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クリントンとトランプの対決は、フランクフルト学派的なリベラルと、アンチ・リベラルの対決。社会主義の失敗による袋小路、キリスト教というナショナリズム、クリントンの理性とトランプの野生、社会主義を必然の理想とする人々、アメリカを描いた人々、「何も変わらない日本」への注目、日が上る地は、日出づる国

田中英道氏「日本の起源は日高見国にあった 縄文・弥生時代の歴史的復元」より

社会主義の失敗による袋小路
十八世紀以来、西洋の一部の知識人は、自分達の社会は社会主義という思想と仕組みをもって成熟するだろうと考えてきました。社会主義はまた、キリスト教が持つ「救世」という側面の実現でもあるとさえ考え、カント(一七二四~一八○二)、ヘーゲル(一七七〇~一八三一)を代表とする理性の世紀に続いて、マルクス(一八一八~八三)によって、現実的な社会主義体制の画策が開始されます。
西洋は、問題に対して理性をもってあたり、理性を使ってつきつめて考え、理性で解決を計画すれば、必然的に資本主義から社会主義に至ると考えました。人々の権利と平等は社会主義によってのみ守られるものだと考えたのです。
カント、ヘーゲル、マルクスは、彼らにとって現代西洋の思想の源ですが、それがいまや、一九九一年のソ連崩壊によって社会主義の失敗が明らかになり、この源自体が怪しくなりました。キリスト教というものも、イスラム教の方が数量的にも信徒が増えつつあるという状況となっています。
あらゆるところで、西洋の、一八世紀から一九世紀の理性の世紀、つまり「近代社会」が今、崩れ始めています。宗教が復活しています。ソ連が存在し、社会主義に期待を持った二○世紀が完全に崩れたことで土台が揺らぎ、宗教に回帰しているのです。
今、西洋で始まっているのは、「理性と社会主義に代わるものはあるのかないのか」という模索の中で、やはりキリスト教しかない、という考えです。「近代」西洋の没落が現実として目前に現れていると言っていいでしょう。決して経済的な問題ではなく、思想的に、また政治的に、これまでの西洋がつくりあげてきたキリスト教により、近代国家というものが、衰退に向かっているのです。
社会主義の失敗は、西洋の未来の喪失でした。そこで、いったい何がでてくるかといえば、ふたたび「キリスト教」ということなのです。


キリスト教というナショナリズム
アメリカに、パトリック・ブキャナンという政治コメンテーターおよび作家がいます。一九三八年生まれで、ニクソン、レーガン、フォードという歴代米大統領のイデオローグ(論理的アドバイザー)を務めたことでも知られています。
ブキャナンは著書『病むアメリカ、滅びゆく西洋』(宮崎哲弥監訳 成甲書房 二○○二年)の中で、「アメリカはもうだめだ」ということを盛んに述べています。具体的には、アメリカが思想的に社会主義化し過ぎてしまっていることを大きな問題としています。
ブキャナンは、二〇一七年に米大統領に就任したドナルド・トランプの支持を候補時点から表明していました。トランプもまた、ブキャナンの思想にかなりの影響を受けています。ブキャナンはかつて大統領選に立候補した経歴を持ちますが、トランプがスローガンとして掲げている「アメリカ・ファースト」は、かつてブキャナンが使っていたフレーズです。
ブキャナンとトランプの両者がともに、特に重要としているものこそ「キリスト教」です。ブキャナンとトランプはこの点で同一歩調をとります。アメリカにとって、キリスト教は、大きなひとつの救いであり、国家の団結のモチーフであり、取り戻さなければならないテーマだと、ブキャナンとトランプは考えているのです。
取り戻さなければならないと考えている限りは、本義として、すでにキリスト教は失われているということです。そして、私達の日本は、キリスト教を受け入れなかった国でした。


クリントンの理性とトランプの野生
一六〇三年に開闢した徳川幕府は、戦国時代後期から盛んに布教活動が行われてきたキリスト教を受け入れることをやめました。明治維新後の一八七三年、欧米諸国から条約改正の条件のひとつとして提示されたことをきっかけにキリスト教が解禁されて今に至りますが、それでも現代日本のキリスト教徒の数は人口の一パーセントです(宗教年鑑、平成二七年度版データによる)。
その点から見れば日本は、いわば、アメリカとは完全に対照をなす国です。精神的なところでの完全な異相がここにあります。
キリスト教もいきづまり、社会主義もいきづまり、理性への期待もいきづまったアメリカを含む西洋は今、何でも起こりうる野放しな状況が、精神的にでき上がってしまっています。その状況から出てきた典型がトランプのような人物であると言うこともできます。
二○一六年の米大統領選では、そんな西洋の状況が象徴的に表れていました。ヒラリー・クリントンは理性的な態度を全面に押し出した外見を保ち、理性に基づいた論調に努めました。かたやトランプは、きわめて野生的に見えました。
理性的なるものと野生的なるものがぶつかっているという印象でした。実際、トランプはプロレスのデモンストレーションさえ試みていました。
ハーバード大学を卒業した、いわゆるエリートとはほど遠い、くだらない人間のようにトランプはイメージされ、大統領就任後の今も、マスコミはトランプをそのイメージのままに扱っています。実はここにこそ、重要な問題の典型があります。


社会主義を必然の理想とする人々
クリントンが見せていた理性とはいったい何でしょうか。これこそは、「世界は社会主義に至ることが理想にして必然だ」と考える人々の拠り所でした。理性をもって理論で考えれば、資本主義はいずれ行き詰まり、マルクス思想で言うところの労働者階級が蜂起し、社会主義革命に至るのです。
しかし、社会主義国家ソビエト連邦は自ら崩壊し、資本主義は行き詰まることなく、労働者階級が革命の主人公となることもありませんでした。
そこで、社会主義を理想とする理性は、革命の主人公を労働者階級から中間階級つまり一般人に変更しました。変更の根拠を担ったのは、マルクス主義の哲学者ルカーチ・ジェルジ(一八八五~一九七一)を創始者とし、社会主義のマックス・ホルクハイマー(一八九五~一九七三)、音楽批評家のテオドール・アドルノ(一九〇三~六九)、精神分析学者のエーリッヒ・フロム(一九〇〇~八〇)らを中心人物として戦後西洋のリベラル思想をけん引し、後続の思想家たちによって今もまたけん引し続けている「フランクフルト学派」と呼ばれる学者グループでした。
『日本人にリベラリズムは必要ない。「リベラル」という破壊思想 』(ベストセラーズ 二〇一七年)でも私が明らかにした通り、フランクフルト学派は、人間を、資本主義社会のもとで疎外され続けている存在だととらえます。人間は常に不満な状態にあると考えます。
マルクス主義は、貧しい労働者達が貧窮化の末に決起し、プロレタリアート革命が起こることを必然としていました。しかし、実際には、マルクス主義が描く労働者の決起などは起きませんでした。フランクフルト学派にとって、それは思想上の大きな痛手でした。
そこでフランクフルト学派は、傷のついたマルクス思想を裏に隠し、「人間は生まれながらに不幸である」とする精神分析学者ジークムント・フロイトの思想を持ち込んで、社会主義に至るために「一般の中間階級こそが革命を起こす主人公となるべきだ」という新しい方法論を再構築しました。一般人なら誰もが多かれ少なかれ感じるであろう疎外を排除した先にある自由、平等、人権を掲げるリベラリズムを種あるいは餌にして既存の社会に揺さぶりをかけ、社会変革へもっていこうという戦略です。
すなわちクリントンとトランプの対決は、フランクフルト学派的なリベラルと、アンチ・リベラルの対決でした。


アメリカを描いた人々
ブキャナンが『病むアメリカ、滅びゆく西洋』の中ですでに述べていたことの踏襲だと言ってもいいのですが、トランプは、クリントンのリベラリズム、つまりフランクフルト学派的なものを否定しました。社会主義に移行しようとすることは幻想であり、ソ連の崩壊ですでに失敗が証明されたことでもあります。
フランクフルト学派の重鎮だったルカーチ・ジェルジ、ホルクハイマー、アドルノ、フロムらはすべてユダヤ人です。マルクスも、フロイトもまたユダヤ人です。社会主義という思想は、実に、追放され続ける歴史に生きるユダヤ人が生存をかけるべき思想でした。
キリスト教の一方にユダヤ人があり、ユダヤ人こそは、西洋世界に歴然とありながらも隠れている一本の太い柱です。ユダヤ人は一七世紀、独立前のアメリカにしっかりと定着し、経済的な実力を蓄え続けていきました。アメリカにマルクス主義思想を定着させたのもユダヤ人です。アメリカの経済的構想、文化的構想は、ユダヤ人によって描かれました。
そして、そのことが、今や、アメリカの重大な反省材料になっているのです。


「何も変わらない日本」への注目
このアメリカの反省を明確に掲げたのが、ヘンリー・キッシンジャーでした。国際政治学者であり、ニクソン政権では安全保障の大統領補佐官、フォード政権では国務長官を務め、ベトナム戦争和平交渉の評価でノーベル平和賞を受賞しています。
二〇一五年一月三日付の読売新聞朝刊に『語る戦後70年―日本の役割 熟慮のとき』という特集の第一弾として、キッシンジャーのインタビューが掲載されました。キッシンジャーはこう言っています。
《アメリカはこれまで、他国の政府を自分たちが作り変えられると信じてきた。だが現在そうした時代から脱却しつつある。我々は、日本とドイツの占領の経験を誤って分析していた。アメリカが日本を作り直したのではない。日本自身が自らの伝統的な価値観の中で、新たな状況、国際秩序に適応したのだ。》
《日本は、アメリカ中心の連合国軍司令部(GHQ)の権威を利用し、自らの力で国家の現代化を進め、復興を急いだ。こうした新たな環境への適応が、今やアジアの安定と、世界の平和と反映の基礎となったと言える。》
キッシンジャーはユダヤ系ドイツの移民です。ナチスドイツの反ユダヤ政策を嫌ってアメリカに帰化した経歴を持ちます。
つまり、西洋の太い柱の一本であり、アメリカを描いてきたユダヤ人達が、自身から、「いままでやってきたことは何だったのか」と思い始めたということです。ここに現在、キッシンジャーがトランプを支持している重要な鍵があります。
キッシンジャーは、日本という国をきわめて客観的に分析しています。今まで自分たちは日本の政権などというものは平気で勝手に変えてきた。CIAと協力していくらでも変えることができた。政権を変えることはできたが、いくらそれを変えたところで、日本という国は、戦後、何も変わっていないということが今やはっきりとわかった。キッシンジャーが言っているのはそういうことです。
天皇はおられる、キリスト教徒が増えている事実はない。各論では混乱しているように見えますが、日本というものには筋がある。そういうことに気がついたわけです。
キッシンジャーが公的な場でこう述べているということは、インテリのユダヤ人学者のほとんどがまた、このように考えているということを意味します。特にアメリカのユダヤ人の多くは、ヨーロッパあるいはその他キリスト教文化がある地域のユダヤ人と違って過去にはあまり興味はなく、現代から未来へ向かう設計図というところでものごとを考えます。
そんな人達が、伝統と文化というものはやはり変えられないのではないか、日本の場合は特に変えられない、と考え始めました。それがキッシンジャーのインタビューに如実に表れていると言うことができるでしょう。
つまり、今、「いったい日本とは何なのかということを、世界が知りたがっている」ということなのです。


日が上る地は、日出づる国
それでもまだ、今までのように、日本は中国の属国だと考えている人は多いのです。しかし、何かが違うということは、一様に感じ始めています。
そして、先にも少し触れましたが、まるで現在を予言するかのように、一九九六年の時点ではっきりと「日本は違う」と言ったのがハンチントンでした。ハンチントンは、世界の文明を八つ、すなわち八大文明に分類し、日本をその内の一大文明に位置づけました。
ハンチントンは、日本をはっきりと中国から離しました。かつて美術史を中心に研究する中で私はこのことをかなり以前から確信していましたが、このように外国の学者が外から言ってくれるのは、きわめてありがたいことです。
日本は、西洋、中国、インド、あるいは他の文明とは違う文明、一大文明であるということを、日本人は今後さらに自信をもって主張する必要があります。しかし、国民性と言うべきなのでしょう。日本人ははっきりと言わないものですからうやむやにもなり、ハンチントンの八大文明論さえ、忘れ去られつつあるのが実情です。
ここ一〇年ほどの間でさらに明らかになってきた実際と、現在そして今後の世界情勢を考えれば、日本自身が日本をしっかりと語るべき時期に来ていることは明らかでしょう。ハンチントン、レヴィ=ストロース、そしてキッシンジャーを始め、日本の背中を押してくれる人たちが西洋の側から出てきているのです。それに応えることも含めて、日本は語らなければいけません。
日本をしっかりと語るということは、すなわち、日本史の大転換を行うということに他なりません。人々は必ず、日が上る地、すなわち「日出づる国」を目指して歩き、また海を渡ります。西洋の文明評の極致「光は東方より」の、その東方とは、その文化の発信地、その最初とは、私達の日本列島でなければ説明がつかないということを、私達日本人こそがすっかり忘れていたのです。



田中英道氏「日本人を肯定する 近代保守の死」より

スペイン追放とユダヤ人・コロンブス
スペインがユダヤ人追放を政府レベルで決定するのは一四九二年のことで、コロンブスの航海出発と年を同じにします。スペイン政府のユダヤ人追放発表が先です。通説では奇妙な一致であるとして片付けられますが、ここにはやはり、ユダヤ人追放という情勢があったからこそユダヤ人であるコロンブスは大西洋に出航した、という事態を見るべきでしょう。ユダヤ人が追い出されたことでアメリカが「発見」されたのだということをはっきりと理解する必要があるでしょう。
コロンブスは、世界史上最も有名な人物のひとりですが、彼がユダヤ人だったということを認識すると、ここで世界を見る眼が変わってきます。

すでに触れたように、コロンブス以後、冒険商人をはじめ大航海時代に外へ出て活動する世界ではユダヤ人が続々と登場することになります。一五四九年、日本に初めて渡った宣教師としてフランシスコ・ザビエルが来日します。ザビエルは、ポルトガル人あるいはスペイン人であり、ポルトガル王に派遣されてやってきた、というふうにいわれ、それを日本人は信じてきました。確かに、当時の国とザビエルとの関係はそうに違いないのですが、ザビエルは「コンベルソ」でした。コンベルソとはマラーノ(豚)とも蔑称でいわれますが、キリスト教に改宗したユダヤ人のことです。
ユダヤ人がキリスト教に改宗することは難しいことではありませんでした。キリスト教には旧約聖書がありますから、ユダヤの思想に慣れているアイデンティティは保てるわけです。また、キリスト教の組織体制としても、簡単にユダヤ人を受け入れる姿勢でいましたから、キリスト教徒に同化したユダヤ人は時代を経るにつれて多くなっていきます。このことがまた、私たちにユダヤ人を見抜くのを困難にさせています。

イエズス会をはじめ、宣教師は一様にみなキリスト教徒だと教えられています。イタリア人だとかスペイン人、ポルトガル人といった国の違いを意識するくらいのことです。しかし彼らの多くはユダヤ人であることは宣教に別の意味を与えます。彼らの経済的な功利性のことです。
このようなことは決して表面に出ないようになっているので、中々あからさまにできません。日本人にとっては、すべて南蛮人であり「外人」にすぎません。日本人は、国家と民族的なアイデンティティの問題に関して非常に鈍感です。さらにもともと日本にはユダヤ人問題がなかったことが重要です。ユダヤ人が日本に来たところで、同化してしまい、彼らが存在を主張する必要がなかったのです。さらには日本の懐というのは人種差別は少なく、海外の人が入ってきても、彼らさえ周囲を受け入れれば、すべて同化させることで吸収してしまいます。

(後略)


表に出るのは政治的な歴史のみ
ユダヤ人についてよくいわれるのは《いるようでいない。いないようでいる》ということです。政治的な場面にユダヤはなかなか登場しません。手柄は寄生する国家に預けてしまうことで名前を隠し、お金で十分に取るということをずっとやってきました。それが、日本人がなかなかユダヤ人の役割を歴史上見抜けない理由のひとつです。
十八世紀、こうしたユダヤの指導的立場に立ったのがロスチャイルド家です。ロスチャイルド家は典型的なユダヤの動き方をしたのです。ロスチャイルド家の本拠はドイツのフランクフルトでした。当時、フランクフルトのユダヤ人はまだゲットーにいました。いわゆるロスチャイルド家を創始したマイアー・アムシェル・ロートシルト(英語発音でロスチャイルド)はゲットー出身です。

古銭商からスタートしたとされていますが、マイアー・アムシェル・ロートシルトは機会をつかんで宮殿の御用商人となります。商売に成功して資金力があれば、たとえ人種的に隔離される立場であっても、お金によって宮廷に入り込むことができたということです。宮廷での成功を基にマイアー・アムシェル・ロートシルトは、商売を金融事業、つまり銀行設立へと展開させていきます。
マイアー・アムシェル・ロートシルトとその一族は、キリスト教徒貴族に金を貸し付ける宮廷ユダヤ人として、ハプスブルク家の皇帝、また、イギリス王室にも入り込みました。お金は、すべてのところへ入り込むことのできる武器でした。ユダヤの資金力は政治的な力の下にもぐりこむかたちで、ヨーロッパに強いインパクトを与えました。

今は歴史家の研究によって明らかになっている部分があるにせよ、ユダヤ人はあまりにも表に出ません。多くの人はヨーロッパの歴史といえば各国の歴史だと思っていますが、それは政治的な枠組みでの歴史であるに過ぎません。その下に潜り込むかたちでユダヤ人の経済の歴史があり、各国の歴史に通底して存在しているということは明白な事実であると同時に、そこを読み取らなければ現在の問題も見えてこないのです。



第二章 二十世紀を席巻したユダヤ思想の正体
キリスト教・ユダヤ教の対立の根本
ユダヤ教を含むキリスト教
西洋キリスト教世界の核心
二つのユダヤ思想に過ぎないキリスト教
トランプ政権とユダヤ
ホロコーストの否定は犯罪
ユダヤ人の行動は陰謀ではなく必然
パーリアとノマド
ユダヤ人の共通項
スペイン追放とユダヤ人・コロンブス
民族観を意識しない日本
三英傑とユダヤ
ユダヤ僧侶の徳川転覆の謀略
アヘン戦争とユダヤ
利子の問題
ゾンバルドのユダヤ経済分析
ディアスポラ(離散)が生む成功
表に出るのは政治的な歴史のみ
ロスチャイルドの五人の息子
ナポレオンとユダヤ
抽象を拒否する日本
神道と仏教の共存
ユダヤ人の欠点
世界がないということの意味
ハイデガーとアーレント
ナショナリズム
日本人と原罪感
日本が滅ばない理由
寒くて暗いヨーロッパ



ほそかわ・かずひこの BLOG ユダヤ28~ザビエルと日本人女性の奴隷売買
●ザビエルと日本人女性の奴隷売買
 
 15~16世紀の世界では、ヨーロッパ文明のポルトガル、スペインが、世界を二分する勢いだった。これらのカトリック教国は強力な王権のもとに海のルートを開拓し、各地に植民地を拡大した。そして各地の産品を運び、大きな富を獲得していた。この二国によって、「近代世界システム」が形成される地理的・経済的条件が作り出された。
 ポルトガル・スペインの植民地政策は、キリスト教の宣教と結びついていた。その方法は、初めに宣教師を送ってその国をキリスト教化し、次に軍隊を送って征服し、植民地化したのである。そこにもユダヤ人の関与があった。
 日本には、1549年にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが渡来した。ザビエルは、ポルトガル系の改宗ユダヤ人だった。単に宣教師であるだけでなく、日本との貿易の開拓者でもあった。ザビエル渡来の3年後に、ルイス・デ・アルメイダが来たが、これも改宗ユダヤ人で、ポルトガルを出て各地の仲介貿易で巨額の富を築き上げていた。日本に来ると、イエズス会の神父となり、キリスト教の布教をした。その活動は、植民地支配への階梯だったと見られる。
 アルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいた。徳富蘇峰は、『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録を載せた。「キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし」と書いている。キリシタン大名が送ったローマ法王のもとに派遣した天正少年使節団は、次のように報告している。「行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない」と。火薬1樽で50人の娘が売られたと伝えられる。
 豊臣秀吉は宣教師の活動の危険性をいち早く見抜き、主君の織田信長に注意を促した。秀吉は準管区長コエリヨに対して、「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ」と命じた。
 徳川幕府は、キリスト教の宣教を防ぐため、いわゆる鎖国政策を取った。清の他にオランダだけと交易したのは、オランダはプロテスタント国家であり、キリスト教の布教を行わずに経済的利益を求めたからである。
 数千万人の黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた。この歴史的蛮行は、白人キリスト教徒が行っただけでなく、改宗ユダヤ人が加わっていたのである。


ほそかわ・かずひこの BLOG ユダヤ51~ユダヤ資本がアジア進出の先頭に
●ユダヤ資本がアジア進出の先頭に

 ところで、イギリスは1600年に東インド会社を設立し、ポルトガルやオランダに続いてインド洋交易に参加していた。東インド会社は、インド大陸で1757年にプラッシーの戦いに勝利してフランス勢力を駆逐した。以後、イギリスはインドの諸国を次々に征服した。1840年代後半にはシク戦争に勝って、パンジャブ地方を併合し、インド征服を完成した。
 1820年代以降、産業革命の進むイギリスから、機械生産による綿布がインドに大量に流入した。インドの手工業者は圧迫され、インド経済は打撃を受けた。インド人の不満は高まり、57年セポイの反乱が勃発した。セポイとは、東インド会社が雇ってインド征服の手足としていた傭兵である。反乱は大規模化したが、59年イギリス軍はこれを鎮圧した。この間、イギリス政府は、東インド会社の機能を停止し、直接支配に切り替えた。そしてムガル皇帝を廃して帝国を滅亡させ、77年にはヴィクトリア女王が皇帝を兼ねるインド帝国を創建した。
 こうしてインドは実質的に植民地化された。これは非常に重大な出来事だった。近代西洋文明が、初めてアジアの文明のひとつを完全に支配下に置いたのである。
 イギリスのアジア進出は、ロスチャイルド家等のユダヤ人資本家が関わる銀行・商社等によって推進された。ユダヤ人はインドやシナへの進出でも活躍した。その代表的存在として、サッスーン家が挙げられる。
 サッスーン家は、もともとは18世紀にメソポタミアに台頭したユダヤ人の富豪家族だった。オスマン帝国治世下では、財務大臣を務めるほどの政商だった。イギリスとの関わりは、デイヴィッド・サッスーンによる。バグダード生まれのデイヴィッドはインドに進出し、1832年にムンバイでサッスーン商会を設立した。そして、イギリスと結んで、アヘンの密売で莫大な富を築き、アヘン王と呼ばれた。イギリスの紅茶の総元締めでもあった。
 1840年、シナの清国とイギリス等の列強の間で、アヘン戦争が起こった。清国がアヘン輸入禁止令を出したのが、きっかけだった。イギリスをはじめ列強の近代化された軍事力の威力の前に、清国はあえなく敗れた。戦後、列強は競ってシナに進出した。中でもロンドンに本部を置くサッスーン財閥の進出は、目覚ましかった。上海に営業所を設け、英・米・仏・独・ベルギーなどのユダヤ系の銀行・商社を組合員に持ち、鉄道・運輸・鉱山・牧畜・建設・土地売買・為替・金融保証を主な営業科目として、インド、東南アジア、シナに投資を行った。
 今日も続く香港上海銀行(HSBC)は、1868年にデイヴィッドの息子アーサーが最大の株主となって設立された。ほかにベアリング商会、マセソン商会、ロスチャイルド家等が出資した。アーサーの義理の弟は、ネイサン・ロスチャイルドの孫レオポルド・ロスチャイルドだった。サッスーン財閥は、デイヴィドの死後、アルバート、次いでエドワードが相続し、三代の間に巨富を築いた。エドワード・サッスーンの妻は、ロスチャイルド家のアリーン・ロスチャイルドだった。このようにサッスーン財閥は、ロスチャイルド家と婚姻を含む深い関係を築き、ロスチャイルド系列の財閥として、巨富を成した。それは言い換えれば、ロスチャイルド家が、中東系ユダヤ人のサッスーン家を系列化し、親族関係を結んで、勢力を広げたということなのである。
 イギリスのアヘン貿易には、アメリカのラッセル・アンド・カンパニーも参入していた。同社は、ウィリアム・ハンチントン・ラッセルが所有する会社で、ロスチャイルド系の商社であるジャーディン=マセソン社と提携して、太平洋と大西洋を股にかけて巨富を得ていた。ジャーディン=マセソン社はユダヤ系の商社で、幕末維新期のわが国に武器・機械等を売って繁栄した。彼らのアヘン貿易には、第32代大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトの母方であるデラノ家も参入していた。
 ラッセルは、アルフォンソ・タフトとともに、スカル・アンド・ボーンズという団体を創った。この結社は、1832年にイェール大学に結成された秘密結社である。アメリカ支配層の主流であるWASP、つまりホワイト=アングロ・サクソン=プロテスタントを中心とした学閥集団である。メンバーには、17世紀に最初に北米に来たピューリタンの名家や、18~19世紀に成功したハリマン、ロックフェラー、ペイン、ダヴィソン、ピルスベリー、ウェイヤハウザー等の富豪が多い。アメリカ社会に秘密結社の数ある中で、最も強い社会的影響力を持ち、政界・財界・法曹界・学界やCIA等に強力な人脈を広げていった。こうしたWASPの秘密結社のもとにはアヘン貿易で得た富があり、その人脈はもともとロスチャイルド家ともつながっていたのである。そして、後に述べるように、やがてWASPとユダヤ人が協力・融合するようになっていく。


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成31年(2019)4月2日(火曜日) 通巻第6034号
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  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
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 日本人を奴隷として売買したポルトガル船、イエズス会
  なかには傭兵として大暴れした日本人もいた

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ルシオ・デ・ソウザ著、岡美穂子訳『大航海時代の日本人奴隷』(中央公論社)
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 支倉常長が遣欧使節団として伊達政宗から派遣されたルートは、大航海時代のスペイン、ポルトガルが開拓した航路だった。マニア、メキシコのアカプルコ、キューバを経てポルトガルのリスボンへ入港した。
 伊達使節団の随員は乗組員を入れて二百人前後もいたが、経由地のマニラ、アカプルコなどで多くが脱落、あるいは逃亡、あるいは現地女性と結婚し住み着いた。
 後に高山右近らがマニラに追放されると、そこにはすでに二千名もの日本人コミュニティが形成されていた。
 支倉常長がスペイン各地を回ったときの随行は三十名に減っていた。もっとも当初から全員が西欧を目指したわけではなく、なかにはマニラへ帰国するポルトガル商人や宣教師、武器商人、そして奴隷売買の仲買人らも乗り込んでいた。
 本書はこの奴隷について教会の記録を丹念にしらべた、歴史の裏側の真実である。
 大航海時代とキリスト教バテレンの関係は、よく歴史書でも語られてきたが、日本人奴隷に関しての研究はほとんどなかった。秀吉が発令した、後に鎖国の前哨となるキリシタン追放は、この宣教の陰に隠れた闇商売に怒りを発したことが大きかった。
 この時代のイエズス会を活写した白眉は渡辺京二『バテレンの世紀』である。
 スペインの教会に残る婚姻記録などから、最初の東洋人奴隷の消息が分かるのは、早くも1551年だという。
 まだ信長の出現はなく、種子島への鉄砲漂着は1543年だから、南の島々には、海賊にくわえて奴隷商人も出没していたことになる。
本書の調べでは、1570年代には夥しくなり、名前から判断して日本人と推察できる。年代的に言えば信長が切支丹伴天連の布教を大々的に認めた時代に合致する。そして、その後の研究でも奴隷の出身地が豊後に集中している記録がある。
これまでは伴天連大名として有名な大友氏が積極的に領民を売買してきたとされた。ところが本書では薩摩との戦闘に敗れた大友氏の領内から薩摩が拉致し、マカオから来ていた奴隷売買船に売り渡したのではないかという。

 ゴアからマラッカ、マカオ、そしてマニラが重要航路だった。そこにはイエズス会の影響が強く存在していた。
イエズス会が『イエズス軍』という性格を併せ持ったことは拙著『明地光秀 五百年の孤独』のなかでも書いた。
しかもポルトガルを追われたユダヤ人の改宗者が大量に紛れ込んでいた。初期のころ、かれらが奴隷を購入し、家事手伝いなどに従事させた。そして改宗ユダヤ人が宣教使節にも出自を偽って紛れ込んでいた。伊達をそそのかして政変を企てたソテロも、改宗ユダヤ人だった(田中英道説)。これらの事実経過も拙著には書き込んだが、その時点で本書の詳細な記録を読んでいなかった。
 天正少年使節の遣欧団はヴァリアーノ(イエズス会宣教師、法螺吹きの一面があった)の斡旋でポルトガル、スペイン、ローマを訪問したが、各地で彼らは日本人奴隷を目撃している。なかには売春窟に売られた日本人女性もいた。
 「1560年代に来日した多くのポルトガル船は女性奴隷を乗せて出港し、彼女たちはマカオへ送られた後、さらにマラッカやゴアまで運ばれていった」(72p)。
 その後、ポルトガル、スペインに残る教会の記録にも夥しい日本人が発見された。
 「1570年代の後半には、ある程度まとまった集団的な(日本人コミュニティの)観察が可能なほどに、リスボンには日本人や中国人が居住していた」(153p)。
 イエズス会は表面的には奴隷貿易に反対したとされた。
 しかし「イエズス会は奴隷売買のプロセスにおいて、紛れもなく一機能を担っており、それを秀吉は見逃さなかった」(175p)。
 本書はじつに貴重な歴史への証言である。
    





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プロフィール

リベラルとは隠れマルクス主義者、フランクフルト学派の批判理論(非暴力革命理論)を武器として使い日本を内部から破壊する文化的マルクス主義者です。正体は暴力革命をあきらめたに過ぎない革命家です。在日朝鮮人と結託して、日本を弱体化している連中です。
共産党は、共産主義と名乗っているので赤い共産主義者と分かりますが、白い共産主義者は名乗りません。剥き出しの共産主義では社会への浸透力に弱いのです。
大学やメディア、法曹界を中心に文化マルキストが大勢居ます。勉強をして大学へ進み、東大など知識階級であるほど、マルクス主義になります。

GHQが生み出した敗戦利得者とその系譜であり、日本の敵の正体です。敵の正体とは何なのかを知らしめることが敵への攻撃となります。


「……大金持ちの一団、彼らは西洋地域の政治、経済、社会の各方面で、きわめて大きな影響力を持つ。その一団が人知れず集まってたくらむことは、後にたまたま起きたかのように現実となる。」―――――英国 『タイムス』紙 1977年

「成長の過程でナショナリズムに染まった国民に再教育を施し、主権の一部を超国家機関に預けるという考え方になじませるのは、骨の折れることだ。」―――――ビルダーバーグの創設者、ベルンハルト殿下

グローバル主義者の文書では「人権」と「社会正義」の用語は暗号として使われ、自由の制限と国連による管理の強化という意味になる。

多くの政治的国際主義者は人々を怖がらせないように気を利かせて、世界政府という単語を使うことは絶対にしません。
代わりに“新国際秩序”とか“新世界秩序”という記号のような言葉を使います。
ニューワールドオーダー(新世界秩序(人間牧場))とは、別の言い方ではワンワールドであり、一般的にはグローバリゼーションと言われています。

国際主義(グローバリスト)は、「思想戦」と「経済戦」が柱なのです。双方とも、国家という枠組みを超越した戦争です。二十一世紀の共産主義とは、思想戦(左翼リベラル(批判理論による内部からの秩序破壊、分断工作))と経済戦(国家を含め障害になるすべてのものに対しマネーで決着をつけることになる新自由主義・市場原理主義)というグローバリズムなのです。


学術界に左翼を潜入させる試みは、左翼の人員を養成する戦略の出発点としては効果的だった。40年以上経った今日でも、この戦略は明らかに成功を収めている。
数え切れないほどの若いアメリカ人大学生が、世俗主義、リベラルな社会的道徳観、そして、ねじ曲げられた歴史観を奨励する教授たちによる、伝統的アメリカを悪役に仕立てる講義を受講してきた。多くの学生たちは、その後大学院で学位を取得し、学術界でキャリアを築き、今度は彼らの生徒に対して、伝統的アメリカを悪魔化する左翼的思想教育をし続けている。(トランプのアメリカより)

フランクフルト学派はご存知のように一種のマルクス主義です。フランクフルト大学の社会学の教授連中がナチスに追われて、亡命先のアメリカで彼らの批判理論、つまり既存の秩序を批判しろ、家族も破壊しろという理屈を流布したわけです。
よく知られているのがヘルベルト・マルクーゼで、彼らの影響を受けて、日本では社会学の上野千鶴子氏あたりがジェンダー・フリーなどを主張しているわけですよ。男女平等とか、ジェンダー・フリーに取り組んでいる連中はおおむねフランクフルト学派的な思考をする人たちですね。
このことを認識している者もいるけれども、ほとんどが知らないで、男女平等はいいことだ、性差があってはいけないとか言っています。(髙山正之氏、馬渕睦夫氏「日本人が知らない洗脳支配の正体」より)


リベラルは「隠れマルクス主義者」にあたる。左翼の取れた、リベラルというまやかしの名前に隠されているが、その実態は暴力革命をあきらめ、経済破壊から文化破壊へシフトした革命家。(田中英道氏)

ロシア(ユダヤ)革命の思想を受け継ぐ革命家たちは、暴力的手段による共産主義革命から文化を乗っ取ることによる内部崩壊方式に戦術を変更したに過ぎない。(馬渕睦夫氏)
ユーチューブ 馬渕睦夫 動画検索へ

平成の「今だけ、カネだけ、自分だけ」の時代から、令和の「本来の日本人らしい生き方に目覚める」復古の時代への転換へ。(B層からC層へ)

弱肉強食社会、「奪い合う社会」を選ぶのか。日本古来の風土、伝統である、「分かち合いの社会」を再構築する道を選ぶのか。 


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