理由は、膨大な開発費が投じられてきたことを正当化するためだったという説が有力になっている。
 スティムソンは、トルーマン政権でも大統領の信頼を得て戦争の指揮を執り続けた。多くの歴史書では、彼の長年にわたる活動の背後には、一貫してバルークがいたことが軽視されている。
 大戦終結後、バルークは、トルーマン政権下で国連原子力委員会のアメリカの主席代表となった。バルークは、すべての核技術を国際的な管理下に置くことを提案したが、それはアメリカの核独占によってソ連を牽制するものだった。そのことが明らかになったため、バルーク案による国際原子力管理協定のもくろみは破綻した。
 「冷戦(Cold war)」という言葉は、1947年(昭和22年)4月にバルークが初めて使用したものだった。冷戦下の1961年(昭和36年)1月、アイゼンハワー大統領は、辞任演説で軍産複合体の危険性を国民に語った。「この巨大な軍隊と軍需産業の複合体は、アメリカが経験したことのない新しいものである。(略)大変な不幸をもたらす見当違いな権力が増大していく可能性がある。軍産複合体が我々の自由と民主主義の体制を危険に陥れるのを、手をこまねいて待っていてはいけない」と。
 大戦によって成長した軍需産業の中から、戦争で利益を上げる大規模な企業集団が出現した。その企業集団と国防総省、軍、CIA等が結びつき、軍・産・官・学が連携する巨大な勢力となった。それが軍産複合体である。
 軍産複合体は、大戦中の核兵器の開発の中で形成された。軍需産業にとっては、通常兵器とは規模の違うビジネスが、核兵器の開発・生産だった。そこに軍産複合体が形成された。その形成は、バルークの存在なしには考えられないものだった。
 軍需産業にとって最も大きなビジネス・チャンスは、戦争である。戦争は、一大公共事業であり、武器・弾薬を始め、兵隊の食糧・生活物資等、膨大な需要を生む。恩恵を受ける企業は多くの分野に及ぶ。自国が戦場にならない戦争は、大いに儲かる。だから軍需産業は、新たな戦争を求める。そしていったん戦争が始まると、これを可能な限り長引かせようとする。戦争が長く続くほど軍需産業は潤う。アメリカに出現した軍産複合体は、自らの利益のため、政府に働きかけ、政策を左右するようになっていった。
 バルークは、ウィルソンをはじめ、ハーディング、クーリッジ、フーヴァー、ルーズベルト、トルーマンの6人の大統領から絶大な信頼を寄せられ、助言を与える立場にあり続けた。その期間は、30年以上に及ぶ。大統領の任期は1期4年で基本は2期まで、唯一の例外がFDRの3期だったことを考えると、バルークがいかに長く権力の中枢に関わったかがわかる。
 バルークは、1965年に95歳で死んだ。ドイツ30年戦争以後、「死の商人」として戦争で巨富を獲得したユダヤ人がいたが、2度の世界大戦と原爆の開発・増産の時代に軍需産業で活躍したバルークこそ、ユダヤの「死の商人」の典型である。また、国家間に積極的に戦争を起こさせ、多数の人命と国土の破壊を通じて、富を増大しようとする彼のビジネスは、ユダヤ的価値観の一つの究極の姿と言えるだろう。バルークの死後も、彼と同じように戦争ビジネスで巨富を追い求めている「死の商人」が国際社会で暗躍しているのである。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ83~ユダヤ人の天才科学者アインシュタイン
2017-08-02 09:12:39 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ人の天才科学者アインシュタイン

 ここで原子爆弾に関係のあるユダヤ人科学者アルバート・アインシュタインについて書きたい。アインシュタインは、20世紀最高の理論物理学者だった。アシュケナジムの子として、1879年にドイツ南西部に生まれた。私は、世界の歴史において人類に最も大きな影響を与えたユダヤ人として、イエス、マルクスに次いでアインシュタインを挙げる。
 17世紀に、アイザック・ニュートンは地上と天空の現象を統一的に説明する万有引力の法則を発見した。ニュートン力学から熱力学が導かれ、化石燃料をエネルギー源とする産業革命が起った。続いて、19世紀に、ベンジャミン・フランクリン、マイケル・ファラデーによって電気と磁石による現象は同一だという発見がなされ、ジェームズ・クラーク・マックスウェルが電磁方程式に定式化した。
 こうして出来上がった物理学の体系を根本から再構成したのが、アインシュタインの特殊相対性理論である。アインシュタインは1905年に発表した論文で、質量・長さ・同時性などの概念は観測者のいる慣性系によって異なる相対的なものであり、唯一不変なのは光速度定数のみであるとした。時間と空間は独立したものではなく相関的であり、物体が光速度に近づくにしたがって時間は遅れると予測した。
 アインシュタインは、さらに研究を続け、1916年に一般相対性理論を発表した。特殊相対性理論は重力場のない状態での慣性系を取り扱ったものだったが、一般相対性理論は加速度運動と重力を取り込んだ理論だった。この理論は、恒星の重力により、空間が歪み、光の進路が曲がることを予言した。
 1919年から22年にかけて、皆既日食において太陽の重力場で光が曲がることが観測され、アインシュタインの理論の正しさが確認された。この間、アインシュタインは1921年にノーベル物理学賞を受賞したが、相対性理論については理解が進んでいなかったため、授賞の理由は光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明だった。
 1933年ドイツでヒトラーの率いるナチスが政権を取り、ユダヤ人への迫害が激しくなった。アインシュタインは迫害を避け、同年、米国に渡り、プリンストン高等学術研究所の教授に就任した。
 アインシュタインは、1907年に「E=mc²」という有名な公式を発表した。この関係式は、エネルギー(E)と質量(m)が等価であることを示すものである。c は光速度定数である。この公式から、原子の中に存在するエネルギーが解放された時、とてつもない破壊力をもたらすことが予測された。
 ユダヤ人科学者レオ・シラードは、原子爆弾のアイデアを思いつき、他のユダヤ人科学者とともに、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領に原爆の開発を促す手紙を書いた。そして、アインシュタインの知名度を利用しようとして、手紙に署名するよう勧めた。アインシュタインは、ユダヤ人を迫害するドイツが原爆開発に着手したとの情報に接し、強い危機感を抱き、悩んだ末に手紙に署名した。
 この1939年にFDRに出された手紙には、ウランに関する研究が進めば「爆弾の製造にも応用され、新しいタイプのきわめて強力な爆弾が作られることにもなるかもしれない」「その爆弾は巨大なものになり、船によって輸送して爆発させると港湾施設等を広域にわたって破壊し得る」などが書かれていた。
 米国政府は、この提案を受け、ドイツに対抗するため、1941年から秘密裏に原子爆弾を研究・開発するマンハッタン計画を進めた。アインシュタインは協力を求められず、この計画に参加していない。他の優秀な科学者多数が参加し、核爆弾が製造された。
 原爆開発を提唱したシラードは、ナチス・ドイツの敗北が決定的になると、原爆の実戦使用に反対するようになった。彼にとって原爆の開発は、あくまでナチスへの対抗だった。1945年(昭和20年)3月、シラードは、日本への使用を防ごうと、再びアインシュタインに対して、FDRへの手紙に署名を求めた。アインシュタインは、彼に同意して署名した。シラードは、対日戦争での原爆使用に対して最後まで反対請願を行った。だが、その効果はなかった。
 トルーマン政権の米国は、世界初の原爆を1945年8月6日に広島に投下し、さらに9日には長崎にも投下した。アインシュタインは、原爆の使用とその惨禍に衝撃を受けた。以後、彼は世界平和を目指して活動した。
 1955年(昭和30年)4月、アインシュタインは、哲学者バートランド・ラッセルとともに核兵器の廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを世界各国に訴えるラッセル=アインシュタイン宣言に署名した。その1週間後に、彼は76歳の生涯を閉じた。宣言は、彼の死後、ラッセルによって発表された。

 次回に続く。


ユダや84~ユダヤ人の天才科学者アインシュタイン(続き)
2017-08-04 09:30:39 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ人の天才科学者アインシュタイン(続き)

 アインシュタインは、ユダヤ教徒だった。また、ユダヤ人の帰郷国家建設運動であるシオニズムを支援した。1921年、イギリスの委任統治下にあったエルサレムにヘブライ大学の創立が計画されると、建設資金調達のために、米・英・仏等の諸国を訪れた。
 1922年(大正11年)11月、アインシュタインは日本を訪れた。改造社の山本実彦社長が、彼を日本に招いた。雑誌『改造』は、同年12月号で博士の来日を特集した。アインシュタインは滞在中、大正天皇皇后両陛下に謁見した。また、12月には伊勢神宮に参拝した。その際、次のように語った。

 「近代日本の発展ほど、世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界の一箇所くらいなくてはならないと考えていた。
 世界の未来は進むだけ進み、その間、いく度か争いは繰り返され、最後の戦いに疲れる時が来る。その時、人類は真実の平和を求めて、世界の盟主をあげねばならぬ。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き超えた、最も古くまた尊い家系でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに還る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
 我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を造っておいてくれた事を」

 天才科学者であり、またユダヤ人であるアインシュタインが、日本に対してこのような賛嘆と期待の言葉を残したのは、驚くべきことである。アインシュタインは、1901年に『ユダヤ百科事典』に取り上げられた英国人ノーマン・マクレオドの書『日本古代史の縮図』を読んで、日本に関心を抱いたといわれる。マクレオドは、日本人はユダヤの第10支族の子孫であり、天皇家の歴史は古代イスラエル王家の歴史を継承したものであるとする日猶同祖論を唱えていた。
 第2次世界大戦後、1952年(昭和27年)に、イスラエルの初代大統領ハイム・ヴァイツマンが死去すると、イスラエル政府はアインシュタインに第2代大統領への就任を要請した。アインシュタインはこれを辞退したが、自分がユダヤ人であるという自己意識を持ち続け、ヘブライ大学に著作権を贈っている。
 現代の物理学には、マクロの領域を研究する相対性理論と、ミクロの領域を研究する量子力学がある。量子力学では、粒子の位置と速度を同時に決定することはできない。観測を行う前は、それらを確率論的に予測することしかできない。そこから、すべては偶然であると解釈する考え方がある。これに対し、アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と述べて懐疑的な立場をとった。アインシュタインは、神への敬虔な感情を持っていたことで知られる。そうした彼にとって、すべては偶然だとする世界観は受け入れがたいものだった。
 アインシュタインは、宇宙には神の意思による秩序があると信じ、その秩序を明らかにするための理論の構築に心血を注いだ。自然界には、重力・電磁力・強い核力・弱い核力の四つの力がある。アインシュタインは、後半生の約40年間、これらの力を統一する統一場理論に取り組み、まず重力と電磁気力の統一を試みた。だが、1955年の死去により、中途に終わった。
 彼の死後、1960年代から「ひも理論」、続いて「M理論」が登場し、アインシュタインが追い求めた「万物の理論」の実現への最有力候補となっている。また、アインシュタインが相対性理論で予測したことは、宇宙の膨張、ブラックホール、重力波等によって確認されており、彼の偉大さは21世紀の今日、いっそう増し続けている。スペース・ワープ、タイム・トラベル、パラレル・ワールド等の仮説も、アインシュタインの理論が根底にある。
 アインシュタインは理論物理学者だが、小説家アプトン・シンクレアの著書『精神ラジオ』に序文を書き、精神医学者ヴィルヘルム・ライヒのオルゴン・エネルギー探知機に強い興味を示すなど、精神・生命の領域にも関心を向けていた。「E=mc²」には、精神・生命の項目はないことが見落とされがちである。この公式に表されていない領域へと科学は研究をすすめなければならない。
 アインシュタインは、科学と宗教が対立するとは考えず、宗教に意義を認めていた。かれの宗教思想は、ピュタゴラスとスピノザの折衷であると分析されている。ピュタゴラスは、古代ギリシャの哲学者・数学者であり、また神秘主義のピタゴラス教団の指導者として、プラトンに影響を与えた。ユダヤ人哲学者スピノザについては、本稿の別の項目に書いた。
 アインシュタインは、晩年の著書『思想と意見』に、科学と宗教に関する見解を述べている。アインシュタインは、擬人的な神を立てる宗教を超えた宗教体験が存在するとし、それを「宇宙的宗教感覚」と呼んだ。「宇宙的宗教感覚」は、体験したことのない者には説明が難しいというところを見ると、彼自身がそのような感覚を体験していたのだろう。その感覚は特定の宗教の信仰を超えた自己超越的な体験と考えられる。科学と宗教の関係について、アインシュタインは「宗教なき科学は不自由(lame)であり、科学なき宗教は盲目(blind)である」という名言を残している。アインシュタインは、理性における成功を強く体験した者は、誰もが万物に表れている合理性に畏敬の念を抱いているとし、科学・宗教・芸術等の様々な活動を動機付けているのは、崇高さの神秘に対する驚きだという。こうした驚きは、「宇宙的宗教感覚」の体験につながるものだろう。アインシュタインの思想は、科学と宗教が高度な次元においては一致する可能性を示唆している。また最高級の科学者は、そうした次元から直観やひらめきを得ているとも考えられる。

 次回に続く。


ユダヤ85~ユダヤ人科学者による核兵器開発
2017-08-06 09:18:10 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ人科学者による核兵器開発

 米国政府は、第2次世界大戦中にマンハッタン計画を極秘に開始した。ニューメキシコ州の山奥に創られたロスアラモス研究所で、原爆の研究・開発が行われた。総計20億ドルの資金が投入され、5万人にのぼる科学者・技術者が動員された。
 その中には、数多くの優秀なユダヤ人科学者がいた。なかでもハンガリー生まれで米国に亡命したユダヤ人科学者が、原爆誕生に大きな推進力となった。レオ・シラード、ジョン・フォン・ノイマン、エドワード・テラー、ユージン・ウィグナーである。アインシュタインの項目にFDRに原爆開発を提案した手紙のことを書いたが、アインシュタインが署名した手紙を作成したのは、シラード、テラー、ウィグナーの3人だった。
 シラードについては、アインシュタインの項目で述べたので、それ以外の者について書くと、まずノイマンは、コンピュータの動作原理を考案した「コンピュータの父」として知られる。彼は、爆縮レンズ開発に従事し、爆薬を32面体に配置することにより核爆弾が製造できること、また地面ではなく空中で爆発させたほうが原爆の破壊力が増すことを天才的な計算能力で導き出した。日本人を蔑視し、日本の歴史・文化を保つ京都を最初の原爆の破壊対象にすべきだと強硬に主張した。
 テラーは、「水爆の父」と呼ばれる。原爆の開発後、核分裂だけの核爆弾から核融合を用いた爆弾へと発展させるべきだと主張した。スタンリー・キューブリック監督の名画『博士の異常な愛情(Dr. Strangelove)』のモデルだといわれている。戦後、米国の歴代政権の核戦略・防衛政策に影響力を行使し続けた。1980年代のレーガン政権時代には、「SDI(戦略防衛構想)計画」を推し進め、「SDIの父」とも呼ばれる。
 ウィグナーは、原子核反応理論で1963年にノーベル物理学賞を受賞した。
 ハンガリー出身者以外のユダヤ人科学者も多数、マンハッタン計画に参加した。
 ロスアラモス研究所の所長としてマンハッタン計画を主導したロバート・オッペンハイマーは、ニューヨーク生まれのユダヤ人だった。1945年7月に、ロスアラモスで最初の原爆実験に成功した際、狂喜して、「いま私は死に神になった。世界の破壊者だ!」と叫んだ。最初から日本だけを投下目標とし、それに反対する科学者をのけ者にしていった。「原爆投下は日本に警告なしに行なわれるべきだ」と主張した。
 ニューヨーク生まれのリチャード・ファインマンとドイツ生まれのハンス・ベーテは、2人でチームを組み、爆発を起こすために必要な核分裂しやすい材料の量などを計算する方程式を考え出した。ファインマンは1965年に量子電磁力学におけるくりこみ理論で、ベーテは67年に核融合の研究で、それぞれノーベル物理学賞を受賞した。
 インディアナ州生まれのハロルド・ユーリーは、ウランからウラン235のみを得るための気体拡散法を開発し、原爆の実現に大きく貢献した。1934年に重水素の発見でノーベル化学賞を受賞していた。
 ジェームズ・フランクは、1925年にノーベル物理学賞を受賞した後、ドイツから米国に亡命した。1945年6月に、対日戦争での原爆の不使用を強く勧告するフランク・レポートを政府に提出した。原爆の威力を示すのは砂漠か無人島でのデモンストレーションで十分であり、それで戦争終結の目的が果たせると提案したが、政府に拒絶された。
 ニールス・ボーアは、デンマーク生まれのユダヤ人で、1922年にノーベル物理学賞を受賞した。「近代量子論の父」と呼ばれる。マンハッタン計画では、実際に使用される前に、原爆の巨大な破壊力がいかに恐ろしい惨禍をもたらすかを誰よりも早く理解していた。戦後は、超大国が責任を自覚し、核エネルギーを適正に管理し、平和利用に専心するように促す活動に専心した。
 上記以外にも多くのユダヤ人科学者が原爆の研究・開発に関わった。米国内外から集結したユダヤ人科学者たちの参加なくして、高度な理論と計算と技術の集積である核爆弾が、20世紀半ばという時期に実現していたかどうかは疑わしい。
 原爆については、研究・開発・使用についてだけでなく、実際の投下作戦にも、ユダヤ人が参加していた。広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ号」の搭乗員は12名だったが、そのうち約半数がユダヤ人だったとされる。ユダヤ人は米国の人口の2%弱でしかないので、この比率は異常に高い。機長のポール・ティベッツ大佐もユダヤ人だった。彼は母親の名前を機体につけた。彼をはじめ搭乗員の多くは、戦後、原爆投下の正当性を強調し続けた。
 私は、人類は核爆弾の開発・使用をしたことによって、新たな歴史の段階に入ったと考え、1945年(昭和20年)以降を現代とし、それ以前と区別している。人類は、核兵器によって自滅するか、原子力等を平和利用することによって飛躍できるかという課題を抱えるようになった。この危機の時代の幕開けに、ユダヤ人は深くかかわっていたのである。

 以上で、近代の項目を終え、次回から現代に入ります。

関連掲示
・拙稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」
 第81回 “死の商人”バーナード・バルーク
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/6a8c556059a684d10fedb1d8d1b9d76f
 第82回 “死の商人”バーナード・バルーク(続き)
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d6b6acf8714da42df2935e5590529a69
 第83回 ユダヤ人の天才科学者アインシュタイン
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/75bf87e044d69971904594fadbac3e9b
 第84回 ユダヤ人の天才科学者アインシュタイン(続き)
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/9f736219c9a3d5b31c27d27dc35239fb


「ユダヤ的価値観の超克」(前半)をアップ
2017-08-09 10:26:57 | ユダヤ的価値観
 ブログとMIXIに連載中の拙稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」は、全体の半分を過ぎたところです。ここまでの原稿をまとめて、マイサイトに掲示しました。第1部「ユダヤ教」、第2部「ユダヤ民族」に加えて、第3部「ユダヤ人の歴史」の古代から近代までを揚げました。
 連載は今後、現代から将来の章に入っていきます。引き続き、よろしくお願いいたします。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ86~勝者による軍事裁判と日本弱体化政策
2017-08-12 09:18:24 | ユダヤ的価値観
 今回から、現代世界のユダヤ人について書きます。

●勝者による軍事裁判と日本弱体化政策
 
 第2次世界大戦の終結後、連合国は、占領行政の一つとして、敗戦国の戦争指導者を処分する国際軍事裁判を行った。ドイツに対しては、ニュルンベルグ裁判が、1945年(昭和20年)11月20日から46年10月1日にかけて行われた。続いて日本に対しては、極東国際軍事裁判(東京裁判)が、1946年(昭和21年)5月3日から48年11月12日にかけて行われた。
 基本的な枠組みは、ナチスの指導者を裁いたニュルンベルグ裁判で打ち出され、それをもとに東京裁判が行われた。これらの軍事裁判は、戦勝国が敗戦国を一方的に裁くものであり、見せしめのためのリンチ、復讐劇だった。通常の戦争犯罪の他に、「平和に対する罪」「人道に対する罪」という罪状が新たに作られ、過去にさかのぼって適用された。これは、罪刑法定主義という近代法の原則を無視したものだった。
 「平和に対する罪」は、侵攻戦争を計画・準備・開始・実行し、またはその目的で共同の計画や謀議に参加する行為をいう。第1次世界大戦後、不戦条約(1928年)に多くの国が調印した。しかし、ある国が起こした戦争が侵攻戦争であるか自衛戦争であるかの決定権は、その国にあるとされていた。また何をもって侵攻戦争・自衛戦争と規定するかの基準は、今なお整備されていない。そのような中で行われた国際軍事裁判は、勝者が敗者を侵略者と決め付け、断罪するものとなった。
 次に「人道に対する罪」は、一般人民に対する殺戮・虐待・追放その他の非人道的行為、及び政治的・人種的・宗教的理由に基づく迫害行為をいう。主にナチス・ドイツによるユダヤ人への迫害に関して裁くために作られた。ナチスの犯罪は、1932年(昭和7年)から1945年(昭和20年)に至るヒトラーが政権にあった期間を対象とし、戦争行為とは直接の関係を問わないとされた。
 ナチスによるユダヤ人の迫害は、アウシュヴィッツ等の「絶滅収容所」で毒ガスによる大量殺戮が行われたと断罪された。ナチスによるユダヤ人の迫害は類例のない規模と残虐さをもっていたから、その犯罪行為を明らかにし、再発を防ぐ必要はあった。しかし、そのために近代法の原則を曲げて裁判することが正当化されるものではない。
 わが国では、いわゆる東京裁判が行われた。勝者による国際軍事裁判は、その不公平・不公正によって、戦後世界に大きな歪みを生み出すものとなった。ユダヤ人への迫害は、ソ連でも行われた。一般市民の無差別殺戮は、アメリカもイギリスも行った。捕虜への虐待は、フランスやオランダも行った。 だが、勝者の側が犯した戦争犯罪や非人道的行為は、裁かれなかった
 勝者による国際軍事裁判の最大の欺瞞は、人類史上、最も残虐な兵器である核兵器を使用することの是非が問われなかったことである。「人道に対する罪」を問うならば、原爆の使用こそ、その最たるものと言わねばならない。
 先に書いたように米国が秘密裏に原爆製造を進めたマンハッタン計画には、多くのユダヤ人科学者が参加した。米国は独と原爆の開発を競ったが、独は米による原爆の完成前に降伏した。出来上がった原爆は、日本に投下された。
 わが国は敗戦後、1952年(昭和27年)4月28日に独立を回復するまで、事実上アメリカの占領下にあった。この約6年7ヶ月の間、GHQによって、日本弱体化政策が強行された。GHQの占領政策の立案・推進の中心となったのは、フランクリン・ルーズベルト政権でニューディール政策を進めたニューディーラーたちであり、共産主義の信奉者や同調者が多かった。
 マッカーサーは、GHQ民生局の職員を集めて、秘密裏に英文で憲法を起草させた。起草にあたった職員の一人、チャールズ・ケーディスはユダヤ人だった。ケーディスは、同じくユダヤ人の法学者イェリネックの弟子で、FDR政権の時代には、FDRの周りに多く集まったユダヤ人の一人だった。GHQの官僚となり、ニューディール政策を進めた。ケーディスは、マッカーサーの意図を受けて、戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を定めた日本国憲法第9条の草案を作った。
 また起草にあたった職員の一人に、ベアテ・シロタ・ゴードンがいた。ゴードンは、ロシア系ユダヤ人で、当時22歳だった。戦前、5歳から15歳の時まで日本に居住し、日本の男女観、特に見合い結婚に強い嫌悪感を持っていた。日本文化への無理解と偏見による彼女の考えが、日本国憲法第24条に反映された。それによって、日本の社会の基礎となる婚姻制度・家族制度が変えられてしまった。
 農地改革を進めた職員には、ウォルフ・ラデジンスキーがいた。ラデジンスキーはユダヤ系ロシア人で、ロシア革命後、アメリカに渡り帰化した。戦前は農務省に務め、大戦中に国務省のロバート・フィアリーと協力して日本の農地改革構想を検討した。GHQの天然資源局長顧問(農業担当)となり、わが国が松村謙三農相の下で進めいた第1次農地改革を批判し、米国主導の第2次農地改革案を立案し、推進した。
 なお、ユダヤ人が日本を戦争に誘導し、戦後は日本の弱体化を進めたとするモルデカイ・モーゼ著の『日本人に謝りたい』という本があるが、本書は原書の存在が確認されていない。またユダヤ人だとされる著者が実在の人物であることを示す証拠もない。ユダヤ人を騙って書かれた偽書である可能性が高く、内容も信憑性に疑いがある。

 次回に続く。


ユダヤ87~イスラエルの建国と中東の対立
2017-08-13 08:46:41 | ユダヤ的価値観
●イスラエルの建国と中東の対立
 
 第2次世界大戦は、人類史上かつてない惨事をもたらした。その犠牲者は、全世界で5000万人を超えるとされる。
 大戦後、ナチスによるユダヤ人の虐殺という暴挙が宣伝された。多くの国々が衝撃を受け、イスラエルの独立を承認した。ユダヤ人は各国からパレスチナに向かい、長年の悲願であった自らの国家の建設を進めた。
 ライオネル・ロスチャイルド男爵の息子エドムンドは、各国のユダヤ人のパレスチナへの移住から現地での企業作りまで、資金援助に最も熱心だった。彼の存在なくして現在のイスラエルという国家はない。イスラエルは、ロスチャイルド王国と言っても過言でない。また、ロスチャイルド家の方もイスラエルという国家を通じて、アメリカの政治を左右し得る立場を獲得していった。
 イスラエルの建国によって、ユダヤ人は国際社会で大きな影響力を持つようになった。だが、中東におけるイスラエルの建国は、この地域に大きな政治的・宗教的・軍事的な対立を生み出すことになった。ユダヤ人に国土を奪われたと主張するパレスチナ人と、それを支援するアラブ諸国は承認を拒否し、イスラエルとアラブ諸国の不幸な対立・抗争は今日まで続いている。
 中東は、第1次世界大戦の結果、最も大きな問題を抱えるようになった地域である。今日に至る深刻な情勢を生み出したのは、イギリスである。イギリスは第1次大戦でユダヤ人とアラブ人の協力を得るため、双方にパレスチナでの国家建設を認めた。
 イギリスは、オスマン帝国を後方からかく乱するためにアラブの民族運動を利用しようとして、フサイン・マクマホン協定を結んで、アラブ国家の独立を約束した。また、イギリスは、ロスチャイルド家からの資金援助を期待して、ロスチャイルド家の要望に応え、1917年にパレスチナにユダヤ人が国家を建設することを支持するバルフォア宣言を発表した。その上、イギリスは、フランスとの間で中東地域を分割統治するサイクス・ピコ協定という密約を結んでいた。それゆえ、イギリスは、二枚舌どころか三枚舌の外交を行っていたのである。こうしたイギリスの利己的で矛盾した外交が、現在のパレスチナ問題の発端となった。
 バルフォア宣言は、第1次世界大戦勃発後の1917年11月2日、当時パレスチナを統治していた英国の外務大臣アーサー・ジェイムズ・バルフォアが、同国のユダヤ人共同体の首長ライオネル・ロスチャイルドに宛てた書簡の形式をとったものである。だが、たたき台を作ったのは、ライオネル、彼に忠実な秘密結社のメンバー、そしてハイム・ヴァイツマンだった。ヴァイツマンは、シオニズムの創唱者ヘルツェルの後継者で、後に初代イスラエル大統領になった人物である。ライオネルとヴァイツマンは、既に1917年7月18日の時点で、宣言の草案をバルフォアに手渡していた。イギリス政府は第1次大戦へのユダヤ人金融資本家の戦争協力を必要としていたため、草案を受け入れ、外相の宣言という形でこれを発した。
 イギリスは第1次大戦後、アラブ人、ユダヤ人との約束を反故にし、旧オスマン帝国のアラブ諸地域を、フランスと共に分割した。国際連盟の委任統治領という形ではあるが、パレスチナ、イラクはイギリスが、シリアはフランスが、事実上の植民地とした。これに対し、アラブ人の反発が強まり、イギリスは徐々に自治・独立を認めることとなる。イギリスの委任統治領となったパレスチナに世界各地からユダヤ人が入植し始めると、先住のアラブ人の間に対立・抗争が起こるようになった。
 こうして、イギリスの利己的な三枚舌外交の結果、ユダヤ人のナショナリズムと、アラブ人のナショナリズムがぶつかり合うようになった。
 ユダヤ対アラブの対立に手を焼いたイギリスは、第2次大戦後の1947年(昭和22年)、パレスチナの委任統治権を「国際連合=連合国」に返上した。
 パレスチナにおけるユダヤ人の人口は、第1次大戦の終了時点で5万6千人。総人口の1割に満たなかった。しかし、第2次大戦終了時点では、約60万人。総人口の3分の1にまで増えていた。
 1947年(昭和22年)5月、国連でパレスチナ問題が議題に上がった。二つの民族からからなる連邦国家を作る案と、パレスチナをアラブ国家とユダヤ国家と国連永久信託統治区に分割するパレスチナ3分割案が提出された。イギリスに替わってシオニズムの新たな後ろ盾となったアメリカは、ハリー・トルーマン大統領のもと、国連で強力な多数派工作を行った。その結果、11月29日、3分割案が国連総会で可決された。
 こうした国連の決定には、ユダヤ人への同情が影響していた。ユダヤ人は、ヒトラーの迫害を受け、多数が収容所で惨死した。またナチス以前からヨーロッパではユダヤ人への迫害が行われてきた。欧米人の間に、その贖罪の意識が働いたものだろう。
 ところで、トルーマンは3分割案を断固支持したが、米国の国務省・国防省は、ユダヤ人国家の成立を望んでいなかった。国際関係に最悪の結果をもたらし、安全保障を脅かすと予測したからだ。また英米の石油会社は、アラブ勢力との関係を憂慮し、新国家建設に反対した。それにもかかわらず、トルーマンが3分割案を支持したのは、大統領選に向けてユダヤ人の支持を得るという政治的な打算を働かせたためと見られる。1948年11月の選挙で、トルーマンはユダヤ人社会から資金の提供を受け、またユダヤ票の約75%を獲得した。それが、彼の勝利の一因となった。
 トルーマンの背後には、ルーズベルト政権に続いて大統領顧問的な存在のバーナード・バルークがいた。さらにその背後には、ロスチャイルド家がいたと見られる。
 イスラエルの誕生には、米国のライバル、ソ連の支持もあった。1947年5月にパレスチナ問題が国連の議題となった時、外務次官アンドレイ・グロムイコは、ソ連政府はユダヤ人国家創設を支持すると表明した。スターリンは、イスラエルが社会主義国となり、ソ連陣営に加わると予測していた。建国には社会主義シオニズムが一定の役割を果たしており、首相ダヴィド・ベン=グリオン以下、イスラエル首脳には東欧出身の社会主義者が多数いたからである。
 1948年5月14日にイスラエルが独立を宣言すると、トルーマンはただちにその実効支配を承認した。スターリンは、さらに上を行き、イスラエル共和国政府を国際法上、正統な政府として正式に承認した。
 こうして、イスラエルは、米ソの双方から支持を得て誕生した。だが、米ソ関係に緊張が強まるにつれて、トルーマンは国防省や国務省の助言に耳を傾けるようになった。一方、スターリンは大戦中、国内団結のため一時控えていた反ユダヤ主義の政策を48年1月から再開し、同年秋までに対外政策でも反シオニズムに転換した。それゆえ、イスラエルは、1947年5月から48年5月にかけて生まれた特徴的な状況の中で誕生したと言えよう。
 トルーマンが推し進めたパレスチナ3分割案は、パレスチナの6パーセントの土地しか所有していなかったユダヤ人に、56パーセントの土地を与えるものだった。極めて不均衡であり、アラブ側は激しく反発した。そのため、中東に深刻な構図が生まれた。その後の世界は、イスラエル対アラブ諸国の対立関係によって、大きく左右されるようになった。

●現代ユダヤ文明とトインビーの文明の「ユダヤ・モデル」

 ここで文明学的な見方を再度書くと、私は、イスラエル建国後のユダヤ教社会を現代ユダヤ文明と呼ぶ。これに対し、古代に滅びたユダヤ文明を古代ユダヤ文明と呼ぶ。現代ユダヤ文明は、古代ユダヤ文明を復活させたものである。これらの継続性を認めて、総称したものが、ユダヤ文明である。ユダヤ文明は、ユダヤ教を宗教的中核とし、ユダヤ民族が創造した文明であり、セム系一神教文明群に属する周辺文明の一つである。
 文明学者アーノルド・トインビーは、世界史において、「充分に開花した文明」が過去に23あったとし、ユダヤ文明をその一つとした。トインビーは、文明の主要なモデルの一つとして、「ギリシャ=ローマ・モデル」と「シナ・モデル」「ユダヤ・モデル」を挙げた。そのうちユダヤ・モデルとは、ユダヤ社会のように領土を持たず、宗教的紐帯によってのみ統合がなされ、世界中にその民族が点在しているような社会集団の型である。こうした集団を「ディアスポラ(diaspora、離散民)」という。トインビーは、世界に離散した「ディアスポラ」には、文明学的な役割があるととらえた。彼は、通信革命・交通革命によって世界が狭くなればなるほど、領土・国境の意味合いが薄れ、ユダヤ・モデルは有用なモデルになると予想している。
 トインビーは「ユダヤ・モデル」によって、ユダヤ民族の活躍に期待を寄せたと思われる。ユダヤ民族は、国家を持つことを悲願としていたが、第2次大戦後、イスラエルを建国して政府を持ったユダヤ民族は単なる「ディアスポラ」とは言えなくなっている。もはやユダヤ教社会は独自の文化を持つ離散民の集団ではなく、領土を持つ国家社会を中心として、世界各地に広がる民族となっている。それゆえ、ユダヤ民族をイコール、ディアスポラとする「ユダヤ・モデル」は修正されなければならない。ユダヤ民族は、人類の科学・思想・芸術等に多大な貢献をしてきた優秀な民族である。今後も、人類文明において、活躍が期待される。だが、彼らがイスラエルを建国したことで生じたアラブ民族との和解・共存に努めない限り、トインビーの思いは過剰な期待に終わるだろう。また、ユダヤ的価値観は、世界の調和的な発展を阻害するものとなっており、現代社会は価値観の転換が求められている。

 次回に続く。


ユダヤ88~イスラエルの領土拡張と米猶関係の深化
2017-08-15 13:57:47 | ユダヤ的価値観
●イスラエルの領土拡張と米猶関係の深化
 
 1948年(昭和23年)5月、ユダヤ人は国境を明示しないままイスラエルの独立を宣言した。それに抗議する周辺アラブ諸国との間で、第1次中東戦争が始まった。イスラエルは独立戦争と呼び、アラブ側はパレスチナ戦争という。
 イスラエルの独立を不当とするアラブ連盟は、数万の軍をイスラエルに侵攻させた。しかし、アラブ側は統一的な司令部をもたず、イスラエルは圧倒的な勝利を収めた。49年4月の休戦協定では、イスラエルは国連分割案が示す範囲を超えて、パレスチナ全土の80パーセントを支配した。
 エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の聖地である。47年の国連決議では、エルサレムは、国連永久信託統治区に位置している。だが、第1次中東戦争の結果、49年のイスラエルとトランス・ヨルダンの休戦協定で、エルサレムは東西に分割された。これにより、国連決議は守られなくなった。
 イスラエルの建国は、ユダヤ人が土地を得て国家を作る権利を実現するものだったが、その土地には、もともと住民がいた。そのため、イスラエルの建国は、パレスチナの住民には大災厄だった。分割案から休戦協定までの間に、パレスチナ人130万人のうち100万人が難民となったとされる。ユダヤ人に国土を奪われたパレスチナ人と、それを支援するアラブ諸国はイスラエルの承認を拒否した。
 イスラエルは、パレスチナ住民を抑圧し、周辺地域に侵攻して領土を拡張しようとする。これに対し、アラブ諸国は強い憤りを表す。このイスラエル=パレスチナ問題が、中東紛争の最大の要因となっている。
 第2次大戦後、イスラエルは、アメリカの援助を受けて軍事力を強化してきた。これに対抗して、ソ連はアラブ諸国に接近し、軍事援助を増やした。米ソの冷戦の影響という新たな抗争要因が、中東に加わった。
 中東での戦争は繰り返された。1956年(昭和31年)の第2次中東戦争に続いて、1967年(昭和42年)の第3次中東戦争では、イスラエルはヨルダン川西岸を占領した。その地域に存在するエルサレムの全市を押さえた。イスラエルは、エルサレムを「統一された首都」と宣言した。国連決議を完全に無視した行動である。そのため、世界の多くの国は、エルサレムを首都と認めず、大公使館をティルアビブに置いている。
 シオニズムは、19世紀末から始まったシオンの地への帰郷建国運動だったが、イスラエルの建国によって、その目的は達成された。建国後はイスラエルの防衛と繁栄を追求し、世界をユダヤ人が生存と活動をしやすいものに変えることを新たな目標としているとみられる。また、その目標は、宗教的には、ユダヤ教のメシア思想と結びついている可能性がある。ユダヤ教では、世の終わりにダビデの子孫がメシアとして出現し、神と新しい契約を結び、王国を復興して神殿を再建する。離散したユダヤ人を世界各地から呼び集める。イスラエルを率いて、世界を統治すると信じられているからである。
 一方、アラブ側には、1964年(昭和39年)、パレスチナ解放機構(PLO)が結成された。PLOは、68年にパレスチナ国民憲章を制定した。憲章は、敵はユダヤ教徒ではなく、英米勢力と結びついたシオニストであるとし、パレスチナに民主的、非宗教的国家を建設する方針を出した。しかし、69年アラファトがPLO議長になると、闘争的な組織に変わった。PLO加盟諸派にはテロやゲリラ活動を行うグループがあり、シオニストとの闘争は激化していった。
 イスラエルは、2005年にガザ地区を返還したが、ヨルダン川西岸地区は返還していない。その理由は、同地区がアブラハムやダビデ等にちなむ聖跡の密集地帯であり、エルサレムを防衛するための緩衝地帯であり、また貴重な水資源となっていることによる。
 私は、超大国アメリカの果たすべき役割は、ユダヤ=キリスト教系諸文明とイスラーム文明との対話を促し、中東に和平を実現することにあると思う。ところが、アメリカは逆にこれらの文明間の対立・抗争を強めてきた。
 アメリカは、第3次中東戦争以後、イスラエルとの関係を深め、ユダヤ・ロビーの活動が、外交政策に影響を与えてきた。特に1980年代以降のアメリカは、公平な仲介者ではなく、明らかにイスラエルの側に立ってきた。アメリカの指導層は、イスラエル政府の外交政策を支持する親イスラエル派やシオニストが主流を占めるようになった。今日、イスラエルが核兵器を保有していることは半公然の事実である。イスラエルは、約200発の核兵器を持つと見られており、中東諸国の中で圧倒的な軍事力を誇っている。アメリカは、イスラエルの核保有を追認しており、イスラエルに対しては、制裁を行なおうとはしない。その一方、イラクやイランの核開発は、認めない。明らかにダブル・スタンダードを使っている。イスラエルが自由とデモクラシーの国であり、アメリカと価値観を共有しているというのが、その理由だろうが、核の問題は別個である。アラブ諸国の核開発は認めないが、イスラエルの保有は擁護するというのでは、ムスリムが反発するのは、当然である。
 中東の和平が世界平和の鍵である。イスラエルとパレスチナ及びアラブ諸国との間に融和をもたらすことが、国際社会の安定には不可欠である。そして、世界の平和と共存共栄のために、ユダヤ人及びユダヤ教徒の側から、旧来の価値観を超克して、ただ一民族だけでなく、人類全体に貢献する動きが表れることが期待されるのである。この点については、後に、第6章で私見を述べたい。
 
 次回に続く。


ユダヤ89~ホロコーストの定説
2017-08-17 08:50:52 | ユダヤ的価値観
●ホロコーストの定説

 第2次世界大戦後、イスラエルの建国に次いで、ユダヤ人に関して生じた新たな出来事に、ホロコースト説の宣伝・普及がある。ホロコースト説は、イスラエル建国の正当性を証し、イスラエルへの支持を集めるために、不可欠のものとして機能してきた。ユダヤ人が欧米社会で政治的な活動する際、ホロコーストを語ることは、彼らの活動への批判を封じる決まり手となっている。
 今日、世界に広がっているホロコーストに関する定説は、概略次のようなものである。
 ナチス・ドイツは、第2次世界大戦前から、人種主義の思想によってユダヤ人への迫害を行っていた。ユダヤ人絶滅を計画し、組織的にユダヤ人を多数虐殺した。大戦がはじまると迫害が激化し、ナチスはドイツ本国や占領したポーランド等に多数の収容所を建設した。収容所には二種類あり、一つは、ユダヤ人、政治犯、ジプシー等を収容して強制労働をさせた収容所だった。もう一つは、ガス室のある絶滅収容所であり、強制労働をさせただけでなく、被収容者を毒ガスで計画的に殺戮した。ドイツにはガス室のない収容所が、ポーランドには絶滅収容所が作られた。そこで、600万人のユダヤ人が殺害された。後者の代表的なものが、アウシュヴィッツ収容所である、と。
 一般に特定の宗教的・政治的信条を奉じる者、または特定の国家・民族に属する者を集団的に殺害したり、迫害したりすることを、ジェノサイドという。だが、ナチスによるユダヤ人虐殺については、1960年代からホロコーストという言葉が使われるようになった。これは、ユダヤ教で丸焼きの供物を神に捧げる時に使う言葉で、語源は「焼く」である。神に捧げる犠牲という意味になるので、この用い方には宗教的に疑義がある。ヘブライ語で大災厄ないし全面的破滅を意味するショアーの方が適切だろう。だが、ホロコーストの語が一般化している。
 ホロコーストに関する定説に基づいて、ドイツ・オーストリア・フランス等の国では、ナチスの犯罪を否定もしくは矮小化した者に刑事罰を適用する法律が制定されてきた。また、イスラエルでは、2004年に、外国に対してホロコーストを否定する者の身柄引渡しを要求できるホロコースト否定禁止法が制定された。同じ年、これに呼応するように、アメリカでは、世界各地で頻発する反ユダヤ主義をアメリカ政府が監視し、適切な対応を取ることを定めた反ユダヤ主義監監視法が制定された。
 だが、ナチスがユダヤ人絶滅計画のもとに、科学的組織的な方法でユダヤ人を虐殺したという主張は、根拠薄弱である。確かにナチスは、ユダヤ人の虐待を行い、多数のユダヤ人が犠牲になった。その非人道的な行いは、人類史上類例のない犯罪であり、断じて許されるものではない。しかし、ホロコースト説には、実証的な批判が多く出されており、その検証が求められている。

●今日の定説は修正されている

 ホロコースト説の検証というと、歴史を改ざんする試みではないかと思う人がいるだろうが、実は、現在の定説は、途中で大きな修正がされたものなのである。
 第2次大戦終結の直後、ドイツを占領した連合軍は、ドイツの収容所にもガス室があったと主張していた。大戦末期に、米軍は、ミュンヘン郊外のダッハウ収容所で大量殺人用のガス室を発見したと発表した。写真に写っている部屋の扉には、ドイツ語の「注意! ガス!生命の危険! 開けるな!」という言葉と白いドクロのマークが描かれている。写真の説明文には「被収容者を殺すためにナチの衛兵たちが使っていたもの」と書かれている。こういう写真が証拠として示された。そして、連合軍は、ラジオやビラによってドイツ占領下のヨーロッパに対して、このガス室の話を流布させた。その話が戦後、事実として世界に広められた。
 ところが、1960年に突然、ドイツの強制収容所には、ガス室は無かったと修正された。それが以後の新たな定説となった。いわば「歴史」の修正がされたのである。
 今日、ホロコースト説に異論を述べる者は、ホロコースト・リビジョニスト、つまり「ホロコースト見直し論者」と自称する。彼らは、収容所にいた自分の体験や科学的な観点から、ホロコースト説に異論を述べている。だが、ホロコースト説を主張する側は、彼らを「歴史修正主義者」として批判する。だが、最初の修正は、ホロコースト説を主張する側が行ったのであり、現在の定説は、ある時期に「歴史」となった話を修正した説なのである。絶対修正を認めないというのであれば、大戦終結後、15年もの間、世界に宣伝された当初の定説のように、ドイツ国内の収容所にガス室がなければならない。
 真実に基づいて、「歴史」を修正するのは、当然のことである。そのよい実例こそ、ドイツのガス室の否定である。

 次回に続く。


ユダヤ90~定説への異論と封殺
2017-08-19 09:42:26 | ユダヤ的価値観
●ラッシニエの異論とドイツのガス室の否定

 どうして当初の定説が修正されたのか。それは、否定しようのない異論が出たからである。
 1948年、大戦終了の3年後に、その異論は出された。ポール・ラッシニエというフランス人の歴史家の指摘である。ラッシニエは、ナチスに対するレジスタンス活動を行って、ゲシュタポに捕らえられ、ドイツのブッヘンヴァルト及びドーラ強制収容所に入れられた。戦争末期には、収容所でチフスにかかった。自らそういう経験をしていた。戦後、レジスタンス活動の功績により、フランス政府から勲章を授与された。
 ラッシニエは、ドイツで複数の強制収容所に入れられていた。だが、どの収容所でもガス室を見たことはなかった。ところが、戦後、ニュルンベルク裁判で、ドイツの収容所にガス室が存在し、多くの人々が殺されたという証言が出された。欧米のマスメディアが証言を事実として報道した。それに驚いたラッシニエは、「ガス室などなかった」と主張したのである。
 しかし、フランスのマスコミは、ラッシニエを非難し、その証言を無視した。ラッシニエは、ナチスの収容所政策全体を調査・研究し続けたが、その主張は無視されていた。
 ラッシニエが異論を出した12年後、突然定説に修正が加えられた。1960年8月26日、旧西ドイツの歴史学者マーチィン・プロサットが、ドイツ国内にはガス室はなかったという声明を発表した。プロサットは、ミュンヘンの現代史研究所という政府機関の所長だった。この研究所は、それまでガス室の存在を証明するために多くの発表を行ない、西ドイツ政府の歴史に関する見解を代弁する団体となっていた。プロサット自身、第2次大戦やホロコーストに関する西ドイツ政府のスポークスマン的な立場にあった。そうした人物が突然、ドイツ国内にはガス室はなかったという主旨の発表をしたのである。プロサットは、声明の中で、このような修正がされた理由を一言も説明していない。だが、これを機に、定説は修正された。ドイツの収容所にガス室は無かったということになった。旧連合国が右ならえした。そして、ナチスのガス室は、ポーランドの収容所にのみ作られたという修正版の定説が世界的に定着した。
 この修正は、ラッシニエの異論を、どうやっても否定できなかったからに違いない。だが、修正した側は、そのことを認めていない。そこから分かるのは、ドイツ国内の収容所のガス室の話は、大戦中の心理作戦としてのプロパガンダの一つだったことである。宣伝工作で捏造されたことが、そのまま事実として伝えられていたのである。

●出続ける異論と、それへの封殺の動き

 異論は、ポーランドのガス室に関しても出されるようになった。
 1988年、アウシュヴィッツのガス室の実地検証に基づくロイヒター報告が発表された。 アメリカのガス室専門家フレッド・ロイヒターは、アウシュヴィッツのガス室には、処刑用ガス室に要求される高い気密性がなく、殺戮に使われたという青酸ガス(シアン化水素)で内部を充満させた場合、外部にガスが濡れてしまう、と指摘した。それゆえ、そのガス室では技術的な問題からガスによる殺人は不可能であるという結論を出した。ロイヒターは工学の学位を持たなかったため、専門家の証言とはみなされなかった。しかし、最も重要な点を指摘した。
 1993年、アウシュヴィッツのガス室の化学的な検証に基づくルドルフ報告が発表された。マックス・プランク研究所の博士課程で化学を専攻するゲルマー・ルドルフは、青酸ガスの特性から、そのガス室で大量処刑を行うことは不可能であることを論証した。そして、化学を用いてもホロコーストの存在を科学的に立証することはできないと主張した。以後、化学者による学術的反論はほぼ皆無といわれる。
 他にも、様々な論者が異論を唱えた。ところが、こうした異論を封殺する動きが執拗に行われてきた。その一例が、わが国におけるマルコポーロ事件である。
 1995年1月、雑誌『マルコポーロ』(文芸春秋社)が、内科医・西岡昌紀の「ナチ『ガス室』はなかった」という記事を掲載した。ロイヒター報告、ルドルフ報告等を踏まえ、科学的・医学的に定説を検証したものだった。これに対し、米国ロサンゼルスに本部のあるユダヤ人団体サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)とイスラエル大使館が文藝春秋社に抗議した。前者は内外の企業に対して、同社発行の雑誌の広告をやめるよう呼びかけた。企業存続の危機に追い込まれた同社は『マルコポーロ』の廃刊を決め、花田紀凱編集長を解任し、田中健五社長は辞任した。
 西岡の論文には、反ユダヤ主義を扇動したり、ナチスを賛美したりするような文言は一切なく、客観的な検証を試みたものだった。ところが、アメリカの一民間団体の呼びかけで、多数の優良企業が広告を一斉に取りやめた。そして、一流出版社が雑誌を自主廃刊した。異常な事態だった。多数の企業が経営に重大な支障を感じるほどの強力な圧力がかけられたのだろう。
 だが、ホロコーストの定説には、いくつもの疑問が上がっている。これに対して、科学的な真理の追究を妨げ、定説を絶対化しようとする意思が働いている。中世のカトリック教会は、地動説を説いたガリレオ・ガリレイを異端尋問で有罪にしたが、ホロコーストに関して働いているのは、公の権力ではない。表に出ない力である。マルコポーロ事件から、その力は、とてつもない財力に裏付けられたものであることが推測される。

 次回に続く。


ユダヤ91~ホロコースト説は、かなり破綻している
2017-08-22 09:05:29 | ユダヤ的価値観
●ホロコースト説は、かなり破綻している

 私は、ホロコースト説は、かなり破綻していると考える。様々な異論に対し、合理的・実証的に反論できていない。
 ホロコースト説は、証言に多くを負っている。ニュルンベルク裁判には、ドイツのプーヒェンヴァルトやダッハウのガス室を目撃したという証言が証拠として提出された。だが、1960年にドイツの収容所にはガス室はなかったというプロサット声明が発表されると、以後、それらの証言は取り上げられなくなった。ということは、最初から証言は虚偽だったと疑わざるを得ない。
 証言のうち最も重要なのは、アウシュヴィッツ収容所長ルドルフ・ヘスのものである。ヘスには、自白とされる調書や、処刑される前に書いたされる回想録がある。その回想録には、ガス室でユダヤ人多数を殺した後、ドイツ兵が中に入って物を食べたり、タバコを吸ったりしながら死体を運び出したと述べられている。しかし、部屋には人間の致死量を超える濃度の青酸ガスが充満しているはずだから、ガスマスクを付けずに入れるはずがない。また青酸ガスは爆発性の気体だから、タバコを吸うと爆発してしまう。回想録の筆者は、あり得ないことを書いている。その上、ヘスの証言は、イギリス軍やポーランド当局が一方的に発表したものであって、ヘス自身が述べたという裏付けはない。
 次に、ホロコースト説の物証は、証拠としては非常に弱い。ポーランドのアウシュヴィッツとマイダネックには、ガス室が展示されている。だが、その部屋は、処刑用ガス室に必要な構造を備えていない。アウシュヴィッツに展示されている半地下式のガス室には窓がなく、換気扇をつける場所がない。処刑に使われたのであれば、処刑が終わると、換気ができるようになっていなければならない。換気をしなければ、次の被収容者をシャワーだとだまして、中に入れることができない。また、出入口と天井の小さな穴から換気したのでは、一日に一回しか処刑が行なえず、非常に非効率的である。とても3年ほどの間に、600万人もの被収容者を大量殺戮できる施設になっていない。
 ガス室で使われたという毒ガスは、チクロンBという殺虫剤から発生する青酸ガスである。ガス室には、処刑用ガス室で必要な高い気密性がなく、青酸ガスを充満させた場合、外部に青酸ガスが濡れる。外にいるドイツ兵が青酸中毒になってしまう。
 ガス室に投げ込まれたチクロンBは、青酸ガスを遊離する。5度以下では32時間、加熱した場合でも最低6時間は遊離し続けるという。その間は、換気することも、扉を開けることもできない。また青酸ガスには、壁などに吸着し易いという特性があるから、換気には20時間くらいかかるとされる。これでは、一日に何回も多数の人間を次々に殺戮することはできない。また、青酸ガスは空気より軽いので、ガス室の屋根の穴からチクロンBを投げ込んでも、下にいるユダヤ人らに拡散しない。
 上記の検討によって考えられるのは、いわゆるガス室は、人間を処刑するための部屋ではなかったということである。では、いったい何のための部屋だったのか。
 アウシュヴィッツ等の強制収容所では、戦争末期に衛生状態が著しく悪化し、発疹チフスなどの感染症の発生が大問題となっていた。それらの病原体を媒介するシラミの駆除が大きな課題だった。シラミは被収容者の衣服に付着することが多かったので、ドイツ軍当局は、被収容者の衣服を青酸系の殺虫剤で燻蒸・消毒していた。その場所が、その部屋だったと考えるのが、合理的だろう。人間の殺戮ではなく、シラミの駆除のためのガス室だったと理解される。

●計画は絶滅ではなく、強制移住だった
 
 ホロコーストに関する定説では、ナチス・ドイツはユダヤ人絶滅を計画し、組織的にユダヤ人を多数虐殺したとされる。この点も確かな裏付けがない。
 ナチスは、第2次大戦の前から、ユダヤ人を差別・虐待していた。1939年9月にポーランドに侵攻し、大戦の火ぶたが切られた。もし、ユダヤ人の絶滅がヒトラーの終始一貫した計画だったならば、ポーランドを占領するや、そこにいるユダヤ人を大虐殺し始めただろう。だが、ホロコーストは、ポーランドの絶滅収容所が稼働し始める1942年1月以降に始まった。それまでの2年4か月もの期間、ユダヤ人絶滅作戦は行われなかった。それゆえ、ユダヤ人絶滅計画は、いつ作られ、いつどのように命令されたのかが検証されねばならない。
 戦後、連合軍はドイツで大量のドイツ政府の公文書を押収した。その中に、ユダヤ人絶滅を命令した文書は、なかった。ヒトラーまたは他のナチス高官がユダヤ人絶滅を決定して、命令した文書は一枚も発見されていない。実際、連合国はニュルンベルク裁判で、ユダヤ人絶滅を決定・命令した証拠となる文書を提出していない。ないものは出せない。
 これに関しては、ヒトラーはユダヤ人絶滅を命令していなかったという説、絶滅命令書はすべて焼却等で処分されたという説、命令は口頭で行われ記録もされなかったという説等がある。これらの証明は、難しい。だが、私は、多くの研究者たちの考察に基づき、最も可能性が高いのは、次のようなことだろうと考える。
 ヒトラーが計画したのは、ユダヤ人の絶滅ではなく、強制移住だったということである。ナチス指導部は、ポーランド領内の収容所に収容したユダヤ人を戦争中は労働力として利用していた。ソ連を撃破した後に、ソ連領内などの「東方地域」に強制移住させることを計画した。これをユダヤ人問題の「最終的解決」と名付け、実行する予定だったと考えられる。
 ユダヤ人問題を統括したハインリヒ・ヒムラーは、収容所でユダヤ人が多数死亡していることに関し、「死亡率は、絶対に低下させなければならない」という命令を出していた。収容所の医師には、これまで以上に被収容者の栄養状態を観察し、関係者と連携して改善策を収容所司令官に提出するようにという命令が出された。絶滅が目的であれば、もっとやれ、だろう。その正反対の命令である。ユダヤ人を絶滅するのではなく、労働力として利用するという意図と考えられる。
 ドイツ政府が計画したユダヤ人問題の最終的解決は、強制移住だったことを明快に示す文書が、押収されたドイツの公文書の中に多数発見されている。それらの文書は、アウシュヴィッツ収容所等へのユダヤ人移送が、ドイツ政府にとっては一時的措置だったことを記している。また、一時的措置の後に、ユダヤ人を「東方地域」に移送する計画だったことをはっきり述べている。
 ところが、ドイツは、ロシアの冬に難儀し、東部戦線で敗退した。そのため、ユダヤ人東方強制移住計画は頓挫した。戦争末期の混乱の中で、収容所の衛生状態が悪化し、チフス等の疾病が発生した。その結果、多くの被収容者が所内で死亡した。戦後、それらの収容所で病死したユダヤ人らの死体を撮影した連合軍は、それらの死体をガス室の犠牲者であるかのように発表した。そして、ホロコースト説が作り上げられ、世界に流布されていった。このように考えられる。
 犠牲者の数にも異論がある。アウシュヴィッツ等の絶滅収容所で、600万人のユダヤ人が虐殺されたというのが、ホロコーストに関する定説である。だが、この数字にも確かな根拠がない。ドイツが最も占領地域を広げた時でも、その範囲にいたユダヤ人は400万人もいなかったという指摘がある。ナチスによる収容所でユダヤ人が虐待・強制労働・不衛生・チフス等によって、多数犠牲になったことは事実であり、人類史上類例のない蛮行である。その犠牲者数が600万人ではなく、仮に300万人であったり、100万人であったりしても、ナチスの罪業はいささかも軽くなるものではない。だが、あえて600万人と主張するなら、その根拠を示し、どのようにしたらそれほど多くの人間を計画的・組織的に殺戮し得るのかを立証しなければならない。
 
 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ92~ホロコースト説の政治的機能
2017-08-24 08:53:49 | ユダヤ的価値観
●戦後世界でのホロコースト説の政治的機能

 戦後、ホロコースト説は、イスラエル建国の正当性を証し、イスラエルへの支持を集めるために、不可欠のものとして機能してきた。ユダヤ人が欧米社会で政治的な活動する際、ホロコーストを語ることは、彼らの活動への批判を封じる決まり手となっている。それと同時に、ホロコースト説は、第2次世界大戦の勝者として、長く世界を二分支配したアメリカとソ連にとっても役に立ったと思われる。アメリカがドイツを押さえ込むには、いかにナチスがユダヤ人に残忍なことをしたかを強調することが有効だった。また、ポーランド、チェコスロバキア等の東欧諸国を勢力圏に組み込んだソ連は、ナチスの支配から解放したことを、共産党支配の当性の根拠とした。そのため、ホロコースト説は、戦後の世界秩序において、疑念を許さないドグマの一つとなった。イスラエル及び各国のユダヤ人団体は、この米ソ主導の秩序を自らの生存と繁栄に利用したと考えられる。
 とりわけユダヤ教の過激派は、定説を検証しようとする者に対して、反ユダヤ主義者・ネオナチなどのレッテルを貼り、言論や表現に強い圧力をかけてきた。だが、定説を検証する者の中で、反ユダヤ主義者やネオナチは、ごく少数に過ぎない。異論を述べるものには、ユダヤ人もナチス批判者もいる。ちなみに私は、ヒットラーの野望を見抜き、日独伊三国同盟の締結に強く反対した大塚寛一先生を深く尊敬している。ユダヤ人を組織的に虐待していたドイツと提携した昭和戦前期のわが国の指導層は、日本精神から外れていた、と厳しく批判している。
 ホロコースト説は、1967年の第3次中東戦争でイスラエルが圧勝してから声高に唱えられるようになった。ユダヤ人のノーマン・フィンケルスタインは、著書『ホロコースト産業』で、この戦争までユダヤ人は被害者意識をそれほど出さなかったが、イスラエルが圧勝してその価値が上がると、アメリカのイスラエル・ロビーは、ドイツをはじめとする世界に対し、ホロコーストの犠牲者性を強く主張するようになったと分析している。さらに、同胞の苦しみを売り物にし、ビジネスにしたと批判している。
 ナチスのユダヤ人虐待は、決して忘れられてはならない。それととともに、現在のイスラエルのパレスチナ住民への抑圧も、見逃されてはならない。イスラエルの建国は、西欧において迫害を受けてきたユダヤ人に、住む土地を与えて、自らの国を作る権利を認めたものだった。ユダヤ人の多くは、イスラエルの建国を正当化するために、ナチスによるユダヤ人大虐殺を語る。しかし、だからと言って、イスラエルによるパレスチナ住民への抑圧が正当化されるものではない。

●ホロコースト説と南京大虐殺説の連携

 ホロコースト説は、様々な異論に対して合理的・実証的に反証を示せていないが、この点で、南京大虐殺説と好対照である。
 戦勝国がナチスの指導者を裁いたニュルンベルク裁判におけるユダヤ人大虐殺説と、同じく日本の指導者を裁いた東京裁判における南京大虐殺説は、相似した位置にある。後者は前者の筋立てから派生したものと考えられる。南京大虐殺説が捏造・虚構であることは、多くの研究によって明確になっている。私は、拙稿「南京での『大虐殺』はあり得ない」をマイサイトに掲示している。だが、南京での大虐殺を否定する者に対しては、「歴史修正主義者」という批判がされる。そのレッテルは、ホロコースト見直し論者につけられる言葉と同じである。誰がそういうレッテルを貼っているのか。ユダヤ人シオニストだけではない。おかしなことに左翼、特に共産主義者が多いのである。
 南京大虐殺説は、米国と中華民国が東京裁判で日本断罪のために作り上げたものである。それを、中国共産党が喧伝してきた。北京の指示のもとに、アメリカでは在米の中国人団体が活発に広報活動をしている。アメリカで成功を収めた中国人の指導者で構成する「百人委員会」というグループがあり、このグループを代表的存在として、中国人は組織的にロビー活動をし、また反日活動を行ってきた。その活動のかなめの一つが、南京大逆説説の宣伝・普及である。
 1997年(平成9年)にシナ系アメリカ人、アイリス・チャンの著書『ザ・レイプ・オブ・南京』が発刊された。本書の発行を、在米中国人の団体が様々な形で支援をした。支援団体の一つに「南京大虐殺の犠牲者を追悼する連帯」(本部・ニューヨーク)があった。この団体は、チャンを通じてジョン・ラーベの日記を知り、これを『南京の真実』として刊行し、2000年には「ラーベの日記」という映画にした。その後も、南京大虐殺説を浸透させるためのハリウッド映画が数本製作され、各地で上映されてきた。
 ハリウッドの映画界を支配するのは、ユダヤ系の富豪である。ユダヤ人にも親日的な人間と反日的な人間、反共的な人間と容共的な人間がいる。そのうちの反日的かつ容共的な部分が、中国の共産主義者と連携を強めている。ユダヤ人によるホロコースト説と、中国人による南京大虐殺説が、お互いを補強する関係になっているようである。
 中国共産党が支配する国際組織は、南京大虐殺という虚構を最大限に利用している。一部のユダヤ人は、これと結託している。だが、ユダヤ人が、ナチスによるユダヤ人迫害を糾弾するのであれば、中国共産党によるチベット人やウィグル人への迫害をも糾弾しなければならないはずである。
 私は、ユダヤ人の一部が中国の共産主義者と結びつくことは、中国共産党に利用されることになり、ユダヤ人全体にとって災いを招くことを警告したい。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「南京での『大虐殺』はあり得ない」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion06b.htm


ユダヤ93~ユダヤ人の人権
2017-08-26 08:48:50 | ユダヤ的価値観
●第2次大戦後の世界とユダヤ人の人権
 
 人権は、普遍的生得的な「人間の権利」ではなく、歴史的・社会的・文化的に発達する「人間的な権利」である。人権については、拙稿「人権――その起源と目標」で、社会思想史、政治哲学、倫理学、国際法、国際人権法、文明学等を踏まえて総合的な考察を行った。詳しくはそれを参照していただくこととして、私は、近代西欧における人権思想の発達は、ユダヤ人の存在と深い関係があると見ている。「発達する人間的な権利」としての人権は、主に国民の権利として発達したが、同時にユダヤ人等の権利としても発達した。
 第2次世界大戦後、人権を国際的に保障する制度や機構が発達した。人権の発達を推進したのは、「連合国=国際連合」だった。いわゆる国連は、連合国が戦後の世界秩序を維持するために制定した国際機関である。第2次大戦中に結成された連合国が、国際機関に発展したものである。英語名は、連合国も国際連合も“the United Nations”である。
  「国連=連合国」は、「国連憲章=連合国憲章」に、人権に関する規定を設けた。その背景として3点が挙げられよう。
 第1に、ナチス・ドイツの暴虐によって、人権を各国の国内法で保障するだけでは不十分であり、国際的に保障する必要性が認識されたことである。第2に、大西洋憲章に「恐怖及び欠乏からの解放」と「生命を全うすることを保障するような平和の確立」を掲げて、人権の尊重を戦争目的に掲げた連合国が勝利をおさめ、戦後の世界秩序を形作ったことである。第3に、資本主義諸国にとって、経済活動の自由を保障するため、人権を保障することが、資本と国家の利益になったことである。
 私は、これらの3点には、ユダヤ人が自らの生存と利益の確保のために、国際的に働きかけをしたことが重要な作用をしただろうと推測する。ユダヤ人にとっては、国家や民族を否定し、個人や市場を強調することが有利だからである。
 国連憲章に続く世界人権宣言による世界的な人権の実現は、ユダヤ人の自由と権利を保障することを、一つの目的とするものだったと私は考える。
 人間の尊厳という観念の背景には、キリスト教及びイマヌエル・カントの哲学があると私は考えている。近代西欧から世界に広がった人権の観念のもとにあるのは、ユダヤ=キリスト教の教義である。ユダヤ民族が生み出した宗教では、人間は神ヤーウェが創造したものであると教える。神が偉大であるゆえに、神の被造物である人間は尊厳を持つ。しかも、人間は神の似姿として造られたとされる。人間は他の生物とは異なる存在であり、地上のすべてを支配すべきものとされる。この人間をユダヤ民族に限定せず、キリスト教を通じて人類一般に広げるところに、人間一般の権利の思想として人権の思想が発展する。
 ユダヤ教を信じるユダヤ人にとって、18世紀以降啓蒙化されてきたキリスト教は、許容できるものである。ユダヤ教徒とキリスト教徒は、共通の神を信じ、共通の書物を啓典とし、共通の場所を聖地とする。キリスト教徒にユダヤ人を迫害させない仕組みをつくれば、人権思想はユダヤ人にとっても有益なものとなる。人権の思想を国連の組織や「憲章」「宣言」に浸透させることによって、彼らの経済力や科学・思想・芸術等に示す優れた能力を発揮できる社会を実現することができる。
 ユダヤ人の生命と尊厳、自由と権利を守るにはどうすべきか。外国に亡命を希望する者、国籍を失った無国籍者の権利は誰がどのように守るか。これらの課題について、ナチスの脅威を体験したユダヤ人は、大戦後の国際社会で自己防衛のために行動しただろうと推測する。
 私の思うに、働きかけは二つの方向で行われた。一つは、シオニズムが目的の地としたパレスチナに、ユダヤ人国家を建設すること。もう一つは、主権国家による国際社会の相対化を図り、ユダヤ人の生命と安全、財産と経済活動が守られるように、世界を変えることである。これら二つは、どちらも欠かせないものだった。
 イスラエルの建国は、ユダヤ民族の集団としての権利の決定的な実現となった。国家なき流浪の民が、希望の土地に国家を建設し、定住地を得た。大戦後、世界各地からユダヤ人がイスラエルに移住した。また各国に居住し続けるユダヤ人は、イスラエルを故国として連携した。
 ここで私が重要な役割を果たしたと考えるのが、ユダヤ人最高の実力者ロスチャイルド家である。欧州の支配集団の構成員であるロスチャイルド家は、英国政府等に働きかけ、イスラエル建国を推進した。ロスチャイルド家は、イスラエル建国に多額の資金を提供し、イスラエルの盟主のような存在となっている。ロスチャイルド家は、またユダヤ人の生命と安全、財産と経済活動が守られるように、国連の設立や世界人権宣言の実現を図り、働きかけをしたと思われる。
 だが、ロスチャイルド家が資金を出したイスラエルの建国は、パレスチナ住民の権利を侵害し、中東に深刻な対立構造を生み出した。ユダヤ人の自由と権利の拡大は、ユダヤ人の利益実現を中心としており、人類全体の人間的な権利の発達に、十分つながってはいない。
もともと「ディアスポラ(diaspora、離散民)」だったユダヤ人は世界各地に広がっており、文明間・ 国家間を自由に行動し、ネットワークを広げている。ユダヤ民族には、他の民族と同様、生存と繁栄の権利がある。しかし、彼らが中東でアラブ民族との和解・共存に努めない限り、彼らの行動はアラブ民族の自由と権利を侵害する。また、ユダヤ的価値観による強欲的な利益の追求は、世界の調和的な発展の阻害となっており、価値観の転換が求められている。21世紀の世界で人類が人権を世界的に拡大するには、人類全体のためにユダヤ民族が自己中心主義を打ち破ることが必要なのである。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「人権ーーその起源と目標」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm


ユダヤ94~各種人権条約の締結
2017-08-27 09:04:02 | ユダヤ的価値観
●各種人権条約の締結

 国連は創設以来、個別的な人権の保障を目的とした条約を数多く採択している。広範な問題についておよそ80件の条約や宣言が国連の枠組みの中で締結されてきた。こうした条約の中で最も早い時期に結ばれたのが「集団殺害罪に関する条約」「難民の地位に関する条約」「無国籍者の地位に関する条約」である。
 第2次大戦後、戦争による惨禍を振り返る中で、ユダヤ人への迫害、大量殺戮、多数の難民の発生等が国際社会で大きな問題となった。それらの問題に対処し、ユダヤ人への迫害・殺戮を防止し、難民を救済することが求められた。これをユダヤ民族という特定の民族だけでなく、他の民族にも適用・拡大する形で、ジェノサイド条約、難民条約、無国籍条約が制定された、と私は考える。
 個別的人権条約は、すべてが世界人権宣言に触発されて成立したのではない。世界人権宣言は、1948年(昭和23年)12月10日に国連総会で採択されたが、その前日の12月9日に「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約」すなわちジェノサイド条約が成立している。世界人権宣言で普遍的な人権基準を定める前に、また特定の事案について宣言という理念的な打ち出しを経ることなく、集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約が締結された。世界人権宣言の起草・協議が進められ、まだ総会で採択される前に、この条約は先行して実現したのである。ここに、第2次世界大戦後の人権保障におけるユダヤ人を主な対象としたジェノサイドへの対応の重要性が現れている。ジェノサイド条約は、1951年に発効した。
 集団殺害は、第2次世界大戦がはじまる前から、ナチスによって行われていた。ナチスによるユダヤ人への迫害は、戦争が原因ではない。平時から行われていた。ジェノサイド条約は、集団殺害罪を国民的、人種的、民族的、または宗教的な集団を破壊する意図を持って行われる行為であると定義付け、それを犯した者は法に照らして処罰することを国家に義務付けるものである。
 1951年に、「難民の地位に関する条約」すなわち難民条約が、国連総会で採択され、1954年に発効した。難民は refugees の訳であり、refugeesは亡命者とも訳す。難民条約は、難民の権利、特に迫害の恐れのある国へ強制的に送還されない権利を定めており、また労働、教育、公的援助よび社会保障の権利や旅行文書の権利など、日常生活のいろいろな側面について規定している。これも主にユダヤ人難民への対応を目的とし、それを他の民族に拡大したものである。ただし、ここにはイスラエルの建国とパレスチナ難民の問題が絡んでいる。
 先に書いたように、1947年の国連におけるパレスチナ3分割案の可決、48年の第1次中東戦争でのイスラエルの圧勝、49年の休戦協定によるイスラエルのパレスチナ全土80パーセントの支配――これらの過程で、パレスチナ人130万人のうち100万人が難民となったとされる。ユダヤ人は一方で難民として国際社会で救済されながら、一方ではイスラエル建国を通じて他民族に難民を生み出している。背景には、ユダヤ民族を神に選ばれた民とし、他民族を蔑視する選民思想があり、この宗教思想が複雑な民族問題を醸成している。
 1967年には、「難民の地位に関する議定書」が採択され、同年発効した。条約は本来第2次世界大戦による難民を対象にしたものだったが、この議定書によって条約の適用範囲が拡大され、戦後に生じた難民にも適用されるようになった。
 難民及びこれに準ずる国内避難民は、現在世界で4,300万人ほどいるといわれている。
国家を喪失した民族は、ある国の国民となっていても、国内で自由と権利を差別されたり、迫害を受けたりする。ユダヤ人はその最も深刻な例である。1930~40年代、ナチスの支配するドイツで虐待を受けたユダヤ人の中には、国外に逃避して無国籍状態となり、保護を受ける国家を失った者がいた。
 国際社会において、人間の権利を守るものは、その人間が所属する国の政府である。無国籍者は、自分の権利を守ってくれるものがない。国籍を喪失して他国に亡命しようとしても、その国の政府が受け入れなければ、権利を保護されない。国籍とは、国際社会において自分の権利を維持するために、最も大切なものである。それを剥奪されたり、喪失したりした人間は「人間的な権利」を失う。
 ディアスポラ、特に無国籍者と主権国家の関係は、20世紀に現れた新たな人権問題となった。ユダヤ人に限らず、自分が国籍を失ったり、あるいは祖国が消滅したりした無国籍者は、居留している国の政府から強制退去を命じられると、受け入れる国がないということが起きる。第2次大戦後、無国籍は個人の重大な不利益を招くため、無国籍者に関する条約が結ばれるなど、国際社会の取り組みがされてきている。
 1954年には「無国籍者の地位に関する条約」が国連総会で採択され、60年に発効。1961年には「無国籍の減少に関する条約」が採択され、75年に発効した。これらも私は主にユダヤ人を対象とし、それを他の民族に拡大したものと見ている。
 国際労働機関ILOは、1919年のヴェルサイユ講和条約に基づき国際連盟の一機関として設置された。第2次大戦後、「連合国=国際連合」の専門機関となった。国際連盟の機関から、国際連合の機関へと所属は変わったが、国際労働機関として一貫して活動している。
 ILOは、設立以来、移住労働者の権利保護のための条約を採択し、移住労働者の国際的保護に取り組み、第2次大戦後もその取り組みを続けた。私は、この動きも、主にユダヤ人移住労働者の便宜を図ることが動機と考える。労働問題とユダヤ人問題は深いつながりがある。労働問題や社会主義の指導者に、ユダヤ人が多くいることが思い合わせられよう。

 次回に続く。


ユダヤ95~ユダヤ的価値観の世界的普及
2017-08-31 09:25:15 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ的価値観の世界的普及
 
 ユダヤ教は、現世における利益の追求を肯定し、金銭の獲得を肯定する。ユダヤ教的な価値観が非ユダヤ教徒の間にも広く普及したものこそ、今日に至る資本主義の精神だと私は考えている。
 そして、資本主義世界経済の発達によって、ユダヤ教の価値観がヨーロッパ文明のみならず、非ヨーロッパの諸文明にも浸透した。ユダヤ人だけでなく、ユダヤ的な価値観を体得した諸国民が、地球規模の資本主義経済を推進しているのである。
 ここにいうユダヤ的価値観が経済機構として現実化したものの一つが、ヨーロッパ各国につくられた中央銀行である。1913年には、アメリカにも連邦準備制度という名のもとに中央銀行がつくられた。また中央銀行制度を核心として、第2次世界大戦後に作られた世界銀行(IBRD)や国際通貨基金(IMF)、世界貿易機関(WTO)等の国際経済機構も、ユダヤ的価値観が経済機構として現実化したものだろう、と私は考えている。「国際連合=連合国」は、こうした国際経済機構が世界的に機能するための政治的・軍事的な調整機関となっていると思われる。
 第2次大戦後、ドルが基軸通貨となったことにより、アメリカ連邦準備銀行(FRB)は、先進国諸国の中央銀行の中で中心的な存在となった。すなわち基軸通貨ドルを発行し、金利を決定する世界の金融の要となったのである。
 世銀やIMFは、巨額の資金を対象国に融資し、戦後の復興の事業で利益を出した。また、その国が経済発展の段階に入ると、中央銀行を設立したり、または傘下にしたりして、その国の経済を管理下に置く。そして金融を通じて国家を支配する活動をしているものと思われる。その世銀にしてもIMFにしても、アメリカからドルの供給を受ける。世銀やIMFは、アメリカの連邦準備銀行がその国際業務を、国際社会の経済機構に担わせたものとも考えられる。そして、連銀は、純粋にアメリカの銀行ではなく、ユダヤ系を中心とする米欧の巨大国際金融資本が共同出資した世界中央銀行的存在と考えられる。
 アメリカの連邦準備制度とは、ロスチャイルド家が成し遂げたヨーロッパの金融による支配をアメリカにも拡大したものである。さらに、その制度を基礎とする世銀・IMF等は、それを世界に拡大するものだろう。こうした金融による世界支配は、ユダヤ的な価値観に基づくものだと私は考える。その推進主体は、ユダヤ人に限らない。ユダヤ的価値観を体得した非ユダヤ人が、多数いる。ユダヤ系かどうか、ユダヤ教徒どうかは、本質的ではない。ユダヤ的な価値観を体現しているかどうかがポイントである。言い換えれば、巨大国際金融資本が、金融による世界支配を進めているのであり、その所有者や経営者の中には、ユダヤ人もいれば非ユダヤ人もいるということである。
 資本は欲望の権化であり、欲望の物質化・機構化にほかならない。欲望を解放し、欲望が欲望を刺激して、自己増殖するシステムが資本主義である。その欲望の解放・増大を肯定し、促進するのが、ユダヤ的価値観である。
 国家間の対立、イデオロギーや体制の違いに関りなく、資本は双方に投資し、国家間の競争を利用して価値増殖運動を続ける。戦争も平和も、好景気も不景気も、すべてビジネス・チャンスであり、諸国家の興亡も、諸文明の隆衰も、資本の成長にとってはすべてが栄養となる。この資本と決定的に対立するもの。それは、自然である。地球の自然こそ、資本の暴走の前に立ちはだかる、もの言わぬ警告者である。自らの欲望を制御できずに突き進む人類に対し、地球の自然は、自滅の危機を黙示している。中でも重大な警告が、地球の温暖化であり、それに伴う気象の異変や生態系の崩壊である。
 人類社会を大きく変貌させてきた近代西洋文明の重要要素に、ユダヤ的な価値観がある。その価値観を転換し、人と人、人と自然が調和して生きる価値観を確立し、世界に普及すること。それが、現代人類の重要課題である。

●ロスチャイルド家とロックフェラー家の勢力の変化

 ところで、私は、20世紀以降、ヨーロッパの財閥とアメリカの財閥の力関係は、ヨーロッパの国家群とアメリカ合衆国の優劣と相関していると思う。第2次世界大戦後、イギリス、フランス、オランダ、ベルギー等は植民地を失い、国力を下げた。逆にアメリカは、戦時中の軍需生産によって、圧倒的な経済力と軍事力を獲得した。
 ロスチャイルド家は、大戦中、ヒトラーによってフランクフルトとウィーン、またムッソリーニによってナポリのロスチャイルド家が滅ぼされた。生き残ったのは、ロンドンとパリの二家のみとなった。
 その一方、ロックフェラー家は、躍進したアメリカにおいて、全米の富の半分以上を所有する巨大財閥となった。その結果、ロスチャイルド家は相対的に力を弱め、ロックフェラー家が勢力を伸ばした。
 ただし、ロスチャイルド家は、大戦で痛手を受けたとはいえ、なお巨大である。戦後もイギリス王室の繁栄は、ロスチャイルド家の富で支えられ、フランスの国家経済はロスチャイルド家の影響下にある。ウィンストン・チャーチルは戦後も常にロスチャイルド家に忠実であり、ジョルジュ・ポンピドゥーはロスチャイルド銀行の頭取からフランスの首相となった。ユダヤ人を同化したイギリスやフランスは、逆に経済的にはユダヤ人の特定集団に支配される国になったのである。
 イギリスは、アラブ対ユダヤの対立に手を焼き、1947年(昭和22年)、パレスチナの委任統治権を「国際連合=連合国」に返上した。以後、ユダヤ人国家を建設しようとするシオニズムの後ろ盾となる国家は、アメリカに替わった。ここで重要な役割を担うことになったのが、ロックフェラー家である。
 ロックフェラー財閥は、スタンダード・オイル社の創業者一族であり、代々アメリカの石油、金融、不動産、軍事産業、マスコミなどあらゆる産業を支配してきた。その富をもって、国際政治に強い影響力を発揮してきた。ロックフェラー家はユダヤ系ではないが、ロスチャイルド家とは深い関係にあり、ユダヤ的価値観を体得・体現した財閥である。
 アメリカは、イスラエル以外で、世界で最も多くのユダヤ人が住む国家である。アメリカのユダヤ人の6~7割はニューヨークに住む。ニューヨークの人口の3~4割はユダヤ人といわれ、世界の金融を支配するウォール街は、ロンドンのシティとともに、ユダヤ人が活躍する舞台である。それゆえ、英米両政府は、ロスチャイルド家をはじめとする巨大国際金融資本の要望と支援を受けて、ユダヤ人の権利が保障されるような国際社会を実現しようとしてきたと考えられる。

 次回に続く。


ユダヤ96~現代世界を動かす国際組織とユダヤ人
2017-09-02 08:51:47 | ユダヤ的価値観
●現代世界を動かす国際組織とユダヤ人
 
 私は、現代世界の社会は大まかに分けて四つの集団で構成されている、と考える。その四つの集団とは、所有者集団、経営者集団、労働者集団、困窮者集団である。詳しくは、現代世界の支配構造の項目に書いた。
 これら四つの集団のうち、ユダヤ的価値観は、所有者集団と経営者集団を中心に深く社会に浸透している。所有者集団と経営者集団は合わせて支配集団をなし、労働者集団と困窮者集団による被支配集団を支配している。それゆえ、ユダヤ的価値観は支配集団が被支配集団を支配する価値観として機能している。
 現代の国際社会には、欧米を中心とした所有者集団が、国際的な政治・経済を自己の利益にかなうように方向付けるための組織が存在する。「国際連合=連合国」、世界銀行(IBRD)国際通貨基金(IMF)、世界貿易機関(WTO)等の国際機関がそうである。また、各国の中央銀行の中心には、アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)がある。これらの国際機関・国際組織は、今日、ユダヤ的価値観に基づくグローバリズムの推進のための機能している。グローバリズムとは、資本の論理によって国家の論理を超え、全世界で単一政府、単一市場、単一銀行、単一通貨をめざす思想であり、既存の国家を超えた統一世界政府を目指す地球統一主義または地球覇権主義である。
 先に書いた国際機関・国際組織に加えて重要な組織が四つある。英国の王立国際問題研究所(RIIA)、米国の外交問題評議会(CFR)、オランダを中心とするビルダーバーグ・クラブ(BC)、米国を中心とする日米欧三極委員会(TC)である。第1次大戦後にできたRIIAとCFRについては、既に書いた。ここでは、第2次大戦後にできたBCとTCについて書く。
 第2次世界大戦後、イギリス王室とオランダ王室が主軸となり、ロスチャイルド家等の巨大国際金融資本家と連携して、欧米の所有者集団が国際的に連携するために作ったのが、ビルダーバーグ・クラブ(BC:Bilderberg Club)である。
 創設の中心となったのは、ビルダーバーグ・クラブの象徴といえるオランダのベルンハルト公である。ベルンハルト公は、ロイヤル・ダッチ・シェルやソシエテ・ジェネラール・ド・ヘルジークの大株主である。ロイヤル・ダッチ・シェルは、ロスチャイルド家の石油会社シェルと合併した会社である。ベルンハルト公は、ロスチャイルド家と共同経営者の関係にある。
 ベルンハルト公は、現オランダ女王ベアトリクスの父である。オランダ王室は、世界規模で資産運用を図る金融投資顧問団を持つ。ベアトリクス女王は、イギリスのエリザベス女王を遥かに上回る資産家といわれる。
 ビルダーバーグ・クラブは、1954年(昭和29年)に第1回会議が開催された。西欧の王族・貴族、欧米各国の現職閣僚や有力政治家、NATO等の軍事関係者、中央銀行総裁、投資銀行家、国際的大企業の経営者、マスメディアの代表者等が参加する欧米白人種中心の世界支配体制を維持するための最高戦略会議と見ることが出来る。
 ビルダーバーグ・クラブの設立には、ユダヤ人のユゼフ・レッティンゲルが重要な役割を果たした。 レッティンゲルは、ポーランド生まれで、パリのソルボンヌ大学で教育を受けた。戦前は、ポーランドの外交官で諜報員だった。戦後、イギリスに亡命し、以後は「女王陛下の秘密諜報員」として生きたといわれる。
 レッティンゲルは、欧州統合を目指し、英米連携を強めながら、舞台裏で積極的に行動した。そのような中で設立されたのが、ビルダーバーグ・クラブである。レッティンゲルはビルダーバーグ・クラブの終身事務局長となり、欧州政界の実力者として活躍した。
 次に日米欧三極委員会(TC:Trilateral Commission)は、1973年(48年)にデイヴィッド・ロックフェラーが設立した。
 アメリカを中心として、西欧と日本・アジアを結ぶ組織である。日本・北米・ヨーロッパなどからの参加者が会談する私的組織であり、民間における非営利の政策協議グループである。目的は、先進国共通の国内・国際問題等について共同研究及び討議を行い、政府及び民間の指導者に政策提言を行うことである。
 TCの設立の際、ユダヤ系のブレジンスキーが世界的な視野をもった戦略家として、デイヴィッドに助力した。
 設立時は、デイヴィッドが議長、ブレジンスキーが北米支部委員長となった。ブレジンスキーは事務局長も務めた。ブレジンスキーの後は、ユダヤ人のキッシンジャーが継いだ。
 RIIA、CFRやBC、TCは、欧米を中心とした近代世界システム中核部の支配集団が織り成すネットワークであり、巨大国際金融資本家、王族、貴族、政治家、学者、報道人等が参加している。所有者・経営者の集団は、これらの国際組織を通じて、西欧諸国やアメリカの外交政策、さらには日本やアジアの外交政策にも影響を及ぼしている。そして、こうした国際組織では、ユダヤ人の巨大国際金融資本家たちと、彼らに仕えるユダヤ人の政治家・官僚・学者等が活動している。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「現代世界の支配構造とアメリカの衰退」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09k.htm


ユダヤ97~現代米国の政治とユダヤ人
2017-09-05 09:22:56 | ユダヤ的価値観
●現代米国の政治とユダヤ人

 次に、第2次世界大戦後のアメリカの政治とユダヤ人の関係について述べる。
 第2次大戦後、アメリカはイギリスに代わってシオニズムの後ろ盾になった。また、アメリカではユダヤ人が経済・政治・外交・科学・芸術等の様々な分野で活躍し、ワイマール共和国時代のドイツをしのぐほどの状態となっている。
 米国には、民主党・共和党という二大政党がある。民主党は、合衆国独自のデモクラシーを形成した第3代大統領トマス・ジェファーソン、第7代大統領アンドリュー・ジャクソンの流れを汲み、1830年から「民主党」を名称にしている。当初、北部では大都市のカトリックやユダヤ系移民に支持され、南部では奴隷制廃止に反対する白人層が支持者であった。しかし、1929年の大恐慌後、フランクリン・ルーズベルトのもとで、所得再分配・中小企業重視・弱者救済を重視する政策を行い、北部や労働者に支持層を広げた。
 一方、共和党は1854年に奴隷制反対の地方政党が各州に成立し、56年これらを統合して現在の党が成立した。共和党は、民主党とは逆に1960年代以降、南部へ進出して、さらに保守的な性格を強めた。その結果、現在は共和党がレッド・ステイツと呼ばれる南部を中心に勢力を持ち、民主党はブルー・ステイツと呼ばれる北部を中心に勢力を持つことになっている。
 政治的立場は、大まかに言って共和党は保守、民主党はリベラルと分類される。共和党は富裕層に支持者が多く、主に大企業・軍需産業・キリスト教右派・中南部の保守的な白人層などを支持層とする。民主党は労働者や貧困層に支持者が多く、主に東海岸・西海岸および五大湖周辺の大都市の市民、ヒスパニック、アフリカ系・アジア系など人種的マイノリティなどを支持層とする。ユダヤ系には民主党支持者が多い。その関係もあって、マスメディア関係者、ハリウッド映画関係者等には民主党支持者が多く、アメリカのメディアの大半が民主党寄りという特徴を示す。
 民主党は労働者や貧困層に支持者が多いと書いたが、民主党にはニューヨークの金融資本家から多額の資金を得ているという別の一面がある。これは、ユダヤ系米国人には民主党の支持者が多いことと関係がある。またロックフェラー家が民主党最大のスポンサーとなっている。ここには二大政党というだけでは見えないアメリカの政治構造がある。
 アメリカは、実質的な二大政党制である。国民は二つの大政党が立てる大統領候補のどちらかを選ぶ。片方が駄目だと思えば、もう片方を選ぶ。そういう二者択一の自由はある。しかし、アメリカでは、大統領が共和党か民主党かということは、決定的な違いとなっていない。表向きの「顔」である大統領が赤であれ青であれ、支配的な力を持つ集団は外交・国防・財務等を自分たちの意思に沿うように動かすことができる。アメリカの二大政党の後には、巨大国際金融資本が存在する。共和党・民主党という政党はあるが、実態は政党の違いを越えた「財閥党」が後ろから政権を維持・管理していると考えられる。この「財閥党」に少なからぬ影響力を及ぼしているのが、欧米のユダヤ系資本家であると考えられる。
 民族的・宗教的な集団の関係という点からみると、建国以来アメリカの支配的集団をなしてきたWASPは今日も上流階層をなし、共和党支持者が多い。非WASPには、白人だが労働者集団のカトリックでホワイト・エスニックと呼ばれる集団やユダヤ系が含まれる。彼らは民主党支持者が多い。
 アメリカでは、20世紀に入ると、欧州のロスチャイルド家を後ろ盾に持つユダヤ系が経済的な実力を発揮し、ニューディール政策を行ったFDR政権の時代以降は、WASPとほぼ拮抗している。共和党・民主党の勢力図には、こうした要素もある。
 覇権国家アメリカの政策は、巨大国際金融資本家や石油や軍事等の多国籍企業の経営者たちによって、ほとんど決められている。これらの所有者・経営者の集団が、支配的な集団をなしている。彼らは、アメリカの大統領を選ぶだけではなく、大統領顧問団や政策までも決定する力を持っている。そして、誰が大統領かに関係なく、大統領を管理し、アメリカという国家を実質的に支配し続けている。彼らは、しばしば直接政府の要職に就いて、政府を動かしてもいる。彼らの多くは、自らが外交問題評議会(CFR)、ビルダーバーグ・クラブ(BC)、三極委員会(TC)という世界の政治・経済に需要な影響を及ぼす組織の会員であり、また彼らの意思を理解する優秀な人材をこれらの組織に参加させ、政府に送り出している。
 ユダヤ人は、アメリカの人口の1.7%(2010年現在)を占めるにすぎないが、優れた経済的・政治的・知的能力によって、アメリカの支配層において、確固たる存在感を示している。
 20世紀後半に、在米のユダヤ人は、米国の政治・経済・外交・文化・教育・科学等を左右する一大勢力となった。現在、アメリカ合衆国は、イスラエル以外では世界最大のユダヤ人人口を有する親ユダヤ国家となっている。2010年現在でイスラエルのユダヤ人人口は570.4万人、アメリカ合衆国は527.5万である。アメリカ文化は、合理主義、物質主義、拝金主義という特徴を持つ。そこには、ヨーロッパ文化の持つ中世以来の伝統を削ぎ落した近代性の徹底が見られる。その特徴は、アメリカ文化の中に溶け込んだユダヤ文化の特徴でもある。それが、伝統豊かなヨーロッパにおけるよりも、もっと直接的な形で表現されたものだろう。
 近代世界において、ユダヤ人は世界的な帝国の中枢に入る。カネの力でそれを実質的に支配する。イギリスでは、アングロ・サクソン文化とユダヤ文化が融合し、アングロ・サクソン=ユダヤ的な文化が発達した。イギリスを後継した覇権国家アメリカでは、アングロ・サクソン=ユダヤ文化にアメリカ独自の要素が加わったアメリカ=ユダヤ文化が発達した。その核心にはユダヤ的価値観が存在する。アメリカ=ユダヤ文化の広がりによるアメリカナイゼイションは、同時にユダヤ的価値観の世界的浸透を推し進めるものとなっている。

 次回に続く。


ユダヤ98~トルーマン、アイゼンハワーとユダヤ人
2017-09-07 09:28:23 | ユダヤ的価値観
●トルーマンはユダヤ人社会に協力的
 
 次に、第2次世界大戦後のアメリカの歴代政権とユダヤ人の関係を見ていく。
 ハリー・トルーマンは、大戦末期の1945年(昭和20年)4月フランクリン・デラノ・ルーズベルトが急死したため、副大統領から大統領に就任した。
 ルーズベルト政権に続いて、バーナード・バルークがトルーマンに対する大統領顧問的な存在となっていた。ユダヤ人の大富豪であり、軍需産業の中心人物である。マンハッタン計画で原爆が完成すると、バルークはトルーマンに原爆の対日使用を積極的に勧めた。また、ヘンリー・スティムソンがFDR政権に続いて、実質的にアメリカの戦争を指揮した。彼が原爆開発計画の最高責任者として広島と長崎への原爆使用を決定した。トルーマンはスティムソンを全面的に信頼した。バルーク、スティムソンは、ロスチャイルド家につながっていたと推測される。
 1947年5月、国連では、パレスチナ問題が議題に上がると、トルーマンは、パレスチナ3分割案を断固支持し、国連で多数派工作を行い、総会での可決を導いた。翌年5月14日にイスラエルが独立を宣言すると、トルーマンはただちにその実効支配を承認した。トルーマンが3分割案を支持し、イスラエルの実効支配を承認したのは、その年11月の大統領選に向けてユダヤ人の支持を得るという政治的な打算が働いたと見られる。トルーマンは敗色濃厚だった。だが、ユダヤ人銀行家のエイブラハム・フェインバーグが彼を支持し、資金集めを行った。イスラエルと米国ユダヤ人資本家の背後には、ロスチャイルド家が存在する。トルーマンはユダヤ人社会から資金の提供を受け、またユダヤ票の約75%を獲得した。それが、彼の勝利の一因となった。

●アイゼンハワーはユダヤ人社会と距離を置いた

 ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワーは、第2次世界大戦において、連合国遠征軍最高司令部最高司令官、陸軍参謀総長等を歴任して戦功を挙げた。大統領選にあたって退役し、民主党候補を破って、久方ぶりの共和党の大統領となった。彼の例のように、米国は生粋の軍人が大統領になれる国である。軍人が国家最高指導者になるのは民主主義に反するなどと考えるのは、欧米諸国の実態を知らない者の思い込みに過ぎない。
 アイクの父親はウェストポイント陸軍士官学校の卒業年次別名簿に、スウェーデン系ユダヤ人と書かれている。それゆえ、アイクはユダヤ系と見られる。だが、アイク政権では、トルーマンと政権時代とは違い、在米ユダヤ人社会は政府に対する影響力を大幅に失うことになった。
 第2次中東戦争で、アイク政権はイスラエル軍の先制攻撃を強く非難し、占領したシナイ半島から撤退するよう要求した。イスラエルはこれに同意せざるをえなかった。この時の政治的敗北を教訓として、ロビー団体を通じて活動を行うようになった。またユダヤ人社会は政治献金や票集めを通じて、民主党との結びつきを強めた。ユダヤ人は民主党の候補者を大統領にすることで、自らの政治的要求を実現することを目指した。ジョン・F・ケネディは、1960年秋の大統領選で、彼らの期待を受けて当選した。
 1961年1月、アイゼンハワーは、大統領辞任演説で、軍産複合体の危険性を国民に語った。「この巨大な軍隊と軍需産業の複合体は、アメリカが経験したことのない新しいものである。(略)大変な不幸をもたらす見当違いな権力が増大していく可能性がある。軍産複合体が我々の自由と民主主義の体制を危険に陥れるのを、手をこまねいて待っていてはいけない」と。
 軍産複合体とは、軍需産業の中から戦争で利益を上げる大規模な企業集団が出現し、国防総省、軍、CIA等が結びついて、巨大な勢力となったものである。その形成の中心には、ユダヤ人の「死の商人」バルークがいた。
 アイゼンハワーは、バルークを名指したり、ユダヤ人に言及したりはしていないが、自らの利益のため、政府に働きかけ、政策を左右するようになった軍産複合体について、国民に注意をうながしたのである。軍人出身の彼が注意を促すほど、軍産複合体の増殖は危険なものを見せていたのである。

 次回に続く。


ユダヤ99~ケネディ大統領暗殺の背後にあるもの
2017-09-09 09:12:58 | ユダヤ的価値観
●ケネディ大統領暗殺の背後にあるもの

 アイゼンハワーに続いて、1961年(昭和36年)1月、民主党のジョン・F・ケネディが第35代大統領になった。大統領選の相手は、アイク政権の副大統領リチャード・ニクソンだった。ケネディ家はアイルランド系のカトリックでWASPに属さないから、JFKにとってユダヤ票の獲得は切実な課題だった。一方、米国のユダヤ人社会は、アイク政権で政府に対する影響力を大幅に失ったから、民主党支持に力を入れ、若き大統領候補ケネディに肩入れした。
 ケネディは、ニクソンに僅か0.2%の得票差で勝利した。ユダヤ票の約80%を獲得したことが大きかったといわれる。ケネディは、イスラエルのベン=グリオン首相に、ユダヤ人の票のおかげで当選したことを感謝する言葉を述べた。もちろんイスラエル国民には米国での投票権はないから、これは背後にいるユダヤ人の国際的ネットワークを意識した謝礼だろう。それだけではない。ケネディは、最新鋭の空対空近距離ミサイル、ホークをイスラエルに供与した。米国によるイスラエルへの最初の実質的な軍事援助だった。また、ケネディは、2名のユダヤ人を閣僚に起用した。労働長官のアーサー・ゴールドバーグ、保健・教育・福祉長官のエイブラハム・リビコフである。
 ケネディは米国民の支持を集め、人気の絶頂にあった1963年(昭和38年)11月22日、テキサス州ダラスでパレード中に暗殺された。政府はすぐ、連邦最高裁長官のアール・ウォーレンを委員長とする真相究明委員会を設置した。委員会は、事件の約10ヵ月後、リー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯行だとする最終報告書を出した。報告書には矛盾が多く、この事件には不可解な点が多い。
 現職の大統領が白昼公然と暗殺されるという重大事件だというのに、事件の真相は、21世紀の今日もなお解明されていない。証拠物件は、政府によって、2039年まで公開されないことになっているからである。なぜそうしなければならないのか。極めて不自然であり、真相を隠蔽する必要あってのことだろう。詳しくは、拙稿「現代の眺望と人類の課題」の第7章を参照願いたい。ここでは、簡単に書く。
 なぜケネディは暗殺されたのか。誰が何の目的で大統領を暗殺したのか。暗殺の首謀者にはいろいろな説がある。犯行を計画したり、または関与したりしたという疑いが出ているのは、リンドン・ジョンソン副大統領、CIA、軍産複合体、大統領選でケネディに敗れたニクソン、ブッシュ父、イスラエルの諜報機関モサド、ギリシャの大富豪オナシス等である。彼らのうちの単独犯という説もあれば、複数による共謀説もある。
 事件の原因を考えるには、ケネディの行っていた政策と暗殺後のアメリカの変化を検討してみる必要があるだろう。
 概略を述べると、ケネディは、軍産複合体の肥大・暴走を防ぎ、軍産複合体の諜報部のようになっているCIAを抑えようとした。ベトナム戦争では早期撤退を進めようとした。また彼は、軍産複合体と結合した巨大国際金融資本から通貨の発行権を政府に取り戻そうとした。イスラエルの核保有への協力を拒否した。ユダヤ系を中心とするマフィアを一掃し、彼らに有罪を宣告しようとした。これらを通じて、ケネディは、大統領の権限を強め、非政府集団からリベラル・デモクラシーを守ろうとした。ケネディの死後、こうした彼の試みは次々に覆され、政府が背後の非政府集団によって動かされる構造がアメリカ合衆国で出来上がっていったと私は考える。
 次に、事件のなぞと考えられる理由のうち、イスラエルとユダヤ人に関することのみを書く。
 ケネディは、イスラエルが核開発をすることを認めなかった。イスラエルの初代首相ダヴィド・ベン=グリオンは、こうしたケネディに激怒した。ベン=グリオンは、イスラエルの諜報機関モサドに大統領暗殺の陰謀に関与するよう指示したことを疑われている。
 ケネディが暗殺された後、アメリカはイスラエルの核保有を黙認するようになった。事件の4年後、1967年(昭和42年)に、アメリカはイスラエルへの主要武器供給国となった。また、1960年代から、イスラエルはアメリカの政界・議会へのロビー活動を活発に行い、アメリカ指導層をイスラエル支持に固めた。以後、アメリカの政府・議会は、アメリカの国益よりイスラエルの国益を優先するような判断・行動を多くしている。
 なおケネディの考えが改まらないことを悟ったベン=グリオンは、共産中国と組むことを決め、ひそかに共同取引を開始した。そしてイスラエルと中国は協力して核開発を進めた。中国は、その後、パキスタン、イラン等のイスラーム教諸国にも核技術を提供している。
 ケネディは、マフィアを一掃しようとし、彼らに有罪を宣告しようとした。アメリカのマフィアといえば、イタリア系マフィアというイメージがあるが、これはユダヤ人が支配するハリウッド映画界によって作られたイメージである。実際はアメリカ最大のマフィアはユダヤ系である。そのユダヤ系マフィアとイスラエルとの間には、宗教的・民族的なつながり、共通の利害関係もあるだろう。
ケネディに対して、マフィアは怒った。ユダヤ系マフィアの大物マイヤー・ランスキーもその一人だった。オズワルド殺害の犯人ジャック・ルビーは、ランスキーの手下だった。ルビーもユダヤ人だった。ウォーレン委員会でウォーレン委員長は、ルビーに証言させないことを決定した。真相解明のためには、ルビーの証言は不可欠なのにである。
 ケネディ大統領が暗殺された後、アメリカはイスラエルの核保有を黙認するようになった。1960年代から、イスラエルはアメリカの政界・議会へのロビー活動を活発に行い、アメリカ指導層をイスラエル支持に固めていった。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「ユダヤ的価値観の超克」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ100~ユダヤ人反体制思想の影響
2017-09-12 09:28:03 | ユダヤ的価値観
●ジョンソン政権と軍産複合体の成長
 
 ケネディ暗殺後、リンドン・ジョンソンが副大統領から大統領に就任した。ジョンソンは、暗殺事件への関与を疑われている人物の一人である。
 ジョンソンは、ケネディが始めたイスラエルへの軍事援助政策を継承し、アメリカ製の軍用機をイスラエルに供与した。私は、このことからのアメリカとイスラエルの関係を、アメリカ=イスラエル連合と呼ぶ。この連合は、やがて軍事協定を結ぶ米猶同盟に発展することになった。
 ジョンソンは、軍産複合体の意思を体現した人物だった。ベトナム戦争では、トンキン湾事件を捏造し、1965年(昭和40年)、北爆開始により、戦争を拡大した。アメリカは以後、73年(昭和48年)に撤退し、戦争終結が宣言されるまで、泥沼のような戦争を続けた。その間、戦争特需により、軍産複合体は、さらなる成長を続けた。
 アメリカの軍産複合体の背後には、ユダヤ系を含む巨大国際金融資本がある。1960年代後半、ジョンソン政権の時代に、アメリカでユダヤ系を含む金融資本が勢いを伸長する出来事があった。1950年代に郵便貯金を廃止する議論が興り、66年(昭和41年)に廃止されたのである。そのために、ニューヨークのユダヤ系を含む大銀行が、全米の各州に子会社(現地法人)を作り、郵便貯金を自分たちの資金にしてしまった。それによって、ニューヨークの金融資本が、アメリカ全土を金融で支配するようになった。郵便貯金が廃止された結果、建国以来の支配集団であったWASPが一層後退し、ユダヤ系を含む金融資本が勢力を振るう国になったのである。

●ユダヤ人反体制思想の影響

 歴代政権の話から離れるが、ここで1960年代前後のアメリカにおけるユダヤ人の反体制思想について述べておきたい。
 戦後のアメリカ社会に重要な影響を与えたものに、ドイツからナチスの迫害を逃れて渡米したフランクフルト学派のユダヤ人の思想がある。フランクフルト学派の中心的存在であるホルクハイマーと盟友のアドルノは、アメリカの商業主義的な文化や、合理主義的な管理社会を批判した。それは資本主義文化への批判であるとともに、アメリカ文化への批判でもあった。このヨーロッパからきたユダヤ人たちの所論は、戦後のアメリカ社会に、じわじわと浸透していった。1960年代には彼らが1950年に出した『権威主義的パーソナリティ』が、若者を揺さぶった。これは、アドルノがカリフォルニア大学バークレー校の世論研究グループとともに行った研究を発表したものである。彼らは渡米後刊行した『権威と家族』の研究を発展させ、ナチズムや反ユダヤ主義に見られる人間の性格分析を進めた。そして、裕福で一家そろってクリスチャン、父親が権威主義的という家庭に育った子供は、独裁的な人種差別主義者に育つとした。「家父長制家族はファシズムのゆりかごである」とアドルノは断じた。彼らの思想は、やがて1960年代の米国の若者による文化批判や反体制運動に影響を与え、またフェミニズムを急進化させることになった。
 ホルクハイマー・アドルノ以上に大きな社会的な影響をもたらしたのは、マルクーゼである。マルクーゼは、フロムが試みたマルクスとフロイトの統合を闘争的な方向へ推し進めた。晩年のフロイトは、1930年刊の『文化の不満』において、人間には生の本能と死の本能があるとし、それぞれエロスとタナトスと呼んだ。彼によると、文化は、個人や家族、国家等を、人類へ統合しようとするエロスのための過程である。ところが、エロスによって文化が発達すればするほど、その一方で解体と自己破壊をもたらすタナトスも高まり、人間を脅かすと洞察した。マルクーゼは、こうしたフロイト晩年の理論を発展させ、1955年に『エロス的文明』を書いた。そこで、彼は、文化の担い手であるエロスの復興こそが、人間解放の条件であるとし、それは社会構造の根本的な変革によってのみ可能であると説いた。本書は、1960年代のアメリカでベビーブーマーを中心に読まれた。
 ベトナム反戦運動、ドラッグ革命、性革命、黒人公民権運動、ウーマン・リブこそ、マルクーゼが理論的に推進するものだった。これらの運動には、「来るべき文化革命でプロレタリアートの役」を演じる者たちがいるとした。マルクーゼによって、マルクス以来の労働者階級を主体としたプロレタリア革命の理論の枠組みは破られた。彼の影響は、アメリカから西欧・日本に波及した。それを象徴的に表わすことがある。1968年(昭和43年)5月、フランスのパリで5月革命が起こった時、学生・知識労働者の一部が「マルクス・マオ(毛沢東)・マルクーゼ」という3Mの旗を掲げたことである。
 マルクーゼは著書『弱肉強食』で、新たな革命戦術を述べている。「文化革命を正しく論じることは誰にもできる。なぜなら、あらゆる文化制度に向けられた抗議だから。……一つだけ確実に言えることがある。伝統的革命思想、伝統的革命戦略はもはや通用しないということだ。そうしたやり方は時代遅れだ。……われわれが着手すべき革命は、社会制度を広汎に渡って解体するような革命である」。
 マルクーゼこそ、ルカーチによる共産主義の文化革命戦術を現代化した理論家なのである。そして、彼の理論は、欧米や日本で、新左翼運動やフェミニズムに大きな影響を与え続けている。ユダヤ人マルクーゼの革命理論を語るときに欠かせないマルクス、フロイト、フロム、ルカーチがみなユダヤ人であることをあらためて指摘しておきたい。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ101+102~ニクソン政権でユダヤ人が共和党に影響拡大
2017-09-14 08:54:01 | ユダヤ的価値観
●ニクソン政権でユダヤ人が共和党に影響拡大
 
 歴代政権のことに話を戻す。ジョンソンの後を受けて、共和党のリチャード・ニクソンが第37代大統領になった。
 ニクソンは1968年(昭和43年)の選挙で当選したが、対立候補との票差はわずか0.6%という苦戦をした。原因の一つは、ユダヤ票を得られなかったことである。共和党の支持者には、ユダヤ人差別の中心となっている白人プロテスタントが多かった。それゆえ、当時、共和党とユダヤ人社会とは結びつきが小さかった。
 ニクソンは1972年(昭和47年)の再選に向けて、ニューヨーク州のユダヤ人社会の支持を得ることを目指した。ユダヤ人実業家マックス・フィッシャーは、イスラエルの安全保障、ソ連のユダヤ人への救援、法と秩序維持という3点をニクソンに示し、ユダヤ票の取り込みを進めた。また、民主党支持のユダヤ人富豪を次々に寝返らせていった。そのことが、ニクソン再選の大きな勝因となった。また、この選挙を通じて、それまで民主党にのみ影響力を振るってきたユダヤ人社会が、民主・共和の両党ともに影響力を振るうようになった。
 ニクソン以前の大統領は、イスラエルとアラブ諸国の双方と友好姿勢を保った。ケネディ・ジョンソン両政権を通じて米・イスラエル関係は成長したものの、その歩みはゆっくりしていた。だが、ニクソンはイスラエルに大きく接近した。ニクソンは、1970年代に、ジョンソン政権時代のイスラエルへの援助額を倍以上に増やした。それ以後、イスラエルはアメリカから援助金を受け取る国々の中で、最大の受給国となった。ニクソン政権は、歴代政権で初めて、イスラエルに対して軍事技術を提供するようになった。アメリカの軍事技術の供与は、イスラエルの軍需産業を世界に冠たるものへと発展させることになった。こうして、ニクソン政権の時代に、アメリカとイスラエルの強固な同盟関係が始まった。
 米国において、ユダヤ人は1970年頃まで連邦議会にはほとんど進出していなかった。だが、70年代前半のニクソン政権時代を境にして、連邦議会におけるユダヤ人議員の数は、一挙に3~4倍に急増した。そのことは、ユダヤ人が米国の政治において、それだけ力を獲得していったことを意味する。

●ニクソン・フォード両政権のキッシンジャー外交

 ベトナム戦争の長期化等で、アメリカはドルの金兌換性を維持できなくなった。ニクソン政権は、1971年(昭和46年)8月に突然、金とドルの交換を停止した。このニクソン・ショックによって、各国は次々に変動相場制に移行した。以後、ドルは長期的に競争力を失っていく。また貨幣が投機の対象となり、資本主義は段々、賭博場のような性格を帯びるようになっていった。そのことが、ユダヤ的価値観の普及を促進することになった。
 ニクソン政権は、ベトナム戦争の終結に向けて、米中国交の実現、米ソ貿易の拡大等、目覚ましい外交を行った。ニクソン政権の外交は、ほとんどがヘンリー・キッシンジャーの忍者外交によるものだった。国際政治学者のキッシンジャーは、今日のアメリカの外交政策に最も強い影響を与えている人物の一人である。ニクソン政権で。国家安全保障担当の大統領補佐官を務め、のち国務長官を兼任した。ジェラルド・フォード政権でも国務長官として外交政策全般を統括した。
 キッシンジャーは1923年、ドイツ生まれのユダヤ人である。ナチスが政権を掌握したため、1938年に一家でアメリカへ移住し、43年に帰化した。第2次世界大戦の時は陸軍に志願し、軍曹として、アメリカ陸軍の諜報部隊で任務についた。戦後、ハーバード大学に進学し、国際政治学を専攻した。
 キッシンジャーは、学生時代からロックフェラー財団の特別研究員だった。若きキッシンジャーのずば抜けた優秀さに注目したのが、ジョン・D・ロックフェラー2世の次男ネルソン・ロックフェラーだった。ネルソンと出会って以来、キッシンジャーは、政治の世界に足を突っ込んだ。キッシンジャーは、ネルソンの外交問題首席顧問となり、ネルソンの政治的野心の追求を支えた。
 ネルソンは、1968年(昭和43年)の大統領選で共和党の大統領候補指名選挙に立候補した。しかし、ニクソンに敗北した。そこで、ニクソンを大統領に仕立て、キッシンジャーをニクソンに強く推薦した。国家安全保障担当大統領補佐官となったキッシンジャーは、ニクソン政権の外交全般を取り仕切った。
 キッシンジャーは、同じくユダヤ人の国際政治学者であるハンス・モーゲンソーの現実主義的外交を継承・実践した。キッシンジャーのバックには、ロックフェラー家があり、キッシンジャーはその意思を体した行動をしたとも見られる。

 キッシンジャー外交は、米中国交実現、米ソ貿易拡大、ベトナム戦争終結への道筋付け、中東戦争の解決等、驚嘆すべき成果を次々に生み出した。
 キッシンジャーは、非常に高度な外交を行った。すなわち、ベトナムへの派遣軍を削減はするが、戦争をすぐ止めるのでなく続けつつ、同時に終結の条件を整えていく。しかも、それによって、冷戦下の国際関係、米中・米ソの関係を自国の国益にかなうように組み替えていくというものである。
 1969年(昭和44年)、中ソは、共産主義の路線対立が高じて、国境紛争に至った。中国は、ソ連から自立して独自の核開発を進め、1964年(昭和39年)に核実験に成功していた。70年(45年)4月には、人工衛星を打ち上げ、IRBM(中距離弾道ミサイル)が完成していることを世界に示した。ソ連は強大化する中国を押さえるため、核攻撃の共同作戦をアメリカに提案した。アメリカはこれを断り、逆に中ソの間に楔を打った。その結果、米中ソの三角関係と呼ばれる勢力均衡状態が生まれた。
 1971年8月、ニクソン大統領は、ニクソン・ショックでドルを守る体制を作った。キッシンジャーは、この年、極秘で共産中国を2度訪問し、米中和解の道筋を付けた。それを受けたニクソン大統領は、1972年(昭和47年)2月、共産中国を訪問した。これは、ベトナムの背後にいる中国とソ連が、当時中ソ対立で緊迫化している状況を捉えて、中ソ分断を狙うものだった。ニクソン訪中で、米中両国は、国交実現に合意した。米国はその一方、それまで反共の友好国だった中華民国台湾との国交を断絶した。共産中国は、台湾に代わって国連安保理の常任理事国となった。
 キッシンジャーは、米中とソ連の対決という構図で緊張を高めるのではなく、ソ連との間では第1次戦略兵器制限条約(SALT1)を締結した。さらに第2次交渉を進めるなど、緊張緩和(デタント)政策を推進した。こうして米中、米ソの勢力均衡を組み直しながら、ベトナム戦争終結の条件を整えていった。
キッシンジャーの交渉は3年半かかって、ようやく終結の道筋がつき、1973年(昭和48年)、パリ和平協定が調印された。協定により米軍は撤退した。
 この年、第4次中東戦争が起こった。アラブ産油国はアメリカ、オランダ等のイスラエル支持に対抗して原油の値上げを行った。それによって第1次石油危機が起こった。わが国はイスラエル支持からアラブ寄りの姿勢にスタンスを変えた。欧州共同体(EC)の諸国も高い原油価格で窮地に陥り、アラブ寄りの方針を明らかにした。開発途上国の多くも、イスラエル批判に転じたので、イスラエルは孤立した。だが、イスラエルは、外交力・諜報力を駆使して、巻き返しを図った。
 キッシンジャーは、典型的なシオニストである。一貫してシオニズム及びイスラエルの利益のために行動した。また、それを隠そうとしない。国務長官時代に、米国最大のユダヤ人団体であるユダヤ名誉毀損防止同盟(ADL)が引き起こした事件に際し、25回以上も団体の代弁者として登場した。彼は、シオニストの指導者たちを多くの政府機関の役職に就けた。また、ADLやほかの多数のシオニスト機関が永遠に免税措置を受けられるよう、元内国歳入庁(IRS)長官シェルダン・コーエンに説いて、IRSの規則を書き換えさせた。
 キッシンジャーは、ネルソン・ロックフェラーをはじめとするロックフェラー家と強いつながりを持つが、同時にロスチャイルド家とも深い関係がある。キッシンジャーは、ロスチャイルド家、それと切り離せないイギリス、及びイスラエルの利益のためにも貢献したと推測される。ロックフェラー家とロスチャイルド家が協力する領域にこそ、ユダヤ人シオニストのキッシンジャーが活躍する舞台があったと考えられる。
 ニクソンは、ウォーターゲイト事件で失脚した。続くフォードは、ニクソン政権が打ち出した親イスラエル政策を継承した。また、キッシンジャーを引き続き国務長官として重用した。キッシンジャーこそ、現代世界のユダヤ人の中で、最も大きな政治権力を国際政治の舞台で行使した人物と言えるだろう。
 キッシンジャーは、フォード政権の終焉とともに、国務省を去った。その後、キッシンジャー・アソシエイツという会社を設立し、アメリカの多国籍企業の国際的な権益増進に寄与すべく、各社と顧問契約を結び、企業活動をしている。また、米中国交回復の立役者としての実績、人脈をもとに、共産中国の投資研究機関とともに、中国における大規模な商業権益にも関与している。
 キッシンジャー・アソシエイツの共同経営者の一人に、イギリスの貴族ピーター・キャリントン卿がいる。キャリントン卿は、ロスチャイルド家の親族である。イギリスの外務大臣、NATO事務総長等を歴任した大物政治家であり、またイギリス最大の核兵器・原子力・軍需企業ゼネラル・エレクトリック・カンパニー(GEC)の会長、ウラン・シンジケートの元締めである資源会社リオ・チント・ジンク社やバークレー銀行等の役員として活躍した企業家でもある。そして注目すべきことは、王立国際問題研究所(RIIA)では所長を務め、キッシンジャーもメンバーであるビルダーバーグ・クラブでは1991年(平成3年)から議長を務め、またキッシンジャー同様、後に触れる三極委員会(TC)の有力メンバーでもあることである。RIIA、BC、TCで重要な役割を果たすこうした人物とキッシンジャーは、一緒に企業活動を行っているのである。

 次回に続く。


ユダヤ103~カーター政権とブレジンスキーの戦略
2017-09-18 09:18:34 | ユダヤ的価値観
●カーター政権とブレジンスキーの戦略
 
 1976年(昭和51年)の大統領選は、民主党のジミー・カーターが、現職のフォードを破った。
戦後アメリカの大統領の中で、中東和平の実現に最も努力したのは、ジミー・カーターだった。  
 カーター政権は、ニクソン=フォード両政権におけるキッシンジャーの現実主義的な外交からの転換を図り、理想主義的な人権外交を打ち出した。1978年(昭和53年)9月、カーター大統領の仲介で、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が米国のキャンプ・デイヴィッドで会見し、和平合意に達した。翌79年3月、エジプト・イスラエルの抗争を収拾するための「中東和平会議」が開催された。カーターはみずから中東を訪問し、交渉にあたった。もし決裂すれば、第3次世界大戦へと発展しかねない危険な状況であった。和平交渉は暗礁に乗り上げ、難航を続けたが、3月13日交渉は奇跡的といえる成立を見た。そして26日、エジプト・イスラエル間で平和条約が調印された。歴史的和解と賞賛された。
 中東の国際関係が難しいのは、すべての人民が平和を望んでいるのではないことである。キャンプ・デイヴィッド合意による歴史的な和平の後、サダトはイスラエルとの融和路線に反対する者によって、1981年(56年)に暗殺されてしまう。
 カーター大統領の時期には、アメリカはイスラエルとエジプトの和平に努力した。しかし、1980年代以降のアメリカは、公平な仲介者ではなく、明らかにイスラエルの側に立ってきた。それは、イスラエルやアメリカ等のユダヤ人には望むところだが、世界全体の平和にとっては不安定要因となっている。
 ところで、カーター政権の時代に、ソ連が1979年(昭和54年)、ブレジネフ書記長の指導のもと、アフガニスタンに侵攻するという事件が起こった。侵攻の直接的な目的は、親ソ政権維持だった。反政府ゲリラの抵抗によって、戦争は泥沼化した。米ソが互いに対抗する陣営に援助を行う代理戦争の様相を呈した。アメリカによるベトナム戦争に比せられた。
 米国はソ連のアフガン侵攻を画策していた。画策の司令塔は、カーター政権で国家安全保障担当大統領補佐官を務めたブレジンスキーだった。ソ連にアフガンを攻めさせて、泥沼化するという彼の狙い通り、アフガニスタンは、ソ連にとってのベトナムとなった。
 ブレジンスキーは、カーター政権以降も今日まで、21世紀の地球で超大国アメリカの覇権を維持し、アメリカ主導の世界秩序を構築する戦略を打ち出している屈指の戦略家である。私は、参謀として天才的な資質を持つと見ている。
 ブレジンスキーは、1928年(大正3年)ポーランド生まれでユダヤ系と言われる。幼少期にドイツでナチスの台頭を目撃し、ソ連でスターリンの恐怖政治を見聞した。カナダ在住時に、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、祖国に戻れなくなった。戦後のポーランドは共産化されたため、帰国はかなわなかった。こうした出身と経験をもとに、ブレジンスキーはハーバード大学で共産圏の政治・外交の研究をした。ソ連・東欧の政治や歴史、アメリカのヨーロッパでの役割等について著書を発表し、確固たる評価を獲得した。
 ソ連は、共産主義的インターナショナリズムの偽りの看板のもと、東欧諸国を帝国主義的に支配・搾取していた。1985年(昭和60年)ゴルバチョフが登場し、ペレストロイカを始めると、それをきっかけにして、東欧諸国で巨大な民主化の波が起こった。
 ブレジンスキーは、祖国ポーランドの独立自主管理労働組合「連帯」を積極的に支持した。ソ連・東欧諸国の共産政権の瓦解は、ポーランドに始まった。1989年(平成元年)6月18日、ポーランドで自主管理労組「連帯」が選挙で圧勝し、民主化革命が起こった。ブレジンスキーは、祖国ポーランドの「連帯」を積極的に支持した。また、ポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世と密接に連絡を取っていた。ポーランドの民主化は、カトリック教会の宗教的な力と、西側諸国の経済的な力があいまって成し遂げられた。そのため、ブレジンスキーは、東欧民主化の黒幕といわれる。
 ブレジンスキーは長期的な展望のもとに、グローバル時代のアメリカの覇権維持と、アメリカを基盤とした世界政府の樹立を志向している。バラク・オバマ大統領の最高顧問を務め、オバマ政権の外交に指導力を発揮したと思われる。

 次回に続く。


ユダヤ104~レーガン、ブッシュ父、クリントンの時代
2017-09-21 08:55:56 | ユダヤ的価値観
●レーガン政権とブッシュ父政権による冷戦の終焉
 
 アメリカのユダヤ人は、1933年のルーズベルト政権の成立以降、黒人等の少数民族や労働組合と連携してリベラル連合を形成し、民主党を支え続けた。しかし、1960年代後半から、黒人は人種差別を解決するために、「結果の平等」を要求するようになり、白人多数とともに「機会の平等」を主張するユダヤ人とは、対立するようになった。さらに、1970年代に入ると、ユダヤ人を除くリベラル連合は、アジア・アフリカ等の民族解放闘争に共感してパレスチナ難民を支持して、激しいイスラエル批判を開始した。それによって、リベラル連合に大きな亀裂が入った。そして、ユダヤ人の多数がリベラル連合から離脱し、共和党を支持するキリスト教保守派と結合するようになっていった。
 米国の大統領選では、現役大統領は再選する可能性が高い。だが、カーターは現職でありながら、1980年(昭和55年)の選挙で共和党のロナルド・レーガンに負けた。カーターの敗北の原因には、在イラン米大使館人質事件での救出作戦の失敗等が挙げられるが、ユダヤ人のカーター離れも影響したと考えられる。ユダヤ人の多くは、カーターがキャンプ・デイヴィッド合意を仲介し、イスラエルに多大な譲歩を求めて、仇敵との和平を結ばせたことに反発した。彼らはカーターを見限り、共和党のレーガンの支持に転じた。カーターは、ユダヤ票の約40%しか獲得できなかった。民主党大統領候補としては、過去最低の支持率だった。歴代民主党大統領候補の平均値は75%ゆえ、目立って低かった。
 カーターに替わったレーガンは保守強硬派であり、ソ連に軍拡競争を仕掛け、ソ連を経済的な苦境に追い込んだ。
 レーガンは、元ハリウッドの俳優で、若い時から映画業界でユダヤ人の友人を持っていた。ユダヤ人の知識人の中には、ソ連を「悪の帝国」と非難し、対ソ強硬路線を説く者がいた。新保守主義(ネオ・コンサーバティズム)の信奉者、いわゆるネオコンである。ネオコンの源流は、反スターリン主義的なユダヤ系の左翼知識人である。彼らの一部が第2次世界大戦後、民主党に入党し、最左派グループとなった。彼らは、レーガン大統領がソ連に対抗して軍拡を進め、共産主義を力で克服しようとしたことに共感し、共和党に移った。そして、レーガンの外交政策に大きな影響を与えた。
 レーガン政権で、アメリカのイスラエルへの援助は増大し、1981年にはアメリカとイスラエルは正式に軍事協定を結んだ。ここに、アメリカ=イスラエル連合の同盟関係が確立した。
 レーガン政権は、新自由主義・市場原理主義を取り入れた政策を、8年間にわたって行った。 レーガン政権はソ連への対抗のために、軍拡路線を取った。それによって、ソ連を軍拡競争に引き込み、経済力の違いによって、ソ連を崩壊に導いた。だが、軍事費の増大や多国籍企業の活動等により、アメリカは財政赤字と貿易赤字の双子の赤字を抱えるようになった。また、新自由主義・市場原理主義の政策への導入は、やがて自由主義的資本主義の行き過ぎを招くことになった。
 1989年(平成元年)からレーガンに続いて同じ共和党のジョージ・ブッシュことブッシュ父が、米国大統領を1期務めた。ブッシュ父は、ソ連のゴルバチョフと会談し、冷戦を終結に導いた。ソ連が崩壊すると、アメリカは、唯一の超大国の地位を獲得した。アメリカは、湾岸戦争でイラクを破り、圧倒的な力を誇示した。
 ブッシュ父は「史上最もイスラエルに冷たい大統領」と呼ばれた。彼は1991年(平成3年)、イスラエル支持のユダヤ人を「強力な政治的勢力」と呼んだ。この発言は、ニクソン政権からレーガン政権にかけて共和党支持に移っていたユダヤ票を、民主党へ逆流させるきっかけとなった。1992年の再選にあたり、ブッシュ父には湾岸戦争と冷戦に勝利した大統領という自信があったのだろう。そのため、ユダヤ・ロビーとの正面衝突を辞さなかったと見られる。だが、選挙結果は、惨敗だった。前回の選挙に比べ、ユダヤ票は24ポイント低下し、ユダヤ系の資金は民主党のビル・クリントンのもとに集まった。かつてはカーター、今度はブッシュ父と政党は違うが、ユダヤ人の支持を失えば、現職大統領といえども、選挙に敗れるという認識が定着した。それだけ、ユダヤ・ロビーが大きな力を持つようになったということである。ブッシュ父の敗戦の教訓は、ブッシュ子に受け継がれることになる。

●ビル・クリントン政権とグローバリゼイション
 
 1993年(平成5年)1月、民主党のビル・クリントンが第42代大統領になった。
 ビル・クリントンは、8年間の在任中、それ以前のどの大統領よりも多くのユダヤ人を要職に就けた。それ以前に最もユダヤ人が多かったのは、フランクリン・D・ルーズベルト政権だったが、クリントン政権におけるユダヤ人の多さは、FDR政権とは比較にならない。
 主要閣僚には5人いる。財務長官のロバート・ルービンとその後任のローレンス・サマ-ズ、労働長官ロバート・ライシュ、商務長官ミッキー・カンター、農務長官ダン・グリックマンである。このほか、国務長官のモーディレン・オルブライトは、自分の素性を知らされずにカトリック教徒として育てられたユダヤ人だった。また国防長官のウイリアム・コーエンは父がロシア系ユダヤ移民で、少年時代にユダヤ教育を受けた。
 それ以外の政権幹部では、ドイッチCIA長官、アイゼンスタット国務次官、ホルブルック国連大使、バーシェフスキー通商代表、バーガー国家安全保障担当大統領補佐官、インディク中東担当国務次官補、ロス中東特使、ミラー中東特使らもユダヤ人だった。またクリントンが在任中に任命した連邦最高裁判事は、定員9人のうち2名がユダヤ人だった。これはFDR以来のことだった。ユダヤ人は全米人口の2%弱ゆえ、その比率から見て、2分の9は顕著に多い。
 クリントン政権は、世界戦略として、軍事力の行使よりも、経済と情報の力で世界をリードする方針を取った。
 クリントン政権は、レーガン政権時代に膨らんだ「双子の赤字」を解消し、財政黒字に転じるほどの経済的成果を挙げた。この時の主要経済担当スタッフのうち、財務長官のルービン、同次官で後長官のサマーズに加えて、FRB議長のグリーンスパンの三人ともがユダヤ人だった。彼らは、巨大国際金融資本の意思を受けて、アメリカ財政の建て直しを推進したと思われる。  
 クリントンは、グローバリゼイションを標榜した。グローバリゼイションは、国境を越えた交通・貿易・通信が発達し、人・もの・カネ・情報の移動・流通が全地球的な規模で行われるようになる現象である。グローバリゼイションを推進するアメリカは、ITの情報力と基軸通貨ドルの経済力で他国を圧倒した。
 クリントン政権は、インターネットなどの軍事技術を民間転用することで、IT(情報技術)革命をいち速く進めた。マイクロソフトやインテルといったIT関連企業がアメリカ経済をけん引した。それによってアメリカは、情報通信技術で各国に大きく抜きん出た。
 クリントン政権は、また金融のイノヴェーションを進めて世界経済を支配する仕組みを作った。1980年代まで宇宙開発に従事していた科学者が金融業界に転じ、宇宙工学を応用して金融工学を発展させた。金融工学は、新古典派経済学に基づき、将来の不安定性をリスクという概念でとらえ、確率論的な計算によって、リスクの分散や管理ができるとし、これを商品化した。デリバティブと呼ばれる金融派生商品が続々と作られ、情報金融システムを通じて、世界中で販売されるようになる。アメリカは、ドルが基軸通貨であることを利用し、新たな金融商品を売ることで、ドルがアメリカに還流し、アメリカが繁栄する仕組みを作り上げた。

 次回に続く。


ユダヤ105~資本の論理によるグローバリズム
2017-09-23 08:49:59 | ユダヤ的価値観
●資本の論理によるグローバリズム
 
 ここでアメリカを離れて、世界全体を俯瞰しよう。20世紀末の1990年代から、21世紀にかけて、世界的にグローバリゼイションが急速に進んでいる。
 グローバリゼイションは、人・もの・カネ・情報の移動・流通が全地球的な規模で行われるようになる現象である。グローバリゼイションに伴い、技術・金融・法制度等の世界標準が形成されつつある。グローバリゼイションは、アメリカ主導で進められ、アメリカの標準を世界の標準として普及する動きとなっている。この動きは、アメリカの国益を追求する手段として推進された。またアメリカ的な文化、その伝統・習慣・言語・制度等を他国に押し付けるアメリカナイゼイションの動きともなった。アメリカ文化とは、イギリスで発達したアングロ・サクソン=ユダヤ的な文化がアメリカでさらに独自性を加えて発達したものである。その核心には、ユダヤ的価値観がある。それゆえ、グローバリゼイションは、ユダヤ的価値観が世界的に普及していく現象でもある。
 グローバリゼイションを戦略的に進める思想が、グローバリズムである。資本の論理によって国家の論理を超え、全世界で単一政府、単一市場、単一銀行、単一通貨をめざす思想――それが私の理解するところのグローバリズムである。現代の世界では、ロスチャイルド家を中心とするユダヤ系国際金融資本家と、彼らとユダヤ的価値観を共にするロックフェラー家を中心とする非ユダヤ系国際金融資本家が協力して、世界の変造を進めていると思われる。目的は、国民国家の枠組みを壊して広域市場を作り出し、最大限の経済的利益を追求することである。世界資本主義の思想とも言える。このグローバリズムによる世界変造の重要課題が、世界政府の創設である。グローバリズムは、既存の国家を超えた統一世界政府を目指す点において、地球統一主義または地球覇権主義である。また、それは巨大国際金融資本が主体となって、合理主義を地球規模で徹底して実現しようとする思想ある。私は、近代西洋文明が生み出した思想の典型であり、またその頂点だと考える。そして、巨大国際金融資本によるグローバリズムは、21世紀において、ユダヤ的価値観を世界的に普及・徹底する思想・運動となっている。ごく少数の超富裕層が所有者集団の指導部となり、優秀な経営者集団を使って、残りの人類を統治する社会の建設が目指されていると推測される。
 ところで、世界資本主義的なグローバリズムは、その対極であるはずの共産主義を容認し、支援し、育成し、救援しさえする。かつては旧ソ連に対して、現在は共産中国に対して、それを行っている。資本主義と共産主義を全く対立的なものと見ると、このパラドックスは解けない。
 私は、共産主義は資本主義の変形であり、統制主義的資本主義と認識している。共産主義は、帝政ロシアのような前近代的国家において、強力に近代化を進める。政府による上からの近代化であり、その実態は統制主義的資本主義である。巨大国際金融資本は、前近代的国家における共産主義を歓迎する。徹底した合理化によって、急速に近代化を進めるからである。統制主義的資本主義も、一種の資本主義であるから、巨大国際金融資本はその政府と契約することにより、市場と資源を獲得することができる。
 さらに、米ソの冷戦構造においては、無制限核戦争にならない範囲で、各地で戦争が繰り返されれば、軍需産業には大きなビジネス・チャンスとなっていた。その典型がベトナム戦争である。冷戦終結後も、この構造は変わっていない。戦争の種類と場所が変わっただけである。軍需産業は、常に戦争を必要としている。戦争を生み出し、戦争を広げ、戦争を長引かせることによって利益を得るのである。後に述べる9・11以後のアフガニスタン戦争、イラク戦争も、その深刻な事例である。軍需産業の背後には、巨大国際金融資本が存在する。戦争と破壊は、彼らに貨幣の増大をもたらす。各国の諜報機関は、戦争の発生・拡大・延長のために、しばしば謀略的な工作を行う。CIAの歴史は、その工作の数々に満ちている。こうした記述を低俗で妄想的な陰謀論と同じ類と嗤う人は、歴史の深層に迫ることも、世界の深層に達することもできない。
 グローバリズムは、資本主義的な経済活動だけでなく、国家(政府)とその軍隊・諜報機関を使った破壊活動を通じても、その目的を達成しようとしていると考えられるのである。

 次回に続く。


ユダヤ106~成長するアジアと日本に米欧側が逆襲
2017-09-26 09:26:54 | ユダヤ的価値観
●成長するアジアと日本に米欧側が逆襲

 次に、アジアとヨーロッパについて書く。
 まずアジアの動向についてである。戦後日本は1960年代に高度経済成長を遂げた。それに続き、70年代には日本と関係の深い韓国、台湾、香港、シンガポールなど、NIES(新興工業経済地域)と呼ばれる国々が急速に発展した。80年代にはタイ、マレーシア、インド等も工業化政策を進めて経済開発に成功した。80年代後半以降は、日本の海外投資により東アジアの経済成長はさらに加速し、「東アジアの奇跡」「世界の成長センター」などと称されるまでになった。
 しかし、欧米諸国は、黙ってその成長を許しはしなかった。アジア諸国は、欧米の金融資本に狙われ、1997年(平成9年)、アジア通貨危機が起こった。
 アジア通貨危機を仕掛けたのは、ジョージ・ソロスだと言われる。ソロスは、ハンガリー生まれのユダヤ系アメリカ人である。ロスチャイルド家に育成された投資家といわれ、彼の背後にはロンドン・ロスチャイルド銀行やイギリス王室、西欧諸国の中央銀行・大手銀行等が存在する。それらは莫大な資金をソロスに委託していると見られる。
 ソロスは、ヘッジファンドの代表的な運用者である。ヘッジファンドとは、大口投資家から資金を集め、金融派生商品(デリバティブ)の運用などを柱として世界中に投資する投機的な投資信託をいう。
 1990年代後半、ソロスは、アジア諸国の経済状況と、その国の通貨の評価に開きが出ており、通貨が過大評価されていると見た。そういう通貨に空売りを仕掛け、安くなったところで買い戻せば、差益が出る。ここで狙われたのが、タイの通貨バーツだった。
 1997年7月、ヘッジファンドは、バーツに空売りを仕掛け、タイ政府が買い支える事を出来なくした。それによって、バーツは暴落した。タイ経済は壊滅的な打撃を受けた。通貨暴落の波は、マレーシアやインドネシア、韓国にまで波及する経済危機に発展した。このあおりを受けて、インドネシアでは、長期政権だったスハルト体制が崩壊した。
 各国は経済の建て直しのために、国際通貨基金(IMF)に援助を求めた。この時、IMFは、通貨暴落で苦しむアジアの国々を外から経済的に管理する機関として働いた。IMFの管理下で、強力な経済改革が進められるとともに、外資がどっと参入し、その国の企業・資産を安く買い占めた。アジア諸国では、通貨危機とIMFの管理のため、「世界の成長センター」といわれるほどの経済成長にブレーキがかかることになった。
 アジア通貨危機以後、東アジアでは、欧米外資に対する警戒が高まった。アジア独自にASEAN+3(日本、中国、韓国)による地域経済協力が模索されるようになった。
 アジア通貨危機で暗躍したソロスは、今日の世界におけるユダヤ的価値観の典型的な実践者といえよう。ソロスと同じような投資家が、アメリカを中心に各国に多く出現している。そうした投資家は、ユダヤ人だから情け容赦ない金儲けをするのではない。非ユダヤ人もまたユダヤ的な価値観を体得した投資家として経済活動をしているのである。
 ソロスは、日本経済について、その弱点は、系列による企業間の株の持ち合いにあると見ていた。この点を突けば、日本経済を弱体化させられる、と。こうしたソロスの見方は、米欧企業に周知されていた。
 アジア通貨危機の翌年、巨大国際金融資本は、日本を狙い撃ちしてきた。標的になったのは、旧日本長期信用銀行である。1998年から2000年(平成10~12年)にかけて、外資による旧長銀の買収が進められた。買収に乗り出したのは、リップルウッド・ホールディングスのティモシー・コリンズだった。そのコリンズを投資ビジネスの世界に連れ込んだのは、フェリックス・ロハティンである。ロハティンは、オーストリア出身のユダヤ人であり、ウォール・ストリートを代表する金融業者の一人である。ロスチャイルドの代理人として、19世紀半ばから営業しているラザード・フレール社のトップだった。
 旧長銀に関し、ユダヤ系の投資銀行ゴールドマン・サックスが日本政府のアドヴァイザーになった。ロックフェラー家とロスチャイルド家が相乗りして、旧長銀を買収し、旧長銀は新生銀行として再生された。
 2001年から03年(平成13~15年)にかけて郵政民営化が進められたが、これもまた巨大国際金融資本による日本への攻勢だった。詳しくは、拙稿「アメリカに収奪される日本~プラザ合意から郵政民営化への展開」を参照願いたい。

●欧州統合のリージョナリズムと米国主導のグローバリズムの展開
 
 次に、ヨーロッパの動向を書く。ヨーロッパでは、第1次世界大戦後、クーデンホーフ=カレルギーらによる欧州統合運動が起ったが、ナチスによって封じられて、とん挫した。第2次世界大戦後、戦火で疲弊したヨーロッパであらためて欧州統合運動が進められた。1951年に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立され、ヨーロッパ統合への第一歩となった。ECSCは、その後、欧州原子力共同体(ユートラム)、欧州経済共同体(EEC)へと発展し、1993年(平成5年)に今日の欧州連合(EU)に至った。
 EUの設立の基本方針は、冷戦終結後の1992年(平成4年)に締結されたマースリヒト条約で定められた。マーストリヒト条約は、通貨統合や共通外交など、加盟国に国家主権の一部移譲を求めるものだった。そして、1999年(平成11年)米ドルの一極支配に対抗する単一通貨ユーロが誕生した。ユーロが作られる前、ヨーロッパの各国は通貨の発行権を持ち、各国の中央銀行が自国の通貨の発行量や金利の調整を行っていた。ところが、ユーロを採用した国では、実質的に、自国の意思だけでは通貨政策・金利政策を決定できなくなった。
 ユーロ採用国は、財政政策を自国の判断で行う権限を持ってはいる。だが、財政政策は本来、金融政策と連動しなければならない。ところが、各国は金融政策については権限を持たない。欧州中央銀行(ECB)に金融政策を委ねている。ECBは、ヨーロッパ規模の中央銀行であり、一元的にユーロを印刷している。それを加盟各国の中央銀行に分配する。こうした通貨制度が駆動している。その背後には西欧諸国の中央銀行を連結するロスチャイルド家等の巨大国際金融資本の意思が働いていると思われる。ECBはドイツ・フランクフルトに本拠を置く。フランクフルトは、ロスチャイルド財閥発祥の地である。
 EUはヨーロッパの地域統合を行うリージョナリズムによるものである。だが、もともとそれにとどまるものではない。ヨーロッパの統合は、世界政府を創設して世界の統合を目指す運動の一階梯ととらえる必要がある。
 グローバリズムは、全世界で単一政府、単一市場、単一銀行、単一通貨をめざす。その重要課題が世界政府の創設である。グローバリズムの推進は、ユダヤ的価値観の世界的な普及・徹底となる。その段階の一つとして、ヨーロッパという地域規模で、EUとユーロが実現されていると思われる。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「アメリカに収奪される日本~プラザ合意から郵政民営化への展開」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13d.htm


ユダヤ107~フランスにおけるユダヤ的知性の輝き
2017-09-27 08:53:46 | ユダヤ的価値観
●フランスにおけるユダヤ的知性の輝き

 ここで、フランスにおけるユダヤ人の活躍を書いておきたい。西洋文明のもとはヨーロッパ文明であり、ヨーロッパ文明の文化的中心の一つは、フランスである。そのフランスにおけるユダヤ的知性の輝きについて、少し時代をさかのぼって19世紀末から20世後半までを概観したい。
 19世紀末から、フランスでは、ユダヤ人を人種として差別するアンチ・セミティズムが高まった。だが、その圧力に屈せずに、ユダヤ人が学問・芸術等の分野で高い能力を示し、揺るぎない評価を得ていった。その代表的存在が、デュルケームとベルクソンだった。第2次世界大戦中、ナチスに支配されたフランスでは、ユダヤ人の迫害が行われた。その数年間を耐え忍んだユダヤ的知性は、大戦後、戦前に増す活躍をしてきた。サルトルによる実存主義、レヴィ=ストロースによる構造主義は、その時代の主要な思潮となった。ポスト構造主義の時代にも、ユダヤ人が独創的な知的活動をしている。21世紀の今日は、トッド、アタリなどのユダヤ系フランス人が世界的な知性として活躍している。こうしたユダヤ人の活躍を除くと、19世紀末から21世紀にかけてのフランスの文化的栄光は、なかば以上が失われるほどである。フランス的知性とは、フランス=ユダヤ的な知性と言っても過言ではないだろう。

●デュルケームは社会学の独自性を確立

 さて、こうしたフランスにおけるユダヤ的知性の活躍を振り返る時、まず挙げたいのは、エミール・デュルケームである。デュルケームは、1858年に、代々敬虔な信仰を保持するユダヤ人の家に生まれた。父親と祖父はラビだった。また彼の教え子と友人の多くはユダヤ人であり、血縁者だった。この極めてユダヤ的な環境にあって、デュルケームは、社会学を他の学問にはない独自の対象を扱う独立した学問として発展させた。
 デュルケームの基本的な立場は、実証主義(ポジティヴィズム)である。実証主義とは、経験に与えられる事実のみに基づいて論証を推し進めようとする立場であり、超経験的な実体の想定や、経験に由来しない概念を用いた思考を退ける。
 社会科学における実証主義は、19世紀末のアンリ・ド・サン=シモンに始まる。エンゲルスによって空想的社会主義者に数えられたサン=シモンは、むしろ産業主義の祖であり、産業社会の建設を目指し、自然科学の方法を用いて人間的・社会的諸現象を全体的かつ統一的に説明しようとした。彼の秘書をしたことのあるオーギュスト・コントが、実証主義を体系化した。コントは、人間の知識と行動は、“神学的―形而上学―実証的”の3段階で進むという法則を提示し、社会現象についての実証的理論を社会学と位置付けた。デュルケームは、コントの立場を徹底し、比較法や統計的方法を用いて優れた社会研究を行い、実証主義の経験科学として社会学を確立した。
 彼以前において、社会学の研究は、社会有機体説による生物学的方法や個人の心理現象の研究による心理学的方法によっていた。これに対し、デュルケームは、社会学に固有な客観的・社会学的方法を提唱した。そして、社会現象は感情的評価から離れて、客観的に観察・記述されなければならないとした。
 デュルケームは、社会学の分析対象は「社会的事実」であるとした。社会的事実とは、個人の外にあって個人の行動や考え方を拘束する、集団あるいは社会全体に共有された行動・思考の様式をいう。「集合表象(集合意識)」とも呼ばれる。個人の意識が社会を動かしているのではなく、個人の意識を源としながら、それとはまったく独立した社会の意識が諸個人を束縛し続けているのだ、とデュルケームは主張した。そして、人間の行動や思考は、個人を超越した集団や社会のしきたり、慣習などによって支配されることを示した。自殺、アノミー、道徳等の研究で知られる。
 デュルケームは、社会学の他、教育学、哲学などの分野でも活躍した。彼を中心にデュルケーム学派が形成され、道徳・宗教・経済・法律・言語などの各方面において社会学的研究を展開した。デュルケームは、1917年に死去した。彼の理論は20世紀初頭に活躍した社会学者・民族学者・人類学者等に多大な影響を与えた。
 社会学の歴史におけるデュルケームの位置は、精神医学の歴史におけるフロイトの位置に匹敵する。ともにユダヤ人が、学問・学術のある分野で枢要な役割をはたしてきた顕著な事例である。

 次回に続く。


ユダヤ108~ベルグソンは哲学者として栄誉を受けた
2017-09-29 10:09:10 | ユダヤ的価値観
●ベルグソンは哲学者として栄誉を受けた

 次に挙げたいのは、アンリ・ベルクソンである。ベルクソンは、1859年にポーランド系ユダヤ人を父、イギリス人を母としてフランスに生まれた。20世紀前半を代表する哲学者の一人であり、また当時の世界的知性の一人として尊敬を集めた。
 ベルクソンは、自分の哲学を意識に直接与えられたものの考察から始めた。ベルクソンは、一般にいう時間とは、空間的な認識を用いた分節化によって生じた観念であると批判した。そして、分割不可能な意識の流れを「持続」(durée)と呼んだ。そして、意識は、異質なものが相互に浸透しつつ、時間的に継起する純粋持続として、自由であることを主張した。
 次に、ベルクソンは心身問題を考察した。実在とは持続であるとする立場から、持続が弛緩した極限は、記憶を含まない瞬間的・同時的な純粋知覚としてのイマージュであり、持続の緊張の極限は、すべての過去のイマージュを保存する持続的な純粋記憶である。前者が物質であり、後者が精神であるとした。身体と精神は、持続の律動を通じて相互に関わり合うことを論証し、デカルトの物心二元論を乗り越えようとした。
 こうして持続の一元論から意識・時間・自由・心身関係を説くベルクソンは、その学説をもって、生命とその進化の歴史を考察した。1907年刊の著書『創造的進化』は、持続は連続的に自らを形づくる絶えなき創造であるという思想に基づく。ベルクソンは、事物を固定して空間化する知性や、限られた対象に癒着した本能では、持続としての実在の把握はできない。自己を意識しつつ実在に共感する直観によらなければならないと説いた。そして、進化を推し進める根源的な力として、「生の躍動」(élan vital、エラン・ヴィタール)を想定し、エラン・ヴィタールによる創造的進化として生命の歴史をとらえた。生命の根源には、超意識がある。超意識に発する生命は、爆発的に進行しながら、物質を貫いていく流れである。その流れは、動物・植物に分かれ、様々な種に分裂してきた。その先端に、自らを意識する人類が立っていると見た。
 さらにベルクソンは、この創造的進化説をもとにして、1932年刊の『道徳と宗教の二源泉』においては、人類の精神的な進化を論じた。道徳と宗教の第一の源泉は、自然発生的な「閉じた社会」における防衛本能である。その社会は、社会的威圧が個人を支配する停滞的・排他的な社会であり、閉じた道徳と迷信的な「静的宗教」に支えられている。道徳と宗教の第二の源泉は、愛である。「閉じた社会」は、実在を直観によって把握する道徳的英雄や宗教的聖者の働きかけによって、「開かれた社会」に飛躍し得る。開かれた道徳は特権的人格のうちに体現され、それを模倣する人々によって実現する。「静的宗教」は、愛を人類に及ぼす「動的宗教」に替わると論じた。
 ベルクソンによると、開かれた魂の出現は、唯一の個体からなる新しい種の創造であり、生命の進化の到達点を示す。彼らの愛は人類を包み込み、動植物や全自然にまで広がる。その愛は、特権的な人々に全面的に伝えられた「生の躍動」であり、彼らは「愛の躍動」(élan d'amour、エラン・ダムール)を全人類に刻印しようとする。われわれが彼らの呼びかけに応える時、人類は被造物である種から、創造する努力に変わり、人類を超えた新たな種が誕生するだろう、とベルクソンは述べた。ベルクソンは、宗教のもとにある神秘主義を評価し、完全な神秘主義は、愛としての神との合一を目指すキリスト教神秘主義であるとした。
 こうしたベルクソンの思想は、機械文明が発達し、世界戦争が繰り返される危機の時代に、人類の精神的な進化を願い求めるものだった。
 ベルクソンの哲学は、一般に「生の哲学」に分類され、反主知主義で実証主義に批判的な形而上学とされる。だが、彼は自然科学の最新の成果に目を向け、それを哲学の立場から検討した。それゆえ、実証主義的・経験主義的形而上学と呼ばれる。
 ベルクソンは、アインシュタインの相対性理論が発表されると、その論文を読み、『持続と同時性』を書いて持論を述べた。アインシュタインは、これを読んで、ベルクソンが相対性理論を理解し、反対はしていないことを確認した。また、ベルクソンは、英国心霊科学研究協会の会長に就任し、開明的な物理学者・心理学者・生理学者等と交流した。『精神のエネルギー』に収められている論文は、物質科学が対象から除外している心霊現象やテレパシー等を考察したものである。ベルグソンは特にテレパシーの事例に注目し、「心は体からはみ出ている」として、身体と霊魂の関係を「ハンガーと洋服」の関係にたとえている。
 ベルクソンは、1922年に国際連盟の知的協力に関する国際委員会の議長に選ばれた。また1927年にノーベル文学賞を受けるなど、ユダヤ人でありながら、知識人としての最高の名誉に恵まれた。1941年に、ドイツが占領するパリで、ユダヤ人への連帯のため、ナチスの提供する特権を拒み、清貧のうちに没した。カトリック教会にユダヤ教の完成形態を認め、死に際しては、カトリックの臨終の儀礼を受けたといわれる。
 ベルクソンは、彼一人で20世紀の哲学の一大学派をなした。また、同時代の哲学者である西田幾多郎、マルチン・ハイデッガー、ウィリアム・ジェームズをはじめ、ユダヤ人作家のマルセル・プルースト、文明学者のトインビーなどを強く触発するとともに、後世のフランスの知性に甚大な影響を与え続けている。
 ベルクソン以外にも、20世紀前半の哲学の学派の多くは、ユダヤ人に拠っている。現象学のエドムント・フッサール、論理実証主義のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン、科学哲学のカール・ポパー、政治哲学のレオ・シュトラウスらがそうである。これらのユダヤ人哲学者を除くと、20世紀前半以降の哲学史は、まったく違う様相のものとなったことだろう。

 次回に続く。


ユダヤ109~サルトルの実存主義とその顛末
2017-10-02 13:24:01 | ユダヤ的価値観
●サルトルの実存主義とその顛末

 第2次世界大戦後のフランスには、実存主義と構造主義という二つの思潮が現れた。前者は哲学者のジャン=ポール・サルトル、後者は社会人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが創始した。ともにユダヤ人だった。
 実存主義の提唱者サルトルは、1905年にフランスに生まれ、哲学者としてとともに小説家・劇作家としても活躍した。
 1930年代にドイツに留学し、フッサールに現象学を、ハイデガーに存在論を学んだ。そして、1943年(昭和18年)に刊行した『存在と無』で、自らの現象学的存在論を体系的に叙述した。本書は、「実存は本質に先立つ」という命題から出発する。実存(エクステンシア)とは、西欧でスコラ神学以来、本質(エッセンシア)と対比されてきた概念である。現実的な存在を意味し、普遍的な本質ではなく、個物的存在をいう。可能的な本質が現実化されたものである。近代西欧思想では、特に人間的実存をいう。
 サルトルは、本書で、ユダヤ=キリスト教的な世界観に対して、それを否定する無神論的世界観を提示する。もし無から万物を創造した神が存在するならば、神は自ら創造するものが何であるか(本質)を分かっているから、すべてのものは現実に存在する前に、神によって本質を決定されていることになる。この場合は、本質が実存に先立つ。しかし、逆に神が存在しないとすれば、すべてのものはその本質を決定されることなく、現実に存在することになる。この場合は、実存が本質に先立つことになる。サルトルは、後者の世界認識を打ち出した。
 サルトルは、1946年(昭和21年)刊行の『実存主義はヒューマニズムである』で、実存主義を宣言した。実存主義は、人間の本来的なあり方を主体的な実存に求める立場である。実存の哲学にはゼーレン・キルケゴールやカール・ヤスパースのような有神論的思想も可能だが、サルトルの思想は無神論的実存主義である。
 サルトルによると、事物はただ在るに過ぎない即自存在(être-en-soi)だが、人間的実存は自己を意識する対自存在(être-pour-soi)である。対自存在は存在と呼ばれてもそれ自身は無である。人間は、あらかじめ本質を持っていない。人間とは、自分が自ら創りあげるものに他ならない。人間は自分の本質を創る自由を持っている。それゆえに、その責任はすべて自分に返ってくる。「人間は自由という刑に処せられている」とサルトルはいう。
 人間はだれしも自分の置かれた状況に条件づけられ、拘束されている。人間を条件づけているのは、政治・社会・歴史など世界の全体である。人間は世界に働きかけて、選択の可能性を広げ、自己をますます解放しなければならない。このように説くサルトルは、アンガージュマン(政治参加・社会参加)の必要性を訴えた。核時代に入り、米ソ両大国の冷戦が続く状況において、世界を変えるために行動を呼びかけるものだった。その主張は、戦後の虚無感に苛まれていたフランスの青年層に強い共感を与え、さらに世界的に影響を広げた。1950年代から60年代にかけて、実存主義は、マルクス主義と並ぶ二大思潮となった。
 サルトルは、自らの政治的・社会的実践を通して、社会的・歴史的な状況認識を深めるなかで、マルクス主義を評価するようになっていった。しかし、その思想的立場は、マルクス主義との関係で、何度も揺れ動いた。1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発すると、スターリン主義の共産党に接近したが、ソ連が民衆蜂起を武力で鎮圧した56年のハンガリー事件以後は、共産党と絶縁した。それでもなおサルトルはマルクス主義の根本的な矛盾・限界を看破することが出来ず、マルクス主義に固執した。それは、無神論的実存主義は、唯物論であることによる。それゆえ、本質的にマルクス主義と親和的であり、唯物論の中で人間的実存を強調する立場となる。
 サルトルは、1962年(昭和37年)の『弁証法的理性批判』では、マルクス主義を生んだ状況はまだ乗り越えられていない、それゆえマルクス主義はわれわれの時代の哲学であり続けていると主張し、実存主義を「知の余白に生きる寄生的体系」と位置付けた。本書でサルトルは、史的唯物論を再構成し、マルクス主義の中に精神分析学やアメリカ社会学の成果を包摂しようと企てた。知の総体を全体化するための作業として、諸個人の実践と集団の弁証法を書き、さらに歴史的全体化の弁証法を論じる予定だったが、未完に終わった。
 1968年(昭和43年)のフランス五月革命は、知識人・学生を中心に大衆が行動し、管理社会への反抗を表した。この動乱において、ユダヤ人サルトルは知識人として自己批判を行い、毛沢東主義を奉じる極左グループを支援した。毛沢東は、当時一部の人々に人民の立場に立つ指導者と誤解されていた。サルトルは、中国で進行中の文化大革命が、毛沢東の個人的な権力欲による権力闘争であることを見抜くことが出来なかった。
 サルトルは、自らの過ちに気付かぬまま、1980年(昭和55年)に死去した。彼が戦後西欧の代表的な知識人として、マルクス主義に対する幻想を、世界の知識人や学生に与え続けたことは、大きな罪過である。その罪過は、無神論的な実存主義に発するものである。

 次回に続く。


ユダヤ110~レヴィ=ストロース、構造主義、その後
2017-10-04 09:29:03 | ユダヤ的価値観
●レヴィ=ストロースと構造主義の論者たち

 1960年代から80年代にかけてフランスを中心に流行した構造主義は、幅広く人類学・哲学・経済学・精神医学等に及ぶ思潮だった。ここでもユダヤ人が活躍した。
 構造主義は、歴史よりも構造を、実体ないし主体よりも関係ないしシステムを一義的なものと見る。その始祖とされるのは、社会人類学者・民族学者のレヴィ=ストロースである。彼は、1908年に、アルザス出身のユダヤ人を両親として、ベルギーのブリュッセルで生まれた。
 レヴィ=ストロースは、フェルディナン・ド・ソシュールからロマン・ヤコブセンに至る構造言語学の音韻論や、数学・情報理論等の新しい方法に示唆を得て、未開社会の親族構造や神話の研究に、構造分析の方法を導入した。社会的事象は象徴的コミュニケーションのシステムであるとし、構造分析によって従来の理解とは異なる見方を提示した。それゆえ、彼の人類学は、構造人類学と称する。
 1962年(昭和37年)に発表された『野生の思考』は、大きな反響を巻き起こし、そこから構造主義が始まった。本書の最終章「歴史と弁証法」において、レヴィ=ストロースは、実存主義と西洋中心主義を批判した。まずサルトルの実存主義における主体の偏重を指摘し、主体ではなく主体間の構造こそが重要だと主張した。主体の偏重は、近代西欧的な人間中心主義(ヒューマニズム)の表れであるとして、それへの反省を迫った。また、西洋社会における西洋中心主義を指摘し、「野蛮」から洗練された秩序が形作られたとする西洋的な考え方に対し、混沌の象徴と結びつけられた「未開社会」の考え方にも、一定の秩序・構造が見いだせると論じた。各民族にはそれぞれ独自の構造があり、西洋人の側からそれらの構造に優劣をつけることは無意味だと断じた。
 レヴィ=ストロースの主張から、実存主義に対立し、それを乗り越えるものとしての構造主義という思潮が生まれた。彼に続いて、様々な論者がそれぞれの分野で構造分析を行った。
 哲学者で批評家のロラン・バルトは、流行の世界に構造分析を加え、社会的経験を記号としてとらえてその神話的構造を明るみに出す記号学的探究を行った。
 哲学者のミシェル・フーコーは、文化的基層と認識理論に構造論的視野を切り開いた。一つの時代の文化の根底にある知のシステムであるエピステーメーを解明する知の考古学をめざし、主体なき思考のシステムを解析するエピステモロジー(認識理論)を探求した。フーコーは、常に権力に真の関心を持ち、権力のミクロ分析を提唱した。フーコーの権力論は、共産主義やフェミニズムに人権の観念を利用する左翼の人権主義に取り入れられてきた。詳しくは、拙稿「人権――その起源と目標」第3章で述べた。
 精神科医で精神分析家のジャック・ラカンは、ユダヤ人だった。無意識の領野で構造論的研究を行った。無意識を言語によって構造化されたものと理解し、フロイト学派における自我概念を再検討し、精神分析の思想的含意を問題化した。
 哲学者のルイ・アルチュセールも、ユダヤ人だった。マルクス主義における理論的実践の構造の解明に取り組み、マルクスの新しい理解の仕方を提示した。史的唯物論とは、ある社会を、その歴史的変容に即して分析する、ひとつの科学に他ならないと主張し、マルクス主義を歴史の「科学」として再構成して延命させようとした。しかし、その目論見は結局、ソ連の崩壊という歴史的な現実によって、水泡に帰した。
 バルト、フーコー、ラカン、アルチュセールらの著作が一斉に刊行されたのは、1965年(昭和40年)前後だった。どれもレヴィ=ストロースによる実存主義と西洋中心主義への批判を受けて、近代西欧思想の諸前提を再検討する取り組みだった。それは、同時に人間中心主義、合理主義、実証主義、歴史主義等の乗り越えを図る運動だった。

●ポスト構造主義の時代から今日へ

 1980年代以降、構造主義の時代以後のフランスの思潮を、しばしばポスト構造主義という。これは構造主義の継承と克服を図る思想の総称であって、ポスト構造主義という新たな主義が生まれたのではない。ここでもユダヤ人――哲学者のジル・ドゥルーズ、ジャック・デリダ、文学評論家のジュリア・クリスティヴァら――がフランスの論壇をリードしてきた。彼らの思想は、構造主義がなお抱えていた実体主義的・形而上学的傾向からの脱却を目指すものと言われる。だが、新奇な概念が多用されて難解であると同時に、実存主義・構造主義のように異文化の社会に伝播していく浸透力を欠く。フェミニズム、マイノリティ等への訴求が特徴的であり、フーコー権力論の影響が顕著である。
 21世紀の今日のフランスでは、エマヌエル・トッドとジャック・アタリという二人のユダヤ人が、現代ヨーロッパ最高の知性に数えられている。彼らについては、別途、現代ユダヤ人の諸思想についての項目に書く。

 次回に続く。

関連掲示
・フーコーの権力論については、拙稿「人権――その起源と目標」の第3章を参照のこと。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13i.htm


ユダヤ111~アメリカの反ユダヤ主義
2017-10-07 08:51:57 | ユダヤ的価値観
●アメリカの反ユダヤ主義

 ここでアメリカに話を戻す。アメリカでは、2001年から2008年にかけてのブッシュ子政権の時、ユダヤ人の力が過去最大に達した。それまでの過程には、ユダヤ人差別の長い歴史があり、またユダヤ人がWASPの支配体制に参入して、遂に米国の政治を左右するほどまでになった過程がある。
 ここで、アメリカの反ユダヤ主義とこれに対抗するユダヤ人団体について書き、ユダヤ人の力を最大に至らせたものとしてネオコンについて書きたい。
アメリカは自由の国だが、差別のない国ではない。インディアンや黒人に対しては、強い差別がある。またユダヤ人に対する差別も見られる。ユダヤ人差別は、ヨーロッパからの移民が持ち込んだものである。
 1840年代から、ドイツ系ユダヤ人が多く移住し、アメリカのユダヤ移民の第2波となった。彼らの中には事業に成功して、経済的上昇を遂げた者が多く出た。急速に社会階層を上昇するユダヤ人に対して、妬みによる反ユダヤ感情が起った。南北戦争の時には、北部と南部の両方で、戦時利得者、利敵行為によって祖国を裏切る者としてユダヤ商人への非難が上がった。これは、アメリカ史上初の反ユダヤ・キャンペーンだった。
 南北戦争終了後、その波は沈静化した。しかし、1870年代には、J&W・セリグマン社を創設したユダヤ人ジョセフ・セリグマンが、サラトガ・スプリングスのグランド・ユニオン・ホテルで、宿泊を拒否されるという事件が起こった。
 ヨーロッパでは、1880年代初めにアンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)という言葉が登場した。ユダヤ人を一つの人種として差別する運動が始まり、1894年にドレフュス事件が起こった。こうした動きは、アメリカにも波及し、WASPによる反ユダヤ主義が、90年代に入ると急速に広がった。
 20世紀に入ってもそれは続いた。自動車王ヘンリー・フォードは、反ユダヤ主義者として有名である。フォードは「シオンの議定書」の内容を信じ、同書を頒布した。アメリカは、第2次世界大戦に参戦し、国家として反ユダヤ主義のナチス・ドイツと戦った。だが、その最中にも、民間には根強い反ユダヤ主義が見られた。飛行家のチャールズ・リンドバーグは、反ユダヤ主義的な言動で知られる。
 第2次大戦後、アメリカにおける反ユダヤ主義は急速に衰えた。その一方、ユダヤ人が社会の各分野でめざましく進出した。また、イスラエルの建国によって、ユダヤ人のさまざまな団体が、イスラエル支援のロビイストとして活動するようになった。
 アメリカの反ユダヤ主義には、アメリカ独自の特色がある。佐藤唯行は、著書『アメリカのユダヤ人迫害史』などで、その特色を三つ挙げている。
 第一の特色は、「法的措置による政府主導型の反ユダヤ主義」がなかったことである。アメリカでは市民的・宗教的自由が歴史的に尊重されてきたので、政府や教会によって反ユダヤ主義が制度化されることはなかった。アメリカの反ユダヤ主義は、私的生活領域におけるものであり、社会的・経済的排斥を除くと、ヨーロッパより穏やかだった。
 第二の特色は、人種的・民族的な集団の「重層的な対立構造」の中で、反ユダヤ主義が生み出されたことである。白人多数派のキリスト教徒対ユダヤ人という、一元的な対立の図式だけではなく、その他の被差別少数派の集団対ユダヤ人という対立図式からも反ユダヤ主義は生み出された。例えば、カトリックのアイルランド系移民がユダヤ人攻撃の担い手になった。
 第三の特色は、社会的・経済的排斥、とりわけ「高等教育機関における排斥」が相対的に激しかったことである。アメリカには、社会の底辺から身を起こし、上昇を目指す気風がある。このような社会では「地位を求める競合」も激しくエスカレートする。競争の場に新規に参入し、競争力に抜きんでたユダヤ人に対して、ことさら厳しい排斥が加えられた。
 こうした特色を持つアメリカの反ユダヤ主義は長年、キリスト教徒の白人優先主義者が中心的だった。しかし、第2次大戦後、WASPによる反ユダヤ主義が衰え、1960年代以降は黒人が反ユダヤ主義の担い手として登場した。黒人の多くは、アメリカ社会で最下層にあり、貧困から抜け出せないでいる。一方、ユダヤ人の一部は、年間所得の上位1%を構成する大富豪に名を連ねている。黒人の多くは、社会的な格差の是正を求める。だが、豊かなユダヤ人は、伝統的に古典的自由主義を信奉する白人とともに、「機会の平等」を主張する。「結果の平等」に強く反対するユダヤ人の姿勢に、貧しい黒人たちは敵意を募らせていった。この対立は、宗教的というより、社会的・経済的な性格が強い。
 こうした対立関係に近年加わったのが、イスラーム教徒である。イスラーム教徒は、パレスチナ人を抑圧するイスラエルに反発する。ユダヤ人は、そのイスラエルを支持している。そこでイスラエルへの憎悪が、在米ユダヤ人社会にも向けられるようになったものである。この対立は、宗教的な性格が強い。イスラーム教徒はアメリカでも増えており、黒人がキリスト教からイスラーム教に改宗する事例が増えている。黒人のムスリムには、宗教的かつ社会的・経済的な反ユダヤ主義の表現が見られる。

 次回に続く。


ユダヤ112~反ユダヤ主義に対抗するユダヤ人団体
2017-10-10 09:28:50 | ユダヤ的価値観
●反ユダヤ主義に対抗するユダヤ人団体

 アメリカには、反ユダヤ主義に対抗するために活発に活動しているユダヤ人団体が多くある。
 現存する最古の近代的なユダヤ人相互扶助団体が、ブナイ・ブリスである。「契約の子孫」を意味する。1843年にニューヨークで設立された。ユダヤ人のみのフリーメイソン組織として誕生し、組織をロッジと呼び、様々な秘儀を行い、イディッシュを使用していた。南北戦争の時には、ロンドンの金融界から指示を受けてアメリカにおいて戦争工作を担当した。その後も、ロスチャイルド家やユダヤ系メイソンと連携しながら、米国の政治・外交・経済・金融に影響を与えてきたと推察される。メイソン組織として様々な秘儀を行っていたが、1920年に組織憲章において、秘儀性と訣別することを決定し、以後は、ロータリー・クラブ、ライオンズ・クラブ等の親睦団体との交流を積極的に展開している。
 ブナイ・ブリスは、イスラエルを熱心に支持し、反ユダヤ主義の活動をしている。それ以外に、人種差別・ヘイトクライムへの反対、人権向上、自然災害犠牲者の援助、ユダヤ人大学生に対する奨学金授与、福祉等の活動を行っている。
 この団体は、1913年にユダヤ人の権利擁護、少数民族との友好促進を目的として、名誉毀損防止同盟(ADL)を発足させた。ADLは、ブナイ・ブリスの下部組織である。ともに改革派ユダヤ教徒によって創設された。
 現在アメリカには、ユダヤ人の権利擁護、反ユダヤ主義の打破、偏見や差別と闘う団体との連携を目的として活動する組織が大きいもので5つあり、その中で最大の団体が、ADLである。
 ADLは、米国全土に約200の下部組織を擁し、全国有色人種地位向上協会(NAACP)や黒人市民権組織都市連盟の活動にも影響力を持っている。1990年に、マーケッティ元CIA副長官付上級補佐官は、ADLについて次のように語っている。「今日のウォール街は、ADLやいわゆるユダヤ人新興勢力のなすがままになっている。アメリカ国内に張り巡らされたユダヤ人組織網を使うことで、ADLは議会員を当選させたり、クビにしたり好きなようにできる力を持っている。マスコミの人間も、ADLとADLの支持者に脅えながら仕事をしている」と。
 次に、注目すべきユダヤ人団体は、世界ユダヤ人会議(WJC)である。ユダヤ人社会に対する全世界規模での脅威に対処することを任務とする最も戦闘的なユダヤ人団体として知られる。
1936年に、ナチス・ドイツへの抵抗運動を世界中で行うために、スイスのジュネーヴで設立された。本部はニューヨークにある。
 この組織は第2次大戦の戦前・戦中に、特に米国において反ナチ集会を組織化し、ヨーロッパのユダヤ人を保護するよう政府に働きかけた。戦後は、ナチ戦犯の追及、ホロコーストを生き延びたユダヤ人の保護運動、ネオナチや反ユダヤ主義者への対抗、各国ユダヤ人の救援活動等を行ってきた。また、欧米では、ユダヤ教育などを通じてユダヤ人文化の保護に努めている。
一国一団体を原則とし、86カ国(1994年現在)の団体が加盟している。国際連合・ユネスコなどの国際機関にNGOとして参加している。ユダヤ人の国際組織は、国際連合の設立期から影響力を振るってきている。
 アメリカには、現在約300の全国的ユダヤ人団体があるとされる。これらの団体のうち、政治活動を行う団体は、アメリカ=イスラエル公共問題委員会(AIPAC)をはじめとする十数団体である。それらのユダヤ・ロビーについては、後にアメリカ・ユダヤ人の政治力に関する項目に書く。
 次に、ユダヤ人に関する言論・表現への圧力において、最も強力な活動を行っている団体を挙げたい。サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)である。1977年に米ロサンゼルスに開設された。ロスに本部を置き、イスラエル、カナダ、フランス、ブラジル等に事務所を展開して、ホロコーストの記録保存や反ユダヤ主義の監視を行っている。
 個人名が団体名につけられているサイモン・ヴィーゼンタールは、オーストリア=ハンガリー二重帝国出身のユダヤ人で、第2次大戦中は、ナチス・ドイツによって各地の強制収容所に収容された。戦後は、戦争犯罪の疑いがあるナチス党員の追及に尽力し、1100名以上の起訴に貢献した。
 1987年にSWCに、カリフォルニア州議会の決議によって、「寛容博物館」が建設された。同館ではアメリカにおける人種差別の歴史とホロコーストに関する展示がされている。
 SWCの副所長を務めるのが、エイブラハム・クーパーである。ニューヨーク生まれで、ラビにしてユダヤ人権利問題の活動家である。ユネスコの反ユダヤ主義に関する国際会議、ホロコーストの被害補償に関するジュネーヴ会議等を組織したことで、国際的に知られる。
 わが国との関係も深い。SWCは、1995年1月、雑誌『マルコ=ポーロ』がユダヤ人大虐殺説を検証した記事を載せた際、発行元の文藝春秋社に抗議し、雑誌の広告主に圧力をかけて、同誌を廃刊に追い込んだ。クーパーは、その活動の中心となったと見られる。事件後は、同社で開かれたユダヤ人理解のためのセミナーで講師を務めた。1999年10月、『週刊ポスト』が「長銀『われらが血税5兆円』を食うユダヤ資本人脈」を掲載した際にも、SWCは広告主に圧力をかけた。同誌は記事を撤回し、謝罪文を載せた。クーパーは、この時にも、発行元の小学館で開かれた人権セミナーの講師を務めた。その後も、SWCによるメディアへの抗議が行われる際、常にクーパーが登場している。
 自由民主主義の諸国では、言論や表現の自由が保障されているが、多くの情報は所有者集団が所有するマスメディアが流して、大衆の意識を操作している。そうしたマスメディアの報道を厳しく、また常時監視し、積極的に働きかけているのが、ユダヤ人団体である。

 次回に続く。


ユダヤ113~ネオコンとユダヤ人
2017-10-12 08:55:35 | ユダヤ的価値観
●ネオコンとユダヤ人

 アメリカのユダヤ人は、反ユダヤ主義に対抗して活動し、政治的な影響力を強めてきた。その過程の頂点に、新保守主義(ネオ・コンサーバティズム)の席巻がある。略称ネオコンである。
 1989年米ソの冷戦が終結し、91年にソ連が崩壊した。その結果、アメリカは世界で唯一の超大国となった。このとき、アメリカの世界的な覇権を確立するために、その圧倒的な軍事力を積極的に使用すべきだという戦略理論が登場した。それが、ネオコンである。
 ネオコンの源流は、1930年代に反スターリン主義の左翼として活動したトロツキストである。彼らは「ニューヨーク知識人」と呼ばれるユダヤ人の集団だった。そのうちの一部が、第2次世界大戦後、民主党に入党し、最左派グループとなった。 彼らは、民主党カーター大統領の人権外交に不満を持った。そして、1980年代に、共和党のレーガン大統領がソ連に対抗して軍拡を進め、共産主義を力で克服しようとしたことに共感し、共和党に移った。トロツキストが戦闘的な自由主義者に変わった。それによって反スターリン主義が反共産主義へと徹底されたわけである。彼らは、もともと共和党を支持していた伝統的な保守とは違うので、ネオコンという。
 ネオコンは、ユダヤ人でシオニストの政治哲学者レオ・ストラウスの影響を強く受けている。ストラウスはドイツに生まれ、正統派ユダヤ教徒として育てられた。ユダヤ人哲学者エドムント・フッサールのもとで哲学を学んだ後、ナチスの弾圧を避けて1938年にアメリカに渡り、49年にシカゴ大学の教授となった。当時全盛期にあった行動主義を痛烈に批判して、アリストテレス以来の政治哲学の復権を果たした。彼の学問や学者としての生き方に傾倒する弟子や信奉者が生まれた。その中で最も積極的に政治活動をしたのが、ネオコンである。
 このグループのユダヤ人にとっては、反スターリン主義であれ、反共産主義であれ、主義そのものに価値があるのではなく、ユダヤ人の利益になれば、なに主義でもよいのだろう。政党についても、民主党であれ、共和党であれ、ユダヤ人の利益になる方に入り込んで利用するのである。
 アメリカの伝統的な保守は、自分の郷土を中心にものを考え、アメリカ一国で自立することを志向する。外交においては、現実主義的な手法を重視し、国益のためには独裁国家とも同盟を結ぶ。これに対し、ネオコンは、自由とデモクラシーを人類普遍の価値であるとし、その啓蒙と拡大に努める。近代西洋的な価値観を、西洋文明以外の文明に、力で押し付けるところに、闘争性がある。その点では、戦闘的な自由民主主義と言えるが、そこにユダヤ=キリスト教の世界観が結びつき、イスラエルを擁護するところに、顕著な特徴がある。
 1980年代以降、共和党の外交政策には明らかな変化が起り、グローバリズムを志向する勢力が目立つようになった。この変化のきっかけは、民主党から共和党に移籍したネオコンの影響である。
 ソ連の崩壊後、ネオコンは、アメリカの脅威の源は、共産主義からアラブ諸国とイスラーム過激派に移ったと認識した。アラブ諸国のイスーラム教勢力に対する彼らの見解は、イスラエルの強硬派リクードに近いものだった。ネオコンの多くがユダヤ人だったことが、彼らの主張を、親イスラエル的・シオニスト的なものとした。中東においてイスラエルを支持し、アラブ諸国を軍事力で押さえ込み、石油・資源を掌中にし、自由とデモクラシーを移植する。こうした戦略は、アメリカの国益を追求するとともに、イスラエルの国益を擁護するものともなった。

 次回に続く。


ユダヤ114~ブッシュ子政権と9・11
2017-10-14 08:55:21 | ユダヤ的価値観
●ブッシュ子政権と9・11
 
 レーガン政権から共和党で影響力を発揮したネオコンは、やがてブッシュ子政権において、政権中枢に躍り出た。
 2000年の大統領選挙は、共和党ジョージ・ウォーカー・ブッシュが、民主党アル・ゴアを破った。フロリダ州の得票数が僅差で再集計をめぐり法廷闘争に発展した。1ヶ月以上勝者が決まらない異例の事態になったが、最終的にブッシュ子の勝利が確定した。
この選挙で、ユダヤ人の約8割はゴアに投票した。ゴアは、ユダヤ人から絶大な支持を受けていた。理由は、史上最もユダヤ人を登用したクリントン政権のナンバー2だったこと、ランニングメイトの副大統領候補に正統派ユダヤ教徒のリーバーマンを選んだことなどが挙げられる。だが、それでも、ブッシュ子が勝った。
 どうしてこういう結果になったか。共和党に入り込み、ブッシュ子の周辺を取り囲んだネオコンの影響だろう。ユダヤ票そのものを上回るほど、ネオコンの思想が米国民全体の投票行動を左右したと考えられる。
 ネオコンは、ブッシュ子政権の中枢に多く参入した。そして、グローバリズムの思想に基づいて、力による覇権を目指す世界戦略を展開した。それによって、アメリカ=イスラエル連合というべき関係を強固なものとした。
 イギリスのアングロ・サクソン=ユダヤ文化はアメリカで独自性の要素を加えたアメリカ=ユダヤ文化として発達したが、ネオコンによってアメリカ=イスラエル連合が強化されたことで、アメリカ=ユダヤ文化は、さらにユダヤ色が濃厚になった。
 2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起こった。この事件は、謎の多い事件である。私はその解明を試み、拙稿「9・11~欺かれた世界、日本の活路」をマイサイトに掲示している。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12g.htm
 9・11の同時多発テロ事件がなければ、ネオコンの理論は、米国政治の主流に躍り出ることはなかったかもしれない。9・11は、アメリカ国民に、テロの恐怖を引き起こし、報復への怒りを沸き立たせた。そして、ネオコンの理論を、アメリカが取るべき方針だと国民に思わせた。
ブッシュ子大統領は、同時多発テロの報復として、「新しい十字軍戦争」を唱導した。これは、アメリカ=イスラエル連合つまりユダヤ=キリスト教とイスラーム教過激派との戦いであり、セム系一神教文明群の中でのユダヤ=キリスト教系諸文明とイスラーム文明の戦いである。この「新しい十字軍戦争」は、ユダヤ人を中心としたネオコンの思想によるところが大きい。
 9・11以後、アフガニスタン戦争及びイラク戦争が開始された。その戦争の最中に行われた2004年の再選でも、ブッシュ子が民主党のジョン・ケリーに勝利した。ブッシュ子は、父親の失敗を教訓としてイスラエルを支持し、イスラエルの利益のために米国が中東で戦っていた。それゆえ、2000年の選挙では民主党ゴアに票を投じたユダヤ人の多くが、今度はブッシュ子を支持した。
 ブッシュ子政権では、ネオコンの親イスラエル的・シオニスト的な戦略が、アメリカの政策を方向付けた。しかし、これをユダヤの陰謀と見るべきではない。ユダヤ人ネオコン・グループは、アメリカに住むユダヤ人の多数派ではない。ユダヤ系アメリカ人の7割以上は、イラク戦争に反対していた。ユダヤ系といっても、彼らの思想は多様であって、一枚岩ではない。その点には注意しなければならない。
 同時多発テロ事件の勃発後、9・11以前にネオコンのグループによって戦争が計画されていたことが明らかになった。その計画を実行するために起こされた事件が、9・11の同時多発テロ事件であり、米国政府が事件に何らかの形で関与していたと考えられる。この点は、先の拙稿で考察した。

 次回に続く。


ユダヤ115~戦闘的なシオニスト、ネオコンの活躍
2017-10-17 08:59:15 | ユダヤ的価値観
●戦闘的なシオニスト、ネオコンの活躍
 
 ブッシュ子政権のネオコンは、戦闘的なシオニストである。彼らは、イスラエルを支持し、アラブ諸国を軍事力で押さえ込み、石油・資源を掌中にし、自由とデモクラシーを移植する戦略を推進した。
 ブッシュ子政権におけるネオコンの頭目は、副大統領のディック・チェイニーであり、彼に次ぐのが、国防長官ドナルド・ラムズフェルドだった。ブッシュ大統領やチェイニー、ラムズフェルドをイラクへの先制攻撃の戦略に導いたのは、ユダヤ人のネオコン・グループである。
 この辺は、名著『赤い楯』で知られるわが国のロスチャイルド研究の第一人者・広瀬隆の『アメリカの保守本流』が詳しい。ユダヤ人のネオコン・グループとは、国防副長官ポール・ウォルフォウイッツ、副大統領首席補佐官ルイス・リビー、国防政策会議議長リチャード・パール、国防次官ダグラス・ファイス、ホワイトハウス報道官アリ・フライシャー、大統領のスピーチライターであるデイヴィッド・フラムである。これに保守派の論客ウィリアム・クリストルを加えて、広瀬は「ネオコン7人組」と呼んでいる。彼らは、全員がユダヤ系移民の子孫である。
 「ネオコン7人組」の中心的な存在は、ウィリアム・クリストルである。ウィリアム・クリストルは、1995年創刊の雑誌『ウィークリー・スタンダード』の編集長を務めた。クリストルを中心としたユダヤ人ネオコン・グループはこの雑誌を発信源としていた。彼らはイラクの指導者サダム・フセインを悪の権化とし、アメリカはイラクを攻撃して、米軍がイラクを統治し、中東諸国をすべて民主化しなければならないと主張した。
 ウィリアムの父親であるアーヴィン・クリストルは、ネオコンの創始者ともいわれる。アーヴィンは、1930年代に反スターリン主義の左翼として活動したトロツキスト集団、「ニューヨーク知識人」の一人だった。トロツキズムから反共産主義に転じ、ユダヤ人シオニストとして活動した。1943年(昭和18年)にアメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)を創設し、言論活動を行い、若手を育成した。AEIのメンバーには、チェイニーやパールがいる。
 クリストルらのユダヤ人トロツキストに強い影響を与えたのが、ユダヤ人哲学者のハンナ・アーレントである。アーレントは、ドイツでハイデガーやヤスパースと交友を結んだ。ナチスの迫害を逃れて1941年(昭和16年)、アメリカに亡命した。著書『全体主義の起源』『革命について』等で、アメリカの独立革命は成功、フランス革命・ロシア革命は失敗とし、リベラル・デモクラシーを賞賛して、全体主義との戦いを唱導した。アーレントの共産主義とナチズムへの批判は、ユダヤ人トロツキストにマルクス主義からの脱却を促した。アーヴィン・クリストルは、反共からさらに戦闘的なシオニズムに転じたわけである。
 アーヴィン・クリストルの息子ウィリアムは、1997年(平成9年)にシンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)」を設立し、会長となった。PNACの設立趣意書には、後のブッシュ子政権の中枢の名前が並んでいた。チェイニー、ラムズフェルド、ウォルフォウイッツらである。
ユダヤ人ネオコン・グループが主催するPNACは、アメリカの軍事革命、及び世界戦略に重大な影響を与えてきた。そして、ネオコンが主導してブッシュ子政権が遂行したアメリカが世界的覇権を確立するための抜本的な戦略転換は、同時にイスラエルの国益に合致し、イスラエルの安全保障をアメリカの富と権力で強化するものだった。ブッシュ子政権の誕生をもって、アメリカ政府をかつてないほどシオニスト化したのである。
 クリストル父子らのユダヤ系アメリカ人は、徐々にWASPの支配層に入り込み、アメリカの政治を大きく左右するほどの影響力を持つに至った。レーガン政権、ブッシュ父政権、クリントン政権を通じて、シオニストのユダヤ系アメリカ人とアメリカの伝統的な支配集団であるWASPとががっちり連携していったと考えられる。
 ユダヤ系ネオコン・グループは、イスラエルの極右政党リクードの党首アリエル・シャロンの政策を支持し、シャロンと密接な関係を持っていた。シャロンは戦闘的なシオニストであり、パレスチナ難民の殺戮を容認し、「ベイルートの虐殺者」と呼ばれる人物である。シャロンは、2001年(平成13年)にイスラエルの首相となった。ここにアメリカ・ブッシュ子政権のネオコン・シオニストとイスラエルの強硬派政府との連携が出来上がった。
 ブッシュ子政権のユダヤ人ネオコン・グループは、アメリカの外交政策をシャロン政権を援護するよう働きかけ、超大国アメリカの軍事力で、イスラエルの安全保障を強化しようとした。アメリカを親イスラエル、親シオニストの国家に変貌させようと図った。アメリカは、イスラエルの安全と繁栄またユダヤ民族の生存と増勢に寄与する国家に変質したのである。
 広瀬隆は、『アメリカの保守本流』に、次のように書いている。「ネオコンがCIAや国務省を無視し、これほどまでにワシントンで力を持つには、誰か大物パトロンからの資金援助がなければならないが、資金はロスチャイルドから出ていた」と。
 ロスチャイルド家とユダヤ人ネオコン・グループを結ぶ人物に、アーウィン・ステルザーがいる。ステルザーは、ニューヨークで投資銀行と金融経済顧問をかねるロスチャイルド社の代表である。彼が経営するロスチャイルド社の親会社は、世界金融界の頂点に立つロンドン・ロスチャイルド銀行である。
 ステルザーは、メディア王ルパート・マードックの「最も重要な資金面の後ろ盾」だと広瀬は言う。オーストラリア生まれのユダヤ人マードックは、猛烈な勢いでイギリスのマスメディアを買収し、さらにアメリカに進出した。有力な新聞・雑誌を押さえ、FOXテレビを創設した。こうしたマードックのメディア買収は、背後にいるロスチャイルド家の対米戦略の一環と考えられる。メディアを使って、自己に有利になるように、アメリカの世論に影響を与えることができるからである。
 ステルザーに話を戻すと、アーヴィン・クリステルらが設立したアメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)にステルザーは資金を提供してきた。AEIの後ろには、ロスチャイルド家があるわけである。ステルザーはネオコン・グループの一人、リチャード・パールを、1998年(平成10年)に保守系のシンクタンク、ハドソン研究所の幹部に引き立てた。そして、ブッシュ子政権の国防長官ラムズフェルドの右腕として中枢に送り込んだ。パールは「暗黒の王子」という異名を持ち、サウジの武器商人アドナン・カショーギとの武器売買に暗躍し、ブッシュ子政権をイラク進攻に駆り立てた。「ロスチャイルド子飼いのパールが、ブッシュと米軍を動かしたのである」と広瀬は書いている。
 ステルザーは、ウィリアム・クリストル編集の雑誌『ウィークリー・スタンダード』の編集者を兼ね、同誌を実質支配していたという。広瀬は「世にネオコンと呼ばれる集団は、全員が彼のロスチャイルド人脈だった。これが、好戦的シオニズムとネオコンを結びつけたネットワークである」と述べている。
 ロスチャイルド家がどうして対米戦略を展開し、アメリカの政治に影響力を及ぼそうとするのか。巨大国際金融資本としての事業展開は、当然の目的の一つだろう。それとともに、その行動は、イスラエルという国家の存立と繁栄をめざしたものでもあるはずである。ロスチャイルド家こそ、イスラエルを建国し、支援・擁護してきたユダヤ人一族だからである。イスラエルのシオニストとロスチャイルド家、そしてアメリカのユダヤ人ネオコン・シオニストは、国際的かつ民族的に連携しつつ、超大国アメリカを自らの利益にかなうように、誘導・操作しようとしてきたと見られるのである。

 次回に続く。


ユダヤ116~新自由主義・市場原理主義の席巻
2017-10-20 08:55:59 | ユダヤ的価値観
●新自由主義・市場原理主義の席巻
 
 第2次世界大戦後の世界経済は、1970年代から大きく変化した。その変化の開始は、1971年(昭和46年)のニクソン・ショックに遡ることができる。アメリカが金とドルの交換を停止したため、各国は次々に変動相場制に移行した。資本主義が変動為替相場制に移行したことによって、貨幣に新たな機能が生じた。貨幣自体が、一つの商品になったのである。それが、資本主義世界経済を大きく変えることになった。経済活動の中心がものの生産ではなく、貨幣のやりとりによる金融に移った。
 こうした時代に、経済学の主流になったのが、新古典派経済学である。その最高の理論家が、ユダヤ人経済学者ミルトン・フリードマンである。フリードマンについては、後に経済学の歴史と合わせて、別の項目に詳しく書く。彼の理論は政府による市場への介入を排除し、市場における自由な取引を徹底的に追及する思想がもとになっている。新自由主義・市場原理主義と呼ばれる。
 1980年代にレーガン政権は、新自由主義・市場原理主義を取り入れた政策を行った。ビル・クリントン政権は、前政権の経済政策を否定し、方向転換を行った。それによって、レーガン政権で生じた双子の赤字を解消し、財政黒字を生み出した。この時代に、アメリカでは情報通信革命が推進された。コンピュータの普及は、経済活動、特に金融を大きく変えた。国境を超えた市場では、ある通貨が安くなったら大量に買い、高くなったところで売る。これだけで大儲けが出来る。逆に裏目に出たら大損をする。こうした為替差益を狙う通貨の売買は、一種のギャンブルと化す。世界の金融市場を結ぶコンピュータのネットワークが、このギャンブルを超高速で行うことを可能にした。こうした段階の資本主義を、情報金融資本主義という。
 情報金融資本主義の社会において、金融市場はあたかも巨大なカジノの賭博場のようになった。外国為替取引に関係するディーラーたちは、世界の金融市場を瞬時に結ぶコンピュータの画面を見ながら、マネー・ゲームに興じる。イギリスの経済学者スーザン・ストレンジは、こうした資本主義の姿を「カジノ資本主義」と名づけた。世界市場は、カジノ資本主義の狂宴の場と化した。
資本は、自己増殖する価値の運動体である。その典型は、貨幣である。貨幣の貸借は、返済の義務を生じる。貸借の報酬として、利子を取るとき、貨幣は増殖する。この貨幣の自己増殖の運動は、資本主義の本質的な要素である。貨幣という典型的な資本なくして、資本主義は成立しない。そして、貨幣そのものの商品化は、こうした資本主義の本質を全面的に実現したものだと私は思う。そして、これは利子を取ることを肯定するユダヤ的価値観が経済社会に普及したものだといえる。
 資本は、もともと物を作って売ることが、目的ではない。利潤を上げることが目的である。それゆえ、必ずしも物を生産しなくとも、金銭や信用によって利潤を上げられれば、資本の目的は達せられる。物を作る労働に汗を流すより、金銭を動かすことで利潤を上げるファンド・マネージャーが、グローバルな情報金融資本主義の主役となった。
 企業もまた投資と売買の対象となる。1980年代にウォール街で、弱肉強食の企業乗っ取りをリードし、またそのお膳立てを行ってきた者の多くがユダヤ人であり、またユダヤ教を信奉するユダヤ人だったといわれる。1997年に金融専門誌『ファイナンシャル・ワールド』が掲載したウォール街の所得者番付では、最上位25名の中で11名がユダヤ人で、約44%を占めた。その多くは企業買収ビジネスとヘッジファンド運営に従事していた。
 歴史的に見ると、ヨーロッパで土地に根差したものの生産ではなく、貨幣の取り扱いで利益を上げてきたユダヤ人が、現代のファンド・マネージャーの原形と言えよう。また、情報通信革命の中で行われる新自由主義・市場原理主義の経済活動こそ、ユダヤ的価値観が最も合理的に実現した形態と言えるだろう。

 次回に続く。


ユダヤ117~リーマン・ショックと強欲資本主義の復活
2017-10-24 09:27:08 | ユダヤ的価値観
●リーマン・ショックと強欲資本主義の復活
 
 ビル・クリントン政権に替わったブッシュ子政権は、再びレーガン政権を受け継ぐ新自由主義・市場原理主義の経済理念を取った。だが、その経済政策は、失敗に終わり、貧富の差が拡大し、税収が減少した。米国は、再び双子の赤字を抱えるようになった。
 こうした問題に対処するため、アメリカはウォール街の株式市場に海外から資金を集める必要を高め、様々な金融派生商品で資金を呼び込んだ。自己資金の何倍もの資金を借りて株式を買うレベリッジという手法により、巨額の取引が行われた。石油、穀物など、あらゆるものが、投機の対象となった。その活動は、強欲資本主義と呼ぶにふさわしい。ここで猛烈な活動をしたのが、ユダヤ系のゴールドマン・サックスに代表される投資銀行や、ユダヤ人のジョージ・ソロスらによるヘッジファンドだった。
 特に大きな社会問題となったのが、サブプライム・ローンである。サブプライム・ローンは、信用能力の低い階層を対象とした住宅ローンである。ウォール街は、そうした低所得者向けの住宅ローンを証券化し、これを安全性の高い商品であるかのように仕立てて、世界中で売りさばいた。
 2007年(平成19年)、サブプライム・ローンが焦げ付き、これをきっかけに世界的な金融危機が始まった。翌2008年9月15日、投資銀行のひとつリーマン・ブラザーズが倒産した。世界経済は約80年前に起きた大恐慌以来の危機に陥った。これがリーマン・ショックである。
 1929年の大恐慌は、投機的な投資が一つの原因となって発生した。恐慌後、アメリカでは金融危機の再発防止のための金融制度改革が行われ、銀行業務と証券業務の分離を定めたグラス・スティーガル法(銀行法)、証券法、証券取引所法が成立し、ウォール街の活動を監視する証券取引委員会(SEC)が設立された。
 大恐慌後に設けられたこうした規制は、1970年代までは、巨大国際金融資本の活動を抑えるのに有効だった。しかし、1980年代、新自由主義・市場原理主義の席巻により、レーガン政権の時代から徐々に規制が緩和された。そして、クリントン政権の1999年にグラム・ビーチ・ブライリー法が成立した。同法によって、銀行・証券・保険の分離が廃止された。その結果、金融機関は、持ち株会社を創ることで、金融に関するあらゆる業務を一つの母体で運営することが可能になった。これを理論的に推進したのが、新古典派経済学だった。
 「自由」の名の下、アメリカの金融制度は大恐慌以前に戻ってしまった。ウォール街は、さまざまな金融派生商品(デリバティブ)を開発し、サブプライム・ローン、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)等を生み出し、世界中を狂乱のマネー・ゲームに巻き込んだ。だが、猛威を振るったカジノ資本主義は、リーマン・ショックによって破綻した。
 リーマン・ショック後、米国では投機的な金融機関に対する一定の規制が行われた。しかし、その規制は小規模なものにとどまっている。強欲資本主義は、一時的なダウンから立ち上がり、その勢いを取り戻している。
 ユダヤ系金融業者は横の連携を取りつつ、再び富の獲得と拡大に活躍している。その中でアメリカの政権への参加が最も目立つ企業が、ゴールドマン・サックスである。ゴールドマン・サックスはユダヤ系で、もとはロスチャイルド財閥との関係が深かったが、現在はロックフェラー財閥とも融合している金融機関である。1990年代からウォール街を代表する投資銀行として巨大化した強欲資本主義の象徴的存在である。2008年(平成20年)の経済危機で、生き残りのために商業銀行に変わった。
 ところで、アメリカでは、経済政策は政府よりも連邦準備制度(FRS)が実権を握っている。FRSの理事会をFRBという。FRBについては、先に書いたが、米欧の巨大国際金融資本の連合による国際経済管理機構である。
 1980年代末から2000年代半ばにかけて18年間、連邦準備制度理事会に君臨したのが、アラン・グリーンスパンである。ブッシュ父、クリントン、ブッシュ子と政権が共和党・民主党・共和党と変わっても、グリーンスパンはFRB議長を続けた。それだけ巨大国際金融資本の支持があったと考えられる。グリーンスパンはユダヤ人であり、ユダヤ系金融資本、さらにロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥につながっている。グリーンスパンは、2006年(平成18年)にFRB議長を退任した後、住宅バブル、石油バブル、そしてリーマン・ショックを招いた責任を問われることになった。
 後任のFRB議長には、ベン・バーナンキが就いた。バーナンキは、プリンストン大学の教授だったが、ブッシュ子政権下でFRBの理事となり、2006年に議長となった。バーナンキはグリーンスパンを批判するのでなく、基本的にグリーンスパンの路線を踏襲した。結果が良くなかった部分を是正するという対応だった。バーナンキもユダヤ人であり、グリーンスパン同様、ユダヤ系金融資本、さらにロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥につながっていると見られる。バーナンキの在任中にリーマン・ショックが起こった。バーナンキは、大胆な金融緩和でこれに対処した。
 ところで、ユダヤ的価値観を最もよく体現するロスチャイルド家は、直系相続人が多数、第一線でビジネスマンとして活動している。その点が、欧米の多くの財閥の子孫が遺産相続人として巨大な資産を有する投資家となっているのとは異なる。世界の金価格は現在もロンドンのシティにあるロンドン・ロスチャイルド銀行で決定されている。そして、イギリス、フランスのロスチャイルド家には、欧米のユダヤ系投資銀行が創業者以来、姻戚関係でつながっている。そうしたユダヤ系投資銀行には、ゴールドマン・サックス、ソロモン・スミス・バーニー、ウォーバーグ・ディロン・リード、シュローダー・グループなどがある。
 ロスチャイルド家及びユダヤ系の国際金融資本家は、その豊富な資金力・情報力を用いて、ユダヤ系アメリカ人のシオニストやネオコンを支援している。支援が行われているのは、それがイスラエルやユダヤ人の利益となるとともに、彼らの私的事業の利益にもなるからであるに違いない。

 次回に続く。


ユダヤ118~新自由主義とリバータリアニズムの思想
2017-10-26 08:59:50 | ユダヤ的価値観
●新自由主義とリバータリアニズムの思想

 新自由主義の思想的背景について書くと、新自由主義に影響を与えた思想家の一人に、ロシア生まれのユダヤ系アメリカ人、アイン・ランドがいる。
 ランドは、思想家であるとともに小説家・劇作家・映画脚本家でもあった。理性を知識を得る唯一の手段とし、信仰や宗教を拒絶した。合理的かつ倫理的な利己主義を支持し、利他主義を否定した。『利己主義という気概』(The Virtue of Selfishness、1964年)において、彼女は利己主義を積極的に肯定した。ランドの見解によると、自己の利益こそ倫理の基準であり、無私無欲は最も深い不道徳である。自分の生命と幸福が自分にとっての最高価値であり、人はお互いに他者の利益のための従僕や奴隷ではない。自己の利益の追及は、自己の責任を伴う。人生においてどういう価値を求め、その価値を獲得するためにどのように行動するかは、各自の自己責任である。
 ランドは、このような見解に立って、「完全で、純粋で、支配されない、規制を受けない自由放任資本主義」の実現を提唱した。その主張は、最小国家を個人の権利を守る唯一の社会制度として支持し、政府によるあらゆる規制を撤廃しようとするものである。ランドは、自由放任資本主義の提唱は、唯一の権利としての個人の権利を提唱することになると断言した。
 ランドはシオニストである。1973年の第四次中東戦争の時は、パレスチナ及びアラブ諸国と戦うイスラエルを「野蛮人と闘う文明人」と呼んで支持した。また、アメリカに入植した白人種には先住民から土地を奪う権利があったと述べた。
 ランドの徹底した利己主義の主張は、新自由主義に強い影響を与えた。元FRB議長のアラン・グリーンスパンは、ランドを師と仰ぎ、ランドが自分の思想形成に決定的影響を与えたと告白している。また、ランドの利己主義と自由放任の擁護は、グリーンスパンを通じて、サブプライム・ローン問題やリーマン・ショックによって世界的な経済危機を引き起こしたという非難が上がっている。
 新自由主義は、自由を中心価値とする。平等に配慮する修正自由主義を批判し、自由一辺倒の古典的自由市義への回帰を図るものである。米国のいわゆるリベラルは、修正自由主義であり、古典的な自由主義を信奉する者は、これと自らを区別するためにリバータリアニズムを標榜する。リバータリアニズムは、個人の自由を至上の価値とする思想である。自由至上主義または絶対的自由主義と訳される。
 ランドは、リバータリアニズムの思想的支柱ともなっている。「アイン・ランドがいなかったら、リバータリアン運動は存在しなかっただろう」とリバータリアン党の創設者の一人、デイヴィッド・ノーランは述べている。共和党内のリバータリアニズムの運動であるティーパーティにもランドの信奉者がいる。ランドから影響を受けたと公言する者には共和党員が多く、連邦議会議員や政治評論家にもランドの影響を認める者がいる。
 リバータリアニズムは、米国に伝統的な開拓民の独立心に裏付けられている。その理論家の一人に、ロバート・ノージックがいる。ノージックはロシア系ユダヤ人移民の子としてニューヨークに生まれた。拙稿「人権――その起源と目標」に、現代の正義論としてジョン・ロールズの思想を書いたが、ロールズは、自由を優先しつつ平等に配慮することが正義だとする正義論を説いたのに対し、ノージックは、ロールズを古典的自由主義の立場から批判した。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-4.htm
 ノージックは、著書『アナーキー・国家・ユートピア』(1974年)で、すべての個人は、生命、自由及び財産の権利を侵害されることなく、侵害されれば処罰や賠償を求めることができる絶対的な基本的権利を持つとする。ノージックは、この権利を、人間は単なる手段ではなく目的であり、本人の同意なしに何かの目的を達成するために利用したり犠牲にしたりすることは許されないというカント的な思想で基礎づける。ノージックによると、道徳的に正当化できる国家(政府)は、暴力・盗み・詐欺からの保護、契約の履行の強制に限定される「最小国家」のみである。所得の再分配等の機能を果たそうとする「拡張国家」は、人々の権利を侵害するゆえに正当化されない。最小国家は、人々の自由な活動と結合による自発的共同体であるユートピアのための枠組みとして「メタ・ユートピア」という性格を持つとする。
 ノージックは、国家に必要なのは市場の中立性と矯正的・手続き的正義の確保であると説く。また取得と交換の正義が満たされている限り、どのようなものであっても、結果としての配分は正しいとする。ベンサム流の功利主義(最大幸福主義)やロールズの格差是正原理については、分配の結果を何らかの範型に当てはめようとするものであり、政府によるそうした押し付けは、個人の自由を侵害し、専制的な再分配を正当化するものであると批判する。この考え方は、政府による市場への介入に対して全体主義への道と強く反対したハイエクや、第2次大戦後、新古典派経済学の中心となり、新自由主義の経済理論を説いたフリードマンに通じるものである。また、利己主義を積極的に肯定したランドの思想とも、部分的に共振するところがある。ノージックの思想は、政党で言えば共和党の考え方に近く、2009年に始まった共和党内のリバータリアニズムの運動団体、ティーパーティに影響を与えていると推察される。これに対し、ロールズの思想は、民主党の左派の考え方に近い。
 フリードマン、ランド、ノージックはユダヤ人ないしユダヤ系だった。自由を中心価値とするアングロ・サクソン系の思想家以上に、ユダヤ人ないしユダヤ系の思想家が自由を至上の価値とし、アングロ・サクソン=ユダヤ文化に強く作用してきたことは、注目に値しよう。

 次回に続く。


ユダヤ119~経済学におけるユダヤ人
2017-10-29 06:45:11 | ユダヤ的価値観
●経済学におけるユダヤ人

 ここで経済学の歴史とそこにおけるユダヤ人の活躍を書いておきたい。
 近代ヨーロッパで資本主義が発達すると、資本主義の経済社会を理論的にとらえる学問が発達した。その経済学の歴史は、アダム=スミス・リカードらによるイギリスの古典派経済学に始まり、先進国に対して後進国独自の発展を追求するリストらによるドイツ歴史学派、古典派経済学を継承しつつそれを社会主義の側から批判したマルクス・レーニンらによるマルクス経済学、財の価値の決定に限界効用の概念を打ち出したメンガー・ジェボンズ・ワルラスらによる新古典派経済学などが続き、20世紀には、失業問題に有効需要の概念で取り組んだケインズ経済学、ケインズの管理政策を批判するハイエク・フリードマン・ルーカスらによる新自由主義的な新古典派経済学などが現れた。21世紀の今日は、リーマン・ショック後、新古典派経済学の見直しとケインズ経済学の復権が進んでいるところである。
 ここに名前を挙げた代表的な経済学者のうち、デイヴィッド・リカード、カール・マルクス、ミルトン・フリードマンはユダヤ人である。リカードは、産業革命の進む19世紀初めに古典派経済学を完成させて、イギリスの自由主義的資本主義の発展に寄与した。マルクスは、1870年代に資本主義体制を転覆する革命の経済学を樹立した。それに対して、1930年代に社会主義革命を防ぐために、非ユダヤ人のケインズが自由に一定の統制を加えた。すると、これに反発して、1960年代にフリードマンが再び自由主義的資本主義を徹底する経済学を提示した。このように見ると、経済学の歴史において、ユダヤ人が重要な役割を果たしてきたことが分かるだろう。
 さて、経済学の諸学派は、資本主義を肯定してその発達を促すものと、資本主義を否定して社会主義を目指すものに分かれる。マルクス主義の経済学以外は、すべて前者である。前者には、様々な学説があるが、私は、ネイション(国家・国民・共同体)の利益を主に追及するものと、資本の利益を主に追及するものに分類する。
 ネイションの利益を主に追及する経済理論は、アダム=スミス、ヒューム、リスト、ケインズらによって展開された。この系統は、個人の自由を尊重するとともに、人間の共同性を保持しようとする。資本の利益を追求するが、個々の資本の利益よりも、国家・国民全体の富の増大を目標とする。そのために有効な政策を政府に提案する。具体的な政策には、自由貿易主義、保護貿易主義、総需要管理主義などの違いがあるが、いずれもネイションの発展・繁栄を目的とする。
 これに対し、資本の利益を主に追及する経済理論は、新古典派経済学の論者が多く展開してきた。アトム的な個人をモデルとし、利己的で合理的に行動する人間を想定し、市場における経済活動を研究する。資本の自由な活動が優先され、市場を中心概念とし、国家・民族の概念は重視されない。
 ユダヤ人の資本家や巨大国際金融資本家にとっては、資本の利益を主に追及する経済学が、彼らの価値観と要求に応えるものである。ユダヤ人は離散した民族として自らの国家を持たず、国民国家の枠組みを超えた経済活動によって最も利益を獲得できる。ユダヤ人資本家にとっては、自らが所属する異民族の国家・国民の富の増大よりも、自らの貨幣を投じた資本の増大が目標である。そして、ユダヤ的価値観に最も適った経済理論を打ち立てたのが、ユダヤ人経済学者のフリードマンだったと私は考える。
 フリードマンの経済学こそ、1980年代以降、世界を席巻した新自由主義・市場原理主義の学説であり、2008年のリーマン・ショックに至る強欲資本主義を助長した理論である。

●フリードマンの新自由主義的な経済理論

 フリードマンはハンガリーからのユダヤ系移民の子として、1912年にニューヨークで生まれた。1870年代から発達した新古典派経済学を継承し、これを発展させた。新古典派経済学とは、一般に限界効用の概念で経済理論を刷新する限界革命を経た経済学を言う。
 第2次世界大戦後、新古典派経済学は、ワルラスの一般均衡理論を基礎にすえる学派が主流となった。ワルラスの一般均衡理論は、ある与えられた時点で、人口・資源・技術・社会組織を与件として、競争を徹底的に行うならば、もはやこれ以上変化しない状態としての一般均衡状態に到達すると説く。この理論によれば、各市場において需要と供給が一致する価格と生産量の組み合わせが実現している状態は、もっとも効率的である。その状態を実現する方法は、「絶対的な自由競争」つまり完全競争が機能するようにすることである。そして、各市場で完全競争が作用し、価格を通じた需給調整がうまくいくならば、最適の状態が達成され、効率的な資源配分が実現されるとする。
 1950~60年代には、世界的に、新古典派よりもケインズ学派が優勢だった。その始祖のジョン・メイナード・ケインズは、新古典派経済学は「供給はそれみずからの需要を創り出す」というセイの法則を暗黙の前提としており、また完全雇用状態という特殊な場合にしか当てはまらないとしてその欠陥を指摘した。そして新古典派の理論を特殊として包摂する一般理論を打ち出した。1929年世界大恐慌後の時代に、不況と失業を解決するための理論を構築して、具体的な政策を提案し、その実現のために活動した。
 ケインズは、イギリス伝統の個人を尊重する個人主義的自由主義を説き、自由を守るために、中央管理により、一定の規制を行うことを提唱した。それが有効需要の理論に基づく総需要管理政策である。この政策がイギリスの国策に取り入れられ、またアメリカのニューディール政策に理論的根拠を与えた。英米はケインズ的な政策によって経済的危機を脱し、共産主義革命の波及を防ぎ、またナチス・ドイツとの戦争に勝利することができた。いわば左右の全体主義から自由を守ることに、ケインズは重大な貢献をした。それによって、ケインズの経済学は、第2次大戦後の世界の多くの国における経済学研究の主流となった。同時に、経済政策の策定に重要な役割を果たした。本稿では、ケインズ理論には立ち入らない。詳しくは、拙稿「日本復活へのケインズ再考」をご参照願いたい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13k.htm
 ケインズの理論を認めない経済学者は、1930年代から多くいた。なかでもフリードリッヒ・フォン・ハイエクは、自由への規制は自由の否定になるとして、政府の市場への介入に徹底的に反対した。ハイエクは新自由主義の旗手といわれる。そのハイエクを継承し、彼の新自由主義を徹底したのが、フリードマンとされることが多い。ただし、ハイエクはデカルト、サン=シモンらを設計主義だとして行き過ぎた合理主義を批判しており、フリードマンを彼らの流れに立つ実証主義だとして厳しく批判している。ハイエクにはユダヤ人説があるが、彼の出自はユダヤ人の家系ではない。
 フリードマンは、ケインズ経済学全盛の時代から、一貫してこれに対抗した。著書『資本主義と自由』(1962年)において、市場主義を前面に押し出し、政府が市場に介入することや累進課税による所得再分配政策を批判した。ケインズが打ち立てた資本主義を政府が管理する理論に対して、フリードマンは強く反発した。そして、大恐慌以前の古典的自由主義への復活を求めた。

 次回に続く。


ユダヤ120~フリードマンの新自由主義的な経済理論
2017-11-01 09:25:41 | ユダヤ的価値観
●フリードマンの新自由主義的な経済理論(続き)

 1970年代、アメリカはベトナム戦争の影響から財政が悪化し、インフレ率と失業率がともに上昇していた。ケインズ主義の経済学者たちの打ち出す政策は、インフレ率を押さえ込むことにも、失業率を下げることにも失敗していた。複雑化する現実に有効に対応できないケインズ経済学は権威を失った。先行きの見えない不景気によって閉塞感が広がる中、ケインズ主義を批判するフリードマンが、クローズアップされた。「市場の自由に任せる」という主張は、自由と個人の責任を尊ぶアメリカ人の気質にも合致し、次第に大きな支持を集めるようになった。これを市場原理主義という。とりわけそれを強く支持したのは高い所得税に不満を持つ富裕層であり、金融市場での活動を規制されていた巨大国際金融資本家だった。
 財政悪化の進む米国は、1971年にニクソン大統領が金=ドル交換停止を発表した。ニクソン・ショックによって、戦後の国際通貨制度を支えてきたブレトン・ウッズ体制は一部崩壊した。1973年には固定相場制から変動相場制に移行した。アメリカは基軸通貨ドルを石油とリンクし、金融と石油で世界経済を支配する体制を構築した。
 変動相場制への移行にあたり、フリードマンは為替の変動リスクをヘッジするために先物取引所を作ることを正当化した。通貨先物が導入されたことで、金融技術は一気に複雑になった。
 フリードマンの理論は、マネタリズムと呼ばれる。通貨管理経済政策である。マネタリズムは、リカード以来の貨幣数量説の現代版である。貨幣供給量の増大が、短期的には生産量や雇用量を拡大させる効果があったとしても、長期的には物価を上昇させるだけだと説く。マネタリズムから導き出される政策は、ケインズ理論のそれとは正反対である。インフレの唯一の原因は過大な貨幣供給であるとし、フリードマンはインフレを抑えるために貨幣供給量を一定率で増加させるという政策提言を行った。
 フリードマンによると、ケインズ的な政策による財政支出の増大は、GNP(国民総生産)の拡大には貢献しない。政府の公共投資は乗数がゼロであり、効果が無い。国債の市中消化は、金利を上昇させ、民間の投資を減退させるだけである。これを「クラウディング・アウト現象」という。金融政策は、有効需要をコントロールするために金利を上げ下げするのではなく、あらかじめ決めた率で貨幣数量(マネー・サプライ)を増加させるべきである。政府がするのはそれだけでよい、とフリードマンは主張した。これすなわち、「市場の自由」に任せよ、という主張に他ならない。
 フリードマンは、貨幣量の増大は長期的には物価を上昇させるのみという。だが、貨幣が実物経済に何の影響も及ぼさず、ただ物価だけに影響を与えるという状況とは、完全雇用が実現された状態に他ならない。それゆえ、マネタリズムの理論や政策は、完全雇用の状態にしか当てはまらない。これは、かつてケインズが新古典派に対して指摘したのと同じ問題点だった。
 サッチャー政権のイギリスやカーター政権のアメリカは、マネタリズムを政策に取り入れた。しかし、実際にやってみると、経済の停滞・不振がひどくなり、景気停滞下でインフレが進むスタグフレーションというかつてない現象が深刻化した。ケインズ的な財政政策を止めて金融政策一本にしたのでは、マクロ的に経済を管理することが困難になり、マネー・サプライは安定化するどころか、大きくかつ不規則にぶれた。それゆえ、政策論についてはフリードマンの評価は下がった。彼のケインズ主義批判も攻撃力を失った。
 だが、フリードマンによって再興した新古典派経済学の勢いは、衰えなかった。彼を首領とするシカゴ学派は、1980年代以降、米国を中心に世界の経済学界で圧倒的な影響力を振るい続けた。
 フリードマン説が後退した後、ケインズ主義批判の先頭に立ったのは、ロバート・ルーカスである。ルーカスは合理的期待形成説を唱え、ケインズ的な総需要管理政策は無効であると主張した。そしてマクロ経済学のミクロ的基礎を掲げ、マクロ経済学をミクロの経済主体の最適化行動から構成する方法論を樹立した。その影響は大きかった。反ケインズ主義が攻勢を強め、ケインジアンはアメリカの学界の中枢から放逐された。
 米国では、1929年の大恐慌後、大恐慌の再発を防ぐため、金融活動に様々な規制がかけられた。しかし、1980年代からその規制をなくす動きが強まり、1999年にはグラム・ビーチ・ブライリー法が成立し、銀行・証券・保険の分離が廃止された。ゴールドマン・サックスを典型とする投資銀行が、世界中から富を集めた。新自由主義・市場原理主義の新古典派経済学が、先物取引、デリバティブ、レバレッジ経営を生んだ。金融工学が資本主義を投機的・強欲的なものに回帰させた。その行き着く先が、2008年のリーマン・ショックによる世界経済危機だった。フリードマンは、その2年前の2006年に世を去っていた。
 1990年代以降、フリードマン=ルーカスの理論は、アメリカ主導のグローバリズムを裏付ける働きをしてきた。これに対し、ケインズの理論はグローバリズムに抗して国民国家を守るナショナリズムを補強する理論となり得る。1930年代から60年代にかけて社会主義に対抗したケインズ主義が、リーマン・ショック後の世界において、今度は新自由主義・市場原理主義に対抗するものとして復権した。ケインズ経済学は、個々の資本の利益よりもネイションの利益を主に追及する経済学であり、ユダヤ的価値観を抑制し、諸国家・諸民族の共存共栄や経済と道徳の調和を図ろうとする理論である。ユダヤ的価値観を超克するための経済学は、ケインズの再評価に基づくものとなるだろう。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「日本復活へのケインズ再考」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13k.htm
・拙稿「救国の経済学~丹羽春喜氏2」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13n.htm


ユダヤ121~オバマ政権と親イスラエル路線の継続
2017-11-02 08:39:25 | ユダヤ的価値観
●オバマ政権と親イスラエル路線の継続

 2008年(平成20年)の大統領選挙で、民主党のバラク・オバマが勝利し。アメリカ建国以来、初めて黒人の大統領が誕生した。だが、このことはまだアメリカが有色人種の優位な国になったことを意味しない。アメリカは貧富の差が大きく、社会保障が発達していない。新生児死亡率が高い。国民全体をカバーする医療保険制度がない。その面では、先進国とはいえない。こうしたアメリカにおいて、黒人は依然として、「領主民族のデモクラシー」による白人/黒人の二元構造の一方の側にある。オバマ大統領は、黒人ではあっても、まだ数少ない白人指導層の中に入った「黒い白人」である。大多数の黒人は、貧困層にあえいでいる。
 米国は新自由主義とグローバリズムによって、極端な格差社会になっている。2015年(平成27年)には、年間所得の上位1%の平均年収が約1億1000万円、残り99%は345万円となり、極度に格差が拡大していることが示された。この格差拡大の中で、白人を中心とする中間層のほとんどが下層に転落してしまった。また、ヒスパニックやアジア系が増え、白人の人口比率は年々低下している。今後、長期的にアメリカは一層、多民族化し、白人の優位は後退していくだろう。ただし、新自由主義とグローバリズムが続けられるならば、社会の最上層はアングロ・サクソン系とユダヤ系の富裕層が占め、それ以外の白人種及び有色人種による大多数の国民は、ますます貧困化していくだろう。
 さて、ブッシュ子政権からオバマ政権に変わった後、新自由主義とグローバリズムを進めるネオコンの勢力は大きく後退したように見える。だが、重要なのは、グループとしてのネオコンより、その背後にある勢力である。すなわち、ユダヤ・ロビーと呼ばれる勢力であり、また彼らを支える巨大国際金融資本である。
 2009年(平成21年)1月22日、オバマ大統領は、就任後初めて中東情勢に言及した。前年末、イスラエルが突然、パレスチナ自治区ガザを攻撃し、多数の一般市民を殺傷するという事件が起こっていたが、オバマは、ガザ攻撃での無差別大量虐殺を批判することなく、イスラエル支持の姿勢を鮮明にした。「はっきり言います。アメリカはイスラエルの安全にコミットします。脅威に対するイスラエルの自衛権を支持します」と。オバマもまた、ユダヤ・ロビー及びその背後にいる巨大国際金融資本の意思に応えていることがこうした発言からうかがえる。オバマ政権は中東和平に意欲を示したが、最初から親イスラエルのスタンスで臨んでおり、公平な仲裁者の役割を担えるわけがなかった。
 2008年の大統領選挙で、ユダヤ票の約78%がオバマに投じられた。オバマが当選した影の立役者は、選挙対策本部最高責任者のユダヤ人デイビッド・アクセルロッドだった。彼は、政権発足後は大統領上級顧問に就任した。また大統領首席補佐官には、ユダヤ人ラーム・エマニュエルが就任した。エマニュエルは、1991年の湾岸戦争では、イスラエル国防軍に民間ボランティアの資格で参加した。イスラエルとの二重国籍を持ったシオニストで、ユダヤ・ロビーの一人と見られる。彼が担った首席補佐官は、わが国の内閣官房長官に似た官邸のまとめ役であるとともに、大統領の日常の執務予定を組んだり、大統領が日々誰と会うかを決めたりする権限を持つ役職である。
 オバマ政権の経済閣僚となった大物の一人に、国家経済会議(NEC)委員長のローレンス・サマーズがいた。サマーズは、ビル・クリントン政権では、ロバート・ルービンの後任として財務長官を務めた。サマーズもルービンもユダヤ人であり、新自由主義とグローバリズムの信奉者として知られる。
 その他、ユダヤ人が政権の要職の多くに就いた。経済再生諮問会議議長にポール・ボルカー、国務副長官(外交政策担当)にジェームズ・スタインバーグ、国務副長官(予算担当)にジェイコブ・ルー、証券取引委員会委員長にメアリー・シャピロ、アフガン・パキスタン特使にリチャード・ホルブルック、副大統領首席補佐官にロン・クライン等である。彼らのうち、アクセルロッドとシャピロ以外の7人は、ビル・クリントン政権の人脈を引き継いでいる。
 なお、アメリカの経済政策の実質的な中心は、政府よりも連邦準備制度にある。FRBの議長は、オバマ政権誕生以前の2006年から14年まで、ユダヤ人のベン・バーナンキが務めた。共和党から民主党に政権が代わっても、バーナンキ議長は変わらなかった。
 オバマ大統領は、2012年(平成24年)11月の大統領選挙で勝利し、再選を果たした。2016年(平成28年)末までの任期を務めた。第1期政権と第2期政権で、閣僚の多くが替わったが、親イスラエル、新自由主義とグローバリズムの継続等、基本的な傾向は変わっていない。
アメリカでは、1993年(平成5年)に民主党のビル・クリントン政権が誕生して以来、共和党のブッシュ子政権、そして民主党のオバマ政権まで、連続6期約24年間にわたって、ユダヤ人を多用・重用する政権が続いている。大統領が民主党・共和党・民主党と変わっても、また白人から黒人に変わっても、ユダヤ人が政権中枢に入って、アメリカの政治に直接関与する体制が維持されている。
 さて、第2期オバマ政権において、アメリカ=イスラエル連合にとって、最も重大な出来事は、中東における「イスラーム国」(ISIL)の台頭である。
 2014年(平成26年)、イスラーム教スンナ派過激組織ISILがイラク・シリアを中心に台頭し、カリフ制イスラーム教国家の樹立を宣言した。イスラーム教には、歴史的にスンナ派とシーア派の対立があるが、これに新たにスンナ派の穏健派と過激派の抗争が加わった。ISILは、欧米諸国等で無差別自爆テロを起こしており、米・欧・露・中東諸国は連携してその殲滅を図ってきた。これには、内戦によって多数の死者と難民を出しているシリアのアサド政権に対する支持か反対かという問題も絡んでいる。さらにスンナ派のサウジアラビアとシーア派のイランが断交するなど、中東は複合的な危機を生み出している。
 こうした中東の不安定化は、イスラーム教国に囲まれているイスラエルにとって、大きな脅威である。ISILが強大化すれば、直接、イスラエルを攻撃してくる可能性もあり、イスラエルは、自国が侵攻されないよう、アメリカが各国を主導して、ISILを殲滅するよう働きかけてきたと推測される。この問題は、次の章で、ユダヤの宗教と文明の現在及び将来を考える際に、再び論じたい。

 次回に続く。


ユダヤ122~オバマからトランプへ
2017-11-05 08:47:19 | ユダヤ的価値観
●オバマからトランプへ~衰退するアメリカ

 2016年(平成28年)11月の大統領選挙は、共和党のドナルド・トランプが勝利した。
 米国は非常に多様性の高い社会である。様々な人種・民族・宗教等が混在している。その状態はサラダ・ボウルにたとえられる。根底には、建国以来の白人/黒人の二元構造がある。1950年代までは人種差別が横行していた。1964年には公民権法が成立し、権利においては平等が実現した。しかし、黒人の多数は貧困層を脱することができない。大都市では、居住地と学校において、黒人の隔離が続いている。そうした状態の改善を求めて、アファーマティブ・アクション(積極的是正措置)やポリティカル・コレクトネス(人種・性差等の中立表現)が唱えられ、実施されてきた。だが、20世紀末から、ヒスパニックやアジア系等の移民が多数流入し、人口構成が大きく変化してきた。白人が多数を占める社会から、有色人種が多数を占める社会へと変貌しつつある。
 史上初の黒人大統領によるオバマ政権は、こうした多様で対立・摩擦の多い社会を、一つのUSAとすべく統合を試みた。そのスローガンが「Change(変革)」だった。だが、オバマ政権は変革を成し遂げられなかった。2008年(平成20年)9月のリーマン・ショック後、米国は、オバマ政権下で財政赤字が膨らみ続けた。際限のない国債の発行などによる財政悪化に歯止めをかけるため、法律で政府債務に上限を設けているが、2011年(平成23年)以降、政府債務が上限を超え、繰り返しデフォルト(国家債務不履行)寸前に陥る危機に直面してきている。
 この間、グローバリゼイションの進行によって、米国の製造業は海外の安い労働力と安い製品に押されてきた。格差の是正は進まず、逆にますます拡大している。所得が上位1%の富裕層は、2015年の平均年収が約1億1000万円、残り99%の平均年収は345万円だった。その差は約31倍となっている。また、上位0.1%の最富裕層が所有する財産の総額は、下から90%が所有する財産の総額に等しいという。約900倍の差である。
 貧困層には、黒人やヒスパニックが多いが、彼らの多くは貧困を抜け出せないままである。また、極端な二極化の進行によって、白人を主としていた中間層が崩壊し、白人の多くが貧困層に転落した。
 オバマ政権は、共和党のブッシュ子政権が9・11後に始めたアフガニスタン戦争、イラク戦争を引き継ぎ、その収拾を図った。だが、戦争終結は容易でなく、そのうえ、2011年(平成23年)の「アラブの春」がきっかけとなった中東の地殻変動が生み出したシリアの内戦、いわゆる「イスラーム国(ISIL)」の台頭等への対応が生じた。アメリカは2001年以降、2016年までに15年間、海外での戦争を続けていた。最も多い時期には20万人の米国兵士が海外に派遣された。そして、この間に約7000人が戦死した。それだけの犠牲を払っても、中東は安定せず、むしろ情勢は悪化・拡大してきた。また、その中でイスラーム過激派によるテロリズムが拡散・激化してきた。ヨーロッパ各国やアジア諸国等でテロ事件が続発し、アメリカでもテロ事件による被害が続いている。
 2016年(平成28年)11月の大統領選挙では、こうしたオバマ政権の8年間が問われた。民主党では、オバマ政権の政策を評価し継承する前国務長官ヒラリー・クリントンが候補者の指名を受けた。共和党では、全く政治経験のない実業家ドナルド・トランプが候補者に選ばれた。両者の戦いは、嫌われ者同士の戦いとなり、史上最低の大統領選といわれた。
激戦の末、トランプが勝利を獲得した。多くのマスメディアや各国の首脳はトランプの勝利を予想できておらず、トランプショックが世界を走った。
 2016年6月に英国で住民投票により英国のEU離脱が決定したことに続き、大方には「まさか」と思われる結果だった。だが、欧米では、グローバリズムと移民受け入れへの大衆の反発と、国家・国民を尊重するナショナリズムの復興が年々、顕著になっている。EUでは、フランス、オランダ、ドイツ、ノルウェー等で、マスメディアが「極右」と呼ぶリベラル・ナショナリズムの政党が躍進している。移民の受け入れやそれによる失業、治安の悪化、文化的摩擦への危機感や、国家・国民を融解するEUや単一通貨ユーロへの疑問が強まっている。大衆の意識の変化が、グローバリズムに異議を唱える勢力を伸長させ、歴史の流れを変えつつある。トランプの勝利は、こうした動きと同じ潮流の現れである。
 トランプの根底にあるのは、米国の伝統的なアイソレーショニズム(不干渉主義)である。近年共和党で影響力を増しているティーパーティのリバータリアンでかつ自国本位の考え方を極端に推し進めた地点に、トランプは立っている。
 トランプは、オバマ政権の政策とそれを継承しようとするヒラリー・クリントンの政策を激しく非難した。過激な表現を多発することで、民衆の不満を自分への支持に向けた。「アメリカ・ファースト」を訴え、グローバリズムから自国第一主義への転換を唱えた。経済政策は、TPPから脱退し、海外投資拡大の路線から、国内経済重視の路線に転換し、外国に奪われた雇用を取り戻すことを訴えた。メキシコ人の不法移民問題については「彼らは麻薬や犯罪を持ち込む。強姦犯だ」「メキシコとの国境に壁を作り、費用はメキシコに持たせる」と言い、イスラーム教徒については「彼らはわれわれを憎んでいる。米国を憎んでいる人たちがこの国に来るのを認めるわけにはいかない」として入国禁止を提案するなど、排外主義的・人種差別主義的な発言を繰り返した。

 次回に続く。


ユダヤ123~衰退するアメリカ
2017-11-08 11:05:06 | ユダヤ的価値観
●オバマからトランプへ~衰退するアメリカ(続き)

 2016年の選挙戦において、トランプは、米国人口の約35%を占める高卒以下の低学歴の白人労働者に目をつけた。オバマ政権下で、彼らは、不法移民を含む有色人種の移民に仕事を奪われたり、移民の存在によって給与が下がったりしている。そのことに対する不満が鬱積しているのを読み取った。
 もともと本来共和党は富裕層に支持者が多く、主に大企業・軍需産業・キリスト教右派・中南部の保守的な白人層などを支持層とする。民主党は労働者や貧困層に支持者が多く、主に東海岸・西海岸および五大湖周辺の大都市の市民、ヒスパニック、アフリカ系・アジア系など人種的マイノリティに支持者が多い。ユダヤ系には民主党支持者が多い。民主党にはニューヨークのユダヤ系の金融資本家から多額の資金を得ているという別の一面がある。またロックフェラー家が民主党最大のスポンサーとなっている。
 本来貧困層に支持を訴えるのは民主党の定石だが、トランプは共和党でありながら貧困層に訴えた。白人と有色人種の人種的な対立を刺激し、白人の支持を獲得しようとしたものである。
トランプは、低学歴の白人労働者の鬱憤を代弁し、また煽り立てた。君たちの生活が苦しいのは、君たちが悪いのではない、悪いのはあいつらだ、と敵を作って大衆に示す。それによって大衆の怒り、不満、憎悪等の感情を描き立て、その感情の波に乗って権力を採るという手法を取った。一種のポピュリズム(大衆迎合主義)である。そうすることによって、トランプは白人と黒人、ヒスパニック等の有色人種、キリスト教徒とイスラーム教徒等の間を分断し、自分の支持者を獲得していった。
 ヒラリー・クリントンは、民主党の候補者だが、大統領夫人、上院議員、国務長官等を歴任し、米国の支配層を象徴する人物と大衆から見られた。民主党の指名選挙では、貧困層に社会民主主義的な政策を説いたサンダースが善戦したが、サンダース支持者にすればヒラリー・クリントンは批判の対象たるエシュタブリッシュメントの一員だった。共和党支持者の多くは、ヒラリーを支持しない。民主党支持者にも、ヒラリーは受け入れられないという者が多数いた。アメリカのマスメディアの大半はユダヤ系または親ユダヤである。マスメディア関係者には民主党支持者が多く、メディアの大半が民主党寄りである。選挙期間中、アメリカのマスメディアは、ヒラリーの優勢を伝え、投票日の当日にもヒラリーが70%以上の確立で勝利すると予想した。
 米国大統領選挙は直接選挙ではなく、勝者は州ごとの選挙人団をどれだけ確保できるかで決まる。支持率で下回っても、選挙人団を多く獲得すれば勝利。逆に支持率で上回っても、獲得する選挙人団が少なければ、破れる。勝利に必要なのは、選挙人数539人の過半数となる270人の獲得である。総得票数を伸ばすよりも、各州の選挙人を獲得する戦術が重要になる。特にスイングステーツと呼ばれ、選挙の度に、共和党が勝ったり、民主党が勝ったりする州で勝つことが、勝敗を大きく左右する。
 トランプ陣営は、それまで大統領選挙の投票にあまり行かなかった白人500万人の票に狙いを定めて、選挙運動を行っていた。その多くは、新自由主義とグローバリズムによって、職を失ったり、収入が激減したりして、既成の体制に最も強い不満を持っている人たちである。もともと投票に行かなかった集団ゆえ、従来の選挙予測の方法では行動が読みにくい。マスメディアは、彼らの動向をとらえることが出来ていなかった。世論調査では出てこない「隠れトランプ支持者」が伏在していた。激戦州では、彼らの票が勝敗に大きく影響した。選挙の結果は、トランプが獲得した選挙人数でヒラリーを上回って勝利した。
 4年に1回の米国大統領選挙は、連邦議会の上下両院の選挙を伴う。大統領と連邦議会議員が同時に全部選び直される。今回の選挙では大統領に共和党のトランプが選ばれるとともに、連邦議会では上下両院とも共和党が多数を占めた。共和党が権力を掌握し、政策を強力に進めることが可能な状況となった。トランプはオバマ政権時代に実施された多くの政策を否定し、米国の政府は正反対の方向に政策を転換しつつある。
 しかし、トランプは共和党の異端者で、主流ではなく非主流ですらない特異な存在だった。もとは民主党の支持者でクリントン夫妻を支援していた。共和党は選挙期間中、この異端者をめぐってトランプ支持と不支持に分かれ、有力者多数がヒラリーを支持すると公言したことにより、分裂のモーメントをはらんでいる。こうした共和党のとりまとめは、トランプ政権の課題の一つである。
 また、トランプVSヒラリーの選挙戦は、互いに相手を激しく罵り合い、米国は大きく二つに分かれた。米国の大統領選挙ではいつものことだが、今回は史上最低の選挙戦といわれる中で、かつてなく対立が激しく、熱くなった。トランプは、意図的に白人と有色人種、キリスト教徒とイスラーム教徒等を分断した。この分断は、米国社会全体の分断である。人種差別や性差別等をなくし、社会の統合を図ってきた米国の長年の取り組みを、逆方向に戻すような分断である。だが、トランプの支持者は、トランプをただの破壊者ではなく、変革者だと仰ぐ。トランプは言う。「Make America great again(アメリカを再び偉大にしよう)」と。しかし、米国社会を分断し、主に白人労働者の不満をエネルギーとすることで、権力を握った大統領が、米国を一つの国家に統合していくのは、容易なことではないだろう。

 次回に続く。


ユダヤ124~トランプ政権の人事とユダヤ人社会の関係
2017-11-10 09:26:52 | ユダヤ的価値観
●トランプ政権の人事とユダヤ人社会の関係

 トランプ大統領は政界の異端児であり、政治経験のない独裁者タイプである。こうした人物が強大な権限を持つ大統領になったため、側近にどういう人材が集まり、主要閣僚にどういう人材が就くかが非常に重要である。周りをしっかりした人間が固めて、外交・安全保障・経済等について進言したり、実務を執ったりしないと、トランプはあちこちで暴走すると見られた。
 閣僚人事で注目されたのは、まずトランプが、選挙対策本部の最高責任者を務めたスティーブ・バノンを首席戦略官・上級顧問に指名したことである。トランプはバノンに首席補佐官と同等という高い地位を与えた。このことは、トランプ政権において、バノンの考え方や戦略が大きな影響力を持つだろうことと予想された。
 バノンは元海軍将校で、退役後、ゴールドマン・サックスで投資銀行業務を行った経験があり、クリントン財団の内情をよく知っており、同財団の問題を調べ、それをヒラリー攻撃に用いた。バノンは、オンライン・ニュースサイト、「ブライトバート・ニュース」の会長で、同サイトを強硬派のポピュリズム的なニュースサイトに育て、白人至上主義者とオルト右翼(いわゆるネット右翼の総称)に人気の情報源にすることに成功した。
 私が注目したのは、彼が反ユダヤ主義者として非難されてきたことである。米国ではユダヤ・ロビーが大きな力を持ち、政権に強い影響力を振るっている。そうした中で、反ユダヤ主義者との批判のあるバノンが、政権の幹部になるということは、ユダヤ人に対する態度を改めたのか。もし変えていないとすれば、彼を指名したトランプとユダヤ人社会との間で衝突が起こるのではないかと考えられた。トランプがバノンを政権の指導的な役職に指名したことを、ユダヤ名誉毀損防止同盟(ADL)は非難した。ADL幹部のジョナサン・グリーンブラットは、バノンが指名を受けた日を「悲しみの日」と呼んだ。
 私は、おそらくバノンは選挙対策本部の仕切り役に就く段階で、親ユダヤに転換したのだろうと推測した。彼の主敵はヒラリーであり、民主党及び共和党主流派だから、反ユダヤ主義は止めるという戦略的判断をしたのだろうと思われた。今の米国ではユダヤ人社会から敵視されると、選挙で勝てない。
 ここで考えられたのが、トランプの長女イヴァンカとその夫でユダヤ教徒のジャレッド・クシュナーが、トランプ、バノン、ユダヤ人社会の間の調整役をしているだろうことである。イヴァンカは父と同じペンシルバニア大学を首席で卒業した才色兼備の実業家である。長老派のキリスト教徒として育てられたが、ユダヤ人のジャレッドと結婚するに先立って、異宗婚を避けるためにユダヤ教に改宗し、ヤエルというユダヤ名を選んだ。シナゴーグを訪れた際は、ユダヤ教への篤い信仰とイスラエルへの熱烈な支持を発言しているという。
 夫の父チャールズ・クシュナーは、ニューヨークのユダヤ人社会の元締の正統派ユダヤ教徒の実力者。ジャレッドは父から継いだ不動産開発大手クシュナー社の代表で、ドナルド・トランプとは父の代から同業者として知り合いだった。地元週刊紙ニューヨーク・オブザーバーを買収した所有者であることでも知られる。
 ジャレッドは、トランプの大統領選キャンペーンで政策アドヴァイザーを務めた。ヘンリー・キッシンジャー元国務長官の人脈につながるとされる。キッシンジャーは、ロスチャイルド家とロックフェラー家の両方と深い関係を持つ。ジャレッドはトランプとイスラエルの要人とのつなぎ役も果たし、2016年9月トランプがイスラエルのネタニヤフ首相とトランプタワーで会談した際には傍らにいた。現職の首相が大統領選挙中の候補者と、その本拠地に出向いて会うのだから、イスラエル側がトランプを重視していたことがわかる。
 「G0(ゼロ)」論で知られる政治学者イアン・ブレマーは、ジャレッドを「新政権のキーパーソン」と見ている。マイク・ペンス(現副大統領)を責任者とする政権移行チームでも、ジャレッドは閣僚人事に参画し、発言力を振るった。
 新政権はトランプの一族や忠臣のグループと、共和党主流派の力関係のせめぎ合いの場となった。また、共和党・民主党の両党を背後から管理する所有者集団は、大衆が選んだトランプを自分たちの意思に従って動く政治家とし、その意思に沿った政策をさせようとするだろう。しょせんトランプは、ロスチャイルド家やロックフェラー家等に比べれば、成り上がりの中小クラスの富豪にすぎない。ただし、大統領はただの操り人形ではなく、自分の意思を持ち、またそれを実現する合法的な権限を持っているから、トランプのような独裁者型の人物の場合、自分の意思を強く打ち出し、所有者集団と衝突が起こるのではないかと思われた。その時の重要点の一つが、彼及び彼の側近の欧米のユダヤ系巨大国際金融資本家との関係となるだろうと予想された。
 発足後のトランプ政権は、内政・外交とも不調が続き、混迷の相を呈している。就任半年後の時点でワシントン・ポスト紙とABCテレビが共同実施した世論調査の結果によると、トランプ大統領の支持率は36%だった。就任後半年の支持率としては、第2次大戦後の歴代大統領の中で「最低」とABCは断じた。不支持率は58%だった。
 混迷の原因の一つは、独裁的な大統領のもと、政権中枢が安定していないことである。政権発足以来、フリン前大統領補佐官(国家安全保障問題担当)、スパイサー前大統領報道官など辞任・解任が相次ぎ、閣僚中のナンバーワンであるプリーバス大統領首席補佐官も更迭された。そして、トランプ政権の焦点となっていたバノン首席戦略官・上級顧問も事実上の解任となった。
 政権中枢が不安定なだけではない。米政府で高官とされる役職は570あるといわれるが、トランプ政権では発足後10カ月以上もたって、まだ50程度しか決まっていないと伝えられた。10分の1程度である。個々の政務の実務責任者が不在のため、外交、雇用、保険等の政策が進まない状態である。
 こうした中で一層存在感を増しているのが、ジャレッド・クシュナーである。長女イバンカ補佐官(無給)の夫として大統領の絶大な信頼を得ている。まだ30歳台半ばであり、政治経験もないかった若者が、政権の人事や方針の決定に関わっているのは、異常である。トランプ王朝の王子のような存在だが、保守的なユダヤ教徒であり、背後にイスラエルと結託して米国政界に強大な影響力を持つユダヤ・ロビーが存在し、クシュナーはそのパイプとなっていると考えられる。クシュナー派には、ともに金融大手ゴールドマン・サックス出身のコーン国家経済会議(NEC)委員長とパウエル国家安全保障担当副補佐官が連なるとされる。

●今後のアメリカの政権

 私は、平成21年(2009)5月に掲示した拙稿「現代世界の支配構造とアメリカの衰退」に、次のように書いた。
 「オバマ大統領は、『Change(変革)』をスローガンに掲げ、共和党に替わって、民主党による新たな政権を樹立した。しかし、(略)アメリカの二大政党の後には、巨大国際金融資本が存在する。私は、オバマもまたアメリカの歴代大統領と同様、アメリカ及び西欧の所有者集団の意思に妥協・融和せざるをえないだろうと予想する。
 オバマにせよ、今後のアメリカの大統領にせよ、アメリカを『Change(変革)』しようとするならば、その挑戦はアメリカの政治構造の変革へと進まざるを得ない。そして、もし本気で挑戦しようとすれば、ケネディ大統領暗殺事件から9・11に至る多くの事件の真相を究明することなくして、変革を成し遂げることはできないだろう。とりわけ9・11の真相究明が重要である」と。
 オバマ政権は、私の予想通り、本気でアメリカの政治構造の深層まで変革する取り組みをしなかった。そのため、現実的な政策面でも、十分な変革を成し遂げることが出来なかったのである。
 トランプの背後にも、共和党と民主党の後で、これら両政党を実質的にコントロールしている巨大国際金融資本が存在する。トランプもまた彼らアメリカ及び西欧の所有者集団の意思に妥協・融和せざるをえなくなる可能性が高い。そして、トランプにせよ、また今後の大統領にせよ、アメリカの政治構造の深層からの変革に挑むことなくして。アメリカを再び偉大な国として復活させることはできないだろう。それは、すなわち、アメリカは長期的な衰退の道を歩み続けることを意味する。

 次回に続く。


ユダヤ125~イスラエルとユダヤ人
2017-11-12 09:25:39 | ユダヤ的価値観
 本稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」は、今回から第5部「ユダヤ人の現在から将来への展望」に入る。

●今日のイスラエル~人口と宗教

 本章では、ユダヤ人の現在から将来への展望について書く。初めに、イスラエル、続いてアメリカ、その後、世界の中のユダヤ人について記す。
 イスラエルは、中東の地中海に面した場所にあり、統治する面積は、わが国の四国ほどの広さである。この土地に約852万人(2016年5月現在、イスラエル中央統計局)の国民が居住している。そのうち、約636万人がユダヤ人である。それ以外にその人口の約1.4倍のユダヤ人が、世界各地のイスラエル以外の国に居住している。彼らはユダヤ教徒であると同時に、所属国の国民として生活し、行動している。イスラエルは、毎年かなりの勢いで、人口が増え続けている。もともと伝統的なユダヤ教徒は避妊を行わず子だくさんであることと、海外からの移住者が多いこととの両方によっている。イスラエルは、1950年に帰還法を制定して、海外のユダヤ人がイスラエルへの移住を希望すれば、ただちにイスラエル市民権を与えると約束した。これは、ユダヤ人の祖国としてイスラエルを建設したシオニズムの理念に基づく決定だった。また同時に民族と宗教の関係は不可分とするユダヤ教の伝統的教義に基づく決定だった。さらに1970年の帰還法改正で、祖父母のうち一人がユダヤ人なら誰でも海外からイスラエルに移住できると定めた。同時に当該人物の配偶者や子供は、キリスト教徒等であっても、イスラエル移住の権利があるとした。
 人口の74.8%はユダヤ人であり、ユダヤ教徒である。イスラエルのユダヤ教では、正統派と超正統派が絶大な権力を振るっている。会堂の98%は、正統派・超正統派である。だが、ユダヤ教は国教ではない。イスラエルは、近代国民国家として、政教分離をたてまえとしている。イスラエル国民の25.2%、つまり約4分の1はユダヤ人ではない。残りの大部分はアラブ人で、これが約20%を占める。その他が約5%で、多くは旧ソ連出身の非ユダヤ人である。出身国は90か国以上に上り、さまざまな肌の人間が住む典型的なモザイク社会となっている。また、ユダヤ教を信奉する者はユダヤ人とされるから、ユダヤ教徒には様々な人種・民族がいる。それゆえ、ユダヤ人に共通する人種的な特徴、体形や皮膚の色はない。
 ユダヤ人以外のイスラエル国民の大部分は、アラブ人である。その多くはイスラエル建国の際に、イスラエル領内に残留し市民権を得た者の子孫である。残留せずに領外に出た者は、パレスチナ難民となった。アラブ系のイスラエル国民の80%強は、イスラーム教徒である。またキリスト教徒やドルーズ派等もいる。2012年現在、イスラエルの宗教別人口は、ユダヤ教徒が75.1%、イスラーム教徒17.3%、キリスト教徒1.9%、ドルーズ教徒1.6%とされる(ユダヤ中央統計局)。ユダヤ教の超正統派を除くと、イスラエルで最も出生率の高いのは、アラブ人である。そのため、将来的には非ユダヤ人の割合が高まることが予想されている。
 イスラエルはシオニズムによって建国された国家である。だが、上記のように、シオニズムが生み出した国家なのに、国民はユダヤ教徒だけではなく、ユダヤ人だけでもない。そういう矛盾を抱えている国家が、イスラエルなのである。そのため、民族と宗教の関係は不可分とするユダヤ教の伝統的な教義は、国家と宗教の間に複雑な問題を生み出している。矛盾は明らかながら、ユダヤ教の宗教法はイスラエルの市民生活を規制している。そのため、国民生活に宗教法を強制的に適用することには、多数の国民が反発している。
 宗教だけでなく政治思想も一様ではない。国民には、自由主義者もいれば、社会主義者もいる。右翼政党連合のリクード、左翼の労働党の他、少数党がいくつもある。アラブ諸国との対決を主張する勢力もあれば、和平共存を願う勢力もある。こういう複雑な事情を抱えているのが、今日のイスラエルである。
 とはいえ、国民の大多数はユダヤ人で、また正統派及び超正統派が権力を振るっているから、他の多くの民主主義国より国民の統合はしっかり行われている。それが、イスラエルの国民国家としての強さである。
 イスラエルは、ロスチャイルド家をはじめとするユダヤ系の巨大国際金融資本家の支援を受けていると見られる。アメリカもほかの国には与えていない優遇措置をしている。そして、国外から資金を提供したり、経済的に支援する者は、その意思をイスラエルの政治に及ぼしていると推測される。
 現代国家では、強い経済力を持つ集団が政治を実質的に支配し、世論を操作する。デモクラシー(democracy)と見えるものの実態は、プルータクラシー(plutocracy)ともいうべき富の力による政治になっている。デモクラシーは「民衆参政制度」「民衆参加政治」、プルータクラシーは「財閥支配政治」「金権政治」などと訳すことが可能である。多くの自由民主主義国の政治体制は、デモクラティック・プルータクラシー、すなわち民衆参加型の財閥支配政治と呼ぶことができるだろう。イスラエルもアメリカもそうであり、アメリカ=イスラエル連合は、国際的なデモクラティック・プルータクラシーの連合体と見ることができよう。

 次回に続く。


「ユダヤ的価値観の超克」第4部をアップ
2017-11-13 08:55:56 | ユダヤ的価値観
 ブログに連載中の「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」は、既に掲載した分をマイサイトに掲示していますが、このたび第4部「現代世界のユダヤ人」をそこに追加しました。第4部の章立ては、次のようになっています。

 第1章 イスラエルの建国で中東に対立構造が
 第2章 ホロコースト説は検証が必要
 第3章 ユダヤ人の人権と人類の人権
 第4章 ユダヤ的価値観の世界的普及へ
 第5章 米国政治とユダヤ人の活動 
 第6章 グローバリズムの推進 
 第7章 フランスにおけるユダヤ的知性 
 第8章 アメリカ・ユダヤ人の権力参入 
 第9章 経済学の歴史とユダヤ人 
 第10章 オバマ政権からトランプ政権へ

 通してお読みになりたい方は、下記へどうぞ。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ126~イスラエルの国防と産業
2017-11-15 10:45:49 | ユダヤ的価値観
●イスラエルの国防

 古代ローマに祖国を滅ぼされ、各地で流浪を続けたユダヤ人は、敵と戦わず、敵と取引し、金を払い、能力を提供して、生き延びることを、生存と繁栄の方策としてきた。国家がなく、領土も持たず、独自の軍隊も持たなかった。だが、ユダヤ人は、イスラエルの建国で大きく変わった。祖国を守るために、戦争や武力衝突を繰り返す。自らが生き延びるためには、周辺諸民族を攻撃し、その土地を奪う。脅威を受ければ先制攻撃をためらわない。そうした好戦的な国民性が形成された。この変化は、聖書に書かれている古代パレスチナ時代の民族性への回帰である。イスラエル国民は、先祖返りをしたのである。
 シオニズムによってパレスチナに強引に建国されたイスラエルは、周辺諸国と敵対関係にあり、常に、戦いに負ければ、国が消滅するという瀬戸際にある。そのため、国防体制は強固である。国民皆兵制が敷かれ、18歳で徴兵が行われる。男性は3年、女性は2年の兵役が課せられる。正規兵は、召集兵11万人と職業軍人6万人を合わせた約17万人。これに加えて、40万人超の予備役兵がいる。予備役兵は、訓練を繰り返し、練度を保ち、有事に備える。45歳まで年間4~6週間出勤を義務付けられている。兵役の義務を厭う者は、イスラエルには所属しえない。そうした者は、徴兵制のない他国に所属することを選択するだろう。
 イスラエルは、アメリカの支援や軍事技術の提供を受けて、高度な軍事力を持つ。とりわけ、核兵器を保有していることが、中東における圧倒的な強みになっている。アメリカは国際社会に向かって核拡散防止を訴えているが、イスラエルに対しては核爆弾製造に必要な莫大な量の高濃縮ウランを極秘に提供し続けている。イスラエルは、推定200発程度の核爆弾を保有していると見られる。
 イスラエルの核戦略は、単なる抑止力の保持ではない。敵を威嚇し、必要とあれば躊躇なく核を使って敵を叩き潰すという攻撃的なものである。これを「サムソンの選択」という。古代ユダヤの英雄サムソンが絶体絶命に陥った時、多くの敵を道連れに自死した伝説に基づく。イスラエルは追い詰められれば、核兵器を使う。それがわかっているから、周辺諸国はうかつに手を出せない。中東の地域大国イランは、イスラエルに対抗するため、核開発を行おうとしている。だが、イスラエルの場合と違い、アメリカをはじめとする欧米諸国は、イランに強い圧力をかけ、経済制裁を行う。全くのダブル・スタンダードが取られている。
 イスラエルの安全保障は、軍事力だけでなく、諜報力にも裏付けられている。周辺諸国と敵対関係にあるイスラエルは、いわば敵に包囲されているようなものである。国を守るには、敵の動きをいち早く、正確に察知することが必要であり、情報収集こそが国防の第一と認識されている。そのために、イスラエルは、モサドという諜報機関を1951年に創設した。1954年に、モサドは、米CIA長官になったアレン・ダレスと提携した。ダレスの手配で、最新式の盗聴器・探知機・遠距離撮影用カメラなどのスパイ装置が配備され、CIAとモサドは秘密情報用の裏ルートとホットラインを設置した。その後も、モサドを育てたのは、アメリカである。
 モサドは、アメリカのCIA、イギリスのMI6、旧ソ連のKGBと肩を並べる諜報機関へと成長した。その諜報能力は、世界最高という見方もある。モサドの正規の人員は、わずか200人ほどといわれる。だが、おびただしい協力者が世界中にネットワークを張り巡らし、正規メンバーの活動を支えている。
 諜報機関は、情報を収集するだけではない。自国に有利になるように、宣伝工作を行う。戦略的なプロパガンダである。国際社会におけるユダヤ人の地位に深く関わるホロコースト説についても、単に民間のユダヤ人が唱えているだけでなく、国家的な諜報広宣機関が関与していることだろう。モサドと反ユダヤ主義監視団体は、一体となって活動していると見られる。

●イスラエルの産業

 次に、イスラエルの産業について述べる。イスラエルは、中東の乾燥地帯に位置する。鉱工業の資源は豊かではない。そうしたイスラエルが産業の中心にしているのが、ダイヤモンドである。輸出入とも第1位を、ダイヤモンドが占める。インド等から原料を輸入し、加工して各国に輸出している。
 ユダヤ人とダイヤモンドの関係は古く、また深い。古代から18世紀初頭まで世界唯一のダイヤモンド産出地は、インドだった。ユダヤ商人はインドへ行って、中近東やヨーロッパのユダヤ商人と協力して、ダイヤモンドの取引をしていた。中世のヨーロッパで高利貸しとなったユダヤ人は、封建諸侯や貴族が担保として出す金銀細工や宝石類を鑑識する眼を養った。ポルトガルの全盛期には、ユダヤ人がインドからダイヤモンドの原石をヨーロッパに持ち込んだ。その原石がカットの技術によって、宝石としての価値を持つようになった時、ユダヤ人を支える大きな力になった。15世紀末にイベリア半島から追放されたユダヤ人の一部は、オランダやベルギーに逃れ、そこでダイヤモンドの研磨・取引・販売に従事した。それが、本格的な産業への端緒となった。17世紀には、加工技術がさらに発達した。迫害・追放・移住の繰り返しの中で、ダイヤモンドは彼らが生活を守るために重要な手立てとなった。
 第2次世界大戦の前まで、ダイヤモンドの世界最大の加工センターは、ベルギーのアントワープだった。アントワープは今も世界のダイヤモンド加工と取引の中心地だが、そのさらに中心部にあるペリカン通りには、ユダヤ人しか住んでいないといわれる。大戦中、当時イギリスの保護領だったパレスチナでは、ユダヤ人の国際的ネットワークのもとにダイヤモンド加工が行われていた。イスラエルでは、他にめぼしい産業がないことから、この経験が生かされ、ダイヤモンドの加工と取引が戦略的産業に位置付けられた。そして、イスラエルは、ベルギー・オランダのユダヤ人社会からダイヤモンドに関するノウハウを学び、ダイヤモンド産業の振興を図った。20年足らずで、ダイヤモンドが輸出の主力になり、イスラエルはアントワープと並んで、世界の主要なダイヤモンドの加工取引センターにのし上がった。
 ダイヤモンドは宝石としてだけでなく、工業に多く使われる。硬度が高いので、研磨等の機械に用いられている。現代工業の多くがダイヤモンドなくして成立しない。自動車、自転車、金属線、スクリューなどの製品は、ダイヤモンドの助けを借りて製造される。冷蔵庫、トースター、ラジオ、テレビなどあらゆる電気製品が、ダイヤモンドを使ったダイカストに依存している。世界の小型ダイヤモンドの約80%は、イスラエル製である。またイスラエルの対日輸出の70%を、ダイヤモンドが占めている。
 ダイヤモンドは、ロスチャイルド家のグループが世界の資源の多くを抑え、市場を支配している。イスラエルは、産業の中心であるダイヤモンドを通じても、ユダヤ系の巨大国際金融資本と固く結託している。

 次回に続く。


ユダヤ127~21世紀のロスチャイルド家
2017-11-17 08:50:30 | ユダヤ的価値観
●21世紀のロスチャイルド家

 イスラエルの背後には、ロスチャイルド家という世界最大の大富豪とそれに連なる巨大国際金融資本家たちがいる。そこに、アメリカ=イスラエル連合という、巨大な資金力、軍事力、諜報力を持つ勢力が形成されている。
 ここで、今日のロスチャイルド家について書くと、19世紀に栄華を誇ったロスチャイルド家のうち、現在残っているのは、ロンドンのロスチャイルド家とパリのロスチャイルド家(ロチルド家)である。ほかの分家は、ヨーロッパの政治・経済の激動やユダヤ人迫害の中で消滅したか、男系が絶えたため婚姻により別の家が継いでいる。英仏のロスチャイルド家、その親族及びその系列の銀行・企業等を合わせて、ロスチャイルド家とそのグループということができる。
 英仏のロスチャイルド家は、今なお世界で最も巨大な資金力を持つ家柄の一つである。これにつらなるグループは、金(ゴールド)・ダイヤモンド・石油・ウラン等の重要資源の多くを抑えている。
 金とダイヤモンドについては、ロスチャイルド家は、そのグループに属する南アフリカのオッペンハイマー財閥等と連携し、国際価格を思いのままに操れるほどの独占的な地位を保っている。
 まず金の国際価格は、ロンドンにある通称「黄金の間」での取引で、事実上決定される。「黄金の間」は、ロスチャイルド家の本拠N・M・ロスチャイルド&サンズ社のなかにある。ロスチャイルド家とそのグループが取り仕切る金によって、シティとウォール街が結ばれている。通貨を含むあらゆる金融商品は、究極において今も金(ゴールド)によって価値を裏付けられている。その大元のところをロスチャイルド家が掌握している。
 また、ダイヤモンドはイスラエルの主要産業だと先に書いた。大英帝国時代の1888年、ロスチャイルド家に忠実なセシル・ローズが同家支援で南アフリカに作ったデビアス社が、現在も世界のダイヤモンドの8割を支配している。イスラエルは、ロスチャイルド家の支援を受けて、ダイヤモンドの輸出入を行って、富を得ている。
 次に、石油については、1930年代以降、オイル・メジャーと呼ばれる巨大な国際石油企業が、世界の石油を支配してきた。1968年にアラブの産油国がOAPECを結成し、以後メジャーの寡占体制に対抗する構図となっている。しかし、アメリカ、イギリス、オランダ系の7社、セブン・シスターズ(七人姉妹)の優位は変わらない。石油は、アメリカのロックフェラー家の主要産業だが、ロスチャイルド家とそのグループも、イギリスとオランダを中心とするロイヤル・ダッチ・シェルに投資しており、メジャーの一角を占めている。
 次に、水についてだが、水は「21世紀の石油」といわれるほど、価値が上がりつつある。21世紀後半「飢餓の時代」になるという予測があり、食糧の生産・販売は今後一層重要性を増す。ロスチャイルド家とそのグループは、人間の生命に直結する水と食糧についても相当部分を傘下に収めていると見られる。
 ここで特筆したいのは、ウランについてである。ウランは、核兵器の原料であり、また原子力発電所の燃料である。現代世界の軍事とエネルギーは、ウラン抜きには成り立たない。そのウランの多くをロスチャイルド家とそのグループが抑えている。
 ウランは、戦前からロスチャイルド家所有のアフリカのウラン鉱山で採掘されていた。その後、今日までウランの鉱山は、ロスチャイルド財閥が、ほぼ独占してきた状態である。ロスチャイルド家とウランの関係については、広瀬隆の著書『赤い盾』が詳しいので、その記述に基づいて概略を記す。
 ロスチャイルド家のウラン支配は、英仏のロスチャイルド家の連携による。ロスチャイルド家は、初代マイヤー・アムシュルの三男ネイサンが、ロンドン家の初代当主となった。そのネイサンの血を引く者は、ロンドンのアンソニーとパリのアンリの二人だけとなった。彼らは、アムシェルから数えて5代目にあたる世代である。
 ロンドン家の当主となったアンソニーは、パリ家の鉱山会社ペナロヤの創業一族から、イヴォンヌ・カーエンを妻に迎えた。一方、アンリは、イギリスのリオ・チント・ジンク社の創業一族と結婚し、スペインからアフリカまで広大な範囲の鉱山を支配した。こうして、ロンドン家とパリ家が妻となる女性を交換し合うことで、大戦後、ロスチャイルド家はウランをほぼ独占的に支配することが可能になった。このことは、石油の時代であるとともに、原子力の時代である20世紀以降の世界において、ロスチャイルド家とそのグループは大きな強みを加えたことを意味する。
 1945年、アンソニー・ロスチャイルドは、カナダに広大な山林の開発権を獲得した。その開発権は、イングランドの面積に匹敵する13万平方キロに及んだ。アメリカによる原爆投下の成功を受けて、アンソニーは、そこで世界最大のウラン鉱山を開発する事業を進めた。傘下の資源会社リオ・チント・ジンク社とその子会社のリオ・アルゴムが、この事業を担った。両社は、南アフリカのナミビアのロッシング・ウラン鉱山を支配し、さらにオーストラリア鉱業を通じてオーストラリアのウラン鉱山も支配するようになった。
 パリ・ロスチャイルド家の方では、アンソニーの妻の実家カーエン家が創業したペナロヤとその親会社ル・ニッケル(現イメタル)を中心に、傘下にあるウラン・メジャーのモクタ等が鉱山事業を担っている。
 こうして北米・アフリカ・オーストラリアの3大陸のウランを、ロスチャイルド家とそのグループが支配する体制ができた。英仏のロスチャイルド家は、親族間結婚の閨閥で結ばれるとともに、重役の席を相互に交換しており、ウランの国際秘密カルテルを形成し、価格を自由に操作できる体制を生み出した。ロンドンのリオ・チント・ジンク社が、その元締めになっている。

 次回に続く。


ユダヤ128~21世紀のロスチャイルド家(続き)
2017-11-19 08:44:28 | ユダヤ的価値観
●21世紀のロスチャイルド家(続き)

 今日の放射性物質の利用は、マリ・キュリーがラジウムを発見したことに始まる。そのラジウムの製造所を、いち早くパリ家のアンリ・ロスチャイルドが造った。
 大戦中、フランスがナチス・ドイツに占領されると、シャルル・ドゴール将軍はロンドンに逃れた。ドゴールは、イギリスのチャーチル同様、ロスチャイルド家に忠実だった。自由フランス軍やレジスタンスを指揮して、ドイツからフランスを解放すると、原子力庁を創設し、マリ・キュリーの息子フレデリック・ジョリオ=キュリーを初代長官とした。原子力庁は、ロスチャイルド家のウラン支配を前提に創られたものだった。公的な機関でありながら、「幹部には自由な活動が認められる」と政令に定めていた。ドゴールとともに原子力開発を進めたのが、ユダヤ人の死の商人マルセル・ダッソーと、パリ家の5代目当主ギイ・ロスチャイルドだった。
 原子力庁の実働部隊のリーダーには、ベラルトン・ゴールドシュミットが任命された。ゴールドシュミット家は、ドイツ・フランクフルトのロスチャイルド家と婚姻関係を結ぶことによって、同家の後を継いでいる。ベラルトンは、パリのキュリー研究所の出身で、米国のマンハッタン計画に関与した。またアンソニー・ロスチャイルドがカナダのウラン鉱山の土地買収を行う際にも貢献した。ベラルトンは、原子力庁の化学部門を担当し、ウランの精製と濃縮などを指揮した。こうして、今日のヨーロッパ原子力産業の骨格がほとんどロスチャイルド家の手でつくられた。フランスは、原子力発電の最先端の技術を持ち、日本と全ヨーロッパから放射性廃棄物を集め、その処理を行っている。
 アメリカもウランの主な資源国である。アメリカの西部では、1950年代からユタ州を中心に広大なウラン鉱が次々と発見され、カリフォルニア、コロラド、ネバタなどの各州でウランが掘り出された。そこにユタ・インターナショナルを根城とするアメリカのウラン・カルテルが誕生した。このカルテルは、銅山業者のケネコットと非鉄金属で世界一のアサルコが支配するものである。これらの2社の役員を占めてきたのは、ロスチャイルド家グループの鉱山王グッケンハイム家だった。グッケンハイム家は、アメリカ・ロスチャイルド家のヴィクター・ロスチャイルドの娘アイリーン・ロスチャイルドと婚姻関係を結んでいる。それゆえ、アメリカのウラン・カルテルもロスチャイルド家の傘下にある。
 こうして、ロスチャイルド家とそのグループは、世界のウランの大部分を掌中にしている。そのことは、多くの国は核兵器の製造や原子力発電所の建設・維持を行うために、ロスチャイルド家とそのグループの意思に沿わねばならないことを意味する。なお、ロスチャイルド家の最大のライバルと見られるロックフェラー家は、ウラン関連では、原子力発電所の建設に深く関わっている。
 ところで、アメリカのビル・クリントン政権で副大統領だったアル・ゴアは、ウラン産業と関係のある人物である。父親が旧ソ連に利権を持つユダヤ人の政商アーマンド・ハマーの企業であるオクシデンタル石油の副社長であり、ウラン鉱山を所有する子会社オクシデンタル・ミネラルズの経営に関与していたことによる。ゴアは2000年の米国大統領選挙でブッシュ子に敗れた後、地球環境保全を訴える著書『不都合な真実』を書いて、世界的にその主張が知られた。映画にもなった。彼の地球環境保全運動は、単なるエコロジーではなく、環境保全ビジネスである。また、彼は、ロスチャイルド家に連なる人物である。娘カレナは、ロスチャイルド家の米国代理人ジェイコブ・シフの曾孫アンドリュー・N・シフと結婚している。
 この項目の結びに、ロスチャイルド家とロックフェラー家の財力・勢力の比較について再度、述べておきたい。両家の関係について、ロスチャイルド家が今も圧倒的な力を持つという見方と、ロスチャイルド家は衰退し、今やロックフェラー家が大きく優勢だという見方がある。だが、比較するには、両家の資産が公開されていなければならないが、そういうデータは見いだせない。それゆえ、どちらの見方も主観的な意見にとどまっている。正確なデータがない以上、断定的な主張はできない。ただし、私は、次のことは言えると思う。一つは、第2次世界大戦後、エネルギーの主力が石油になったことで、もともと石油産業が基盤のロックフェラー家が大きく成長したこと。またロスチャイルド家の拠って立つイギリスが凋落し、ロックフェラー家の拠って立つアメリカが超大国になったこと。これらによって、相対的にロスチャイルド家が減勢し、ロックフェラー家が増勢していると言えるだろう。また、ロスチャイルド家を中心としたユダヤ系金融資本は、その資金力を駆使して巻き返しを進めてきていると見られる。
 ロスチャイルド家とロックフェラー家という両家の関係は、全くの対立関係ではなく、様々な分野で競争しつつ、連携もしているという関係だろう。その連携の部分とは、アメリカ=イスラエル連合であり、国際連合であり、アメリカの連邦準備制度であり、国際通貨基金であり、またアメリカの外交問題評議会であり、ビルダーバーグ・クラブ等であり、それらを通じた世界統一市場、世界統一政府の建設を目指す運動である。

 次回に続く。


ユダヤ129~今日の米国ユダヤ人の経済力
2017-11-22 08:53:24 | ユダヤ的価値観
●今日の米国ユダヤ人の経済力

 イスラエルに強い影響を与え、また逆に強い影響を受けてもいるのが、衰退しつつある超大国アメリカである。次に、アメリカのユダヤ人について、その経済力・政治力・ロビー活動等について書く。
 アメリカは今日、イスラエル以外では最大のユダヤ人人口を持つ国家である。アメリカには、527.5万人(2010年現在)のユダヤ人がいる。彼らは、ユダヤ系アメリカ人である。ユダヤ系アメリカ人は、ドイツ系アメリカ人、アイルランド系アメリカ人、イタリア系アメリカ人、アフリカ系アメリカ人等と同じく、エスニック・グループの一つである。
 ユダヤ人は全米の人口の1.7%にすぎないが、金融・報道・法曹・科学・教育・芸術等で優秀な能力を発揮している。アメリカのユダヤ人の6~7割は、経済的・文化的・通信広報的な中心であるニューヨークに住む。ニューヨークの人口の3~4割はユダヤ人といわれ、「ジューヨーク」というあだ名があるほどである。
 ユダヤ人といっても、彼らは多様である。1830年代以降を中心にドイツから来たユダヤ人と、19世紀後半以降にロシアや東欧から来たユダヤ人では、生活文化が異なっていた。ユダヤ教の信仰についても、正統派・超正統派に対して改革派がおり、その中間の保守派もいる。正統派・超正統派はユダヤ教の信仰を厳格に守っているが、改革派は資本主義社会に順応し、積極的に経済活動を行う。また広義のユダヤ人には、ユダヤ教徒だけでなく、キリスト教徒や唯物論者もいる。政治的には、民主党を支持するリベラルな者が多いが、共和党を支持する保守的な者もいる。古典的自由主義の自由至上主義者(リバータリアン)や新保守主義者(ネオ・コンサーバティスト)すなわちネオコンもいる。決してアメリカのユダヤ人は、一枚岩ではない。
 そうしたアメリカのユダヤ人が、今日アメリカの支配集団と融合し、アメリカという国家の政治・経済・外交・安全保障等に強い影響力を振るうようになっているのは、なんといっても彼らの経済的な能力の高さによる。また、彼らの経済能力の高さが、アメリカからユダヤ的価値観が世界に広がっている要因の一つになっている。
 20世紀前半にかけては、大英帝国が世界を席巻した。イギリスの資本主義及び帝国主義は、アングロ・サクソン=ユダヤ文化の産物であり、そこにはユダヤ的価値観が実現されていた。アングロ・サクソン=ユダヤ文化は、アメリカでさらに独自の要素を加えたアメリカ=ユダヤ文化として発達した。このアメリカ=ユダヤ文化の核心的要素に、ユダヤ的価値観がある。ヨーロッパの伝統から離れた新大陸の社会で、物質中心・金銭中心、現世志向、自己中心の考え方、対立・闘争の論理、自然を物質化し、自然の征服・支配を行う思想は、一層極端へと推し進められた。そして、第2次世界大戦後、超大国となったアメリカの文化が世界に広がった。同時にそこに融合しているユダヤ文化、そしてユダヤ的価値観が地球規模で浸透してきている。
 第2次世界大戦後、アメリカのユダヤ人の経済活動は、戦前・戦中の発展を土台として、大きく飛躍した。アメリカのユダヤ人の経済力については、佐藤唯行の著書『アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか』『アメリカ・ユダヤ人の経済力』等に詳しい。
 2006年(平成18年)現在、総人口の2%弱にすぎぬアメリカ・ユダヤ人が、全米トップ100人の大富豪の中で、32人を占めていた。ここでの大富豪は、個人資産25億ドル以上の者を言う。
 大富豪のリストに挙がったユダヤ人には、次の者たちがいる。マイケル・デル(デル社)、ラリー・エリソン(オラクル社)、スティーブン・バルマー(マイクロソフト社会長)、サーゲイ・ブリン(グーグル社)、サムナー・レッドストーン(ヴァイアコム社)、サミュエル・ニューハウス2世&ドナルド・ニューハウス(ニューハウス社)、ジョージ・ソロス(クオンタム・ファンド)、ロナルド・ペレルマン(レブロン社)、マイケル・ブルームバーグ(ブルームバーグL.P.)、ラルフ・ローレン(ポロ・ラルフ・ローレン社)、モーリス・グリンバーグ(AIG)、エドガー・ブロンフマン1世(シーグラム社)、レナード・ローダー(エスティ・ローダー社)、スチーブン・スピルバーグ(映画監督)等である。
 佐藤によると、現代アメリカ・ユダヤ人の資産形成において、第一の源泉となったのは、一般に想像されているように、金融、証券、為替取引によってではなく、不動産投資だった。今日のユダヤ人大富豪のうち約半分が不動産の開発・投資により資産を形成した。雑誌『フォーブス』は毎年世界の長者番付・企業番付を掲載しているが、歴史学者E・S・シャピロによると、1980年代前半のフォーブス番付に登場したすべてのユダヤ人を検証した結果、彼らのうち約半分が、第2次大戦後の不動産ブームで、不動産の開発・投資により資産を形成した。不動産業は、多額の設備投資が必要なく、卸業・小売業のように仕入れた商品の在庫を常に抱え込むリスクを負う必要がない。それゆえ、ユダヤ人は事業がしやすい。
 次にユダヤ人の大富豪層が資産形成を行っていくうえで、不動産事業に次ぐ重要な事業となったのは、マスメディアだった。
 ユダヤ人にとって情報は、自らの安全保障に不可欠の要素である。ユダヤ人は情報そのものを貴重な財産と見るから、積極的にメディア産業に乗り出した。
 ネイサン・ロスチャイルドは、通信網のない19世紀初頭の時代に伝書鳩と飛脚を駆使して、為替相場の仕手戦に勝利を勝ち取った。19世紀の中ごろまでに、ユダヤ人は新聞社などの通信産業に進出していた。ドイツ系ユダヤ人ポール・ジュリアス・ロイターは、イギリスで1849年にロイター通信社(現トムソン・ロイター)を設立し、やがて全世界に広がる通信網を作り上げた。
 アメリカにおいては、1896年にニューヨーク・タイムズ(NYT)をユダヤ人アドルフ・オックスが買収した。オックスの死後は、娘婿のアーサー・ヘイズ・サルツバーガーとその子孫により、代々所有され続けている。NYTは、米国民の中で強い影響力を持つ者たちが主要な情報源として読む新聞であるため、アメリカで最も影響力を持つ新聞と評価されている。論調はリベラルであり、特にユダヤ人リベラル派の代弁紙となっている。読者の3分の1はユダヤ人が占めているとされる。
 ほかにワシントンポスト(WP)、ウォールストリートジャーナル(WJ)、ニューヨークポスト(NP)等が、ユダヤ人の築いた有力紙である。政治経済の雑誌も、タイム(TM)、ニューズウィーク(NW)、USニューズ・アンド・ワールド・リポート(USNWR)の三大高級誌やフォーチュン等、ユダヤ人が創業したり、所有したりしてきた紙の媒体は数多くある。こうした媒体を通じて、情報や主張を流通させることで、ユダヤ人の指導層はアメリカの大衆を誘導し、世論を操作することを可能にしている。
 主に趣味や娯楽に関わる大衆向けのメディアでも、ユダヤ人が目立つ。1985年に『フォーブス』が発表した長者番付によると、ユダヤ人大富豪20傑のうち、首位はニューハウス兄弟だった。ニューハウス社の創業者サミュエル・ニューハウスは、ロシア系ユダヤ移民2世で、大衆紙の帝王となった。雑誌にも手を広げ、ニューハウス社は『ヴォーグ』『グラマー』『マドモアゼル』『ハウス・アンド・ガーデン』を含む一流雑誌を30近くも所有する。
 マスメディアは、20世紀前半から電波の時代に入った。ここでもユダヤ人の活躍が目覚ましい。アメリカでは、ラジオ・ネットワークが組織された1920年代後半から、CBSとNBCの2社が電波を支配した。CBSの創業者は、ユダヤ人ウィリアム・ペイリーで、創業社主として所有・経営の両面から同社を支配してきた。NBCはRCAの子会社だった。RCAは、エレクトロニクス事業を中心とする企業である。その子会社のNBCは、ロシア系ユダヤ人のデイヴィッド・サーノフが育て上げた。サーノフは「テレビ放送の父」と呼ばれる。
 アメリカでは、CBS、NBCにABCを加えて、三大テレビ・ネットワークと呼ばれてきた。ABCは、1943年にNBCのラジオ・ネットワークから独立する形で創立された。創業者は、エドワード・ノーブルらで、1948年からテレビ放送を開始した。こうしたテレビ局のニュース解説者の大半が、親イスラエル的な発言をしている。
 現在は三大ネットワークに、FOXを加えて、四大ネットワークということが多い。FOXは、1996年にニューズ・コーポレーションが設立したニュース専門放送局である。ユダヤ人のメディア王ルパート・マ―ドィックが買収したことで、ユダヤ人所有のメディアとなった。オーストラリア生まれのマードックは、猛烈な勢いでイギリスのマスメディアを買収し、さらにアメリカに進出した。有力な新聞・雑誌を押さえ、FOXも買収した。
 マードックの背後にはロスチャイルド家がいる。彼とロスチャイルド家を結ぶ人物にアーウィン・ステルザーがいる。ステルザーは、ニューヨークで投資銀行と金融経済顧問をかねるロスチャイルド社の代表である。彼が経営するロスチャイルド社の親会社は、世界金融界の頂点に立つロンドン・ロスチャイルド銀行である。ステルザーは、マードックの「最も重要な資金面の後ろ盾」となっていると広瀬隆は言う。
 マードックのメディア買収は、ロスチャイルド家の対米戦略の一環と考えられる。メディアを使って、自己に有利になるように、アメリカの世論に影響を与えることができるからである。FOXは保守的で共和党寄りの論調が特徴だが、2010年に英ガーディアン社が行った米国の世論調査では、回答者の過半数が最も信頼できるニュース放送網としてFOXニュースを挙げた。2位はCNNで39%だった。
 アメリカの主要なマスメディアには、ユダヤ人が多く勤務してもいる。1999年の調査によると、3大高級紙(NYT、WP、WJ)、三大高級誌(TM、NW、USNWR)、当時の3大テレビ・ネットワーク(CBS、NBC、ABC)で働く全従業員の27%が、ユダヤ人もしくはユダヤ系の出自で占められていた。さらに主要メディアの幹部クラスになると、ユダヤ人の占有率は一段と高まる。例えば、1979年に、ABCのプロデューサーとエディターは、実に58%がユダヤ人だったとされる。こうした傾向は、現在まで変わっていないと見られる。アメリカのユダヤ人は、主要なメディアを所有し、またそのメディアを通じて、自分たちのものの見方や価値観をアメリカの大衆に、さらに世界に発信しているのである。


ユダヤ130~今日の米国ユダヤ人の経済力(続き)
2017-11-24 08:55:03 | ユダヤ的価値観
●今日の米国ユダヤ人の経済力(続き)

 20世紀は、映画の時代の始まりであった。アメリカの映画産業の多くは、ユダヤ人に組織された。20世紀初頭、多数の映画製作会社が設立されたが、やがて8大会社に統合された。そのうち、ユニバーサル、20世紀フォックス、パラマウント、ワーナー・ブラザーズ、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー、コロンビアの6社は、事実上ユダヤ人が設立したものだった。
 映画のプロデューサー、ディレクターにもユダヤ人が多い。ジョージ・ワシントン大学の政治学助教授ロバート・リクターの調査結果によると、1965年から82年の間に大手映画会社の中で働いていたプロデューサー、ディレクターの62%が、ユダヤ教を宗教とする家庭で、ユダヤ人として育てられた人物だった。
 映画は娯楽の手段であるとともに、情報を広める手段でもある。映画の内容には、映画会社の所有者や製作者のメッセージと価値観が込められている。ハリウッドは、大衆に手軽な娯楽を提供しつつ、娯楽を通じて見る者に、彼らの思想を吹き込んでもいる。映画は、アメリカ=ユダヤ文化の世界的な宣伝・普及に一役買ってきたと言えるだろう。
 次に、生活用品に話を移そう。アメリカの大規模製造業は、伝統的にWASPが支配してきた。また、アメリカでは、国際石油資本はアラブ産油国との友好を重んじ、ユダヤ人を雇用から排除し続けてきた。そうした中で、小規模な製造業や流通業は、ユダヤ人が進出できる分野だった。
 化粧品業界は、小資本のユダヤ移民の企業家が成功し得る産業だった。レブロン社、ヘレナ・ルビンシュタイン社、マックス・ファクター社、エスティ・ローダー社等は、ユダヤ人が創業者主である。世界最大の蒸留酒メーカーのシーグラム社は、ユダヤ人が創業したカナダの酒造メーカーである。アメリカの禁酒法時代に、カナダで酒造することで莫大な富を形成した。バービー人形で有名な世界的玩具会社のマテル社は、ユダヤ人が設立した。ユダヤ人は、百貨店や通信販売などで流通にも才能を発揮してきたが、大量小売業でも、ホームデポ、トイザラス等を生み出している。
 20世紀後半は、情報革命の時代となった。情報革命は、18世紀の産業革命以上に、人間の生活・文化・社会を大きく変えた。コンピュータの動作原理を考案した「コンピュータの父」ジョン・フォン・ノイマン博士は、ユダヤ人だった。ノイマンは第2次世界大戦のさなか、新しい計算システムをプログラムした近代コンピュータのひな形を開発した。また、サイバネティクスの創始者ノーバート・ウィーナーも、ユダヤ人だった。ウィーナーは通信工学と制御工学の総合の他、ロボティクスやオートメーションなどでも画期的な研究を行った。
 1990年代から、アメリカにおけるユダヤ人の最新事業は、情報通信産業に集中している。ビル・クリントン政権では、シリコンバレーを中心とした情報通信産業によって、世界を巻き込む情報革命構想が作られた。副大統領アル・ゴアの情報スーパーハイウェイ構想は、それに乗っかったものといわれる。
 情報テクノロジーの分野では、基幹OSで世界を席巻するのが、マイクロソフト社である。ビル・ゲイツはユダヤ人ではないが、彼の右腕として同社のCEO(最高経営責任者)を務めたスティーブン・バルマーは、ユダヤ人である。またパソコン・ハードの雄、デル社の創業会長マイケル・デル、ソフトウェア・データベースをリードするオラクル社の創業会長ラリー・エリソンも、ユダヤ人である。情報化社会でもユダヤ系企業は、その中枢を抑えている。
 21世紀は、飢餓の時代になるという予測がある。人口の爆発的な増大、農地を含む自然環境の悪化、肉を中心とした食生活への変化、世界的な経済格差の拡大等が、その原因である。こうした中で、食糧を制する者が世界を制するとさえ、見られている。世界の穀物市場を事実上支配しているのは、五大穀物メジャーである。かつてはカーギル社、ブンゲ社、ルイ・ドレフェス社、コンチネンタル・グレイン社、アンドレ・ガーナック社が五大穀物商社に数えられた。カーギルを除き、すべてユダヤ系資本だった。またすべて同族企業であり、株式も非公開だった。五大穀物メジャーは現在、コンチネンタル・グレイン社、アンドレ・ガーナック社が抜け、アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド社(ADM)、グレンコア社が加えられる。そのうち、ADMとカーギルが双璧であり、ともにアメリカに本拠を持つ。現在も、アメリカのユダヤ人が食糧ビジネスの相当部分を握っていると見られる。
 佐藤唯行は、著書『アメリカ・ユダヤ人の経済力』で、ユダヤ人企業家がアメリカで成功した理由を6つ挙げている。
 (1)教育を重視する宗教的・歴史的伝統、(2)中世以来、都市生活で蓄積された商工業の技術、(3)出稼ぎ的意識が少なく永住志向、(4)歴史的に育まれた倹約精神、(5)マージナルマン(周辺人)の視点、(6)祖国なき民が生み出した国際的な同族ネットワークーー――である。
 佐藤は、他の著書でもこの点について書いている。彼の見方の概要を書く。
 古来、ユダヤ教徒にとって無学は最も恥とされた。無学のためにユダヤ教の聖典を読めないことは罪であり、来世では永遠の罰が定められていると信じられてきた。そのため前近代のヨーロッパで、ユダヤ人の識字率は例外的に高かった。識字率の高さは、英語の習得を容易にした。
中世以来、多くのユダヤ人は商工業の中心である都市に暮し、商工業の技術を蓄積してきた。そのことが、20世紀のアメリカで急速に進展した都市化・産業化の流れに、うまく適応することを可能にした。
 ユダヤ人は他の移民と異なり、アメリカで是非とも成功する、という不退転の覚悟を秘めた永住志向の移民だった。そのことがユダヤ移民の企業家を成功に導いた。
 歴史的に贅沢な暮らしから排斥されてきたユダヤ人家庭では、倹約精神が育まれた。倹約精神は、初期の不動産投資や零細な事業を起こす際に大きな助けとなった。
 ユダヤ人は、歴史的に、社会の周辺部から中心部を批判的に観察する姿勢を身に着け、多くの人々が疑わない常識の裏側を見抜く能力を育んだ。このマージナルマンの視点が、ユダヤ人の創造力の源となった。
 祖国を失ったユダヤ人は、国家をあてにすることができなかった。国家の枠組みを超えた同族間の結びつき、世界中に張り巡らされた人的ネットワークを拠り所とするしかなかった。そうした体験から、近代国民国家の枠組みを越え、国際的な視野でビジネス・チャンスをとらえる視点が育まれた。
 こうしたことによって、ユダヤ人企業家はアメリカで成功し得たと、佐藤は説いている。具体的かつ網羅的な優れた分析だと思う。

 次回に続く。


ユダヤ131~今日の米国ユダヤ人の政治力
2017-11-26 08:51:43 | ユダヤ的価値観
●今日の米国ユダヤ人の政治力

 アメリカのユダヤ人は、政治的には、リベラルと保守の二つに大きく分かれる。大まかに言って、リベラル(修正自由主義者)は多数派であり、民主党を支持し、イスラエルの中道左派である労働党を支援している。保守は在米ユダヤ人の5分の1ほどの少数派で、共和党を支持し、イスラエルの右派であるリクードかカディマを支援している。保守は正統派ユダヤ教徒を中心とし、巨大勢力であるキリスト教右派と連携している。保守の中には、自由至上主義者(リバータリアン)や新保守主義者(ネオコン)もいる。
 このような政治的多様性を示すアメリカのユダヤ人だが、彼らの大多数に共通しているのは、親イスラエルの感情・思想を持つことである。そして、アメリカのユダヤ人団体の多くはイスラエルと結託して、アメリカという国家がイスラエルにとって有利な政策・行動を行うように、強力に働きかけている。ユダヤ系米国人には、政治・経済・科学・文化・芸術・教育等で活躍している知識人や有力者が多く、社会的な影響力がある。彼らの活動によって強固なアメリカ=イスラエル連合が築かれ、またそのもとで、アメリカのユダヤ人は強力な政治力を発揮している。
 佐藤唯行は、著書『アメリカ・ユダヤ人の政治力』で、20世紀の後半以降、ユダヤ人がアメリカで類まれな政治力を振るってきた理由を8つ挙げている。
 (1)財力、(2)重点特化の戦術、(3)格別に高い政治関心、(4)人材の育成とリクルート・システム、(5)政治家予備軍としての法曹集団に占める高い占有率、(6)ユダヤ人団体のネットワークと広報・宣伝活動、(7)抜群の投票率、(8)大統領選挙の勝敗を左右する大州に人口が集中――である。
 佐藤は、他の著書でもこの点について書いている。それも踏まえて、彼の見方の概要を書く。
ユダヤ人の政治力が彼らの強大な経済力に拠っていることは明らかである。彼らの経済力については、先の項目に書いたが、ユダヤ人社会の財力は、過去半世紀の間に大幅に増えている。民主党の政治資金のおよそ60%をユダヤ人が提供している。共和党においても35%は超えている。ユダヤ・マネーなくして大統領選挙、連邦議会選挙等を戦い抜くことは不可能になっている。
 票田としてのユダヤ人のパワーは、ユダヤ人口が長期的に漸減している中で、ゆるやかな衰えを見せている。しかし、選挙資金調達者としての彼らのパワーは、過去半世紀の間衰えることなく増大の一途をたどってきた。莫大な選挙資金を集めるユダヤ人大富豪たちのネットワークと彼らの発言力こそが、ユダヤ人の政治力を生み出す源泉となっている。
 ユダヤ人は、政治的要求を絞り込み、そこに持てる力を集中して投入することによって、戦略的に行動し、政治的影響力を見事に発揮している。
 ユダヤ人は、政治に対する過度といえるまでの関心を示す。タルムードは学識ある者が公的活動へ参加することを推奨しており、政治への関心は伝統的にユダヤ知識人の宗教的情熱の表れだった。
 ユダヤ人社会には、高い政治意識を持った若者たちを政治の世界へリクルートし、彼らを将来の人材として育成するシステムが存在する。また、ユダヤ人は古くから法曹の世界へ大量に進出し、高い占有率を持つ。法曹集団が有力政治家の人材輩出源となっている。
 ユダヤ人口が減少しているにもかかわらず、彼らの政治力はむしろ増大している。2009年の時点で、ユダヤ議員団は上院の13%を占めた。定数100人のうち13人である。下院には6.9%となる30人の議員がいた。うち8人がカリフォルニア州の選出だった。これは、ハリウッドの娯楽・メディア産業のユダヤ人大富豪が献金する潤沢なユダヤ・マネーによっている。ハリウッドは、ウォール街と並ぶ民主党の2大集金源の一つである。
 アメリカには、政治的メッセージを発信・伝達する全国的なユダヤ人団体のネットワークがある。また、世論に影響を及ぼす広報・宣伝活動のスキルと能力の高いスタッフとボランティアがいる。
 ユダヤ人の政治意識は高く、投票率は他のいかなるエスニック・グループ(民族的集団)よりも、はるかに高い。全米平均の2倍近い90%前後に達している。
 ユダヤ人は大統領選挙の勝敗を左右する大州に多く住んでいる。人口の約81%が都市化・産業化の進んだ9つの州に集中している。ニューヨーク州やカリフォルニア州等がそれである。50州に割り当てられた選挙人団のうち、その9州の持ち分は38%を占めている。
 こうしたことによって、ユダヤ人は20世紀の後半のアメリカにおいて、類まれな政治力を発揮できている、と佐藤は説いている。これも卓見だと思う。

 次回に続く。


ユダヤ132~アメリカの政治とユダヤ・ロビー
2017-11-30 09:12:25 | ユダヤ的価値観
●アメリカの政治とユダヤ・ロビー
 
 今日、アメリカでは、ユダヤ・ロビーが最大のロビー団体となり、アメリカの外交政策に強い影響を与えている。ユダヤ・ロビーとは、ユダヤ系米国人が、イスラエルを宗教的な信仰によって擁護するキリスト教右派等と連携して、米国の政治・外交をユダヤ人社会やイスラエルに有利なものにしようとして政府・議会・政治家に働きかける団体である。
 ユダヤ人ロビイストは、豊富な資金と積極的な働きかけにより、アメリカの政策をイスラエルに有利なものへと誘導している。そして、アメリカ=イスラエル連合を確固としたものすることに成功している。
 これに対し、アメリカ国民の中から、合衆国政府はアメリカの国益よりもイスラエルの国益を優先しているという批判が上がっている。なかでも高名な国際政治学者ジョン・ミアシャイマーとステファン・ウォルトによる『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』(2007年刊行)は、言論界に一石を投じた。著者たちは、ユダヤ・ロビーではなく、イスラエル・ロビーという用語を使う。前者は、ロビー活動の主体がユダヤ人集団であることを端的に表すが、後者は、イスラエルの利益を追求する団体であることを強調する。
 ミアシャイマーとウォルトは、イスラエル・ロビーの強い影響力により、アメリカの政策論議は合衆国の長期的安全保障を損なう方向に向かっていると主張する。また、イスラエル・ロビーの団体は、イスラエルの極右政党リクードに近い団体・個人で構成されていると指摘する。他の団体・個人との境界線は曖昧で、多くの学者、シンクタンク、政治活動委員会、ネオコン・グループ、キリスト教団体等がロビー活動を支援しているという。
 イスラエル・ロビー、私の用語によれば、ユダヤ・ロビーは、非常に大きな成果を上げている。具体的には、たとえば、アメリカ政府は政権が共和党・民主党の違いに関わらず、イスラエルに大規模な無償の軍事援助を行っている。アメリカ政府が世界各国に行う経済・軍事援助は、その約5分の1が世界人口の0.1%程度にすぎないイスラエルに送られている。2006年の時点で、イスラエルは約30億ドルを受給した。この金額は、一国としては最高額だった。2007年から10年間、毎年30億ドル、合計300億ドルの援助が続けられている。
 一般の国は、アメリカ政府からの援助金を年4分割して与えられる。ところが、イスラエルだけは、会計年度の初めに一括して援助金を受給する。その援助金のうち当面、使用しない分は連邦準備銀行へ直接預金され、年利8%の利子を稼ぐことが許されている。イスラエルはこの特権を享受する唯一の国である。
 これに加えて、毎年、約5億ドルのイスラエル国債がアメリカ国内で購入されている。イスラエル国債は米国国債より利率が低く、格付けもBBBと低い。それにもかかわらず、全米3000以上の大小の銀行が購入している。これは、もしイスラエル国債の購入を拒めば、地元のユダヤ人富豪たちが預金を他の銀行に移すことを恐れるからと見られる。
 国連安全保障理事会でイスラエルに不利な提案が出されると、アメリカ政府は必ず拒否権を発動している。イスラエル非難の国連安保理決議に対して、1982年以来、実に32回(2006年現在)も拒否権を発動して、イスラエルを擁護し続けている。イスラエル・パレスチナ問題においては、イスラエル側に立って関与しており、アラブ諸国の批判や反発を受けている。
 米国では2004年10月に、反ユダヤ主義監視法が成立した。同法は、世界各地で頻発する反ユダヤ主義をアメリカ政府が監視し、適切な対応を取ることを定めたものである。米国務省内に、反ユダヤ主義に対処する特別部局の設置を定めている。イスラエルではなく米国の国家機関が反ユダヤ主義に世界的に対処するというのである。米国は、今やそれほどまでに、ユダヤ人及びイスラエルの強い影響下にあることがわかる。
 こうしたアメリカとイスラエルの特殊な関係は、アメリカのユダヤ・ロビーの活動が生み出しているものである。

 次回に続く。


ユダヤ134~米猶を結ぶ宗教的な絆
2017-12-04 08:50:14 | ユダヤ的価値観
●米猶を結ぶ宗教的な絆

 アメリカとイスラエルの関係の強化には、宗教的な理由もある。
 ユダヤ・ロビーには、キリスト教団体が参加している。
 アメリカのキリスト教徒には、左派と呼ばれるリベラルと右派と呼ばれる保守派がいる。ユダヤ・ロビーに参加しているのはキリスト教右派で、全米で約7000万人、有権者の14~18%を占めるとされる。歴史的には、ユダヤ人社会とキリスト教右派は、犬猿の仲だった。だが、神学的理由からキリスト教右派がイスラエルを支持するようになり、それゆえに、ユダヤ・ロビーと連携するようになった。
 キリスト教右派は、聖書の字句を神の御言葉として文字通り解釈する。これを原理主義という。彼らは、キリスト再臨の時、神は地球上に離散したユダヤ人たちを再びイスラエルの地に集めて国を築かせるとし、再臨の条件としてユダヤ人が神から約束された土地を手に入れることが必要だと信じてきた。彼らは、第2次世界大戦後のイスラエル建国を、神の予言の成就と解釈した。そして、1967年の第3次中東戦争でイスラエルが電撃的な勝利を得ると、これを文字通り「神の御業」と理解した。それからキリスト教右派による熱狂的なイスラエル支持が始まった。
 この1967年以降の時期と、ユダヤ・ロビーが勢力を増強した時期は、重なり合う。ユダヤ人のノーマン・フィンケルスタインは、著書『ホロコースト産業』で、大意次のように述べている。第3次中東戦争におけるイスラエルの圧勝によって、アメリカのユダヤ人社会は自信を強めた。それ以後、彼らはホロコーストを以前に増して声高に唱えるようになった。中東でイスラエルが圧倒的な強者となると、それまで被害者意識をそれほど出さなかったユダヤ・ロビーは、ドイツをはじめとする世界に対し、ホロコーストの犠牲者性を強く主張するようになった、と。
 1969年からのニクソン政権・フォード政権の時代は、キッシンジャーが米国の外交を取り仕切り、ユダヤ系の巨大国際金融資本家の意思が国際政治に強く影響するようになった時期でもあった。
 こうして複合的な要因が相乗して、アメリカ=イスラエル連合は、一層強固なものになっていった。
 アメリカ=イスラエル連合は宗教的な絆を持つが、さらに1980年代に入り、連合に世界的な戦略を与えるようになったのが、ネオコンの理論である。
 ネオコンにはユダヤ人が多い。ネオコンの理論の顕著な特徴は、政治思想とユダヤ=キリスト教の世界観が結びついて、イスラエルを強力に擁護するところにある。ネオコンの理論の影響の下、アメリカの社会にシオニストのキリスト教徒が増加し、キリスト教が復興・活発化するとともにシオニズムも拡大・増強するという構造が生まれたと考えられる。
 ただし、いかにアメリカ政府を親イスラエル、シオニスト化したとしても、国民の理解と支持がなければ、国家全体は動かない。イスラエル、ロスチャイルド家、ネオコン・グループは、同時にアメリカの大衆への働きかけも進めていた。アメリカでは、イスラエルの極右政党のように戦闘的なシオニズムをそのまま打ち出したのでは、大衆の賛同は得られない。そこで彼らはビル・クリントン政権時代から、アメリカの新保守主義という姿を取って、キリスト教の保守派を取り込む活動を進めた。キリスト教徒をシオニスト化する活動である。
 先にも書いたが、ピルグリム・ファーザーズを祖とするアメリカ社会では、カルヴィニズム的プロテスタントが主流である。カルヴィニズムは、神を絶対的な権威とし、人間を全く無力な存在とする。救霊予定説は、神の意思の絶対性を極限まで強調する。また、ユダヤ教の聖典トーラー(モーゼ五書)を含む聖書を信仰の根本とする。こうした特徴を通じて、カルヴィニズムは、キリスト教の再ユダヤ教化を進めた。それゆえ、シオニストにとって、アメリカのキリスト教徒をユダヤ教と親和的にし、イスラエルは絶対に守るべき聖なる国家という意識を持たせることは、容易だったのだろう。
 ここで大きな作用をしたものが、キリスト教的終末論である。キリスト教的終末論とは、人類の滅亡を説くものとは違う。世の終わりに、イエス=キリストが再臨し、最後の審判が行われて、救済が実現するという説である。なかでもヨハネの黙示録は、善と悪の最終戦争が行われた後、神が降臨し、正しい者のみが救われ、千年王国が建設されることを、象徴的な表現で描いたものとされる。
 終末論は、キリスト教圏で歴史上、繰り返し高揚した。それが、20世紀から21世紀への世紀の変わり目に再燃した。ビル・クリントン政権の末期、西暦2000年は、ミレニアム(千年紀)運動が高揚した年だった。
 そして、その翌年の9・11をきっかけに始まった戦争が、終末論的な最終戦争とイメージされ、善と悪の戦いという構図が生み出された。その戦いを唱導し、指揮したのが、ブッシュ子大統領だった。
 キリスト教的終末論において、特別の意味を持つのが、イスラエルの存在である。聖書の解釈の一つに、世の終わりが近づいた時、救世主(メサイア)が再臨する前に、カナンの地にユダヤ人の国家が建設されるというものがある。その国家がイスラエルであると考えるキリスト教徒の一部にとって、イスラエルは絶対に守らなければならない国家となる。こうしてユダヤ教の強硬派とキリスト教的終末論が結びつき、アメリカとイスラエルの連合は、不離一体のものとなった。
 こうして、ユダヤ・ロビーは、半世紀を超える年月の活動の結果、政治活動・選挙運動に注がれる巨額のユダヤ・マネーと、信徒人口約7000万というキリスト教右派の大票田とを結びつけることに成功し、アメリカの政府や連邦議会に対して強力な働きかけを行えるようになっているのである。

 次回に続く。


ユダヤ135~アメリカ及びそれ以外のユダヤ教徒
2017-12-07 09:25:41 | ユダヤ的価値観
●アメリカ及びそれ以外のユダヤ教徒

 ここでアメリカのユダヤ人社会の信仰ついて捕捉する。アメリカでは、ユダヤ教の正統派・超正統派が合わせて約1割、改革派が約3割、保守派が約3割いるといわれる。うち最も政治的・経済的に活躍しているのは、改革派である。ユダヤ教徒の信仰は、キリスト教徒に比べて、しっかり世代間の継承がされているように見える。しかし、アメリカのユダヤ教徒全体では、シナゴーグの礼拝に参加するユダヤ人は人口の約4分の1にとどまるという報告がある。このことは、ユダヤ人社会でも世俗化が進んでいること、またアメリカ社会への同化が進んでいることを意味する。
 アメリカのユダヤ人社会で、超正統派は、正統派よりやや少ない。超正統派は、多産を神の御心にかなうことと考え、避妊を一切行わない。そのため、年間約5%の人口増加率という猛烈な勢いで、その数を増やしている。一方、改革派や保守派は、異宗教間結婚が多く、また出生率が低下しており、今後大幅にその数を減らしていくと見られる。
 1990年に実施された全米ユダヤ人口調査によると、既婚ユダヤ人の52%が非ユダヤ人を配偶者としていた。非ユダヤ人の配偶者が結婚を機にユダヤ教徒に改宗するケースはせいぜい5%に満たない。その多くはユダヤ人男性と結婚したキリスト教徒の女性である。また、ユダヤ教徒同士ではない結婚によって生まれた子供のうち、ユダヤ教徒として育てられるケースは28%に過ぎない。約7割の子供は、伝統的なユダヤ教徒として育てられていない。この調査以後、この傾向は一層進んでいると見られる。こうした趨勢が続くと、将来、アメリカのユダヤ人口は激減するだろう。その懸念が、アメリカのユダヤ人にとってホロコーストに代わる最大の脅威になっているという。

●その他の地域のユダヤ人

 世界の81.1%(2010年現在)のユダヤ人は、イスラエルとアメリカに居住する。アメリカ=イスラエル連合の動向は、これら2国以外の国家・地域にいるユダヤ人に強く影響を与える。今後もその構造は続くだろう。
 世界のユダヤ人口の残り約19%のうち、居住者が多い国は、順にフランス、カナダ、イギリス、ロシアである。また、他の欧州諸国、インド、中国、東南アジア、南米など、世界各地にユダヤ人は居住している。そして、彼らはその集団の特徴であるネットワークを広げ、経済的・政治的・科学的・芸術的等に優れた能力を発揮して活躍している。
 ユダヤ教の各宗派の傾向は、先に書いたイスラエルとアメリカにおける長期的な傾向と、それ以外の国家・地域における傾向は共通していると見られる。すなわち、正統派は人口を増やし、次世代に厳格な信仰を継承する一方、改革派や保守派の多くは結婚や世代交代を通じて脱ユダヤ教化していくと見られる。
 イスラエルとアメリカ以外の国で、ユダヤ人の状況が最も注目されるのは、ロシアである。
ソ連解体後、1990年代のロシアで、エリツィン政権は、国家財政立て直しのため、国際通貨基金(IMF)の支援を受けた。国営企業の民営化を進めるために、バウチャー方式が採られた。これは一種の民営化証券のようなもので、一部の者がバウチャーを買い集めて企業を立ち上げた。そこから民間銀行家が育っていった。彼らは財政赤字に悩む政府に融資を申し出た。政府は天然資源の国営企業を融資の担保として取られた。こうして国営企業を手に入れた銀行家たちは、新興財閥「オルガリヒ」として、経済社会の様々な分野を支配するようになった。オルガリヒの多くは、ユダヤ人である。IMFの支援を受けるということは、欧米の巨大国制金融資本のロシア市場への大規模な参入を認めるということである。その動きの中で、欧米のユダヤ人資本家とロシアのユダヤ人資本家が連携してきたと見られる。
 2000年にボリス・エリツィンの後を継いで大統領になったウラディミール・プーチンは、オルガリヒに政治的圧力を加えた。これは、プーチンの欧米・ロシアのユダヤ人コネクションへの反攻と見られる。
 当時オルガリヒには7財閥あり、そのうち6つがユダヤ系だった。ユダヤ系オルガリヒの中で、石油大手シブネフチのボリス・ベゾレフスキーは、イギリスに亡命した後、自宅で自殺体として発見された。メディア王ウラディミール・グシンスキーは、横領詐欺等の容疑で逮捕・釈放された後、スペインに亡命した。他のオルガリヒも、プーチンの反攻を受けた。
 最後までプーチンに抵抗した石油大手ユーコスのミハイル・ホドルスキーは、大統領選に出馬を表明した。ホドルスキーは、欧米のユダヤ系の指導者たちと親しい関係にある。ジェイコブ・ロスチャイルド卿と組んでロンドンに「オープン・ロシア財団」を設立し、キッシンジャーを理事に招聘した。プーチンはホドルスキーを逮捕・投獄し、ユーコスを解体した。
 ロシア国家とユダヤ人資本家の国際ネットワークの攻防は、19世紀前半のアレクサンドル1世の時代から続いている。ユダヤ系の巨大国際金融資本にとって、ロシアの徹底的な市場開放と金融的従属化は、世界単一市場、世界統一政府の実現という目標に向けた重要な課題の一つだろう。それゆえ、今後の世界において、ユダヤ系の巨大国際資本とロシア政府との関係がどのように展開するかは、国際社会の変動の重要な要素となっていると見られる。プーチンと首領とするロシア政府のユダヤ系巨大国際金融資本への挑戦は、プーチンがユダヤ的価値観の問題点を理解し、それを超克しようとしているが故のものではない。ユダヤのエスニシズムに対するロシアのエスニシズムの反発とそれによる主導権争いである。この点で、ロシアに過度の期待を抱くことは危険である。

 次回に続く。


ユダヤ136~現代ユダヤ人の様々な思想
2017-12-09 09:27:18 | ユダヤ的価値観
●現代ユダヤ人の様々な思想

 ユダヤ人とは、狭義ではユダヤ教徒のことであり、ユダヤ教徒には宗派による違いがある。また、広義ではユダヤ民族のことであり、キリスト教等の他宗教に改宗した者や無神論者・唯物論者等がいる。またユダヤ人には、様々な政治的・社会的な思想を持つ者がいる。また、それぞれの思想において、ユダヤ人は有力な唱道者や論者となっている。自由主義、共産主義、グローバリズム、ナショナリズム、コミュニタリアニズム、コスモポリタニズム等である。それゆえ、ユダヤ人は一枚岩ではなく、ユダヤ人全体が世界征服という陰謀を行っているということは、ありえない。一部と全体を混同してはいけない。
 様々な思想のうち、共産主義、グローバリズムについては既に本稿の各所に書いてきた。そこでそれら以外に今日ユダヤ人において特徴的な思想として、ナショナリズム、リベラリズム、コミュニタリアニズム、コスモポリタニズムについて概述する。

●ナショナリズムとは何か

 ナショナリズムは、今日のユダヤ人が最も多く信奉する思想である。イスラエルのユダヤ人、アメリカのユダヤ人、そのほかの国々に住むユダヤ人も共通して、ユダヤ人のナショナリズムを保持している。最初にナショナリズムとは何かについて書き、その上でユダヤ人のナショナリズムについて述べる。
 ナショナリズムは「国家主義」「国民主義」「民族主義」と訳される。ナショナリズムはネイションにかかる主義であり、ネイションは「国家」「国民」「民族」「共同体」等と訳される。だが、国家と国民は異なり、国民と民族は異なる。私は、基本的にネイションを政治社会としての「国家」または政治的集団としての「国民」、エスニック・グループ(ethnic group)を「民族」とし、ナショナリズムを「国家主義」「国民主義」、エスニシズムを「民族主義」と区別する。これによって、用語や訳語による混乱を少なくできる。
 詳しくは、拙稿「人権――その起源と目標」第2部のナショナリズムの項目に書いたが、第1次世界大戦後にナショナリズムの先駆的な研究が現れ、1980年以後、様々な論者が活発に議論を行うようになった。アーネスト・ゲルナー、ベネディクト・アンダーソン、アンソニー・スミス、エリック・ホブズボームらである。
 彼らナショナリズムの研究者には、ユダヤ人ないしユダヤ系が多い。左記のうち左翼のホブズボーム以外はそうである。彼らがナショナリズムを積極的に研究する背景には、ディアスポラとしての出自、ナチスによる迫害の記憶と新たな迫害への警戒、シオニズムの正当化または内在的批判等があると思われる。
 社会人類学者ゲルナーは、著書『民族とナショナリズム』で、ナショナリズムを「第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければいけないと主張する一つの政治的原理」と定義した。この定義における「民族的」はナショナルの訳である。政治学者アンダーソンは、著書『想像の共同体』で、ネイションを「イメージとして心に描かれた想像の共同体」であると定義し、「それは、本来的に限定され、かつ主権的なものとして想像される」と述べた。
 ゲルナーとアンダーソンは、ともに国民が形成された要因を、近代化に見たが、政治学者スミスは、ネイションの形成における伝統文化の役割を強調した。スミスは、著書『ネイションとエスニシティ』で、近代のネイションの背景となっているエスニック・グループをエスニーと名づけて、ネイションと区別した。エスニーは、ネイションが形成される過程で、そのネイションのもとになった集団である。ネイションは、一つのエスニーが周辺のエスニーを包摂することによって成立したものであり、近代以前からのエスニーの伝統を引き継いでいる、とスミスは主張する。そしてスミスは、ネイションを「歴史的領土、共通の神話や歴史的記憶、大衆、公的文化、共通する経済、構成員に対する共通する法的権利義務を共有する特定の人々」と定義する。スミスは、ネイションを「文化的かつ政治的共同体」とする。そして、ナショナリズムとは「ある人間集団のために、自治、統一、アイデンティティを獲得し維持しようとして、現に『ネイション』を構成しているか、将来構成する可能性のある集団の成員の一部によるイデオロギー運動」である、と定義する。
 スミスがエスニーと呼ぶ集団を、私はエスニック・グループと呼ぶ。また、私は、ゲルナー、アンダーソン、スミス等の所論を検討し、ナショナリズムを次のように定義している。ナショナリズムとは、エスニック・グループをはじめとする集団が、一定の領域における主権を獲得して、またその主権を行使するネイションとその国家を発展させようとする思想・運動である。また、西洋文明の近代以前及び非西洋文明にも広く見られるエスニシズムの特殊な形態であり、近代西欧的な主権国家の形成・発展にかかるエスニシズムである。
 ナショナリズムの主な目的には、革命、独立、統一がある。またナショナリズムには、国家形成段階と国家発展段階があり、前者は、ある集団がネイションを形成しようとするナショナリズムであり、後者は、出来上がったネイションをさらに発展させようとするナショナリズムである。
 国家形成段階のナショナリズムには、目的別に、国内において市民革命によって権力を奪取または権力に参加しようとする市民革命型、一つのネイションにおいて植民地人民が本国の政府から独立しようとするか、または人々が異民族支配から独立しようとする独立建国型、自民族の統一を目指し、民族統一的な国家を作ろうとする民族統一型がある。
 国家発展段階のナショナリズムには、自らの国家や国民の国内的発展を目指したり、文化的同化や思想の共有による国民の実質化を図ったりする内部充実型と、他の国家や民族を支配またはそれらを併合して発展しようとする対外拡張型がある。
 ナショナリズムは、個人を主体として見れば、個人の忠誠心を近代的なネイションに向けることによって成立する政治的な意識と行動である。そのナショナリズムの主体は、多くの場合、特定の国家に所属するか、または一定の地域に集住する集団である。しかし、ここに特殊な集団として、ディアスポラ(離散民)がある。
 ディアスポラは、複数の国家に分散居住するエスニック・グループである。どの居住地でも少数派であるディアスポラには、本国を獲得する本国獲得型のナショナリズムと、本国とのつながりを維持・強化する本国連携型のナショナリズムがある。本国獲得型の主体はエスニック・グループ、本国連携型は本国のネイションと国外のエスニック・グル―プとなる。近代最大のディアスポラであるユダヤ人の場合は、イスラエル建国までが本国獲得型であり、イスラエル建国後は本国連携型である。

 次回に続く。


ユダヤ137~ユダヤ人のナショナリズム
2017-12-12 13:07:21 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ人のナショナリズム

 ナショナリズムは、近代国民国家の形成とともに、17世紀のイギリスで発生し、18世紀のフランスで発達して、19世紀にヨーロッパ及び諸大陸に広がった。
 ユダヤ人のナショナリズムは、ほかの民族が近代的な国家・国民を形成したり、維持・拡大しようと図るナショナリズムとは、もともと異なっていた。
 イスラエル建国以前のユダヤ民族は、西欧のみならずロシア、東欧からイベリア半島等にまで分布するディアスポラであり、複数の国家にまたがって居住するが、政治的な統治権力を持たないエスニック・グループだった。
 ユダヤ人は、ユダヤ教を信仰することによって、キリスト教文化の中で迫害を受けてきた。イギリス、ドイツ等では、18世紀の啓蒙主義の時代に、ユダヤ人の知識人を中心にキリスト教社会への同化がかなり進んだが、ユダヤ教徒エスニック・グループの独自性を保とうとする動きも根強かった。
 フランス革命を通じて、ヨーロッパで初めてユダヤ人の解放が行われた。しかし、19世紀末にそのフランスでドレフュス事件が起こり、反ユダヤ主義が高揚した。これに対し、ユダヤ人は、パレスチナの地に国家を再建しようとする運動を起こした。その運動は、目指すべき場所の名を取ってシオニズムと呼ばれることになった。シオニズムは、ユダヤ人というエスニック・グループが自前の国家を持とする思想・運動だった。ユダヤ人によるナショナリズムである。
 ユダヤ人のナショナリズムは、エスニックであるとともに宗教的なナショナリズムである。単に国民的・民族的・文化的でなく、宗教的である。異民族から摂取した宗教ではなく、自民族に固有の宗教に基づく。しかもユダヤ民族のみが神に選ばれた民族だとする選民思想を信奉する。ユダヤ教は集団救済の宗教である。その救済は現世におけるものであり、救済を実現する手段は政治的である。
 祖国を失い、各地を流浪してきたユダヤ人は、国家を持たない民族として、祖国の回復、国家の建設を目的とするナショナリズムを発達させた。政治的な集団救済を目指すナショナリズムである。また、ディアスポラによる本国獲得型のナショナリズムである。
 第2次世界大戦後、イスラエルの建国によって、国家・領土を持つ民族となったユダヤ人のナショナリズムは、対外拡張型のナショナリズムに変化した。建国にあたり、多数のパレスチナ人を排除したため、ユダヤ人のナショナリズムとパレスチナ人のナショナリズムが対立・抗争することになった。
 また、ユダヤ人のナショナリズムは、本国獲得型から、本国の維持・発展とともに本国とのつながりを維持・強化する本国連携型のナショナリズムに変化した。本国獲得型の主体はネイションを目指すエスニック・グループだったが、本国連携型となって以降、主体は本国のネイションと国外各地のエスニック・グル―プとなっている。
 本来、シオンへの帰郷建国運動だったシオニズムは、ユダヤ人のエスニックなナショナリズムである。イスラエルの建国後は、イスラエルという国家におけるナショナリズムと、イスラエル以外に居住するユダヤ人のナショナリズムが連携している。イスラエル以外では、ユダヤ人は、各国におけるエスニック・グループでありながら、そこでの独立を目指すのではなく、本国と連携しながら、世界におけるユダヤ人の生存と繁栄を目指す活動をしている。イスラエル本国のナショナリズムは、こうした在外ユダヤ人のナショナリズムを利用して、国家の安全、民族の繁栄を図っている。これが本国連携型のナショナリズムである。現代のユダヤ人の多くが信奉しているのは、こうしたシオニズム的なナショナリズムである。
 イスラエル以外で最大のユダヤ人人口を持つアメリカは、イスラエルと連合を組み、その最大の擁護者・支持者となっている。アメリカのユダヤ人には、リベラルで民主党を支持する者や、保守的で共和党を支持する者等がいる。また様々な思想を持つ者がいる。だが、彼らの多くに共通しているのは、イスラエルの擁護・支持である。そして、大多数の在米ユダヤ人は、エスニックで宗教的なユダヤ人のナショナリズムを信奉している。そのナショナリズムが、政治的な主義・思想の違いを超えて、彼らの基盤にあるものである。
 ユダヤ人のナショナリズムには、世界戦略的な思考が貫かれている。ユダヤ思想の主流は、諸民族のナショナリズムを否定しながら、ユダヤ民族のナショナリズムのみは肯定するという自己民族中心主義である。そこから生まれてくる行為が、ユダヤ人におけるナショナリズムの強化と、他民族における脱ナショナリズムの促進である。この点については、個人が抱く思想の範囲を超え、ユダヤ人の世界戦略に関わるものなので、後に項目をあらためて書く。

 次回に続く。


■追記
 
 本項を含む拙稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm


ユダヤ138~多様性を増すリベラリズム
2017-12-15 10:59:25 | ユダヤ的価値観
●多様性を増すリベラリズム

 ナショナリズムに次いで、今日のユダヤ人が多く信奉しているのは、リベラリズム(自由主義)である。ユダヤ人は、古代において他民族の奴隷となり、隷従からの解放を切望した。ヨーロッパでは、長く差別と迫害の対象となり、圧迫からの自由を希求した。それゆえ、自由を求めるユダヤ人の思いは強い。
 リベラリズムは、自由を中心価値とする思想・運動である。17~18世紀のイギリスでロック、アダム=スミスらが自由主義の原理を説いた。この自由を一元的な価値とする古典的な自由主義に対し、19世紀にJ・S・ミルらが自由だけでなく平等に配慮する修正的な自由主義を説いた。今日、自由主義という時は、古典的自由主義と修正的自由主義の両方を含む。
 自由主義は、20世紀に厳しい試練を受けた。共産主義及びナチズムとの対決である。ユダヤ人はそれら二つの全体主義の体制のもとで迫害を受け、自由を渇望した。第2次世界大戦後、ナチズムは敗退した。自由主義は、残る共産主義との対決を続けた。それが米ソ冷戦である。
 冷戦下で最大級の地域紛争となったベトナム戦争は、自由主義と共産主義が激突した戦争だった。同時に、この戦争は、米ソや巨大国際金融資本の複雑な利害が絡み合っていた。長期化するに従い、米国民の間で、自由を理念として、遠隔の地で多大な犠牲を払って、泥沼の戦争を続けることに疑問が強まった。同じころ、黒人を中心に公民権運動が高揚し、人種差別に対する反対運動が広がった。また性別や文化的な違いによる差別に反対する運動も広がった。これらベトナム反戦運動、人種差別や性的・文化的な差別への反対運動等によって、建国以来の米国の自由の理念が根本的に問われるようになった。自由を中心価値とする旧来の自由主義への信頼が揺らぎ出した。
 そうした危機的な状況にあった1970年代の米国で、自由の理念を再度確立するとともに、自由と平等の均衡を図ろうとする試みが現れた。その先鞭をつけたのが、政治哲学者ジョン・ロールズである。ロールズは「公正としての正義」という正義論を提唱した。
 ロールズは、正義の原理を打ち出した。その最終形は、『公正としての正義 再説』に書かれたものである。それによると、第一原理は、「各人は、平等な基本的諸自由からなる十分適切な枠組みへの同一の侵すことのできない請求権を持っており、しかも、その枠組みは、諸自由からなる全員にとって同一の枠組と両立するものである」。第二原理は、「社会的・経済的不平等は、次の2つの条件を充たさねばならない。①社会的・経済的不平等が、機会の公正な平等という条件のもとで全員に開かれた職務と地位に伴うものであるということ。②社会的・経済的不平等が、社会のなかで最も不利な状況にある構成員にとって最大の利益となるということ」である。
 この正義の原理において、第一原理は第二原理に優先する。自由は自由のためにのみ制約されるとする付帯ルールもあり、基本的諸自由への平等な権利に優先的地位が与えられている。また、第二原理の中でも、①の公正な機会均等原理が②の格差是正原理に優先する。すなわち、“平等な自由原理>公正な機会均等原理>格差是正原理”という関係が成り立つ、とロールズは主張する。
 ロールズに対して、その理論を批判する思想家たちが現れた。彼よりも自由を重視する自由至上主義的な立場や、彼よりも平等を重視する平等主義的な立場からの批判である。前者の代表的存在がロバート・ノージック、後者の代表的存在がロナルド・ドゥオーキンである。ノージックはリバータリアンであり、今日のアメリカでは共和党のティーパーティに近い。ドゥオーキンは社会民主主義に接近しており、米国では極少数派である。
 ノージックについては、先に書いたが再度概要を書くと、ロシア系ユダヤ移民の子で、ロールズを古典的自由主義の立場から批判した。今日米国で「リベラル」と言えば、主に修正的自由主義を意味する。そこで、古典的自由主義者は、自らの自由主義が修正的自由主義と異なることを主張するため、リバータリアニズムを標榜する。リバータリアニズムは、個人の自由を至上の価値とする思想である。自由至上主義または絶対的自由主義と訳される。ノージックは、この思想を理論化した。
 著書『アナーキー・国家・ユートピア』で、ノージックは、すべての個人は、生命、自由及び財産の権利を侵害されることなく、侵害されれば処罰や賠償を求めることができる絶対的な基本的権利を持つとした。ノージックによると、道徳的に正当化できる国家(政府)は、暴力・盗み・詐欺からの保護、契約の履行の強制に限定される「最小国家」のみである。所得の再分配等の機能を果たそうとする「拡張国家」は、人々の権利を侵害するゆえに正当化されない。ノージックは、国家に必要なのは市場の中立性と矯正的・手続き的正義の確保であると説く。また取得と交換の正義が満たされている限り、どのようなものであっても、結果としての配分は正しいとした。ベンサム流の功利主義(最大幸福主義)やロールズの格差是正原理については、分配の結果を何らかの範型に当てはめようとするものであり、政府によるそうした押し付けは、個人の自由を侵害し、専制的な再分配を正当化するものであると批判した。

●消極的自由とリベラル・ナショナリズム

 リベラリズムは、多様化を続けている。それがユダヤ人にも広がっている。多様化の事例として、積極的自由と消極的自由及びリベラル・ナショナリズムを挙げたい。
 20世紀イギリスの政治哲学者アイザイア・バーリンは、バーリンは「消極的自由」の重要性を主張した。バーリンは、ラトビア生まれのユダヤ人である。イスラエルには帰化せず、主にイギリスで活動した。
 1969年に公刊した著書『自由論』で、バーリンは自らの見解を述べた。バーリンによると、「消極的自由」とは「~からの自由(freedom from ~)」であり、干渉・束縛からの自由を確保しようとするものである。一方、「積極的自由」とは「~への自由(freedom to ~)」であり、理想・目標に向かって権利を拡大していこうとするものである。バーリンは、積極的自由は理想や正義の実現を目指すが、それによって全体主義に転化しかねないとし、その弊害を恐れて、私的領域の不可侵性を守ろうとする消極的自由主義を唱えた。これは、ユダヤ人を迫害したナチズムとスターリニズムのような全体主義の再来を警戒したものである。バーリンはまた、ナショナル・アイデンティティのもとになる文化的ナショナリズムを提唱し、排他的・攻撃的なナショナリズムを批判した。その一方で、コスモポリタニズムをも批判した。それは、自らの拠り所であるユダヤ文化を保持・防衛するとともに、西方キリスト教的・近代合理主義的な普遍主義への異議を表したものだろう。
 バーリンはイスラエルを支持するシオニストである。だが、バーリンは、排他的・攻撃的なシオニストではなく、パレスチナとの平和共存を目指す運動を行うイスラエルのNGO「ピースナウ」に関わってきた。「ピースナウ」は、イスラエルというシオニスト国家を肯定してはいるが、イスラエル政府による入植政策には反対している団体である。バーリンがそのような団体に関わりつつ、パレスチナ人との平和共存を説く点は評価できよう。
 バーリンの弟子にリベラル・ナショナリズムを説くユダヤ人政治哲学者ヤエル・タミールがいる。タミールは、バーリンの思想を継承し、独自の政治理論を展開している。タミールは、次のように主張する。リベラリストは、所属・成員性・文化的な帰属の重要性とそれらに由来する道徳的義務の重要性を認めつつ、リベラリストであり続けることができる。また、ナショナリストは、個人の自立・自由・権利の尊さを認めつつ、ナショナリストであり、また国民内部と諸国民間における社会正義に関与し続けることができる、と。この主張は、ネイションの価値を再評価し、リベラリズムとナショナリズムの融合を説くものである。
 タミールはまた、ナショナリズムを踏まえた広域的な機構をつくる提案をしている。その提案におけるタミールの主張は、リベラル・ナショナリズムの枠組みを越え、ネイションの文化的・政治的な自治能力を保持し得るようなトランスナショナルな広域共同体を志向するものである。中東における共存共栄を模索するものだろう。こうした思想を説くタミールも、バーリンとともに、「ピースナウ」に関わっている。
 バーリン、タミールらの思想の賛同者は、イスラエルでは少数派である。バーリン、タミールは、穏健なシオニストだが、シオニストの主流は戦闘的かつ攻撃的な行動を取っている。しかし、中東において、諸民族の共存共栄を実現しようとするならば、ユダヤ人及びイスラエル国民は、バーリン、タミールの試みを評価し、批判的に継承する必要があるだろう。

 次回に続く。


ユダヤ139~コミュニタリアニズムとコスモポリタニズム
2017-12-17 08:48:26 | ユダヤ的価値観
●集団的自由主義としてのコミュニタリアニズム
 
 自由主義には、個人主義的な形態と集団主義的な形態がある。個人主義的形態とは、個人を単位とし、個人の自由と権利の確保・実現を目的とするものである。集団主義的形態とは個人の自由を尊重しつつ家族・地域・民族・国民等の共同性を重視し、集団の維持・発展を目的とするものである。ロールズの正義論は個人主義的な自由主義に基づいているが、これに対し、集団主義的自由主義の立場から共同体を重視するコミュニタリアニズム(共同体主義)による批判が出された。また、ロールズが国内社会における正義と国際社会における正義を区別したのに対し、世界市民的な思想を持つコスモポリタリアニズム(世界市民主義)からの批判が出された。これらの主張について、次に述べたい。
 コミュニタリアニズムは、1980年代に、ロールズ、ノージック、ドゥオーキンらを批判する思想として出現した。コニュニタリアニズムは、コミュニティ(共同体)を重視する思想である。コミュニタリアン(共同体主義者)は、近代西洋文明で主流となった自由主義に、根本的な疑問を呈する。私的な善を公的な善より優先し、政府に価値中立であることを求める思想の問題点を抉り出し、共同体の復権と自律的・自覚的な主体による共同社会の建設を説く。
 コミュニタリアニズムは、現代のさまざまな社会的病理現象が、彼らのとらえるところの自由主義に起因するとする。社会的病理現象とは、共同体の崩壊であり、それに伴って人間関係が希薄となり、人間の主体性が失われていることである。自由主義は、個人単位の考え方によって、家庭や社会に深刻な事態を招いている。例えば、個人の幸福追求の結果として離婚が増加し、社会福祉への依存によって家族ヘの責任感が弱まっている。それによって、夫婦・親子の関係が不安定になり、家庭の崩壊が進んでいる。また個人の自由や福祉が重視されるあまり、社会のさまざまな集団で人々の結びつきが弱くなり、道徳意識の低下や政治的な無力感が社会全体に広がっている。
 コミュニタリアンは、自由主義がこうした社会病理を生み出したのは、個人主義的な自己観念にあると指摘する。自由主義は、個人は社会関係から離れて、それ自身として自分自身の所有者であり、自分自身の意志にしたがって善を選択し生きていくものと考える。それゆえ、個人は他者との関係や相互の承認とは無関係に、社会になんら責任や義務を負うことなく、権利を持つものとした。彼らによれば、近代的自己は、社会関係から切り離され、自己の意思決定だけを拠り所とする「内容を欠いた空虚な自己」である。これに対し、コミュニタリアンは、「共同体の中にある自己」という別の自己認識を対置する。
 コミュニタリアンによれば、近代西洋哲学は感情主義か主観主義に陥っている。価値の選択を個人の感情や主観に委ねている。価値相対主義が支配的な現代社会では、道徳も政治も個人の選好の問題へと矮小化されてしまう。コミュニタリアンは、個人の主体性の確立が重要だと主張する。自分が生まれ、育ち、あるいは参加する共同体の中で自己のアイデンティティは形成され、個人は真に道徳的・政治的主体性を確立することができる、と説く。
 コミュニタリアンの論者の一人、マイケル・サンデルは、ユダヤ人との説がある。サンデルは、リベラリズムの自己観を「負荷なき自己(unencumbered self)」と呼んで斥け、人間の本質を「位置づけられた自己」ととらえる。サンデルは、「連帯の義務」を説き、家族や民族における連帯を義務として肯定する。彼は親イスラエルの姿勢を表しており、アメリカ・ヨーロッパ等のユダヤ人に強い影響を与えている。
 サンデルは、1980年代前半、エチオピアで飢饉が起こった時、イスラエルがエチオピアのユダヤ人を救出してイスラエルに搬送した行動は適切だったか、と問う。「連帯と帰属の責務を受け入れるならば答えは明らかだ」とサンデルは言う。「イスラエルはエチオピアのユダヤ人の救出に特別の責任を負っており、その責任は難民全般を助ける義務(それはほかのすべての国家の義務でもある)よりも大きい。あらゆる国家には人権を尊重する義務があり、どこであろうと飢餓や迫害や強制退去に苦しむ人がいれば、それぞれの力量に応じた援助が求められる。これはカント流の論拠によって正当化され得る普遍的義務であり、われわれが人として、同じ人類として他者に対して負う義務である。いま答えを出そうとしている問いは、国家には国民の面倒を見る特別な責任がさらにあるかどうかである」と述べる。そして、国家には、無差別的に人権を尊重する普遍的な義務とは別に、自国の国民の面倒を見る特別な責任がある、と主張している。そのうえで、「愛国心に道徳的根拠があると考え、同胞の福祉に特別の責任があると考えるなら、第三のカテゴリーの責務を受け入れなければならない。すなわち、合意という行為に帰することのできない連帯あるいは成員の責務である」と説いている。
 私見を述べると、コミュニタリアニズムの自由主義批判は、自由主義の個人主義的形態を批判するものであって、コミュニタリアニズムは近代西洋文明の自由の価値を否定しているのではなく、それ自体は自由主義の一種である。コミュニタリアン(共同体主義的)な自由主義である。集団主義的自由主義の立場から、個人主義的自由主義を批判するものである。コミュニタリアニズムは、ネイションを共同体とすればナショナリズムに、エスニック・グループを共同体とすればエスニシズムに通じる。ナショナリズムとエスニシズムは、全体主義的な形態があり得る。これに対し、コミュニタリアニズムは、共同体に所属する個人の自由を尊重するから、自由主義的なナショナリズムやエスニシズムの基礎的な理論となり得るものである。

●非ユダヤ民族の脱ナショナリズムを推進するコスモポリタニズム

 次に、ユダヤ人には、少数ながらコスモポリタニズムを信奉する者もいる。コスモポリタニズムとは、古代ギリシャ、ローマに現れた世界市民主義である。近代政治学ではこの用語はほとんど使われていなかったが、1990年代にグローバリゼイションの進行の中で、新たなコスモポリタニズムが登場した。ナショナリズム、エスニシズム、コミュニタリアニズムは、歴史的・宗教的・文化的な共同体に価値を置く思想だが、コスモポリタニズムは、これらと対極にある思想である。
 代表的なコスモポリタンの一人、トマス・ポッゲは、現代のコスモポリタニズムは、三つの要素を共有しているという。個人主義、普遍性、一般性である。ポッゲは、個人主義については、「私たちが関心を向ける究極の単位は人間や人格であって、家族的、部族的、民族的、文化的あるいは宗教的共同体や国民国家ではない。これらの共同体は間接的に、つまり個々人がその構成員または市民であるという点でのみ関心の対象となるだろう」と言う。普遍性については、「個々人が関心の究極の単位であるという地位は全ての生存する人間に平等に与えられる」と言う。一般性については、「この特別な地位はグローバルな力を持っている。個々の人格は、自らの同胞や同じ信徒にとってだけでなく、全員にとっての関心の究極の単位なのである」と言う。(『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか』)
 個人主義、普遍性、一般性という三つの要素を共有する現代のコスモポリタニズムは、個々の人間を価値単位とし、すべて人間は平等な価値を持ち、それは国家・地域等を越えて普遍的であるとする。
 コスモポリタニズムの代表的な論者の一人に、マーサ・ヌスバウムがいる。ヌスバウムはアメリカ人の倫理学者だが、ヌスバウムという姓は、ユダヤ人である夫の姓を名乗るものである。
ヌスバウムは、ロールズの正義論をグローバルに拡張する。著書『正義のフロンティア』で、ヌスバウムは、社会正義の「三つの未解決の問題」を取り上げる。第一に「身体的精神的障害をもった人々に正義を行うという問題」、第二に「正義をすべての世界市民に拡大するという緊急の問題」、第三に「動物をわれわれ以下に取り扱うかということに含まれる正義の問題」である。ヌスバウムは、これらの問題はロールズによって解決されていないものであり、これらへの取り組みは正義論のフロンティアを開拓する試みだとしている。
 コスモポリタニズムは、近代西欧的な個人主義的自由主義を徹底し、ネイションの本質的な価値を否定し、国民国家を単位とする国際社会を認めないことを特徴とする。コスモポリタニズムは、人類は皆同じという普遍主義の思想である。普遍主義は、人類の中にある特殊性を否定するか、軽視する。個人間・民族間・文化間の差異性より、相同性を強調する。これは一面において啓蒙主義的なユダヤ思想に似ている。だが、ユダヤ思想の主流は、諸民族のナショナリズムを否定しながら、ユダヤ民族のナショナリズムのみは肯定するという自己民族中心主義である。コスモポリタニズムは、シオニズムを含むすべてのナショナリズムを否定する点が、これと異なる。それゆえ、ユダヤ民族の中にコスモポリタニズムが浸透することは、ユダヤ人のナショナリズムを弱めるものとなる。しかし、ユダヤ人以外の民族にコスモポリタニズムを広げれば、それら民族のナショナリズムを弱めることができる。そのことは、ユダヤ民族のナショナリズムを強化し、他民族の脱ナショナリズムを推進するためには、有益である。

 以上、今日のユダヤ人が抱く諸思想のうち、ナショナリズム、リベラリズム、コミュニタリアニズム、コスモポリタニズムについて概述した。再度強調しておきたいのは、思想の多様性を超えて、今日のユダヤ人の多数が抱いているのは、ユダヤ人のエスニックで宗教的なナショナリズムであるということである。次に、21世紀の現在、これらの思想に分類できない個性的な主張をして世界的に注目を集めているユダヤ人の論者について記したい。

 次回に続く。


ユダヤ140~トッドは家族制度と人口統計から人類の未来を予測
2017-12-19 06:36:26 | ユダヤ的価値観
●トッドは家族制度と人口統計から人類の未来を予測

 21世紀の現在、個性的な主張をして世界的に注目を集めているユダヤ人の論者に、エマヌエル・トッドとジャック・アタリがいる。先に第4章で、ユダヤ人の活躍を除くと19世紀末からのフランスの文化的栄光はなかば以上が失われるほどであり、フランス的知性とはフランス=ユダヤ的な知性と言っても過言ではないだろう、と書いた。その際、トッドとアタリについては留保しておいた。彼らは、ともに今日世界的に評価されているユダヤ系のフランス人である。
 エマニュエル・トッドは、1951年生まれの人口学者・歴史学者・家族人類学者であり、現代世界で屈指の知の巨人である。家族は改宗ユダヤ人であり、トッド自身はユダヤ教育を受けていないという。だが、トッドは、ユダヤ人としての民族意識を持つ非ユダヤ教的ユダヤ人である。
 トッドの名が世界に知られたのは、1976年(昭和51年)に発表した『最後の転落』で、「10年から30年のうちにソ連は崩壊する」と予測し、それを的中させたことによる。この極めて早い時期に出されたソ連崩壊の予測は、トッドが専門とする家族制度と人口統計の研究に基づくものだった。
 トッドは、世界各地の家族制度を研究し、婚姻や遺産相続のあり方等によって、八つの家族型に分類した。そのうちヨーロッパには、絶対核家族、平等主義核家族、直系家族、外婚制共同体家族の四つの類型が存在すると指摘する。家族型の違いは、価値観の違いを生み出す。その価値観は、親子関係により自由主義的であるか権威主義的であるか、兄弟関係により平等主義的であるか不平等主義的であるか、外婚・内婚により集団が外に開かれることを好むか嫌うかで異なる。近代化の過程で現れた西欧の様々な社会思想は、その思想が生まれた社会の家族制度と関係している、とトッドは主張する。
 2002年(平成12年)、トッドは世界にその名を知られることになる著書を出した。それが、『帝国以後 アメリカ・システムの崩壊』である。当時、アメリカは、ソ連崩壊後の唯一の超大国として、比類ない軍事力を誇っていた。しかし、トッドは「アメリカ帝国は2050年前後までに解体する」という大胆な予測を公表した。同書はフランスやドイツでベストセラーとなった。翌年には、わが国でも邦訳が出て、論議を呼んだ。 
 トッドは、本書で、世界史を進展させる真の要因は、識字化と出生調節の普及であり、これらは「人類普遍の要素と考えられる」と言う。伝統的な社会は、「読み書きを知らず、出生率と死亡率の高い、均衡の取れた慣習通りの日常生活」を送っている社会である。こうした社会が識字化され、識字率がある水準に達すると、近代化が始まる。これは、平穏で幸せな伝統的社会との訣別である。また、この時、親の世代との断絶が起こる。伝統的社会が近代的社会に変化していく時期を、トッドは「移行期」と呼ぶ。 トッドは、移行期における人々の心理的な当惑や苦悩を強調する。それが近代におけるイギリス、フランス、ロシア等における革命の要因と見る。
 トッドは、イスラーム・アラブ諸国の闘争性やイスラーム・テロリストの暴力性は、イスラーム教の教えによるのではなく、イスラーム教諸国が近代化の過程における「移行期の危機」にあるからだと言う。今日、それらの諸国は、英仏の市民革命、日本の明治維新、ロシア革命の時期と同じような人口学的危機に達しつつあるとトッドは指摘する。そして、トッドは、イスラーム教原理主義を「移行期の危機」におけるイデオロギーと解釈する。そして、次のように言う。「アラーの名において行なわれるジハード(註 聖戦)は、移行期の危機を体現しているのである。暴力、宗教的熱狂は、一時的なものにすぎない」と。トッドは、この局面が終わると、危機は鎮静化すると見ている。
 トッドは、国際政治学者サミュエル・P・ハンチントンが名著『文明の衝突』で説いた「文明の衝突」説を批判して、文明は衝突せず、接近すると予測する。『帝国以後』の5年後、トッドは、イスラーム教圏の人口動態の研究者ユセフ・クルバージュとともに、『文明の接近――「イスラームVS西洋」の虚構』を出版した。そこで、トッドは「イスラーム教圏は現在、人口学的・文化的・心性的革命に突入しているが、その革命こそ、かつて今日の最先端地域の発展を可能にしたものに他ならない。イスラーム教圏もそれなりに、世界史の集合点に向かって歩みを続けている」と書いている。

 次回に続く。


ユダヤ141~トッドは人類の未来を予測(続き)
2017-12-21 09:31:55 | ユダヤ的価値観
●トッドは家族制度と人口統計から人類の未来を予測(続き)

 私がトッドの主張で最も注目するのは、21世紀半ばに人類の人口は均衡に向かい、世界は政治的に安定し、平和になっていくと予測していることである。人口の維持には、合計特殊出生率が最低2.08必要である。世界の出生率の平均は、その数値に近づいている。『帝国以後』で、トッドは「おそらく2050年には、世界の人口が安定化し、世界は均衡状態に入ることが予想できる」と述べている。人口の均衡化とともに、トッドが予想するのは、世界の政治的な安定化である。
 「識字化と出生率の低下という二つの全世界的現象が、デモクラシーの全世界への浸透を可能にする」「識字化によって自覚的で平等なものとなった個人は、権威主義的な方式で際限なく統治されることはできなくなる」「多くの政治体制が自由主義的民主主義のほうへと向かっていく」「識字化され、人口安定の状態に達した世界が、ちょうどヨーロッパの近年の歴史を地球全体に拡大するかのように、基本的に平和への傾向を持つであろう」「平静な諸国が己の精神的・物質的発展に没頭するであろう」とトッドは述べている。
 ところで、トッドは、ヨーロッパ統合には懐疑的であり、懐疑的反対論者と言うことができる。その主張は、家族人類学、文化人類学、人口学、歴史学、心理学、国際関係論等にまたがる類まれな学識に基づいている。トッドはヨーロッパ統合に反対する理由を五つ挙げる。各国の社会構造・精神構造の違い、言語の問題、国家・国民(ナシオン)の自律性、人口動態の違い、移民に対する態度の違いである。
 トッドは、ヨーロッパ統合に反対するだけでなく、単一通貨にも一貫して反対している。ヨーロッパの近代化は、農村共同体やギルド等、国家と個人の間の中間的共同体を解体しながら進展した。都市化・工業化がそれである。共同体が崩壊すると、それまで共同体によって守られてきた個人は、バラバラの個人になる。単一通貨は、残存していた中間的共同体の意識を崩壊させ、とりわけ国民共同体の意識を崩壊させる。その結果、帰属意識を失った個人を無力感に陥れる、としてトッドは単一通貨に反対する。
 トッドは、自らの出自であるユダヤ人の歴史と運命について、強い関心を持っている。ユダヤ人は、ヨーロッパで最大の移民である。1994年(平成6年)に出した『移民の運命』でトッドは、ヨーロッパにおけるユダヤ人の歴史と各国における対応の違い、またユダヤ人以外の世界の移民の問題について、詳細な研究をしている。その概要については、拙稿「トッドの移民論と日本の移民問題」を参照願いたい。
 トッドは、グローバリゼイションを根底的に批判している。『移民の運命』の4年後に出した『経済幻想』で、グローバリゼイションは「合理性と効率性の原理」であり、「社会的なもの、宗教的なもの、民族的なもの」を壊し、「個別的具体性を消し去り」「歴史から地域性を剥奪する」と述べる。トッドによれば、グローバリゼイションは、アメリカが主導してアングロ・サクソン的な価値観を世界に広める動きである。絶対核家族に基づく個人主義的資本主義の制度・習慣をグローバル・スタンダードとする動きとも言える。
 トッドは、アングロ・サクソン的な資本主義という範囲で、グローバリゼイションを批判し、ユダヤ的価値観を直接的に批判しない。しかし、私の見るところ、アングロ・サクソン的価値観は19世紀からユダヤ的価値観と深く融合しており、アングロ・サクソン=ユダヤ的価値観ととらえることができる。その価値観の表われの典型が、新自由主義・市場原理主義である。
 トッドは、「資本主義は、有効需要の拡大を保護するために、強く積極的な国民国家が介入することを必要としている」とし、グローバリゼイションに対抗するために、国民国家の役割を強調する。こうしたトッドが、現代の世界で強く期待を寄せているのが、わが国・日本である。トッドは次のように語る。「日本は、人類学上の理由から、アングロ・サクソン・モデルとは極めて異なった資本主義の調整されたモデルを示している」。異なったモデルとは直系家族型資本主義のことである。トッドは続ける。「主義主張の面では、現在、沈黙を守っている日本は、アングロ・サクソン世界への対抗軸を代表しうるし、すべきであろう。すなわち、国民国家による調整という考え方の、信頼できる積極的な擁護者となれる」と。トッドはまた次のように言う。「フランスやヨーロッパにとっては、日本がイデオロギー面でもっと積極的になることが必要なのである」「世界第二の経済大国が、イデオロギー的にも政治的にも十分な役割を果たさないような世界は、不安定な世界になるしかない」と。
 トッドのいう「アングロ・サクソン世界への対抗軸」は、アングロ・サクソン=ユダヤ的世界への対抗軸というべきところである。より明確に言うと、アングロ・サクソン=アメリカ=ユダヤ的世界への対抗軸である。トッドが期待する日本の役割については、私見を第6章に書く。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「家族・国家・人口と人類の将来~エマニュエル・トッド」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09h.htm
・拙稿「トッドの移民論と日本の移民問題」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09i.htm


ユダヤ142~アタリは超民主主義に向かう21世紀の歴史を描く
2017-12-23 08:52:50 | ユダヤ的価値観
●アタリは超民主主義に向かう21世紀の歴史を描く

 次に、もう一人、世界的に注目されているユダヤ系フランス人、ジャック・アタリについて書く。
 アタリは、1943年アルジェリア生まれの経済学者である。現代ヨーロッパを代表する知性の一人とされる。トッドがグローバリゼイションを批判するのに対し、アタリは逆にグローバリゼイションを推進する側の頭脳である。
 フランスは今日、欧州連合(EU)においてドイツとともに二大主要国となっている。アタリはそのフランスにあって、社会主義者フランソワ・ミッテランの政権で大統領特別補佐官を務めた。ユダヤ人で新自由主義者のニコラ・サルコジの政権に替わると、ここでも21世紀に向けてフランスを変革するための政策提言を行った「アタリ政策委員会」の委員長を務めた。社会主義者にも新自由主義者にも重用されるということは、アタリが類まれな優秀さを持つことを示す。また、同時に、政治家の背後にいる所有者集団に評価されていると考えられる。
 アタリは、2006年に『21世紀の歴史』を刊行した。歴史と言っても、21世紀の数十年間の未来を予測して書いた本である。本書は、21世紀初頭の世界を次のように概説する。「現状はいたってシンプルである。つまり、市場の力が世界を覆っている。マネーの威力が強まったことは、個人主義が勝利した究極の証であり、これは近代史における激変の核心部分でもある。すなわち、さらなる金銭欲の台頭、金銭の否定、金銭の支配が、歴史を揺り動かしてきたのである。行き着く先は、国家も含め、障害となるすべてのものに対して、マネーで決着をつけることになる」と。
 アタリは、こうした現状認識を以て、50年先の未来を予測する。アメリカ帝国の世界支配は、2035年よりも前に終焉するだろう。次に、超帝国(hyperempire)、超紛争(hyperconflict)、超民主主義(hyperdemocratie)という三つの未来の波が次々と押し寄せてくるという。
 超帝国とは、すべてマネーで決着がつく、究極の市場主義が支配する世界であり、民主主義は雲散霧消し、国家権力は骨抜きとなり、稼いだ者が勝ちという社会である。超紛争とは、国境をまたいで跋扈する様々な暴力集団による破壊的衝突による混沌とした泥沼の紛争である。これらの二つの波は、人類に破滅的被害をもたらす。
 だが、これらの波と同時に超民主主義が高揚する。アタリは、次のように述べる。「2060年ごろ、いや、もっと早い時期に、少なくとも大量の爆弾が炸裂して人類が消滅する以前に、人類は、アメリカ帝国にも、超帝国にも、超紛争にも我慢ならなくなるであろう。そこで、新たな勢力となる愛他主義者、ユニバーサリズムの信者が世界的な力を持ち始めるであろう」「そして、地球レベルで市場と民主主義との間に新たなバランスを次第に見出す」。これが、超民主主義である。「新たなテクノロジーの貢献もあり、世界的・大陸的な制度・機構が、共同体としての生活をまとめ上げていく」。「これらの制度・機構は、無償のサービス、社会的責任、知る権利を推進し、全人類の創造性を結集させ、これを凌駕する世界的インテリジェンスを生み出すだろう。いわゆる利潤追求をすることなしにサービスを生み出す、調和を重視した新たな経済が市場と競合する形で発展していく」。「市場と民主主義は、いずれ過去のコンセプトとなるであろう」とアタリは予測する。
 アタリの描く超民主主義とは、市場民主主義をベースとした利他愛に基づく人類の新たな境地であり、利潤追求自体に大きな意味はなくなり、人類全員があたかも家族のように、他者の幸せが自分の幸せと感じられる社会だとされる。そこにおける新たな経済は、「人類の幸福を中心に据えた、新たな豊かさの実現を目指す経済」であり、企業活動の究極目的は「利潤追求ではなく、社会の調和」になるという。
 アタリは、21世紀のこれからの数十年において、ノマド(nomade)が活躍すると予測する。ノマドとは遊牧民であり、流浪者である。アタリは、人類は1万年ほど前にメソポタミアの地で定住民となったが、21世紀に再びノマドとなる者が増えるとする。ノマドには、3種類ある。生き延びるために移動を強いられる「下層ノマド」(inflanomade)、下層ノマドになることを恐れてヴァーチャルな世界に浸る「ヴァ―チャル・ノマド」、エリートビジネスマン・学者・芸術家・クリエーターなどの「超ノマド」(hypernomade)である。これらのうち、超ノマドが超帝国を管理していくようになるという。
 私見を述べると、アタリのノマドは、歴史的には国境を越えて離散・移動しつつ各地で優れた能力を発揮してきたユダヤ人と重なり合う概念である。現代世界では、地域紛争や民族迫害、環境破壊等による移民が欧米で増えている。またグローバリゼイションの進展の中で、国境を越えて能力を発揮できる場所を求める人間の移動も活発になっている。いわば、非ユダヤ人のユダヤ人化である。そして、超ノマドには、国際的に活動するユダヤ人、及び彼らと同様にユダヤ人的な思想を持って行動をする非ユダヤ人が推定される。
 注意すべきは、アタリは、優秀な超ノマドが管理し、究極の市場主義が支配する超帝国を良しとしていないことである。それは、超紛争とともに破滅的被害を人類にもたらすものだという。そして、アタリは、超民主主義の高揚に期待を寄せ、その担い手は、「愛他主義者、ユニバーサリズムの信者」だという。愛他主義は利己心より利他心を優先する考え方であり、ユニバーサリズムは普遍主義であり、コスモポリタニズムの一種だろう。だが、アタリにおいて「愛他主義者、ユニバーサリズムの信者」と超ノマドとの関係は、はっきりしない。前者は後者の一部なのか、それとも異質なものなのか。前者はどのようにして、超帝国と超紛争の破滅的被害の広がる中から出現して増加し、人類全員があたかも家族のように他者の幸せが自分の幸せと感じられる社会へと世界を導いていくのか。これらについて、アタリは具体的に書いていない。また、アタリには、人間には自己実現や自己超越の欲求が内在するという見方や、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教を含む従来宗教が内部から変化していく展望はなく、人類の精神的・道徳的な向上をもたらす指導原理や推進力の考察もない。ただ未来の断片的なイメージを投影して見せるだけである。
 アタリは『21世紀の歴史』の後に書いた『金融危機後の世界』や『国家債務危機――ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか』等では、世界各国が抱える危険な水準の債務問題を解決するには地球中央銀行や世界財務機関の設立しかないと主張している。その点で、アタリは、欧州統合運動の基礎にある世界政府樹立を目指す巨大国際金融資本の思想を代弁していると考えられる。そして、アタリ自身は、愛他主義やユニバーサリズムの先駆者ではなく、超民主主義という理想社会のイメージを提供しつつ、ヨーロッパと世界を超帝国へと導き、その管理を担う超ノマドの育成者と見るのが妥当だろう。

 次回に続く。


ユダヤ143~ユダヤ的価値観の超克のためになすべきこと
2017-12-25 11:09:01 | ユダヤ的価値観
 拙稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」は、最終章に入る。本章では、これまでの記述を踏まえて、ユダヤ的価値観をいかに超克するか、またいかにして新しい地球文明を創造するかという本稿全体の主題について述べたい。
 予め要旨を書くと、人類が現在世界を覆っている近代西洋文明の弊害を解決するには、ユダヤ的価値観の超克が必要である。それには、ユダヤ的価値観を普及させてきた資本主義を人類全体を益するものに転換し、またグローバリズムから諸国・諸民族が共存共栄できるものへと指導原理を転換しなければならない。ユダヤ的価値観は、根本的にはユダヤ教の教義に基づくものゆえ、ユダヤ教内部からの改革が期待される。改革のためには、非セム系一神教文明群の側から改革を促進することが必要である。特に日本文明には、重要な役割がある。また、これに加えて、人類は唯物論的人間観を脱却し、心霊論的人間観を確立しなければならない。そして、精神的・道徳的な向上を促す宇宙的な力を受け入れて、核戦争と地球環境破壊による自滅の危機を乗り越え、物心調和・共存共栄の新文明を建設すべき時に、人類は直面している。

(1)超克のためになすべきこと

●新しい文明への転換を目指す

 まず、ユダヤ的価値観の超克のために、為すべきことを挙げたい。(1)新しい文明への転換を目指す、(2)資本主義を改革する、(3)グローバリズムを克服する、(4)ナショナリズムを保持する、(5)ユダヤ教の二面性に対処する、(6)アメリカ=イスラエル連合に方向転換を促すーーこれらの6点である。これらについて書いた後、さらに掘り下げて、宗教・文明・人間観に関して述べていきたい。
 ユダヤ的価値観の超克のために、第1に為すべきことは、新しい文明への転換を目指すことである。現代世界を覆っている西洋近代文明は、西欧発の文明である。ヨーロッパ文明は、ギリシャ=ローマ文明、ユダヤ=キリスト教、ゲルマン民族の文化を三大文化要素としている。それらの要素を持つヨーロッパ文明で、15世紀から近代化すなわち生活全般の合理化が進んだ。近代化は、文化的・社会的・政治的・経済的の4つの領域で、それぞれ進展した。ヨーロッパ文明は、17世紀から北米にも広がった。そこで、私は欧米にまたがる西欧発の文明を、近代西洋文明と呼んでいる。近代西洋文明は世界各地に伝播し続け、各地の諸文明を、あたかもその周辺文明のようにしてきた。
 近代西洋文明は、ルネサンス、地理上の発見、宗教改革、市民革命、科学革命、産業革命、情報通信革命等を通じて、さまざまな思想・運動・理論・制度を生み出した。今日世界に広がっている自由主義、デモクラシー、個人主義、主権、国民国家、ナショナリズム、人権、法治主義、資本主義、社会主義、功利主義(最大幸福主義)、物心二元論、機械論、実験科学等は、近代西洋文明において発生・発達したものである。
 近代西洋文明は、人類に飛躍的な進歩をもたらした。だが、その半面で多くの弊害をもたらした。生活全般の合理化によって、文化・社会・政治・経済に起こった大きな変化は、深刻な問題を生み出した。家族・地域・民族・国家等の共同体が解体され、社会はバラバラの個人の集合となっている。伝統・慣習は否定され、人々は確かな拠り所を失った。国際社会は一個の市場へと変貌し、すべての価値は市場における貨幣価値によって量られる。母なる自然は支配・管理を行う対象となった。
 そうした近代西洋文明の弊害の最たるものは、人類を絶滅しかねない核兵器の開発であり、また文明の土台を危うくする地球環境の破壊である。現代の人類は、世界平和の実現と地球環境の保全を、生存と繁栄に不可欠な二大課題としている。これら二大課題を解決するには、これまで数百年間にわたって、人類を支配してきた近代西洋文明から新しい文明への転換が必要である。その転換のために、本稿が注目するのは、西洋文明の宗教的な中核となっているユダヤ=キリスト教である。とりわけ西方キリスト教文化に溶け込んでいるユダヤ的価値観に焦点を合わせ、それを超克することを本稿の課題としている。
 ユダヤ的価値観の超克なくして、人類は新しい文明に転換することができない。すなわち、物質面と精神面のバランスが取れ、互いに共存共栄でき、また自然と調和できる物心調和・共存共栄の新文明を地球に建設することは、ユダヤ的価値観の超克なくしては、実現できないと考える。

●資本主義を改革する

 第二に為すべきことは、資本主義の改革である。
 ユダヤ的価値観は、物質中心・金銭中心の考え方、自己中心的な態度、対立・闘争の論理、自然の管理・支配の思想である。この価値観は、ユダヤ教の教義に基づいて発達した価値観である。
 ユダヤ教は、富の獲得をよしとし、そのために経済的合理化を推進する。ユダヤ教に基づくユダヤ的価値観は、資本主義の発達とともに、西方キリスト教社会で受け入れられていった。ユダヤ教は、物質中心で拝金主義的な考え方を助長した。その考え方は、自己中心的な態度を取り、対立・闘争の論理を用いる。また、自然を征服・支配し、自然を物質として利用し、金銭的な利益を上げるという考え方でもある。
 ユダヤ人は、近代化するヨーロッパで、経済的な活動の場を求めて移住を繰り返した。14~15世紀にはイタリア諸都市やスペイン、ポルトガルで、17世紀にはオランダのアムステルダムで、17世後半からはイギリスのロンドンで、ユダヤ人は移住するたびに新しい場所で才能を発揮した。ヨーロッパ経済また資本主義システムのその時々の中心地で、ユダヤ人は活躍した。北米、ドイツ等でも移住したユダヤ人が活躍した。20世紀以降、今日まで世界で最も繁栄しているアメリカ合衆国は、イスラエル以外では世界最大のユダヤ人人口を有する国家となっている。また、ユダヤ民族が古代から継承し続けたユダヤ文化は、17世紀後半からイギリスでアングロ・サクソン文化と融合して、アングロ・サクソン=ユダヤ文化となった。18世紀末からアメリカでさらにアメリカ文化と融合して、アメリカ=ユダヤ文化へと発達した。その文化的融合において、ユダヤ的価値観が英米社会に浸透し、さらに近代西洋文明全体に伝播した。そして近代西洋文明の世界化によって、非西洋諸文明にも広がった。その影響は大きく、物質中心・金銭中心の考え方、自己中心的な態度、対立・闘争の論理、自然の管理・支配の思想が、21世紀の世界で優勢になっている。
 資本主義は、ユダヤ的価値観を重要な要素とする近代西洋文明が生み出した社会経済体制である。その最先端にあるのが、情報科学と結びついた金融資本主義である。ユダヤ的価値観は、情報金融資本主義に最も色濃く表れている。それが生み出した体制を改革しないと、人類は欲望の増大によって争い合い、地球を食い荒らし、遂には自滅に至るだろう。
 資本主義を改革する方法は、資本主義を全く否定することからは生まれない。資本主義は合理的かつ組織的な生産を実現し、人類の生活を豊かにした。その合理的かつ組織的な生産様式を維持しつつ、現在の経済活動を利己的・搾取的ではなく、人類全体を益するものにする仕組みに改善することが必要である。
 資本主義が発達する社会は、自由を中心価値とする。所有・契約・移動等の自由が保障されるところに、活発な経済活動が行われる。しかし、自由を中心価値とする社会は、競争の激化と格差の拡大を生む。そこで、社会的な正義を保つためには、自由を中心としつつ、平等を重視する理念とそれを実現するための政策が必要である。そうした政策を一国内だけでなく、世界規模で実施するところに、人類全体の利益を増進する仕組みが作られるだろう。
 そのような仕組みを作るためには、物質的な発展・繁栄だけを追及する価値観ではなく、人間が精神的に成長・向上し、互いに共存共栄し、また自然と調和することを追及する精神文化が興隆しなければならない。この課題において、重要なのが、グローバリズムの克服である。

 次回に続く。


ユダヤ144~グローバリズムを克服、ナショナリズムを保持
2017-12-27 08:51:14 | ユダヤ的価値観
●グローバリズムを克服する

 第三に為すべきことは、グローバリズムの克服である。グローバリズムについては、前章までに何度か書いたが、グローバリズムはグローバリゼイションを戦略的に進める思想であり、ユダヤ的価値観を世界的に普及させようとする思想である。地球規模の単一市場・統一政府を目指すものであり、地球統一主義または地球覇権主義である。私は、グローバリズムは近代西洋文明が生み出した思想の典型であり、またその頂点だと考える。
 1990年代から、21世紀にかけて、世界的にグローバリゼイションが急速に進んでいる。グローバリゼイションは、国境を越えた交通・貿易・通信が発達し、人・もの・カネ・情報の移動・流通が全地球的な規模で行われるようになる現象である。これに伴い、技術・金融・法制度等の世界標準が形成されつつある。グローバリゼイションは、アメリカ主導で進められ、アメリカの標準を世界の標準として普及する動きとなった。この動きは、アメリカの国益を追求する手段として推進された。またアメリカの伝統・習慣・言語・制度等を他国に押し付けるアメリカナイゼイションの拡張ともなった。今日のアメリカ文化は、イギリスで発達したアングロ・サクソン=ユダヤ的な文化がアメリカでさらに独自性を加えて発達したアメリカ=ユダヤ文化である。その核心には、ユダヤ的価値観がある。それゆえ、グローバリゼイションは、アメリカを通じてユダヤ的価値観が世界的に普及していく現象ともなっている。
 このグローバリゼイションを戦略的に進める思想が、グローバリズムである。20世紀前半から、欧米の所有者集団は、彼らに仕える経営者集団を使って、資本の論理によって国家の論理を超え、全世界で単一政府、単一市場、単一銀行、単一通貨を実現する思想を発展させてきた。その思想が、グローバリズムのもとになっている。
 グローバリズムが出現する前、近現代の世界では、ナショナリズムとインターナショナリズムの戦いが繰り広げられてきた。具体的には、国家と市場、国民と階級の戦いである。インターナショナリズムには、主に市場中心の資本主義と、国家(政府)の否定を目指す共産主義がある。国家否定的共産主義のインターナショナショナリズムは、共産主義の内部矛盾によって大きく後退した。一方、冷戦終焉後、市場中心的資本主義のインターナショナリズムは隆盛し、地球規模のものになった。これがグローバリズムである。
 グローバリズムは、経済的には、世界資本主義の思想である。巨大国際金融資本が主体となって、国民国家の枠組みを壊して広域市場を作り出し、最大限の経済的利益を追求するために、経済的合理主義を地球規模で実現しようとする思想である。諸文明・諸民族が持つ伝統的な商慣習や文化的秩序は、グローバルな経済活動の障害になるとして、廃止させようとする。
 元ウクライナ大使の馬淵睦夫は、外交官としての実務経験をもとに、グローバリズムについて独自の考察を行っている。著書『国難の正体』で、馬淵は「グローバリズムという発想は、歴史的に見ればユダヤ的思考が果たした役割が大きいと思われる」とし、ユダヤ人は国民・国家を超えて「世界全体を単一市場」とすることを目指していると書いている。
 馬淵によれば「グローバル化した市場はマネーの価値のみで動くから、マネーを支配する者が市場を支配する」。それによって、「国家を支配し、世界を支配する」。「マネーの完全支配を目指す国際銀行家たちは、論理の必然として全世界を支配することが彼らの最終目標となる」「国際銀行家たちの仕事に内在している論理が世界制覇、世界政府の樹立という結論になる」と馬淵は述べている。馬淵は、著書『世界を操る支配者の正体』で、グローバリズムとは国際銀行家たちが支配する世界市場及び世界政府を創造しようとする地球規模の運動である、と定義している。
 私見を述べると、グローバリズムは、政治的には、既存の国家を超えた統一世界政府を目指す思想である。第1次世界大戦後に始まった世界政府建設運動が、第2次大戦後、ヨーロッパでEUという広域共同体を生み出した。この動きの延長線上に、地球規模の統一政府がある。それゆえ、グローバリズムは、資本主義的な経済合理主義に基づく地球統一主義または地球覇権主義である。
 グローバリズムは、21世紀の世界において、ユダヤ的価値観を全地球規模で普及・徹底する思想・運動となっている。ロスチャイルド家を中心とするユダヤ系国際金融資本家と、彼らとユダヤ的価値観を共にするロックフェラー家を中心とする非ユダヤ系資本家がこれを推進していると見られる。推進には巨大国際金融資本によって莫大な資金が投入され、優れた頭脳と最新の技術が集められ、政治的・経済的な国際機関、学術・教育・研究機関、マスメディア等が推進の手段になっていると考えられる。
 ユダヤ的価値観の超克のためには、このグローバリズムの克服が必要である。

●ナショナリズムを保持する

 第四に為すべきことは、諸国民・諸民族がナショナリズムを保持することである。
 ユダヤ人の指導層及び非ユダヤ人でユダヤ的価値観を共にする者たちは、現代世界の支配集団、すなわち所有者集団と経営者集団の重要部分を占め、グローバリズムを世界戦略として推し進めている。
 世界戦略としてのグローバリズムは、ユダヤ民族におけるナショナリズムの強化と、他民族における脱ナショナリズムの促進を戦術に含んでいる。ユダヤ人及びユダヤ人に同調する非ユダヤ人の大衆は、シオニズム的なナショナリズムを信奉または支持することで、意識するとしないとに関わらず、支配集団によるグローバリズムの推進に参画していることになる。
 ナショナリズムについては、第5章の現代におけるユダヤ人の様々な思想の項目に書いた。再度になるが、私はナショナリズムを次のように定義している。ナショナリズムとは、エスニック・グループをはじめとする集団が、一定の領域における主権を獲得して、またその主権を行使するネイションとその国家を発展させようとする思想・運動である。また、西洋文明の近代以前及び非西洋文明にも広く見られるエスニシズムの特殊な形態であり、近代西欧的な主権国家の形成・発展にかかるエスニシズムである。
 ユダヤ人のナショナリズムは、エスニックで宗教的なナショナリズムである。イスラエル建国後は、本国においては対外拡張型、本国外においては本国連携型のナショナリズムとなっている。イスラエルは、数次にわたる中東戦争を戦い、周囲に対して対外拡張的な行動を行ってきた。それとともに、イスラエル国外にいるユダヤ人が本国と連携して、本国の安全と民族の繁栄を追求している。
 ユダヤ的ナショナリズムは、宗教的には、ユダヤ教徒が救世主(メサイア)を中心として世界の統治者になろうとする思想に裏付けられている。ユダヤ教は民族宗教であるので、他民族をユダヤ教に改宗させようとはしない。選民は少数の集団に限定され、他の多数を選民に加えることをしない。選民が選民であり続けるには、非選民が必要であり、選民と非選民の差別が不可欠だからである。
 この差別のもと、ユダヤ人の指導層は、ユダヤ民族・ユダヤ教徒が生き延び、宗教的な世界統治を実現しようとするための世界政策を行う。そのために、自民族のナショナリズムを強化する。同時に、他民族のナショナリズムを弱めようとして、脱ナショナリズムを促進する。ユダヤ人のみがナショナリズムを堅持し、他民族はナショナリズムを失っていくように誘導する。親イスラエルの国家以外の国は、ナショナリズムによって集団が団結しないようにする。そのための方法として、集団の内部を分裂・対立させる。個人の意識を強め、個人主義化する。自由主義的な資本主義、インターナショナリズム的な社会主義、世界市民主義的なコスモポリタニズム等は、思想・立場の違いにかかわらず、それぞれこの目的に適う部分がある。ユダヤ人の指導層が抱く将来の世界像は、中心部をユダヤ教及びユダヤ的ナショナリズムを堅持するユダヤ人とその支持者による極少数の集団が占め、周辺部はナショナリズムを失い、固有の宗教を失った諸民族の大多数の集団が居住する社会と想像される。
 このようにグローバリズムのもとでのナショナリズム/脱ナショナリズムを複合した戦術が、ユダヤ的価値観に基づく世界戦略に含まれている、と私は考える。これに対抗するには、非ユダヤ民族がナショナリズムを保持することが必要である。独自の伝統・慣習・文化等に価値を見出し、尊重・維持する考え方や生き方を保つことである。そのうえで、特定の民族集団が世界を支配するのではなく、様々な民族が個性を保ちながら共存調和できる指導原理を探究し、普及していかなければならない。

 次回に続く。


ユダヤ145~ユダヤ教の二面性への対処
2017-12-31 10:47:16 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ教の二面性に対処する

 第五に為すべきことは、ユダヤ教の二面性を理解し、これに対処することである。ユダヤ教は民族宗教だが、その教えには民族的特殊性と人類的普遍性の両面がある。この点について、ユダヤ人の歴史家マックス・ディモントの著書『ユダヤ人の歴史~世界史の潮流の中で』で、ユダヤ思想には民族主義と普遍主義の二面性があり、その二面性がユダヤ民族の生き残りの方法となっていると説いている。
 私見によれば、ディモントは民族主義をよく定義していない。近代以前にネイションは存在しないので、近代以前から現代までを一貫する思想をいうのであれば、ナショナリズムではなくエスニシズムというべきである。また民族主義と普遍主義は、対概念にはならない。普遍の反対語は特殊である。そこで、私は、ディモントにおける民族主義と普遍主義という対比を、民族的特殊性と人類的普遍性に置き換えて理解する。
 ディモントの説くところでは、民族主義はユダヤ人の選民思想であり、神の言葉を伝える者としてのユダヤ人のアイデンティティを保持することが、ユダヤ民族の生存に必要であるとする主張である。また普遍主義は人類に普遍的なメッセージを世界に伝えることであって、そのために世界の数々の中心地にユダヤ人が存在することが必要だとする主張である、とディモントは述べる。
 ディモントによると、彼のいう民族主義を唱えた最初の預言者はホセアであり、普遍主義を説いた最初の預言者はアモスである。また、アモスの普遍主義思想を発展させてユダヤ教の普遍主義を構築したのが、預言者イザヤである。イザヤの普遍主義思想とは「人類は兄弟である」という言葉に象徴されている。「人類は兄弟である」と説く普遍主義は、ホセアの唱えたユダヤ人は選ばれた民であるとする民族主義とは正反対の思想である。
 ディモントによれば、民族主義のためには、イスラエルという国家が必要である。しかし、国家は滅ぶ可能性がある。そこで、ユダヤ教を存続させるためには、イスラエルの外にディアスポラのユダヤ人が存在することが必要である。そして、ディアスポラのユダヤ人は、単にユダヤ教を守るだけでなく、ユダヤ教が教える人類に普遍的な価値を広める責務がある、とディモントは述べている。
 私見を述べると、ユダヤ教史上最高のラビと言われる紀元後2世紀のラビ・アキバは、ユダヤ教を一言で言うと、「レビ記」19章18節の「あなた自身を愛するように隣人を愛しなさい」であると述べている。イエスもまた「汝の隣人を愛せよ」と教えたが、ユダヤ教における隣人とは、ユダヤの宗教的・民族的共同体の仲間である。仲間を愛する愛は、選民の間に限る条件付つきの愛である。人類への普遍的・無差別的な愛ではなく、特殊的・差別的な愛である。なぜなら彼らの隣人愛のもとは、神ヤーウェのユダヤ民族への愛であり、その神の愛は選民のみに限定されているからである。ユダヤ教徒の隣人愛が普遍的・無差別的な人類愛に高まるには、神ヤーウェによる選民という思想を脱却しなければならないだろう。
 馬淵睦夫は、著書『世界を操る支配者の正体』で、次のように言う。「ユダヤ教はあくまでユダヤ人のための民族宗教であって、世界宗教ではない。ユダヤ教の掟はユダヤ人のみを対象としたものだから、彼らは私たち異邦人をユダヤ教に改宗させようとしているのではなく、人類に普遍的であるとみなす思想、『人類は兄弟』のような平等思想や、共産主義、グローバリズムを世界に広めようとするのである。いわば、彼らが普遍的とみなす思想へ私たちを改宗させようと試みているのである」
 「グローバリズムは民族主義を否定すると言っても、ユダヤ人のみには民族主義が許されている。グローバリズムの下ではユダヤ人以外の民族主義は認められていないということは、グローバル社会において民族主義的なものはすべてユダヤ人が独占するのである」
 「グローバリズムはユダヤ普遍思想であって、その担い手であるディアスポラ・ユダヤ人はグローバリズムを世界に拡大させることによって、ユダヤ民族とイスラエル国家の安泰を図っているのだと言える」と。
 私見を述べると、馬淵が把握を試みているのは、ユダヤ民族という選民とこれを支持する非ユダヤ人が世界的な支配集団となり、他の諸民族・諸国民は脱ナショナリズム化させて、人類的普遍性の思想を持たせることである。ここには、ユダヤ人は自らの民族的特殊性の教えを堅持し、一方、他民族には人類的普遍性の思想を広めることで、イスラエルの安全とユダヤ民族の繁栄を確保できるという考え方がある。このように、ユダヤ人は、ユダヤ教にある民族的特殊性と人類的普遍性の二面性を発揮することで、民族の生き残りを図っていると理解される。
 こうしたユダヤ教の二面性を理解し、これに対処する必要がある。

●アメリカ=イスラエル連合に方向転換を促す

 第6に為すべきことは、アメリカ=イスラエル連合に方向転換を促すことである。まずこの連合の宗教的基盤について書くと、ディモントが注目するホセアの民族的特殊性の教えは、シナイ契約によって選民思想を樹立したモーゼに淵源する。一言で言えば、ユダヤ民族は神に選ばれた民であり、神と契約を結んでいる唯一の民族であるという思想である。一方、イザヤの人類的普遍性の教えは、イエスによってユダヤ民族の枠を超えて、諸民族に広める教えへと発展した。一言で言えば、「汝の隣人を愛せよ」という思想である。
 民族的特殊性を核心とするユダヤ教は民族宗教のままだが、人類的普遍性を説くキリスト教は世界宗教となった。キリスト教は、エスニックなユダヤ教と対立する。また、ローマ帝国、ゲルマン社会等の諸民族に固有の宗教を捨てさせ、脱エスニシズムの教えを広布した。だが、16世紀に至って、ヨーロッパで逆流が起った。ヨーロッパに深く浸透したカトリック教会が腐敗を極め、これに抗議するプロテスタンティズムが現れたことにより、キリスト教の一部が再ユダヤ教化したのである。その結果、ユダヤ民族は元来のエスニックなユダヤ教を堅持し、そのユダヤ民族を再ユダヤ教化したキリスト教徒が取り囲むという関係が生まれた。さらに、20世紀後半に至り、人類的普遍性の教えを信奉するキリスト教徒の社会が、宗教的・民族的特殊性を持つユダヤ教徒の社会を守る同盟関係が作られた。それが、アメリカ=イスラエル連合である。アメリカ=イスラエル連合は、ユダヤ教の民族的特殊性と人類的普遍性という二面性が、キリスト教を介して、国家間の関係に発展したものである。
 かつては、ユダヤ人のすべてがディアスポラだった。しかし、今はイスラエルに所属・居住するユダヤ人が、国民国家を形成している。彼らは、イスラエルという本国を防衛し、その拡張を図っている。一方、ユダヤ人の一部はディアスポラであり続け、本国外から本国の維持・発展に寄与している。主に米国に居住するユダヤ人がこの役割を担っている。ユダヤ人が多数、世界的な覇権国家アメリカに居住して、ロビー活動を行うことで、アメリカの政治・外交をイスラエルの国益にかなうものへと誘導している。それによって、アメリカのナショナリズムを、イスラエルのナショナリズムに寄与するものに変形させている。それゆえ、ユダヤ人は、もはや単なるディアスポラではない。元ディアスポラであり、現在は半分がディアスポラであることを利用して、本国の安全と民族の繁栄を追求するという高度な本国連携型のナショナリズムを展開している。
 今日、アメリカ=イスラエル連合は、国際社会でグローバリズムを推進するエンジンとなっている。またアメリカ=ユダヤ文化を普及することによって、ユダヤ的価値観を世界に普及しつつある。その活動は、ユダヤ民族のナショナリズムを強化し、他民族の脱ナショナリズムを促進するものともなっている。それゆえ、ユダヤ的価値観の超克のためには、非ユダヤ民族におけるナショナリズムを保持するだけでなく、アメリカ=イスラエル連合を世界の諸国民・諸民族の共存共栄に寄与するものに方向転換することが重要な課題となる。
 グローバリズムは、アメリカ=イスラエル連合を要として、ユダヤ=キリスト教による人類の教化を進め、ユダヤ教徒という選民とその支持者である非ユダヤ人が世界を統治する体制の樹立を目指す思想・運動となっている。グローバリズムを通じて世界に浸透しつつあるユダヤ的価値観を超克するためには、その核心にあるユダヤ教の在り方が問われねばならない。


ユダヤ146~ユダヤ教の内部からの改革に期待する
2018-01-02 08:48:19 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ教の内部からの改革に期待する

 ユダヤ的価値観は、ユダヤ教の教義に基づいて発達した価値観である。それゆえ、ユダヤ的価値観の超克のためには、まずユダヤ教の内部から改革が起こることが期待される。
 ユダヤ教は民族宗教であり、ユダヤ民族のみが救われると説く。一方、ユダヤ教の中から現れたキリスト教民族を超えた教えである。ユダヤ教の強い影響のもとに現れたイスラーム教も同様である。それゆえ、これら二つの宗教は、世界宗教になり得た。そして、民族を超えてその教えを信じる者は救われると説く。この点において、ユダヤ教との違いは大きい。
 ユダヤ教とキリスト教は長い抑圧や抗争の歴史の果てに、ある程度、協調的となり、一部では融合が進んでいる。一方、ユダヤ教・キリスト教とイスラーム教との間には歴史的な対立があり、その深刻さは20世紀後半から度合いを増している。その対立は、セム及びアブラハムの子孫同士の戦いであり、異母兄弟の骨肉の争いである。争いは互いの憎悪を膨らませ、報復が報復を招き、中東を中心として、抜き差しならない状態となっている。そのことが国際社会の不安定の重大な要因となっている。その焦点が、イスラエル=パレスチナ紛争である。
 中東に平和を実現できるかどうかは、なにより宗教間の問題である。この問題は、中東だけでなく、世界的な広がりを持つ。長く世界最大の宗教であり続けているのは、キリスト教である。キリスト教は、現在も世界で最も多くの信者数を持つ。これに次ぐのがイスラーム教であり、イスラーム教は、今日の世界で最も信者数が増加している宗教である。世界で最も人口が増加しているアジア・アフリカで教勢を強めており、人口の増加とともに信者数も増加している。現在世界人口のおよそ4人に1人がイスラーム教徒と言われる。今後、ますますイスラーム教徒は絶対的にも相対的にも増えていくだろう。
 米調査機関ピュー・リサーチ・センターは、2015年(平成27年)の調査報告で、2070年にはイスラーム教徒とキリスト教徒がほぼ同数になり、2100年になるとイスラーム教徒が最大勢力になる、という予測を発表している。これに比べ、ユダヤ教徒は、キリスト教徒、イスラーム教徒に比べ、信者数がその100分の1以下であり、特にイスラーム教に対しては、相対比が今後、ますます小さくなっていくと予想される。こうした長期的な人口動態は、ユダヤ教とイスラーム教の関係に少なからぬ影響を与えるだろう。
 今後、西洋文明、東方正教文明、ユダヤ文明等のユダヤ=キリスト教系諸文明とイスラーム文明の対立・抗争が今よりもっと深刻化していくか、それとも協調・融和へと向かっていくか。このことは、人類全体の将来を左右するほどに重大な問題である。その影響力の大きさは、米国と中国の関係が世界にもたらす影響力の大きさと比較されよう。
 中東に平和と安定をもたらすことができないと、世界平和は実現しない。平和を維持するための国際的な機構や制度を整備・強化していっても、中東で対立・抗争が続いていると、そこでの宗教戦争・民族戦争に世界全体が巻き込まれる可能性がある。最悪の場合は、セム系一神教文明群における対立・抗争から核兵器を使用した第3次世界大戦が勃発するおそれがある。
 いかに中東で平和を実現するか。ユダヤ教とイスラーム教の争い、ユダヤ人・アラブ人・イラン人・クルド人等の民族間の争い等を収め、いかに地域の共存共栄を実現するか。その道が求められている。
 ユダヤ教は、排他的な性格の強い一神教であり、ユダヤ教徒は自分たちのみが神に選ばれた特別の民族だという選民思想を持つ。また世の終わりにおいて、メシアが出現し、ユダヤ教徒のみが救われ、メシアのもとで地上天国を作るという生存闘争的な思想を持つ。
 この排他的な教義と闘争的な思想が、他の宗教や思想と共存調和できるものへと発展することができるように、ユダヤ教の中から改革が行われていかないと、ユダヤ教と他宗教、ユダヤ民族と他の民族、及びイスラエルと他の国々が協調・融和できるようにはならないだろう。
 ユダヤ民族が生き延びるためには、人類の滅亡を避けなければならない。人類が滅亡する最悪の事態になったときは、ユダヤ民族もまた絶滅する。その愚を避けるには、ユダヤ民族自身が、自らも生き延び、また人類も生き延びる道を求めて、改革に踏み出さねばならない時に来ている。その改革の動きに期待する。

 次回に続く。


ユダヤ147~セム系一神教は脱皮すべき時にある
2018-01-04 10:42:53 | ユダヤ的価値観
●セム系一神教は脱皮すべき時にある

 私は、世界平和のために中東に平和と安定が求められる時代において、ユダヤ教だけでなく、セム系一神教全体が新たな段階へと脱皮しなければならない時期にあるのだと思う。その脱皮に人類の運命の多くがかかっている。
 ユダヤ教にせよ、キリスト教にせよ、イスラーム教にせよ、科学が未発達だった千年以上も前の時代に生まれた宗教的な価値観を絶対化し、それに反するものを否定・排除するという論理では、どこまでも対立・闘争が続く。果ては、共倒れによる滅亡が待っている。それらの宗教が生まれた時代に人類が使っていた武器は、剣と槍と弓だった。しかし、その後、人類は核兵器を開発し、とてつもない破壊力を手にしている。世界規模の核戦争が勃発すれば、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラーム教徒も、その外の民族的・宗教的・政治的な集団も、どれもみな生き残ることはできない。最悪の場合、人類は絶滅する。そのような核の時代において、かつての剣・槍・弓の時代の観念にとらわれていてはいけない。共倒れによる絶滅ではなく、共存共栄の道を求めなければならない。
 次に、地球の自然環境についても考えなければならない。セム系一神教は砂漠に発生した宗教である。そのために、自然に対する考え方に独自性を持つ。砂漠の生態系は、森林の生態系と異なり、限られた動植物で構成されている。そのような風土で発生した宗教が森林地帯に広がった時、森林の保全は軽視され、自然の支配や管理が目指される。斧や鍬、牛や馬によって開墾や伐採がされていた時代には、その弊害は少なかった。しかし、化石燃料を用いた動力源を伴う機械が開発に使われるようになると、その弊害は一気に増大した。このまま自然の征服・改造の文化を続けていくならば、人類の文明は自らの土台を危うくするばかりである。人類は生存と繁栄のために、自然と調和する道を見出さなければならない。
 自然の世界に目を転じれば、そこでは様々な生命体が共存共栄の妙理を表している。人智の限界を知って、謙虚に地球上で人類が互いに調和し、また動植物とも共存共栄できる理法を探求することが、人類の進むべき道である。宗教にあっても科学・政治・経済・教育等にあっても、指導者はその道を見出し、その道に則るための努力に献身するのでなければならない。そして、ユダヤ教とキリスト教、イスラーム教を合わせたセム系一神教には、その内部から互いに発展的に融合・進化することが期待される。また、そのために、宗教指導者間の対話の促進が望まれる。
 もっとも私は、一神教の諸宗教がそれ自体の内部的な動きだけで、大きく変化していくのは、難しいのではないかと思っている。そして、非セム系多神教の諸宗教には、その変化を促進する役割があると考える。セム系一神教文明群の内部抗争は、非セム系多神教文明群の仲介によってのみ、協調の方向に転じられるだろう。一神教文明群の対立・抗争が世界全体を巻き込んで人類が自壊・滅亡に至る惨事を防ぐために、非セム系多神教文明群が、あい協力する必要があると思うのである。
 セム系一神教文明を中心とした争いの世界に、非セム系多神教文明群が融和をもたらすうえで、日本文明の役割は大きい、と私は思う。非セム系多神教文明群の中でもユニークな特徴を持つ日本文明は、諸文明の抗争を収束させ、調和をもたらすために重要な役割があると考える。それは、日本文明には対立関係に調和を生み出す原理が潜在するからである。その原理を大いに発動し、人類を新しい文明に導く新しい精神文化が日本から興隆することが期待される。

 次回に続く。


ユダヤ148~ユダヤ文明と日本文明の共通点・相違点
2018-01-06 10:59:39 | ユダヤ的価値観
●ユダヤ文明と日本文明の共通点・相違点

 私は、ユダヤ的価値観の超克、セム系一神教の脱皮、それらによる人類の共存共栄の実現を促進するために、日本文明には、果たすべき大きな役割があると考える。
 日本文明については、拙稿「人類史の中の日本文明」に書いた。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09c.htm
 ここでは簡単に記すと、日本文明は、古代の東アジアにおいて、シナ文明の周辺文明だった。大陸から水田灌漑稲作、漢字、律令制度等を摂取した。しかし、7世紀から自立性を発揮し、かな文字、和漢混交文、和歌等を生み出した。そして、早ければ9世紀~10世紀、遅くとも13世紀には一個の独立した主要文明になった。最も大きな特徴的な要素は、神道、皇室、武士道である。比類ない個性を持つ日本文明は、江戸時代に熟成期を迎え、独創的な文化を開花させた。それほど豊かな固有の文化があったからこそ、19世紀末、西洋近代文明の挑戦を受けた際、日本は見事な応戦をして近代化を成し遂げ、世界で指導的な国家の一つとなることができた。
 日本文明は、西洋近代文明の技術・制度・思想を取り入れながらも、土着の固有文化を失うことなく、近代化を成功させた。日本の後発的近代化は、西洋化による周辺文明化ではなく、日本文明の自立的発展をもたらした。この成功が、他の文明に復興の目標と方法を示した。
 現代世界において、日本文明は、世界の主要文明の一つとして、独自の文化を誇っている。近代西洋文明の精華を取りいれて、科学技術を活用・開発している半面で、日本古来の伝統・文化・国柄を保っている。また東洋諸文明から伝来した宗教・思想・芸術等を保持しつつ、独創的に発展させている。
 次に、こうした日本文明をユダヤ文明と比較するならば、共通点としては、まず固有の民族宗教を文明の中核に持つことがある。また、ともに直系家族の社会が生んだ文明であること、婚姻制も内婚制であることが挙げられる。
 だが、ユダヤ文明と日本文明の相違点は、共通点より遥かに多い。
 まず、第一に、文明の中核にある宗教が、ユダヤ文明ではセム系一神教の元祖・ユダヤ教であり、日本文明はそれが非セム系多神教に分けられる神道である。ユダヤ教は、神ヤーウェ以外の神や霊的存在を崇拝することを偶像崇拝として否定する。これに対し、神道は自然の事象、人間・動物・植物等を広く神として崇める。
 第二に、民族の歴史・構成については、ユダヤ民族は、数千年にわたって各地に離散した体験を持つ。これと全く対照的に、日本民族は、日本列島という一所に定住し、1万年以上にわたって持続・繁栄してきた。
 第三に、ユダヤ民族は、苦難の歴史の過程で、早くに王統が絶滅した。これに対し、日本民族は、古代から今日まで皇統が連綿として一系で継続している。王統を持たないユダヤ民族は聖書によって集団を統合し、皇室を戴く日本民族は天皇を中心として集団が統合される。
 第四に、人と人、人と自然のかかわり方については、ユダヤ文明は対立・支配を追求する文明であり、日本文明は調和・融合を求める文明である。ユダヤ文明は他文明との争いの歴史を生き抜いてきた。これに対し、日本文明には宗教戦争がない。ほかの諸文明から流入した宗教を共存させてしまう。また、集約的灌漑水田稲作による米作りを通じて、自然と調和しつつ、持続可能な発展を続けてきた。
 第五に、他の文明との関係については、ユダヤ文明は主要文明に従属しつつ、逆にその文明の中核にまで浸透していくタイプの周辺文明である。これに対して、日本文明は一国一文明の自立性の高い主要文明である。
 こうした相違点は、日本文明がユダヤ文明の弱いところや欠けているものを提示し、さらにそれらを補い得る点でもある。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「人類史の中の日本文明」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09c.htm


ユダヤ149~ハンチントンの日本文明への期待
2018-01-09 09:21:13 | ユダヤ的価値観
●ハンチントンの日本文明への期待

 20世紀の末頃から、日本文明に世界平和への貢献を期待する外国人有識者が目立って増えている。そのうちの一人が、国際政治学者のサミュエル・ハンチントンである。
 ハンチントンは、1996年に刊行した著書『文明の衝突』で、冷戦終結後の世界を分析し、文明は衝突の元にもなりうるが、共通の文明や文化を持つ国々で構築される世界秩序体系の元にもなりうる、と主張した。主にカトリック及びプロテスタントによる西洋文明とイスラーム文明の衝突の可能性とその回避を論じた。ハンチントンは、文明内での秩序維持は、突出した勢力、すなわち中核国家があれば、その勢力が担うことになる、と説く。また、文明を異にするグループ間の対立は、各文明を代表する主要国の間で交渉することで解決ができるとし、大きな衝突を回避する可能性を述べた。そして、日本文明に対して、世界秩序の再生に貢献することを、ハンチントンは期待した。
 ハンチントンは「日本国=日本文明」であり、一国一文明という独自の特徴を持っていることを指摘した。「世界のすべての主要な文明には、2ヶ国ないしそれ以上の国々が含まれている。日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。そのことによって日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的に密接なつながりをもたない」と、ハンチントンは書いている。
 『文明の衝突』は、2001年(平成13年)9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件を予測した本として、世界的に評判となった。事件の翌年である2002年(平成14年)に、ハンチントンは『引き裂かれる世界』を刊行し、次のように日本への期待を述べた。
 「日本には自分の文明の中に他のメンバーがいないため、メンバーを守るために戦争に巻き込まれることがない。また、自分の文明のメンバー国と他の文明との対立の仲介をする必要もない。こうした要素は、私には、日本に建設的な役割を生み出すのではないかと思われる。
 アラブの観点から見ると、日本は西欧ではなく、キリスト教でもなく、地域的に近い帝国主義者でもないため、西欧に対するような悪感情がない。イスラーム教と非イスラーム教の対立の中では、結果として日本は独立した調停者としての役割を果たせるユニークな位置にある。また、両方の側から受け入れられやすい平和維持軍を準備でき、対立解消のために、経済資源を使って少なくともささやかな奨励金を用意できる好位置にもある。
 ひと言で言えば、世界は日本に文明の衝突を調停する大きな機会をもたらしているのだ」と。
 私は、ハンチントンの上記の指摘に基本的に同意する。ハンチントンは、西洋文明とイスラーム文明の衝突について、日本文明が「建設的な役割」「調停者としての役割」を果たすことを期待する。だが、ハンチントンは、西洋文明を語る際、ユダヤ文明について語らず、アメリカ合衆国を語る際、イスラエルについて語らなかった。その点を私は批判してきた者だが、日本文明が「建設的な役割」「調停者としての役割」を果たし得るのは、ユダヤ文明とイスラーム文明の間においても、同様であることを、ここであらためて指摘したい。より具体的に言えば、日本文明は、アメリカ=イスラエル連合及びその提携国とイスラーム文明諸国の衝突を回避し、中東に平和をもたらし、世界に安定をもたらすという非常に重要な役割を担い得る潜在的能力を持っているということである。それは、日本文明の一国一文明というハンチントンが指摘した特徴だけでなく、日本文明の共存調和を重んじる、より本質的な特徴から発する能力である。ハンチントンは、その本質的な特徴についてほとんど研究を行っていない。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「ハンチントンの『文明の衝突』と日本文明の役割」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09j.htm


ユダヤ150~神道に潜む人類への貢献可能性
2018-01-11 08:54:04 | ユダヤ的価値観
●神道に潜む人類への貢献可能性

 日本文明は、その宗教的中核として神道を持つ。このことが、日本文明に重要な特徴を与えている。
 私は先にセム系一神教は脱皮すべき時にあると書いた。その一神教の世界観の問い直しは、単に多神教の世界観への転換で済むことではない。伝統的な一神教と多神教という対立の片方の項目から、他方に移るだけで、問題が解決するのではない。
 多神教という概念は、一神教を基準にした概念であり、ユダヤ=キリスト教を優位に置き、多数の神格を持つ宗教を劣位に置く発想が根底にある。だが、多神教の中には、神々や霊的存在が単に多元的・並列的ではなく、本質において「一」であるものが、現象において「多」であるという「一即多、多即一」の構造を示すものがある。私は、神道は、これだと考える。宗教学では、こうした哲学的な考察がされずに、現象的な「一」の側面を見て一神教、「多」の側面を見て多神教と分けている。だが、宗教の研究を深めていくと、一神教と多神教は全く別のものではなく、根本に「一即多、多即一」という立体的な構造があって、そこから様々な宗教が差異化したと考えることが可能である。そして、私はこうした「一即多、多即一」の立体構造の中に、一神教と多神教を包摂し、融合・進化し得る可能性を見出す者である。
 もっともその融合・進化は、様々な宗教が排他的教義と闘争的な思想を固守する限り、なされ得ない。特にユダヤ教は、排他性と闘争性が強い。ユダヤ教が他の宗教や思想と共存調和できるものへと、その内部から改革されていかないと、ユダヤ教と他宗教、ユダヤ民族と他の民族、及びイスラエルと他の国々が協調・融和することが、できるようにはならないだろう。伝統的な神道が担い得るのは、そうしたユダヤ教の内部からの改革を促進することにとどまる。これは、他のセム系一神教に関しても同様である。
 ユダヤ教と神道の類似点と相違点については、第1章ユダヤ教の概要の項目に書いたが、類似点はいくつかあるが、相違点はそれよりはるかに重要である。
 一神教社会では、宗教紛争・宗教戦争が多く繰り返されてきた。これに対し、日本では、こうした宗教紛争・宗教戦争がない。日本には、古代にシナ文明から儒教・道教・仏教が伝来した。それら外来の宗教のうち儒教・道教は日本固有の神道の中に取り込まれた。また神道と仏教は共存し、混交して、日本独自の宗教を形成した。
 21世紀の世界で対立を強めている西洋文明、イスラーム文明、シナ文明、東方正教文明には、大陸の影響を受けて発生した宗教――キリスト教、イスラーム教、儒教、道教等――が影響を与えている。西洋文明、東方正教文明の周辺文明であるユダヤ文明も同様である。これに比べ、神道は、海洋の影響を受けて発生した宗教であり、セム系一神教にも、神道以外の多神教にも見られない独自の特徴を示している。大陸的な宗教が陰の性格を持つのに対し、海洋的な宗教である神道は陽の性格を持つ。明るく開放的で、また調和的・受容的である。これは、四方を世界最大の海・太平洋をはじめとする海洋に囲まれた日本の自然が人間の心理に影響を与えているものと思う。
 多神教であるうえに海洋的であることが、神道の共存調和性のもとになっている。そうした神道が、日本文明に海洋的な性格すなわち明るく開放的で、また調和的・受容的な性格を与えている。そして日本文明のユニークな性格が、文明間の摩擦を和らげ、文明の衝突を回避して、大いなる調和を促す働きをすることを私は期待する。
 文明の衝突を回避して、大いなる調和を促すには、現代世界で支配的な影響力を振るっている近代西洋文明の弊害を解決していかなければならない。その取り組みにおいて、本稿はユダヤ的価値観からの脱却を課題としている。私は、日本文明には、ほかの文明にない独自の特徴を発揮し、ユダヤ的価値観からの脱却を推進し得る潜在能力があると考える。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「日本文明の宗教的中核としての神道」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09l.htm


ユダヤ151~日本の調和の精神が新しい文明を開く
2018-01-13 08:50:08 | ユダヤ的価値観
●日本の調和の精神が新しい文明を開く

 21世紀の世界で、人類のユダヤ的価値観からの脱却を促進するためには、新しい精神文化の興隆が必要である。私は、その新しい精神文化は、日本から出現すると確信している。
 日本文明では、人と人、人と自然が調和して生きる精神が発達した。それは、四方を海に囲まれ、四季の変化に富む豊かな自然に恵まれて、共同労働によって集約的灌漑水田稲作で米作りをしてきた日本人の生活の中で育まれた精神である。これを日本精神という。その日本精神の宗教的な表現が、先に述べた神道である。日本精神は大調和の精神であり、その点では、日本民族だけのものではなく、世界の諸民族にも求められるものである。この大調和の精神に、人類の文明を転換し、この地球で人類が生存・発展していくための鍵がある。
 まず、人類には人と人の調和が必要である。核兵器が増加・拡散する今日の世界において、人類は、自滅を避けるために、対立・抗争、征服・支配ではなく、個人と個人、国家と国家、民族と民族が共存調和して、ともに繁栄できるような社会のあり方を見出さねばならない。そのあり方は、ユダヤ教の排他的・独善的な選民思想とは、正反対のものである。
 人類は核戦争による自滅の危機を乗り越えて、新しい段階の新文明へと飛躍できるかどうか、かつてないほど重要な段階にある。ここで見出すべきものこそ、人と人が調和し、共存共栄し得る道である。そして私は、調和と共存共栄を可能にする原理は、日本の精神文化に内在していると考える。
 日本の精神文化の伝統を踏まえて、宗教・思想・文化等の相違を超えて諸国家・諸民族が調和できる世界のあり方を示すことが、わが国の世界平和への最大の貢献となるだろう。同時にそれが、日本が国際社会で平和と繁栄を確保する道ともなるだろう。特に日本は、中東におけるイスラエルとアラブ諸国の対立を和らげるように助力することを期待されている。世界的にユニークな特徴を持つ日本文明は、ユダヤ=キリスト教諸文明とイスラーム文明の抗争を収束させ、調和をもたらすために重要な役割があることを自覚すべきである。
 次に、人類には、人と自然の調和が必要である。近代西洋文明は、ユダヤ=キリスト教の世界観の強い影響を受けている。ユダヤ=キリスト教には、人間は神の似姿として創造されたものであり、自然は支配し利用すべきものだとする思想がある。近代西洋では、その思想のもとに、物質としての自然、魂なき自然という思想が形成された。そして、そうした思想のもとに科学技術が発達し、人間による自然の征服・改造が推し進められている。そのため、自然環境が破壊され、人類は、文明の土台を自ら突き崩しつつある。
 この危機を回避するには、自然を単に物質・エネルギーの循環システムと見るのではなく、人間の生命や心霊と通底したものと感じる心を取り戻すことが必要である。そして人間は自然から生まれ、その一部であるという自己認識を回復しなければならない。20世紀後半から世界的に広がった環境科学としてのエコロジーは、生命的・心霊的な自然観に裏付けられる時にのみ、自然と調和した文明を創造することに貢献するものとなるだろう。
 先進国の中で唯一、わが国は今日でも、生命的・心霊的な自然観を保っている。それは、日本精神の宗教的表現としての神道の伝統によるものである。自然の恵みに感謝し、森を守り、海を守る日本人の心を、今日の地球に生かす。それにより、日本文明は人類文明の転換に貢献し、新しい地球文明の創造に寄与し得るのである。
 21世紀の人類は核戦争と地球環境破壊による自滅の危機を乗り越えて、物心調和・共存共栄の新文明を地球上に創造できるかどうかに、自らの運命がかかっている。ここが、地球全体のエネルギーを利用できる文明すなわち惑星規模の文明の段階へと飛躍できるか、それともそれに達する前に滅亡するかという分かれ目である。
 この危機と飛躍の時にあって、日本人には、自らの伝統的な精神を取り戻し、その精神に内在する原理を発動して、新しい精神文化を興隆し、世界人類を精神的な向上に導く役割がある、と私は信じる。

 次回に続く。


ユダヤ152~唯物論的人間観からの脱却を
2018-01-15 09:45:22 | ユダヤ的価値観
●唯物論的人間観からの脱却を

 ユダヤ的価値観を超克するには、今日優勢になっている唯物論的人間観を脱却し、心霊論的人間観を確立する必要がある。
 唯物論的人間観は、人間を単に物質的な存在と見て、心は脳における物理的・化学的現象ととらえる。唯物論的人間観の優勢は、物質科学・西洋医学の発展やダーウィンの進化論、マルクス、ニーチェ、フロイトらの思想によるところが大きい。そして、この優勢の背景には、ユダヤ教の影響がある。ユダヤ教は、本来のキリスト教と異なり、来世をほとんど語らず、現世での幸福を追求する。西方キリスト教は、宗教改革以後、ユダヤ教の影響を受け、現世志向に大きく傾いた。その変化とともに資本主義や近代科学が発達して、社会の世俗化が進んだ。
 また、二人のユダヤ人が唯物論的人間観の形成に大きな役割を果たした。カール・マルクスとジ-クムンド・フロイトである。かれらについては第3章(4)に書いたが、マルクスは、史的唯物論を説き、ユダヤ=キリスト教的な神やギリシャ哲学以来のイデア論を否定した。その思想は、哲学・経済学・社会運動等に広範な影響を与えた。一方、フロイトは、無意識の理論を説き、心理現象を物理的なエネルギーのアナロジーで説明した。その思想は、精神医学・心理学・文化学等に多大な影響を与えた。19世紀後半以降、マルクスとフロイトの思想が人間観のあり方に強く作用してきている。
 唯物論的人間観に対して、私が心霊論的人間観と呼ぶのは、人間を単に物質的な存在と見るのではなく、人間には物質的な側面と心霊的な側面の両面があるとする人間観である。心霊論的人間観は、唯物論的人間観の欠陥を是正する。心霊論的人間観においては、個人の人格は死後も霊的存在として存続する可能性を持ち、また共感の能力は、身体的な局所性に限定されず、時空を超越し、波長の異なる領域にも及び得ると理解する。こうした人間観を確立することが、ユダヤ的価値観の超克のために求められている。

●人間を総合的に理解する

 唯物論的人間観では、人間を総合的に理解することができない。私は、人間の総合的理解を深めるには、心理学者アブラハム・マズローの理論を参考にすべきと考える。
 マズローは、人間の欲求は、次の5つに大別されるという説を唱えた。

(1)生理的欲求: 動物的本能による欲求(食欲、性欲など)
(2)安全の欲求: 身の安全を求める欲求
(3)所属と愛の欲求: 社会や集団に帰属し、愛で結ばれた他人との一体感を求める欲求
(4)承認の欲求: 他人から評価され、尊敬されたいという欲求(出世欲、名誉欲など)
(5)自己実現の欲求: 個人の才能、能力、潜在性などを充分に開発、利用したいという欲求。さらに、人間がなれる可能性のある最高の存在になりたいという願望

 マズローは、このような人間の欲求が階層的な発展性を持っていることを明らかにした。生理的な欲求や安全性の欲求が満たされると、愛されたいという欲求や自己を評価されたいという欲求を抱くようになり、それも満たされると自己実現の欲求が芽生えてくるというのである。
 自己実現こそ人生の最高の目的であり、最高の価値であるとマズローは説く。そして、人間が最も人間的である所以とは、自己実現を求める願望にあると説く。自己実現の欲求は、まず個人の才能、能力、潜在性などを充分に開発、利用したいという欲求である。「ある個人にとってこの欲求は、理想的な母親たらんとする願望の形を取り、またある者には運動競技の面で表現されるかもしれない。さらに別の者には、絵を描くことや発明によって表されるかもしれない」とマズローは言う。さらに、この欲求がより高次になると、自己の本質を知ることや、宇宙の真理を理解したいという欲求となり、人間がなれる可能性のある最高の存在になりたいという願望となって、より高い目標に向かっていく。
 マズローによると、自己実現をした人とは「人生を楽しみ、堪能することを知っている人間」であり「苦痛や悩みにめげず、辛い体験から多くのものを悟ることができる人間」である。そうした人は「感情的になることが少なく、より客観的で、期待、不安、自我防衛などによって、自分の観察をゆがめることが少ない。また創造性や自発性に富み、自ら選択した課題にしっかり取り組む姿勢を持っている」。また「開かれた心を持ち、とらわれの少ない積極的存在だ」とマズローは言う。
マズローの研究によると、自己実現の欲求は、他の欲求が満足させられたからといって必ずしも発展するとは限らない。食欲・性欲や名誉欲など、下位の欲求の段階でとまっている人が多いからである。
 マズロー以前の心理学は、研究の焦点を下位の欲求に合わせ、より高次の欲求にはあまり注目していなかった。例えば、マルクスの人間観は、19世紀の唯物論的心理学に基づき、「生理的欲求」と「安全の欲求」を中心としている。そのため、人間の幸福の実現には食物と安全が重要だとし、より高次の欲求には否定的だった。フロイトは無意識の研究を行い、それまでの人間観に画期的な変化をもたらした。彼は性の問題を通じて、より上位の欲求である「所属と愛の欲求」の研究をしたといえる。しかし、性の観点からすべてを理解しようとしたために、人間理解を狭くしてしまった。マルクスとフロイトの唯物論的人間観は、下位の欲求に焦点を合わせ、上位の欲求を軽視したものである。
 マズローの事例研究によると、自己実現を成し遂げた人は、しばしば、さらに自己超越を求めるようになる。自己超越の欲求とは、自己を超え、自分自身を超えたものを求める欲求である。そして、他の多くの人々のために尽くしたり、より大きなものと一体になりたいと願ったりする。自己超越とは、自己が個人という枠を超えて、超個人的(トランスパーソナル)な存在に成長しようという欲求である。それは、悟り、宇宙との一体感、宇宙的な真理や永遠なるもの、社会の進化や人類の幸福などの、より高い目標である。古今東西の宗教や道徳でめざすべき精神の状態とされてきたものである。
 マズローは、自己実現の心理学から、自己超越の方向に進み、個を超える、より高次の心理学を提唱した。これがトランスパーソナル心理学である。マズローは、「トランスパーソナル」とは「個体性を超え、個人としての発達を超えて、個人よりもっと包括的な何かを目指すことを指す」と規定している。
 人間には、こうした自己実現を経て自己超越に向かう人格的な欲求が生得的に内在している。その欲求は、アニミズムやシャーマニズムと呼ばれる原初的な精神文化にもさまざまな形で表れている。人類史に現れた諸文明は、より発達した宗教をその中核に持ち、多くの宗教は、死後も人間は霊的な存在として存続することを説いている。マズロー以後、トランスパーソナル心理学は、心理学という枠組みを超え、さまざまな学問を統合するものとなり、包括的な視点に立って人間のあり方を模索する学際的な運動となっている。これをトランスパーソナル学と呼ぶ。トランスパーソナル学では、人間は霊性を持つ存在であることを認めている。霊性は心霊性ともいう。人間に生死を超えた心霊性を認めてこそ、人間観は身体的な局所性を超えて、真に時空に開かれたものになる。死をもって消滅するものは、真の人格とは言えない。21世紀に確立されるべき新しい人間観は、こうした霊的な存続可能性を持つ人格を中心にすえた心霊論的人間観でなければならない。

 次回に続く。


ユダヤ153~心霊論的人間観の確立を
2018-01-18 09:27:01 | ユダヤ的価値観
●心霊論的人間観の確立を

 いったい人生の根本問題とは何か。成長して大人になること、自分に合った伴侶を得ること、子供を産み育てること、よい死に方をすること。私はこれらに集約されると思う。これは、様々な宗教・哲学・思想の違いに関わらず、人間に共通する問題だろう。そして、よい死に方をするためには、自分が生まれてきた意味・目的を知ること、生きがいのある人生を送ること、自己の本質を知ること、死後の存在について知ることが必要になる。人生の根本問題の前半は、なかば生物学的・社会学的なものである。しかし、死の問題は違う。死の問題は、哲学的であり、宗教的な問題である。唯物論は、人生の後半の問題については、まったく役に立たない。むしろ、自己の本質について、根本的な誤解を与える。
 人間は死んで終わりなのか、死後も存在しつづけるのか。死の認識で思想は大きく二つに分かれる。死ねば終わりと考えるのは唯物論であり、死後も続くと考えるのが心霊論である。心霊論には、ユダヤ=キリスト教のような人格的唯一神による創造説や、仏教のような縁による発生説がある。人生は一回きりという一生説と、輪廻転生を繰り返すという多生説がある。また、祖霊の祭祀を行う場合と、行わない場合がある。単に思い出、記憶として親や先祖を思うという場合もある。しかし、心霊論は、死後の存在を想定して人生を生きる点では、共通している。
 心霊論的人間観では、死は無機物に戻るのではなく、別の世界に移るための転回点であると考える。身体は自然に返る。しかし、霊魂は、死の時点で身体から離れ、死後の世界に移っていく。人生においては、この死の時に向かっての準備が重要となる。霊魂を認め、来世を想定する心霊論的な人間観に立つと、フロイトの「死の本能(タナトス)」とは違う意味での「死の本能」が想定される。来世への移行本能と言っても良いし、別の次元の生に生きる再生本能と言っても良い。
 身体から独立した霊魂を認めるという考え方は、特異なものではない。近代西欧で唯物論的人間観が優勢になるまで、ほとんどの人類は、そのように考えていた。また、近代西欧にあっても、カント、ショーペンハウアー、シジウイック、ベルクソンらの哲学者、ウォーレス、クルックス、ユングらの科学者は、霊的現象に強い関心を表したり、心霊論的信条を明らかにしてきた。
 テレパシー、念力、遠隔視、臨死体験、体外離脱体験等には、否定しがたい多数の事例があり、それらをもとに、霊魂が身体と相対的に独立し、死後は別の仕方で存在することを主張することができる。J・B・ラインが実験科学的な方法を導入した超心理学の研究によって、超感覚的知覚(ESP)の解明が進められているが、その研究対象は、やがて霊的存在の領域へと向かっていくだろう。
 今日の人類は、ユダヤ的価値観を超克するために、心霊論的な人間観を確立する必要がある。心霊論的な人間観に立つと、社会や文明に対する見方は、現在の常識や諸科学の知見とは、大きく異なったものになる。
 私は、心霊論的人間観を確固としたものにするために、超心理学とトランスパーソナル学のさらなる発展に期待している。また、それらを補助とする新しい精神科学の興隆が、文明の転換、人類の精神的進化の推進力になる、と考える。

●物心調和・共存共栄の地球文明を築くために

 人類が、この地球に新しい段階の文明を築くためには、二つの面で飛躍的な向上を成し遂げることが必要である。一つは経済的・技術的な向上、一つは精神的・道徳的な向上である。前者は物の面、後者は心の面である。これら物心両面にわたる飛躍的な向上が求められている。
 人類は、物質文化と精神文化が調和した物心調和の文明を建設しない限り、自ら生み出した物質科学の産物によって、自滅しかねないところに来ている。この危機を避け、地球に共存共栄の社会を実現するには、特に心の面の向上が急務である。われわれは、心霊論的人間観に基づいて、人格の成長・発展による精神的・道徳的な向上を目指す必要がある。
 個人個人の人格的な成長・発展なくして、物心調和・共存共栄の地球文明は建設し得ないことは言うまでもない。それとともに私は、この建設過程で、国家の役割が重要である、と考える。諸国家が自国の国民に国民の権利を保障し、さらに拡充していくときに、人類社会全体が物心両面において発展し、新文明の建設が進められていく。国家の役割を排除して、個人個人の努力のみによるのでは、この過程は進行し得ない。
 地球の人類社会は現在、貧困と不平等だけでなく、食糧・水・資源等の争奪、核の拡散、環境の破壊等により、修羅場のようになっている。人類の大多数は、生存や安全を脅かされている。個人の権利の保障がされ、人格の成長・発展を促進し得るには、国家間の平和と繁栄があってこそ、である。その国家間の努力によってしか実現し得ない。
 国際社会を平和と繁栄の方向に進めるために、近代西欧で発達した自由・平等・デモクラシー・法の支配等の価値は、現在の世界で有効なものと言える。われわれは、各国家・各国民(ネイション)において、それぞれの文化・伝統・習慣に合った形でこれらの価値が実現され、そうした価値を実現しつつある諸国家・諸国民が、それぞれの固有の条件のもとで多種多様に発展し、協調する世界を構想すべきだろう。様々な国家・国民がお互いを尊重しながら協調し、物心調和・共存共栄の新文明が実現されてこそ、人類は大きく精神的・道徳的に向上する道を進むことができるだろう。

●精神的・道徳的な向上を促す力が待望される

 物心調和・共存共栄の新文明を建設する上で、最大の道徳的な課題は、次の事柄だろう。すなわち、人類はそれぞれの共同体的な集団におけるのと同じように、家族的生命的なつながりを基にした同胞意識や連帯感を、ネイション(国家・国民・共同体)やエスニック・グループ(民族)を越えて保持し得るかということである。
 人間は血統や地域や生活を共にすることによって、相互扶助・協力協働の関係を築く。また、家族愛や友愛を育む。集団生活における直接的な交流は、数百人から数千人程度が普通である。数百万人、数千万人と直接交流する人は、ごく少ない。多くの人間は、直接的で具体的な経験を超えて、他者への理解や同情を持つことは難しい。直接的で具体的な経験なくして、同胞意識や連帯感を持てるようになるには、共感の能力の開発による大きな精神的・道徳的な向上が必要である。そのために教育・啓発活動の役割は大きい。だが、よほど強力な感化力を持った思想や宗教でなければ、既成観念にとらわれた人々の意識の変革はできないだろう。そこで、多くの人間の自己実現・自己超越を促進する精神的な巨大なエネルギーが求められる。人間の精神に感化を与え、破壊的・自滅的な思考回路を消滅させ、恐怖をもたらすトラウマを癒して、精神を健全に発達させる力が待望されている。
 その力はまた人類を物心調和・共存共栄の新文明の建設に導く力でもある。宇宙には秩序と発展をもたらす力が存在する。この力は万物を貫く理法に基づいて働く。ここで理法とは、古代ギリシャのノモスやシナ文明の道(タオ)、日本文明の道(みち)または道理に通じるものである。また、その力は、万物を理法に沿った調和へと導く力である。人類の歴史は、その力が人類に作用して、知恵や文明・科学等が発達してきたと考えられる。子供は成長の過程において、最初は肉体が成長し、後に精神が成長する。それと同じように、人類の文明も、最初は物質文化が発達し、次は精神文化が発達する。人類がその力を求め、受け入れる時、かつてない精神的・道徳的な向上が始まるだろう。
 この力とは、宇宙の万物を生成流転させている原動力である。宇宙本源の力である。その宇宙本源の力を受けることによる精神的・道徳的な向上は、一部の人たちから始まり、また一部の国から広がるだろう。ユダヤ的価値観の影響を受けた経済中心・物質中心の価値観から物心調和の価値観に人々の価値観が変化する。そうした国々で物心調和の文明の建設が始まる。この新たな文明が、その他の国々にも広がる。それによって、共存共栄の社会が実現されていく。諸個人・諸国家・諸民族の調和的な発展によって、国家間の富の収奪が抑制され、過度の不平等が是正されていく。国際間の平和と繁栄が共有され、国家間の格差が縮小される。物心調和・共存共栄の新文明が建設される過程で、諸国家における国民の権利が発達する。戦争・内戦等の人為的原因で発生する難民が減少する。こうして諸個人の自己実現・自己超越が相互的・共助的に促進される社会が実現する。このサイナジックな社会において、物心調和・共存共栄の新文明の建設は一層大きく進むことになる。それによって、また諸個人の自己実現・自己超越が相互的・共助的に促進される。こうした循環が螺旋的に進行するに従って、人類は飛躍的な進化を体験することになるだろう。

 次回が最終回。


ユダヤ154~昼の時代へ
2018-01-20 08:47:19 | ユダヤ的価値観
 最終回。

●結びに~「昼の時代」へ

 本稿の結びにあたって、冒頭に揚げた問題意識を振り返ると、私は「近代西洋文明において、ユダヤ人はどういう役割を果してきたか」「現代世界においてユダヤ的な価値観はどういう影響を及ぼしているか」「それを超克するためには何をなすべきか」という問題に関心を持ってきた。そして、私はこれらの問題を考えるために、ここ10年ほどの間に、人類の文明、近代西洋文明の特質、ユダヤ人の歴史と文化、移民問題、人権の起源と目標、宗教と精神文化等について、様々な別稿で考察を行った。
 本稿は、それらの考察を踏まえて、ユダヤ教・ユダヤ民族、ユダヤ人の歴史、ユダヤ文明、ユダヤ人の現在と将来について総合的に書いたものである。第6章に書いたように、人類が現在世界を覆っている近代西洋文明の弊害を解決するには、ユダヤ的価値観の超克が必要である。それには、ユダヤ的価値観を普及させてきた資本主義を人類全体を益するものに転換し、またグローバリズムから諸国・諸民族が共存共栄できるものへと指導原理を転換しなければならない。ユダヤ的価値観は、根本的にはユダヤ教の教義に基づくものゆえ、ユダヤ教内部からの改革が期待される。またその改革のためには、多神教文明群の側から改革を促進することが必要である。特に日本文明には、重要な役割がある。また、これに加えて、人類は唯物論的人間観を脱却し、心霊論的人間観を確立しなければならない。そして、精神的・道徳的な向上を促す宇宙的な力を受け入れて、核戦争と地球環境破壊による自滅の危機を乗り越え、物心調和・共存共栄の新文明を建設すべき時に、人類は直面している。
 さて、私は、2050年前後に人類は未だかつてない大変化を体験するだろうと考えている。これは、我が生涯の師にして神とも仰ぐ大塚寛一先生の言葉に基づく予測である。大塚先生は、人類は、その発生以来、続いてきた長い「夜の時代」を終え、21世紀には「昼の時代」を迎えると説いている。「夜の時代」とは対立・抗争の時代であり、「昼の時代」とは物心調和・共存共栄の新文明が実現する時代である。「夜の時代」はまた準備期であり、「昼の時代」は活動発展期であるとも説いている。大塚先生は、「昼の時代」の到来は、21世紀の半ばぐらいだろうと語っておられた、と私は伝え聞いている。21世紀を導く指導原理に関する大塚先生の言葉を、マイサイトの「基調」(その3)に掲載しているので、ご参照願いたい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/keynote.htm
 「昼の時代」への転換は、人類が過去に体験したことのない大変化となる。ちょうど胎児が暗黒と不自由な母親の胎内を出て、この世に生まれると、それまでの胎内生活の段階とは、全く違う生き方を始めるように、2050年前後に人類は現在、想像のできないような新たな段階に入っていく、と私は期待している。
 これに符合するように、情報通信の分野では、2045年に特異点的な変化が起こるという予測が出されている。テクノロジーの進歩は、指数関数的な変化を示してきた。たとえば、コンピュータの演算速度は、過去50年以上にわたり、2年ごとに倍増してきた。これを「ムーアの法則」という。「ムーアの法則」によると、2045年に一個のノートパソコンが全人類の脳の能力を超えると予測される。人工知能が人間の知能を完全に上回るということである。そのような時代を未来学者レイ・カーツワイルは「シンギュラリティ(特異点)」と呼んでいる。カーツワイルは、人間とコンピュータが一体化し、「人類は生物的限界をも超える」と予測している。カーツワイルは、その時、人類の「黄金時代」が始まるという。
 世界的な理論物理学者ミチオ・カクは、今から約30年後に迫るこの「黄金時代」について、次のように予測する。

・ナノテクノロジー・再生医療等の発達で、寿命が延び、平均100歳まで生きる。
・遺伝子の研究で、老化を防ぐだけでなく、若返りさえ実現する。
・退屈な仕事や危険な仕事は、ロボットが行う。
・脳をコンピュータにつなぎ、考えるだけで電気製品や機械を動かせる、など。

 これ以外にも、新DIY革命、テクノフィランソロピスト(技術慈善活動家)の活躍、ライジング・ビリオン(上昇する数十億人)の勃興等で、次のようなことも可能になると予想されている。
 
・新種の藻類の開発で石油を生成
・水の製造機でどこでも安全な水を製造
・垂直農場やバイオテクノロジーで豊富な食糧生産
・太陽エネルギーの利用で大気中の不要なC02を除去

等である。
 こうしたテクノロジーの爆発的な進歩は、人類の生活と社会に想像を越えた変化をもたらすだろう。あまりにも変化が早く、この変化についていくことのできない人も多くなるだろう。だが、若者は、既成観念に縛られず、過去の伝統・慣習・発想から自由である。若い世代は、新しい時代を抵抗なく受け入れ、自然に、来るべき「黄金時代」に入っていくことができるだろう。これは、ユダヤ文明においても同じだろう。かつてヨーロッパでは、近代科学の発達によって天動説から地動説に転じ、中世キリスト教の世界観に閉じ込められていた人々の世界観が大きく変わった。21世紀の人類は、これから世界観の大変化を体験することになるだろう。
 だが、人類が過去の歴史において生み出し、受け継いできた宗教・国家・制度等は非常に堅固であり、それらによって生じている弊害は大きい。とりわけ宗教による対立・抗争は、非常に深刻である。この障害をどう乗り越えるかに、人類の将来の多くがかかっている。私は、従来宗教による障害を乗り越えていくのもまた、若者だろうと考える。若い世代は、過去の世代を呪縛してきた既成観念から自由であり、従来宗教の矛盾・限界を見抜いて、新しい指導原理を求め、また受け入れるようになるだろう。これは、ユダヤ人社会においても同様だろう。
 2050年前後の分岐点を乗り越えることができれば、人類は、2070年、2100年と進むに従い、飛躍的に発達し続ける新しい科学技術によって、現在では想像もし得ないほど高度な文明へと進み入るだろう。もし人類が地球外に活動範囲を広げるならば、地球全体のエネルギーを利用できる文明すなわち惑星規模の文明の段階へ飛躍し、さらにそこから恒星系規模の文明へ移行し、さらに数百年のうちに銀河系規模の文明や超銀河系規模の文明へと発展していくことも可能だろう。しかし、宇宙広しと言えども、人類にとって地球ほど素晴らしい、恵まれた星は、他に見つからないだろう。なぜなら人類はこの地球の環境において発生し、その環境と一体の生命として発達してきたからである。
 人類には、未だかつてない、そして今後も一度限りしかない空前絶後の好機が訪れている。ここで人類は、この地球において、宇宙・自然・生命・精神を貫く法則と宇宙本源の力にそった文明を創造し、新しい生き方を始めなければならない。そのために、今日、科学と宗教の両面に通じる精神的指導原理の出現が期待されている。世界平和の実現と地球環境の回復のために、そしてなにより人類の心の成長と向上のために、近代化・合理化を包越する、物心調和・共存共栄の精神文化の興隆が待望されているのである。その新しい精神文化の指導原理こそ、「昼の時代」を実現する推進力になるに違いない、と私は確信するのである。(了)


「ユダヤ的価値観の超克」をアップ
2018-01-22 11:16:24 | ユダヤ的価値観
 ブログに連載したユダヤ的価値観に関する拙稿は、全6部が完結しました。編集・加筆のうえ、マイサイトに全体を掲載しました。通してお読みになりたい方は、下記のアドレスへどうぞ。

■ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm
(※本稿は、紙製の拙著『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』[星雲社]の付録CDにデータを収納しています)



https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/71ef2ca4d233f950a918403054de091e
文化革命型の「白い共産主義」の脅威1
2018-11-13 09:36:37 | 日本精神
 11月11日、私は東京・渋谷で行った講演で、文化革命型の「白い共産主義」の脅威に関して述べた。その概要を3回に分けて掲載する。

●共産主義とは

 今年は、明治維新から150年であり、平成の御世の最後の年でもある。来年5月、日本は新しい時代に入る。しかし、いま日本では、知らぬ間に伝統文化の破壊が進み、家庭・社会・国家の全般に深刻な問題が広がっている。その背後には、新たな共産主義の存在がある。
 平成3年(1991年)にソ連が崩壊した。その後、共産主義は世界的に退潮になっている。しかし、共産主義は死んではいない。
 共産主義の元祖は、マルクス、エンゲルスである。共産主義は、私有財産制を廃止し、生産手段を社会の共有にして、貧富の格差を解消することを目標とする。それによって階級支配がなく、自由な個人の結合による社会を目指すものである。そのために、共産主義者は、階級闘争を通して、革命を起こそうとする。
 革命は、1917年にロシアで初めて成功した。以後、多くの国が共産化され、一時は世界人口の3分の1が共産主義の勢力下に置かれた。
 ところが、ソ連は、革命の理想とは程遠く、共産党官僚が労働者・農民を支配する官僚支配の国家だった。自由と権利は抑圧され、生産性が低く、生活水準は上がらなかった。
 ついにソ連は革命の70年後に共産主義体制を放棄するにいたった。相前後して東欧諸国も共産主義を捨て、共産主義は世界的に大きく後退した。
 だが、東アジアでは現在も中国が共産党の支配下にある。そして、我が国では、今なお先進国で唯一、共産党を名乗る政党が存在し、堂々と政治活動を行っている。
 共産主義には、二つの種類がある。一つは、ロシア革命のように、武力によって革命を起こし、政権を奪取するものである。もう一つは、伝統的な文化を破壊し、人々の意識を変えることで、社会を共産化していくものである。前者は武力革命型、後者は文化革命型である。前者を「赤い共産主義」、後者を「白い共産主義」とも呼ぶ。
 ソ連の解体後、先進国では、武力による革命を目指す「赤い共産主義」は、大きく後退している。しかし、その一方、伝統文化の破壊による文化革命を目指す「白い共産主義」が、教育・マスコミ等に深く浸透し、知らずしらずに日本の家庭や社会が蝕まれている。

●恐るべき破壊の思想

 マルクス、エンゲルスは、社会の諸悪の根源を私有制と階級支配に見ていた。彼らは、その見方で家族をとらえた。彼らは、近代の家族は、ブルジョワ的私有に基礎づけられており、私有制を廃止すれば、家族は消滅する。女性の解放は、私有制の廃止によって、初めて実現すると考えた。そして、結婚という制度を廃止し、家族を解体することを図った。
 マルクス、エンゲルスは、家族を解体するための方法として、男性が婦人を共有することを打ち出した。彼らは『共産党宣言』で、次のように宣言した。「共産主義者は、公認の、公然たる婦人の共有を取り入れようとする」「共産主義者は自由、正義などの永遠の真理を廃棄する。道徳を廃棄する」と。
 これは、従来の性道徳や家庭道徳を真っ向から否定するものである。目指すのは、性の自由化がされたフリーセックスの社会である。家族が解体されると、すべての人間は、夫婦・親子の関係すらない個人としてバラバラに分解される。そうした個人を改めて集合した社会が、マルクス、エンゲルスの考えた共産主義社会なのである。
 レーニンは、ソ連でマルクス=エンゲルスの家族廃止論を実践し、発展させた。家族を解体するために、1927年に登録された結婚と未登録の結婚を同等とし、重婚さえも合法とした。また女性を家庭から出して労働者とし、育児の社会化を進めた。その結果、どうなったか。家庭が乱れ、少年犯罪や非行、離婚が激増し、社会に混乱が広がったのである。
 そこで、スターリンは、政策を根本的に見直し、逆に家族を「社会の柱」とする方針に切り替えた。憲法に家族尊重と母性保護を規定し、未登録結婚の制度を廃止して、嫡出子と庶子との差別を復活させ、子供の保育・教育における親の責任を重くした。レーニンの政策は、大失敗に終わったのである。ところが、この失敗を認めず、今も家族解体を進めようとしているのが、文化革命型の「白い共産主義」である。


文化革命型の「白い共産主義」の脅威2
2018-11-14 09:32:51 | 日本精神
●「白い共産主義」の系譜

 ロシア革命後、ドイツ・ハンガリー等で革命運動は、すべて鎮圧された。労働者の大半は立ち上がらなかったのである。ヨーロッパの共産主義者は、労働者が蜂起しなかったのは、キリスト教の考え方が染み付き、真の「階級利益」に気づいていないからだ、と考えた。そして、キリスト教とそれに基づく文化を破壊しない限り、共産主義は浸透しないと考えた。
 キリスト教は、一夫一妻制である。ハンガリーのルカーチは、これを破壊するため、過激な性教育制度を実施した。ハンガリーの子供たちは学校で、自由恋愛思想、セックスの仕方を教わり、一夫一妻制は古臭く、宗教の理念は浅はかだと教えられた。女性も性道徳に反抗するよう呼びかけられた。
 1960年代の後半、ルカーチの思想は、アメリカで若者たちに熱烈に受け容れられた。アメリカで小学校から性教育を行うようになったのは、ルカーチの影響である。
 イタリアのグラムシは、西洋の共産化には、まずキリスト教を除くことが必要だと考えた。まず文化を変えよ、そうすれば熟した果実のごとく権力は自然と手中に落ちてくる、と主張した。芸術、映画、演劇、教育、新聞、雑誌、ラジオ等を、一つ一つ攻め落とし革命に組み込んでゆくことが肝要だ。そうすれば人々は徐々に革命を理解し、歓迎しさえするようになる、と説いた。こうしたグラムシの思想は、西欧諸国のユーロコミュニズムや、アメリカのカウンターカルチャー運動に影響を与えた。
 ドイツのフランクフルト学派は、キリスト教、家族、道徳、愛国心等を徹底的に批判した。彼らはユダヤ人が多く、ナチスの迫害を逃れて米国に亡命し、戦略情報局(OSS)で大衆操作の研究に参加した。彼らの最左派だったのが、マルクーゼである。「来るべき文化革命でプロレタリアートの役を演じるのは誰か」――マルクーゼが候補に挙げたのは、若者の過激派、黒人運動家、フェミニスト、同性愛者、社会的孤立者、第三世界の革命家などだった。労働者階級に代わって西洋文化を破壊するのは彼らだというのである。
 マルクーゼの思想にはまったアメリカの学生たちは、ベトナム戦争の反戦運動を行いながら、キリスト教の価値観や道徳に反抗し、セックスとドラッグに興じた。この「性革命」「ドラッグ革命」に続いて、黒人の公民権運動が高揚した。黒人が公民権を求めるのを見て、白人の女性たちも権利の拡大を要求し、ウーマン・リブの女性解放運動が起こった。
 この動向は、アメリカから西欧・日本に伝播した。マルクーゼの影響を象徴的に表わすことがある。昭和43年(1968年)、フランスのパリで5月革命が起った。この時に活動した学生・知識労働者の運動は、三M革命といわれる。三Mとは、「マルクス・マオ(毛沢東)・マルクーゼ」である。マルクス、毛沢東と並ぶほど、マルクーゼが強い影響を与えていたのである。
 こうした文化革命型の「白い共産主義」が、1960年代後半以降、ヨーロッパ・アメリカからわが国に入って日本人を深く蝕んでいる。


文化革命型の「白い共産主義」の脅威3
2018-11-15 09:03:32 | 日本精神
●日本を蝕む共産主義

 戦前の日本では、共産主義は危険思想と見なされていた。日本の共産党は、ソ連共産党の日本支部として作られ、皇室の廃止、国家の転覆を目指していた。それゆえ、共産主義者の活動は厳しく監視され、取り締まられた。
 共産党が自由に活動できるようになったのは、わが国が大東亜戦争に敗れた後である。日本の占領政策を準備したOSSの影響のもと、GHQは獄中から共産党員を解放し、公然と活動できるようにした。日本国民の団結を弱めるため、思想的な分裂を画策したのである。
 GHQにはニューディーラーと呼ばれる左翼思想を抱いた者が多数いた。彼らは日本を弱体化するための占領政策を立案・実行した。その中にはOSSの出身者がいた。マッカーサーの指示で英文で憲法が起草され、その憲法がわが国に押し付けられた。現行憲法には、日本の国柄や伝統が書かれておらず、天皇の役割が縮小された。国民の権利の保障が厚い一方、義務は少なく、個人主義・利己主義に陥りやすい内容となっている。また、GHQは民法を変え、伝統的な家族制度を壊すために、イエ制度を廃止した。
 こうしたなかで、共産主義者は日本の各所で共産思想の浸透を図った。学界やマスメディアに浸透し、さらに教育界に入り込んで、日教組が左翼教育を行うようになった。
 戦後日本の左翼は、レーニン流の暴力革命戦術を取らずともよい。当面、現行憲法の下で、「民主」「平等」「人権」「平和」などの教育・普及をやっていけば、日本の共産化を実現できると考えた。そのために、学校やマスメディア等が利用されている。こうした動きにさらに加わったのが、文化革命型の「白い共産主義」である。
 共産主義者は、西洋でキリスト教道徳を破壊するように、わが国では我が国の伝統的な道徳を破壊する。日本人は、皇室を敬い、家族を大切にし、先祖に感謝し、子孫の繁栄を願い、ともに助け合う生き方をしてきた。そういう生き方そのものを、共産主義者は排除する。言い換えれば、日本人から日本人らしい精神をなくそうとしている。
 皇室を敬う心を損なう。個人中心の考え方を広める。親子、夫婦がバラバラになるようにする。先祖への感謝や尊敬の念を持たないようにする。資本家と労働者が対立・闘争するようにする。日本人が民族や国家という意識を持たないようにする。国旗を掲げたり、国歌を歌うことに反対する。―――こうした伝統的な道徳を破壊する動きを一層、強力なものにしているのが、ジェンダーフリー、過激な性教育、夫婦別姓の導入、戸籍制度の改悪等である。
 ジェンダーとは、生まれつきの男女の性別ではなく、社会的・文化的に作られた性差を意味する言葉である。そうした性差をなくそうとするのが、ジェンダーフリーである。簡単に言えば、男は男らしく、女は女らしくという考え方をなくそうという運動である。
 今学校では、過激な性教育が行われている。日教組は、小学生の子供に性の知識を教える教育に力を入れている。
 夫婦別姓を導入しようとする動きが続いている。結婚しても、夫婦が別々の姓を名乗ることができるようにし、個人主義を徹底するものである。
 戸籍制度が改悪され、戸籍に書く子供の続き柄の欄に「子」とのみ記されるようになった。この動きは、嫡出子と非嫡出子の差をなくし、さらに法律婚と事実婚の差をなくし、最後は結婚という制度の廃止を目指すものである。
 最近大きな話題になっているものに、LGBTがある。Lはレズ、女性の同性愛者、Gはゲイ、男性の同性愛者、Bはバイセクシュアル、両性愛者、Tはトランスジェンダー、性同一性障害の一種である。合わせてLGBTといい、こうした性的指向を持つ人々の権利を拡大しようとする動きがある。
 これは少数者の人権を擁護する動きと見られるが、それを利用するものとして、共産主義があることに注意しなければならない。
 今や人類が人間の自然な姿として大切にしてきた家族のあり方、男女のあり方、人間のあり方を変えていく文化の革命が、静かに進行しているのである。私たちは今日、知らずしらずに共産主義の浸透にさらされている。そのことに気づかねばならない。

●外からの脅威が迫っている

 日本はじわじわと共産主義によって中から侵されているが、それだけではない。外からは大きな脅威が迫っている。中国である。経済大国、軍事大国となった中国は、南シナ海、東シナ海で覇権主義的な行動を強めている。
 中国は、尖閣諸島を奪取しようとし、さらに沖縄を狙っている。北海道では森林・水資源・農地等が買収され、大きな問題になっている。また、日本全国で中国人の移民が急増し、日本国籍を取る中国人が激増している。日本に住む中国人は、150万人を超えている。このままいくと、日本は中国によって、呑み込まれてしまう恐れがある。政府は入管法を改正して、来年4月から外国人労働者を多く入れようとしているが、その政策を取るならば、流入する外国人の多くは中国人になるだろう。
 ここに中国で作られた2050年の東アジアの予想地図がある。朝鮮半島は朝鮮省となっており、日本は西半分が東海省、東半分は日本自治区と書かれている。
 もしわが国が中国に支配されたら、言論の自由、表現の自由は制限され、宗教は弾圧を受けるだろう。チベットやウイグルは中国の自治区だが、中国共産党はチベットやウイグルで、伝統文化の破壊、宗教への弾圧、民族の弱小化を進めている。日本も同じような目に合うことになる。

●日本精神を取り戻そう

 「白い共産主義」によって伝統的な文化が破壊されたところに、「赤い共産主義」が武力で襲いかかる。こうした危険から日本を守るには、日本人が日本精神を取り戻すことが必要である。そして、日本人が団結して、日本の再建を進めていかねばならない。
 日本を再建するには、国のあり方を立て直さねばならない。そのためには、日本人自身の手で、外国から押し付けられた憲法を改正することが不可欠である。現在、憲法改正の議論では、自衛隊の明記、緊急事態条項の新設等が課題に上がっている。さらに今後、憲法に日本の伝統・文化・国柄を盛り込み、本来日本人が持っていた団結力を回復していかねばならない。それが、21世紀の世界で日本の平和と繁栄を可能にする道である。
 大塚寛一先生の著書に『真の日本精神が世界を救う』がある。日本精神を取り戻し、さらに日本精神の真髄を学ぶために、ご一読をお勧めする。(了)

参考資料
・OSSについては、下記をご参照下さい。
 田中英道著「東京裁判とOSS『日本計画』」
http://hidemichitanaka.net/?page_id=321
関連掲示
・共産主義全般については、下記のページの拙稿をご参照下さい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion07.htm
・文化革命型の「白い共産主義」の展開と、ジェンダーフリー、フェミニズム等の関係について、詳しくは、下記をご参照下さい。
 拙稿「急進的なフェミニズムはウーマン・リブ的共産主義」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03d.htm
・大塚先生の説く真の日本精神については、マイサイトの「基調」をご参照下さい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/keynote.htm



神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 「報知新聞 1941.6.23-1941.6.29 (昭和16) アメリカの地底政府 (1〜6・完)」「満州日日新聞 1941.12.2 (昭和16) ユダヤ問題を衝く(一〜十・11)」
報知新聞 1941.6.23-1941.6.29 (昭和16) アメリカの地底政府 (1〜6・完)
アメリカの地底政府 (1〜6・完)
与論が白聖館を支配し、与論が政治的権機力に先駆するとまでいわれた与論の国アメリカ—その民主主義の牙城アメリカが今や一億三千万国民の与論を、”頬かぶり”して参戦の無限軌道を猪突驀進しようとしている、国民がストップと手を挙げているのに運転手ルーズヴェルトは赤信号を無視して遮二無二参戦の交叉点を渡ろうとしているのだ、冷静な与論を踏みにじってまでアメリカは何故”参戦”の危い橋を渡ろうとするのか、アメリカの実思を歪め、アメリカの与論を去勢するものは誰か?この疑問符をあぶり出しにかけると『参戦を煽るものユダヤ地底政府』という文字が大きく浮び上って来る、ニューヨークがジューヨークと呼ばれ、ニューディールがジューディールと皮肉られ、ニュースペーパーがジュースペーパーといわれるくらいジュー即ちユダヤ勢力が浸潤し、ユダヤの資金力によって金しばりにされているアメリカである、米の参戦近しが喧伝される今、ここにアメリカの参戦をあおる”ユダヤ地底政府”を白日下に暴き、参戦の鐘は論がために鳴るかを解剖して見よう


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プロフィール

リベラルとは隠れマルクス主義者、フランクフルト学派(トロイの木馬革命)の批判理論(知識人向けのマルクス主義)を武器として使い日本を内部から破壊する文化マルクス主義者です。正体は暴力革命をあきらめたに過ぎない革命家です。通名在日朝鮮人と結託して、日本を弱体化している連中です。
共産党は、共産主義と名乗っているので共産主義者と分かりますが、リベラルは名乗りません。剥き出しの共産主義では社会への浸透力に弱いのです。
大学やメディア、法曹界を中心に文化マルキストが大勢居ます。勉強をして大学へ進み、東大など知識階級であるほど、マルクス主義(反日、自虐史観)になります。インテリを通じてその国の歴史や文化・伝統を破壊し、新しい価値を社会に刷り込んでいきます。
GHQが生み出した敗戦利得者とその系譜であり、日本を内外から弱体化している勢力(国難の正体)であり、支配層にも多くいます。(ソ連政府 各委員会に占めるユダヤ人の人数と比率)かつてのソ連は(ロシア革命により)アシュケナージ・ユダヤ人に支配されていました。現在の日本を支配、コントロールしているのは誰なのでしょうか?(帰化した政治家(在日韓国朝鮮人ほか)


男性の細胞の中には、Y染色体というものがあります。それは遺伝子DNAの格納庫のようなものです。
Y染色体の遺伝子情報は、父から息子へ、男系でのみ伝えられます。
日本人男性のY染色体には、中国人や韓国人にはほとんどみられない、非常に重要な特長があります。
それは日本人の40%近くに及ぶ人々のY染色体DNAには、「YAP」(ヤップ)と呼ばれる特殊な遺伝子配列があることです。


「……大金持ちの一団、彼らは西洋地域の政治、経済、社会の各方面で、きわめて大きな影響力を持つ。その一団が人知れず集まってたくらむことは、後にたまたま起きたかのように現実となる。」―――――英国 『タイムス』紙 1977年

「成長の過程でナショナリズムに染まった国民に再教育を施し、主権の一部を超国家機関に預けるという考え方になじませるのは、骨の折れることだ。」―――――ビルダーバーグの創設者、ベルンハルト殿下
『ビルダーバーグ倶楽部 世界を支配する陰のグローバル政府 ダニエル・エスチューリン』より)


「『資本主義と共産主義は敵対思想だ』という戦後の通説を根底から揺るがす…共産主義革命を推し進めていた勢力と、グローバル化という究極の資本主義を推し進めている勢力は同根である」(渡部昇一)
「現在の私たちを取り巻く国際環境の本質を理解するためには、これまで私たちの目から隠されてきた歴史の真実を明らかにする必要がある」(馬渕睦夫)
・米中はなぜ手を結ぶのか?
・なぜ歴史認識問題で敗北し続けるのか?
・なぜ米英ソ中が「連合国」だったのか?
・「国家は悪」「国境をなくせ」という思想戦
“ハイ・ファイナンス”の力を熟知しなければ、この国難は打開できない!
『日本の敵グローバリズムの正体 渡部昇一、馬渕睦夫』より)(著書一覧


グローバル主義者の文書では「人権」と「社会正義」の用語は暗号として使われ、自由の制限と国連による管理の強化という意味になります。

多くの政治的国際主義者は人々を怖がらせないように気を利かせて、世界政府という単語を使うことは絶対にしません。
代わりに“新国際秩序”とか“新世界秩序”という記号のような言葉を使います。
ニューワールドオーダー(NWO、新世界秩序(人間牧場))とは、別の言い方ではワンワールドであり、一般的にはグローバリゼーションと言われています。世界統一政府の樹立によって、国家の主権は奪われ、彼らの支配が完全支配になります。

国際主義(グローバリスト)は、「思想戦」と「経済戦」が柱なのです。双方とも、国家という枠組みを超越した戦争です。二十一世紀の共産主義(共産主義がグローバリズムに衣替え)とは、思想戦(左翼リベラル(批判理論による内部からの秩序破壊、分断工作))と経済戦(国家を含め障害になるすべてのものに対しマネーで決着をつけることになる新自由主義・市場原理主義)というグローバリズムであり、一部の特権階級による国家の民営化日本が売られるレントシーカー竹中)です。


Q -THE PLAN TO SAVE THE WORLD、世界救済計画、ケネディ、Qanon、Qアノン、トランプ大統領、NSA、ディープステート、カバール秘密結社、CIA、FBI、フェイクニュース、不正選挙、犯罪メディア、偽旗テロ、911、日本語字幕付
Q -THE PLAN TO SAVE THE WORLD①(世界救済計画、ケネディ、QAnon、Qアノン、トランプ大統領、NSA、ディープステート、カバール秘密結社、CIA、FBI、フェイクニュース、不正選挙、犯罪メディア、偽旗テロ、911、日本語字幕付き)

『裏政府カバールの崩壊⑨ 新しい世界の訪れ』 黄色いベスト運動、裏政府が怖れていたこと、Qチームの20年の計画、トランプのヒント、フィジーウォーターはネクシアム、赤いピルを飲む、メラニアのコート、ヒラリ
『裏政府カバールの崩壊』 今までの世界が終わるとき、ウサギの穴をたどっていく、外国人による侵略、小児性愛者がいっぱい、子供、アート、ピザゲート、大手マスコミの操作、魔女と魔術師、王と女王の他に、新しい世界の訪れ、王の到来


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コロナウイルスの裏でほくそ笑むウォール街 (コロナ騒動、新型コロナは嘘、PCR検査、CT値、死因を問わずコロナ死、遺伝子ワクチンで死亡、ワクチン副反応、ウイルスは存在しない?)
『株式会社アメリカの日本解体計画 堤未果』 プロローグ 新型コロナウイルスの裏でほくそ笑むウォール街 (コロナ騒動、新型コロナは嘘、PCR検査、CT値、死因を問わずコロナ死、遺伝子ワクチンで死亡、ワクチン副反応、ウイルスは存在しない?)マスコミでは絶対、言えない「新型コロナウィルスの真実」に迫る!

『忘れてはいけない歴史記録 アメリカ不正選挙2020 船瀬俊介』) 参政党

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